一里塚 (original) (raw)

10月3日(木)

実技:サツマイモの収穫作業

大小さまざまなサツマイモが収穫できた。品種は紅はるかと安納芋である。

紅はるか(べにはるか)は、糖度が高く、ねっとりとした食感と甘みが特徴のサツマイモの品種です。焼き芋や干し芋、甘露煮など、さまざまな加工に適しています。

紅はるかの特徴は次のとおりです。

紅はるかは、九州や関東のサツマイモ産地を中心に普及が拡大し、ブランド化が進んでいます。鹿児島県の食用の奨励品種として普及しており、大分県、千葉県や茨城県でも栽培されています

安納芋は、火を通さなくても糖度が16度前後になるものがあることから、大変甘い品種です。安納芋の甘みをさらに引き出そうと、でんぷんを糖質に変えるために低温で管理する方法もあります。

市場に出すためには大きさや形をそろえる必要があるが、適度な大きさにそろえる技術があれば試してみたいものである。

p597

大学というところは学問へのきっかけを作る場所である。少なくともその雰囲気に触れ生半可な学問と真の学問との区別くらいを覚えるところである。

せっかく大学へはいって、そのくらいのことを学べない連中は、なにも大学生でいる必要はない。即座に退学し、別の人生を進んだほうがよほどよい。大体、今の世の中には、意味もない大学生が多すぎる。

私は医学生としては史上最大に勉強をしなかったものの、そのくらいの感覚だけは体得した。本で読んだ知識と実際の知識との差も理解した。

p18

世は騒がしけれど三月ともなれば会津にも春の兆しあり、鶯は例年のごとく里に来たりて鳴き、雪どけの水は流れて若葉陽光に輝き、常に変わらぬ風情なり。三月三日、ああこの日こそ、母姉妹とともに迎えたる最後の雛の節句なれり。例によって雛段をしつらえ緋の布をしきて、内裏様、三人官女、五人囃子など華やかにならびて、小さきぼんぼりに火をともし、いまだ蕾かたき桃の枝を飾れるさまなど、今も眼底に消えず。

「母上、内裏様は天子様なりと聞く、誠なりや」

と問えるに、母は世の眼を見つめてうなずけるのみなり。かく天子様をまつること例年のごとくなるに、朝敵よ、賊軍よと征伐を受くる道理なしと胸中の怒りたえがたく、母に訴えんとせるも、母の固き表情を見て思いとどまりぬ。

p21

後世、史家のうちには、会津藩封建制護持の元凶のごとく伝え、薩長のみを救世の軍と讃え、会津戦争においては、会津の百姓、町民は薩長軍を歓迎、これに協力せりと説くものあれども、史実を誤ること甚だしきものというべし。百姓、町民に加えたる暴虐の挙、全東北に及びたること多くの記録あれど故意に抹殺されたるは不満に堪えざることなり。

p51

会津藩は(慶応三年現在)旧領三十万石、増封五万石、第一回職封五万石、第二回職封五万五千石、これに加え月二千俵、さらに月一万両を賜う。これらの石高に換算すれば約六十七万九千石の大藩なりき。今回陸奥の国、旧南部藩の一部を割き、下北半島の火山灰地に移封されわずか三万石を賜う。まことにきびしき処遇なれど、藩士一同感泣してこれを受け、将来に希望を託せり。されど新領地は半歳雪におおわれたる瘦地にて実収わずか七千石にすぎず、とうてい藩士一同を養うにたらざることを、このときだれ一人知る者なし。

p66

会津の敵討つまでは此処も戦場なるぞと言われ、いつしか境遇に馴れて敗残者の小伜になり下がれる自らを哀れと思えり。されど余を叱りて犬の肉を無理やり食わせ給う父上も、今より思えば心中まことに御気の毒に堪えず、さだめし胸中苦しまれたらんと推察す。

p95

山川大蔵方に寄食せるは旧暦十月初旬なり。山川母堂と常盤嬢は、余の汚れたる白地浴衣を気の毒がり、当時アメリカに留学中の捨松(後の公爵大山元帥婦人)の薄紫の木綿地に裾模様、桃色金巾裏地の袷を取り出し、袖を短くして与え給う。その日より、この少女の着物をつけて暮らせり。他眼には異様に映らんも余は暖かくして満足せり。

p100

もはや三月もまさに過ぎんとする末日、うれしきかな!入校を許可すとの報あり。洋服着用のうえ出頭すべしとのことなり。欣喜雀躍して足の踏むところを知らずとはこのことならん。言葉うわずりて雲上を踏むがごとく、魂ふるえて額に冷汗流る。

p101

野田豁通の恩愛いくたび語りても尽くすこと能わず。熊本細川藩の出身なれば、横井小楠の門下とはいえ、藩閥の外にありて、しばしば栄進の道を塞がる。しかるに後進の少年を看るに一視同仁、旧藩対立の情を超えて、ただ新国家建設の礎石を育つるに心魂を傾け、しかも導くに諫言を持ってせず、常に温顔を綻ばすのみなり。

p101

長岡宅、市川宅など、世話になりたる家を馳せめぐりて、挙手の礼をなす。紺色の派手なるマンテルの裾、四月の風に翻り、桜花また爛漫たり。道往く人、めずらしき少年兵の姿を、とどまりて眺めささやくを意識し、得意満面、嬉しきことかぎりなく、用事もなきに街々を巡り歩き、薄暮にいたりて帰隊す。余の生涯における最良の日というべし。

p104

元来、兄の罪は、迷惑の藩におよびを怖れて、自ら罪を一身に負い、藩士の飢餓を救い、しかも藩財政にいささかの損害も与えざりしこと、旧藩主、旧役員はもちろんのこと、新政府の司法官さえよく承知のはずなり。しかるに原告がデンマルクなりとて、これをはばかり、かくも一人の犠牲者を痛めつけ法律上はいかんともなし得ず、また旧藩の者ども、いささかなりとも兄を慰むる人なし。藩主は華族に列せられ、優れたる人材にして生き永らえたるものまた多きに、藩の窮乏を救いたる恩人、しかも無実の罪なるに七年にわたり囚人として拘束されあると知りながら、新政府をはばかりて手をかす人なしと、余幼くして世事を弁えず、悲憤やるかたなく、武士道すでにすたれたりや、会津魂いずこにありやと疑えり。

p126

古事記依頼、私どもは、いくたびか数えきれないほど、しばしま歴史から裏切られ、欺かれ、突き放され、あげくの果てに、虚構のかなたへほうり出された。

幕末から維新にかけて権力者交代し、新政府が威信を誇示して国民を指導するために、歴史的事実について多少の修飾を余儀なくされたことは周知の事実であり、また政治的立場からやむを得ないことであったろうと察しがつく。

それにしても、本書の内容のような、一藩を挙げての流罪にも等しい、史上まれにみる過酷な処罰事件が今日まで一世紀の間、具体的に伝えられず秘められていたこと自体に、私どもは深刻な驚きと不安を感じ、歴史というものに対する疑惑、歴史を左右する闇の力に恐怖を感ずるのである。

p128

日露戦争までは、日本の国軍は立派であった。あれだけ多数の犠牲者を出した旅順攻撃に際しても、要塞内に逃げこんだロシア市民の退避を軍使をたてて要請したが、食料など充分なるうえ、防備固く安全なりとの理由で拒否され、やむなく攻撃を開始している。各戦闘における軍規の厳正さについて、敵将クロパトキン将軍の回顧録は、世界まれにみる軍隊として賞揚している。

p128

これに較べ第二次大戦中における日本軍による俘虜の待遇は、一部に残虐無残なものが少なからず記録されている。ソビエトにおける日本軍俘虜の扱いもさることながら、日本国内における中国軍俘虜の不当な扱いを見逃すわけにいくまい。

要するに武士道の廃頽であり、本書にも明らかなように、三百年の太平になれた指導者層が統制力を失い、ほとんどなすところなく事の赴くまま流されてしまったことに遠因があろう。武士道を抹殺しただけでは市民意識は育たない。宗教を破壊して天皇信仰を唱えただけでは、市民としての生活信条は育たなかった。これら日本近代化の失敗を柴五郎という一人の武士の子を通じて教えられることが多い。

p133

白髪の垂れた老顔を流れ伝う涙は、岩清水に似て清らかであり、北辺の海に打ち上げられた流木ともいうべき会津の歴史を、無常に濡らす霙のようにも思われて、私自身言葉に窮することが、しばしばであった。飢え果てて藁小屋から這い出てくる会津藩士一党の口惜し涙でもあったかと思う。

p160

柴五郎の遺文に接して、国家民族の行末を決定するような重大な事実が、歴史の煙霧のかなたに隠匿され、抹殺され、歪曲されて、国民の眼を欺いたばかりでなく、後続の政治家、軍人、行政官をも欺瞞したことが、いかに恐ろしい結果を生んだかをわれわれは身近に見せつけられたのである。

p161

われわれの住む現在の時点において、すでに、マスコミ公害という新語を耳にし、また、情報の偏向、コマーシャリズムの弊害を指摘されていることに再び不吉な予感を覚えるのである。歴史というものが本質的に、そのようなひ弱い浮草のようなものであるかどうかは知らないが、この血涙にまみれた資料が維新史のどこかの間隙を埋めることができれば幸いである。

p33

歴史家の機能は、過去を愛することでもなく、自分を過去から解放することでもなく、現在を理解する鍵として過去を征服し理解することであります。

p40

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

p90

歴史家が本当に関心を持つのは、特殊的なものではなく、特殊的なもののうちにある一般的なものなのです。

p97

歴史から学ぶというのは、決してただ一方的な過程ではありません。過去の光に照らして現在を学ぶというのは、また、現在の光に照らして過去を学ぶということも意味しています。歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を更に深く理解させようとする点にあるのです。

p182

未来だけが、過去を解釈する鍵を与えてくれるのです。そして、この意味においてのみ、私たちは歴史における究極的客観性ということを云々することが出来るのです。過去が未来に光を投げ、未来が過去に光を投げるというのは、歴史の弁明であると同時に歴史の説明なのであります。

p194

歴史が過去と未来との間に一貫した関係を打ち立てる時にのみ、歴史は意味と客観性とを持つことになるのです。

p197

本当の意味の歴史というものは、歴史そのものにおける方向感覚を見出し、これを信じている人々にだけかけるものなのです。私たちがどこから来たのかという信仰は、私たちがどこへ行くのかという信仰と離れ難く結ばれております。未来へ向かって進歩するという能力に自信を失った社会は、やがて、過去におけるみずからの進歩にも無関心になってしまうことでしょう。

p200

歴史とは、人間がその理性を働かせて、環境を理解しようとし、環境に働きかけようとした長い間の奮闘のことなのです。

p213

人間も社会も、人間の意識的な努力によって私たちの目の前で変わってきましたし、帰られてきています。これらの変化の中で最も主要なのは、説得および教育の現代的方法が発達し使用されたために生じた変化であろうかと思います。今日、あらゆるレベルの教育者は、社会を特定の型に作るために、また、こういうタイプの社会に相応しい態度、忠誠、意見を若い人々に注入するために貢献する点で日増しに意識的になっています。教育政策は、すべての合理的に計画された社会政策の大切な一部分になっています。

p214

産業革命が生んだ最も広汎な社会的結果は、考えることを知った人たち、自分の理性を使うことを知った人たちの漸次的増加ということだったでしょう。

p216

教育は、個人の能力やチャンスの拡大を進め、したがって、増大する個人化の拡大を進める上に必要な強力な道具であると同時に、他面、利益集団の手中にあって社会的一様性を進める上で強力な道具なのです。

ラジオやテレビはもっと責任を自覚して貰いたい、新聞はもっと責任を自覚して貰いたい、そういう訴えがよく耳に入りますが、こういう訴えは、第一に、簡単に非難を加ええるようなある暗い現象に向けられたものです。ところが、この訴えは、こういう大衆説得の強力な手段を使って、望ましい趣味や望ましい意見を注入してもらいたい、という訴えに早変わりしてしますのです。

p219

現在は、技術上の革命の結果、社会のあらゆるレベルにおいて理性の使用の増加が私たちに強制されているのであってみれば、これは甘い夢ではありません。すべて歴史上の大きな前進と同じく、この前進にも、支払わねばならぬ犠牲や損失があり、避けることのできぬ危険があります。しかし、懐疑派や犬儒派が何と言おうと、破滅の預言者たち、特に、今までの特権的地位が掘り崩されている国々のインテリの間の預言者たちが何を言おうと、私は、堂々と、これを歴史における進歩の素晴らしい事例と見たいと思います。恐らく、これは現代におけるもっとも注目すべき、最も革命的な現象でありましょう。

p223

中世の教会は「中世における唯一の合理的制度」であったというのは、明らかに少し誇張がありますけれども、その通りだろうと思います。唯一の合理的制度であるからには、それは唯一の歴史的制度であったわけで、これのみが、歴史家が理解し得る発展の合理的コースに属していたものということになります。現世的社会は教会によって形作られ、組織されていたもので、それ自身の合理的生命を持つものではありませんでした。民衆は、歴史以前の民衆と同じことで、歴史の一部であるよりは、自然の一部だったのです。

p224

近代の歴史が始まったのは、日増しに多くの民衆が社会的政治的な意識を持つようになり、過去と未来とを持つ歴史的実体としての各自のグループを自覚するようになり、完全に歴史に登場してきたときです。社会的、政治的、歴史的意識が民族の大部分に広がり始めるなどというようなことは、僅かな先進諸国においてさえ、精々、最近二百年間のことでした。完全な意味で歴史に登場して、もう植民地行政官や人類学者の問題でなく、歴史家の問題であるような諸民族、そういう諸民族で全世界が出来上がっていると想像すること自体、今日ようやく初めて可能になったことなのです。

p226

過去四百年間における英語使用世界の歴史が歴史上の偉大な時期であったことは疑いを入れぬところです。けれども、これを世界史の中心として取り扱い、他のものをすべてその周辺として取り扱うというのは、歪んだ見方であります。

p228

今度は外の世界に暴風雨が起こっているのです。英語使用諸国の私たちが身を寄せ合って、他の国々や他の大陸がその途方もない行動によって私たちの文明の恩恵及び祝福から孤立しているなどと、平易な日常の英語で語り合っているうち、私たちが理解する能力も意思もないままに、世界の現実の動きから私たち自身が孤立しているように見えてくる時があるのです。

p229

アクトンの時代には、今日の私たちが是非とも必要とする二つのものが備わっておりました。すなわち、変化を歴史における前進的要素としてみる感覚と、理性は変化の複雑な姿を理解するための私たちの案内人であるという信仰です。

p234

私は激動する世界、陣痛に苦しむ世界を見つめ、ある偉大な科学者の古びた言葉を借りてお答えしたいともいます。「それでもーそれは動く。」

p37

切手の図柄と手紙の内容が微妙につながっているときなどは、贈るという技を感じる。

p78

「士は別れて三日なれば、即ち当に刮目して相待つべし」(『十八史略』)という言葉がある。三日の間にも相手は成長しているかもしれない。いや、成長しているはずだという気持ちで相手を待つ。その強い期待が相手の成長を促す。

p86

かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧ににみちびかるべし。

p122

「もしもおまへがそれらの音の特性や 立派な無数の順列を はっきり知って自由にいつでも使へるならば おまへは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだらう」

楽器の特性を知り尽くして自由に使いこなすことのできる技。それを孤独の中で徹底的に身につけたならば、輝く天の仕事もできると言っている。賢治にとっての自由とは、何も負担がなかったり、抑圧がない状態ではない。技があることによって自由を獲得するのだ。ここでいう楽器は、仕事の比喩だ。どんな仕事にも技がある。生まれつきの才能だけで、そこそこ楽しんでいる人間には、強い仕事はできない。

p126

イチローは、上半身と下半身に一つずつポイントを持っていると言っている。自分の感覚と結果とを照らし合わせるためには、基準となるポイントを持つ必要がある。ポイントを持っていなければ、何がずれているかがわからない。自分の中に基準となる感覚を作るのが、練習の主なねらいとなる。

p128

孤独の中で技術を追求すること。その技術を自分の感覚の技化とセットにして捉えること。こうした作業は、どんな仕事をするにしても、重要なことだ。

p169

自分が何者であるかをはっきりと明言できるほどの何かを持たないとき、仲間と過ごす時間は大切だ。生産的には見えない時間で育まれるものがある。あこがれが目的に変わっていく時期に、子どもから大人へとアイデンティティも変わっていく。

p192

人はなぜ、人をいじめたりするのだろう。そもそも人間とは何者なのでろう。ペンを休め、私は凝然とそういうことを考え続けるのである。

p204

人の生命を支えることは、相手に共感を持って話を聞くだけでも、彼と楽しく優しい思い出をたった一つ、つくるだけでも、可能になる。ほんの小さなことでも、人の生命を守ることができるのだ。

p208

いじめは、純粋な一対一で行われることはほとんどない。複数で一人をいじめるのが普通だ。しかも、その周りをはやし立てる観衆が取り巻く。その周りに見て見ぬふりをする傍観者的な層が取り巻いている。森田洋司・清水賢二は、これを、いじめの「四層構造」と呼んでいる(『いじめ-教室の病い』金子書房)

p211

そして、「心を見つめる」ところから、「半歩踏み出す身振り」を技としていく構えへと向かう。心が押し流されそうにな状況に対して、ほんの半歩でも踏み出し抵抗する。そうした勇気のあり方もまた、何度か反復して練習することによって強固になる一つの精神の技である。

p243

「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」

p244

孔子は何よりも、エネルギーの燃焼を求める。道のためやるだけやって斃れるのならば仕方がない。しかし、斃れもしないうちから、エネルギーを出し惜しみする生き方を否定する。「今女は画れり」という一言は、強烈に今の若者たちの心にも食い込む。このごまかし方、心の弱さは、時代を超えて現れる心の癖だからだ。

p245

孔子の眼を自分の中に住まわせることで、自分を反省的にとらえる習慣を養うのだ。師という存在は、目の前にいるときよりも、いないときに、あるいは別れた後により大きな意味を発揮する者だ。

p246

藤田の人物の描き方は、まさに生のスタイルを捉える見方である。

p277

「奥さまの底知れぬ優しさに呆然となると共に、人間というものは、他の動物と何かまるでちがった貴いものを持っているという事を生まれてはじめて知らされたような気がして」自分もきっぷを切り裂くという件は、人の生き方の味わい方が深まるプロセスを教えてくれる。

p280

こうした「わかっちゃいるけどやめられない」なんともならない人々こそ、人生における極上のワインだ。

p282

人間を見る力を養い、世の中を泳ぎ切る力強さを身につける。この課題に対して、トレーニングメニューとなるものが私の場合は読書であった。

p283

テキストは一つではなく、二、三のテキストを比較しながら読むのが効果的であることも分かった。

p38

子どもを適切に教育するためには、子どもを育て結局のところどんな大人になってもらうかということについてはっきりと常に意識していなければなりません。さもなければ目先の対応に終始することになってしまいます。

p40

子どもはライフスタイルを個々の体験の中で形成するわけですから、親や教師は、子どもと接する際絶えず自分の行っていることが、子どもの適切な信念を形成する援助となっているかを点検していかなければなりません。

p48

注目を引くことを目的として行動している子どもに注意をするというような注目の仕方をすれば当然その行動を止めるどころか続けることになります。注目を引くことがその行動の「目的」であるというような見方を「目的論」といいます。

p56

愛があるからいいコミュニケーションが成立するのではなく、むしろいいコミュニケーションがあるところに愛の感情は生まれる、愛の感情はうまくいっている対人関係ではなく結果である。と考えます。

p75

誰の課題かわからないほど課題が混同されているのが現状ですから、もつれた糸をほぐすように、これは誰の課題、これは誰の課題というふうに課題をきちんと分けていかなければなりません。

p82

アドラー心理学の育児は、賞を用いることで適切な行動をさせようとする甘やかしの育児でも、不適切な行動を許容する放任育児でもありません。また、罰によって不適切な行動を止めさせようとするスパルタ育児でもありません。

p92

ジッハーは全体としての人が進む道筋を「進化」という言葉を使って表現しています。進化をめざして人は「前」へと進むのであって「上」へと進むわけではないのです。p103

あるがままの私を好きにならずに、幸福になることはできません。

p107

仲間を認め仲間と調和し、仲間のために貢献することを学んでほしい。

p110

自己受容、他者信頼、他者貢献はどれ一つ欠くことができません。他の人に貢献できる自分が受け入れられるのであり、貢献するためには他の人を信頼できていなければならないからです。

p111

ある状況が自分にとってどういうことかをまず考えるのではなく、皆にとってどういうことなのか、いいことなのか、悪いことなのかを考えられるということ、その中で自分がどう貢献できるかを考えていくことは、健康なパーソナリティ、幸福であることの大きな条件です。

p123

親の甘やかすという働きかけが子どもを動かすのではなく、子どもがそのような親の働きかけが自分にとってメリットがある、と判断したとき、その働きかけをを自分の目的のために使うのです。

p142

Bができない理由としてあげられるAが必ず人を支配する力を持つのではなく、全体としての私が任意の時点においてBをできない理由としてのAを使うことを選択するわけです。

p144

ある行為を選択する時点でその選択の責任はその人にあります。その意味でアドラー心理学は責任を問う厳しい心理学である。ということができます。

p147

「一般的な人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」

p153

勉強しようとしない子どもにあなたはやればできるのに、といったら決して勉強をしない。そのような子どもたちは、やればできるという可能性を残しておきたいのであって、実際に勉強してできないという現実に直面することを恐れるのです。

p158

鳩は何もない真空の中で飛んでいるのではなく、鳩が飛ぶのを妨げているかのように見える空気は実は鳩が飛ぶのを支えているのです。何もないところに自由はなく、抵抗があるからこそ自由であることができます。

p177

ここで私たちが選べる選択肢は、何とかなるかどうかわからないけど何ともならないと考えることはない、とにかくできることをやろうと思ってできることをする・・・・・・これが楽観主義です。とりあえず、できることをしてみれば事態は変わるときは変わります。

p178

問題はすぐに解決することはないかもしれませんが、深刻になることはありません。深刻であることと、真剣であるということはまったく別のことです。人生を楽しみたいと思うのであれば、真剣でなければ楽しむことはできません。

p59

人間の総合的な成長は、優れた人間との対話を通じて生まれる。

p86

体験すること自体が重要なのではなく、その体験の意味をしっかりと自分自身でつかまえ、その経験を次に生かしていくことが重要なのだ。

p87

自分の経験と著者の経験、自分の脳と著者の脳とが混じり合ってしまう感覚。これが、読書の醍醐味だ。

p153

脈絡のある話し方は、どのようにしてできるのか。それは、相手の話の要点をつかみ、その要点を引き受けて自分の角度で切り返すことによってである。

p157

肝心なのは、常に脈絡を考えながら読書をし、会話をするということだ。

p194

読書をする習慣のない教師は、教師としては不十分だ。

p209

この国はかつて読書好きであふれていた。読書文化の伝統はある。大人たちには確信をもって読書文化を復興する責があると思う。