本とITを研究する (original) (raw)
その昔、頭の冴えた女性が社会に出てくると、攻撃的、闘争的というイメージが強かった。
長らく続いた世界的な男尊女卑の反動から、こうした女性の男性化という戦略で、女性たちは男女同権を勝ち取ろうと努力をしてきた。
個人的には1970年代「中ピ連」などウーマンリブ運動のイメージ、学生時代には女子にやられてしまう男子の悲哀を描いた太宰治の『男女同権』を読み、男女同権思想とは怖いものだな、と思ったりもした。
いまではこのような運動は進化してフェミニズムという言葉で表現されるようになってきたが、今回取り上げる山川菊栄(1890~1980年)は、日本のフェミニズム運動のさきがけとなる婦人問題評論家、作家、政治家である。
平塚らいてうが1886~1971年、伊藤野枝が1895~1923年なので、ちょうど2人の中間の時期に生まれた人物だ。
山川菊栄の特筆すべきところは、その血筋と知性である。
水戸藩士で水戸弘道館の初代代表・青山延于(あおやまのぶゆき)の曾孫として武家に育ち政界にも進出。片山内閣のもとで労働省の初代婦人少年局長を務めた。
水戸弘道館とは、第九代水戸藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)によって設立された、日本の右翼思想(尊王攘夷)育成の総本山ともいえる学術施設である。
方や青山延于の血を引き継ぐ山川菊栄は、マルクス主義者の山川均(1880~1958年)と結婚している。右から左までレンジの広い知性と教養をお持ちのインテリだ。
「山川菊栄」でGoogle検索すると、レコメンドの上位に「美人」や「かわいい」が出てくる。こうしたキーワードは気になるものでクリックして若かりし日のお写真を拝見すると、確かに知的で美しいお顔をしている。
今回取り上げる『覚書 幕末の水戸藩』は、山川菊栄の知性と教養、人間的魅力にあふれる作品である。
冒頭に「覚書」とあるぐらいで、本作は、水戸藩とのつながりが深い水戸人の山川菊栄が、血縁や近隣から直接聞いたり、家系に残る書簡文献を紐解いて書き綴った幕末のドキュメンタリーである。
本作、1974年に第2回・大佛次郎賞受賞を受賞している。
水戸から幕末を俯瞰した歴史絵巻
『覚書 幕末の水戸藩』の面白い点を一言で言い表すと、本来義務教育で教えるべきレベルの、現代日本のベースである近代日本史が鮮明に浮かび上がってくるからだ。
いま「水戸」と聞いて、なにをイメージするだろうか。
茨城県の県庁所在地、東京から北に離れた地方都市、納豆で有名、ぐらいだろう。
実家葛飾の幹線道路に国道六号線水戸街道があり、歩道橋の青看板に「水戸まで100㎞」と記載されていたことが子供時代の記憶に強い。
そんな水戸であるが、実は近代日本史の出発点において重要な位置を占める土地である。
まず、水戸藩といえば、藩主が徳川家直系の徳川御三家の1つである。
そして、水戸藩主徳川斉昭の七男徳川慶喜は江戸幕府最後の将軍で、1867年11月に京都で大政奉還を行った。翌年の9月には元号が慶応から明治へと改められる。
さらに、前出の水戸弘道館は、国家護持のため鎖国継続を支持する尊王攘夷運動思想の情報発信を行った中心。鎖国を撤廃し開国を宣言した徳川慶喜の父親が設立した施設である。
つまり水戸とは、水戸藩という一つのエリアで、「開国」と「鎖国」という、幕末の日本列島を震撼させた対局思想が共存する台風の目だったのである。
水戸藩が推進する尊王攘夷運動の根幹には、徳川家康の孫、水戸黄門でおなじみの徳川光圀(1628~1701年)による『大日本史』がある。
『大日本史』は、天皇家の歴史を描き日本という存在を記述することで日本人とは誰であるのかを確立し、ひいては西欧列強の攻撃から日本人が一丸となって列島を守ろうという意図に基づく歴史著作だ。
水戸藩に隣接する日本海沿岸には欧米からの捕鯨船が続々と現れた。産業革命で不足した燃料のクジラを捕獲するためである。
1824年、12人のイギリス船員が水戸藩の大津浜に上陸した。この大津浜事件が尊王攘夷運動の引き金となる。
16年後の1840年にはアヘン戦争が起こっており、当時のアジア各国は物資獲得を求めて現れる西欧各国に警戒心を持っていた。
そんな中での事件だった。
水戸藩の尊王攘夷に対する開国派には彦根藩の井伊直弼がいる。彼は「桜田門外の変」で水戸藩からの脱藩者たちの手で暗殺されている。アヘン戦争の20年後、1860年3月のことである。
さらに水戸藩内での活動は激化し、尊王攘夷運動の義勇軍、天狗党が結成される。
1864年、水戸藩出身の徳川慶喜に開国の撤回を直訴しようと、天狗党は筑波から京都へと進軍する。
しかし、慶喜は軍隊を率いて天狗党をせん滅するという行動に出る。そして352人の天狗党員が処刑された。
これが天狗党事件のあらましである。
天狗党事件に関しては『魔群の通過 天狗党叙事詩』(山田風太郎著)に詳しい。
同作はかなり『覚書 幕末の水戸藩』を参考にしており、山川菊江が周囲から聞いた天狗党の話や、明治維新後隠れて余生を過ごした天狗党残党のエピソードなどが記述されている。山田風太郎はこれらエピソードから流れ出てくる党員たちの体温を感じながら創作に織り込んでいった様子が想像できる。
これら2冊を読むと、物語としての天狗党事件、史実としての天狗党事件の両側面を見ることができ、幕末理解への解像度は高まる。
会場からの声 ~水戸、明治維新、尊王攘夷~
読書会の会場からはどのような声があがったのだろうか。
幹事のKNを筆頭に、KM、HN、HH、SK、KS、SM、紅一点のYKに水戸出身のKH(敬称略)、そして私という、総勢10名の大読書会になった。
まず、率直な感想から。
「読んでいて文章が心地よかった」
「日常から歴史が描かれているのが面白い」
「語りが織り込まれたリアルな物語」
本作に対する感想は総じてポジティブだった。
作品の、作家の文体や人間性を通した歴史観に依るところが大きい。
一方で、昭和の現代文と作者が保有する古い手紙や文献の引用が混在し、読みやすさの点でいささか難易度が高いという意見もあがった。
「「そうろう文」がよみづらい」
「2回読まないと分らない本」
作者の家系との対話、自身の記憶や隣人の言葉を多く引いている点で、調べ書きした歴史書とはまったく毛色が異なり、生々しさとリアリティが高い。血の通った言葉として文章が響いてくる。
「江戸から明治へとどう変ったのかが鮮明にわかった」
という意見や、
「歴史を書くのに100年かかるとはいうが、本作を通してそれを実感した」
という意見も聞こえた。
本作が発刊された1974年は明治維新から106年が経過している。
年月を経ないことには、生きた人間の感情や空気感から、歴史の実態をゆがめて語ったり、あるいは口を閉ざしたりという状況が起こる。
近年、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件のことが語られるようになってきた。これらも「歴史」の領域へと入りつつあるからだ。そしてまた震災や事件から100年を経たのちに、新たな「歴史」として、情報が文字と意識に刻まれる。
「登場する藩主や幕臣が人間臭くて実によい」
という発言も、本作の性質や特徴を表している。
山川菊栄があたかも見てきたような水戸藩内部の筆致が、武士の息吹を感じさせる。
幕末の水戸藩の武士たちの生活ぶりも書かれていて興味深い。
「百石以下の武士は内職できた」
「金がない武士の生活が見えた」
ふと、水戸納豆は彼らの内職から出てきたもので、「天狗納豆」の語源は天狗党なのではないかとふとつぶやくと、会場から「その通り」との声が上がった。
調べると、天狗納豆の創業者は勤王水戸藩士の血を引いているらしい。
平和なお茶の間の朝食に登場する納豆の語源が天狗党だったとは、なんとも物騒である。
「尊王攘夷思想は非文化的で理解できない」
というように、右翼系の思想には一定の嫌悪発言が発せられるが、歴史的に考えれば、海外から資源を取りに多数の船が現れたあの恐ろしい時代の、日本人として独立して自律して生きるための最善の思想的ソリューションが尊王攘夷だったのだろう。
藤田東湖(ふじたとうこ)は徳川斉昭の側近で水戸学の大家。本居宣長の国学を参照し、水戸弘道館の基本コンセプトを明文化した人物だ。
1855年の安政の大地震で母親をかばって圧死するという晩年が本作でも描かれている。
「天狗党は人から貨幣をまき上げていた悪人集団だった」
なぜこういう集団が発生したのかという、人心が荒廃した幕末の水戸藩の風景も克明に記されており、一読の価値がある。
「治安が悪い」という言葉があるが、幕末の水戸藩にはこうした言葉が当てはまる。
という指摘も興味深かった。
行き場を失った彼は新選組を結成するも、内ゲバであっけなく殺されてしまう。
「テロリズムの歴史は水戸学の流れにあるという歴史の一端が読めた」
新選組というテロ集団に水戸藩士の芹沢鴨が運命をゆだねたのは悲劇的で、このあたりから水戸学と幕末日本との根底に流れる深い関係が読めてくる。
「水戸」に関する発言は多かった。
今回の選書をされたKHさんが水戸出身者で、生まれ住んだ人にしか語りえない肌感覚に満ちた発言が印象的だった。
「維新その後の水戸がよくわった」
「いろいろな意味で水戸が「特別」であることが理解できた」
現地出身者でもなかなかわからないことが本作を通してわかったという。
あの時代の水戸藩のことは現地であまり語り継がれていないのだ。
「鹿児島とは異なり、水戸に行っても「当時」のものがないのが不思議」
と発言されたように、水戸にとっての幕末は黒歴史である。
「水戸城が人々の生活とリンクしているように感じない」
「水戸に参勤交代がなかった点で江戸との交流が薄く、水戸の閉鎖性の根拠がよくわかった」
徳川御三家ゆえに江戸幕府と水戸に深いつながりがあると思われているが、事実はこれに反する。明治維新を通して水戸は飛び地のような存在になってしまったのだ。
幕末というと薩摩、長州、京都、江戸という地名が頻繁に出てくるが、水戸は少ない。
「水戸学にうつつをぬかし自らの物語を持たない水戸藩の実態が見えた」
「水戸の当時の「空気」が面白かった」
「水戸は幕政には参加しないという、権威と権力が分離している様子はローマを想起させた」
『覚書 幕末の水戸藩』により、我々参加者の間で幕末水戸の存在感は一気に高まった。
山川菊栄の視野と懐の深さ
会場からの発言で、
「女性が水戸をつくった」
「女性が見た歴史、オーラル・ヒストリーは素晴らしい」
という言葉が耳に残っている。
テーマが幕末水戸であるということに加え、山川菊栄が語っている点が本作の最大の価値だ。
知性とユーモアに富み、人間のプライド、武士のプライド、女性のプライドといった、気品が漂う語り口である。
これら諸家の報告に共通の特徴は、辻番所の者がこの将軍居城まん前の、白昼の、抜身をふるっての大乱闘を目にしながら狙人を捕えるどころか、気味わるそうにふれない用心をし、自分たちの持ち場からはなれ去ることを願っているような、警察官らしくもない義理一ぺんの、責任のがれの態度である。
桜田門外の変の現場を目撃した記録から、山川菊栄がまとめたものである。
桜田門外の変には雪降る薄暗い中での犯行というイメージを持つが、実際には白昼で、周囲で多くの警備員たちが見て見ぬふりであったという。
以下は、山川菊栄の祖父、青山延寿からの聞き書きである。
青山延寿は1906年まで生きていたから、彼女が15、6歳のときまでいろいろな対話があったことだろう。
後年、明治になってから(青山)延寿は当時をふりかえって、幕府にとっての致命的な打軽は、交易が始まってからの物価の暴勝だったと書いているが、日本のおくれた封建経済で、はるかに進歩した強力な資本主義先進国の経済に太刀打ちすることは困難で、武力で歯が立たないのと同じこと、金銀と共に絹、茶、その他の物資の流出は国民の生活を脅かし、尊養思想をあおるのに力強い役割をうけもった。
明治維新で直面した封建日本対資本主義西欧列強の摩擦の激しさと、日本を支える尊王攘夷思想の役割が簡潔に描かれている。聞き書きの強さが伝わってくる一文だ。
参動交代の緩和や、諸藩の生活簡易化、過剰人員の減少は飲迎されたかわり、パートや臨時雇いの足軽や人夫の失業者があふれて、ぼくちうちやごろつきがふえるのを防げなかった。
治安の悪い風景、つまり、天狗党が形成された風景である。
「失業者」や「ぼくちうち」「ごろつき」たちの自己実現の場としての受け皿が天狗党だった。戦争直後の暴力団組織がこれに近い。
攘夷は朝廷の命令であり、幕府も実行を誓っているので、幕府はそれを唱えることをとがめるわけにはいかない。そこで幕府は武力をもって良民をおびやかし、金毅を強奪したという点に焦点をおき、筑波の党を専ら流賊と規定して追討を命じ、後には幕府の兵力に手向ったという点で、反乱軍として鎮圧し、断罪した。
幕府は「攘夷」を看板に掲げる天狗党を裁くわけにはいかず、市民からの強奪や幕府兵力への反抗という大儀を設定し、天狗党を反乱軍として裁いたという結末だ。
明治維新後政府は尊王攘夷の道を歩み、日露戦争や日清戦争、さらには太平洋戦争へとその思想を推し進める。しかしその背景に水戸藩の影はどこにもなく、薩長が近代日本史の基盤を担うことになることは周知のとおりだ。
最後に、山川菊栄の知性と教養にあふれた、味わい深いあとがきから引用する。
この本はそんな風に子供のころから私が聞きかじった母の思い出話、親戚故老のこぼれ話、虫くいだらけの反古などの中からひろい集めてできた幕末水戸藩のイメージとでもいいましょうか。
水戸といえばテロを連想させるような、あの恐しい血まみれ時代をぶじに生きのびたその故老たちは、みなテロぎらいのおだやかな人々で、あのテロ期の水戸は、ある人々のいうように、水戸人そのものの先天的な体質にあったのではなく、封建制度の生んだ矛盾と行きづまりの生んだ深刻な、絶望的な世相の一部であったことと思われます。
世の中の移り変りには、ともすればそういうヒステリックな傾向も現れるようですが、それを適当にコントロールするところに時代の進歩があっていいはずです。
「適当にコントロールするところに時代の進歩があっていい」とは、いまに通じる言葉だ。
長引く大国の戦争、パレスチナでは市民が虐殺され、世界は右傾化し、貨幣至上主義と超貧困が混沌とする。
いま、これを山川菊栄が目にしたら、なにを発言し、どう行動するのだろうか。
彼女はベトナム戦争の行方を追いながら、『覚書 幕末の水戸藩』をまとめていたことであろう。
現代とも重なるところが多い、示唆に富む作品だった。
* * *
この世の偉人で、実際に会ってみたい人物が2人いた。
一人は、ワーグナーに出会ったころのニーチェ。
はつらつとした知に富んだ素晴らしい青年だっただろう。
もう一人は、亡くなる直前のゲーテ。
彼が眺めてきた人生の風景を最晩年の肉声で聞いてみたい。
そして今回一人加わった。
山川菊栄である。
生粋の明治人の彼女が体験した幕末とはいったいなんだったのか。
彼女の健全な知性はどこから生まれたのか。
そんな魅力に富んだ人物である。
さて次回は、まったく趣向を変えて、初のアメリカ文学である。
新潮文庫から、エドガー・アラン・ポー(1809~1849年)の短編、『黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集I ゴシック編』を取り上げる。
アメリカの作家に数少ない、フランス文学に影響を与えた詩人、小説家である。
日本の推理小説作家の江戸川乱歩にペンネームを与えたオリジナルとしても有名である。
人間の狂気や生命の神秘をえぐり取った、世界中の作家に推理、怪奇という新コンセプトを与えた大詩人である。
次回は会からどんな言葉が出るのか。お楽しみに。
三津田治夫
※参考資料
季刊雑誌『大学出版』(2024年11月秋号)に、私の読書会論「「師範」のいない読書会」が掲載されました。
メンバーたちと11年続けてきた読書会の全体像と、そこから出てきた見解を、私なりにまとめました。
ノーベル賞作家ハン・ガンの名訳を手がけられた斎藤真理子さんや著名な先生方の間に並べていただき、光栄です。
また、こうした出版業界誌への寄稿を通して、業界貢献できるのは、編集者冥利に尽き、感無量です。
記事横の広告が大修館書店であるというのも感慨深かったです。
11月末、以下全国の書店および大学生協に配本されます。
ぜひ手にとって、お読みください。
『大学出版』配布先書店一覧
https://www.ajup-net.com/daigakushuppan/haifusaki
最後に、本件をお取り計らいいただいた法政大学出版局の赤羽健さん、東京大学出版会の山田秀樹さんに、心から感謝いたします。
ありがとうございました。
三津田治夫
仕事柄、本を書く人たちとのつながりは多い。
中でも、「初めて本を書く」という人たちも少なくない。
初めて本を書く人たちはさまざまな課題を乗り越え、文章を書き上げ、本を作り上げる。
このような人たちと相談を受けながらやり取りするなか、共通の課題を見ている。
それは、「執筆にはマネジメントが必要」である。
今回は、これからまとまった文章や本を書きたいという人たちに向け、さまざまなタイプの著者さんとのやり取りから見えてきた、7つの執筆マネジメントについてお伝えしたい。
執筆のマネジメントとは?
まとまった文章や本を書いた経験のない人は、
「どうやって本を書いているのだろう?」
「なぜ長い文章を書けるのか?」
という、そもそもの疑問を持たれているに違いない。
とくに、プロの文筆家ではなく会社員など本業を持ちながらまとまった文章や本を書く(以降「執筆」と総称する)人も少なくない。
このような人たちは、限られたリソースの中で、どのように執筆しているのだろうか。
そこで重要なのが「マネジメント」である。
計画性をもって自己管理し、執筆する。
これは、ほぼ自己完結した、セルフマネジメントである。
【1つ目】:時間のマネジメント
執筆においてマネジメントすべきリソースの第一は、「時間」である。
本業や家庭との兼ね合いの中で執筆される人は多い。
また、平日に動けない人は休日をまとめて執筆に充てたり、朝型に切り替えて早朝に少しずつ執筆、という人もいる。
「休日にまとめて」タイプの人は、平日は本業に集中でき、休日の長時間を執筆に集中できるという長所がある。
しかし平日には作業が止まるため、前回の作業を思い出しながら執筆を継続する必要があったり、平日に他の課題にマインドが上書きされ執筆のモチベーションが低下するという短所もある。
「朝型に切り替えて」タイプの人は、細切れの時間で成果物を積み上げるという地道な作業を繰り返す持久力が必要になる。
また、夜更かしや飲み会をやめるなど、ライフスタイルを変更する必要がある。
こうした強いマネジメント力が求められるが、早朝の生産性の高さは、さまざまなプロの文筆家が朝型を実践していることや、脳科学がそれを証明している。
いずれも、ライフスタイルやマインドの変更が必要になる。
家族や上司の同意をうる必要(場合によっては説得の必要も)が出てくることも考慮が必要だ。
こうした人間関係の最適化もマネジメントの重要な領域に含まれるが、範囲があまりにも広いため本稿では割愛させてい
ただく。
【2つ目】:執筆速度のマネジメント
次に出てくるマネジメントの対象は「速度」である。
とくに、締め切りが設定された執筆ではこの概念が必須である。
ブログ執筆など外部から与えられた締め切りがないにしても、本業との折り合いを付けるためにも、自分がどのぐらいの速度でどんなものを書けるのかを把握することは重要である。
これこそ、やってみないとわからない、の世界で、書いてみないことにはわからない。
そのときの体調やモチベーション、書く対象の手ごわさや調査時間、本業やプライベートの割り込みなど、さまざまな要因が速度を支配する。
そうした状況をふまえながら、まずは、時計と筆記用具を用意し、手を動かしてみることをお勧めする。
執筆対象のアウトラインを書き、それを文章にブレイクダウンするまでの時間を、文字単位やページ単位で計測し、記録する。
計測には開始時間と終了時間をメモしてもよいし、スマホのタイマー機能を利用して、書けた文字数を記録するのもよい。
ちなみに、スマホのタイマー機能を使って30分ごとにアラームを鳴らし5分の休憩を入れることで、脳の生産性が向上するという手法もある。
上記で作成した記録がある程度たまってくると、「このぐらいの時間でこのぐらいものが書けるのだな」という執筆速度が見えてくる。
これをベースに、執筆のためのスケジュールを作成していく。
【3つ目】:スケジュールのマネジメント
執筆速度がわかってきたところで、次に、スケジュールを作成していこう。
教員や上司、顧客、編集者などがいて、原稿を渡す締め切りが設定されていれば、それに従ってスケジュールを作成する。
スケジュール作成で意外にも見過ごされがちなのは、予備日の概念である。
たとえば1週間に10ページ書けるという執筆速度の場合は、単純計算で1か月で40ページ書けるという理論値は出せる。
しかし現実はそうはいかない。
前述のような割り込みも入る。
また、人間のモチベーションや関心の状態は直線的ではなく、日々揺れ動いている。
こうした自分の外的な要因や内的な要因に目を向けながら、予備日を冷静に設定しつつ、スケジュールを作成し、マネジメントしていく。
スケジュールのマネジメントにはMS Excelがよく使われるが、無償で遠隔利用や共有ができるGoogleスプレッドシートも有効である。
メモ帳などの紙でのマネジメントも可能だが、閲覧性や過去の実績との比較が容易という利便性の高さからも、こうしたデジタルツールの活用はお勧めである。
【4つ目】:意欲のマネジメント
次のマネジメント対象は「意欲」、つまりモチベーションである。
執筆が長期に渡ればわたるほど、モチベーションを保つことは困難である。
しかも本業がある人は、本業のイベントやトラブル、立場の変更から、あっけなくモチベーションをそぎ落とされるという事態に陥りがちだ。
また、プライベートでもさまざまなことが起こりうる。
いわゆる日常が、その人のモチベーションを支配している。
同時に、その人のメンタルといった、内面もモチベーションを支配している。
やる気を出せ、根性を出せと他者から言われても、モチベーションが働かなければ執筆の手も動かない。
まずは、モチベーションの根幹となる、なぜ自分は執筆するのか、執筆してどうなりたいかを、漠然とでも持っておくことが強みになる。
意欲が減退したとき、「なぜ」や「どう」を思い出すことで、必ず行き先が見えてくる。
行き先が見えれば再び歩き出せるのだ。
そのうえでお勧めなのは、執筆環境を変えることである。
部屋から一歩出て、スタバなどWi-Fi環境がある場所で執筆する人は多い。
最近は液晶画面の性能が良いので、強い太陽光さえ避ければ、講演や海岸、山の中など、屋外での作業もできる。
このような特性を活かし、ワーケーションの採用も執筆には有効である。
昔の文学者が、城崎温泉や箱根の保養地で執筆にいそしんだのは元祖ワーケーションである。温泉につかっていると特殊な創造性が開いてくるのかもしれない。
そうしたワーケーションの疑似環境がお茶の水の山の上ホテルだったが、惜しまれながら2月に休館になったことは記憶に新しい。
最後に、上記で朝型執筆の有効性は述べたが、「2時間原則」
のこともつけ加えておきたい。
執筆をする際には、最低2時間のまとまった作業が脳に有効で、生産性が高いことは、よく知られている。
2時間以下の作業だと、メモ書きや、情報の断片のアウトプットしかできず、物事を体系化したり構造化したりが困難だ。
この特性を逆手にとって、通勤時間や空き時間を利用して付箋やスマホのメモに情報の断片を蓄積し、早朝や休日にまとめて文章としての体系化・構造化をはかる、という手もある。
ライフスタイル変更を推し進め、21時睡眠4時起床、出勤の6時までの2時間を執筆に充てている、という猛者筆者の話を耳にしたことがある。自分のライフスタイルを客観視し、
変えられるものは変え、脳の特性を知りつつ、高い意欲で執筆に臨んでいただきたい。
【5つ目】:データのマネジメント
紙で執筆する人はほぼいなくなった。
少し前までは原稿用紙にしか書きませんと豪語する文筆家や著述家は存在したが、いまではまずお目にかからない。
書くためのデバイスはパソコンかスマホ、タブレットで、書かれた内容はテキストや画像のデータとなる。
これら成果物のマネジメントはとても重要である。
なぜなら、デバイスは壊れるからだ。
壊れれば最悪、執筆した原稿データや撮影した写真、パワポ資料は消滅する。
アプリやデバイスはお金さえ払えばいくらでも手に入るが、自分が執筆した原稿は一度失われたら決して元には戻らない。
それだけ、データの消滅は大問題であり、リスク回避のためのデータのマネジメントは重要なのである。
データのマネジメントの基礎中の基礎は、バックアップである。
パソコン内部と同じデータをクラウド上に保管、さらに、外付けHDDやSSDなどの外部記憶デバイスで保管、という方法による多重バックアップである(IT用語で「冗長化」ともいう)。
外部記憶デバイスは大容量なので、大量の写真や動画のデータ、時間さえかければパソコン内部のデータを丸ごとバックアップもできる。
こうしたバックアップの概念を知らない人は意外と多いので、これを機会に知っておくとよい。
バックアップは、いざというときの強い助けになる。
バックアップを怠ってひどい目に遭った人たちをたくさん見てきた。
また、いまだに雷によるデータ消滅の被害もあるから、油断ならない。
GoogleドライブやDorpBoxなど、クラウドで無料利用できる外部記憶環境も多い。
自分が持つデータの大きさや執筆スタイルに合わせ、バックアップのこともぜひ考慮していただきたい。
【6つ目】:レビュアーのマネジメント
マネジメント対象の6つ目は、レビュアーである。
ここが意外と知られていない。
話が広範になるので機会があったら別途取り上げたいのだが、共著のマネジメントも類似の意味で重要である。
レビュアーとは、原稿を読んでくれ、コメントをくれる人である。
執筆した成果物が、他者に読まれるもので評価されるものであるのなら、なおさらレビュアーの存在価値は高い。
このレビュアー、家族や友人ならそれほど大変ではない。
しかし不特定多数の他者となると、マネジメントが必須になる。
最近は執筆の協力者としてSNSでレビュアーを募って執筆する人は増えてきている。
的確な意見、ノイズ的な意見など、いろいろなコメントがレビュアーからは返ってくるが、それもまた事実としての意見である。
レビュアーが入ることで、書き手の閉ざされた脳が開き、リライト対応の如何により、原稿のクオリティは格段と高くなっていく。
そのレビュアーは、人数よりも質が重要であることは言うまでもない。
そこで、マネジメントの有効性が高まるのである。
適切なレビュアーを選択し、誰にどのような視点で原稿を読んでもらい、どんな意見を受け取りたいのかを明確化し、レビューを依頼する。
これが、レビュアーのマネジメントである。
上記のマネジメントのなかでは比較的高度な部類に入るが、
こうしたことも執筆に有効なことは、ぜひ頭に入れておいていただきたい。
【7つ目】:最後のマネジメント
最後に、高次で大切なマネジメントがある。
それは、上でも少し触れた、自分が「なぜ」書くのかを大切にすることである。
世の中には文字でしか伝わらないことがたくさんある。
動画や画像といったビジュアルは具体性と即効性が高く、情報伝達のメディアとして有効である。
一方で、再現性が低い。
アウトプットにはある程度の表現力と編集力を要し、誰もが同じ意味を動画や画像を通して伝えることは難しい。
しかし人間には文字という、再現性が高い共通のメディアがある。
そして声という人間が持つ共通のメディアで、同じ情報を高い再現性で共有することができるのだ。
さらに文字は、動画や画像と同様、芸術作品にまでも高めることができる。
動画、画像、文字は、つねに三位一体で人間とともに生きている。
なぜ文字で書くのか、改めて自問していただきたい。
本稿でお伝えしたノウハウを手にし、共通の「声」となるあなたの文字を、他の人に伝えていただけたら幸いである。
三津田治夫
企画書というと企画趣旨や概要、対象読者、目次、本の体裁といった、本そのものについて説明される文書であるが、さらにその次の、本をどのように読者に届けるかという道筋としての「販促案」を考え、記述しておくことが重要だ。販促案が考えられているか否かで、企画書のクオリティは数ランク上がる。
商業出版になると、販促は出版社の営業の仕事になる。しかしプロの出版営業でも、出版物をパッと見ただけではどう売ってよいのかわからない(ごくまれに天才的な出版営業もいるが)。
その際に彼らが参考にするものが、企画書上の販促案である。
企画書の対象が商業出版物でなくても、自分が書いた本(著作)をどのように読者に届けるかを考えておくことはとても大切だ。これを考えることで、自分が書いた本がどのぐらいの人の手に届くのかというスケール感もシミュレーションすることもできる。
本の販促として考えられる6つの活動
書き上げられた本の販促案の具体例をいくつかあげてみたい。
なお、出版社が実施する新聞広告や書店での営業展開に関しては割愛する。
まず、販促案として一般的に以下6つがある。
①口コミ
②SNS拡散
③イベントでの拡散
④セミナーの立ち上げ
⑤インフルエンサーの巻き込み
⑥発刊後の書店訪問(商業出版の場合)
おのおのについて説明する。
①口コミ ~販促のキホン中のキホン~
口コミは最も原始的な販促方法である。
言い換えると、あなたがどれだけの人数に声をかけられるかが、どれだけの数の人に本(著作)を届けられるのかと比例する。
口コミの手段としては②で説明するSNSが一般的に使われる。自費出版を出したら何部売れるかという質問を受けることがときどきあるが、「あなたが受け取る年賀状の数だけ売れます」という返答をある編集者から聞いたことがある。口コミの力とはその人の人脈の強さそのものなので、年賀状の数は現実的な一つの指標になるだろう。
②SNS拡散 ~拡散効果が大きいネット上の口コミ~
いわばネット上の口コミがSNS拡散である。
X(旧Twitter)やFacebook、Instagram、note、LINE、Bluesky、YouTube、TikTokなど、ネット上に情報を拡散する手段はたくさんある。
ここで重要なのは「フォロワー数」である。
この数が多ければ多いほど拡散力が高い。商業出版の編集者は、執筆依頼をかける際には情報発信者のフォロワー数をしっかりと見ている。それだけ、フォロワー数は書いた本が読者の手に届くか否かの指標となる。
しかし、フォロワー数を絶対視してならないことは言うまでもない。
数ばかり多くて、発信者に対する信頼性やファン意識が薄いと、発信した言葉は伝わりづらい。
もし、書いた本のPRにSNSを有効活用したいのなら、フォロワー数の増加とともに、フォロワーとの信頼関係やファン関係を築くことが重要である。
③イベントでの拡散 ~読者にダイレクトに語りかける~
近頃はイベントの立ち上げが容易になってきた。
ひと昔前のようにイベント会社に高額な報酬を払って企画や集客を代行してもらう必要がなくなってきた。
また、会場を借りずにZOOMなどオンラインで手軽にイベントを開催できるようになってきた。
具体的には、上記SNSのフォロワーや、集めたメールアドレスに対して集客を行いイベントを実施する。
また、イベント開催ツールを活用する方法もある。ちなみに私はDoorkeeperとPeatixを活用している。
イベントでは自らの著作の有効な読み方や、読者が著作から手にするベネフィットをPRするなど、参加者が参加して「得」をするような内容を伝えることである。
参加者には参加料と引き換えに著作物を進呈、というイベントもある。
また、インフルエンサーを呼ぶことも拡散効果が高い。
上記、オンラインイベントを前提に話したが、より深い読者との関係性の構築を求める場合、費用や労力はかかるがオフラインイベントが最強であることは付け加えておく。
④セミナーの立ち上げ ~より深く読者に語りかける~
上記イベントと似ているが、セミナーの場合は、参加者にとっての「お勉強色」が強くなる。また、あなたの著作をより深く伝えるという意味合いも含まれてくる。
参加者にとっては、参加して目から鱗が落ちる状態になったり、「やってみよう」「できるかもしれない」という意識改革があるとよい。こうした意識改革を通して、「この本が欲しい」「読みたい」につながることが、セミナーの本懐である。しかしやりすぎると、セールス大会になったりマインドコントロールにズレてくる危険性もある。さじ加減には注意が必要である。
⑤インフルエンサーの巻き込み ~他者の言葉で販促にレバレッジをかける~
上記③でも説明したが、イベントやセミナーとセットにしたインフルエンサーの巻きこみは拡散効果が高い。
知り合いにインフルエンサーがいればよいが、いなければ有料でインフルエンサーを動かしてくれる業者もある。
しかしここでの注意点は、あなたが書いた本に対してインフルエンサーの心が本心から動くか、愛があるか、である。
インフルエンサーはあなたが書いた本を本心から推薦し、あなたの本を拡散してくれるのだろうか。
「有料でインフルエンサーを動かして」の場合だと、インフルエンサーの本心や愛の力が少ない場合が多い。ゆえに効果を期待するのが難しい。
⑥発刊後の書店訪問(商業出版の場合) ~書店員を味方につける~
以前はPOPを持参して著者が書店を行脚することが習慣のように行われてきたが、コロナ禍を境に著者の書店訪問の頻度は減少し、それがいまでも尾を引いている。
書店によって対応がまちまちで、著者が個人的に訪問することで書店員が喜んで対応してくれる場合や、「版元の営業を通さないとダメ」と著者とのダイレクトコンタクトが拒否される場合もある。
こういった事情を織り込みながら、本を書いたら著者さんは書店にPOPを置いてもらうよう書店員に交渉してみたり、「近くに寄ったので」と名刺片手に「私はこの本の著者です」と、書店員に声をかけてみるのものよい。
書店員ももちろん本を売りたいわけだから、熱意の高い著者の言動に心が動かされる書店員もいる。こういった書店員たちに出会えば、著作を目立つ場所に置いてくれるかもしれない。接客の合間を見ながら書店員たちにひっそりと声をかけてみよう。
販促とは情熱が姿を変えたものである
このように、ざっと眺めただけでも販促には数々の方法がある。
すでにおわかりのように、そのメイン手段はネットにある。
つまり、出版社の外にある。
ネットのない時代は、販促は出版社への全面移譲、もしくはオフラインでの小さな口コミしかなかった。
しかしいまは違う。
オンラインのみで自主的に出版・販売し、ビジネスを成立させている著者も多い。こうした出版物はかつては「同人誌」として下ものもに見られていたが、いまでは独自の世界と市民権を得ている。
これからも、生成AIやロボットを使った販促など、さまざまな見たことのない手段が登場するだろう。
販促自体がますますクリエイティブな活動になることは間違いない。
そして最後に言いたいのは、販促はあなたの情熱そのものである。
書いた本の良さを伝え、1人でも多くの人に届けたいという、情熱が姿を変えたものが販促である。ネットを使おうがAIやロボットを使おうがインフルエンサーを使おうが、それらは手段の1つに過ぎない。手段に惑わされず、自身の情熱に従うことが最善の成果を生み出す。
あなたが書いた本を世に広める参考になれば幸いである。
三津田治夫
ユルゲン・ハーバーマスの『自然主義と宗教の間』を行きつ戻りつ読んだ。
近年の論文ばかりを集めたこの本、いわばハーバーマスの詰め合わせ。
ハーバーマスが来日したときに京都で語った感動的な講演録(幼少期の体験から思索への出会い)をはじめ、後半のカント論は「こんな読み方があったのか!」と、数多くの発見や感動がある。
カントやヘーゲルの文体がいまの時代に再出現したような彼の書きっぷりは哲学書以外の何物でもなく、かといってデリダのような読者を意識的に扇動するような外連味もまったくない。まじめな宗教論、意識論、コミュニティ論である。
論文集とはいえ、商業性を完全に無視した貴重な書籍である。
言い換えると「書物は消費されるべきではない」を体を張って示してくれている。立派な本である。
三津田治夫
かつては「小パリ」と呼ばれたドイツの音楽や文芸の街、ライプツィッヒ(Leipzig)から交通機関で1時間ほど南下すると、小さな町ツヴェンカウ(Zwenkau)がある。ツヴェンカウの36年来の友人コリンナの旧宅で現ミュージアム「ハウスラーベ」(Haus Rabe)にお邪魔してきた。
観てのとおり、バウハウスの古い建築。
友人の祖父のエーリッヒ・ラーベさんがバウハウスの作家たちと親しく、建築家のアドルフ・ラーディングに依頼して1930年に完成したのがこのHaus Rabeである。
室内には数々の絵画や彫刻、ダンス作品を生み出したバウハウスの巨匠、オスカー・シュレンマーの彫刻が多数備え付けられており、もともとは診療所兼住宅であった。
友人は脳外科の医師で、彼女のお母様もお兄様もおじいさまも皆様医師という、医師の家系である。
以前から泊まりに行く約束をしていたが、なかなか訪問は実現しなかった。
古建築ゆえメンテナンス費用がかさみ、東西ドイツ統一後にこの家を旧西ドイツの資産家に泣く泣く売却。バウハウス宅宿泊の夢は実現しなかった。
2011年2月に友人と一度ここに訪れたが、そのときはすでに他者の手に渡っていた。外観しか見ることができなかったが、大戦時にイギリス軍の空爆でバルコニーが破壊された話や、外観の斬新さから地元では変わり者扱い(いまでいう楳図かずおの家のような見られ方だったはず)されていたことなど、立派な建築だと感心しながら町と歴史にまつわる友人の解説を聞いていた。
そして今回、友人にドイツ行きのことを連絡したら「旧宅が博物館になったから見に行こう」と嬉しいお誘いをいただいた。
さらに、「休館日なのだが“ワタシが特別に開けさせる”」というので、特別に中に入れていただいた。
友人旧宅Haus Rabeは、現在は博物館として財団により手厚く管理、保管されている地域の文化財になっていた。
現在ではHaus Rabeにアーティストを招いて講演会を開催したり、ワインパーティや結婚式をやったりなど、文化財であるとともにコミュニティの中心部になっている。
写真のいちばん右側に写っているのがライプツィッヒ地域文化財団マネージャーのニナ・シュレッケンバッハさん。
彼女から友人に一通のメールが届いたことから、財団と友人との関係が始まったと語っていた。
Haus Rabeの保存に情熱を燃やし、私が訪問した最中も、次のイベントや改築のことなど、庭のベンチで友人と2人で1時間以上打ち合わせをしていた(海外からの来客の私は放置で……)。
Haus Rabeの建物や庭を行き来しながら、友人の子供時代の懐かしい思い出を聞くのが楽しかった。
現在は水がない小さな池の前には紅葉が植わった日本風ミニ庭園があり、池には金魚が泳いでいたという。子供時代によく遊んだ真っ赤なブランコは、落雷による倒木でブランコを支える太い支柱が折れ曲がり、いまは使えない。
Haus Rabeをあとにし、近所の教会に案内された。祖父のエーリッヒ・ラーベさんと祖母、お母さまとご先祖がそこに葬られている。友人ご先祖の文化に対する感性と知性と勇気に深く敬意を表し、手を合わせてきた。
いまを生きるリアルなバウハウスを体感できる貴重な場だ。
ぜひ、訪れていただきたい。
Haus Rabe
https://haus-rabe.de/en/
※3月~10月の期間限定による開館(事前予約が必要です)/入館料は11ユーロ
※関連記事
バウハウスを訪ねる旅(前編) ~ヴァイマール/ベルリン/デッサウ~
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2019/01/26/185457
バウハウスを訪ねる旅(後編) ~ライプツィッヒ~
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バウハウス ~引き継がれるべき、一つの歴史が終わったこと~
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2020/08/15/162400
東京ステーションギャラリーにてバウハウスの歴史を観覧。付録:オスカー・シュレンマーのエッセイ『人間と芸術像』
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2020/08/23/183247
三津田治夫
都内で読書会を開催。参加者は五名。
テーマは、カントと、柄谷行人の『トランスクリティーク』。
話題のほとんどはカントの認識論的形而上学でした。
次回は、西洋哲学と東洋哲学を横断したテーマにしたトランスクリティークを試みたいという要望から、2月22日(土)のテーマは、井筒俊彦『意識と本質』です!
三津田治夫