所の神様ありがたがらず? (original) (raw)


名称: 小御門神社(こみかどじんじゃ)
主祭神: 藤原師賢(ふじわらのもろかた)公
社格等:旧別格官幣社別表神社

後醍醐天皇の側近であった藤原師賢公を祀る神社。
師賢公は後醍醐天皇の代わりに比叡山にて討幕の挙兵をし、下総国(現在の千葉県北部と茨城県の一部)に流されて同地で没した。
明治初期に地域住民の求めに応じ、明治天皇によって公の墓所とされる地に創建された。

境内入口の鳥居。金属部分の錆と石に付いた苔が味のある風合いを醸している。

拝殿を囲う玉垣の左側面側に建つ石碑。当社創建の由緒について漢文で書かれたものか。

玉垣の後方には奥宮があり、これが師賢公の墓とされる。
成田空港まで10kmほどの距離にあり、飛行機の轟音が彼の眠りを妨げはしないかと少し心配になる。

摂末社

境内に土俵あり。

由緒書き。

境内周辺は郷土保全地域に指定されている。多くは神社創建時に植えられた木々だが、師賢公の祟りを恐れて里人の手が入ることなく残されているという。

御朱印社務所は16時に締めてしまうようで、既に閉まっていたため書き置き式の物を頂いた。日付は自分で書き込むようになっている。(日付の部分だけ下手なので分かりやすい)

令和6年2月10日 奉拝
別官 1/28
別表 9/353


名称:明治神宮(めいじじんぐう)
主祭神:明治天皇昭憲皇太后
社格等:旧官幣大社、勅祭社、別表神社東京五社

明治天皇崩御後、明治天皇とその治世を記念するものとして、大正9年に代々木御料地内に創建された。

初詣の参拝者数は全国1位で、国外からの観光客も多く訪れる。
東京都最大の神社と言っていいだろう。

一之鳥居。

参道の風景。23区内としては非常に広大な境内であり、一ノ鳥居から拝殿まで直線で600m少々もある。

ニ之鳥居。

氷彫刻の大会が開かれていた。最終日のためかなり溶けてしまっている。


三之鳥居と内拝殿。トップ画像は外拝殿である。

御朱印

令和6年1月14日 奉拝
官大 2/60
別表 8/353


名称:鎌倉宮かまくらぐう)
主祭神: 護良親王(もりながしんのう)
社格等:旧官幣中社建武中興十五社

主祭神護良親王は別称を大塔宮(おおとうのみや)と言い、この神社もそれに因み、「だいとうのみや」と呼ばれる事がある。
護良親王の読みは一般的には「もりよししんのう」だが、当社では「もりながしんのう」と読む。

護良親王鎌倉時代末期〜建武政権期の皇族であり、鎌倉幕府打倒に大きく貢献した人物である。
建武政権開始後は武士、特に足利尊氏を強く警戒して強硬な態度を取り尊氏に融和的な後醍醐天皇に遠ざけられた。
他の皇子との継承権争いに係る陰謀もあり、鎌倉に幽閉されていた所を中先代の乱で鎌倉を去る足利尊氏の弟、直義の命によって暗殺された。
鎌倉宮は彼が幽閉され、没した場所に鎮座している。
結果的に護良親王の懸念通り尊氏は後醍醐天皇に叛いて幕府を開いており、見識は優れていたがその武断的態度によって身を滅ぼした悲運の人物と言える。

建武の中興に功のあった人物を称え、明治政府によって創建・振興された建武中興十五社の一。旧社格官幣中社だが神社本庁に所属していない為、別表神社では無い。

鶴岡八幡宮からは徒歩10分程度の場所にある。

御朱印。見開き型で、巫女さんが御朱印帳に祈祷を捧げてくれる。
頂いたパンフレットには國學院大の学生・OB謹製の和歌が掲載されており、宮司さんは和歌に凝っているようだ。

令和5年12月31日 奉拝
官中 2/22


名称:小國神社(おくにじんじゃ)
主祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
社格等:式内社(小)、旧国幣小社遠江国一宮、別表神社

主祭神大己貴命大国主命の別称。
歴史的に遠江国一宮として扱われてきた。
戦国時代の武田信玄による遠江侵攻の折、徳川家康側に付いた事で江戸時代を通じて将軍家からの崇敬厚い神社であった。

現代でも地元住民からの崇敬を大きく集めており、初詣シーズンには駐車待ちの車列が1km以上続く事もあるという。

大鳥居。年末のため、正月に向けて参道に出す屋台の準備が喧騒の中行われており、周辺地域の人口からは考えにくい程の盛り上がりであった。

天竜浜名湖鉄道 遠州森駅。観光案内所の親切なおじいさんに案内され、駅のレンタサイクルで参詣した。

乗車した車両。乗っていて楽しいローカル鉄道。エヴァ仕様になっていた。

御朱印

令和5年12月30日 奉拝
一宮 3/106
国小 2/37
別表 7/353


名称: 井伊谷宮(いいのやぐう)
主祭神: 宗良親王(むねながしんのう)
社格等:旧官幣中社別表神社建武中興十五社

主祭神宗良親王で、南朝方の将軍として関東を転戦した皇族。
南朝征夷大将軍であった。

井伊谷宗良親王が一時身を寄せていた地であり、薨去候補地の一つである。
敷地内には明治政府に認定された陵墓が存在する。

建武の中興に功のあった人物を称え、明治政府によって創建・振興された建武中興十五社の一。

明治2年創建。
当時の国策として振興された色が濃く現地での信仰はそれほどでもない為か、旧官幣中社という社格の高さの割に境内はこじんまりとしているが、よく整備された美しい神社であった。

鳥居。

御朱印

令和5年12月30日 奉拝
官中 1/22
別表 6/353


主祭神: 大山祇命(おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
社格等:式内社名神大)、伊豆国一宮、伊豆国総社、旧官幣大社別表神社

主祭神二柱を総称して**三島大明神と称する。
土着信仰との関わりが強い神社には良くある事だが、三島神とは
「御島神」**、つまり伊豆諸島の神であり、ニ柱とも後世に記紀の神を当てたに過ぎないと思われる。
元々は三宅島に鎮座していたとされ、下田の白浜を経て当地に遷座したというのが有力説である。

三島神と三嶋大社の歴史を巡っては、同じオオヤマツミを祀る伊予国(愛媛県)の大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)との関連、祭神変更の経緯など興味深い要素が多い。
長くなってしまうので、三島神についてはまた個別記事で書きたいと思う。

境内入り口付近から。富士山がよく見える。

神鹿園(しんろくえん)。地元の子供達が与える乾燥パスタが大好きらしい。

御朱印。書き込み式の場合、大きな神社ほどシンプルな御朱印である事が多いように思う。それだけ御朱印を頂く人が多いのだろう。

車を使わずに1日で寒川神社伊豆山神社三嶋大社と巡り、日程を詰めすぎたせいもあり、あまり写真を撮れなかった。また機会があれば訪れたい。

令和5年12月29日 奉拝
一宮2/106
官大 1/60
別表 5/353


主祭神: 火牟須比命(ほむすびのみこと)
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
社格等:式内社(小)論社、旧国幣小社別表神社

熱海、伊豆山に鎮座する神社。

主祭神4柱を伊豆山神と称する。
歴史的には**伊豆山権現**(いずさんごんげん)などと呼ばれる。
元来山岳信仰の地であるため、記紀由来の神々を当てた形だと思われる。

鎌倉幕府創始者源頼朝ゆかりの神社の一つとして知られ、当社で源氏再興を祈願したと伝わる。

山頂よりの位置にある本宮は江戸時代後期に焼失し、現在は小さな拝殿があるのみ。

公共交通機関で参詣する場合、JR熱海駅からバス「伊豆山循環」で行く事ができる。

境内入り口の鳥居。拝殿までかなりの数の階段を登る。海岸寄りの走湯神社(そうとうじんじゃ)からほぼ階段のみ(837段!)で至れるらしい。

頼朝と政子の腰掛石。二人はここで逢瀬を重ねたと伝わる。三嶋大社にもあったな……実際に座る事ができ、ここで10分ほど休憩がてら歴史に思いを馳せるなどした。

元本宮の鳥居。奥には拝殿が見える。本殿からは片道30〜40分ほどの登山になる。道中あまり整備されていない道が多く、結構険しい。(筆者は下山の際、重い荷物を背負っていた事もありバランスを崩して足を挫いた)

本宮の境内は茂みで囲まれており、思ったより見晴らしは良くない。写真はなんとか見えた島で、新島と思われる。

本宮境内パノラマ。

御朱印は書き置き式。コロナ禍の名残りが無くなれば書き込み式も復活するかもしれない。

令和5年12月29日 奉拝
国小 1/37
別表 4/353