清少納言・和泉式部・赤染衛門…紫式部は同時代の女性たちをどう評価したのか? (original) (raw)
清少納言・和泉式部・赤染衛門…紫式部は同時代の女性たちをどう評価したのか?
清少納言という女性
大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の**紫式部**ですが、彼女のほかにも、当時の女性で後世に名を残した人は多くいます。式部は、そんな同時代の女性たちをどう評価したのでしょうか。
まず有名なのは、紫式部のライバルとされる**清少納言**に対する批判です。
清少納言の父は歌人の清原元輔。康保3(966)年頃に生まれ、橘則光の妻となって数人の子を産んでから離別し、正暦4(993)年頃、**一条天皇の中宮・定子の女房となりました。**
藤原北家の長者として権勢を誇った定子の父・藤原道隆の全盛期には、恵まれた環境で文才を発揮しましたが、 長徳元(995)年の道隆の死によって環境が暗転します。
政権が道長に移り、彰子の入内によって不遇をかこいました。しかし、その翌年頃から『枕草子』の執筆を始め、長保3 (1001)年までにほぼ書き上げたと考えられています。
歴史上の二人の関係
大河ドラマ『光る君へ』ではファーストサマーウイカの演技が冴え、紫式部とも共演していますが、実際には長保2(1000)年に定子が没し、主を失った清少納言は宮廷を去っています。
史実としては、紫式部が出仕したのはその後の寛弘2(1005)年頃なので、二人はすれ違っており実際には面識はなかったと思われます。
しかし『紫式部日記』には、清少納言に対する痛烈な批判が綴られています。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
(清少納言こそ、得意顔で偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字を書き散らしていますが、よく見るとたいへんに未熟な部分が多くあります)
かく、人に異ならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
(あのように他の人とは違うのだとばかり思っている人は、必ず見劣りし、行く末は悪いことばかりになるはずです。 風流に染まり切った人は、風流にほど遠い折にも風流を気取り、的外れなつまらない結果を招くものです。誠実でなくなってしまった人の果ては、どうして良いものになるでしょうか)
紫式部が、なぜこれほどまでに清少納言に対する辛辣な批判を日記に残したのか、その理由ははっきりしていません。
公平さを欠く評価
紫式部は同時代を生きた**和泉式部や赤染衛門**についても評価しています。
そこでは、彼女たちの素行はともかくとして文才があることはしっかり認めるという視点の公平さが特徴的です。
そんな式部でも、こと清少納言については、その文才すらも論外としたくなるような気持ちがあったのでしょう。
実際、『枕草子』の文体や、数々の記録から知られる清少納言の男女関係からも、彼女の気丈で強気な性格は明らかです。敵を作りやすいタイプだったことは容易に想像がつきますね。
和泉式部に対する評価
当時の式部の同僚達には、文才のある魅力的な女性たちが多くいたとみえ、さらに宮廷内での男女関係もあいまって、彼女の周囲は艶っぽい空気感だったことが窺い知れます。
よって、式部は彼女たちの素行と文才をあわせて評価しています。
例えば、有名なのが**和泉式部**です。寛弘6(1009)年に彰子の女房となった、紫式部のいわば後輩にあたります。
和泉守・橘道貞の妻として娘をもうけながら、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王、続いてその弟・敦道親王との恋愛によって結婚生活を破綻させたとされています。
父親である大江雅致はついに娘を勘当し、藤原道長も彼女を浮かれ女と呼びました。
これだけでも彼女の評判が悪いのは想像がつきますが、実は紫式部は、彼女を次のように評しています。
和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。歌はいとをかしきこと。
(和泉式部には感心できない面もありますが、ちょっとした走り書きの文中にも、その方面 の才能のある人で、何気ない言葉遣いに色つやが見えるようです。和歌にはとても趣があります)
当時の和泉式部の評判は、おそらく散々だったと思われます。しかし紫式部は公平な視点から、彼女の文才を認めていました。
数々の男性との浮名を流し「恋多き女」として有名な和泉式部。現在では、彼女は勅撰集に200首以上が選ばれるほどの歌人として有名で、また敦道親王との恋愛を綴った『和泉式部日記』の著者としても広く知られています。
おそらく和泉式部という女性は、多くの男性を虜にする魅力と文才に溢れていたのでしょう。
赤染衛門に対する評価
次に、紫式部が評価した女性で有名なのが**赤染衛門**です。
赤染衛門もまた女房の一人で、貞元元(976)年に第38代宇多天皇の孫・源雅信邸に出仕し、長女・倫子に仕えたベテランです。
倫子が藤原道長に嫁ぐと、その長女・彰子の女房となりました。紫式部の先輩にあたるわけです。
式部は、そんな先輩について、
ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねと、聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。
(特別な権威とは評価されていませんが、いかにも風格があり、歌人だからといっていろいろな場面で詠み散らかすこともなく、世に知られているものはみな、何気ない時節の歌にしても、私が恥ずかしくなるような詠みぶりです)
と絶賛しています。
彼女が評価した通り、赤染衛門は勅撰集に70首以上が選ばれ、歌集を残すほどの優れた歌人でもありました。
また彼女は、夫・大江匡衡と、息子・挙周らを献身的に支えた良妻賢母としても知られます。その一方で、結婚前に恋人関係にあった匡衡の従兄弟・為基とも歌のやりとりを続けてもいました。
和泉式部といい赤染衛門といい、当時の女房たちの間には、男女関係についてはある種の大らかさのようなものがあったのでしょう。
紫式部や、**清少納言もまた、そうした男女関係と決して無縁ではいられませんでした。**そうした空気感の中で、女性たちによる「平安文学」は生み出されていったのです。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)
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