mayumin1234’s blog (original) (raw)
【本題】
今回は6回目ですが、あくまで私の見てきたお話であったり、私個人の見解ですので、日蓮正宗の見解でないことを、まず申し上げておきます。
世の中には、絶対にした方が良い事もあれば、、絶対にしない方が良い事もありますが、私のしている信仰は、早かれ遅かれ、絶対にしてほしい事になります。早かれ遅かれと書いているのは、なかなか日蓮正宗の信仰にたどり着ける方も少ないかもしれないので、そう申し上げておりますが、早い方が絶対に良いのは、確かです。
誰しも自分が可愛いいのです。自分が不幸に喘いだり、悲しんだり苦しんでいく人生だったら、誰もが嫌ですよね。誰だって自分は幸せであり、美味しい物を食べて、衣服もたくさんあって、清潔に過ごして、良い人生だったなと思いながら、死にたいですよね。そして、死んだときには成仏したいのです。そして、誰も地獄へ落ちたくないですよね。
仏法では、私達の人生の幸・不幸が、三世(過去・現在・未来)にわたる因果の理法によって定まることを説き明かしております。
たとえば、『心地観経』という経典には、「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」と説いています。
すなわち、自分自身の過去からの善悪さまざまな行いの集積が、宿業(善業と悪業とがある)となって生命に刻みつけられ、それが現在の人生に苦・楽や幸・不幸という果報をもたらしている。そして、また現在に作っている原因は、新たな宿業として生命に刻まれ、必ず将来にその果報が現われる、ということであります。
良い行い(善業)は、良い人生になるし、悪い行い(悪業)は、悪い人生となります。
どんな人でも、幸せな人生を望んでいます。自ら不幸になりたくて生きる人など存在しません。正しい信仰は、私たちに最高の利益(りやく)と崩れることのない幸福、そして勇気と希望を与えてくれるものです。真の幸せを求めるのであれば、それは正しい信仰を持つ以外にはないのです。
日蓮正宗でなければ、現在の生きている人の不幸を救う事ができません。あなたが、入信することで、先祖も成仏できますし、過去世の罪業も消滅して行くことができます。そして、この正しい仏法をする上で大切なのは、勇気が必要になります。私も、折伏する時は、勇気を持って、祈ってから行動します。ご本尊様への祈りは、必ず通じていくので、たとえ断られても、また新しい方に話していくことで、色んな利益が出てきます。これは、日蓮正宗の方の体験発表をYouTubeでも見れますので確認してください。
皆さん、確実に幸せになりますので、ご安心して、まずはお寺にアポを取りましょう。もしも、現世で幸せな人生じゃない人も、まずはご住職様のお話を聞いてみてください。
それでは、本日のお話は終了します。ありがとうございました。
【本題】
今回は5回目ですが、あくまで私の見てきたお話であったり、私個人の見解ですので、日蓮正宗の見解でないことを、まず申し上げておきます。
本日は、私が日蓮正宗を広めたいと思っていることについて、少し書きたいと思います。なぜ、こんなに素晴らしい信仰が広められないのだろうと、日々思っているわけですが、なぜ日蓮正宗では、ほかの信仰が害毒であり、謗法だと申しているのかについて書きたいと思います。
これには、日蓮大聖人様の教義を知る必要があります。日蓮大聖人様の教えでは、
謗法は白癩病のごとし。 始めは緩やかに、後漸々に大事なり。 謗法の者は、多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。 人間に生ずる時は、貧窮・下賤等、白癩病等と見えたり。 日蓮は法華経の明鏡をもって自身に引き向かえたるに、すべてくもりなし。 過去の謗法の我が身にあること疑いなし。 この罪を今生に消さずば、未来いかでか地獄の苦をば免るべき。
意味としては
- 謗法は白癩病のごとし:謗法はハンセン病のようなものである。
- 始めは緩やかに、後漸々に大事なり:最初はゆっくりと進行するが、後には次第に重大な問題となる。
- 謗法の者は、多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く:謗法を行う者は、多くの場合無間地獄(最も苦しい地獄)に落ち、少数は六道(六つの迷いの世界)に生まれ変わる。
- 人間に生ずる時は、貧窮・下賤等、白癩病等と見えたり:人間に生まれ変わる時には、貧困や低い身分、ハンセン病などの苦しみを受ける。
- 日蓮は法華経の明鏡をもって自身に引き向かえたるに、すべてくもりなし:日蓮は法華経という明鏡を自分に向けてみたところ、全く曇りがなかった。
- 過去の謗法の我が身にあること疑いなし:過去に謗法を行った自分の罪は疑いない。
- この罪を今生に消さずば、未来いかでか地獄の苦をば免るべき:この罪を今生で消さなければ、未来に地獄の苦しみを免れることはできない。このように、日蓮大聖人は謗法の罪の重大さと、それを今生で償う必要性を強調しています。
このように日蓮大聖人様のご自身の身についても触れており、正しい行いである日蓮正宗の信仰をすれば、誰人も地獄の苦しみを免れる方法を説かれているのです。
日蓮大聖人の教えにおいて、貧窮や下賤は過去の悪行や謗法の結果として現世で受ける苦しみの一つとされています。これは、因果応報の考え方に基づいています。つまり、過去に行った行為が現在の状況に影響を与えるという考え方です。
具体的には、謗法(仏法を誹謗すること)や他の悪行を行った結果として、現世で貧困や低い身分、病気などの形で苦しみを受けるとされています。これらの苦しみは、過去の行為の結果として受ける「報い」として理解されます。
このような教えは、個人が自らの行為に責任を持ち、善行を積むことの重要性を強調するものです。過去の悪行を償い、未来の苦しみを避けるためには、現在の行動が重要であるとされています。
私たちは、忙しい毎日を送る中で、生きる意味を探しているのなら、この日蓮大聖人様の仏法に触れて、ご住職様のありがたい説法を聞いて、自分と言うものについて、深く考えてみてはいかがでしょうか?立ち止まる勇気も必要です。いつか、立ち止まって考える時、もし老人になっていたら、なぜもっと早く知れなかったのだろうと思うはずです。そのぐらい素晴らしい価値があります。これを知ってからの人生と、知らずに過ごす人生では、大きな差がでるでしょう。しかしながら、絶対に遅くとも、功徳を積ませてあげたいのです。全国に日蓮正宗のお寺がありますので、アポを取っていただき、是非お話を聞いていただきたいです。今世で苦労が絶えなくとも、未来世では、裕福になる可能性があります。皆様と一緒に、日蓮正宗の信仰を広めていくとき、大きな功徳が現実世界で起こりますよ。私も勇気をもって、頑張りたいと思っています。
本日もありがとうございました。
【本題】
今回は4回目ですが、あくまで私の見てきたお話であったり、私個人の見解ですので、日蓮正宗の見解でないことを、まず申し上げておきます。
私はある日、日蓮正宗の法華講員の方のYouTubeを見ていて、とても驚く内容を知りました。それは、○○学会の初代会長の牧〇先生が、獄中の病死ではなく、拘置所からの飛び降り自殺をされていた話を聞きました。これは、○○学会の会員さんは、ほぼ知らないお話であり、真実とのことでした。私は、即座に戸田先生も同じ拘置所に居て、一番に知ったのではないか?と思いました。その時の、時代背景や戸田先生の心情を思うと、なんとも痛ましく悲しい出来事であったのでは?と思いました。
そして、○○学会の社長会全記録には、さらに○○学会の裏側の真実が書かれているようですね。私は、見たことも読んだこともありませんが、読んだ人は、腹の立つような内容とのことでした。もしかしたら、知らぬが仏なのでしょうか?
私は、奇跡的にも日蓮正宗へ戻れて、成仏する道へ戻ることを決意できたこと、これは何よりも有難いことだと気づけましたのも、日蓮正宗の信仰を繋いでくれた父親への感謝の気持ちと、元々疑い深い面もあるので、学会の正しくない面に疑問を持ち続けていたことも、戻れるきっかけとなったと思います。
何故か、綺麗ごとばかりの世界になっていくことは、人の成長すら止めてしまうと思うのです。私が○○学会の中に居る時に、表面ばかり繕うことが、正義なのだろうか?といつも疑問でした。いつも、一番が評価されて、2番、3番は必要ないような雰囲気さえ感じましたし、『でも努力したんだよ!みんな、2番でも3番でも努力したんだよ!』って私は思うのです。このことは、仏教の世界なら、評価されるべきだと私は思うのです。
○○学会の皆さん、早く気づいてください。○○学会では、成仏できません。本物の功徳は日蓮正宗を信仰すれば、わかってきますので、お近くに日蓮正宗の寺院があれば、ご住職様のお話を聞いてください。必ずアポを取ってください、宜しくお願い致します。
本日は3回目のブログとなります。
【本題】
今回は3回目ですが、あくまで私の見てきたお話であったり、私個人の見解ですので、日蓮正宗の見解でないことを、まず申し上げておきます。
私は、日蓮正宗の信仰をしている父と母の間に誕生しましたので、他の方よりも早くに日蓮正宗の信仰を理解する状況にありました。それなので、奇跡的にも、この信仰を深く知っていると思っております。そして、信心深いお爺ちゃんの唱題する姿を見て、子供なりに真似して祈っていました。その時に思ったのが、お題目の力でした。これは、なんてすごい!祈っていると、生命力が増すというのが子供なりに解るのと、父や母が帰宅する時間が前もって解ったりして、お題目の凄さを身に染みて解る子供でした。今思うと、その時は純粋な心で、信仰するのが当たり前のように育ててもらいました。そして、子供なのに信心の凄さを知っていました。
私が信心をする中で、本当にこれは凄いと思う信仰でしたので、折伏もしていました。それでも、親元を離れ、仕事をするようになると、段々と信仰から遠のいた時もありました。何も困る事のなかった私でしたので、仕事が終わると、買い物行ったり、同僚とご飯食べに行ったり、遊んでばかりでした。
ある日、○○学会の女子部の方が訪ねてきました。その時も、ほとんど留守にしていたので、お手紙が届いたりしていましたが、ほぼ会うこともなかったのですが、割と熱心に通って来てるみたいで、週に2,3回の割合で手紙が入ってました。
そんな中、偶然会った日に話をしてみてからは、会合などに誘われるようになり、誘ってもらった会合には、出るようになりました。そして、平成2年頃から、なんとなく会合に行くと、宗門に対する○○学会の攻撃が始まってきていたのです。私は、子供の時から、純粋に信仰を貫いていたのですが、お寺に問題があるなどとは一度も考えたことがないほど、地元のご住職様も素晴らしい方でした。本当に信心の素晴らしいことを知っている方でした。だからこそ、耳を疑うような話をされている時、違和感が凄かったのですが、あまりにも熱心になぜ宗門が悪いのかを聞かされ続けていると、本当に?本当に?と思いつつ、○○学会の会合に出ていく事も増え、泥沼に引きずり込まれていきました。
そのせいで、ある日、日顕上人様のご本尊様から、日寛上人様のご本尊様に交換の時にも、一度断ったのですが、皆が交換するときに交換しましょう!と何度も言われて、気持ちはしなくて良かったのに、交換しました。
私は、交換する前は、物凄く元気がもらえるご本尊様だったのに、交換してから、ピタリ!と何もない感じを感覚として持ってしまうご本尊様でした。今思えば、この時に偽本尊に交換させられました。しかも、3千円も取られました。騙されてお金まで取られてしまった感じを受け、とんでもない事を○○の上層部が考えて、一般信徒は、お金を集めるために利用されてしまったのです。
こんな恐ろしい事があったことを、きっと日蓮大聖人様がお許しになるはずがありません。私たち一般信徒が騙され続ける構造になっていたのです。ある時から、ご本尊様に祈っても、叶わなかったり、嫌なことが起こり続ける時、ふと立ち止まって、私はいっぱい考えました。答えが欲しくて、法華講員の方のYouTubeを見続けました。やっと答えがあったのです。
私は、とんでもない場所に居てしまった事、本当に後悔と、正しい信仰に帰依するまでに、相当に時間が掛かりました。しかし、戻ってきてからは、この信仰の良さを知っていますので、間違った道に居る人に、投げかけたいです。本当の信仰ならば、ちゃんとした功徳があるのです。曲がった心の人も、まっすぐになるのが、日蓮正宗の信仰です。これからも、誰かがいつか読んでくださるだろうと、ブログを書き始めましたので、宜しくお願い致します。本日はここで終了です。
今日は、2回目のブログです。
【本題】
今回は2回目ですが、あくまで私の見てきたお話であったり、私個人の見解ですので、日蓮正宗の見解でないことを、まず申し上げておきます。
私は、前回のブログで、ある宗教団体の不幸が、その当時の私の周りに起こっている事をお伝えしました。実際に起こっている情報は、その団体では隠されますので、あくまで表面は、平和の団体を謳っております。そして、その不幸のお話は、もっとたくさんあるのです。そして、その不幸の象徴なのか、その団体では女子の難聴が突発的に起こっていたり、年配の方は統合失調症の症状が多そうで、知っている方も悩んでおりました。ある時、地区婦人部長の方に、近頃、若い部員さんの難聴が流行ってるのよ!と聞かされました。その当時はまだ部員だったので、どうしてだろう?ぐらいに思っておりました。
その当時の私は、周りの不幸に対しては、先輩幹部の方が仰せのように、宿業がでたのだから、もっと頑張って折伏と唱題を頑張りなさいという、その指導が正しいと思い込んでおりました。そのせいもあって、自分の不幸な出来事に関しても、宿業だと思って、相当頑張って3時間祈ったりしましたが、すべて裏目に出るんです。ある時、あまりに裏目にでる不幸に対して、おかしい!と思い、YouTubeでたくさん検索して、原因が偽本尊にあることに、気づかされました。
その当時、偽本尊なんて、初めて聞いた話でしたが、そのことに詳しい法華講員の方のブログを読んだり、YouTubeを見ることで、改めて偽本尊では功徳どころか、悪鬼魔神の住処となっていて、それは祈れば祈るほど、悪い結果になるのです。ある時、私も試しにご本尊様を閉め切って、祈るのをやめてみました。すると、なぜか会社の人間関係に恵まれてきたり、あれれって?不思議に思って、半年間まったく祈りませんでした。その間に、偽本尊のあらゆるブログやYouTubeを見てからは、勇気を出して、法華講員の方に連絡しました。
きっとまだまだ気づけてない方は、良い情報だけに振り回されて、現実を直視できない心境になるほどに、洗脳されていると思います。私も最初は、現実を受け止めれませんでしたので、間違いだと気づいてからも、なかなか正しい方の信仰へ踏み切れませんでした。そのせいで、本来の信仰とは畑違いのキリスト教会のYouTubeなども、たくさん見ました。ですが、やっぱりこれというものが、キリスト教ではないと確信できました。私が本当に求めている教えは、仏教の中の唯一正しいと言われる法華経しかないと、心の底から思えました。
日蓮正宗こそ正しいと解るまでに、相当な時間を費やしましたが、帰依することができたこと事態、奇跡だったかも知れません。当時所属した宗教団体では、表向きが平和の団体なので、表面を繕うために、これこそが正しい教えであるかのように、映し出されているけれど、現実の部員さんたちは、貧乏だったり、病気だったり、経済苦だったりして、悩んでる方も多かったのです。そして、生活保護の婦人部も多かったのです。ある部員さんは、生活保護を受けられたことを功徳と幹部の方に指導されてました。
日蓮正宗では、信仰を軸にして、元気に働いて、自分の力で幸せを掴んでいくという、前向きな考え方です。そして、自分の臨む人生に変化していくことができます。常に前向きであることは、周りも影響され、幸せの人生が歩めるように、講員の先輩方も指導してくださりますので、その通りに実践していくことで、皆さんも本来の自分自身を取り戻して頑張っていけるのです。正しい行いをする信仰でないと、良い方向へ進めません。
ただ、まったく初めて読んだ人に理解されるのは、難しいお話かも知れませんが、興味があれば、インターネットのページで日蓮正宗の寺院一覧を見て、お近くのお寺で、お話を聞いて頂けると良いと思います。ただ、ご住職様も出張が多いですので、アポを取っていただく事をお勧めします。本日は、この辺で終わります。読んでくださり、ありがとうございます。
今日から、新しいブログを書き始めるmayuminです。宜しくお願い致します。
【本題】
私がこれまで生きてきた人生の中で、本当に必要だった事は、安心感という言葉がぴったりくるのですが、心の安定、心の底から安心できる人間関係を築くことだったり、自分が誰かを幸せにできる力を持ち、誰かの支えにもなりうる人生なのだと気が付き始めて数年が経ちます。気持ちの上では、どこから自分自身を発信していくべきか、悩むところでしたが、今はブログがあるな~と気づき、早速トライしています。
これまで歩んできた中で、人生の半分をある宗教団体に捧げてきた人生でした。選挙の時は、選挙カーに乗ってウグイス嬢まで経験しました。無料のボランティアのような精神で、しっかり活動もさせていただきました。しかしながら、平成3年ごろから、祈っても願いが叶わないと感じつつ、これは不思議だな?といつも、思っておりましたので、先輩の方に相談しても、何も解決しないまま、洗脳されている状態でした。
そしてまた数年が経ち、私の周りで、いろんな不幸を目の当たりにしました。その時の支部婦人部長さんの娘さんが、交通事故で一生治らないほどのケガをされ、その同じ日に同じ地区の支部長が病院で突然なくなったり、仲良くしていた婦人部の方が、電波攻撃されていると言って、マンションの上の階の方と揉めていたり、会合に行くと、女子部の女の子のお母さんは、飛び降り自殺し、その子のお姉さんも母を追って、飛び降り自殺したと話す始末で、不幸の連続でした。しかも近所の婦人部の方の息子さんは電車の中で、突然40歳ぐらいの若さで亡くなっておりました。その婦人部の方は、息子さんを亡くしたショックが大きくて、信心を真面目にしていたのに、なぜ亡くなったのか?と何度も言っておりました。
私は、8年程前に、自分でとことん調べました。YouTubeとブログで最初は、調べていて、自分の信じてきたものが、間違った道を進んできた事を知りました。、日蓮大聖人様のきちんとした仏法ではなくなっていました。この仏法の恐ろしさは、厳粛にご法主上人が護ってきて培ってきた大石寺を裏切る行為ばかりでした。だから、罰の現証がたくさん出ていたのです。こんな恐ろしい事になっているのにも関わらず、いまだに信じる方もおります。私は、よくぞ気づかせて頂いたと心の底から思いました。
ブログで知り合った方が、お寺に案内してくれまして、無事に日蓮正宗の信仰に帰伏することができました。私は、父が最初にこの日蓮正宗の信仰を始めた人でしたので、生まれてきた時から、この信仰で家族みんなが信じてきましたので、願いが叶うことは、既に知っておりました。なので、あれ?と平成3年か4年ごろに、願いが通じないと気づいてしまっていたのにも関わらず、洗脳は恐ろしいですね。
何故、日蓮大聖人様の教えである、この信仰が優れているのかは、また別の時にでも書きたいと思います。気になる方は、最寄りの日蓮正宗の寺院一覧で確認できますので、アポを取ってから、お話を聞きに行ってください。日蓮正宗のご住職様は、本当に素晴らしい方が多いのですが、出張も多いですし、大変多忙であると思われます。いたずら目的の方は、遠慮してください。
日蓮正宗の信仰をすると一家和楽になってきますし、経済苦から逃れられて、良い仕事が見つかったり、良い人間関係に恵まれたり、病気が完治したりします。ただし、このことは、御書(分厚い、日蓮大聖人様が門下に充てたお手紙)にもたくさん載ってますが、真剣な行動が身を結びます。いい加減な気持ちのままで信仰しても、楽しくないですので、本物の正しい信仰で幸せになるのであれば、きちんと向き合っていただければ、必ず何事か成就しますので、あなたも私と同じように、信仰に真剣になれると思います。
本日はここまで読んでくださり、ありがとうございます。
私は、徳島県三好市に住んでおります。日蓮正宗の信仰に少しでもご興味あれば、ぜひお話を聞いて頂ければと思います。宜しくお願い致します。