sasada33のブログ (original) (raw)

今日は10月10日、木曜日です。今日は曇り。輝代さんの誕生日。9時、青柳事務所。10時、アウガ、小山内氏。11時、渋谷氏、ふゆめ堂。2時半、福士正一氏。3時、アウガ。5時、稲村屋、鎌田雨渓、ささら。8時、帰宅。

今日の子規歳時は、「あやまって林檎落しぬ海の上(明治29年、1896年)」です。

今日の魯迅箴言は、箴言130-123「人は諷刺と冷嘲は紙一重だと言うが」です。

人说,讽刺和冷嘲只隔一张纸,

我以为有趣和肉麻也一样。

人と諷刺と冷嘲は紙一重だと言うが、

麗しさと厭味もまた、紙一重ではないだろうか。

今日は10月8日、火曜日です。今日は日課をやり、記念式典の準備をし、午後から新報を配布しました。帰宅は7時でした。三内の家の解体手続きのために忙しい。7時半にとり平。9時過ぎ帰宅。

今日の子規歳時は、「句を閲すラムプの下や柿二つ(明治32年、1899年)」です。

今日は10月6日、日曜日です。朝6時に起き、10時45分まで北狄の式典の準備にあけくれました。11時、升田事務所開き。12時、核のごみの会議。15時、平野良一偲ぶ会。18時30分帰宅。21時30分就寝。

今日の子規歳時は、「色里や十歩はなれて秋の風(1895年、明治28年)」です。

明治28年10月6日は快晴だったようで、愚陀仏庵に居候していた子規は、漱石と吟行にでかけたようです。宝巖寺の坂の両側に妓楼があったようです。

今日の魯迅箴言は、箴言130-122「もし風刺の貌をもった作品に、これっぽっちの善意も、情熱もなく、」です。

如果貌似讽刺的作品,

而毫无善意,也毫无热情,

只使读者觉得一切世事,

一无足去,也一无可为,

那就并非讽刺了,这便是所谓「冷嘲」。

もし風刺の貌をもった作品に、

これっぽっちの善意も、情熱もなく、

ただ読者に、一切の世事はひとつとして取るに足りず、

ひとつとして為すに値しないと思わせるだけだとしたら、

それはまったく風刺ではなく、いわゆる「冷嘲」である。

今日は10月5日、土曜日曇りの日でした。9時40分、西局(19日の案内速達、即日配達)。10時アウガ船橋)、11時同(千葉、藤田、船橋)。12時さくら病院(笹森)。13時アウガ(おかじょうき定例句会米山明日香)。16時あがさまい(句会後の懇親会)。18時ブルーノート(木村、足立、船橋)。木馬へ移動。20時あがさまい(木村、千葉、ふぶき、藤田、しん)。20時59分(駅発バスに乗車)21時30分帰宅。

今日の子規歳時は、「少しづつ洗ひ減すやかひわり菜(1982年明治25年)」です。ここで、貝割菜とは、芽が出てすぐ双葉の時に食べる野菜の総称だそうです。

今日の魯迅箴言は、箴言130-121「散文の体裁は、」です。

散文的体裁,其实大可以随便的,有破绽也不妨。

做作的写信和日记,恐怕也还不免有破绽,

而一有破绽,便破灭到不可收拾了。

写其防破绽,不如忘破绽。

散文の体裁は、じつは自在に書けばいいのであって、

破綻があってもかまわない。

作為的に書いた手紙や日記も、おそらく破綻は免れず、

一度破綻すれば、収拾不能なほどに壊れてしまうだろう。

破綻を避けようとするより、破綻を忘れるほうがいい。

今日は10月4日、金曜日です。夜中から降り続いていた雨がいま朝九時には曇っていますが止んでいます。今日は日課をやり、あとは19日の北狄創立70周年式典の準備で、4時から北狄の会議、6時から英会話(コリン・オサリバン先生)です。午後3時までに北狄408号が届くはずです。7月から9月までの3か月本当に忙しかったです。北狄にライフワーク小説「チェレンコフの光(180枚)」と「ダウンストリーム(96枚)」の2作を書き、ほかに「満腹食堂(30枚)」と「半蔵提灯(100枚)」も書いて投稿しました。10月から新たな気持ちで再出発します。

今日の子規歳時は、「俳諧の噺身にしむ二人哉(明治26年、1983年)」です。

子規は内藤鳴雪俳諧の師と呼び、鳴雪も正岡子規俳諧の師とした二人のこと。

今日の魯迅箴言は、箴言130-120「「白描」にまったく秘訣はない。」です。

「白描」にはまったく秘訣はない。

あるとすれば、ただ人の目をごまかすのとは逆の方法である。

真意をこめ、粉飾を捨て、作為を減らして、見せびらかさない、

ただそれだけである。

今日は10月3日、木曜日です。天気は曇りです。朝、6時に起き、残務整理を風呂に入り、朝食を食べ、久しぶりに階下の寝室のデスクトップで日課をやっています。今日は昼前から下北の佐井村まで行ってきます。帰りは夜の予定です。

今日の子規歳時は、「「虫の声二度目の運坐始まりぬ」(明治31年)1898年)」です。運坐とは、句会の座のことです。

今日の魯迅箴言は、箴言130-119「人は寂寞を感じるとき、創作に向かう。」です。

人は寂寞を感じるとき、創作に向かう。

心がすっきりすると、創作意欲はなくなる。

彼はすでに愛するものがないのだ。

創作はすべて愛に根ざしている。

原文は以下の通りです。

人感到寂寞时,会创造;

一感到干净时,即无创作,

他已经一无所爱。

创作总根于爱。