吉野亜湖のお茶メモ (original) (raw)

この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。

新橋旧停車場に、お茶の文化創造博物館がオープン。

内覧会にお伺いしてきましたので、

たのしみポイントをご紹介してきます。

第二弾は、「江戸のお仙の茶屋」

「茶袋」お茶は汲んで出すもの

会いに行けるアイドルといった存在の「お仙」を描いた浮世絵は、鈴木晴信だけでなく、数あります。

これらの浮世絵から、お仙の茶屋を通して、皆さんに江戸の茶文化を体験していただける場を博物館に、ということでご協力させていただきました。

今回、この茶屋について調べるきっかけをいただいたので、私自身とても勉強になりました。そしてその作業はとっても面白かったので、皆様も博物館であれこれ楽しんでいただきたいと思い、お書きします。

お仙が持っている「茶台」については、前回お話しました。

今回は、茶について見ていきましょう。

鈴木晴信「かぎやお仙」東京国立博物館

茶釜で茶を煮出し、柄杓で茶を汲んで出している様子です。

茶釜で湯を作るのではなく、

茶を煮出すのですね。

お茶はどんなもの?

釜で煮出すのであれば、番茶だったと思われます。

1783(天明3)年、浅間山の大噴火で泥流に埋まった八ッ場の村々(農村)からの発掘品を調査に行きました。庶民の家の囲炉裏にあった茶釜は、茶袋が入った状態で発掘されていました!(感動!)

茶釜の中に茶袋(八ッ場天明泥流ミュージアム展示品)

江戸時代の天明年間の生活そのままに、八ッ場天明泥流ミュージアムに展示されていますので、ご興味のある方は、ぜひ行ってみてください。(私は大感動しました)

茶袋は今でいう**ティーバッグ**ですよね。

お茶の文化創造博物館の茶釜の蓋も、開けて見ると・・・

ちゃんと茶袋を入れてありますので、そこもぜひご覧ください。

そのため、柄杓はお湯を汲むものではなく、

茶を汲む道具です。

江戸時代の発掘品で確認しましたが、庶民の家庭で使用されていた柄杓は、「柄」には細い竹をそのまま用い、「合」の中に指し通してありました。茶道具の柄杓のような丁寧な作りではありませんでした。

茶代はおいくら?

内覧会でも質問がありました。

「お茶代はいくらだったのでしょう」

江戸時代後期に書かれた百科事典と言える『守貞漫稿』によれば、客の置く茶代は、江戸は100文置く者もいるが、平均すると24~50文程度とあります(蕎麦一杯16文の時代)。[1]

また、関西と関東では趣が異なったようで、同書に以下のように書かれています。(以下要約)

京坂(京都大阪)では年配の女性が、朝に煮出した茶を一日中使用し、一人一碗しか出さない。茶代は5~10文。

江戸は二十歳前の若い女性が美しい装いで茶を出し、客ごとに茶を煮たり、竹の茶漉しで一杯ずつ作るので美味しい。一杯目はその漉し茶、二杯目は桜花に湯、三杯目は香煎を出す。(巻六「生業上 茶見世」)[2]

18世紀後期になると、お茶も「芦久保(静岡)や宇治」または「唐茶」等の上級品を出す店もあり、庶民も良質なお茶を親しむ文化が出てきます。[3]

茶漉しで「漉して出す」お茶は、このような上等品だったのではないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーー

吉野亜湖

静岡大学非常勤講師

専門 日本茶文化史(近代、近世)

ーーーーーーーーーーーーー

これから要調査部分

桜湯や香煎を出していたとなると・・・

茶碗が置かれている棚だけに注目してみると、

筒茶碗はわかります。

一番上の段の黒い蓋があるような器は?

ーーこれも茶碗でしょうか?

そして一番下の棚にはふた月に見える器か茶碗があります。

茶釜の茶袋の中の葉が、「チャ」であるのかも含め、これからも調査し新しい発見があったら、またご報告します。博物館ともども楽しみにしていてください。

参考

[1] 喜田川守貞(北川庄兵衛)『守貞漫稿』は1837年から約30年間で、全35巻に渡る。(刊行は明治に入ってからである。)水茶屋で茶漉しを用いて淹していた茶については、1斤(600g)6匁(約1万円)程度を用いているとある。江戸時代後期の相場は、金貨1両=銀貨60匁=銅貨(銭)6500文。(参考 貨幣博物館 https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/answer.html)2022.9.25閲覧。

[2] 喜多川守貞『類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿』更生閣書店,1934年,118頁。

[3] 恕堂閑人『寛保延享江府風俗志』1792-(「続日本随筆大成」別巻8,1982年,19頁)と、西村俊範「笠森お仙と隠元薬缶」89頁にある。(『京都学園大学人間文化学会紀要32』京都学園大学人間文化学会, 2014年)

新橋旧停車場に、お茶の文化創造博物館がオープン。

江戸の茶屋や蘭字の展示の監修をさせていただいたので、

楽しみポイントをご紹介してきます。

第1回目のお話は、

江戸時代の茶文化 茶台とは?

博物館には、「茶運人形(ちゃはこびにんぎょう)」が展示されています。

茶運び人形 | NHK for School

4人、テキストの画像のようです

からくり人形の仕組みを書いた江戸時代の『機巧図彙 』に、以下のように説明されています。

「茶運人形」

人形が持っている「茶台」の上に茶碗を置けば、

人形が客の方へ向かっていく

その茶碗を客がとれば、人形は止まる。

飲み終わった茶碗を置けば、今度は帰っていく。(筆者訳)

細川頼直『機巧図彙 2巻首1巻』[2],須原屋市兵衛,寛政8 [1796]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2568592/1/4

この「茶台」とはなんでしょうか?

仏具などに今も残されている茶碗を置く台です。ドーナツ型の茶托の高さがあるものというと分かりやすいかもしれません。

江戸末期にまとめられた百科事典といえる『守貞謾稿』という本には、1800年代前半になると、次第に小型化、簡素化されていくと記されています。

確かに、 『守貞謾稿』より 50 年ほど前に描かれた中村惕斎『訓蒙圖彙』(1789年) の絵の「茶台」は、高さがありますね。(上段が茶台、下は「さかづき台」)

茶道をされている方は、「天目台」という天目茶碗を置く台や貴人がお客様のときにこの天目台に茶碗を乗せて出すので、庶民用ではなく、高貴な方用と思われるかもしれません。

しかし、江戸時代(後期)は、庶民も用いていました。

薄い茶托の方が、かえって煎茶道など特別感があったのです。

以下は、江戸後期の浮世絵師、戯作作家としても有名な**山東京伝**の作品から、彼の書斎。奥様が版元(蔦屋)に、茶台で茶を出しています。

茶碗は筒型に見えますね。

山東京伝『堪忍袋緒〆善玉』1793年

そしてこちらは、『東海道中膝栗毛』の作家としても知られる_十返舎 一九_の作品から。お姑さんの家にお嫁さんがご挨拶に行っているところ。

十返舎一九作・国貞画『結神末松山』1837年

お客様には茶台、自分は茶台なしですね。

江戸で評判の美女「お仙」の茶屋

こちの絵も茶台を持つ美女の絵が描かれています。

明和年間です。こちらも筒型の茶碗。

鈴木晴信「かぎやお仙」東京国立博物館

この時代、庶民が飲んでいたお茶は、茶釜などで煮出して熱々でしたので、茶台に乗せないと熱いというのもあったでしょう。

お仙の前の茶釜から湯気が立っているので、その温度感が伝わってきます。

鈴木晴信「お仙と若侍」東京国立博物館

こちらは、もう一人の茶屋の美女、「おきた」さん。18世紀。

茶屋の美女たちは、よく茶台を持っているところが浮世絵に描かれています。

喜多川歌麿筆(東京国立博物館蔵)

茶屋の美女が茶台を持った絵で、第一話は終了します。
(これは第二話以降への伏線)

オープンに向けて見どころをひとつずつご紹介したいと思います。

ぜひ皆さんも足を運んでみて下さい。

ーーーーーーーーー

吉野亜湖

静岡大学非常勤講師
-----------------------------

ここには珍しい編んだ茶台と、もう一つ、茶漉しが描かれています。
お仙よりも時代が明治に近づいている頃。

お仙も明治の絵師に描かれた時は、実は、この茶漉し持ってます!

豊国「東都名所水茶屋揃」『俳優団扇画』【237-377】(国立国会図書館蔵)

こちら、ですが、春信のお仙とあまりに離れていて驚きの、お仙ちゃんです。

豊原国周『善悪三拾六美人 笠森お仙』

アイスティーの起源は?

というテーマについて書いてみたかったので、番外編です。

2024年4月1日現在のchat GTPでは、

「アイスティーが大衆的な飲み物として広まったのは、

1904年のセントルイス万国博覧会がきっかけとされています。」

と返ってきます。

1893年のシカゴ万国博覧会の「日本の販売店(Japanese Bazaar)」にあった喫茶所(8月よりオープン)でも、アイスティーが人気だったようです。この喫茶所では、主に日本製の紅茶が提供されていました。⑴

シカゴ万国博覧会写真集の「日本の売店(Japanese Bazaar)」

右手看板によく見ると、

JAPANESE TEA

ENJOY A CUP of our TEA

HOT ICE TEA

と、はっきり**アイスティー**と書いてありますね!
この写真を見つけた時は、とっても嬉しかったです。

ちょっと看板右端が途切れてますが、日本茶を飲まずに帰らないで、というようなことが書いてあるのではないかと想像しています。(Don't fail to visit Japanese Tea room)

シカゴ万博の日本の売店

シカゴ万国博覧会の入場者数は、当時のアメリカの人口の半数ほどに達したという記録があるそうですので、かなり多くアメリカ人がアイスティーを初体験?していた可能性があります。???

ということは?

日本人、かなり画期的なことをしていたのか???

とも思われますが、中国喫茶店のメニューにも普通に「アイスティーと書いてありましたので、それほど珍しいものではなかったと、私は考えています。

**シカゴ万国博覧会**のお土産レシピ本にも Iced Tea が登場しています。
(下のリンク先で読めますよ)

この本で驚いたことに、「ブレックファーストティー」や「最高級の日本茶」が美味しいと書いてるのです!(日本茶すごいですね~)

日本製のティーポットも機能性もありファッショナブルと褒められています。

セレブたち(万博関係者のLady)のレシピを集めたようなので、日本茶アメリカのセレブたちに愛されていたのだということも分かってうれしい一冊です。

The Home Queen World’s Fair Souvenir Cookbook, George F. Cram Publishing Company, 1893

一方、1904年のセントルイス万国博覧会では、セントルイス・グローブ』という新聞に、このようなことが書いてありました。(抄訳)

アメリカ人の茶の嗜好」万国博覧会の日本喫茶店では、かわいらしい日本娘が提供するホットティーを皆楽しんだが、暑中アイスティーを愛するアメリカ人に熱い茶を根付かせることは不可能だろう。⑵

この記事を読む限り、**セントルイス万博以前からアメリカ人にとって、アイスティーは国民的飲料となっていた**と考えていいのではないかと私は考えています。

新聞記事「アメリカ人の茶の嗜好」のイラスト
"Sights and Echoes of the Expositon", St Louis Globe, 01Sept.,1904.2.

確かに、**1898年のオマハ万国博覧会では、日本茶業界は、アメリカ人の嗜好に合わせ、日本製の緑茶のアイスティー**の美味しい飲み方を工夫し、喫茶店でPRしています。⑶

新聞記事の中では、**1854年に「アイスグリーンティー」**を軽い夕食(サパー)に飲むというのをはじめ、レモンを加える飲み方が人気という記事が、この頃から散見されます。⑷ *1

レシピブックはどうでしょうか。

こちらは、グリーンティーアイス情報ですが、**1864年**に、アメリカの有名なパティシエによって書かれたレシピブック『The Complete Confectioner 』には「ティーアイス」(緑茶)のレシピがすでに掲載されています。⑹76頁。

そして、アイスティーは、1875年の『Breakfast, Luncheon and Tea』にもあります。この本は、『Housekeeper's Weekly』の編集者で25冊の家事本を出版している著名な著者が書いたもので、上記の本と共に非常に影響力が大きかったと言われています。⑺

この本では、**ミックスティー**つまり、紅茶と緑茶のブレンドティーで、ストレートで飲む方が良いとすすめています。

まだこの時代は、アメリカの茶市場は中国茶の方が優勢でしたので、中国産の紅茶と釜炒り緑茶をミックスして飲んでいたと思われます。

**1878年**が初版の料理本『Housekeeping in Old Virginia』にも「Iced Tea」のしかも「グリーンティー」のレシピがあるのは有名ですね。⑻

砂糖を入れて、レモンを絞ると美味しいそうですよ。ぜひトライしてみてください。(以下)

After scalding the teapot, put into it one quart of boiling water and two teaspoonfuls green tea. If wanted for supper, do this at breakfast. At dinner time, strain, without stirring, through a tea-strainer into a pitcher. Let it stand till tea time and then pour into decanters, leaving the sediment in the bottom of the pitcher. Fill the goblets with ice, put two teaspoonfuls granulated sugar in each, and pour the tea over the ice and sugar. A squeeze of lemon will make t⑻his delicious and healthful, as it will correct the astringent tendency. ⑸

さいごに、余談ですが、大正期(1912年)以降の万国博覧会の日本喫茶店では、アイスティーは抹茶を使用し、ホットティーは煎茶であったことも分かっています。

**アイスティー**をキーワードにしただけでも、

様々なことが見えてきて、ちょっと楽しくなってきましたよね。

もっともっと楽しい日本茶のお話があります。

**万国博覧会日本茶**については、ただいま、原稿をまとめていますので、どうぞ楽しみに。(2025年万博年に出版予定)

吉野亜湖

静岡大学非常勤講師

  1. 臨時博覧会事務局編『臨時博覧会事務局報告』臨時博覧会事務局,1895, 791-792.
  2. “Sights and Echoes of the Exposition” St. Luis Glove, Missouri, 01 Sep. 1904, 2.
  3. 茶業組合中央会議所編『日本茶業史』茶業組合中央会議所,1914, 145-146.
  4. “Home Touring”, The Charleston Mercury , South Carolina,20 Jul 1854, 2.
  5. https://www.gutenberg.org/files/42450/42450-h/42450-h.htm#Page_61
    https://www.loc.gov/item/08027919/
  6. Eleanor Parkinson, The Complete Confectioner, Pastry-Cook, and Baker: Plain and Practical Directions for Making Confectionary and Pastry, and for Baking; With Upwards of Five Hundred Receipts . . .With Additions and Alterations, 1864. https://d.lib.msu.edu/fa/17

7.Marion Harland, Breakfast, Luncheon and Tea, New York: Scribner, Armstrong & Co. 1875, 360.

8.Marion Fontaine Cabell Tyree, Housekeeping in Old Virginia, VA: J.W. Randolph & English, 1878, 63-34.

9.Laird & Lee, Glimpses of the World's fair :A selection of gems of the White City seen through a camera, Chicago : Laird & Lee, 1893.

https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc2.ark:/13960/t9862d011&seq=167

以下も参考になります。

History of Iced Tea and Sweet Tea, Whats Cooking America

これを引用してまとめられたのが以下ですね↓

日本語で読みたい方はこちらを。

第5話 紅茶、新天地へ・2 万博で大人気のアイスティー|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム

ウェブの記載を、伝言ゲームのように他の人が引用して広まり(そのうち引用元も書かれなくなり)chat GTPの情報はそれらから拾われれてくるので、そこを理解しながら利用しないとですね。

*1:これは、アメリカで冷蔵庫の普及とは無関係ではありません。(日本では冷蔵庫の普及で家庭でビールを飲む習慣が増えたと聞いたことがありますが、アメリカはアイスティーだったのですね。)

以前、アメリカの茶と珈琲の業界誌『Tea & Coffee Trade Journal』をニューヨーク市立図書館で調査していた時、冷蔵庫の広告が多かったのに驚いたことがありました。

お茶の時間「ティータイム」はいつ?

答えは、“All Time”

『ALL ABOUT TEA』の著者ウイリアム・H. ユーカースが主筆をつとめた業界誌『ティー&コーヒー トレード・ジャーナル』に、

売店のための広告案という記事がありました。

ティータイムに最適なのはいつ?」

という1919年の記事です。

とても楽しいので、記事を日本茶大好きな筆者が、思うがままに訳してみます。

tea & coffee trade journal 1919, July

7時のお茶は、

気力と満腹感を加え

風味と香味を与え

どんなお料理にも

ぴったりな彩りを添える

それなのに

精巧にも、シンプルにもなります。

(販売者名入れる)

ティータイム・イズ・オールタイム

tea & coffee trade journal 1919, July

8時のお茶は

朝食を

心地よく、楽しくする!

一日の始まりを

充実させ、幸せにする!

毎朝、美味しくいれてだすと

そうなります。

(販売者名)

ティータイム・イズ・オールタイム

tea & coffee trade journal 1919, July

9時のお茶

朝食を贅沢に、

そして決して飽くことない

いつもの美味しさは

一日のはじまりを整えてくれます。

(販売者名)

ティータイム・イズ・オールタイム

tea & coffee trade journal 1919, July

10時のお茶

午前なら良い目覚めのため

午後なら良い眠りのため

午前でも午後でも

心を落ち着かせたり

リフレッシュしたり

いつでも美味しく

いつでも心身に良い!

(販売者名)

ティータイム・イズ・オールタイム

11時以降は続き(2)にて

原文もつけましたので、皆さんもよりよい訳を楽しんで下さい。

ここからアイデアをもらって、茶文化を盛り上げてほしいというのもユーカースの願いと思いますので、引用も自由と思います。(出典を紹介いただけると、とてもうれしいです。)

出典

WALTER CHESTER “TEA ADS FOR THE RETAILER”

The tea & coffee trade journal,

New York: Tea and Coffee Trade Journal Co.,

July 1919, v.37,34-35

吉野亜湖

静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員

ティーバッグはいつから?そして**日本茶ティーバッグ**は初期のころからあったのか?

ユーカースの『ALL ABOUT TEA』(1935年)を中心に調べてみたいと思います。

wikipedia(2023.11.23閲覧)には、

ティーバッグは1908年にコーヒー貿易商であるトーマス・サリヴァンによって偶然に発明されたというのが定説となっている。 商品サンプルの紅茶の葉を絹(木綿とも)の袋に詰めて小売業者に送ったところ、そういう商品だと勘違いされて、その袋のままお湯につけて紅茶を煮出してしまったのである。 それがティーバッグの始まり。

とあります。

*ただ、このエピソードは『ALL ABOUT TEA』には書いてないので、もう少し調べてみましょう。

特許としては、1901年に「茶葉ホルダー(TEA LEAF HOLDER)」として、アメリカで特許申請されていることは有名です。(下図)

「茶葉ホルダー」特許申請者ロバータ・C・ローソン、メアリー・モラーレン

(特許No, 728,287, 1903年許可)

しかし、アイデアだけで、実際に流通していたか、一般に普及していたか、というのはわかりません。

*アイデアだけでしたら、江戸時代いやそれ以前から、日本では「茶袋」(『ALL ABOUT TEA』のDICTIONARYには「tea bag」と英訳されています。)がありましたよね。茶袋に茶葉をつめ、茶釜で煮出していましたので。

では、ティーバッグ」自体が一般に認識されはじめたのは、いつ頃頃からなのでしょうか? 北米の新聞を調べてみました。

すると、1901年には、ティーバッグの淹れ方が説明されていたり、若いお嬢さんに最適というような記事が出てきました。「お茶の淹れ方」という特集の記事で、広告ではありません。

カナダ(モントリオール)の新聞記事:Making tea as it should be made to preserve flabour, The Montreal Star 12 Oct 1901, Sat ·Page 7

アメリカ(サンフランシスコ)の新聞記事:Tea Making, San Francisco Chronicle 13 Oct 1901, Sun ·Page 32

アメリカ(ニューヨーク)Can you make tea, Buffalo Courier Express 03 Nov 1901, Sun ·Page 7

現代の感覚では、ティーバッグというと安価なものというイメージがあったのですが、コットンガーゼの袋に1カップずつ茶葉が詰められていることを考えると、コストも増えるし、手間も入るので、決して当初は安いものではなかたのでは?と疑問がわいてきます。

また、新聞はニューヨークやサンフランシスコ、カナダのモントリオールなど都会の新聞に見られました。ドレスアップした若い女性がモデルなので、先端の淹れ方だったのかなとも推測できます。

次回は、価格についても新聞記事や広告から追っていきたいと思います。

また、『ALL ABOUT TEA』は1935年の刊行ですから、1930年前後のティーバッグ事情に詳しいので、それについても次の稿でお書きします。

(実は、「tea bag」や「tea bag maker」の広告や記事は1900年以前にもあるのですが、もしかするとこれは単に「茶袋」パッケージの可能性もあるので、確実に私がティーバッグと確認できた記事からご紹介しています。→今後の更なる調査必要です。)

(つづく)

吉野亜湖
静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員

講演会などではすでにお話していますが、『ALL ABOUT TEA』に掲載されている「初の茶の真空パック 1900年」は、**日本茶!**だったのです。(下図)

W.H.Ukers"ALL ABOUT TEA" 1935,Ⅱ279.

日本では「ヒルスコーヒー」(サンフランシスコ本社)で知られる「ヒルスブラザーズ」の「O-YAMA(大山)」というJAPAN TEAの真空パックの写真です。

これを見た時は、大変うれしくなりました。

米国内務省局の報告書に、「ヒルスブラザーズ(1878創設)が最初に真空パックのコーヒーを市場に出した」とあります。

Hills Bros., established in San Francisco, California in 1878, produced the first vacuum-packed coffee available on the market.(1)

お茶については書いてありませんが、「大山」ブランドは、「**ヒルスブラザーズ**」の最高級茶のようですから、真空パックされるのは納得できます。

さらに、スミソニアンの**アメリカ国立歴史博物館の調査に行ったときに、この白黒写真ではわからなかったパッケージの色まで分かったのです!!**

(これは、講演会にいらしてくださった方は、ご覧くださいましたね~)

そして、もっと驚いたのが、**ヒルスブラザーズの日本での買い付けという写真には、静岡の富士製茶会社のメンバーと不月楼(静岡市)**で写真を撮っているのです!

これは、初の真空パックティーの中身は、静岡産?ということまで推測できる写真です。

決定的だったのは!

アメリカで公開されていた「**ヒルスブラザースの日本オフィス」と題された写真(ポストカード)と同じ場所で違う角度から撮られた写真が日本にもあった**のです。

その写真は、ありがたいことに、**静岡県森町の富士製茶会社社員のご子孫の方**が保存してくださっていたものです。

日本の写真で確認すると、この茶缶に書いてある茶銘が「大山」だったのです。

さらに、富士製茶会社の代表が写っているではありませんか!

ということから、**初の真空パックのお茶は日本茶**である(確定)、

しかも静岡の富士製茶会社からの茶である(推定)と言えると思います。

しかし、真空パックの茶に関する歴史はヒルスブラザーズの公式HPでは、1900年にコーヒーの真空パックを販売とあるだけで、茶には触れてくれていません。

そのため、ユーカースに誠に感謝します。

この写真がなければ、日本茶が初の真空パックに詰められていた!という歴史を終えなかったと思います。

(ポストカードは吉野亜湖のFBにリンク 2020年4月1日)

https://www.facebook.com/ako.yoshino.1/posts/pfbid02TwcmJ2RjLKcXyW4yj8C231fmmEooCpzFQeYXepsAALk3Scb4shTkKkXzXsKgT2mtl

(1)Steve Lanford and Robin Mills "HILLS BROS. Coffee Can Chronology FIELD GUIDE"
BLM - Alaska Open File Report 109,2006,
U.S. Department of the Interior,Bureau of Land Management,Fairbanks, Alaska

ーーーーー

吉野亜湖

静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員

『ALL ABOUT TEA」の著者W.H.ユーカースが、大正13年に来日。

ユーカースが驚いたのは・・・

日本ではほぼすべての駅で、温かい緑茶のR・T・D=「ボトルティーが買えることでした。

(そして私が驚いたのは)同様にインド・セイロン紅茶の浸出液も、茶色の土瓶にて販売されていたこと!値段は緑茶よりお高く、7.5セントと、倍以上です。(同書Ⅱp.431)

当時の緑茶用の汽車茶瓶は、ガラス製でした。

英語では「green bottle of tea」とユーカースは書いていますが、透明のものも多くみられますが緑色のものもありました。(個人蔵:北区飛鳥山博物館『ノスタルジア・駅弁掛け紙コレクション』64頁。)

そして、紅茶用は「little brown teapots of ready-brewed tea」と書いているので、茶色の土瓶であったのだと思われます。

・・・ということは?

茶色の汽車土瓶、見たことありますが、茶色は紅茶用だったのか?という疑問が出てきました。これについては要調査!

確かにサンドイッチには紅茶、合いますね。

Willium H. Ukers ”ALL ABOUT TEA”1935,Ⅱ432.

この時、ユーカースは、『ALL ABOUT TEA』の執筆のため、全世界の茶産地へ取材旅行に出ていましたが、日本のように浸出液がボトルで購入できるスタイルは他になかったようです。

英国も素敵なのですが、「ティーバスケット」のように「ティーポット」に「リーフ」(茶葉)が入っていたり、「カップ」に注いだ形で出てきたりと、茶液をボトルに入れて販売という形ではありません。

ティーバスケットには、ミルクや砂糖、ケーキ、パンなどが付いているので、コンパートメントを予約したお客様向けのようです。

30セントとありますが、日本と異なり、容器は返却するので、カフェ同様、お茶とお菓子代ですね。

W.H.Ukers"ALL ABOUT TEA" 1935,Ⅱ416.

W.H.Ukers”ALL ABOUT TEA” Ⅱ417.

そして、英国の列車では「ダイニング・カー」や「プラットフォーム」でお茶が飲めたり、という場所はあるのですが、ボトルで携帯するタイプではないのです。

W.H.Ukers"ALL ABOUT TEA" 1935,Ⅱ416.

W.H.Ukers"ALL ABOUT TEA" 1935,Ⅱ417.

吉野亜湖「『ALL ABOUT TEA』から見る近代日本茶広告小史」(『海を渡った日本茶の広告』静岡茶共同研究会編)

ーーーーーーーーーー

吉野亜湖

静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員