【京都】六角堂の唐㟢社から繋がるご縁 (original) (raw)
六角堂周り、及び境内の左側(西側)の散策が終わりお次は右側(東側)です。
木の根元にはなんとも可愛らしいお地蔵さん。
もまたしても六角。
六角に何か意味があるのかと調べてみると、HPに下記記載がありました。
六角堂の御詠歌は「わが思う心のうちは六(むつ)の角ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」です。
「六の角」とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことで、これらを捨て去って角を無くし、円満になること、すなわち「六根清浄を願う」という祈りを込めた形と伝えられています。
本尊は聖徳太子の念持仏と伝える如意輪観音坐像で、秘仏とされており、厨子の前に御前立が安置されています。脇侍は、毘沙門天立像(重要文化財)と地蔵菩薩立像です。また、本堂の裏側にも多くの仏像が安置され、小窓から拝むことができます。
・六つの角とは、六根((喉・耳・鼻・舌・身・意)から生ずる六欲のこと。
・これらを捨て去って角を無くし円満になること=六根清浄を願う
だから六角。
そして、気になっていた六角堂本堂の裏側。
HPの内容からすると小窓から覗けたようですね(^^;
確かに写真を見返してみると、小窓の下に石がありこの上に乗れば覗けそうです。
次回、行く機会があれば是非覗いてこようと思います。
それにしても、建物の形に深い意味があったことに驚きました。
そして欲がもたらす人間の不浄を感じました。
私は欲まみれですから。
こうやってお参りの際は全く分かっていなかったことが調べていくごとに分かっていく楽しさ。
分からなくても良く、ただ行って感じてみること。
気付けば調べれば良いだけ。
気付かなければ、その時の私には不要なだけのこと。
そんなことも随分と腑に落ちるようになりました。
さて、境内に戻ります。
親鸞堂の奥に階段が見えます。
鳥居があるということは神社ですね。
【日影稲荷】
隣のお社は稲荷社と比べると大きく、
お目当ての唐嵜社!
勝手に六角堂の中心部に位置するかと思っていたのですが、まさか境内の東の端、一番奥に位置するとは。
唐嵜社は六角堂の鎮守となるそうで、御祭神の唐崎明神は滋賀県大津市の唐崎神社の神様とHPにありました。
【六角堂 唐嵜社】
六角堂の鎮守です。
御祭神の唐崎明神は、「唐崎の松」で有名な琵琶湖畔の唐崎神社(滋賀県大津市)の神様で、比叡山延暦寺とも深い関係があります。
【出典元:境内・諸堂|『六角堂』 紫雲山 頂法寺 ~いけばな発祥の地】
祓いといえば瀬織津姫。
ですが、唐崎神社の御祭神は瀬織津姫ではなく女別当命(わけすきひめのみこと)。
同じく滋賀県の高島市にある川裾宮唐崎神社の御祭神は瀬織津姫、速佐須良比咩
速秋津日売神。
こうも唐崎神社の御祭神が瀬織津姫ばかりであれば、大津市にある唐崎神社も瀬織津姫のような気がしないでもないですが。。。
そして、唐嵜社と合祀されているのは菅原道真公が御祭神の天満宮と素戔嗚尊が御祭神の祇園社。
唐崎神社は比叡山延暦寺と深い関係があるとHPに記載がありますが、となると空海さん。
**瀬織津姫、不動明王、空海さん、聖徳太子**とくれば役行者が側にいそうな感じですが、六角堂に役行者と関連するものは見当たらなかったように思います。
と思いつつも何だか気になり調べてみると、面白い繋がりを発見しました。
山伏山、浄妙山、**役行者山**、八幡山、南観音山、北観音山、霰天神山…
これらに共通するもの、それは「修験道」にゆかりがある山ということ。毎年宵山(山鉾巡行の前日)には、東大路丸太町付近にある「聖護院門跡」より山伏がやってきて六角堂より、ゆかりある山を巡って読経、最後役行者山にて「役行者山採燈護摩」を行います。
【出典元:役行者山 護摩焚き | 京都いいとこブログ】
山伏たちは午後1時、中京区六角通烏丸東入ルの六角堂を出発。
ほら貝や錫杖(しゃくじょう)の音を響かせて浄妙、南観音、北観音、八幡、**役行者**の各山を順に巡り、お経を唱えた。
六角堂を出て、最後に役行者山。
そして
役行者(山)!
揃いましたね。
祇園祭と言えば、人が多い・暑いで嫌厭していた関西人の内の一人で、今更ですが由来を調べてみました。
【祇園祭の由来】
祇園祭は貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて**神泉苑**に66本の矛を立てて祇園の神を迎えて祭り、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。
室町時代になると町々の特色ある山鉾のあったことが『祇園社記』に記されています。応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中絶しましたが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われることになりました。以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失しましたが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っています。
【出典元:祇園祭 概要 | 八坂神社】
由来の一文に、『京の都に疫病が流行った際、**神泉苑に神様をお迎えした・・・』とありますが、この後六角堂の次に訪れた場所は神泉苑**・・・。
寺社仏閣にお参りするようになってこの数年(特に去年一年)、強く感じるのが、偶然はないということ。
偶然だと思うことはもちろん自由で、自分が偶然だと感じればそれはそれで良く、誰かに何かを証明する必要もありません。
ただ、自分が何をどう感じ、信じるのか。
この部分がとても大切なような気がします。
ありがたいお導きに今こうして文章を起していて気付き、私なんぞが頭で考えて出来ることなんてたかだか知れており、見えないけれども確実にある何か、の存在(=それは人によって、サムシンググレートであったり、神様であったり、様々なのでしょうが)を痛切に感じます。
祇園祭と言えば、な山鉾の詳細についてはこちら。
さてさて、境内に戻りましてこちらは唐嵜社上部。
魚を担いだ行商の人でしょうか。
彫りがとても精巧です。
唐㟢神社を見つけてやっと喉のつっかえが取れたような感じ。
スッキリしました。
さて、こちらの根の張りが立派な木は境内入って左手、厠横にひっそりと。
空を覆い尽くさんばかりの枝振りは見事としか言いようがなく、
ご覧の通りの立ち姿。
やはり素晴らしい木に出会うとワクワクします(^^)
そんな、色々な出会いや気付きを気付きを頂けた六角堂の御朱印。
気になった太子堂と石不動もあとから追加でお願いしました。
ひとまず、一年以上越しで気になっていた六角堂にお参りが出来たことに感謝。
さて、この後はこちらも去年の春から気になっていた神泉苑へお参りです。
つづきます。