京都滋賀岐阜5 竹生島・彦根城・彦根城博物館 (original) (raw)
7泊8日の京都・滋賀・岐阜・名古屋旅行、5日目。
彦根駅からスタート。
駅前には国宝の風俗図(彦根屏風)のジャンボプリントがある。
佐和山城のような城(本物ではない)も見える。
駅前には井伊直政像。
駅前の観光案内所でお得なチケットが販売されていたが、9時〜17時のため買えず。
8時30分に彦根駅西口発のシャトルバスで約10分、8時38分に彦根港に到着。
9時00分に彦根港発のオーミマリンの船で約40分、9時40分に竹生島に到着。
日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産-」
724年(神亀元年)に聖武天皇が天照大御神の信託により僧行基に勅命し、弁財天を祀ったのが始まり。
本尊は弁才天で、安芸の宮島、相模の江島とともに日本三弁財天。
宝物殿
彦根城蓬莱亀がお出迎え
蒔絵三重塔、伝徳川家光寄進
面向不背の珠
四方どちらから見ても釈迦像が正面を向く。
衛府の官人が佩用する「衛府の太刀」ともいう。毛抜形太刀は全国に5口しか現存していない。
銅製三足香炉、1521年、重要美術品
宝物殿の近くには、片桐且元が観音堂の普請奉行として手植えした記念樹のモチの木もあった。
宝厳寺渡廊(舟廊下)は、豊臣秀吉の御座船・日本丸の部材によって建てられたという伝承を持つことから「舟廊下」と呼ばれる。
竹生島神社(都久夫須麻神社)
本殿は豊臣秀吉が寄進した国宝で、伏見城の勅使殿を移転したもの。1602年の豊臣秀頼による復興の際に、元の本殿の外廻りに京都から移した建物を入れ込んだ特殊な構造。
龍神拝所。
かわらけ投げはやらなかった。
白巳大神もいた。
11時00分に竹生島発のオーミマリンの船で約40分、11時40分に彦根港に到着。
11時50分に彦根港発のシャトルバスで約10分、11時58分に護国神社に到着。
滋賀縣護國神社
明日は8月15日。
徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、1604年(慶長9年)に着工し、城郭の完成は1622年とされる。
現存天守のうち、国宝は彦根城、松本城、犬山城、姫路城、松江城のみ。
2024年10月1日から彦根城・玄宮園・彦根城博物館の観覧料等が改定され、彦根城と彦根城博物館のセット券で1,200円から1,500円へ300円値上げされる。
4月15日プレスリリース:彦根城・玄宮園・彦根城博物館の観覧料等を改定します(お知らせ)/彦根市
天守入城は30分待ちのため、先に博物館へ。
江戸時代に彦根藩の政庁だった彦根城表御殿を復元して、昭和62年に市政50周年を記念して開館した。
彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館
テーマ展は「井伊の赤備え―勇猛なる軍団―」。
展示作品リストhttps://hikone-castle-museum.jp/cms/wp-content/uploads/2024/07/7aaeebf62dc41076f580184e479c26b1.pdf
展示室1、第一章 赤備えと合戦の時代
正諌記
井伊直政の配下となっただけだけの旧臣たちが徳川家康の命を受け、直政を導くために作成したとされる軍法書。
関ヶ原合戦図(井伊家伝来資料)
朱漆塗仏二枚胴具足
朱地井桁紋旗印
朱漆塗燻韋威縫延腰取二枚胴具足
2代・井伊直孝所用と伝わる具足。
朱漆塗蛭巻鞘大小拵
宮王肩衝茶入
大阪夏の陣の戦功の褒美として、2代直孝が徳川家康から拝領した茶入。
展示室2、第二章 赤備えの軍団
彦根藩士の甲冑、朱漆塗具足
朱青蛭巻虫喰塗鞘大小拵
展示室3〜6は常設展「“ほんもの”との出会い―徳川譜代名筆頭 井伊家伝来の名宝の数々―」。
常設展‟ほんもの”との出会い | 彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館
展示室3、幽玄の美、数寄の世界
袷狩衣 紺地毘沙門亀甲に獅子と運版文様
染付近江八幡図敷瓦
展示室4、能舞台
木造棟、表御殿奥向の復元
表御殿奥向は藩主などが日常生活を営む建物(表向は政務や公式行事を営む空間)。
庭園
展示室5、雅楽の伝統、風雅のたしなみ
鉱物・化石等標本
埋木象文象嵌硯箱
展示室6
朱印泥調合覚書・薬種覚書・香合覚書
徳川家康直筆の覚書
牛馬図
重要文化財の馬屋
城内に残る馬屋は全国で彦根城にしかない珍しい建物。
開国記念館は無料。
企画展は「城下町400年の歴史‐世界遺産を目指す彦根城の城下町‐」
開国記念館企画展「城下町400年の歴史‐世界遺産を目指す彦根城の城下町‐」/彦根市
企画展「旧井伊神社 祖に頼り子に残し」
埋木舎は井伊直弼が17歳から32歳まで15年間を過ごした藩公館。
厳暑の間(8月1日〜9月30日)は、文化財保護のため臨時休館。
井伊直弼像
玄宮園は、4代藩主直興が1677年(延宝5年)に近江八景を模して造営した池泉回遊式庭園。中国の宮廷に付属した庭園を玄宮と言ったことから命名されたと考えられる。
「この橋わたるべからず」、「橋」が漢字だと駄目か。
庭から池越しにお城が見えた。
楽々園(槻御殿)は、4代藩主直興が1677年(延宝5年)に藩主の下屋敷として建造した。
12代藩主の井伊直亮が文化年間に楽々之間を増築して以来、槻御殿という正式の名より、楽々園の方が有名になったらしい。楽々園の名は「仁者は山を楽しみ、智者は水を楽しむ」の意からとったといわれ、民の楽を楽しむという仁政の意をもっているともいわれる。
井伊直弼も1815年10月29日に、父・直中の14男としてこの屋敷に生まれた。
大広間(書院)、茶座敷(地震の間)などを見る。
黒門橋から黒門山道を登って、彦根城へ。
西の丸三重櫓(重要文化財)は中に入って3階まで上れた。
この建物は浅井長政の居城であった小谷城の天守を移築したとの伝えもあるが、昭和30年代に行なわれた解体修理では痕跡を確認できなかったらしい。
天守は15時でもまだ行列(係の人によると20〜25分)だったため、更に後に回す。
太鼓門櫓は天守を前にした最後の門。
時報鐘は12代藩主の井伊直亮が1844年(弘化元年)に鋳造したもの。現在も6時、9時、12時、15時、18時と1日5回つかれ、日本の音風景百選に選ばれている。
天秤櫓は大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓。
佐和山城跡の山が見える。
他のものを見終えたため、15時20分に天守の列に並び始める。
そして、15時40分入城!
附櫓と多聞櫓は震度6強以上の地震が発生した際に石垣下に転落する危険性があるため内部公開が中止中。
16時00分、下城!
滞在約20分だが、内部も行列で進むのを待っている時間が多かった。城内は工事中の所が多く、ただ階段を上って下りただけな感じ。
2024年(令和6年)6月17日~7月19日、8月26日~9月27日の間、天守の耐震対策工事のため天守内部への入場が停止される。
その期間は二の丸佐和口多聞櫓の内部の特別公開が実施される。
4月12日プレスリリース:彦根城天守への入場を再停止します(お知らせ)/彦根市
昨年2023年8月9日に彦根城を訪れた時のブログ
彦根城を後にする。
夢京橋キャッスルロード.は行かなかった。
石材屋さん、つい撮りたくなる。
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2024年08月10日~08月17日 京都・滋賀・岐阜・名古屋旅行