観えたこと想うこと草子 (original) (raw)
思ったより早く着いたので、出雲玉造資料館に行きました。
温泉街の通りから少し歩いた高台に2階建てのこぢんまりとした建物で、一階が古代の玉造の作業について様々な展示がされています。
入ってすぐ左側のガラスケースから見ていきました。
展示してある勾玉の一つが古代のもので、玉作湯神社蔵と書いてあるのを目にして
ドキン
としました。
もしかして、過去生の自分が手がけたものだろうか・・・
と思うのはまことに勝手だなあと思いつつ
様々な想像は楽しいし自由だし。
目をつぶってしばし空想に浸ってみます。
2000年あまり昔。
この辺りの工房の一つに自分がいて、何をしていたろうか・・・
たくさんあったと言われる工房の一つに意識がフォーカスしていきます。
草で葺いた屋根の竪穴式の建物の中に何人かの男の人が座り込んで一心に作業中の様子。
開けっぱなしの入り口からカメラ目線で入っていきます。
ほの暗い部屋のなかでは
一人は石を大まかに割ったり
ある人は割られた石のかけらをひたすら研磨用の石で磨いたり
古代のきりのような道具で最後の仕上げの作業をしていたり
きっと・・・
目を開けて考えました。
完全なる分業制だったかもしれない。
ここの玉は主に祭祀に用いられたと本で読んだことがある。
そのためには雑念まみれでいい加減なものを作ることは御法度だったろう。
工人たちは平らかな心持ちで作業に集中するよう仕向けられていたかもしれない。
「辛い仕事だった・・・」
頭の中で誰かがつぶやきます。
過去生の自分(男性)でしょうか。
足下がふわふわする思いで、小さな資料室を丹念に見て回りました。
作業風景を再現したミニチュアの工房の展示があって、3人の工人の人形が作業毎に配置されていました。
私は・・・何を担当していたんだろうか。
真ん中の人形に視線が引き寄せられました。
この人物は玉を磨く作業をしていました。
これだ・・・!
と根拠もなく納得。
くる日もくる日も、何時間も磨く作業をしていてお疲れ様でしたね!
人形に心で声をかけました。
自分に話しかけているようでもありました。
ふわっと
外の雨音が
館内の私の周りに立ちこめてきたように感じました。
軒先からポタリポタリとしずくが落ちる音
地面を打つ雨の音
風で雨音が変わる瞬間
そうか・・・
雑念を消すために
外の音に集中させて作業をしていたのかな。
でもきっと、雨の音は癒しにもなっていただろう・・・
受付の方に撮影許可を確認したところ
「自分の楽しみ用なら良いですよ。」
とのこと。
何枚か撮ってお礼をのべてからそこを後にしました。
外は霧雨が降っていました。
顔にさらさらと細かい霧の雨が当たる中、駐車場に急ぎ車に荷物を取りに行って宿に入りました。
古いけれど伝統が感じられるお宿です。
部屋は角部屋で、一人にしては広い間取り。
荷物を下ろしてしばしぼんやりしてから浴衣に着替えて温泉に入ることにしました。
玉造の湯は無色透明でサラリとしていて、湯から出ると汗がダバダバ流れるほど温まります。
疲労も汗とともに流れたみたい。
ほどなくして食事の時間。
案内された広い食事会場に入ると、たくさんの人で賑わっていました。
カップル、3世代家族グループ、少人数の家族連れ いろいろ・・・
その中でぼっちのテーブルは私1人。
いつものように夫か娘がいるわけでもなく、喋る相手もいないので食べる対象に意識を持っていくしかありません。
この刺身美味しいなあ!何の魚かしら。
このお鍋のおつゆ最高!ショウガが千切りでたくさん入ってポカポカする・・・
まるで食べ物と会話するみたいに食事が進んでいきます。
あっという間にデザートまで食べて、中居さんにお礼を言って部屋に戻りました。
食べ物にじっくり向き合うと、いつもよりお料理が味わい深く感じられた気がしました。
心にも体にも
何か良い感じ!
新鮮な驚きです。
部屋に入るとお布団が敷かれていたので、思わず寝っ転がりました。
何だかいろんな事があったなあ・・・
いつの間にかそのまま寝てしまい、夜中に起きると喉がカラカラに乾いていたので飲み物を買って部屋に戻り、テレビをつけたり消したり、資料館のパンフレットを見たりして過ごし、早めに眠ることとしました。
翌朝
5時前に目が覚め、5時半にお風呂に入りに行き、6時に宿に鍵を預けて外に出ました。
霧雨よりさらに細かなこぬか雨が顔に当たる程度なので、傘もささずに歩けました。
温泉街の外れにある
玉作湯神社
を目指します。
横断歩道を渡った先が神社がある森
玉造のご祭神のお一人 櫛明玉命さま
名は体を表すというか、お名前の字を古語で当てはめながら考えてみました。
櫛→奇し(くし・くすし)とも 不思議な などの意味があるようで、霊的力に長けたシャーマン的要素
明→光輝くオーラを放つ明朗なリーダーシップのイメージ
玉→玉を造るお仕事に関連したことか
いろいろと想像するのも楽しい。
そんなことを考えながら、早朝の清々しい空気の中
こぬか雨が顔を微かに打つのを感じつつ、厳かな雰囲気の拝殿前で静かに手を合わせました。
そうだ!
神さまがエネルギーなら人間の思いもエネルギーのはず。
エネルギーにエネルギーをぶつける感じで神さまとコミュニケーションが取れるのでは?
今までのように勝手に脳内に届く音を受取るのではなく、自発的に試みてみようと思いました。
心を静めてから心の中で
神さま
私はかつてここの玉造部の工人だったと聞いています。
当時のこの場所がどうだったのか、教えてください。
すると
ザー
とひとしきり雨が強まり
ビウッ
と一陣の風が吹き抜け、そばの木立を揺らしました。
脳内に映像が流れ始めました。
たくさんの草葺きの竪穴式住居が建っていて、子供達数人が走り回るのが見えました。
何人もの人が建物の中で座って作業していました。
幾つかの建物からは煙がたなびいているのが見えました。
映像は一瞬で消え
「お前は・・・雨の音を聞くのが好きだった」
言葉が脳内に響きました。
昨日の資料館で、雨音を体感したことを思い出しました。
本当に私の過去生は、ここで人生を送ったことがあったのか・・・
不思議な確信で、目の前がクラクラしてきました。
ふらふらと幾つかのお社に手を合わせてからしばらく佇んでいると
雨はいつの間にか上がっていました。
ここにはご神陵があることも事前に調べていたはずなのにすっかり忘れて、宿に戻り朝食をとってから早めに宿を出ました。
車に乗り込んでナビに行き先を打ち込みました。
玉造温泉から6kmしか離れていない場所にあります。
事前調査はゼロで、旅の前日にふと目にして「近いから」という理由だけで行くことを決めた場所。
温泉街から出発してほどなく、先ほどの玉作湯神社が見えてきました。
通り過ぎざま鳥居に向って、ぺこりとお辞儀をしました。
のどかな雰囲気の山と田園風景を通り抜けてほどなく到着。
一の鳥居は道路沿いにあるのが見えたのですが、車を停められるか分らず、坂道を上がった二の鳥居そばのわずかなスペースに駐車。
そばに小学校があって、日曜日にも関わらず体育館からスポーツに興じているのか子供達の歓声が聞こえてきます。
車から降りると、垂れ込めていた雲間から陽が射して足下が急に明るくなりました。
私の参拝が嫌がられていない気がする・・
神社の説明の立て看板が2つあったけれど、先に参拝をしようと思いました。
境内はし~んとして静寂です。
拝殿内に灯が灯っているのが見えましたが、人気は全くありません。
手を合わせてから周りを見ると、本殿裏の方も何ともいえない雰囲気があったのですが、臆病な私は眺めるだけで外に出ました。
特に目的もなくたまたま訪れた場所ですぐ移動するつもりでしたが、鳥居から出てすぐの看板を読んで驚きました。
この忌部の地を支配していた古代豪族 忌部氏のことが書いてありました。
元は朝廷の儀式を司る大豪族で、儀式に使用する玉を供給するため玉造とこの忌部の地を支配したこと。
玉造とこの忌部の地が「出雲国風土記」に記された忌部神戸という特別な村であったこと
忌部の一族はここではなく、玉造で主に玉の制作に従事していたこと
ご祭神「櫛明玉命」の墓地がこちらのタブの木の立つ場所にあること・・・
この神社も玉の制作にゆかりの深い場所だったとは!
旅の前日にたまたまネットでこの神社を見つけたというのは、偶然ではない気がしました。
眼下の畑の中の大きな木の辺りが櫛明玉命さまの墓地とのこと。
近くまで行こうと思いましたがやめて、その場でそっと手を合わせるだけにしました。
この地は・・・
古代玉造に従事した忌部氏一族の住まう土地。
私の過去生さんも忌部氏だったのだろうか・・・
あまりにも考えることがありすぎる・・・
ぼお~としながら車に戻りバタンとドアを閉めたとたん
ゴウッ!
大風が一瞬吹き抜けてそばの木々を揺らし木の葉が舞い踊りました。
この地のエネルギーを一瞬受取ったような気がしました。
いつか
必ずここにまた戻って来る・・・
そう思いながらエンジンをかけました。
もっと歴史を調べて、自分で理解を深めた頃又ここに来ることになるだろうと思いました。
忌部神社参道の階段横から撮影
もしかしたらここの土地に引き寄せられたかな・・・
いつの間にか雲が切れて、夏の日射しで辺りの景色がまぶしくなっていました。
それから松江市内に入り、賣布(めふ)神社を参拝しました。
宍道湖そばの清々しい素敵な神社で、社務所でお清め塩の入ったお茶を勧められていただきました。
祓いの女神様とのことでした。
まだ昼前ですが自宅を目指して出発しました。
やった!
7対0でカープが日ハムに勝っとる!!
と喜んでいましたが、帰宅してテレビを観ると7対8で逆転負けしていたので、大きくズッコケました。
長時間ドライブの疲れがどっと出たところで、この旅のお話はおしまい。
エッセイスト森下典子さんのご著書
「前世への冒険 ~ルネサンスの天才彫刻家を追って」(光文社)
はご自分の過去生を森下さんが探っていくお話。
(面白くて一気読みしました)
過去世を見ることが出来るという人から、森下さんの過去生の一つはルネッサンス時代のイタリアの天才彫刻家と指摘され、半信半疑ながらも現地に赴きいろんな発見や経験をすることが語られています。
今回
過去生を辿る旅に私も行くことにしました。
それは
「あなた(の過去生)は出雲の玉造の地で勾玉を作っていました」
と2人の霊的に分る人から(別々の日に)言われたことがきっかけです。
(もうずいぶん前の事ですが)
出雲の玉造温泉街の端にある玉造湯神社の辺りが古代玉造の工房があった場所として有名なので、そこを目指すこととしました。
そこは
住んでいる広島県の島から車で3時間ほどで行ける場所。
ちょっとしたドライブです。
もしこれが
「あなたの過去生は、古代ローマ時代第二次ポエニ戦役でローマを敵に回して闘ったカルタゴの将軍です」
と言う話だとしたら・・・
チュニジアの紙幣(画像はお借りしました)
広島県の島しょ部に住む普通の主婦の私が家族を残して
これからチュニジアまで行って、お母ちゃんの過去生探ってくるけんね!
楽しみに待っとりんさいや!
なんてことになったら・・・(!)
(閑話休題)
過去生を知りたい
というこのとんでも理由の他に
同じ出雲の一畑薬師さんで目のご祈祷をお願いしたい
という実際の用向きもあります。
一昨年
通院ドックで目の病気が見つかり、それ以来眼科で治療中です。
目のご利益で有名な出雲の一畑薬師寺にご加護のご祈祷をお願いしたのが昨年の2月。
ご祈祷を受けてからとうに1年が過ぎたこの時期、やっと参拝に行けることになりました。
後は気の向くまま。
直前にネットで検索していてピンときた近郊の
忌部神社(いんべじんじゃ)
賣布神社(めふじんじゃ)
も参拝に行くことに。
6月の雨模様のある日
車を飛ばしてひとり山陰を目指して北上を開始しました。
一般道から有料道路に入り、途中道の駅で休憩しながらひたすら走ります。
雨がそぼ降る中、高速道路から下りていよいよ出雲市内に入ろうとする頃
木々に覆われた景色が一時切れて、出雲平野一帯が山々を遥か向こうに見晴るかす眼下に見えてきました。
雨の影響で雲のような霧が出雲平野上空に低くたなびき、雨でけぶる町並みが一瞬古代の大都市のように見えました。
いつもここを通る度、この景色に感動します。
この地は古代から日本にとって
日本の神々にとって
特別な場所
という不思議な感慨とともに胸がいっぱいになります。
最初に目指すのは
寛平6年(西暦894年)、
お盆の日に日本海の赤浦で漁師の与市さんがご本尊をすくい上げたことから始まります。
なんでお盆の日に漁に出られたのか不思議だけども、これもお導きなのでしょうね。
その後、目のご利益あらかたということで信仰が広まり
戦国時代には幼児が救われたので「子供の無事成長の仏さま」としても親しまれています。
大駐車場で車を停めて傘をさして参道に向います。
本堂横の受付で、昼過ぎの13時30分からのご祈祷を申し込みました。
どうやら私1人のようです。
お茶とおせんべいをいただきながら、時間まで雨音を聴きながらぼんやりと待合室で過ごしました。
待合の正面は、周辺で採れるお茶の葉を使ったお下がりのご霊茶をいただけるようになっています。
時間になり本堂に移動し、ご祈祷が始まりました。
若いお坊様が1人進み出てこられ
「あの鏡の奥にご本尊様がおられます。」
壇上の大きな鏡を示されました。
その方向に向って、合掌、礼拝。
ご祈祷が始まりました。
お坊様が一人で太鼓やおりんを盛大に鳴らしつつ読経を始めます。
ソロで全てこなされるとは!
昨年も目にしたけどやっぱり驚き。
事前に配布されたお経本を
「○ページ」
と言われる合図に合わせて開き、読経に合わせてくちずさむものの、拍子が分らずまごまごしました。
終わって
ご本尊そばに供えられていたお札とお守りをいただくとき、好奇心旺盛な私はつい
お坊様はご本尊様を見られたことは・・・?
とお尋ねしました。
「ありません。秘仏でございます。」
ときっぱり。
ご本尊様のお姿を何かで想像することも出来ないのでしょうか?(ひつこい!)
「この本堂横のご霊水の出る場所の像が、本物を模したと言われていますよ。」
え!!
そうですか!
ありがとうございます!!!
誰も目にすることが出来ないお薬師様がおられる壇上の鏡の方を、私はもう一度眺めました。
何だか
カチッ
とお薬師さまと目が合ったような・・・・(気のせいです)
靴を履いて急いで示された場所に行きました。
思ったより大きな石のお像でした。
(自分では撮る勇気が無くて画像はお借りしました)
実際は木造とはいえ、与市さんはこの大きさをよくぞ背にかつがれたこと・・・
と千年を超える昔の出来事を思いました。
それから
寺務所で授与品を眺めていると雨の勢いが猛烈になってきました。
なかなか勢いはやまず、寺務所脇の椅子に座ってご霊茶をいただきながらしばし雨宿りすることにしました。
が
雨は一向に止む気配がありません。
お茶湯をガブガブ飲み続けながら雨宿りもどうなんだ・・・
と思い意を決して傘をさして車に向うこととしました。
来た道とは違う参道を通ろうと、本堂から向って右方向の階段を下りようとすると体長25cmはあろうかと思われる大きなカエルが、階段一段目に座っていました。
ヒャ!
と驚いて、後を向いて息を整えてから向き直ると、煙に巻かれたようにカエルは消えていました。
ひとっ飛びで草むらに消えたのでしょう。
あの大きさなら優に1mは飛べそうだぞ
とブツブツ心の中でつぶやきつつ、歩いて10分ほど先の大駐車場を目指しました。
車に乗り込んで、一息ついてから時間を見るとまだ3時前。
早いけど長時間のドライブでくたびれたし、お宿に向うこととしました。
駐車場から本堂のある方向をパチリ
参道
この階段を上がったところに本堂があります。
本堂はやっぱり撮る勇気がありませんでした・・・
五月晴れのある日、家の仏間に籠もってチクチク(趣味の)手芸ばかりもなあ・・・と1人思い立って広島県廿日市市と広島市五日市にまたがる山
「極楽寺山」
へ行きました。
頂上付近に極楽寺があります。
一般社団法人はつかいち観光協会のHPより↓
標高693mの極楽寺山・山頂付近にある極楽寺は、奈良の大仏殿造営のため諸国を巡歴していた僧行基が天平3年(731)開山、後に聖武天皇が建立したと伝えられる由緒ある古寺です。
また、広島の戦国大名といえば、毛利元就。極楽寺は、毛利元就ゆかりのお寺でもあります。現在も残る極楽寺の本堂は、実は永禄5年(1562)に、毛利元就によって再興されたもの。唐様式仏殿の軽やかな面影を保つ建築物で、県重要文化財に指定されています。
ご本尊の十一面千手観世音菩薩坐像は行基作で、後に弘法大師が開眼したと伝えられており、平安時代中期(11世紀)につくられたと考えられています。県指定の重要文化財として、毎年「かんのんさん」の日に開帳されます。
説明の終わりの3行の内容が???となりつつ読みました。
行基さんは奈良時代に活躍したはず・・・なのにご本尊が平安時代中期につくられたとは・・・?
・・・・・・あまり考えない方が良いのかもしれません。
最近、何気に目にした図書館の本に極楽寺が載っていて
結婚する前の約30年近くを極楽寺山のふもとに住んでいて、毎日この山を目にして暮していたことを思い出しました。。
辛いときも
悲しいときも
嬉しいときも
幼い頃から、この山を仰いだ日々・・・
どっちかというと
辛いことの方が多かったかなあ・・・
さて
廿日市市内からすぐ山の中に入り、30分も車を走らせると極楽寺の駐車場に到着。
街中から車で30分走っただけで、鬱蒼とした木々に囲まれた山の中に入ります。
広島県は山が多い地域なのです。
車から降りると、目の前に標石があって参道がすぐ分るようになっていました。
木漏れ日の射す木々に囲まれた参道で聞こえてくるのは鳥の声と風の音だけ。
空気がひんやりと清々しく、息をする度に体も心もクリアになっていく感じがします。
歩いて行くと
平日にもかかわらず何人かの参拝者と遭遇。
地元民だったけど、この場所のことは何も知らずに過ごしていたことを今更ながら思いました。
苔むした石仏や大きな石が参道脇に静かに鎮座している横を過ぎて本堂前に出ました。
石畳がきれいに敷かれて花があちこちに咲き乱れ、誠に快い景色です。
ご本尊の十一面千手観音菩薩さまは、秘仏のため見ることは出来ませんでした。
授与所で次のご開帳は8月4日ですよと教えていただき、頭にしっかりインプット。
すぐ横にある阿弥陀さまがおられるお堂に入りました。
(堂内は撮影禁止)
灯が乏しくほの暗い中に入ると
見上げるような大きな阿弥陀さまがこちらに視線を注がれています。
縁起
当院の本尊は、一願和尚(先住佐和隆恵大僧正)の誓願により、京仏師松本明慶作の阿弥陀如来大仏を安置したものであります。その後輪、後壁には阿弥陀如来の九品仏を中心に三千体の化仏を奉納されています。阿弥陀如来の極楽浄土を顕現して、上は菩提を求め下は衆生を教化することを示し、光明遍照十方世界と念仏衆生摂取不捨を願われています。因に阿弥陀如来大仏は、高さ台座と共に八メートル、ひざ幅五・五メートル、重量は二・五トンで、木造の仏像では日本で第二番目の大きさといわれています。毎年十一月第一日曜日には、阿弥陀如来の御宝前に於いて、塔婆供養の法要が執行されます。
(広島新四国八十八カ所霊場HPより)
大きさに圧倒されつつ、手を合わせました。
目を上げて阿弥陀さまを見ていると
向って左側の肩の辺りが時折、チカッチカッと光が瞬いて見えました。
それにしても
何だか・・・
とっても・・・
癒やされるんですけど・・・・?
体がほわわ~とほぐされる感じがします。
お堂を出てしばらくふわふわと山の中を歩木回りましたが、家のことが気になって早めに車に戻りました。
帰る道すがら
いつか
娘を連れてこよう!
と思いました。
早速次の週末。
仕事でのストレスで体調と気分を崩し気味の娘を車に乗せ、再び極楽寺へ。
車から降りて山中の道を歩くと
空気の清らかさに娘も目を見張り、少し元気が出た様子。
阿弥陀さまのお堂に入ると
娘は手を合わせてから、じっと阿弥陀さまを見上げました。
2人とも声もなく
ただ座っていました。
阿弥陀さまのお顔を眺めていると
動かないはずの眼(まなこ)が、チラチラと動いて、その動きは娘に向いているように見えました。
弱っている娘をご覧になっておられるみたい・・・
30分もそこにいたでしょうか。
そろそろ帰ろうか。
「うん」
名残惜しく、阿弥陀さまにお別れし、暗いお堂から明るい外に出て目を細めつつ歩いていると、両掌がぽかぽかしていることに気がつきました。
娘も
「手が温かくなって、手汗も止まってる!」
と大喜び。
娘は緊張しやすく、常に手汗が止まらないのが悩みだったので、本当に驚き有り難く思いました。
車に戻りつつ
阿弥陀さまにまた会いに行こうね!
と言うと
娘も元気よくうなずいてくれたのでした。
駐車場そばの案内
木々に囲まれた静謐な参道
石畳がきちんとした雰囲気の境内
帰る途中に木々の間から見えた瀬戸内望む望む景色
可愛い花が咲いていました
この春から
4人家族から社会人の長女と夫の3人暮らしに慣れてきた今日この頃。
我が子の就職や進学が定まったと思ったら
実家の親に変動があって
お隣の山口県で長兄と2人暮らしの父の体調が悪くなったり
母が入所している施設のケアマネさんが突然退職したり
思わぬ事態が発生し、心定まらず・・・
ということがありました。
未来が見えにくいという現状を受け入れつつ
先日娘と5月3~5日に開催された広島の祭典「フラワーフェスティバル」へ行ってきました。
元々そりが合わない母娘
ではありますが
娘推しのダンスグループが3日に出演するステージがあるとのことで、娘に誘われて行くことに。
たくさんの人で賑わう中
まずは通りのほぼ中心に鎮座されている
白神社(しらかみしゃ)
を目指しました。
菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊を主祭神とし、相殿に天御中主尊、高皇産霊尊、神皇産霊尊、天照大神が祀られています。
戦国時代末期頃までこの辺りは海でした。
神社がある位置は岩礁が多く、航行する舟が座礁するとのことで白い紙を目印に使った
その後
この地域の干拓が進み神社が創建された
というのがネットを検索するとありました。
鉄道や道路網が張り巡らされる近代まで、物流の拠点は海や川。
広島城が見える城下町だったこの場所は、海だった時代には大小の船の往来が活発だったことでしょう。
境内に立つ狛犬さんや建物の周りの石が部分的に変色しており、原爆投下時の熱線の被害を今に伝えています。
今は緑茂る木々に囲まれた境内で
娘と静かに拝殿で手を合わせました。
その後
たくさんの人や屋台のお店で賑わう通りをそぞろ歩きました。
横目で見る娘の顔は満艦飾にメイクが施され、鋭い目つきのパンダのような目元にこってり塗ったファンデーション。
見る度ぎょっとさせられます。
ところが、遠目で見るとまことにぱっちりとした顔の造作に見えるから不思議。
たぶんこれは舞台化粧と言うやつなのかもしれない・・・
と1人ブツブツ心でつぶやきつつ
あんたは若いし一般ピープルなのだから、舞台化粧なんかせんでも薄化粧で十分可愛らしいよ
と言ったところで
絶賛反抗期中の娘に聞き入れられるわけもなく、ましてや本人が必要を感じて自らに施しているメイクなのだから
至近距離で娘の顔を見てぎょっとするのはこの母である私だけだし
まあ、いいでしょう
と思うことにしました。
そして
娘の推しのダンスグループのステージが始まると
私も年甲斐も無く合図に合わせて声援を送ったり、手を振ったり。
大いに楽しめました。
天候も寒からず暑からず。
今回は娘が誘ってくれたけど来年は無いかもなあ・・・と思いながら、家路についたのでした。
ここからがややスピリチュアルな内容で。
昨年奈良県で購入した兎型のお守りを手持ちのリュックに入れて今回出掛けたのですが
入れていることをすっかり忘れて、夜も遅くまで仏間で1人静かに趣味の手芸に没頭していると
飼い猫が下駄箱の横に座ってミャオミャオ鳴いているのが聞こえました。
部屋から首を出して見ると、私の方を向いて鳴いています。
はて?
餌もちゃんとあげているし、何か要求しているのかしらん・・・
ほっといてそのままチクチク手芸を続けていると
今度は
私のいる部屋の天井が突然
ガタガタ! ガタガタ!
と大きな動物が暴れているように揺れ出しました。
わ~~~~!!
と思ったと同時に
お守りをリュックに入れっぱだった!!
と思いだし、すぐさまリュックからお守りを出していつも置いている場所に戻しました。
それから天井も猫も静かになりました。
夫や娘はリビングでテレビを観ていて、音には気がつかなかったそう。
お守りが
「モ~~~!早く出してよう~~!」
との抗議の現象なのか・・・
お世話になっている霊能者さんにいつか聞いてみようかなあと思案中。
ビルに囲まれた白神社
(左側奥)
娘推しのダンスグループ
録画、録音、SNSの投稿OKとのことで載せております
キレッキレッのダンスでした
(人が写っていたので一部カットしております)
歩き疲れて紅茶専門店へ
たくさんの茶葉の種類がありました
ミルクティーを注文すると
お口直しの冷やした紅茶がグラスに入ってついてきました
どちらも美味しくて、スイーツ無くてもこれだけで満足
一緒にお出かけした兎型のお守り
この春から山口県の大学生となった息子。
慌ただしく決めたアパートに早速、先週行ってしまいました。
息子が旅立った次の日。
出勤の時間だというのに
夫が庭に佇んで、じっと庭の先にある畑を見ていることに気がつきました。
まだ行かんの?
と声をかけつつ夫の視線の先をたどると
小学生だった息子が地元のサッカークラブに入った時、練習用にと
夫が急ごしらえで作ったサッカーゴールの骨組みの残骸がありました。
中学生までは熱心に使っていたのですが、
高校は住んでいる島から遠い高校に通学していたため、部活も入らず
サッカーをすることがほとんどなくなり
いつの間にやら骨組みが朽ちて、邪魔になるので隅に片付けられていたのでした。
それを目にしながら
小さかった息子が、一生懸命ボールを追っていた姿を夫は思い出しているのでしょう。
そして
息子のためにと、ホームセンターで資材を買ってきて汗を流しながらゴールを作った自分の姿も。
あの時は
こんな日が来るとは思わなかった・・・
残骸を見ながら何とも深い淋しさを感じ、目を閉じました。
家にはいると
息子がカバン入れに使っていた青色のカラーボックスが目に入りました。
保育所カバン
小学校のランドセル
中学校、高校のカバン
息子の成長とともにずっと使い続けてきました。
それも今は
何かの書類やら息子の靴下やらが
無造作に入っているだけ。
しょんぼりと佇んで眺めていると・・・
ふと
以前ある人から言われた言葉が思い出されました。
「あなたは念が強いのだから、意識の持っていき方に気をつけてください。」
いかん!
いかん!
昔のことをいつまでも想い続けていたら、息子に私の変な念のエネルギーが届くかもしれん!
ぶんぶん!
と頭を振って
パンパン!
と両ほほに強烈なビンタをくらわせました。
カバン入れにしていたボックスをガシッと掴み、そこら辺にある息子の受験の書類やら細々したものを入れるだけ詰め込み、目に入らない場所に片付けました。
そうして
窓を開け、部屋中を丁寧に掃除しました。
たったこれだけのことですが
心がずいぶんとスッキリして
くよくよと後を向いていた心が
クルッと前を向いた気がしました。
息子は前しか見ていないだろうから
これでいいのだ!
と思い
何か美味しいもの食べに行こう
図書館の本を返してこようかな~
いつもの自分に戻ったことに気がついて
何だかホッとしました。
単純な人間ですが。
畑の水仙が綺麗でした
大学4年生の娘は、今年に入ってからほとんど学校に行かなくなり先日卒業式を迎えました。
この春大学進学の息子は、進学先が決まったぐらいから居間でゲーム三昧。
昨年暮れまでは、日中私と猫の2人暮らしだったのに・・・
ここ3ヶ月ほどは家に常に誰かがいる状態が続いています。
1人好きな私にはなかなかのストレスです。
そのせいか、最近出来た口内炎がなかなか治りません。
同じく1人好きな娘もストレスらしく、先日久方ぶりのけんかをしました。
「お母ちゃんとは気が合わん!」
分った!
もうどこへもあんたとは一緒には行かんけんね!
そのバトルの一週間後には娘と、前回記事の宮島に行ったり、住んでいる島に新しく出来たカフェに行ったり。
家族とは不思議なものです。
でもやっぱり
娘とは気質が違うというか
共感したり会話はするけど、好きなものや考え方がかなり違います。
家族とはいえいろんな面で違うのは当たり前。
腹が立つ時も当然あるけれど、この辺は柔軟に捉えるようにしています。
娘は地元で就職が決まり春から自宅通勤。
息子はお隣の山口県の大学に進学するためもうすぐ家を出ます。
そのせいか最近やたら
息子がおもちゃの車をよく走らせた廊下や
おでこをよくぶつけた柱の80cmの高さにある出っ張りなど・・・
家のあちこちに
幼かった頃の息子の記憶が刻まれた場所に目がよくいきます。
この春から激変の我が家。
昨年は実家の家族が入退院や施設入所で環境が大きく変わり、今は様子を遠方から見守りつつ小康状態。
起こるべくして起こる変化は
眉間にしわを寄せてため息をついたり
時に怒気を含みながら喧嘩したり
思わぬ結果に驚いたり喜んだり
結果に一喜一憂しつつ
柔軟に対応するしかないか・・・とやや諦めの境地。
精神的に鍛えられながら
今度はどこを旅しようかなあ・・・
近くでいいからぼっち旅にしよう・・
と未来に希望を託すべく思案中です。
息子の進学先のアパートの契約を住ませた帰り道、防府天満宮を参拝しました
梅の花が見頃でした!
真言宗御室派の大本山 大聖院(広島県廿日市市宮島町)で購入したお守りを納めるため、先日春の冷たい雨がそぼ降る中、安芸の宮島へ娘と行きました。
娘は霊的に感受性が強くいろんなよからぬエネルギーの影響を受けやすいため、ある人から勧められてこちらのお不動様を象ったお守りを肌身離さず携帯していました。
購入して一年経ったこの1月、娘が血相を変えて
「お母ちゃん!お不動様のお守りがあり得ん位置からゴミ箱に入っとる!!」
とのことで、見てみるといつもお守りを置いていた棚から50cmぐらい離れた前方のゴミ箱にお守りがすっぽり入っているのを発見しました。
まるでダイブしたかのように離れた位置に落ちるなんて・・・あり得んと思いました。
えっと・・・このお守り買って一年経つかいね?
「ちょうど一年よ。」
こりゃ、もうお返しせんといけんね。
娘をずっと護ってくださったお守り。
きっとよからぬエネルギーから満身創痍で娘を護ってくださったのかもしれない・・・
早々にお返しせねば・・・
と思いましたが・・・
1月2月はなんだかだと忙しく、結局3月に入ってやっと宮島に行くことに。
後になって娘が言うには
「あれからお守りが棚から何度も落ちるんよ。
他のお守りは落ちていないのに。」
とのことで
あちゃ~もっと早く行かねばいかんかったか!
と思いましたが、とにかく3月のこの日、やっと元の大聖院の納札所に納める事が出来ました。
その時も一悶着があって
雨降る中、紙の袋に入れていたせいか破れてお守りが落ちてしまい
いざ納札所に入れようとして
「お守りがなくなってる!」
とその時になって気づいて大騒ぎ(探すとすぐ見つかりました)
納めた後、今度は娘の指輪が紛失したり(これもすぐ見つかりました)
紙の袋が破れたのはともかく、なぜ指輪がなくなるのかわけ分らん・・・と聞いてみると
「指輪をはめたまま納札所に入れるのは悪いかなと思って・・・指輪を外してから納札所にお守りをお返ししたんよ。」
・・・・・・・・・・・・娘よ、それは何かに書いてあったの?
「ううん、そう思っただけ。」
指輪をはめたままとか関係ない気がするけど。
底冷えのする春雨が降りしきる大聖院の参道の階段脇で、いっそう寒さが身に沁みる思いがしました。
とにもかくにも、この日やっとお返しすることが出来、新しくお守りも購入し母娘は心から安堵したのでした。
道の先に見える大聖院の建物
背後の山が厳かな雰囲気でした
霧で覆われる山を背景に厳島神社の鳥居をパチリ