ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ34 妙仙寺① (original) (raw)

中谷与助 著『明治新撰播磨名所図絵』(大阪工新図匠館、1893)より

大椿山 妙仙寺

現在地 社町山國字ヲタンバ
創立 明応六年 寛延元年領主丹羽家転領ト共ニ移転シ来ル。
本尊 聖観音
開基 尾張國愛知郡折戸城主丹羽和泉守氏従
中興開基 同国愛知郡岩崎城主丹羽若狭守氏清
重興開基 本郡三草領主丹羽和泉守薫氏(当時本寺住職 十六代曹滴一渓大和尚)
開祖 盛禅洞爽禅師
建造物 本堂、開山堂、礼拝殿、宝蔵、薬医門、仏堂、土蔵、開基家廟所
寺宝 一 太刀一振 備前長船祐定作
一 書幅 一軸 鼓山道○師筆 あめかんむり+浦
一 伝衣 一衣 開祖盛禅師着用のもの
檀徒 檀頭 東京 丹羽子爵家
加東郡上福田村(三草)
加東郡社町(社、山國)
其の他各地に散在す

加東郡誌』加東郡教育会、1923年

本堂(「お寺の風景と陶芸」より)

県道神戸加東線を南に向かい、山国の集落を抜けるあたりの左手にあるのが、当地区唯一のお寺で、曹洞宗大椿山(だいちんざん)妙仙寺です。

妙仙寺三草藩丹羽家の国元菩提寺でした。お寺の東側には隣接して椿山保育園があり、筆者たち親子もお世話になりました。

妙仙寺は、明応6年(1497年)、尾張国愛知郡折戸村(現在の愛知県日進市折戸町)で丹羽氏従が、香華所として萬年山 長松寺を開創したのが始まりであるとされています。

(永禄7年〈1564〉、現在の山号と寺号である大椿山 妙仙寺と改められる)

その後、丹羽氏の転封により、以下のように移転しています。

天文7年(1538)岩崎村(愛知県日進市
慶長5年(1600)三河国伊保(愛知県豊田市
寛永15年(1638)美濃国岩村城岐阜県恵那郡岩村町)
元禄15年(1702)越後国高柳(新潟県新井市
七代薫氏(しげうじ)延享4年(1747)山国村へ移転、

国元菩提寺として五十石を給されました。

※現在、妙仙寺は当山国地区と愛知県日進市の二ヶ所に存在しています。

丹羽氏は参勤交代を行わず江戸に常駐する定府(じょうふ)大名でしたので、歴代藩主の墓所は浅草の江月山海雲寺にあります。

山国の妙仙寺には、明和7年(1771)、大阪定番の在任中に死去した三草藩二代藩主の丹羽氏栄(うじひで)の墓所があります。

丹羽家墓所の石門扉※(『社町史第二巻本編2』より)

※武将や半周などの墓所では石柵で墓域を囲むことが多いが、ここでは正面に石造両開扉がある。江戸末期のもので美術的遺品として貴重。(『加東郡文化財 石造遺品編』加東郡教育委員会、1987)

丹羽氏系図(『兵庫県十八藩史』)