進捗月報 2024/9月 (original) (raw)

応募していた某新人賞の一次選考結果発表があり、通過していました。

応募総数約650作のうち100作(約15%)に残ったことになります。前作も別の賞で一次選考通過していましたが、そのときは800作/2000作(40%)で、二次選考の200/2000作には残れませんでした。通過率で言えば現時点でだいたい3倍くらいの成果が得られたことになります。

一般に、新人賞というのは応募数が増えたからといって良い作品がたくさん集まるかというとそうでもないらしいです(もちろん10倍とかになれば違うだろうけど)。なので通過率よりも上位何作に入れたかという方が重要だと考えると、100作以内に残れたというのは8倍の成果とも言えます。

一次選考に通過できるかどうかは運の要素が大きいと言う人もいれば、運は関係なく実力だという意見もあります。一次選考というのは全応募作がいくつか分割されて段ボールに入れられて(一箱あたり数十〜百作)、各箱から◯本ずつ残せという指示が与えられると聞きます。なので、その段ボールの中身がレベルの低い作品ばかりならば、自分の作品が大したことなくても残れるというのが「運の要素が大きい」派の見方です。また、数十本を短期間で精読できるわけがないから審査が適当になっているという意見もあります。一方「運は関係ない」派としては、相対評価ではなく絶対評価として小説としての基準を満たしているかどうか判断され、一次で落ちるということはその基準すら満たせていないのだと言います。

賞によってそれぞれだったりするのでどちらの意見が正しいと一概には言えないかもしれないですが、今回ぼくが応募した賞の一次選考では外注の下読み(主にフリーライターや新人作家が担当)ではなく、編集者が選考するシステムになっています。枠数の決まった相対評価ではなく絶対評価なんじゃないかと思っているのですが、それはただの願望にすぎません。何にせよ今後の選考結果で自分の実力がはっきりします。

一次選考発表前は「自分は一次すら通れないんじゃないか」とネガティブになっていたのに、通過が発表された途端に「もしかしたら最終選考までイケるんじゃないか」と気が大きくなっている自分がいます。実にあさましい。そんなふうに舞い上がっている暇があれば新作を書くべきだとはわかっているのだけど・・・。とにかく初めて文芸誌に自分の名前が載ったのがとても嬉しいです。

■アウトプット

相変わらず小説のほうは進んでいない。選考中の結果が出るまではたぶん手につかないと思い、開き直っている。

■インプット

<<本>>

ガルシア・マルケス百年の孤独

約15年ぶりに読んだ。辺境の地マコンドを開拓した一団の長であるホセ・アルカディオ・ブエンディアを始祖とするブエンディア一族の百年を綴る巨編。初読時はこんなに面白い小説が存在していいのかと衝撃を受けたが、文庫化に際し再読してもやっぱり面白かった。本作でも屈指の名シーンであるレメディオスの昇天の場面では夢中で読み耽っていたためバスを乗り過ごしてしまった。いわゆる海外文学を読んでそこまで没頭することはほぼないのだけれど、それだけ本作は特別である。

改めて本作で描かれている孤独とはなんだろうと考えてみた。一族の祖であるホセ・アルカディオ・ブエンディアと妻ウルスラはもともと血縁関係にあり、そのためウルスラは子に遺伝子異常が生じることを非常に恐れている。ウルスラは子孫たちに近親相姦を忌避するよう説くのだが、一族は呪いのように近親関係者に惹かれる性質を持つ。そのため一族は真に愛する者とは添い遂げられない宿命にあり、いずれの子どもたちもマコンドの外部から来た者と結婚するか、独り者として生涯を終える。

しかし、だからといってそれが孤独なのだろうか? 一族が抱えるのは強烈な渇望である。その対象は愛であることもあれば、革命であったり、富だったりする。いくらそれらを手に入れても彼らは満足することなく求め続ける。決して満たされることのない欲望、それもまた孤独が発露した結果であろう。

この物語では同じ名をもつ子孫が繰り返し登場し、それがとっつきにくさをもたらしているのだが、これは意図的な反復である。物語の中でも類似したシーンが登場し、歴史は繰り返されることが言及される。一族は反復するが、対照的に舞台であるマコンドは時代と共に著しく発展を遂げて変化しやがて資本主義に飲まれ崩壊する。最後にはそれらの運命がすべて予言されていたことが明かされる。

物語の構造敵に三島由紀夫の「豊饒の海」と結びつけたり、あるいは同一性とその破れから東浩紀の「訂正可能性の哲学」と紐づけることもできる気がする。そんなことをつらつらと考えていきたい。

友田とん「「百年の孤独」を代わりに読む」

百年の孤独の文庫化と同時に本作がハヤカワ文庫から出たのだが、かつて文学フリマで同人誌版を購入していたのを積読していたので本棚から引っ張り出してきた。百年の孤独を読めない人のために代わりに読み、読みながら抱いた感想や類似作品をとにかく雑多に挙げることで「代わりに読む」という前代未聞の試みをしている。類似作品といっても昔のホームドラマやトレンディ・ドラマが多く、牽強付会に近いのだけれどその強引さが本作の魅力のひとつだ。次第に著者自身が「代わりに読むとはどういう行為なのか」ということにぐるぐる悩み始めるのは文学的な問いのようでもあり、極端に誇大化した冗談でもある。

中山七里「中山七転八倒

人気ミステリ作家である中山七里の日記。ちなみに中山七里氏の小説は読んだことはないのだけれど(おそらくノットフォーミーなので)、中山氏に関する異常さは知っていたので今作を手にとって見た。想像していたよりももっとヤバかった。

中山七里氏のヤバさを知るには以下の動画が手っ取り早い。

youtu.be

動画では3時間だけ睡眠して食事を取らずに執筆する姿が映されているが、この日記には数日一睡もせずに原稿を書き続ける様子が日常的に頻発する。月に10本の連載を抱え、寝ずに執筆するために歯の治療後に痛み止めを服用せず「痛みのおかげで眠らずに済む」と言い放っている。

執筆時間についても異常だが、その創作方法も異常だ。3日でプロットを考え、脳内で最初から終わりまで文章を作り上げた後に、それをそのままアウトプットする形で執筆するという。脳内で推敲を終えるため、書き上げたあとに修正することはないと言う。ゲラ修正も5分で終わらせるらしい。そんなこと人間に可能なのだろうかと恐怖すら覚える。しかし、作家というのはここまでしなければ生き残れないのだと(まじで?)、自分を戒めるためにも定期的に読み返したいと思う一冊だった。