悪は存在しなかった (original) (raw)

美的人間の条件に対する侵犯と反芻的旋回

おい、社会。18のミスで全面的に負けになるの勘弁してくれ。定型の論理で語るな。情けないことを言うと体感年齢やっと16だ。というか振る舞い方がそれくらいになってきた。

ときに同級生の18くらいでの振る舞い・選択を見渡してみる。まず確実に一点あいつらは大人だった。ガキじゃねぇ。衝動の赴くままにシャドーボクシング(たまに人に当てていた)のと比べて、あいつらは舞踏のように力の戯れを統御していた。エリクソンの発達段階から導くに、当時18歳であるのに関わらず、児童期で有能感・万能感を得ることに必死だったのだろう。当時周りにいた人間ごめん、申し訳ねぇ。自分の発達で言い訳すると当時は10歳程度の倫理観で生きていた。

さらに、発達について開陳して証明するなら、少年少女のようなsexしかできないことが精神年齢が16歳ぐらいであると思う根拠だ。悲しいことに性的未熟さが拭えない。性的経験の少なさもあるのだろうが、ここではより形式的・外形的ではなく、実質的・内面的なことを言っている。

地上100mからドローンで見下ろす大学

大学というのは性的に成熟している人間用の場所だと思う。(社会は性的に爛熟している人間用の場所だと思っている。)人間間に性的な関係が生じることが当然の論理として働いており、あまつさえそれをすすんで起こそうとしている。特に私の大学の学生同志の場合は知的好奇心や劣等感、競争心をあまり露わにせず、しかし、要領がよい。一部の内部生を中心とする発達の早いであろう人間やその人らに無意識についていく人間が大半だ。ゴダゴダ述べたけれど、結局言いたいことは俺に大学は早かったということと18歳で一斉にぶちこむことは無理があるだろうということ、そして、失敗した人間にせめて救済の機会を求めるということだ。自分で書いていてこんなに情けないことがあるだろうか(いやない)。しかし、ただでは死なんよ、秋学期皆勤賞継続中。

余談として、未熟さの補填にバタイユフーコーなどを摂取してみたが(この必死さがわかるだろうか)、どうにも進展するわけではなさそうだ。(バタイユだけ読んでいたら狂躁[オルギア]とサド的な血に躍起になっていただろうから、フーコーの知への意志を読んでよかった。)

20数冊あるわずかな知識欲と劣等感により積読された本を頭の片隅に置きながら、このように情けない言い訳をmacでパチパチ______。(線香花火はまだ落ちていない)

チルト3度と3*2の核心価値観

まず人間というのが性的な機械であることを最近認め始めた。これは村田沙耶香を読んでも強い反発を持たなかったことが示している。さらにマチズモに屈しつつもある。マチズモに飲み込まれないために新たなる価値観が必要だ。

私は感動・衝動・運動を第二の核心価値観として提示したい。ちなみに第一の核心価値観は感謝・尊敬・健康であった。第一の価値観が他者との繋がりへの態度なのに対して、第二の価値観は動を中心とする自分の制御に関する価値観だ。(本当に余談だが、第一価値観により私は一度恋人ができ、友人も0ではなく、そして、痩せたのだった。入信を心よりお待ちしている。)

感動は衝動の材料であり、衝動を継続させるのが運動であると思う。

またこの価値観の実践結果について、報告したい。

今回のおすすめの曲のコーナー

Sajanka & Shanti People - Radhe Shyam

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