高齢リターンライダーと農山漁村 (original) (raw)

今シーズンのツーリングも簡単に終わってしまった(気がする、歳のせいか。)。

シーズンの終わりは毎度、石狩の広域農道界隈。豆、てん菜収穫も終わり、ひっそり麦の緑の絨毯だけが広がる。

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北海道は乾燥地帯の小麦の栽培に適しているわけではない。病害とともに収穫時期の穂発芽という品質低下にも悩まされてきた。また、パン、中華麺に向く小麦品種も限られていた。

しかし、品種改良の努力により、病害の抵抗性がある品種がつくられ、穂発芽が起こりにくく、パン・麺適性の高い品種も栽培されるようになった。それでも、その時々で特定の病害の拡大や薬剤抵抗性の出現、需要者側の要請、政策の変更などで品種改良の目標が変化し続けている。

ヒトの世界では、デザイナーベイビーやらガンダムのコーディネーターの是非の議論がある。短絡的に比較はできないが、目的をかなえる遺伝子を揃えることの意義もある。他方、品種、種の遺伝子をばらけることの意義を見出す農学の知見は、ヒトのこれからの参考になるのかもしれない。

農業・農村を見てきて、種のロットでも、品種でも、経営でも、地域社会でも多様性の大切さを感じる。

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ここは来シーズン何が栽培されるのかな。輪作も多様性を時間軸に織り込んでメリットを享受するもののように思います。

天候に恵まれ、美味しいものがたくさん穫れることを祈念します。また、ツーリングで見にきます。

寒くなってきた。ふつうのコロナウイルスによるものと思われる、咳が出る。職場のビルの一階にある薬局でのど飴をもらう。

飴は、主にでん粉の糖化を利用して作られる。ジアスターゼでの糖化は理科の実験や出前授業のイベントでの簡単な調理等で重宝される。

飴の仲間には、水飴、ワタ飴、塩飴等々形状や原料の違いに加え、地域ごとにバラエティ。

写真は八雲町発祥のバター飴の製造機。バター飴は北海道の代表的な銘菓。写真のものは八雲町の榊原製飴所で実際に使われていたもの。

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近年、チョコレートにオサレ気味であるが、がんばれ、飴たち。冬には道民の喉を守ってくれ。

八雲町と言えば、ペコちゃん伝説も。ミルキーもがんばれ。

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写真の左にペコちゃん。

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いよいよ今週は降雪の予報。去る土曜日、石狩浜を河口の灯台まで北上。石狩浜のハマナスを見る。実をつけている。官民連携でハマナスの浜の再生プロジェクトに取り組まれている。

地球温暖化、凶暴化が言われるようになって結構時が経った気もするが、少し昔には温暖な気候で縄文海進があり、石狩は海の下であったり、その後の寒冷化で海が砂丘になったりしている。

また、チョット最近には、石狩湾の掘り込みと埋め立てで港ができ、潮の流れと沿岸の土砂の動きが変化。環境の変化は植物には、いい迷惑なのか、陣地争奪のチャンスなのか。

いずれにしても、石狩川の河口近くから港の埠頭近くまで、3キロメートルほどの海岸環境が保全されており、海岸の植生の間を車一台走れる程度の道がある。適度なウネウネでスピードは出せないが、緩く走るにはほどよい道。

土地利用に関しては、都市計画法が規制法として認知度が高いが、農業振興地域の整備に関する法律、森林法、自然公園法などの規制があり、結果として、写真映えする景観が守られてきた。維持と変化はどんな時代にも、生きてるものに突きつけられる宿題であるが、ライダーの時には、維持の方に軍配。

下の写真は、縄文海進の頃の石狩平野でなく、古石狩湾。札幌市の郊外と当別や新篠津の水田地帯は当時、海の中であったよう。

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当時の環境では、オートバイよりカヌーの方が良さそうー

きっかけは、エスカロップ根室ソウルフードで、単身赴任中、根室エスカロップを提供する店を全て行こう、と試みた。

りあん、薔薇、イーストハーバーホテルと訪ね、四軒目でニューモンブランに。メニューからエスカロップを選ぶ。その時、メニューで目についた「オムライス」が気になる。再び、ニューモンブランを訪ねエスカロップではなく「オムライス」を食べる。おいしい。エスカロップめぐりは永久棚上げとなり、以降の外食はニューモンブランとなる。

そんなことも思い出しつつ、ツーリングで街に泊まる晩、素泊まりの時、洋食屋さんに行くことがある。美味しい洋食とビールを楽しむことはもちろん、訪れるお客が気になる。

家族、ご夫婦、カップル、学生、帰郷しての訪問者・・・中には、年輩の方とお孫さん?洋食屋さんは、いろんな方々の美味しい時間、楽しい時間、しんみりする時間を提供しているよう。

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写真は八雲町熊石のお寿司屋さん。日本海噴火湾に跨る地域の海の幸がふんだんに使われている。洋食とともに美味しい産地の食材を日本の料理で楽しみたい。

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二海郡がある。「郡」というもの自体は、律令制度の時代からあるようだが、二海郡は平成17年にできた。日本海沿いの熊石町と太平洋沿いの八雲町との合併で郡も新設された。

観光も海の幸もいいとこどり。しかし、地理的には渡島半島の背骨の山々を越える必要がある。雲石峠を越える。険しい山を挟んでいて、他の地域に例えると、日高山脈の天馬街道を挟んでの浦河町広尾町が合併したようなもの。

この八雲町と熊石町との合併は何故に、とも思うが、中間地点にある鉱山が双方から繋がっていたよう。それも互いの地域の紐帯の一つであっただろうか。

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写真は昔の鉱山の鉛の延べ棒であるとか。鉛は熊石のイカ漁の針にもなっていたとか。地域の一次産業と二次産業の意外な繋がりにチョット驚き。一次産業の盛んな北海道は、一方でどこも地下資源おおし。今は掘ってないけど。

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根室の時の同僚の導きで八雲町にある温泉に行った。写真は八雲温泉おぼこ荘の湯煙。かってはマンガンや鉛を産出する鉱山で働く人の浴場であったそう。温泉好きの人なら秘湯に分類するものか。

雷電海岸を下り、黒松内長万部を横切り、宿に到着。さっそく露天風呂へ。宿はそれほど部屋数のない、露天風呂も独り占めできそうなところ。そこで偶然、若い頃からの同僚で飲み友達でもあり、退職直前の最後は上司でもあった友と会う。

少しの昔話と最近の農業情勢を語る。そして話題は退職して1年と少しで亡くなった同僚であり、彼の後輩であり、互いの飲み友達の話題となる。早い死をお悔やみする。太く、モーレツに働き尽くした人生だった。露天風呂で頭に載せたタオルで眼からのあせをとる。

露天風呂での偶然は追悼のための必然に思えた。あの世でたらふく呑んでいて欲しい。f:id:oyadino1982:20241028073612j:image

写真は八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館にて。彼が大好きだったのはビールであるが、とりあえず手持ちの写真で供養。八雲の木彫り熊が抱くだるま。

多くの農作物は、直接に食べたり、粉にしてから食べている。しかし、工業的に加工されてからマーケットに出ていくものもある。

代表的なものがカイコと桑。蚕糸となって初めて市場価値が生まれる。NHKで「坂の上の雲」が再放送されているが、明治の日本が軍艦を買うための外貨獲得には工芸作物が大きく貢献している。

経済立地に劣る北海道は、生産物を減容し物流コストを圧縮する必要があった。このため、原料産地に立地した工業として、亜麻・大麻、サトウダイコン、練乳・粉乳などがあった。

それとハッカ、ラベンダーの香料。ラベンダーは時を経て、香料から景観形成の原料となっている。写真は道路わきのラベンダー、寒くなってきたが花をつけて頑張っている。

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雪が降るまで、もう、オートバイに乗れるのもわずかの期間です。