峰守雑記帳 (original) (raw)
金沢市湯涌河内町は「金沢の奥座敷」こと湯涌温泉からさらに2,3キロほど山へ入ったあたりにある小さな集落です。
で、この集落にあるM家に、集落内を流れる川(河内谷川/浅野川の上流)で河童から授かったという「アイスの玉」なるものが伝わっていたという話があります。
(写真は実際に玉を授かったとされる現場の川です。今では護岸工事済みですが、ここから少し上流や下流に行くと昔ながらの川岸が続きます)
「加能民俗研究」10号の「金沢市山間部の「河童の薬」伝承」(梅田和秀氏)によると、この玉、通称「アイスの玉」についてはこのように紹介されています。
かつてM家の先祖が家の前の川で馬を洗っていたら、カワビソ(河童)が馬の足を引っ張ったが、馬に蹴られてカワビソの手がもげてしまった。カワビソは「手を返してくれたら薬を教えてやる」と言い、自分の手と引き換えに直径2.5cmほどの「アイスの玉」を渡し、使い方を教えた。
この「アイスの玉」を特定の材料(特定の葉や枝など)とともに鍋で煎じると煎じた汁が薬となり、塗っても飲んでも効く。ただし玉は人目に触れると効果がなくなるので常に麻袋に入れられており、昭和五十三年頃にはこの薬を求めに来る人がよくいた。
また、カワビソは魚を毎日持ってきていたが、それを掛けるための玄関先の鉤を替えたら来なくなった。
なお、玉の由来については、M家の祖先が馬を川へ入れようとしたら河童が「今、妻がお産をしているので馬を川へ入れないでくれ」と頼んできたので、それに応じた結果として授かったものである、という話も聞かれる。
こんな風に河童が秘薬なりその製法なりを教えてくれる話は全国各地に伝わっていますし、「アイス」という聞き慣れない名称も実は類例が結構あります。
しかしこの河内の話の面白いのはその薬がごくごく最近まで現役だったこと。昭和五十三年ってせいぜい四十数年前ですからね。もしもまだ玉があるなら是非見たい!
まあ、地元の方によるとMさん宅は今は空家で、玉も行方不明になっていると聞いていたので、もう少し早くこの話を知っていれば……と悔やんだりしたんですが、この度ご縁があって地元の方に話を聞けることになりまして、行ってきました湯涌河内町。
そして見てきました、くだんの「玉」を。
なくなったんじゃないの? あるの!? と思ったんですが、いわく、探したら見つかったのでM家の御親戚(先の論文に出てきた方の甥御さん)が管理しておられるとのことでした。まさかあるとは思わなかった。そして見られるとも思わなかったし触れるとも思わなかった。
いやまあ直に見たら効果がなくなるとのことなので正確には袋越しに見ただけ(そして触っただけ)なんですが、だとしても貴重な体験をさせてもらいました。
というわけでこれが本邦初公開、河童のアイスの玉ならぬカワウソの玉(の入った袋)です。ごらんあれ。
で、「玉」の管理者の方を含めた地元の方から色々聞かせていただいたんですが、これが先の論文とはかなり違っており、そして大変興味深い内容だったので、ここにざっとまとめておきます。
なお、情報提供者は、Aさん(湯涌公民館副館長。この集落出身で生家はM家の隣)Bさん(先の論文にある玉の持ち主の方の甥。現在の玉の管理者)、Cさん(近くの農家。畑仕事中にAさんに呼ばれてよく分からないまま来た。すみません)という顔ぶれです。
▽「玉」の由来について
- 玉はカワウソから貰ったものと聞いている。河童ではない。
- M家の先祖は炭焼きで、金沢まで馬で炭を運んで売っており、その馬を家の前の川(河内谷川/浅野川の上流)で洗っていたら馬がカワウソを踏んで腕が取れてしまい、その腕と引き換えに授かったという。
- 河童の妻がお産をしていて……というような話は聞いたことがない。
- いつからあったのか(いつ玉を授かったのか)は不明。ただし河内は結構新しい集落であり、多くの家が今で2~3代目なので、そんな昔のことではないと思う。
- 最初はカワウソは魚を毎日持ってきて、川べりに立ててあった木(枝分かれした木を立て、ものを引っかけられるようにしたもの)に掛けていたが、これを変えたら魚が届かなくなり、代わりに玉を置いて行ったという話もある。
- カワウソがくれて使い方も教えてくれたと聞いているが、カワウソが喋るとは思えない。(Cさん談)
▽「玉」そのものについて
- 見たら効果がなくなると言われているので、今も麻袋に入れて保管している。
- 60年ほど前に触った感触はビー玉かそれよりちょっと大きいくらいだったが、いつの間にか感触が変わり、チャリチャリするようになった。(袋越しに触らせてもらったところ実際にチャリチャリしていた。穴の開いた硬貨かワッシャーが複数枚入っているような感じ:峰守コメント)
- 今はM家の人は集落を出ていて家は無人だが、玉の入った袋はその家で保管している。
- 「アイスの玉」という呼称は使われていないようで、基本的に「玉」と呼んでいた。
- 「玉」の持ち主であったおじいさんは、この玉は埋めろと言っていたという。(でも埋めなかった)
▽「玉」の使い方について
- 袋のまま、ドクダミとか竹の葉などと一緒に入れて鍋に入れて煎じて(煮出して)使う。この湯が薬になる。
- 「玉」で作った薬は怪我した時に飲んだり付けたりすると効く。父が傷に塗ったら実際に治った。
- 今のお年寄り世代の親世代は実際に使っていた。今のお年寄り世代の人たちも子供の頃は使われていたかもしれない。今いる人たちは使ってない。
- 「玉」で作る薬は無料で、当時は近くに病院もなかったので重宝されていた。
- M家の女性(嫁のみ?)が作らないと効かないという話もあった。実際、作っていたのはM家の女性だった。
- 薬に使う葉をよく干していたことを覚えている。おそらく実際には「玉」ではなくこの葉を煮出した成分が効くのではないか。
……とまあ、こんな話を聞かせていただいたわけです。
さっきも書いたように河童薬はよくある昔話で、金沢では河童とカワウソが混同というかほぼ同一存在として扱われていたふしもあるので、地元ではカワウソだったという話はそこまで意外でもなかったんですが、現物が今もあるというのはさすがに驚きました。
あと、いいなあと思ったのがこの「玉」の使われ方。河童が薬の作り方を教えてくれて……というのは薬屋の宣伝によく出てくる昔話なんですが、ここでは薬を売っていたわけではなく乞われると無料であげていたらしいという(まあお礼くらいはもらっていたかもしれませんが)。
お話を聞かせてくださった方は、当たり前ですが普通に話の通じる現代の方で、カワウソは喋らないしそんな知能もないよねという常識をお持ちです。
にもかかわらず、カワウソがくれた秘法で作った薬は普通に使われていたよね、という話が普通に出てくるのが大変に味わい深かったです。
改めまして、貴重なお話をありがとうございます。
そして、これを見てる人に地元の教育委員会とか博物館関係者がおられたら、早急に「玉」を保護するなりなんらかの指定をするなりした方がいいと思います。聞いていますか。あなたに言っているんですよ。
先の11月10日、石川県立図書館で開催された「「能登半島ふしぎ話チャリティ・トーク in 石川県 第3回」に登壇してまいりました。
www.library.pref.ishikawa.lg.jp
ご参加くださった皆様、ありがとうございます。以下、私の話したネタはおおむねこんな感じでした、という報告です。
▽湯涌河内町に伝わる河童からもらった秘宝「アイスの玉」の最新情報
(長くなるので別の記事にします)
▽2009年のファフロツキーズ(ありえないものが降ってくる現象)
2009年6月7日に石川県七尾市中島町の中島市民センター駐車場に百匹あまりのオタマジャクシが降ってきたのを皮切りに、石川県内各所、ひいては全国(北海道から九州まで)へと拡散したオタマジャクシ降下騒動について、新聞報道等で確認できた全42件について、新聞記事や地図を用いて紹介しました。
なお、この件については、「UFOサークル『UFO手帖』同人」の中根優作様より情報を提供していただきました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。
▽「石川県鹿島郡志」の妖怪たち
1928年に刊行されたこの本に記載された妖怪たちのうち、羽咋がUFOとして町おこしをするきっかけともなった怪火「そうはちぼん」、天武天皇の時代に藤原不比等の息子に退治されたという「猿鬼」、名前しか残っていないのでどういう妖怪かさっぱり分からない「ちっきんかぶり」などを紹介しました。
▽「聖城怪談録」の妖怪たち
江戸時代の大聖寺城下(現加賀市)の怪談奇談99話を収録した「聖城怪談録」に記載された妖怪たちのうち、キセルの長さで驚かせてくる怪しい女(正体は狐)、土手をまたいで歩いて行った大女、大聖寺城下に出たツチノコ(UMAとして知られる奇妙な蛇ではなく木槌型の怪異)などを紹介しました。
▽「加能老樹名木誌」の怪木たち
1918年に刊行された本書は加賀・能登の巨木や古木を写真付きでリストアップしたものですが、この本より、天狗が留まるとされた松、大蛇がいた大杉、怪獣が住みついた椎の木、木の下に幽霊が出る松、枝が地面につくと一帯が泥海と化すといわれた松など、怪異がかった古木を紹介しました。
「小泉八雲先生の「怪談」蒐集記」という本が12月25日に発売されます。
あらすじはこんな感じ↓です。
明治29年(1896年)東京。市谷に妻子と暮らす帝大教授、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲のもとに、松江から上京してきた少女・好乃(よしの)が現れ、女中として雇ってほしいと申し出る。
不愛想ながら利発で怪異にも詳しい好乃のことを、八雲やその家族、下宿人である書生の己之吉らは気に入るが、実は好乃には誰にも明かせない秘密があった。八雲はそれを知った上で好乃を雇い入れるが……。
日本の原風景と怪異をこよなく愛する八雲は、急速に変わりゆく東京の風景や、怪異を迷信扱いする風潮に心を痛めていたが、近代化の進むこの町でも怪しい噂はまだ辛うじて生きていた。森の中の食人鬼、怨霊に夜毎誘われる音楽家、妖怪を使役する易者、幻影の美少年、そして雪女やのっぺらぼう……。
街でささやかれる数々の怪談を追う中で、八雲や好乃は、華やかな文明開化の陰を目撃し、失われていくものたちの声を聞くこととなる。
怪談はなぜ生まれ、なぜ語られ続けるのか。好乃の真の目的とは何か。そして、小泉八雲はどうして「怪談」を書かなければならなかったのか――。
激しい変動の時代を背景に、名著「怪談」成立の裏側を描く文豪×怪異×ミステリー。
というわけで、タイトル通り、実在の人物であるところの小泉八雲(敬称略、以下同)をモチーフとした作品です。
角川文庫では初めてですが、これで単著では61冊目、共著を含めると65冊目の本となります。結構書いたなあ。
なお、「このタイミングで小泉八雲ものってことは朝ドラの便乗だな」と言われそうな気がするので先に反論しておきますが、朝ドラの発表前から考えてたネタです、念のため。企画案もドラマの発表前から出しており、証拠を提出することも可能です。ですが、この企画が通ったことに関しては朝ドラの影響は否定できないというところです。
以上、弁護側の反論を終わります。
閑話休題。
八雲は妖怪好きにはお馴染みの人物ですが、この方、集めた古典怪談を発表する時、原話の内容を結構変えるんですね。
なぜあの時代に古い話を集めて書いたのか、なぜそれを発表する時にアレンジしたのか……。そういうところを掘り下げて生まれた話です。蘊蓄多めで書かせていただきましたので、朝ドラの予習としてもお使いいただけるかと存じます。
史実をベースにしてはいますが、八雲(特に東京時代)は同居人からスケジュールまで結構細かく分かってるので、ウソを吐くのが難しくてですね。かなりダイナミックなウソも入れてますが、本当の部分はちゃんと本当ですよと地の文に書くようにしていますのでご安心ください。この辺は前に書いた「少年泉鏡花の明治奇談録」シリーズと同じ趣向ですね。
ちなみに、先日島根に行ったのは、本作の取材のためでもありました。大作家だったらゆっくり現地に行ってから構想を練ったりするんでしょうが、私の場合はそうでないので、書き終えてから現地に行って「よし大丈夫!」と確認する(何かあったら直す)という自転車操業な感じでやっております。
なお、本作のメインの舞台であるところの東京の市谷は前に行きました。八雲家のあったところは今は女子校なのであんまりウロウロできませんでしたが……。
発売前なのであまり言えることがないのですが、今回の主人公であり視点人物である好乃(よしの)は今まであんまり書いたことのないタイプの主人公で、書いてて新鮮でした。好きなタイプのキャラなので、気に入ってもらえると嬉しいです。
そうそう、全体の構成はこんな感じです。
- 第一話 ヘルン先生、人食い鬼を見に行く ―「食人鬼(じきにんき)」より
- 第二話 亡霊(ゴースト)がくれた才能 ―「耳なし芳一」より
- 第三話 妖怪易者の秘密 ―「果心居士の話」より
- 第四話 幻の少年 ―「茶碗の中」より
- 第五話 人と人でないものの間に ―「ゆきおんな」より
- エピローグ 八雲が遺すもの ―「むじな」より
ご覧の通り各話の元ネタが八雲の代表作という形になっているのですが、この「○○より」って形式の元ネタはウルトラマンレオの日本名作民話シリーズです。正確に言うと、無意識で付けてから「これレオだな」と後で気付きました。
日本名作民話シリーズってのは、「ウルトラマンキング対魔法使い 一寸法師より」とか、「運命の再会! ダンとアンヌ 狐がくれた子より」みたいなあれですね。
というか「「狐がくれた子」って何だよ!」と思いませんでした? 「他のは全部有名な話なのにこれだけマイナーすぎるだろ!」と思いませんでした? 僕は思ったし図書館で探しましたが、結局見つけられなかったことを覚えています。似たタイトルの映画が元ネタだって話も読んだことありますが、実際どうなんだアンヌ。君はアンヌだろう!?
閑話休題(二回目)。
このブログでも先にお知らせした通り、11月25日にも新刊「最後の陰陽師とその妻」が出るので、二か月連続刊行となります。何かしらのフェアとかではないですが。
と言うか、11月に出る「最後の陰陽師とその妻」が「大正時代の東京が舞台で、島根から上京してきた少女が妖怪っぽい事案に巻き込まれて何やかんやする連作」で、12月の「小泉八雲先生の「怪談」蒐集記」が「明治時代の東京が舞台で、島根から上京してきた少女が妖怪っぽい事案に巻き込まれて何やかんやする連作」なんですね。
これはもう戦前島根少女上京シリーズといっても過言ではない。
いや、被ってるなーとは思ってるんですよ自分でも。でも、「最後の陰陽師とその妻」は出雲が舞台の黄泉比良坂神話がモチーフなので、主人公の出身地は島根じゃないと話が成立しないし、「小泉八雲先生~」は、小泉八雲が日本の伝承に触れたのが松江である以上、そこで八雲と出会っていた少女が東京で再開するという設定じゃないと、これまた話が成立しないわけでして……。ご了承いただければ幸いです。
11月25日発売予定の新刊「最後の陰陽師とその妻」のカバーイラストが公開されました。担当してくださったのは京一さま( https://x.com/kyouichi_16 )です。
どうですかこの王道大正伝奇ロマンス感!
左側がタイトルにもなってる「最後の陰陽師」こと比良坂拝音(ひらさかはいね)、右側がヒロインの千曳泉(ちびきいずみ)です。あらすじなどは以下のリンク先でご確認ください。予約も受け付け中です。
発売前につきネタバレもできないので本編と特に関係ない余談ですが、カバーイラストで飛んでる光る蝶の元ネタは、明治45年6月26日の東京毎日新聞で報じられた上野公園の怪しい蝶です。出典は湯本鈍器こと「大正期怪異妖怪記事料集成 上巻」(湯本豪一先生編)。いつもお世話になっております。
このほか、本編中に登場する怪異の多くは明治末期から大正期に報じられたものをモデルにしています。詳しい方は元ネタなど探してみていただけるとありがたいです。
(前回までの日記の続きです)
中国地方妖怪スポット横断旅行、最後に向かったのは、広島県は三次市にある湯本豪一記念日本妖怪博物館こと三次もののけミュージアム。
開館五周年企画の「稲生物怪録」展がもうすぐ終わってしまうのでギリギリで駆け込んできました。
目当ては特別展でしたが、ここは常設展も定期的に入れ替わってるので行く度に発見があります。
すっかりおなじみ雷獣のミイラ。かわいいね。
ドラゴンフォームになりつつある清姫。
あとテンション上がったのがこちら! そう、「白獅子仮面」の下敷きです。
そしてメインの稲生展へ。
さすがに本場だけあって資料もテキストも多い、充実した展示でした。
山本(さんもと)五郎左衛門や魔王の槌なんかは今ではすっかりお馴染みのネタとなりましたが、槌が出てこないバージョンも結構あり、むしろそっちがオリジナルらしいぞ、という話なんかは新鮮でした。
マイフェイバリット稲生妖怪である眉間火箸刺されババア(仮名)の現物も見られて興奮しました。ぞんざいに火箸を刺す平太郎の佇まいと刺されてるババアの何とも言えない顔、いいですよね。
テンションが上がったのがこちらの平太郎の部屋の再現コーナー。
ひんやり腹踏ませ坊主(仮名)を踏んだ時のイヤな感じも体感できる!
こういう古典的な記述を正確に再現した系のお化け屋敷って楽しいなあと思ったことです。あちこちでやってほしい。
稲生物怪録をネタにした現代の本も並んでおり、定番の「朝霧の巫女」あたりも当然ラインナップされてるんですが、オッと思ったのが、幼少期からの図書館ユーザーにはお馴染み(だと思う)「にゃんたんのゲームブック」の一冊「ゾクゾクッようかいやしき」。
昔は気付いてなかったんですけど、この本、かなり正確に元ネタをなぞってるんですよね。しかも谷川健一・東雅夫・荒俣宏(敬称略)といったお歴々が稲生を扱った資料本を出す前に出てるんですよこれ。素晴らしい。かくありたい。
というわけで若干慌ただしい日程でしたが無事に三館コンプリートしてきました、という日記でした。
(前回の日記の続きです)
当初の目的は、日本海に面した洞窟であり、通称「賽の河原」であり、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの随筆でもお馴染みの「加賀(かか)の潜戸(くけど)」だったんですが、海が荒れていて遊覧船が出なかったんですよね。残念。
でもまあ他にも回りたいところはあるので色々回ってきました。
まずは黄泉比良坂(よもつひらさか)!
日本神話で言うところの黄泉の国に通じる坂であり、黄泉の国からイザナミに追われて逃げ帰ってきたイザナギが千曳の岩を置いて行き来できないようにしたとかそんな話の舞台とされているような場所だそうです。
普通に看板が出てるのがちょっと楽しかったですね。
黄泉の国まで直進300m!
この黄泉比良坂にまつわる神話は、来月出る新刊「最後の陰陽師とその妻」の元ネタとして一部使わせていただいておりまして(主人公の苗字が「比良坂」と「千曳」なんですね)、そのお礼も兼ねて足を運んできた次第です。
実際行ってみると坂というよりは山の斜面の途中にある小さな平地って感じでした。
でもまあ岩が置かれたことで行き来できなくなったことになってるんだから、普通に坂だったらおかしいのか。
あとこれは黄泉平坂に行く途中の路上に落ちていた櫛。ごく最近誰かが呪的逃走を試みたものと思われます。逃げきれたんでしょうか。
八雲関連で聞きたいことや知りたいことが色々あったもんで、記念館では学芸員さんに色々尋ねてきました。
そして記念館の隣の小泉八雲の旧居へも。
「作家たるもの椅子には金を掛けなければならない、なんか難しい横文字の名前のメーカーの高いやつを買わねばならない」というある種脅迫めいたアドバイスは、インターネットではよく聞かれるところで、ホームセンターで買ってきた椅子を使ってる作家としては不安になったりすることもありますが、小泉八雲先生愛用の椅子を見ると、意外と何とかなるもんだなという勇気を得られます。ありがとうハーン先生。
松江市内には小泉八雲が書き残した妖怪スポットもたくさんあるんですが、そっちは前に来た時に回ったので今回はパスして、島根県立美術館へ寄ってみました。宍道湖に面したでっかい美術館です。
展示内容も良かったんですが(特に北斎コレクション)、空間の使い方の贅沢さとロケーションの良さがむしろ印象に残る施設で、ロビーで一日ずっと本を読んでたくなる館でした。
不憫な女性を偲んで一晩で浮かび上がったという伝説があったりなかったりする嫁が島もよく見える!
やっぱりでかくて綺麗な湖は良いですよね。空は青く水清く妖怪は怖くないといけない。
そんなわけで島根を急ぎ足で満喫してきました、という日記でした。
あとこれは松江駅で買ったご当地ビール「おろち」。ビールのつもりで飲んだら日本酒っぽさがガツンと強く(アルコール度数も高め)、飲みごたえがありました。
夏前からバタバタしていたのですが、先日それがようやく一区切りつきまして、外に出やすい気候にもなってくれたので、中国地方の妖怪がかった施設などをガーッと巡ってきました。
なお、境港に行くには米子駅で乗り換える必要があるんですが、米子駅に飾られていたこの「米子へようこそ」の中央あたりにいるやつがアマビエなのかそうでないのかがとても気になりました。
君はアマビエなのかいアマビエじゃないのかいどっちなんだい。
閑話休題。
というわけで境港駅へ。けんかはよそう。
ここに来るのは何回目かになるので(まだ十回には達してないと思う)、水木しげるロードの妖怪ブロンズ像たちもそこそこお馴染みではあるんですが、来る度にこの方相氏の寄贈者名で「えっ、神坂一さんってあの神坂先生?」と驚いてる気がします。あの神坂一さん?
そして水木しげる記念館へ。リニューアル後初訪問です。「ゲゲゲの謎」の真生版をまだ見ていないのに来てしまったのじゃよ水木よ。
リニューアル後の記念館、あくまで個人的な印象ですが、妖怪重点だった前のバージョンに比べると、水木しげる(敬称略)という人の人生を全体的に取り上げた感じを受けました。ご本人が使ってた道具や資料、ネームなど興味深く拝見しましたですよ。
妖怪の立体物たちは健在で一つの部屋にまとめられていました。
ところでこの一つ目入道。そう、筆を持ったポーズでお馴染みのこいつです。
こいつね、前から、巨大感を強調したデザインなのに筆を持ってるのはチグハグだなあと思ってたんですよ。その理由が先日出たばかりの「丹後変化物語と化物屋敷」に書かれてまして。
オリジナルは竹竿だった(それを誰かが落書きで筆にしちゃって、その絵が一般化しちゃったもんで筆がデフォルトになってしまった)というのは大いにナルホドでした。
水木先生が手ずから集めたという民俗アイテムや民芸品のコレクションもちょっと出てました。やったぜ。
確か、開館したばかりの頃はこの辺のコレクションが一部屋に並べられてて壮観だったんですよね。あれまたやってくれないかなーと思うところです。
ありがたかったのはライブラリーコーナー。研修室を兼ねているようですが、水木センセイの著作がズラッと並んでおり自由に読める部屋です。作家の記念館では著作が一通り読めるべき!と思っている身としては嬉しいコーナーでした。
まあ水木作品は一通り読んでいるわけですが、「掲載されてるエピソードは知ってるし、それが載った本も持ってるけど、このアンソロジーは持ってない」みたいなことが結構あるので、古いのから新しいのまで単行本が揃ってるのは助かります。水木しげる漫画全集が揃っていればなお良かった(買え)。
あと良かったのはミュージアムショップ! 何が嬉しいって、ポプラ社キミノベル版「ゲゲゲの鬼太郎」全五巻(筆者わたくし)が見本ありで大々的に並んでたんですよ。ありがたい。ありがたいですよこれは。
というわけでちゃんと名乗った上で写真撮らせていただきました。
どうですかこの並びっぷり! 水木しげる記念館に赴かれる際はミュージアムショップのノベライズ全五巻をどうぞよろしくお願いします。行かれない方もよろしくお願いします。
長くなりそうなので今回はこの辺で。次回、松江編に続きます。