0630 起床 気分快 曇 僕の分霊箱を開けてみる話⑦ 「マーラー 交響曲第2番 復活」 クレンペラーとワルターのお弟子さんライヴァル対決。弾数ではクレンペラーの勝ち? (original) (raw)

血圧値 125/82/73 酸素飽和度 98% 体温 36.2℃ 体重 69.3キロ

マーラーの「交響曲第2番ハ短調『復活』」。

「マラ1・『巨人』」は最初は交響詩として作曲されたもので、擬人化された「主人公」の一生の遍歴、みたいに読み取ることができる作品でした。

原作の小説みたいな本もあるし。(読んでないけど)

ジャン=パウルの『巨人』。

マーラーはこれを踏まえているんだけど、当時の日本でこんなの読んだことある人は僕を含めてほとんどいない。(今も居ない?)

マーラー自身、最後はこの設定と各章のタイトルは外してしまいましたが。それでもしばらくは標題音楽風の作風が続きます。(4番の交響曲まで。「角笛交響曲」と呼ばれます。『少年の魔法の角笛』という歌曲集と関連が深いので)

この「主人公」の葬送行進曲から始まる、長大な「第2番」。

いかにも中二病を絵に描いたような設定。

このころ(ていうのは僕が中坊だった1970年ころ)、この曲のLP盤を普通にレコード屋さんで買おうとすると、選択肢はワルターバーンスタインハイティンククーベリックくらいしかなかったのです。

ワルター以外の3人はなんと交響曲全集があった!

これはこれで凄い。

ちょうど日本でも、マーラーがようやく普及してくる時期だったのですね。

なのに僕の選択は、なんとこれ。

マーラー 交響曲 第2番 ハ短調『復活』

オットー=クレンペラー 指揮
ウィーン交響楽団
ウィーン・アカデミー合唱団
ウィーン楽友協会合唱団

イローナ・シュタイングルーバー (S)
ヒルデガルド・レスル・マイダン (MS)

(1951年3月 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音VOX)

クレンペラー、というのはありとして、VOX版のウィーン交響楽団、モノラル。

2枚組のLP盤でしたが、第4面は溝が刻まれていない白紙でした。不思議。

なんでこれ買ったのかな。

結果的には正解だったと思うけど。

第1楽章、録音は悪いけど、壮絶な疾走する死への音楽。

鬼気迫るものがあります。

クレンペラーは、同じマーラーの直弟子筋のワルターについて、自分の解釈のほうが上だと思っていたみたいです。

煩雑な演出や主観的な感情表現を拒否した冷徹で厳しい解釈が特徴、とか言われます。

遺されたマーラー録音は曲目が偏っていて、交響曲は第2番『復活』、第4番、第7番、第9番、大地の歌、あと歌曲集くらいかな。

とくに2番はたくさん録音が遺っている。

1951年とその前年はちょうどクレンペラーマーラーの第2番を指揮する機会が何度もあり、有名なのはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したもの。

VOX社の録音の直後くらいに同じくウィーン交響楽団を指揮したライヴ音源もあります。さらに野外コンサートの写真が残っているシドニーでの演奏も。

僕はどれも未聴です。

どんだけ振ったんだろう。

『復活』はクレンペラーマーラーを巡り合わせた曲で、舞台裏にて演奏するバンダの指揮をクレンペラーが初演時に務めていたり、ピアノ編曲版をクレンペラーが編曲しマーラーに見せ大変喜ばれたという記録も残っています。

例によって、今、これは音源を持ってないから、ここではもう1枚、ブルーノ・ワルター盤を分霊箱認定しておきます。

まあ、これについては文句のつけようはないでしょう。

ニューヨーク・フィルウェストミンスター合唱団
エミリア・クンダリ、モーリン・フォレスター
1957年2月18日、および1958年2月17~18日録音。

ワルターのステレオ録音の最初のレコードであり、記念碑的な名演と言えるもの。
録音日の1年のブランクは、その間に、ワルターが心臓発作にかかり引退を表明した、という出来事があったからです。

その後復調!

同じ内容で、この録音の前日、1957年2月17日、カーネギーホールのライヴ盤(モノラル)もあるのですが、これも未聴。

家中探してみても、僕は今、これ以外の『復活』のCDを持ってないなあ。

ちょっと意外。

「2番」と「8番」は、あんまり聴いてこなかったのかな。

ああ、バーンスタインの旧盤を全集で持ってましたが、人にあげちゃったんだ。

マーラーにしては普通すぎるから?

(あんまりマーラーらしくない?)

初演で大成功した、なんてのもマーラーじゃないから、そもそも。

もっと変なやつじゃないと。

(「7番」とか!)

また脱線しました。

マーラーについては、このあとも折に触れて語っていくことになるでしょう。

ではまた。