ザ・スターリン - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (original) (raw)
3月14日に発売されたザ・スターリンのライブアルバム「I was THE STALIN ~絶賛解散中~ 完全版」は、1985年2月21日に東京・調布の大映撮影スタジオで行われた解散コンサートの模様を完全収録したもの。過去に発売されたアルバム「FOR NEVER」にも当日演奏された29曲のうち18曲が収録されていたが、長らく行方不明になっていたマスターテープが発見されたことから、多数の未発表音源を含むコンプリート音源が28年ぶりに日の目を見ることになった。
また、これとあわせて3月14日に、ザ・スターリン解散後の遠藤ミチロウを中心に1987年から約1年間活動していたバンド、ビデオ・スターリンの唯一のアルバム「MINUS ONE」も豪華仕様で再発。オリジナル盤に初CD化の楽曲や未発表ライブ音源などを追加した2枚組CDで、ビデオ・スターリンとしての活動の全貌に迫っている。
ナタリーではこれらの発売を記念して、遠藤ミチロウへのインタビューを敢行。今年でメジャーデビュー30周年を迎えるザ・スターリンのエピソードを中心に、これまでの彼の歴史を振り返ってもらった。
取材・文 / 吉田豪 インタビュー撮影 / 佐藤類
裸になったり臓物投げることがすごいことだなんて思ってなかった
──今回、僕が「I was THE STALIN ~絶賛解散中~ 完全版」のライナーを書かせていただいたんですけど、そんな縁もあってついにミチロウさんを取材できることになりました!
まだちゃんと話したことないんですよね。
──新宿スモーキンブギで、復活した奇形児とミチロウさんが対バンやったときにご挨拶しましたけど。あとロフトプラスワンでも微妙な接点があります。
……オーケンのイベントのとき?
──10年前、2001年に「365 A TRIBUTE TO ザ・スターリン」が出たタイミングでザ・スターリン回顧イベントをやったとき、ドラムの(中田)ケイゴさんから「恥ずかしいから一緒に出てくれ」って頼まれて、面識もないミチロウさんと壇上に並んだんですけど、なんでこんな大御所にまぎれて僕がここにいるんだ、みたいな感じでほとんどしゃべらなかったことがあって。で、そうやってミチロウさんと直接お会いするようになってまず思ったのが、基本、東北訛りのシャイでおとなしい人じゃないですか。よくザ・スターリンをやってたと思うんですよ。
そうなんですよね(笑)。
──ましてや、パンクって若気の至りで始めるジャンルですよね。30歳で分別もつく大人があそこまでやり切ってたことに、ホント感動するんですよね。
自分でもそう思いましたけどね。よくやってたなって(あっさりと)。
──ダハハハハ! やっぱり!
いや、でも、あの頃はどんどん新しい展開が起きていくから、そういうのも楽しくてしょうがなかったですよ。自分らで仕掛けていってワーッてなるから、どういうふうになっていくんだろう、みたいなところがありましたからね。
──当時は社会問題みたいな扱いになってましたからね。
うん。でも、それは問題なのかなっていうのもありましたけどね。裸になることとか、臓物投げることがそんなにすごいことなんだって思ってなかったですから。
──世代的にその手の行為になじみがあったわけですか?
そうです。僕らの世代って、ちょうど学生運動、全共闘の流れの中からハプニング集団とか言われてた動きがあったじゃないですか。
──裸になったりのパフォーマンス活動ですよね。
そうそう。みんなそんなことやってたんで、わりと抵抗ないんですよね。裸になったりするのは、元々THE DOORSが好きだったんで、ジム・モリソンみたいなイメージと、あとイギー・ポップとか。そういうことをやるのは「パンクだから」っていう以前の認識からではなかったんですよ。
客に嫌われることをやると客は増えるんだなって
──ザ・スターリンって、ジャックスだのTHE DOORSだのみたいなドロドロした部分とか知性的な部分だけじゃなくて、そこに肉体性がミックスされてましたよね。知性だけでも物足りないし、肉体だけでも物足りない。その融合がザ・スターリンだった気がするんですよ。
ザ・スターリンって一番初めは変態バンドって言われてたじゃないですか。暴力的なイメージよりも、臓物とか裸になったりとかのせいで。そのとき、変態っていうのは知的なんだっていう認識があったんです。だから僕らにとっては全然違和感ないんですよ。ザ・スターリンが戦略的だとか言われたのは、多分そういうところだと思うんですけどね。
──意識的に戦略の話はしてましたよね。
でも、裸になったりなんかやったりするっていうのは、じゃがたらの影響がデカかったですよ。ザ・スターリンをやり出したときに、よく一緒にやってたバンドがじゃがたらだったんで。江戸アケミ(Vo)がフォークで頭刺したり、裸になったりしてたじゃないですか。これに対抗するにはそれ相応のことをやらなきゃな、みたいな刺激になったと思いますね。
──音楽的には全然違うけれど。
全然違いますけど、パフォーマンス的にはってことでね。じゃがたらに対抗するには、みたいなことを考えて。自分を傷つけるっていうのは意外に好みじゃなかったんで、臓物とかを投げるようになって。
──観客に迷惑をかけよう、と(笑)。
うん。最初にゴミとか臓物を投げたのも、じゃがたらと一緒に新宿のトラッシュっていうライブハウスで1週間イベントやったときで。「無差別ギグ / EIGHT DAYS A WEEK」とかいうのをじゃがたらと共同主催でやったときにお店のポリバケツの生ゴミを客席にバラ撒いて、それで客が怒って帰っちゃって。そしたら、それが評判になって客がワーッと増えたんですよ。だから、嫌われることをやると客は増えるんだなって。
──それで変な学習しちゃったんですね。「よし、じゃあもっとひどいことしなきゃ」と(笑)。
誤ったことを(笑)。
──それで臓物とかにいったのが面白いですよね。
ザ・スターリン自体がキャラクターイメージで豚を使ったんですよ。
──ジャケに豚を使う前にもう投げてたんですか?
いや、ソノシートの次に「スターリニズム」っていう豚のジャケットの5曲入りドーナツ盤を出した辺りから、わりとザ・スターリンっていうと豚っていうイメージになって。「豚に真珠」って曲もあったんですけど、ジョージ・オーウェルの「アニマル・ファーム(動物農場)」から取って、ザ・スターリンに豚っていうイメージをつけて。それで豚の臓物を使うようになって。
──豚の生首とかは調達が大変だったって聞いたことがあるんですけど。
大変でしたね。東京はまだいいんですけど、地方が大変で(笑)。
──東京から持っていくわけにもいかないし。
そうそうそう。だから現地調達で卸問屋さんを調べて、そこまで買いに行くんですけど、ないところもありますからね。そういうときはゴミでごまかしたり。
──ケイゴさんがボヤいてましたよ。ツアー中、バスドラの中に肉が入ってて、腐って大変だったとか。
ああ、肉が飛んできてね。ドラムは逃げらんないんで。僕は臓物投げてるのに、客から肉が飛んできたりするんですよ。
──客も自前の肉を持ってきてるんですか?
客は臓物をどこで買うかわからないから、生肉を。あれ、もったいないなと思って。
──ダハハハハ! モツならともかく(笑)。
ただ、そんなに地方でしょっちゅう買ってた記憶ないんですよ。よっぽどのとこじゃないと買えなかったし、見つけること自体が地方は結構大変なんで。ほかは多分ゴミでごまかしてたんじゃないかと思うんですけど。
DISC 1(第一部)収録曲
- 虫
- 廃魚
- M-16(マイナー・シックスティーン)
- T-Legs
- アクマデ憐レム歌
- 溺愛
- おまえの犬になる
- バイ・バイ・ニーチェ
DISC 2(第ニ部)収録曲
- オープニング・アナウンス
- 猟奇ハンター
- 渚の天婦羅ロック
- バキューム
- ハロー・アイ・ラブ・ユーに捧ぐ
- ワイルドで行こう(Born To Be Wild)
- 天プラ
- 電動コケシ
- アザラシ
- NO FUN
- アーチスト / マリアンヌ
- お母さんいい加減-先天性労働者
- ロマンチスト
- 下水道のペテン師
- STOP GIRL
- 爆裂(バースト)ヘッド
- 豚に真珠
- GASS
- 仰げば尊し
- 解剖室
- ワルシャワの幻想
- Fish Inn
DISC 1「MINUS ONE」収録曲
- LOVE TERRORIST
- 24時間愛のファシズム
- KOREA
- -1(マイナス・ワン)
- Relo Relo
- New York PARANOIA
- ウルトラ・SEX・MAN
- Sha.La.La.
- 羊飼いのうた(LIVE)
- タイフーン・レディ・フラッシュ(LIVE)
- キリの中(LIVE)
- ウルトラ・SEX・MAN
- 24時間愛のファシズム
DISC 2「DEBUT!」収録曲
- 愛してやるさ!
- 猟奇ハンター(LIVE)
- 冷蔵庫(LIVE)
- 天上ペニス(LIVE)
- STOP GIRL(LIVE)
- 爆裂(バースト)ヘッド(LIVE)
- 先天性労働者(LIVE)
- メシ喰わせろ!(LIVE)
- 渚の天婦羅ロック(LIVE)
- バキューム(LIVE)
- 解剖室(LIVE)
- 仰げば尊し(LIVE)
- 20st Century Boy(LIVE)
- 虫(LIVE)
- バイ・バイ“ニーチェ”(LIVE)
- GASS(ORIGINAL VERSION)
遠藤ミチロウ(えんどうみちろう)
日本のロックシーンに衝撃を与えた伝説のパンクバンド、ザ・スターリンの中心人物として1982年にアルバム「STOP JAP」でメジャーデビュー。その強烈な存在感とカリスマ性で圧倒的な支持を集め、一世を風靡する。1985年にバンドを解散してからは、ソロアーティストとしてのキャリアをスタート。また、パラノイア・スター、ビデオ・スターリン、スターリン、COMMENT ALLEZ-VOUS?など、さまざまなバンドでも活躍する。ソロ名義では年間100本以上におよぶライブを開催するなど、その活動スタイルはアグレッシブ。また、若手アーティストとの交流も多く、グループ魂、大槻ケンヂらとも共演している。近年はソロのほか、石塚俊明(頭脳警察)と坂本弘道とのNOTALIN'S、中村達也(LOSALIOS)とのTOUCH-ME、クハラカズユキ(The Birthday)&山本久土とのM.J.Qなど、ライブを中心に積極的な活動を続けている。