ザ・スターリン (6/9) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (original) (raw)
JOY DIVISIONみたいなことがやりたかったけど、ファンは許してくれなかった
──そして解散に至るわけですけど、解散を考え始めたのっていつぐらいなんですか? 「Fish Inn」の辺り?
「Fish Inn」を出してツアーやってるときですね。
──メンバーが抜けて、パンクバンドとは言えないような構成になってきて。
あの頃はもう、自分らではいわゆるパンクバンドっていう意識じゃなかったんですよ。やっぱりイメージ的に「Fish Inn」で出した音楽をもっと発展させていこう、みたいな感じで。だからああいう「STOP JAP」とか「虫」的なパンクの世界とはおさらばしたかったんですけど。でも、やっぱりザ・スターリンって名前でやってると、お客はそれを認めない、みたいなところがあって。どうしてもパンク的な世界を要求してくるんで、だったらもうザ・スターリンって名前はやめようか、みたいな感じです。
──メンバーが抜けたからっていうよりも、ミチロウさんがそっちに行きたかった、と。
そうですね。ほかのメンバーもそうでした、乾純にしても誰にしても。あとはいろいろあって、じゃあ解散しようってことになったんですよ。「ベトナム伝説」辺りから、JOY DIVISIONとかBAUHAUSがめちゃくちゃ好きになってたんですよ。だから、どっちかっていうとそっちの世界に行きたくて。それが「Fish Inn」なんですよね。
──ああ、JOY DIVISIONだったんですか、あれ!
JOY DIVISIONめっちゃくちゃ好きだったんですよ。BAUHAUSも。でも僕にとってはパティ・スミスが好きなのとJOY DIVISIONが好きっていうのはつながってるんですよ。THE DOORSからつながってるんですけど。THE DOORS、パティ・スミス、JOY DIVISIONっていうのは僕の好きな音楽の本来の流れなんですよ。どっちかっていったら「STOP JAP」みたいな音楽は、僕の中ではわりと突然出てきたみたいなところがあって。だから、そういう世界に行きたかったんですけど、ファンはそれを許してくれなかったから解散、みたいなのはありましたね。
──「Fish Inn」を出したときの反応ってどんな感じだったんですか?
ものすごく「ガッカリした」っていうのが多かったです。
──ダハハハハ! そうだったんですか(笑)。
「なんだよ!」って。
──「速い曲ねえじゃん!」みたいな。
うん、「なんだよ、パンクじゃねえじゃねえか!」って、そっちの反応のほうがデカかったです。客層はあきらかに入れ替わってましたからね。
──当時はそんな感じだったんですか。
うん。だからあの頃ってアルバム1枚出すたびに音楽観が変わってったとこありますよね。明らかに「STOP JAP」とは意識がガラッと変わってるし、その間に「虫」と「ベトナム伝説」があって、それで「Fish Inn」になってまたガラッと変わって、みたいな。そうしなきゃとは思ってないんだけど、同じようなタイプのアルバムは2回出したくないなっていうのがあったんですよ。やっぱり変化していくのは当たり前だと思ってたんで。
──それをやってたら解散にもなりますよね。
ねえ。行き詰まるしね。同じメンバーでそれは続かないじゃないですか。だから当時はアルバム出すたびにメンバーも替わっちゃうし。そして解散。
映画の撮影所なら何をやってもいいなと思って
──僕、ザ・スターリンには乗り遅れてたんで、最初に聴いたのが解散ライブ盤「FOR NEVER」なんですけどね。このときも冒頭の「Fish Inn」ナンバーのときと、パンクナンバーのときはお客さんの反応は当然違うわけじゃないですか。お客さんは、いわゆる初期ザ・スターリン目当ての人が多かった感じですか?
解散だから当然そうじゃないですか? だから前半はみんなじっと、第2部始まるまで我慢して。でも、元々解散コンサートのとき以外も、その前のツアーもこのパターンでやってたんですよ。前半は「Fish Inn」の世界で、後半に「STOP JAP」の世界、みたいな感じで分けてやってたんで。
──解散ライブで一番印象に残ってることってなんですか?
……ザ・スターリンって滅多にホールとかでライブやってなかったんで、解散コンサートが一番派手だっていうのもなんだなっていう(笑)。
──ダハハハハ! 会場が大映撮影所っていうのは、ビデオ撮影も入るからっていうことで?
っていうか、解散コンサートやろうって、多分12月に決めたんですよ。2カ月後だったんで、そういうステージをやれる会場自体がなかったんですよ。あの当時、後楽園ホールしか貸してくれないし。後楽園ホールでさえいろいろ限界ありますからね。それで、映画の撮影所だと下が土じゃないですか。何やってもいいなっていうことでね。
──なるほど! そういうことなんですね。
あとはビデオ撮るのに機具も使えるし、みたいな。解散コンサート自体も、実際16mmフィルムで撮ってるんですよ。だから1つの大きなイベントとして、ちゃんと記録にも残そう、みたいなのがあって大映になったと思うんですけどね。
──しかし、こんなに曲がカットされてたとは知らなかったです。意外と「ベトナム伝説」の曲が多かったんですね。
うん。塩化ビニールで入れられる曲数にも限界があるんでね。2枚組とはいえ。
──それでソロの曲と、初期の歌詞的にヤバそうなものが弾かれていった感じなんですか?
どうなんでしょうね。どういう基準で選んだかっていうのを自分で覚えてないんですよ。
──でも、こういう形でちゃんと日の目を見るのはうれしいですよ。
それはファンの立場からするとうれしいんですか?
──当然です! ザ・スターリン絡みのCDはいまだに買い続けてるし、特に「STOP JAP NAKED」とか、ものすごいテンション上がりましたよ!
ああ、あれは心残りがずっとあったから、「STOP JAP」のときから。
DISC 1(第一部)収録曲
- 虫
- 廃魚
- M-16(マイナー・シックスティーン)
- T-Legs
- アクマデ憐レム歌
- 溺愛
- おまえの犬になる
- バイ・バイ・ニーチェ
DISC 2(第ニ部)収録曲
- オープニング・アナウンス
- 猟奇ハンター
- 渚の天婦羅ロック
- バキューム
- ハロー・アイ・ラブ・ユーに捧ぐ
- ワイルドで行こう(Born To Be Wild)
- 天プラ
- 電動コケシ
- アザラシ
- NO FUN
- アーチスト / マリアンヌ
- お母さんいい加減-先天性労働者
- ロマンチスト
- 下水道のペテン師
- STOP GIRL
- 爆裂(バースト)ヘッド
- 豚に真珠
- GASS
- 仰げば尊し
- 解剖室
- ワルシャワの幻想
- Fish Inn
DISC 1「MINUS ONE」収録曲
- LOVE TERRORIST
- 24時間愛のファシズム
- KOREA
- -1(マイナス・ワン)
- Relo Relo
- New York PARANOIA
- ウルトラ・SEX・MAN
- Sha.La.La.
- 羊飼いのうた(LIVE)
- タイフーン・レディ・フラッシュ(LIVE)
- キリの中(LIVE)
- ウルトラ・SEX・MAN
- 24時間愛のファシズム
DISC 2「DEBUT!」収録曲
- 愛してやるさ!
- 猟奇ハンター(LIVE)
- 冷蔵庫(LIVE)
- 天上ペニス(LIVE)
- STOP GIRL(LIVE)
- 爆裂(バースト)ヘッド(LIVE)
- 先天性労働者(LIVE)
- メシ喰わせろ!(LIVE)
- 渚の天婦羅ロック(LIVE)
- バキューム(LIVE)
- 解剖室(LIVE)
- 仰げば尊し(LIVE)
- 20st Century Boy(LIVE)
- 虫(LIVE)
- バイ・バイ“ニーチェ”(LIVE)
- GASS(ORIGINAL VERSION)
遠藤ミチロウ(えんどうみちろう)
日本のロックシーンに衝撃を与えた伝説のパンクバンド、ザ・スターリンの中心人物として1982年にアルバム「STOP JAP」でメジャーデビュー。その強烈な存在感とカリスマ性で圧倒的な支持を集め、一世を風靡する。1985年にバンドを解散してからは、ソロアーティストとしてのキャリアをスタート。また、パラノイア・スター、ビデオ・スターリン、スターリン、COMMENT ALLEZ-VOUS?など、さまざまなバンドでも活躍する。ソロ名義では年間100本以上におよぶライブを開催するなど、その活動スタイルはアグレッシブ。また、若手アーティストとの交流も多く、グループ魂、大槻ケンヂらとも共演している。近年はソロのほか、石塚俊明(頭脳警察)と坂本弘道とのNOTALIN'S、中村達也(LOSALIOS)とのTOUCH-ME、クハラカズユキ(The Birthday)&山本久土とのM.J.Qなど、ライブを中心に積極的な活動を続けている。