日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~ (original) (raw)

【 績麻神社跡 】

所在地: 松本市今井

創建年代など由来は定かではないが、祭神は天棚機姫命であり、農業・機織りを司る

神である。

古くは今井村等近隣五ヶ村の総社の格式を持ち、春の例大祭には主に機織り・裁縫、

安産の神様として近隣からの参拝者で賑わったという。

天明4年(1784)、大火の飛び火で焼失した記録が残されている。

昭和22年(1947)、兼平神社地に遷座しており、現在は御神木の欅、御手洗標

柱、記念碑のみが績麻神社がこの地に鎮座していたことを偲ばせるのみである。

読み方が難解であろうか。「つうそ」神社と呼ぶ。

現在鎮座している兼平神社は、源平合戦源義仲四天王の一人である今井兼平の館跡

とされている。そちらと併せて訪れてみては如何でしょうか(^^♪

(参考資料)

現地案内板

【 旧東叡山寛永寺五重塔

所在地: 台東区上野公園9-83 上野動物園

高さ約32m、三間五重塔婆、五重銅瓦葺、他本瓦葺。

寛永8年(1931)、東叡山寛永寺造営総奉行であった老中の土井大炊頭利勝が、

上野東照宮の一部として創建寄進しています。

寛永16年(1639)、火災によって焼失してしまったことから、幕府は日光東照

宮を大改修した大棟梁である甲良豊後守宗広らに命じて直ちに再建させています。

明治の神仏分離令によって、上野東照宮の所有であった五重塔は取り壊しの対象とな

ったのだが・・・当時の宮司は熟慮の上、明治政府に塔は寛永寺の所属であると申し出

たことで、取り壊しは免れました。

上野戦争で焼失することも、関東大震災で倒壊することも、東京大空襲で焼失するこ

ともなかった五重塔ですが、昭和33年(1958)、寛永寺は管理困難であるとして

東京都に寄付されました。

今も江戸時代から変わらぬ美しい姿でそびえ立つ「旧東叡山寛永寺五重塔(旧上野東

照宮五重塔)」。間近に見るには上野動物園に入園する必要があるのが難点💦

ですが・・・、上野東照宮参道からもその姿を見ることが出来ます(^^♪ 上野恩賜公

園散策の際に是非足をお運びいただければと思います(^^♪

(参考資料)

現地案内板

【 上原善平商店 】

所在地: 松本市大手4-5-5

知る人ぞ知る!!竹製かごの愛好家の聖地!!それが「上原善平商店」です。

創業は明治時代という老舗。店内には所狭しと竹製かご等の商品が陳列しています。

今回は長野県戸隠竹細工のかごを購入してきました(^^♪

釣りに使用する魚篭、ピクニックに最適なバスケット・行李など気になる商品が沢山

ありました。

松本市でお薦めのお食事処「田楽 木曽屋」さんも御近所なので、お食事がてらお店を覗いてみては如何でしょうか(^^♪

nihonshiseki.hatenablog.com

竹製かご愛好家の方、松本城下町散策される方々。是非「上原善平商店」でお待ちし

ておりまするぅm(__)m

【 今井陣屋跡 】 評価 ★

別 名:

所 在 地: 松本市今井字中村

築城年代: 元禄4年(1691)

築 城 者: 江戸幕府

区 分: 陣 屋

現 状: 宅地・畑地

元禄4年(1691)、今井村を含む13ヶ村6327石は幕府直轄領となり、江戸

幕府は飯島陣屋の出張陣屋として今井陣屋を構えている。

正徳3年(1713)、松本藩水野家の分家である水野壱岐守忠定が笹部1万石で笹

部藩を立藩すると、その領分となったことから陣屋は廃されている。

陣屋標柱は建つものの、遺構は皆無である。写真の道が陣屋道と呼ばれ、その名残で

あろうか。わずか20年余の陣屋であり、詳細な歴史は不詳である。

ほど近くに「中原氏館跡」もあるので、併せて訪れるのが良いでしょう(^^♪

(参考資料)

信濃の山城と館 4 松本・塩尻・筑摩編 宮坂武男 戎光祥出版

徳川幕府領の形成と展開 和泉清司 同成社

【 萬歳塚 】

所在地: 松本市今井字北耕地3589-3

大正4年(1915)、在郷軍人会今井支部によって建立された。

この地は当時今井村から松本に向かう道路の村はずれであり、戦中に入営・出征する

兵士は、必ず親族・婦人会・小学生ら村中の人々に送られ、「萬歳塚」の上に立ち、出

征の決意と別れの挨拶を述べ、一同で武運長久を願い、今井村村長の音頭で萬歳を唱え

たという。

また、無事に戦地から帰還した兵士も奉公袋を片手に、出迎えた人々に挨拶をした

り・・・非業の死を遂げた戦死者の遺骨もこの地で出迎えられています。

こうした「萬歳塚」は各地にあったと伝えられているものの、多くはその所在地すら

わからない状況になっており、今井北耕地に残る「萬歳塚」は戦争遺跡として非常に貴

重であると思います。

こうした戦争の記憶を後世に残すことで、戦争の悲惨さなどを知り、平和を願い続け

なければならないのだと「萬歳塚」は伝えているのだと感じます。

(参考資料)

現地案内板

宣言通りに、本日は信州・松本に久々(いつぶりかは定かではない💦)に出陣🐎

午前6時半過ぎに出陣🐎して、最初に目的地としたのは・・・長野自動車道・梓川

A(上り)。このSAには美味しいパン屋さん(神戸屋さん)があるので、立ち寄った

次第。

さて、ここから少々の史跡踏査!! いずれも松本市新村地区です。

🔵 安塚の道祖神 双体道祖神っす。

🔵 開田の碑 詳細は調査します💦

🔵 薬師堂 新村の人々が集うお堂であったらしい

🔵 安塚古墳第6号古墳

昭和53年(1978)、圃場整備の際に発見されています

このあと、目的地の一つである道の駅「今井恵の里」に到着!!両親は買い物をして

いる中で、近くを踏査しました(^^♪ いずれも松本市今井地区。

🔵 今井陣屋跡 元禄4年(1691)、天領支配のため設置された陣屋。

標柱があるだけ💦

🔵 中原氏館跡 中原兼遠の館と伝わる。かつて訪れたときには明確な堀跡が

確認できたのだが💦

🔵 績素神社跡 現在は兼平神社に遷座した神社の跡地

でっ、昼食を食べるべく、松本市内の「木曽屋」さんに向かう途中で発見したのが。

🔵 萬歳塚 松本市に残る戦争遺跡のひとつ

そして、無事に「木曽屋」さんで昼食を取り、銘酒「善哉」を手に入れ、松本家具さ

んなどを訪れ・・・本日の踏査は終えたのでした(^^♪

(再訪ながら)城館跡 2 古墳 1 史跡 4 神社仏閣 1を攻略。まぁ、こんなもんで

しょ。めでたしめでたしm(__)m

先月は何処にも行ってないよねぇ💦という話から、急遽明日、信州松本に出陣🐎す

ることに相成りました。

松本の「木曽屋」さんで、馬刺し・鯉の洗いなどを食べたいって理由!!

nihonshiseki.hatenablog.com

急なことなので、さて何処を巡ろうなんて思いを巡らせてはいるものの、どれもピン

と来ない💦💦

道の駅「アルプス 安曇野 堀金の里」であれば、道すがら「竹風堂」さんの栗おこわ

が購入できる。がっ、他にこれといって攻略しようかなぁ!!という場所も思いつかな

い💦

未踏査の道の駅「今井 恵みの里」であれば、近くには攻略済ではあるが「今井陣屋

址」や「中原氏館址」に寄れるかな。道すがら「安塚古墳」ってのも攻略できるかもし

れない。がっ、木曽屋に行くにはかなりの距離💦💦

当日は「南栗遺跡」で発掘調査現地説明会も実施されているから、これも気になる💦

Googleマップ見ながら、どのルートがもっとも効率的か?なんて思っているか

ら「我が意を得たり」って感じにならないんですけどね。

来週末には京都・奈良現地踏査も控えているから、今回は(も?)出たとこ勝負にな

る公算が高いっす(>_<)