寒さ対策が充実したキハ22 北海道の炭鉱鉄道や第三セクターでも活躍した。 (original) (raw)
引用先 https://www.kanorail.com/DC_local/kiha20kei.htm
キハ22は北海道や東北でも活躍していましたし、似た車両や私鉄に譲渡された車両もありました。
●キハ22とそっくりな車両が北海道の炭鉱鉄道にあった。
北海道の炭鉱鉄道にはキハ22とそっくりな車両が存在していましたが、その理由も国鉄への乗り入れを行っていたということで、キハ22と似た車両を所有していましたが、
どこの炭鉱鉄道だったかというと、
・雄別鉄道キハ100形
引用先 http://shonandensha.web.fc2.com/filmhkdjpr.html
雄別鉄道のキハ100形のキハ104・105ですが、窓配置がキハ21と同じでありながらも窓が一段上昇窓で、さらにトイレもついていましたから、キハ22よりもキハ20の派生型になるのではないでしょうか。
ちなみに雄別鉄道のキハ100形のキハ104・105ですが、雄別炭鉱が閉山した関係で雄別鉄道も廃線となったのち、**関東鉄道に譲渡されキハ811とキハ812**となりましたが、
引用先 https://blog.goo.ne.jp/oka-hime/e/81de37ce3923ff1ae6d1e946f41b82ae
今度は関東鉄道が**鹿島鉄道と筑波鉄道に3分割**された関係で、
・羽幌炭礦鉄道キハ22形
引用先 https://ameblo.jp/hbk0225/entry-12088646807.html
今は**ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅で神社のご神体のキハ22 2**ですが、
引用先 http://www.uraken.net/rail/chiho/ibaraki/22.htm
この車両も元々は、昨年の3月で石狩沼田まで短縮されてしまった留萌本線に接続していた羽幌線に接続していた羽幌炭礦鉄道で使われていたキハ22形ですが、
羽幌炭礦鉄道キハ22形も羽幌線への乗り入れのために作られた車両でありましたが、肝心の羽幌炭礦が閉山となった関係で鉄道も廃線となり、津軽海峡を渡って**茨城交通湊線**に来ました。
茨城交通湊線に来た当初は、羽幌炭礦鉄道時代のワインレッド に白帯の塗装でありましたが、その後、白をベースにした 茨城交通湊線の標準塗装に変わりましたが、
引用先 https://blog.goo.ne.jp/komume1973/e/fbe5e3b4d68bf823b4e00a137a200687
唯一キハ22 2が2004年に 国鉄の旧標準塗装に変わりました。
引用先 https://raillab.jp/photo/148989
・留萠鉄道キハ2000形
引用先 http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/ibaragil.html
今はひたちなか海浜鉄道ですが、その前の茨城交通湊線時代には、留萌鉄道で使われていた**キハ2000形のキハ2004と2005**もありましたが、
この車両も元をたどれば**留萌本線に** 乗り入れていた留萌鉄道で使われていた車両で、留萌本線にも乗り入れていましたが、留萌鉄道も炭鉱が閉山したということで、留萌鉄道も廃止となりましたが、
留萌鉄道のキハ2004と2005は羽幌炭礦鉄道キハ22形と同じく、津軽海峡を渡り、茨城交通湊線に来ましたが、今考えてみましたら国鉄で使われていたキハ22と似た炭鉱鉄道で使われていた車両が、偶然にも茨城交通の湊線に集まったのも何かの偶然なのでしょうか?
それで留萌鉄道のキハ2004と2005も茨城交通時代は白をベースにした塗装となり、
引用先 http://myotetu.web.fc2.com/toku/t06/t06-2.html
その後、キハ2004が2005年に国鉄準急色となり、
キハ2004が2009年に国鉄急行色に変わりましたが、
引用先 https://raillab.jp/photo/149248
国鉄準急色のキハ2004はひたちなか海浜鉄道で廃車になったのちですが、今度は関門海峡を越えて、九州の**平成筑豊鉄道株式会社**に譲渡され、
今は、平成筑豊鉄道の**金田駅構内で動態保存**されていますが、将来的には本線での運転も目指しているというのですが、その日がいつになるのかというのは不明ですが、もし実現したらすごいことになるのではないでしょうか。
●キハ22が第三セクターの鉄道に貸し出されたケースもあった。
それとキハ22ですがこれまで国鉄の路線であったところが、**第三セクターに移行した際に貸し出されたケース**も2例ありますが、どこの路線だったかというと、
一つは**阿武隈急行で、元々ここは国鉄丸森線**でありましたが、そこが第三セクターの阿武隈急行に変わるということでキハ22が5両貸し出され、
引用先 http://61degrees.na.coocan.jp/rail/tohoku/dc22/index.html
88年に阿武隈急行全線が電化された際にすべての車両がJR東日本に返却されました。
あとキハ22が貸し出されたもう一つの路線は秋田内陸循環鉄道になりますが、
引用先 http://blog.diorama-box.net/?eid=28
ここも元をたどれば**阿仁合線と角舘線**の二つに分かれていました。そういうこともあって開業した当初から9台のキハ22がそれぞれの路線で使われていました。
そして89年に全線が開通し、AN88000形が投入されたことで9台のキハ22が、JR東日本に戻ってきましたが、
この二つの第三セクターによる私鉄ですが、国鉄時代から引き継がれた路線でキハ22が使われていたという稀なケースになります。
●キハ22が第三セクター私鉄などにも譲渡されたケースもあった。
キハ22ですが、元々あった路線がそのまま第三セクターや私鉄に変わってからも使われていたというケースもありましたが、それがどこの路線かというとこの二つの路線は今は廃線となっていますが、両方とも青森県内を走っていた路線で大畑線と黒石線になりますが、
**大畑線は下北交通**になり、
大畑線で使われていたキハ22がキハ85に変わりましたが、下北交通も2001年に廃線となり、今も地元の保存会の方々の手によって、旧大畑駅構内にて動態保存されています。
そして黒石線は弘南鉄道に譲渡されたということで、
引用先 https://raillab.jp/photo/11110
3台のキハ22も併せて弘南鉄道に譲渡されましたが、黒石線は弘南鉄道唯一の非電化線でありましたが、89年に路線も廃止となりました。
それと**津軽鉄道にもキハ22が3台譲渡**されましたが、
津軽鉄道は国鉄で使われていた車両が活躍していたということでも有名な路線で、ディーゼルカーではキハ11も使われていたということは良く知られていますが、津軽鉄道でもキハ22の耐寒装備には驚いたのではないでしょうか。
何しろ北海道向けに作られた車両でありますから、寒さ対策も十分整っていたというのですから、津軽鉄道のような路線でも活躍できましたが、
キハ22には、似たような車両もあれば第三セクターの路線などにも貸し出されたというのですから、それだけ寒さ対策も整っていたということですから冬場などが使い勝手が良かったということではないでしょうか。