佐賀町日記 (original) (raw)

10月にはいってすぐ、

近くの清澄庭園を散策した。

日本列島にどっかと

秋雨前線がのっかって、

いまにも雨が降りそうな昼下がり。

そんなお天気のせいか人はまばらで、

春先からつづいている、

大泉水の護岸補強工事の

作業も大詰めのよう。

ここ半年ほどは、

水が抜かれていて、風景も一転。

磯渡りの組石のまわりに、

ものすごい沢山いた

蛙たちはどこへいったのだろう。

いち面のオタマジャクシたちは、

大人になれたかな。

蛙たちの集っていた浅瀬にも、

いまは水がなくて、

その岸辺には彼岸花が咲いていた。

かたまりになった朱色の花は、

みな天を仰いでいる。

なにか宇宙と交信する

アンテナのようにもみえる。

奥の芝生の広場には、

クリーム色の彼岸花も咲いていた。

色がちがうだけで、

ずいぶん趣も変わる。

傍らには萩の花も満開で、

近寄ると小さな蝶があちこちに。

とても繊細な、萬葉風の小宇宙。

すると雨が降りだして、

大きな樹の下で雨宿りすることに。

たちまち本降りの細雨へ。

雨と鳥の鳴声につつまれて、

なんて静かで心地よいのだろう。

時がとまったように。

雨宿りしているそばを、

通り過ぎてゆく人たち。

小さな子どもを抱っこ紐で抱えた、

若いご夫婦らしきふたりからは、

フランス語がきこえてくる。

庭園で逢う外国人は、

多くがスポーティーな装いをしている。

立派なカメラで写真を撮ることに夢中の、

日本人の父親と息子。

情緒にはあまり興味がないよう。

折りたたみ傘を慌ててひらく、

大学生風の若い男女。

「日本人は妙に小綺麗」

といっていたイタリア人を思い出す。

草むらから、がさっごそっと音がして、

びっくりしてふり向くと、

キジバトが食べ物を探しているのか、

下を向いて歩きまわっていた。

そろそろ折りたたみの傘をひらいて、

歩き出そうか。

雨も小降りになってきた。

少しペースを落として、

ゆっくり歩いてみたい10月です。

むらがりていよいよ寂しひがんばな 日野草城

今年の9月は

3連休が2回つづいた。

敬老の日9/16と秋分の日9/23と。

その連休の最終日の夕暮れから、

気温がぐっと下がり、

半袖では寒いくらいになった。

心なしか、街に人影が少ない。

足早に地下鉄の駅へ急いだ。

季節はゆっくり少しずつ

移り変わっていくようにみえるけれど、

ある時は突然にがらっと変わる。

そんな印象の今年の秋分だった。

連休を明けて、

うっかり風邪をひいてしまった。

なんだか体がだるいなと思ったら夜には38℃に。

でもあまり自覚はなく、辛くもなかった。

寝ているときに気管に違和感を感じはじめて、

胸のあたりで不思議な音がときどき鳴る。

猫がごろごろいうときの感じにも少し似ている。

整体の施術をうけているときにも

ときどきそうなるけれど、これはなんだろう。

翌朝には37℃くらいの微熱に落ちついて、

あとから軽いのどの痛みや咳がでてきた。

それでも足湯をしたり、

湯たんぽをつくったり、

大分から届いたばかりのかぼすに、

はちみつをたっぷり入れたレモネードのようなものや、

子どものころよく作ってもらった葛湯を練って飲んだり、

いろいろしてるうちに、軽症ですんでよかった。

体調を崩しておられる方が、

まわりにもちらほら。

年明けに大きな地震にみまわれた能登では、

今度は豪雨による大変な被害がでているという。

こんなにピンポイントで次々と重なるなんて、

なんだか信じられない。

なにかの象徴だろうか。

そんななか自民党の総裁選が行われて、

石破茂さんの新総裁がきまった。

党内の派閥がなくなって、

前よりは風通しがよくなったようにみえる。

石破さんの決選投票前の演説は、

建前でなく、きれいごとでもなく、

自分の本当に思っていることを、

自分の言葉で話しているということが、伝わってきた。

政治は国の象徴だと思う。

ひとりひとりを映し出す鏡。

そこには希望しかないと信じたい。

9月来て急に大人になった靴 ひとみ

銀座エルメスのル・ステュディオで、

大すきなエルンスト・ルビッチ監督の

「街角 桃色の店」を観た。

戦前1940年のモノクロ映画で、

ライオンの吠えるロゴでお馴染みのMGM製作。

ロマンチック・コメディ―だからか、

邦題は「桃色の店」になっているけれど、

原題は「The Shop Around the Corner」と至ってシンプル。

ハンガリーはブタペストの街角にある商店を舞台に、

雇い主と従業員とお客さんたちの人間模様が

軽妙に描かれて愉快。

芸達者な役者さんたちの存在感が見事で、

原作が戯曲だったことも関係してか、

ウイットに富んだ会話の応酬も楽しい。

また顔を合わせれば喧嘩ばかりする店員同士が、

実は想いを寄せあう見知らぬ文通相手だったりと、

ストーリーの展開も巧みだ。

ルビッチ監督の映画には、

娯楽性と芸術性が両立していて、

なんて嬉しい、なんて楽しい。

時間を忘れるひとときだった。

よいものに触れたときに湧き上がる豊かな気もち。

いつだったか、とある喫茶店のマスターに

「ホンモノにたくさん触れてください」といわれたことを

久しぶりに思い出した。

そして「ホンモノってなんだろう」と思ったことも。

はて、なんだろう。

いまでもうまく説明できないけれど。

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今年10番目の台風サンサンが、

九州にやってきている。

当初は静岡あたりに上陸するといわれていたけれど、

ずいぶん西へ向かって、

いまは鹿児島や長崎のほうにまで。

とても大きなうえに、

自転車のスピードくらいゆっくりの台風らしい。

ふつう上陸する手前でピークを迎えるところが、

黒潮や偏西風との関係で、

上陸してからも発達中とのこと。

大気や街をきれいにするくらいで、

あまり破壊的になりませんように。

数日前から江東区でも、風が強く、

ベランダの植物たちがよく倒れている。

ひとつだけ咲いているバラの花も、

そのうち散ってしまいそう。

時おり、大粒の雨がぼつぼつ降ったり、

急にざーざー降ったりと、めまぐるしい。

暑さは幾分やわらいだ。

今年はじめて熱中症らしいものになった。

7月のおわり頃だったから、

まだ暑さに慣れないせいもあったと思う。

日傘をさして20分くらい外を歩いたら、

歩いているときは、ただ暑くてぼーっとするだけだったのに、

家について少し落ち着くと、

だんだん気持ちわるくなってきて、

手指や舌の動きも、少しもつれるようだった。

しばらく休んで回復したけれど、

また外へでると、やっぱり気持ちわるい。

とくに後頭部が、もやもやするようだった。

そんなことから熱中症を自覚するのには時差があること、

主に脳の機能障害だということが、とてもよくわかった。

また気持ちがわるくなってからだと、

水分を摂りにくいこともわかったので、

こまめに摂取することを心がけるようになった。

お茶や水だと、身体に入ってゆきにくいので、

ポカリスエットの粉末を溶いて常備して、

ちょこちょこ飲むようにしている。

のどが渇いていなくても、

するすると身体に入ってゆくので不思議。

季節はもう秋。

台風10号の名前サンサンは、

香港の少女によくある愛称という。

これから北九州、四国、本州へとやってきそうだけれど、

どうか機嫌よく、通過してくれますように。

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8月に入ってすぐの日曜日の午前中、

ニコライ堂のミサを見学させてもらった。

西洋音楽の原点ともいえそうな、

ア・カペラの聖歌をきいてみたかったのだ。

猛暑日のなか、

たくさんの人が集まり、

半分ちかくは外国の方々という印象だった。

いろいろな事情で異国へやってきて、

ミサは心のよりどころなのかもしれないと感じた。

外国の女性は、頭にスカーフをまいている人が多く、

宗教的なものなのかマナーなのかは、わからなかった。

ひとり、はじめからずっと泣いている若い女性がいた。

なにか哀しいことがあったのだろうか、

涙を流せる場所があるのは、素敵なことだと思った。

ミサは10時から13時半ちかくまで行われるとのこと、

神さまへのご挨拶に、ろうそくを1本灯す。

大聖堂の鐘が鳴り、主教さんと神父さんたちが続々と入場。

ある種の威厳と、乳香の高貴な香りに、つつまれた。

ミサや聖歌は日本語だけでなく、

色々な国の言葉が聴こえてきてた。

10人ほどの聖歌隊のハーモニーは、

音がやわらかくて心地よかった。

また神父さんたちの祈りを唱える声にも、

不思議な力が宿っていた。

うまく言葉を聴きとれなくても、

その響きから、伝わってくるものがある。

とくに主教さんの声には、特別な感じがあり、

その声だけで人を納得させることができるような、

おとなしくすることができるような、不思議な力を感じた。

美しさと高貴さと。

ミサが進むにつれて、

人がどんどん集まってきて、

聖堂内は、乳香の香りと煙に、

ろうそくの炎の熱も相まって、

熱気でいっぱいになってきた。

慣れていない私には感じが強すぎて、

くらくらしてきたので、

11時半くらいで、退出させていただくことに。

聖堂をでると、透きとおった太陽の光が、

うれしかった。

蝉の鳴声も、きこえてくる。

すこし前の夢で、香りには、

とてもたくさんの情報がつまっています、

と教えてもらったことを思い出し、

売店で、乳香を求めた。

売店の係の方は、

「私は信徒ではないのですが」と断りつつ、

焚きかたを教えていただき、面白かった。

香りには、どんな力があるのか、

ちょっぴり楽しみに。

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先日、ふと思い立ち、

お茶の水の高台にある、

ニコライ堂へ行った。

見学時間の13時すこし前に、

久しぶりの丸善で本をみる。

文庫のコーナーで、

土佐日記」の堀江敏幸さんの新訳と、

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」が気になった。

夏休みの少女が、お父さんと手をつないで

本を選んでいたのも、印象的だった。

この夏、少女は何を選んだのだろう。

ニコライ堂は、

正式には東京復活大聖堂で、

江戸時代の終わりごろ、

函館のロシア領事館つきの司祭として来日した、

ニコライ司祭によってつくられた正教会の聖堂。

教会のなかは、けっこう広くて、

天井のドームも高く、

閉じられた重厚な空間にもかかわらず解放感もあり、

なぜかいつもほっとする。

昼間だけれど、ほのかに昏く、

黄色のろうそくの炎がきれい。

以前は私たちも火を灯すことができたけれど、

近年は見学の人が多くなったこと、

地震災害などへの対策で、中止されているそう。

落ちついたワインレッドや渋いゴールドの色が、

基調のトーンになっていて、

あちこちにイコンが掲げられ、静かに美しい。

教会の方のお話によれば、

正教会は、古くからあるイスラム教に対して、

イエス・キリストが人の子の平等を説いたことで磔刑されてから、

はじまったキリスト教の源流ともいえる宗派という。

11世紀になってカトリックが、

16世紀になってプロテスタントがおこったけれど、

正教会ではいまでも、イエス・キリストのことを、

ラテン語よりも古いギリシャ語読みの、

「ハリストス」と呼んでいるそう。

十字のクロスも、

ラテン十字ともギリシャ十字とも違う、

独特の「八端十字」があちこちに。

20年以上前、ギリシャを旅したときに、

断崖絶壁の修道院を訪れたことを思い出した。

ふしぎと懐かしい気もちになったことも。

スケールが違うけれど、

日本だと鳥取県投入堂のようなものだろうか。

純粋な信仰は、いつの時代にも世俗を避けたいのかしら。

ニコライ司祭が、函館から東京へ移り、

お茶の水の地を選んだのは、

近くに、神田明神湯島聖堂

昌平坂学問所があり、日本各地から、

優秀な人たちの集まってくる場所だったからという。

優秀な人たちが集まれば、

よりよい世界をつくれるだろうか。

ロシアとウクライナの戦争がはじまってから、

東の正教会ということだけで、

心無いことをいう人も少なからずいるそう。

ロシアが悪い、ウクライナが悪い、

ということでなく、

争いがはやく終わるように祈っています、

とお話されていたのが、印象的だった。

猛暑のつづくなか、

坂をゆっくり降りて、帰った。

先日、7月3日の夜、

隅田川佃島あたりに、

つぎつぎと花火があがった。

夕食後の19:30くらいに、

ふいの花火の音に驚いて、

家の窓からあたりを見まわすと、

すぐ目の前に打ち上がる大花火。

緑、青、赤、黄色と、

つぎつぎと色を変えて、

一輪ごと、または幾重にも、花ひらく。

だれが、だれに向けて、

花火をあげていたのか不明のまま、

スマートフォンを片手に、

見上げている人が、ちらほら。

自転車の人も、止まってみてる。

ともかく、家の明かりを消して、

しばし30分ほどの、花火見物。

佐賀町に越してきて、

こんなに近くで花火をみるのははじめて。

なんだか、なつかしい。

子どもの頃、

としまえんの遊園地の花火大会が毎週あった。

土曜日の確か19:30すぎから20:30頃まで、

花火の音がすると、急いで階段を駆け上り、

飽きずに屋上から観ていたこと。

蝶だとか、UFOだとか、柳、バナナ、などなどの、

花火のかたちを、今でもよく覚えている。

風向きによっては、花火の煙の臭いが届いたことも。

後日しらべてみると、

この辺りでは大きな倉庫でお馴染みの、

ヤマタネグループ100周年記念式典の花火大会で、

およそ2500発打ち上げられたとか。

創業の地、深川への感謝のメッセージという。

めったにない贈りものに、

いまでも江戸の、粋を感じられる一夜だった。

深川に今もむかしの大花火 ひとみ

6月下旬、東京も梅雨入りして、

雨が降ったり降らなかったり、

蒸し暑い日がつづいている。

そんな梅雨の晴間に、

大田区の龍子公園と記念館へ行った。

モースの貝塚で有名な大森駅の西口を出ると、

すぐ目の前に天祖神社の急な石段がみえる。

かつて一帯は八景坂として名高く、

江戸の名所図会や、歌川広重の浮世絵にも描かれる、

風光明媚なスポットだったそう。

そんな八景天祖神社には、

鎌倉の源氏の頃からの言い伝えものこり、

小ぶりな境内には樹齢400年の椎のご神木も。

鈴を鳴らして、ご挨拶して、木に触れて。

女坂を下り、そのまま歩いて20分ほどで、

画家の自宅とアトリエと美術館が一体となった龍子邸へ。

川端龍子(かわばたりゅうし)/1885-1966は、

和歌山生まれ東京育ちの、

裕福な呉服商屋の息子さんで、

龍子は雅号、本名は昇太郎なのだそう。

今年2024年はちょうど辰年だけれど、

ご本人は酉年生まれで、とにかく龍がすきだったらしい。

旧宅や60畳もある大アトリエには意匠が凝らされて、

伝統的な日本家屋の平屋の随所に、

竹垣や竹壁を組んだり、網代をつかったり、

上がりかまちに龍の鱗の文様をうかばせたり、

ふるさと和歌山の那智石を庭石にくんだりと、

宮大工さんに普請をお願いしたというから、すごいこだわり。

なかでも〇△◇の形をしのばせた蹲(つくばい)の水底に、

ターコイズブルーの石を敷き詰めた手水鉢が印象的だった。

出光美術館にある有名な仙厓さんの禅画のように、

〇△◇は「さとり」を意味するらしい。

生前は高野山不動明王を信仰していたというのも納得。

龍子が40代半ばで興した青龍社のモットーは、

「繊細巧緻なる現下一般的の作風に対しての

健剛なる藝術に向っての進軍である」そうだから勇ましい。

外国留学を機に洋画から日本画へ転向したことや、

戦時中は陸軍で戦争画を描いていたことなどから、

画家の意識は、世界のなかの日本にあったと思う。

一方で、寓話や河童や桃源郷などの、

異界へのユーモラスなまなざしも。

終戦間際の8月13日に、爆撃をうけて家屋崩壊、

そこから湧きだしたという「爆弾散華の池」は、

いまはもう湧水ではなくなったそうだけれど、

蒲などの水辺の植物が生い茂り、

めずらしい河骨/こうほねの黄花も咲いて、

蝶やとんぼが憩っていた。

お母さん違いの年の離れた弟、

川端茅舎(かわばたぼうしゃ)/1897-1941は、

虚子のホトトギスで活躍した俳人で、

長患いから独自の「茅舎浄土」を拓き、

43歳で亡くなってしまう。

弟と入替るように龍子もホトトギスの同人となり、

表紙絵を飾ることも。

お母さん違いのふたりだけれど、

とても仲が良かったのだそう。

すぐ近くに住んでいたとも。

夕端居したる龍子と茅舎かな ひとみ

清澄庭園の花菖蒲が

盛りを迎えて、とてもきれい。

いろいろな紫やピンクや白の花色が

菖蒲田にランダムに。

規則的に植わっているなかでの、

不規則が、とても楽しい。

広場にはクローバーが生い茂っている。

桜の葉も青々と力強い。

桜にくらべると菖蒲は地味なのか、

それほど混雑していなかったので、

すぐそばの図書館で借りたての本、

「岩波講座 日本の思想 第4巻」の、

本居宣長さんの「古事記伝」についてのところを、

読んでわくわく。

お隣のベンチに、

おばあさまとその娘さんご夫婦がいらして、

満開の菖蒲を愛でつつ、

「桜の頃もきれいなのかしら」とお話しされていたので、つい、

「とてもきれいです。

すこし珍しい八重の里桜がとくに人気で、人もすごいです。

最近は特に外国の方がたくさん。」

とお伝えしてしまう。

横浜にお住まいで、三渓園に行くつもりが、

こちらに来ることになって、

おかげで満開の菖蒲をみれてよかったと、おっしゃていた。

にこやかなおばあさまはなんと94歳だそう!

立ち姿もおきれいで、足取りも軽く、

どこにも痛いところはないというから、尊敬してしまう。

だんなさまが山がすきで、

よく一緒に山歩きしていたからかな、と笑っていらした。

素敵な大先輩に、会えてとてもうれしかった。

花菖蒲のろうそく94本目 ひとみ

5月の風が吹きました。

若葉のしげる、小さな森の、

先っぽは、紫色のアントシアニン

還元は酸化より、うつくしい。

満月の夜、金魚が死にました。

はじめから、おわりまで、

金魚は金魚と呼ばれました。

はるか昔に死んだ小さい金魚は、

土のなかで泳いでいるようです。

5月のおわりに台風がきました。

惹かれ合うことと、

ぶつかり合うことは、

同じことだと、言いました。

磁石がカチと、云いました。

毎年5月のゴールデンウィークは、

なるべく家で過ごすようにしている。

ゆっくり本を読んだり、

勉強したりする時間が、

わたしにとっては一番の栄養になる。

そんななか長いつきあいの友人からの、

ランチのお誘いに、喜んで九段下へ。

少し早めに家を出て、

ひさしぶりに靖國神社へ寄ってみる。

午前中ということもあり、

社内に人はまばらで、きれいな空気が流れていた。

いつみても大きな大きな大鳥居。

外苑の「戦跡の石」に並ぶ、

各激戦地の石に触れてみる。

硫黄島、沖縄、マニラ郊外 ボニファシオ、

コレヒドール島、レエテ島のリモン峠とアルブエラ、

ウェーキ島、ブーゲンビル島、など。

よく晴れた日で、太陽をうけて、どの石もあたたかい。

いろいろな色と感触。石の記憶。

西南戦争で戦死された方々のための

招魂社のときから155年、

246万6千余の軍人、軍属、文官の、

お柱が祀られている社で、

民間人はごくわずか。

もちろん、原爆の広島14万人、長崎7万人、

東京大空襲の11万人は、含まれていない。

第2鳥居につづいて立派な神門をすすむと、

拝殿の手前の中門鳥居の脇に、

「今月の遺書」が掲示され、配布されている。

靖國のなかで、私がいちばん気になるところ。

今月は「陸軍少尉 藤沼喜一」命(のみこと)が、

死の約1か月前にご両親へ宛てた手紙だった。

「齢二十歳にして比島沖に散る。

米艦船目がけて八〇〇瓩(㎏)の爆弾を抱き突込む様を御想像ください。

勇ましいではありませんか。」

特別攻撃隊に参加できる名誉を喜ぶ手紙だった。

ご両親への報告通り、その後、

「昭和20年1月7日 フィリピン・リンガエン湾にて戦死

栃木県芳賀郡祖母井町井町祖母井出身 21歳」であった。

その裏面は英語表記になっている。

日本文学者で、後年に日本国籍をとられた、

アメリカ人のドナルド・キーンさんは、

「源氏」に魅せられ日本語を学んでいた若き頃、

米軍の日本語通訳将校として従軍、玉砕のアッツ島や沖縄で、

実戦を体験されたそう。当時、

日本人の自決のメンタリティーが全く理解できなかった一方で、

その書き残した日記や、やりとりした手紙を次々と訳したことが、

日本文学研究への本格的な動機になったというから、興味深い。

その人が本当に思ったこと、感じたことは、

文章の巧拙をこえて、ダイレクトに心に響く。

「今月の遺書」は「英霊の言乃葉」としてまとめられ、

隣接の遊就館で500円で頒布されている。

第1輯(S35~42)と最新の第12輯(H30~R4)を選んで、

奥の日本庭園へ行ってみると、もう菖蒲が咲いていた。

むらさき色がなんてきれい。

時計をみるともう待ち合わせの間際で、

足早にお店へ向かう。

友人おすすめの中華のお店は、

ひっそりとした佇まいで、

上質だけれどランチはリーズナブル、

とても美味しくて、楽しかった。

高校生のころからだから、もう30年ちかく!

仲よくしてくれてありがとう。

帰りの電車のなかで、

「言乃葉」集をひらいてみると、

いつわりのないリアルな言葉に、

胸がしめつけられるようだった。

揺れ動く心の機敏そのままに。

私には、ちまたの文学のための文学よりも、

よほど文学だと思われる。

すばらしくておそろしくて、

ただただ祈るような気もち。

どうか安らかであられますように。

くらげなす若葉になりぬ日をくるむ ひとみ

映画音楽で有名なイタリアの作曲家、

エンニオ・モリコーネの特選上映が、

新宿の武蔵野館で始まり、

ロミー・シュナイダー主演の、

日本初公開「ラ・カリファ」を観た。

1970年公開のイタリア映画で、

監督と脚本はアルベルト・べヴィラクア。

聞いたことのない名前だけれど、

脚本家で、本作は監督デビュー作という。

映画の背景には、

第2次世界大戦後の華々しい復興期を経て、

再び翳りのみえはじめたイタリアの、

不安定な社会情勢がある。

物語は、激しいストライキ闘争で、

夫を亡くした労働者の女性と、

労働者を省みない冷酷な経営者との、

恋ともいえない恋によって、

対立が和解へ向かうかと思いきや、

悲劇に終るというメロドラマ。

バイオレンスとロマンスという、

ありがちな物語に深入りはできないけれど、

俳優たちの存在感がすばらしい。

労働者の苦労と、経営者の苦悩が、

不思議なかたちで結びついてしまって、

違和感はあるものの、

モリコーネ特選上映にふさわしい、

名曲がうまれたフィルムといえそう。

波乱万丈、悲劇の女優、

ロミー・シュナイダーには、

いつみても尽きない魅力がある。

野生的と思えば、高貴な感じもするし、

女っぽいような、男まさりのような、

無知のような、全知のような。

彼女のでている映画は、

どんな映画でもみたいと思わせてくれる人。

なかでもヴィスコンティ「ルートヴィヒ」の

エリーザベト役が、わたしは大すきだ。

混雑が予想される土日を外して、

久しぶりに歩いた新宿の東口。

建物はそのままに、

テナントががらりと変わって、

時の移り変わりをしみじみと。

武蔵野館もいつの間にか、

ぴかぴかのシネコンになっていた。

古い映画館にあった独特の香りがなつかしい。

時代って、ほんとに変わるんだな。

映画から、たくさんのことを教えてもらった。

学校では教えてもらえない、本当のこととか。

胸がいっぱい。

今年のさくらはゆっくりだ。

靖國の桜は3月29日に開花宣言されたけれど、

街中はまだまだこれからという感じ。

お天気の変わりやすい日が続いている。

毎年きれいな花を咲かせてくれる

家のベランダの啓翁桜は、今年は咲かない。

切り花で家へやってきた2009年から15春、

毎年元気に咲いていたので、とてもさみしい。

昨年の秋、紅葉して葉を落したあと、

いつもどおり蕾をつけていたけれど、

ちょっとすると小さな緋色の蕾が見当たらない。

あれ?あれ?とまごまごしているうちに、

鳥たちに食べられてしまったみたい。

ちょうどその頃、知人から、

お庭のヴィオラの花と葉っぱを鳥たちが食べてしまって、

こんなこと始めて!という話を聴いたばかりで。

本格的な冬に入る前くらいのことだったと思う。

まるで秋に出没した熊みたいに、

食べ物が足りなかったのかな。

さくらの花は美味しいのかな。

鳥たちのエディブルフワラー。

そんなわけで、今年は一輪も咲かなかった。

それでも葉はすこしづつ出てきた。

そういう年があっても、いいのかな。

あるいは鳥たちのお腹のなかで、

咲いているかな。

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雨つづきのお天気の合間をぬって、

東京都西多摩郡の日の出山へ登った。

山仲間のアキさんと、

武蔵五日市駅に8時頃待ち合わせて、

バスで登山道入り口へ向かうこと15分。

昨秋11月以来の再会だった。

よくストレッチして、山道へ入ると、

わけもなく、うれしくなる。

何かから、解放されるのかな。

くまと逢わないように、鈴を鳴らしたり、

手を鳴らしたり、大きな声で話したりしながら、登る。

よく整備されているハイキングコースなので、

道迷いの心配もなさそう。

ゆっくりのペースで30分ほどで、見所の顎掛岩に。

日本武尊/ヤマトタケルノミコトが顎をかけて、

関東平野を見渡したという伝説が残るそう。

でも、どの代の日本武尊だろう。

すこし先のクロモ岩あたりの分岐で、

麻生山のほうから登ってきたご夫婦が、

「さっき、15分くらい前にくまに逢いました!

10mくらい離れたところにいるのに気づいて、

くまのほうが先に逃げてくれたからよかったけど、

はじめてで、びっくり!やっぱりいるんですね!」

と教えてくれた。わたしたちふたりもびっくり!

びっくりしながら木の階段を登ってゆくと、すぐ山頂/902mで、

関東平野を一望しながら、10時のおやつを食べた。

高校生のころから好きな、

リトルマーメイドのミルクフランスを、

拝島駅で乗り換えるときにみつけて、懐かしく。

「ぶぅぉーーん」という法螺貝の音が、

御嶽神社のほうから響いてくる。

丸くて力づよい、気もちのよい音に誘われるように、

なだらかな尾根道をすいすい歩いて30分、

御岳の長尾平で、すこし早めのお昼を食べる。

この後どうしようか、まだ歩いたことのない、

神苑の森を歩いてみようか、ということになり、

天狗の腰掛杉のわきの入口へ。

御嶽神社のたもとの、原生林ののこる森は、

人がすれ違うことがむつかしいくらい細い山道で、

あまり人も入らない様子。

神聖なきもちで、入らせていただきます。

すぐ近くから、また法螺貝の音。

強風で散らばったような木の枝を払いながら、

10分くらい歩くと、樹上から「ぶぅぉん!」という、

ものすごい風音と、朱と橙の中間色みたいな何かが、

目で追えないくらいの速さで飛行して消えて、びっくり。

大きかったので、ムササビかな。

わたしたちに驚いて逃げたのかな、ごめんね。

また10分くらいゆくと、こんどは大きなカモシカが、

5mくらい先の道のうえに、どっかと座っている。

わたしたちに気づいて、興味津々でこちらをみている。

すごくやさしい顔。それにきれいな目。

からだは熊のように大きくて、ぼわんとしたグレー色。

「こわがらないでね、なにもしないから。

この先に行きたいのだけれど、いい?」

ときいても、立ち上がってみるだけで、動く気配はない。

しばらくにらめっこしてみても、

ものすごく気持ちよさそうに憩っている。

お気に入りの場所なのかもしれない。

神さまの使いかな。

今日はお戻りなさい、ということで、

一方通行の道を、素直に引きかえすことに。

ゆっくり歩いて45分の小径は、

神秘に満ちているみたい。

またあらためて、うかがいます。

久しぶりの山、楽しかった。

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3月にはいって、雨の日が多い。

うす灰色の雲におおわれて、

いつもより天と地が近づいたよう。

そんなパノラマな雨の日に、

瀬戸内の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ、

モナ・ハトゥムの「地図」をみに行った。

新幹線の「のぞみ」で岡山に入り、

特急に乗りかえて、瀬戸大橋を渡ること40分。

車窓からみえる瀬戸内海沿岸の、

重工業地帯に目を奪われる。

煙突から白い煙が、もくもくもく。

生活の基盤のようなもの。

東京から4時間すこしで丸亀駅に。

およそ17年ぶりに訪れた美術館の企画展は、

「RECOVERY 回復する」というコンセプトで、

7人の作家がそれぞれに、

パンデミックをのりこえて、

私たちの世界になにが起こっているのか、

どんな世界をつくってゆくのか、

ゆきたいのかを、静かに問いかけていた。

Mona HATOUM/モナ・ハトゥムは、

1952年レバノンベイルートに生まれた亡命パレスチナ人で、

1975年のイギリス滞在中にレバノン内戦が勃発して帰れず、

そのままロンドンに残って美術を学んだという、

二重の亡命者という出自をもつ女性作家。

1998年の作品「地図」は、

金沢21世紀美術館に2002年に所蔵されたもので、

ホワイトキューブの床一面に、

ラムネ色のガラスのビー玉で、

世界地図を描くインスタレーション

手法はシンプルだけれど、

表現しているものは深遠で、

わたしたちの意識を揺さぶる力があると思う。

設営は、たとえばパズルのように、

プロジェクターで投影した光の地図に沿って、

ビー玉を並べてゆくのかな、

みんなで並べたら楽しそう。

うっかり踏みつぶしたり、

ひとつのビー玉が転がるだけで、

世界の形がまるで変わってしまう。

そんな不確実性が、

こわいような、心地よいような。

今回の展示では、立入禁止のテープが張られて、

ある程度までしか近づけないようになっているうえに、

撮影もなぜか禁止に。

意図的に世界の形を変えているのだとしたら、

問題はとてもデリケートなものになりそうだし、

まるで世界が壊れないようにと、

注意深く見張っている監視員もいらして、

そんなことも現実のパロディーのようにみえたのだった。

今年1月22日の日経新聞に、

「ポーラーシフト」と題された、

興味深い特集記事があった。

そこには、16世紀後半に考案された「メルカトル地図」が、

欧米をつなぐ大西洋を中央に配し、

北は上に、南は下に、

アジアやアフリカが辺境に広がるという、

あるひとつの世界観をつくってきたけれど、

球体を平面に表現することには限界もあって、

また政治的な思惑も働いたかどうか、

地図に表現されている面積や配置や存在感に、

実際とは異なる錯覚を起こさせていると論じていた。

また南北を逆にして、

面積を正した地図を掲載し、

どれだけ世界の見え方が変わるか、

認識が変わるかも示していて、

どきりとする内容だった。

わたしたちは知らず知らずのうちに、

たくさんの無自覚なバイアスを通して、

物事を見たり、聞いたり、

判断したり、裁いたりしている。

人の意識は、目に見えるものではないから、

わかりにくいし、自覚もしずらい。

それだけ意識はフロンティアといえるのかも。

意識を制するものは、世界を制する、

そんな時代のフォーカスを、

ひしひしと感じる仲春。

もうすぐ桜前線がやってくるかな。

花さくら仮想現実へのメロディ ひとみ