【書評】「逃げ上手の若君」を見る、そして「太平記」を読む (original) (raw)

10月に入り、漸く秋らしい気候になってきた。季節を感じさせるものは、何も気温や年間行事だけではない。夏アニメの終わりもまた、世の移り変わりを示す鏡である。

今年の夏、私が最も楽しみにしていたアニメは「逃げ上手の若君」だった。原作は松井優征さんという方で、「魔人探偵脳噛ネウロ」や「暗殺教室」などヒット漫画を次々世に出している超売れっ子である。製作はCloverWorksさん。こちらも瑞々しい演出で名作を世に多く生み出している。

さて、肝心の「逃げ上手の若君」であるが、こちらの主人公は北条時行足利尊氏によって滅亡に追い込まれた、鎌倉幕府の生き残りである。逃げ上手というタイトルは、この時行が尊氏の手先から逃れつつ、反旗を翻して英雄になると予言されたところからつけられている。

これがもう本当に面白いのだ。そう言えば、最近は大河ドラマの「鎌倉殿の13人」を見たばかりだし、テレビアニメ版の「平家物語」を視聴したり、ゲーム「Ghost of tsusima」なんかをプレイしたりと、どうやら無意識のうちに歴史への食指が動いていたらしい。

特に「鎌倉殿」に関しては、あれだけ苦労して作り上げた鎌倉が「逃げ若」の冒頭で驚くほどあっけなく滅んでしまったので、ショックで堪らなかった。そんな訳で、私は食い入るようにして毎週テレビの前で張り付いていた。

前置きが長くなったが、当然「逃げ若」について興味が湧けば湧くほど、史実における足利尊氏北条時行という人物にも関心が募ってくる。この二人が登場する書物と言えば、言わずと知れた「太平記」である。

ところが「太平記」は、膨大な量の軍記物語で原文のまま読むのは骨である。そんな折、書店で角川ソフィア文庫さんから出ているビギナーズ・クラシックスの「太平記」を見付けた。現代語訳され、ダイジェストでまとめられ、至れり尽くせりの一冊である。

普段は古典をあまり得意としていない私だが、そういう経緯もあって、今回は「太平記」を取り上げたい。

画像は公式のXより

平家物語』と並ぶ軍記物語の傑作。後醍醐天皇の即位から、倒幕計画、鎌倉幕府の滅亡、天皇親政による建武中興と崩壊、足利幕府の成立と朝廷の南北分裂、足利家の内紛を経て、細川頼之管領就任までの、約50年間にわたる史上かつてない動乱の時代を描く。

強烈な個性の後醍醐天皇をはじめ、大義名分のもとに翻弄される新田、足利、楠木など、多くの人たちの壮絶な人間群像と南北朝という時代をダイジェストで紹介。

冒頭、政治における君臣の守るべき道のりを示すことで、この太平記は書き進められる。そもそもは、源頼朝が鎌倉に武家政権を築き、それを北条氏が引き継いで栄華を極めたのが全ての始まりだった。

そこから八代当主までは平穏な時期が続いたが、九代目の北条高時の時代になると次第に悪政が目立つようになってきた。それを打倒しようと後醍醐天皇が腹案するも失敗し、隠岐へと追い遣られてしまう。そうして幕府と天皇方で対立がはっきりしていく中で、護良親王楠木正成らが抵抗運動を起こし、やがてそれを鎮圧しようと幕府側が足利尊氏を派遣。その尊氏が反旗を翻すことで、北条氏は滅亡することとなった。驕れる者も久しからず、という奴である。

しかし、そうして満を持して始まった後醍醐天皇による建武の新政も、北条氏を倒した御家人が期待する武家政治とは隔たりがあったようである。そんな中、北条氏の残党である北条時行が鎌倉に攻め入り制圧(我らが逃げ上手の若君である!)。その追討を命じられた足利尊氏が北条氏を撃滅すると(時行の登場は一瞬だった)、それを折に武家政治を復活させようと、またもや反旗を翻す。ただし今度の敵は朝廷である。

やがて尊氏は京都で光明天皇を擁立し、後醍醐天皇は吉野に逃れて皇位の正統を主張したので、日本は南北朝時代へと突入することとなる。

……とまあ、「太平記」と「山川日本史」を紐解いて書き進めてみたけれど、この時代は本当に「太平」とは真逆の世界である。実際、南北朝時代が終わって時代の騒乱が静まるのは、太平記末尾に記された細川頼之が武蔵守に任じられた、更にその20年後であるという。

何でも、「太平記」という名は「太平への願いを込めて」という意味合いらしく、その実情は真逆である。裏切りや讒言が飛び交い、昨日の仲間は今日の敵である。例えば、足利尊氏の転向を追うと、実に節操がない。それは以下のような具合に進む。

鎌倉幕府後醍醐天皇→足利幕府・北朝南朝に一時降伏→足利幕府・北朝

その身代わりの速さが、ダイジェスト版という尺の少なさも相まって、少々混乱の種かもしれない。こうして後から振り返ってみると、尊氏はよくもまあ生き残ったものだと思う。解説にも載っているが、ここには運というものの要素が避け難く横たわっている。乱世を生き残る武士のリアリティが垣間見える。

しかしそんなリアリティとは対極的に、本書で最も特徴的なのは、かつての宿敵が亡霊となって蘇ってくることである。後醍醐天皇楠木正成などが、まるで敗者復活戦の如く悪鬼羅刹となって襲い掛かるのである。その当然のような超常現象は、歴史的文献としての価値にどのように作用するかはともかくとして、太平記の古典文学的な意義に花を添えることだろう。特にそうした側面は、怨霊の跋扈により混乱した南朝方を描写する終盤で顕著である。

だが私にとって印象的だったのは、軍記ものらしい謀略シーンでも怨霊の登場でもない。39巻の光厳法皇後村上天皇と語らう場面である。互いに皇統を違えて南北それぞれで争った仲であるが、そのエピソードでは穏やかな一時が流れる。

二人して語り合った後、最後に光厳法皇は勧められた馬を断り、草鞋履きで皇居を後にした。その後姿は、戦乱とも悪霊とも異なる、「太平記」の書かれた時代の痛みを象徴しているようにも思える。「太平」という願いは、そんな痛みの積み重ねから希求されたものであるのかもしれない。