観えたこと想うこと草子 (original) (raw)

午後4時ちょうどに天川村洞川温泉の宿にチェックインし、部屋でお茶やお菓子をいただいて一息ついてから、夫が失礼を働いたお宮に向いました。

周囲の山々は紅葉はそれほど進んでいなかったのですが、秋の夕日が当たる大峰山の山頂付近は紅葉しており、ほおっとため息をつくような美しさでした。

それは一瞬で、お宮の前に着く頃は辺りはさらに暗くなっていました。

娘が歩きながら不思議なことを話し始めました。

「私、ここに過去生で昔住んどったような気がする。じゃけん、来たいとおもったんじゃろうね。」

え?!そうなん?

「この場所の雪景色が凄くきれいで、大好きじゃった。」

なんと!

娘の過去生がここにあったとは。

そう言えば、雪が降ると小さい頃から大喜びしていたことを思い出しました。

(私は寒さが大の苦手)

他にも不思議なことを話し始めました。

自分はこの温泉街の旅館で働いていていた

陶磁器のお店がどこか道に入った奥の場所にあったはずで、そこへよく行った

「行者の道」の標識から向こうは、あそこから入れなかった

(山に向う道の途中に標識があります)

へええ~~~

目を丸くしながら聞き入っていると、お宮に到着。

道のすぐそばの、見上げるような階段の先にある拝殿や、どっしりとした風格ある佇まいの建物です。

よくぞこの場所で、物見遊山とばかりにパシャパシャお気楽に写真が撮れたこと。

逆に夫に感心してしまいました。

私なら、びびって頭を下げて通り過ぎることしかできません。

とにかく手を合わせねば!

灯が灯っている拝殿めがけて階段を駆け上がった瞬間

ん?

この階段を踏みしめる足の感覚、なんじゃろか・・・

どこか懐かしい。

振り返ると

娘は下で見あげるばかりで来ようとしません。

まあいい、とにかくお詫びを申し上げよう!

夫の行いのお詫びと、この度の参拝させていただく感謝を心の中で申し上げた途端、胸がいっぱいになる感覚が湧いてきて

ポロポロポロポロ・・・

目に涙が溢れてきてびっくり!!

そして

胸の辺りが

ホワン

と温かくなる感じがしました。

これは・・・

お許しいただけたのだろうか・・・

涙を拭って、もう一度深く頭を下げ、階段を降りて娘のそばに行きました。

なんで上がって来んの?

「だって、女の人は上がったらいけんかったんよ。じゃけ、私はいつもここでお母ちゃんとあの人を見よったんよ。」

は?どういうこと?

娘によると

お母ちゃんは過去生修験者の時に(紀州熊野で修験者の過去生があります)一時的にこちらで修行をしていた時期がある

その時に意気投合したこちらの地元の修験者とこのお宮で修行をしていた

娘(の過去生)はその地元の修験者に片思いしていた

と話し始めました。

「お母ちゃん(の過去生)とそのお友達がこのお宮の前で腕組みしながら楽しそうに話をしとる様子が見えるよ。」

ふう~ん・・・

先ほど階段を駆け上がるときの不思議な感覚は、その時のことを魂が思い出したのか

もしれません。

もう一度お宮を下から見上げると、今はコンクリートで覆われた近代的な外観の建物ですが、一瞬

木造の重厚な様子が目に浮かびました。

もしかして、昔はこんな感じで木の建物?

と身振りをまじえて説明すると

「そうそう!見えてるじゃん!」

思いがけない旅の成り行きに、今回の旅で娘が同行する意味が判明。

大好きな天川村で一生を過ごし、失恋はあったけど(片思いの修験者さんは娘に無関心だったそう)楽しい一生だったとのこと。

娘は

極度の人見知りでややコミュ障。

そのせいで、学校では辛い思いもいっぱいしてきました。

「自分にも楽しい人生があった」

という思いは、娘の励ましになったようです。

そして、私が思ったのは

自分の意志で選んだことでも、実は見えない力で導かれているのかもしれない

今回の旅のことも

ということでした。

翌日は

曇りの予報のところ、朝からよく晴れて爽やかな山の空気の中、午前中いっぱい天川村で過ごしました。

90年前に発見された五代松鍾乳洞(有料)という所を見学したり、帰りの道の駅でアイスクリームに地元の夏イチゴジャムをかけたものをいただいたり(気温が下がらないので美味しくいただけました)。

このアイスクリームは、私の人生で特筆すべき美味しさ!

と思いました。

途中吉野にも寄り、金峯山寺をお参り。

ご本尊公開中とのことで、迫力満点の蔵王大権現様を参拝することができました。

最後に、前回も参拝した石上神宮を目指しました。

時間は15時過ぎ。

レンタカーは17時までの返却なので余裕があります。

吉野から街中に入ると

不思議なくらい信号にかからず、16時前には到着。

前回ほど風は吹かないけれど

シャープで力強いご神気の中、ゆっくり参拝しました。

さて、帰ろう。

車に乗り込み大和八木駅を目指しました。

ところが

今度は信号にかかりまくり。

しかも、ガソリンスタンドで満タンにして返却しようとして、ナビに入れたガソリンスタンドは行ってみると存在していないことに。

ややパニックになりながら、別のガソリンスタンドをナビにいれ、ようやく満タンにしたときは16時40分少し前。

かなり焦りながらここからすぐのレンタカー屋さんをナビにいれたところ、なぜか同じ所をグルグルさせられます。

お願いです!

昔は大和国の人間でしたが、今は安芸国広島県西部)の住人。

私たちを安芸国へ帰してください!

と心の中で叫びながら、運転していくうちにレンタカー屋さんに到着。

時刻は16時50分。

震える手でキーを返却し、娘と

ハアア~~~!

と大きなため息をつきました。

こうして

不思議だらけの旅が終わりました。

大和国奈良県)への旅は

これからも続きそうな予感・・・

五代松鍾乳洞の中

ガイドさんの説明を聞きながら見学

専用のモノレールに乗ります

金峯山寺本堂蔵王道入り口

本堂

今回は夫が同行していないので上手に撮れません・・・

石上神宮を出たところで鳥の形の雲を発見!

9月に夫と奈良県への旅行で大峰山のふもとの洞川温泉に行った際、あるお宮で夫が神さまに対して失礼なことをして、写真でお怒りを知ったという出来事がありました。

その時の記事↓

renge-kusako.hatenadiary.jp

そのことが

どうしても

そのままにしておけないという思いがあって、仕事が立て込んで行けない夫の代わりに、私と娘がお詫びに行くこととしました。

本当は悪いことをした本人が行くべき

なのですが

許していただけるかどうかは神さまのご裁量なのですが

エゴかもしれないけれど行かずにはおれない。

加えて

洞川温泉の写真を見た娘が

「私も行ってみたい!!」

というのも理由に加わって、旅行を決行しました。

新幹線のチケットや宿泊場所、レンタカーの予約を(贖罪の気持ちもあってか)忙しいのに夫が全て手配してくれ、私と娘がただ行くだけという段取りが整えられました。

一ヶ月そこそこで、同じ場所に再び行くとは・・・不思議な成り行き。

大阪駅から鶴橋までの乗車する環状線を間違えて予約していた特急を乗り過ごしてしまった以外は、特に支障なく大和八木駅に到着。

レンタカーに乗り込み、出発しました。

まず最初に桜井市大神神社を参拝。

参道のお店で簡単に昼食を済ませ、

前回も参拝した

葛城一言主神社奈良県御所市)

高鴨神社(奈良県御所市)

へと向いました。

葛城一言主神社は、今回は駐車場も空いていたのですぐに停められ、ゆっくりと参拝をすることが出来ました。

葛城一言主神社の参道にあった看板↓

一言主の大神の讒言によって、役小角が配流になった

そのことがどうして信ぜられようか

という内容。

こちらの神さまがそんな讒言をされたとは到底思えない、私も

と思いました。

一体どこから出たお話なのでしょう・・・。

役小角さんは、今から1300年程前の修験者の開祖と言われるお方。

今回この看板をまじまじと読みながら

そういえば、宿泊地はこの方が開かれたと言われる大峰山のふもとの洞川温泉だし、時間があったら今回参拝しようと予定している金峯山寺もこの方が開山されているし

役小角さんに大なり小なり関わる旅が続くなあと気がつきました。

まあ、あまり深く考えないようにして

そこから車で少し走って高鴨神社へ向いました。

何だか・・・

自分の魂は、この土地に深い繋がりがあるみたいだけど。

顕在意識では分らないなあ

と思いながら参道を歩きました。

拝殿前で手を合わせると

「怖がらせてすまなかった・・・」

との言葉が脳内に響きました。

前回参拝時の蝶の襲来のことを言われているのだと思いました。

関係の記事↓

renge-kusako.hatenadiary.jp

この旅の前に、お世話になっている霊能者さんに前回参拝時の蝶の出現について聞いたところ

「ご先祖様が歓迎でそのように出てこられました。

でも、歓迎の度合いが少し激しすぎましたね。」

とのこと。

親戚はこの辺りにいないはずなので、ご先祖様というのは、高鴨神社に繋がる過去生でのどなた様かのご縁ではと思いました。

時が来れば

何があったのか分るときが来るのかなあ。

それとも

知らなくても良いのかなあ。

ぼんやりとそんなことを思いながら拝殿の前の石の階段を降り、境内の池の周りに沿って木々の中の道を娘と散策していると

ふいに小さなクモが

私の目の前30cmぐらいの所に上からス~と降りてピタッと目線で止まりました。

しばしびっくりして立ち止まり、まじまじと眼前のクモを見つめていると

今回は蝶ではなく穏やかにクモと来たか・・・

と思い至りました。

こんなにはっきりとレスポンスをいただいたからには

奈良に来たときは可能な限り、こちらの神社に寄らせていただこう

と思いました。

そろそろ夕方に近くなってきたので、今日の宿のある大峰山のふもと、天川村洞川温泉に向いました。

夕方の洞川温泉

次に向ったのは同じ奈良県御所市内にある

葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)

ご由緒↓

本社に鎮まります一言主大神は、第二十一代雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩をされた時に、顕現されました。

(中略)

一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられています。このように天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られたのであります。この大神が顕現された「神降」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀りするのが当神社であります。そして、この『古事記』が伝えるところによると、一言主大神は自ら「吾は悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神なり」と、その神としての神力をお示しになられております。そのためか、この神様を「一言さん」という親愛の情を込めた呼び方でお呼び申し、一言の願いであれば何ごとでもお聴き下さる神様として、里びとはもちろんのこと、古く全国各地からの信仰を集めております。

葛城一言主神社HPより抜粋)

雄略天皇と同じ姿で現れたとされる一言主の神さまなのですね。

興味深いエピソードです。

4月に紀州熊野に一人旅をした帰る途上、この神社がナビに出てきて目に入った瞬間

行きたい!!!

と思った神社です。

その時は、初めての1人レンタカーで終始ドキドキだったし、時間までに返せるか分らないし、道が不案内で狭そうだし・・・ということで断念しました。

今回夫に運転してもらって参拝が叶いました。

やっぱりあまり広くない道が続いて、ほどなく到着。

駐車場に続く鳥居の前の道が車でごった返しています。

空くのを待って、鳥居の横を通って奥にある駐車場に入りました。

駐車場敷地の幅が狭いので大きい車はバックで入ったりするなど苦労していました。

奈良県は人気の神社が多いのだなあと思いました。

車を駐車してから元来た道を引き返し、鳥居をくぐってから参道へ。

周りを見渡すと、いたる所に彼岸花が群生していて季節を感じる景色が素敵です。

散策をする人も訪れて景色を楽しんでいる様子。

私も周りをキョロキョロしながらけっこう長い階段を上がり拝殿前に到着。

今度は蝶の襲来も無く、無事に参拝出来ました。

拝殿の右側にある雄略天皇像をちらと眺め、周囲を見渡した後

夫に促され、神社を後にしました。

急ぎ気味の参拝となってしまいましたが、いつかもっとゆっくり参拝したいなあと思いました。

そこから最後に向ったのは

奈良県生駒郡平群町信貴山にある

信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)

ご由緒↓

西暦582年 寅の日寅の刻、聖徳太子この山で毘沙門天王を感得される。

西暦587年 7月3日聖徳太子、御本尊の御加護により佛敵守屋を討伐し、御自ら毘沙門天王像を刻み、この山の守護本尊として祀られる。

西暦910年

当山中興開山命蓮上人毘沙門堂の伽藍堂塔を建立善美をつくす。

醍醐天皇御重病のとき、当山毘沙門天王の御加護により御全快され、朝護孫子寺の勅号をたまわり、以来信貴山朝護孫子寺と称す。

信貴山朝護孫子寺HPより抜粋)

私の生まれ育った場所からわずか4kmの場所で、母から参拝に連れて行った旨聞いていました。

どこか記憶に残っている場所があるかなあと思いながら向いました。

お寺だけれども入り口に大きな石の鳥居が建っていました。

そこから本堂へ向います。

どこにも

記憶に残っているような景色はないなあ・・・

と思いながら

えっさえっさと本堂目指して登り道の参道を歩き続け、そろそろ到着という頃

ドンドンドン・・・

太鼓の音が力強く響き渡り、本堂でご祈祷が始まりました。

お坊様が大音量で読経されながら太鼓の音も勇ましく、迫力満点のご祈祷でした。

悪いものがついていてもアッという間に退散するだろうなあ・・・と思いました。

ご祈祷を拝見しつつ拝殿で手を合わせてご挨拶と参拝の感謝を申し上げてから、夫と戒壇巡りをしました。

戒壇巡りとは↓

真っ暗な回廊を進み、宝珠を納める錠前に触れると心願成就のご利益が大変あらたかです。本堂にお参りの際は、是非ご入壇ください。

信貴山朝護孫子寺HPから抜粋)

本堂の回廊に沿って奥に行くと、受付の窓口があってその後方に戒壇巡りの入り口がありました。

料金を支払った後丁寧な説明をいただいてから、何だか気の進まない様子の夫を尻目に真っ暗な世界へ勇んで入っていきました。

真っ暗だ~~~!!!

と久々に頭ががつーんとするような感動を覚えるほどの暗黒の世界。

地元広島の宮島の大聖院では何回かと、長野にある善光寺でも入らせていただいたことがあります。

何度挑戦してもゾクゾク感があります。

目をつぶっても開けても同じ世界。

右手を壁に沿わせながら進んでいくうちに何かごつごつと手応えを感じました。

これが錠前・・・

この上にご本尊の毘沙門天さまがおられるのか・・・

ありがたいなあ

と思うより先に真っ暗感が強くて、自分の感情に反応しにくい状況です。

帰宅してから改めて

ありがたい経験だった・・・

と思いに耽ることが出来ました。

さて

出口を抜けて明るい世界に戻り、本堂の回廊でぼんやり佇んで下界の景色を眺めていると

急に胸の辺りがぐっと詰まり涙が溢れてきました。

何も心に思うことなく、涙が流れました。

幼い頃に参拝して

今再びこの地へ来たことへの魂の反応なのか・・・

分からず屋の母とずっと思ってきたけれど、母は母なりに神仏のご加護を我が子にいただけるようにと一生懸命だったのかもしれない・・・

幼い頃に何も知らず母に連れられて参拝したことは、決して無駄ではなかった。

最後の目的地に来て

やっとこの旅の意味を、噛みしめたのでした。

葛城一言主神社の鳥居

右奥に苦労して入った駐車場があります

ここから結構長い階段へ向います

参道から見える秋の深まりを感じる景色

日頃の運動不足を実感した階段

左に「運気向上」との看板が・・・!

ご神木がありました

雄略天皇

もっと近くで撮れば良かったかな・・・

拝殿は思いっきり間近で撮っていたので(夫が)載せるのを諦めました

信貴山朝護孫子寺の鳥居

灯籠がずらりと並んでいます

迫力ある参道

この道を6才、5才、3才の子供を連れて母もよく行ったなあと思いました

大きな寅がいました

本堂

この位置なら良いかなと載せてみました(ドキドキ)

本堂回廊からの眺望

この山のふもとの少し離れた場所に住んでいました

洞川温泉を出発してから、道の駅に寄ってお土産を購入するなどして次の目的地

天河大辨財天社奈良県吉野郡天川村)へ。

知人が何人かこちらを参拝していて

「良かったよ~~~」

と言っていたのでいつか行ってみたいと思っていました。

今回参拝が叶いました。

天河大辨財天社のご由緒↓

「天川開山ハ役行者 -マエ立チノ天女ハ高野 大清層都コレヲ作ラシメ給フ」

という一節があります。 これは室町期の傑僧多門院英俊の天河詣での記録です。

天河大辨財天社の草創は、この日記のような飛鳥時代の昔に さかのぼります。龍、水分(みくまり)の信仰で代表され古代民族信仰の発祥地とされる霊山大峯の開山が役行者によってなされたことは 周知のことです。その折大峯蔵王権現に先立って勧請され、最高峰弥山の鎮守として祀られたのが天河大辨財天の創まりです。

(大峰本宮 天河大辨財天社 HPより抜粋)

午前9時半過ぎに到着すると、神社そばの駐車場はもういっぱいでしばらく待たないと入れませんでした。

人気の場所なんじゃねえ!

とたくさんの参拝客に目を見張りながら鳥居をくぐり参道の階段を登りました。

風がそよとも吹かず、人々が行列を作っている参道そばの木々の葉も揺れません。

し~~んとした境内の神秘的な雰囲気とたくさんの参拝客の賑やかさが対照的でした。

建物の中に入ってややほの暗い拝殿の前に立つと、非常に大きな造りになっていて見上げるような高さで目を見張りました。

拝殿前には長い行列が出来ています。

行列の動きにあわせて手早く参拝する人

しばらく手を合わせたまま懸命に拝んでいる人

様々な思いでここに来られている人々の様子を、神さまはじっと眺めておられるのだろうな・・・

と思いました。

私もその中の1人。

ご挨拶と参拝の感謝を申し上げました。

参拝が終わって階段をゆっくり降りていると、見えないどなた様かが話しかけたがっているような気がしました。

悪いものでは無さそう・・・

夫に

ちょっと待ってて

と伝えて屋根のあるスペースを見つけて腰掛けました。

繋がってみようかな。

上手くいくかな・・・

ふうっと息を深く吐き、意識を向けてみました。

ボロボロの衣装を身につけた小さな妖精のようなおじいちゃんの姿が脳裏に浮かび上がりました。

自然そのものといった風情です。

「わしはな!

昔この辺り一帯をを飛び回っておったのじゃ。」

といきなり喋り始め、その飛び回ったと言われる景色をみせてくれました。

山々が遥か遠くまで連なるパノラマが私の脳裏に浮かび上がりました。

まるで羽が生えて本当に飛び回っていたかのような臨場感があります。

あの・・・

これはどういう意味で・・・?

こちらの質問は全く無視して一方的にまくしたてられるのですが、私の聴き取る集中力が限界になり

あ・・・ありがとうございました!

これにて失礼いたします。。。

こちらも一方的に話を切らせていただきました。

(以上私の脳内会話)

このことを帰宅後、霊的直感が開いている娘に聞くと

「神社のそばにいた神さまみたいな人が、お母ちゃんを面白いやつと思って話しかけたみたいよ。」

とのことでした。

それは有り難い事・・・

こちらの妄想もあるかもだけど、面白かったよ!

夫の無礼な写真のことで気が滅入っていたので少し慰められた思いがしました。

さて 旅の続き

天河大辨財天社の写真を思うまま撮ってすっかり満足している夫を促して、次の目的地

奈良県御所市にある高鴨神社(たかかもじんじゃ)

へ向いました。

私の出生の地からは20㎞ほど離れた場所になります。

参拝の前に神社の横にあるお蕎麦やさんで昼食。

太めのお蕎麦で素朴な味付け。

こちらのお店の奥は資料館のようになっていて、付近一帯の地図や神社の写真などが展示してありました。

高鴨神社のご由緒↓

本社は大和の名門豪族である鴨族の守護神を祀った社です。

弥生中期、この地から鴨の一族はひろく全国に分布してゆき、各地で鴨族の神を祀りました。中でも京都の賀茂神社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。建国の歴史にも本社御祭神は大きく物語られ、高天原天孫降臨の説話の中でも、国造りの大業をなされたとあります。

(高鴨神社 HPより抜粋)

古事記に関連した本を読むと必ずと言っていいほど出てくる神社のお名前で、以前から気になっていました。

今回初めての参拝。

主祭神

阿遅志高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)

境内の建物は撮影禁止とのことで、さすがに夫もデジカメをポケットに入れたまま参拝しました。

左手に池がある参道を通って情趣のある鳥居をくぐり、短い階段を上がって拝殿前に辿り着きました。

参拝して階段を降りようとした際、ふいにシジミチョウ科の小さな白い蝶が一匹、私めがけて矢のように飛んできて、鼻やら肩やら体にまとわりついてしばらく離れないのでびっくりしました。

夫もあっけにとられてその様子を見ています。

どうしても離れないので、蝶から逃げるように急いで階段を降りて神社の外に出ました。

帰宅してから娘にこのことを話すと

「お母ちゃんがあの辺りの生まれだからそのことに反応したみたいよ。」

とのこと。

う~~ん

不思議過ぎる現象。

歓迎されたのか

追い払われたのか・・・

さて

お昼も過ぎて、今日中に広島まで帰らねばならないので先を急ぐことにしました。

天河大辨財天社の鳥居

人が写っていたので背景をぼかしています

上の写真の奥に見えていた2番目の鳥居

風が不思議なくらいピタッと止まっていました

近くに南北朝時代の御所跡を発見

少し歩いた先にあった弘法大師空海お手植えとされる大銀杏の木

画面に入らない大きさ

高鴨神社そばのお店でいただいたお蕎麦

大根おろしが豪快

奈良県桜井市から洞川温泉(奈良県天川村)へ向う奈良県山中のくねくね道をひたすら車を走らせます。

空気感が、街中の雰囲気と変わってきてひんやりしてきた・・・

と感じ始めた頃に大峰山をはるかに望む静かな佇まいの洞川温泉街に到着。

温泉街は和やかな中にもどこか身を正すようなそんな雰囲気が漂っています。

旅館の駐車場に車を停め、チェックインして後、まだ空が明るいので浴衣に着替えて街中を散歩することにしました。

環境省の名水百選に選ばれている大峰山の名水「ごろごろ水」を使ったカフェを目指しました。

なぜごろごろ水というのかをネットで検索したところ

地中の水路を流れる水が鍾乳洞にこだまして“ごろごろ”と聞こえることから命名されたと伝われています。

とのこと。

温泉街から「行者の道」と標識があった山手の道をどんどん歩いて、カフェがそばにある取水場を通り過ぎた先にそれらしい音のする水が流れている場所がありました。

でもそこは柵がしてあって飲めない旨看板がかけてありました。

修験道の開祖 役小角さんの像がそばにありました。

脇にお賽銭入れのようなものがあったので、昔は水を飲んだ人がお礼にお賽銭を入れていたのかもしれません。

カフェの駐車場に併設されているごろごろ水の取水場で水が飲めるようになっていたので、持っていたペットボトルに汲んで飲んでみたところ、とても美味しかったです。

カフェのコーヒーもその水で入れたものをいただきましたが、これも美味!

澄んだ空気の中、カフェ併設の高台から下の川面や夕闇迫る山々の景色の中でいただくコーヒーは、最高でした。

とにかく空気がきれいで、呼吸をする度に心も体も透き通っていくような場所だと思います。

そういう場所ではあるのですが、お弁当を持って楽しくピクニックなんてとても出来ない何というか、威厳に満ちた空間とでも表現したらいいのか。

そんな雰囲気でした。

宿へ戻る途中いつの間にか、夫が通りすがりに手も合わせずあるお社の拝殿を写真に撮りました。

写真には不思議な色の光が大きく写り込んでいました。

明るくない色・・・

あまり良くない気がする・・・

気になったので旅行から帰って霊能者さんに写真を鑑定していただくと

「なぜこの人は無断で写真をここで撮るのか・・・

と神さまが嫌悪感を抱かれておられます。

なのでお二人にご加護を授けられなかったようです。」

ああ~~~~~~~~~

お父ちゃん!

なんてことを・・・

ご加護をいただけなかったことよりも

「嫌悪感を抱かれた」

というのが大ショックで。

だから拝殿の撮影は気をつけなさいよと日頃言っているのに・・・

今後気をつけるようにと重ねて夫には話をしました。

(この写真は持っていても問題ないとのことなので、削除せずに保存しています。)

(閑話休題)

まだ何も分らず、ただただ旅の雰囲気を楽しんでいた(○ホ)夫婦。

宿に帰って美味しく夕食をいただき、まだ明るいのでまた散策に出てみようと今度は先ほどとは反対の方向に向いました。

歩く先に静かな佇まいのお寺の門が見えてきました。

龍泉寺と門に書いてありました。

不勉強でどういうお寺か何も分らなかったのですが、墓標と見まがう記念碑が沢山建てられていて、夕暮れというのに全く怖い感じが無いのが不思議。

お寺のHP↓

當山は真言宗醍醐派(総本山は醍醐寺)大本山であり、世界遺産大峯山寺護持院でもあります。また近畿三十六不動尊役行者霊蹟札所の霊場でもあり、日本遺産にも登録されています。

と言うことで、帰宅してから凄い場所だったのだと分りました。

境内には底まで見えるほど透き通ったきれいな池があって、周囲にはお堂が何棟か建っています。

「岩大峰山第一水行場」と書いてあって、ここにも役小角さんの像がありました。

(宿の人から「池は修行に使われるのですよ。」とのことでした)

本堂に入って手を合わせました。

珍しいことに入り口両側に狛犬さんならぬ鬼の像が立っていました。

この像がまるで生きているようで、しばらくじっとお顔を見つめてしまいました。

ご本尊は弥勒菩薩様。

灯のぼんやりした中で何とも幽玄な雰囲気が漂っています。

真言が書かれた紙が貼ってあったのでそれを見ながら5回唱えて終わろうと思ったら、もう2回唱えないといけない気がして7回唱えました。

もう夜の暗がりで辺りが真っ暗になってきたのでお宿に帰りました。

翌朝

昨夜のお寺に参ってみようよ!

と朝食前に再び龍泉寺にお参りに行きました。

お寺の背後に自然そのままの姿の山があり朝の明るい光の中、自然と一体化した感じが素晴らしかったです。

本堂に入って手を合わせた際、ご真言を書いた張り紙に7回唱える旨小さく横に書いてあるのを見て驚きました。

昨日は暗くて読み取れなかったのですが、いつもは唱えない回数の7回ご真言を唱えたくなった理由が分りました。

見えないご指導の手が入ったのでしょうか・・・

境内を散策すると滝行をする場所もあり、何やら神聖な場所の雰囲気・・・

すかさず夫がデジカメでその場所を撮ろうとすると

「ならぬ!(この場に)来るのは構わぬが・・・」

との声が私の脳内に響き渡りました。

そのことを夫に伝えて撮影を制止しました。

声の主は分りませんが、この場所を護っている存在なのでしょうか・・・

「撮影を嫌う神さまもおられます。」

と先述の霊能者さんに教えていただきました。

拝殿ではなくとも、神聖な場所は気をつけて行動しなくてはと今更ながら思います。

相手の嫌がることはしない

は対象が何であれ、大事な事。

さて

そろそろ宿に戻って朝食の時間。

名残を惜しみながら龍泉寺を後にしました。

洞川温泉

行者の道

浴衣に下駄で少々歩きにくかったです・・・

ごろごろ水を使ったコーヒーをいただいたカフェからの眺望

ごろごろ水が山から流れている場所

夜の温泉街

この雰囲気を夫はいたく気に入っておりました

龍泉寺境内

なで石がありました

叩いてから持ち上げると重く、なでてから持ち上げると軽く感じるとのことでしたが

実際そうだったので驚きました

9月も末のある日。

大峰山のふもとの洞川温泉(奈良県天川村)に宿をとり夫婦で1泊二日の旅に出ました。

実は

私は3才まで奈良県に住んでいました。

広島に転居する直前、もう来ることもないだろうからと母は私と兄2人の幼児3人の手を引いて、住んでいた北葛城郡周辺の寺社仏閣に行ったそうです。

今回、当時住んでいた北葛城郡周辺とほかの地域の寺社仏閣にも参拝しました。

まず最初に

石上神宮(奈良県天理市布留町)

を参拝しました。

こちらの神社は母から「広島に引っ越す前に連れて行ったよ。」と以前から聞いていた場所です。

3才頃に参拝したので私の記憶にはもちろん残っておりません。

石上神宮(奈良県天理市)

主祭神 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)

石上神宮について↓

石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。

当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。

総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。

当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。

禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。

(石上神宮 HPから抜粋)

勝手な先入観で平地に鎮座している神社かなと思っておりましたが、結構な登り道を歩いた高い場所(布留山)にありました。

出雲の加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡も山の斜面に銅鐸や銅剣が埋められていました。

古代では、大切なものは平地では無く高い場所に埋めるものなのだなあと思いました。

ましてやご祭神の剣が埋められていたのだから、平地であるはずが無い。

1人ぶつぶつつぶやきつつ、パシャパシャお気楽に写真を撮りまくる夫の背中を見ながら歩を進めました。

参道周囲は大きな木々に囲まれて葉ずれの音も爽やかに、絶えず風が吹いて誠に心地よかったです。

拝殿のある境内に入ろうと楼門をくぐろうとすると

一瞬からだがはじかれるぐらい、強いご神気を感じました。

私中に入っても良いのかなあ・・・

楼門から中を見ながらもじもじする私を尻目に、夫はすたこらさっさと境内に入って遠慮会釈無くパシャパシャとデジカメの撮影を始めました。

お父ちゃん!

お姿が見えんからと言うて神さまおられんわけじゃないんよ!

撮らせてくださいとお話してから撮りんさいや!

と(広島弁丸出しで)言いつつ、いつの間にか私も境内に入っておりましたが。

それにしても

なんとも清々しくもシャープでキリリとした境内・・・

拝殿も素敵に優雅な形・・・

拝殿と本殿の間が禁足地で、ここにご祭神の剣が埋まっていたとか。

そこは垣根できっちり囲ってあり外からはよく見えませんでした。

以前安芸国一宮 速谷神社(広島県廿日市市)を参拝したことがあるのですが、その時と同じような柑橘系と樹皮の精油をミックスしたようなかぐわしい香りがここでも香りました。

神社特有の香りなのでしょうか・・・

天気も良いしもっとゆっくり散策したいなあと思いました。

夫の立てたスケジュールは立て込んでいて、手を合わせた後すぐに次の場所へ移動することに。

境内を出るとすぐの場所にぐるりと幣の縄がかけられた場所があって、何だか神聖な感じがしました。

(後でお掃除の方に聞くと車の祓処とのことでした)

ここってきっと大事な場所なんじゃろうねえ!

と夫に話しかけた途端

ビュウ~~~~!

一陣の風が渦を巻くように上空に巻き上がり周囲の木々の葉が一斉にザワザワと大きく揺れました。

まるで

その通り!

とお返事をいただいたかのようで楽しかったです。

歩いていると

若かった頃の母が3人の幼児を連れて、境内をあちこち散策する様子が目に浮かんできました。

なんだか・・・もっとゆっくりしたいんですけど・・・

再度夫に言うと

「駄目じゃ。

次がつまっとるんじゃけえ、急がんと!」

仕方なく、先を急ぐ夫の背中を追いかけて車に乗り込みました。

我が家の添乗員さんは容赦ないです。

さて

次に向ったのは

大和国一之宮 大神神社(奈良県桜井市)

ご祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

ご由緒↓

当社の創祀そうしに関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。

三輪明神 大神神社HPから抜粋)

石上神宮を目指して車を走らせていた途中、大きな鳥居が目に入り

後で参拝したい!

と急遽こちらもお参りすることになったのでした。

こちらの参道も風が絶えずそよぎ心地よかったです。

神社の参道のレストランで手早く食事を済ませ、さっさと歩いて急ぎぎみに参拝。

授与所で兄2人へのお土産にこちらのお守りを購入しました。

後日、春から体調を崩し、最近ようやく元気になってきた長兄にお守りを渡したとき

「若い頃近畿で仕事しよって、大神神社だけは何度か参りよった。

たしか・・・蛇の神さまじゃった。」

とのことで驚きました。

奈良県には他にもたくさんの有名な神社があるというのに、長兄は大神神社だけ参拝していたというのです。

兄達へのお土産はここでしか買わなかったので、これも何かのご縁だろうか・・・と思いました。

さて陽もそろそろ傾いてきました。

本日のお宿

洞川温泉に向うことにしました。

石上神宮

ゆるやかな登り道の参道

両側の柱は鳥居。

砂に撒いた水跡は神さまのお通りになる正中線を現わしているのだそうです。

お掃除をされている方に教えていただきました。

ご由緒書き

楼門

入った先に拝殿があります。

畏れ多くて拝殿は撮れませんでした・・・

大和国一之宮 大神神社の大きな鳥居

向こうに三輪山が見えます

三輪山

ここから参道へ

手水舎

蛇が・・・!

大神神社の参道

やはり拝殿は撮れませんでした・・・

最近

興味本位で関わっていた見えない世界のことが、身近にいろいろ起ってきました。

興味を持ったからこうなったのか

宿命的な人生の一環としてこうなったのか

さっぱり分らないけれど、面白いのでブログに載せることとしました。

1つめのお話。

つい先日お盆期間の真夜中のこと。

暑いので私は涼しい居間で飼い猫の黒猫くんと布団を敷いて寝ていたところ、夫が部屋に入ってきました。

どうしたの?

と電気をつけたままどこかぼんやりしている様子の夫に話しかけると

「猫は・・・そこにおるんじゃね。」

ずっと一緒にいるよ。

「実は、寝ているそばの廊下を何かが歩いたり、窓やカーテンをカサカサ動かす音が聞こえるからてっきり猫かと思って・・・。

ずっとそこにおるんなら猫じゃないね。」

は?

どういうこと?

「じゃあ、あの音は一体何なのかね?」

夫はいぶかしげに部屋に戻っていきました。

翌朝

娘が言うには、夫が昨夜起きてきた時刻頃に猫の首輪の鈴のような音が聞こえたとのこと。

私はふと

4年前に病院で治療のかいなく息絶えた飼っていた猫を思い出しました。

この猫は我が家が大好きで、いつの間にかいついてしまった野良猫さんでした。

餌をやり首輪もつけ我が家の猫になって可愛がっていたところ、猫同志のけんかの傷がもとで虹の橋を渡ってしまったのでした。

鈴がついた首輪をつけたまま、庭の片隅にお墓をつくって埋めてあげました。

私にはこの猫がお盆の時期に我が家に遊びに来たのではと思いました。

我が家が大好きだった・・・

なのに

最後は病院になってしまってごめんね・・・

今でも

時々思い出したりしていました。

きっと

「遊びに来たよ~」

と来てくれたのでしょうか。

2つめ

検査で私の目に異常が見つかったため、今年の初め島根県出雲市にある

目のお薬師さんで有名な一畑薬師寺にご祈願に参拝しました。

お札をいただいたので、お坊様に教えていただいたとおり家の仏壇にお供えしました。

それからというもの毎日仏壇を拝む際にご先祖様の礼拝の後、お薬師さまのご真言をとなえ手を合わせるということをしております。

時々、目をつぶって手を合わせていると、何やら濃い藍色のもやの奥に黄金色の光がまぶたの裏に見えたりしていましたが、

気のせい

と思って特に気にしておりませんでした。

最近になって娘が

「お母ちゃん、お仏壇にあるお薬師様のお札を拝んだら金色の小さな仏様が出てこられて、合掌して挨拶してくださったよ。」

なんと!

マジッすか!!

あんたも拝んでおったのかね?

娘は最近、第三の目が開いたというか、見えないものが観えるようになったのでこういう現象が起ったものと思われます。

羨ましいなあ・・・

それにしても、有り難いことじゃ・・・

それ以来

毎朝ドキドキしながら手を合わせるようになりましたが

相変わらずのぼんやりした藍の色と黄金色の映像しか分りません。

まあ、それはそれで。

大事なのは、感謝することと目が治ることだし。

3つめ

最近

母方のご先祖様が私の守護霊メンバーに加わりました。

もしかしたら

気づく以前からおられたのか、先祖供養を最近丁寧にやっているので出てこられるようになったのか分りませんが。

この方突然話しかけてこられます。

前々回の淡路の旅の内容で、光の柱やら脳内に聴こえた声やらを書くことをじつは躊躇しておりました。

さんざん妙なことを書いていながら今更ですが

こんなん書いてどう思われるじゃろうか・・・(広島弁)

と妙に常識が頭を持ち上げてきまして。

ご縁のある霊能者さんに会って相談すると

「是非書いてください!

神さま方は知ってもらえることをとても喜んでおられますよ!」

と言われるのですが

全く人気でも有名なブログでもない、内容もただ書くだけなのに良いんでしょうか・・・

「そんなこと全然関係ないですよ!」

と励まされました。

帰宅して

やっぱり不安になり

どうしようかなあ・・・

公共の電波に載せても良いのかなあ・・・

と(今更ながら)思案していると

「お願いだから!

あなたの感じたこと聴こえたこと、そのままを書いてちょうだい!」

と非常に若い女性の声が脳内に響き渡りました。

まるで女子高校生のような声で。

けっこう1分間ぐらい長々と私を叱咤激励されていました。

というか

どなた様?

嫌な感じが全然しなかったので、言われたとおり感じとったことをブログに載せました。

後日、先述の霊能者さんにこの声の主を教えてもらったところ

母方の古いご先祖様で、非常に謙虚な方

だそうです。

声めちゃ若いんですけど・・・

「ご先祖様だからといって年取った声とは限らないのですよ。」

とのこと。

それ以来

この若い声のご先祖様は時折お出ましになります。

以上

3つの不思議バナでした。

とはいえ、信じてくださいとも思っておらず

真実は人それぞれのもの

がモットーなので

「変なの!信じられない。」

で全然良いのです。

大体私からし

ほんまかいな?!

と思っているぐらいですから。