英語教育の明日はどっちだ! tmrowing at second best (original) (raw)

今日は「気になる語法」から。
play界隈。
まずは、この過去ツイをご覧下さい。

句動詞は難しい。
go about A(= ing) 「Aに精力的に取り組む」
名詞のdymanicは「原動力」
decipherは「読み解く」
問題はhow節にあるplay + into の意味。成句come into play の他動詞バージョンとして使うようになったもの?目的語にはdevelopmentが多い印象だけど、このprocessでも使われ出した?

句動詞は難しい。
go about A(= ing) 「Aに精力的に取り組む」
名詞のdymanicは「原動力」
decipherは「読み解く」
問題はhow節にあるplay + into の意味。成句come into play の他動詞バージョンとして使うようになったもの?目的語にはdevelopmentが多い印象だけど、このprocessでも使われ出した? https://t.co/8AWlSSN01N

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月17日

元ツイは The Economistのもの。

How does one go about getting employed by Donald Trump? The president-elect’s preferences are hard to predict, and the most difficult dynamic to decipher is how ideology plays into his hiring process https://econ.st/4eqsYCk

How does one go about getting employed by Donald Trump? The president-elect’s preferences are hard to predict, and the most difficult dynamic to decipher is how ideology plays into his hiring process https://t.co/BIDVLXs9iF 👇

— The Economist (@TheEconomist) 2024年11月16日

ドナルド・トランプに雇われるにはどうすればいいのでしょうか?大統領選で当選したトランプ氏の好みを予測するのは難しく、最も解読が難しいのは、彼の採用プロセスにイデオロギーがどのように影響するかということです

ツイートのGoogle翻訳ではあっさりと「影響する」という訳をつけていますが、この語義はどのようにして出来てきたのか?そして、今、この語義と用法はどのくらい拡がっているのか?

辞書で、play intoを調べても、たいていは昔からの成句くらいしか出ていません。
以下は『ランダムハウス英和』からの引用。

play into a person's hands/play into the hands of a person
〈人の〉都合のよいように行動する,〈人の〉思うつぼにはまる
Fate was playing into his hands.
運が彼に向いていた
If you lose your temper when he insults you, you will be playing right into his hands.
侮辱されてかっとなったら彼の思うつぼだぞ.

play intoを句動詞として扱っているのは、私の手元の辞書だとMW’sの上級用だけでした。

ただ、この辞書の定義の “help support” よりも、今回私が取り上げているものは対象とする語(の意味の幅)が広いと思います。

類例はツイッターで連投していました。

動詞のplay + intoで目的語相当にprocessの来る類例
Read on to see how a spec house can play into the #homebuying process.

Read on to see how a spec house can play into the #homebuying process. #REtips https://t.co/hek4epQYbq

— Stella Catalano (@StellaCRealtor) 2024年11月11日

play + into + 目的語相当の process ではhowのような様態の副詞と共起することが多い印象。

ツイッターで最古に近いツイート例がこちら。2009年の2月ですね。
@stevehurl88
im not sure how much view counts play into the selection process yet. I hear there will be a "vote" button.

@stevehurl88 im not sure how much view counts play into the selection process yet. I hear there will be a "vote" button.

— Jake Garrison (@karpadiem) 2009年2月23日

2011年の例。今では200万近いフォロワーを持つ、NFLのNY Giantsの公式アカウントからの投稿。
Ever wonder how much a prospects intangibles play into the drafting process? Our scouts tell all!
http://on.fb.me/bZvsBS

#NYG #GIANTS #NFL Ever wonder how much a prospects intangibles play into the drafting process? Our scouts tell all! http://on.fb.me/bZvsBS

— New York Giants (@Giants) 2011年4月22日

2019年の例。アカデミズムを担うコロンビア大の出版局の公式アカウントからの投稿。
Sandra Smith shares the path she took to become a translator and the challenges that came from her most recent project, translating Amos Reichman’s biography of JACQUES SCHIFFRIN. Read how style, tone and subjectivity play into the process of translation.

Sandra Smith shares the path she took to become a translator and the challenges that came from her most recent project, translating Amos Reichman’s biography of JACQUES SCHIFFRIN. Read how style, tone and subjectivity play into the process of translation. https://t.co/KV1bJND5jh pic.twitter.com/6l8n5PdtF2

— Columbia University Press (@ColumbiaUP) 2019年9月28日

こちらは最近の例。ここでは先行文脈でprocessの話しで、play into の目的語相当の名詞が the broader picture (大局)となっています。
As physiotherapists managing patients with radicular pain, our role might feel like it's centred solely on exercise prescription or some kind of biomechanical approach. Instead, I encourage you to think of 'activity' as a nested process.
Think about how these variables play into the broader picture, particularly in relation to communication, setting patient expectations, knowing when to hold on, and recognizing when to refer onward.

As physiotherapists managing patients with radicular pain, our role might feel like it's centred solely on exercise prescription or some kind of biomechanical approach. Instead, I encourage you to think of 'activity' as a nested process.

Think about how these variables play into… pic.twitter.com/tYQkkklgIa

— Adam Dobson (@adamdobson123) 2024年11月8日

つい最近生まれてきた語法ではないのかな、と思うのは20年ほど前の大学入試でも素材文には使われていて、しかも注がついていない、という辺り。

都市伝説について書かれた文章から。

Another reason such stories get passed on is because the details make them seem real. You may have heard stories of children who went missing at a local department store, or you may have heard about various gang activities in a specific part of your town. Since you are familiar with the setting ― you know it’s a real place ― the story sounds real. These specific details also play into your own fears and anxieties about what could happen to you in the places you visit regularly.

出典は明記されていませんでした。
この記事
people.howstuffworks.com
と、かなり重複する内容ではありましたが、詳細は分からず。
この英文をDeepLに訳させると、

このような話が語り継がれるもう一つの理由は、その詳細が現実のことのように思えるからだ。地元のデパートで子供が行方不明になったという話を聞いたことがあるかもしれないし、町の特定の場所でギャングがいろいろ活動しているという話を聞いたことがあるかもしれない。あなたはその設定に精通しているため、つまりそれが実在の場所であることを知っているため、物語が現実に聞こえるのだ。このような具体的なディテールは、いつも訪れている場所で何が起こるかわからないという、あなた自身の恐れや不安にもつながる。

のように「…につながる」という訳語を当ててきますが、ドロップダウンリストのオプションでは、

などが出てきます。

ほぼ同時期の別の大学の素材文でも出ています。

A great variety of factors play into the birth of a best friendship ― the age and circumstances under which people meet, what first attracts them, why they remain close, and how they fill each other’s needs. Yet I found the dominant themes that define a best friend similar across the broadest range of experiences.

問題文には出典が明記されていないのですが、この段落は

から採られたものだろうと思われます。最終文がちょっと違うけれども、ほぼ原文通り。

A great variety of factors play into the birth of a best friendship--the age and circumstances under which people meet, what first attracts them, why they remain close, how they fill each other's needs. Yet I found the dominant themes that define a best friend were remarkably similar across the broadest range of experiences.

このDeepL訳は、

人々が出会った年齢や状況、最初に惹かれたもの、親密であり続ける理由、互いの欲求をどのように満たすかなど、親友の誕生には実にさまざまな要因が絡んでいる。しかし、親友を定義する支配的なテーマは、幅広い経験の中で驚くほど似通っていることがわかった。

「様々な要因が絡んで親友というものが生まれる」という趣旨ですね。

比較的近年の素材文にも登場しています。

While many individuals may immediately think of race when speaking about diversity, there are numerous aspects that actually play into diversity, especially in a classroom setting. Religion, gender, economic background and even learning styles are all notable factors, and it is crucial to remember each one when promoting diversity in schools. Incorporating lesson plans that account for all forms of diversity is key.

これ5つの段落で構成されたパッセージのうちのひとつの段落を抜いたもの。パッセージそのものの出典は明記されていないのですが、どうやら段落ごとに別の複数の元ネタから集めてきて、ひとつのパッセージに仕立てている模様です。
この段落は、
cam-ed.edu.kh
と同じ箇所が抜かれていました。このような作り方はイマドキの入試読解文の作成では「あるある」なんですかね?
こちらのDeepL訳は

ダイバーシティというと、すぐに人種を思い浮かべる人が多いかもしれないが、実際にダイバーシティに関わる側面は、特に教室の環境においては数多くある。宗教、性別、経済的背景、学習スタイルまでもが注目すべき要素であり、学校で多様性を推進する際には、それぞれの要素を覚えておくことが極めて重要である。あらゆる多様性を考慮した授業計画を取り入れることが鍵となる。

となりましたが、「…に関わる」の部分では他のオプションは出ませんでした。
最近公開されたKagi Translate (Kagi Translate) に訳させてみると

多くの人々が多様性について話すときにすぐに人種を思い浮かべるかもしれませんが、実際には多様性に関与する側面は数多くあります。特に教室の環境では、宗教、性別、経済的背景、さらには学習スタイルも重要な要素です。学校で多様性を促進する際には、これらの要素をすべて考慮することが重要です。すべての形態の多様性を考慮した授業計画を取り入れることが鍵です。

で「…に関与する」という処理でした。

これらの出題では、おおまかな内容理解を多肢選択で問うものでしたので、どれも “play into” に注はついていませんでした。
これら3つに共通しているのは、「主語となるものが複数の要因」という辺りでしょうか。

NOWコーパスで近年のニュース英語を検索してみると、play intoに続く名詞としては (the) developmentが目に付きます。その主語をざっと眺めてみると、確かにfactorsが見られます。

一例をこちらで引きます。

Numerous factors play into the development of type 2 diabetes, including age, family history and other medical conditions like high blood pressure and low HDL (AKA good) cholesterol, but the sugar in your diet isn't one of them.
www.yahoo.com

このDeepL訳がこちら。「多くの要因が発症に関係する」という文脈。

2型糖尿病の発症には、年齢、家族歴、高血圧やHDL(善玉)コレステロールの低下などの病歴など、多くの要因が関係しているが、食事に含まれる糖分はそのひとつではない。

もう一例、見た目は単数形名詞が主語。

“Though aircraft carrier visits often spark media attention because of their highly visible nature, the broader question is how this will play into the development of ties, including Washington’s quest to upgrade relations,” Prashanth Parameswaran, a fellow with the Wilson Center’s Asia Program, wrote in a research note.
apnews.com

DeepL訳

ウィルソン・センターのアジア・プログラム研究員であるプラシャンス・パラメスワランは、「空母の寄港は、その注目度の高さからしばしばメディアの関心を集めるが、より広範な問題は、関係改善を目指すワシントンを含め、このことが関係の発展にどのような影響を及ぼすかということだ」とリサーチ・ノートに書いている。

NOWコーパスの検索結果に限れば、近年ideaとその類語を目的語に取る例は複数観察されています。

MW’sの句動詞としての play intoの定義にあった、ideaなどを目的語に取り、help supportの意味で使われている例も見ておきましょう。

ほぼほぼ「もの」「コト」が主語ですが、人が主語に来る例もないわけではありません。
GLOWBEでも拾える2012年の記事から。
By Corbett Barklie
September 16, 2012

This willingness to cooperate without question has turned the arts community into a community of Pollyannas. The scarcity of nonprofit resources furthers the notion that "We're all in this together" and that cooperation is the only way to get ahead. The arts community is, after all, nonprofit. So sad. The word alone conjures up images of shoeless artists in threadbare tuxedos and tattered gowns -- exhausted, all possibilities lost, hopes dashed, like the morning after the prom. Arts groups and artists willingly play into the idea of "starving artists" to romanticize the creative struggle and the need for a hand out.
www.pbssocal.org

DeepL訳だと、「考えに乗っかっている」と、辞書の定義とはちょっとズレた感じ。

疑問の余地なく協力しようとするこの姿勢は、芸術コミュニティをポリヤナのコミュニティへと変えてしまった。非営利のリソースが乏しいため、「みんな一緒だ」「協力することだけが出世の道だ」という考え方がさらに強まっている。結局のところ、芸術コミュニティは非営利なのだ。とても悲しいことだ。この言葉だけで、糸の切れたタキシードやボロボロのガウンを着た、靴のないアーティストの姿が思い浮かぶ--疲れ果て、あらゆる可能性を失い、希望は打ち砕かれ、まるでプロムの翌朝のようだ。芸術団体や芸術家たちは、創造的な苦闘や援助の必要性をロマンチックに表現するために、進んで「飢えた芸術家」という考えに乗っかっている。

Kagiでも「考えに喜んで乗っている」という訳。

この疑問を持たずに協力する意欲は、アートコミュニティをポリアンナのコミュニティに変えてしまった。非営利資源の不足は、「私たちは皆一緒にいる」という考えをさらに強め、協力が前進する唯一の方法であるという認識を助長している。アートコミュニティは、結局のところ非営利である。とても悲しい。単語だけで、靴のないアーティストが擦り切れたタキシードやボロボロのドレスを着ているイメージが思い浮かぶ -- 疲れ果て、すべての可能性を失い、希望が打ち砕かれ、プロムの翌朝のように。アートグループやアーティストは、創造的な苦闘と施しの必要性をロマン化するために「飢えたアーティスト」という考えに喜んで乗っている。

彼らは与えられたことばの意味を訳している、というのではなく、前後のつながりで最も尤もらしいものを出してくるので、本当にplay into がその意味で用いられたのかどうかは検証が必要。
もう少し意識して英語を読み聞こうと思います。

最後に、私が冒頭で指摘した “come into play” を見ておきましょう。

factors主語で副詞句inが続くもの

そのうち、新しいもの 30例

副詞節when の続く例

新しいもの30例

Ngram Viewerで come into play in / come into play when / play into をざっくりと比較。

全体



このcome into play という表現と 句動詞play into との関連性など、まだまだ、確かな語義と生息域の把握にはほど遠いですが、現代英語の語法に詳しい方で、既に情報をお持ちの方はご教示下されば幸せます。
本日はこの辺で。

本日のBGM: into tomorrw (Paul Weller)

open.spotify.com

先週は、研究会で上京していた、今後の日本の英語教育界を支えていく俊英と、東京駅付近で宴。
対面は1年振りくらいですが、その時はご本人の発表を聞いて、その後話しだけ。今回は飲食しながら2時間ほど。英語教育の話しも少ししましたが、まあ雑談ですね。楽しい時間でした。
今週の授業も無事生き延び、週末は全○連を横目に、日本英語教育史学会の例会にオンライン参加。
先月の例会が久保野雅史氏の発表だったので、久しぶりに参加したのですが、その時に300回記念の陣容を知り、これは是非聞かねばと申し込んでいました。

第300回 研究例会 2024年 11月 16日(土)
シリーズ:わたしのしごと
「“口のことば”としての英語研究と教育の40年」
発表者:田邉祐司(専修大学)
シリーズ:私の愛した教材
「恩師の編んだ教材」
発表者:河村和也(県立広島大学)
http://hiset.jp/reikai/reikai300.pdf

何と、300回記念例会。
私は学会員ではないのですが、こちらの例会は非学会員でも参加でき、オンライン開催で、しかも無料。
何という寛大な学会でしょう。

私が初めてこの学会の例会に参加した時のことは、過去ログで書いています。

2006-09-18
二人で歌うのはduet、では三人では?
tmrowing.hatenablog.com

この時のことはよ〜く覚えています。
私は例会開始の少し前に会場入りして、ロの字型か、コの字型配列の、たまたま空いている席に座っていたのですが、少しして、別室で理事会か何か会議をしていた方たちが着席すると、私の両隣が出来成訓氏と伊村元道氏という得難い経験をしたのでした。

それから、18年。
300回記念の例会は驚いたり、しみじみしたり、考えさせられたり、憂いたり、唸ったり、であっという間でした。
実践例の共有ということで、私もマイクオンで爪痕を残しておきました。
オンラインの懇親会にもお邪魔し、ぐい呑み片手に歓談。
例会の中身は、学会の報告で正式に出るでしょうから、こちらでは内緒。

懇親会でも、例会の振り返りなどで示唆に富む情報や経験談も交わされていましたが、個人的には、極めて少人数の参加者だけが残った閉会間際に、私がフィギュアスケートの話しをしたときの反応が印象的というか、嬉しかったです。

私のように熱心なフィギュアスケートファン(=スケオタ)ではない人も、N杯は地上波でも放送してくれるので見てくれているのだなと、あらためて思いました。

お1人が、女子シングルの試合のことに言及し、

と口にしたら、もう1人の方も、

と同意。
そこから、私が青木さんの今シーズンのプロの素晴らしさを熱く語りました。
それにしても、一般の方にも鮮烈な印象を焼き付ける青木さんの滑りの尊さよ。
青木さん、現役を続けてくれて本当にありがとうございます。

今週末のGPシリーズは「フィンランディア杯」。ヘルシンキでの開催です。
この大会は、シリーズ第2戦の「スケートカナダ」と同じく、吉田陽菜(よしだはな)選手と、松生理乃(まついけりの)選手がアサインされています。
今、このブログを書いている時点では結果はわかっていますが、地上波放送の時間などを考慮し、ここでは結果や詳細は伏せておきます。
ただ、今シーズンの青木さんのSPの鮮烈さ、艶やかさとは又違った、繊細さ、優雅さを極めたフリープログラムを松生選手が滑っているので、WEB上のアーカイブででもいいので、是非見てほしいと思います。
ロシア勢が参加できなくなって以降の現在の女子シングルでは、日本選手が上位を占めている印象です。今シーズンはルナヘンも故障でGPシリーズを棄権しているので、尚更日本人選手の活躍が取り上げられているようです。彼女たちの成長ぶりは勿論ですが、今の滑り、ジャンプなど、演技を正当に評価してあげてほしいと思います。
サイズ、身長ひとつを取ってみても、今の日本女子選手の特徴がわかるのではないかと。
女子で一時代を築いたレジェンドでいえば

だったのです。

で登録されています。
今回フィンランディア杯に出ている

そして

です。
身長が低いと思われている宮原知子さんが152cmでしたから、松生選手はさらに小さいわけです。
それでいて、あの伸びやかなストロークとエッジワークの美しさですから。
もっともっと国際大会の舞台に出て、その卓越した滑りをジャッジにも印象づけてほしいものです。

GPファイナルの女子シングルには、既に坂本選手、樋口選手、吉田選手が決まっていますが、残りの3人の進出者は、最終戦の「中国杯」の結果をもって決まります。
その顔ぶれも気になりますが、それ以上に、今年の全日本はどうなってしまうのか、もうハラハラドキドキしています。
国際大会の派遣は、世界選手権と四大陸選手権、ということになるのだと思いますが、どちらも枠が3つあるのだから、上位のシニア枠の選手から3人を世界選手権へ、次の3人は四大陸へ、6人皆に国際大会の経験を積ませてあげて下さい。お願いします。

英語の話に戻って、気になる語法シリーズへ。
こちらの「シリーズ」ネタは、年間のファイナリストとかを決めるわけではないので、書いて残しておきたいものを適宜書いています。
今日は、

という形容詞に関して。

私が提供しているオンラインでのライティング個別指導はテクストタイプ別で指導をしているのですが、その今週の講座では説明文に分類される「和文英訳」が課題となっていました。
そのお題の中にmediocreという語が思いつけばほぼ等価での置き換えができるという日本語表現があったのです。でも、結局、このmediocreという語の語義をしっかり掴まえていて、その生息域を感じられていないと、日英での裏返しは覚束ないもの。
この語は今では大学入試対策の、所謂「単語帳」でも取り上げられている模様。
『ピナクル』(アルク)では見出し語ではないものの、例文に含まれる重要な語として小さい扱いですが、説明は適切でした。流石です。
一方、某単語集ではカッコつけて補足しているところが顰蹙もの。こんなことを書くセンスを疑います。
20世紀の大学入試出題例が『クラウン受験英語辞典』(三省堂、2000年)にあるので、この辞典をお手持ちの方は見てみて下さい。

私の手元の辞書の扱いを比較してみたいと思います。
性格の明るさとか暗さの話しなどどこにも出てこないことを確認して下さい。

語義以外に気になるのは、G6ではCEFR-Jの語彙レベル表示。CEFRではなく、CEFR-Jに基づいたランク分けをしていますが、mediocreをB2に収めるのはちょっと解せません。
CEFRでB2まで表記のCOUBUILDでもランク外、C1まで表記のOALDでもランク外。
CambridgeではC2表記です。
語義の記述としてはランダムハウスの「かろうじて…」、類語の扱いとしてはCollinsのpassable; tolerable 辺りが実感できていれば幸いでしょう。

最後のCollinsの類語一覧でのpassableやtolerableまでの実感を持っていれば、acceptableとかlivable辺りまでも守備範囲に入れられるので、mediocreの輪郭線もより明瞭になり、肌触り、体温などもリアリティーを持つかと。

このような目利きを、初期段階の学習者に求めることは難しいし、不適切でしょうが、教える側の目利きは求められて然るべきだと思っています。
指導者は教え込まずに「気づき」を促すことが求められるようになって久しいですが、私がこれまで高校現場で接してきた学習者に限っていえば、目の前にある英語表現が自ら語ってくれる声は聞こえず、ことごとく気づき損なって今に至る、という人が多い印象です。学習者が自分の現在地を実感できず、自分の成長に自信を持てずに、歩みが遅いという時に、「出口まで行けば光が見える」と励まされるだけで歩き続けられるとは限らないでしょう。進んでも進んでも暗闇が続くのなら、灯をつけるのは自然な対応策だと思います。
ということで、私の授業では、語義と生息域は、「諭して倦まず」というつもりでやっていますし、これからもやり続けると思います。

本日はこの辺で。

本日のBGM: トンネル(ハンバート ハンバート)

youtu.be

open.spotify.com

先日、AUDELL (英語教育ユニバーサルデザイン研究学会; 会長:村上加代子)

audell.org

の第5回研究大会が終了しました。私はオンラインで参加。
私が現在会員として所属している英語教育系の学会は、AUDELLのみになっています。
高校段階の公教育現場で英語を教える教師としては「オールラウンダー」である、という自負はあるのですが、今の私に知識が大きく欠けていて、知ることそのものが急務なテーマが扱われる学会が、こちらなので。

学会員ではなくとも一般人として、時間と体力とお金が許せばあちこちに顔を出すようにはしています。先日の英語コーパス学会や、東京家政大の研究会など、自分の興味関心のあるテーマがそこにあり、人がそこにいるなら、やはり出かけていきます。

ということで、あちこちのプログラムを眺めるわけですが、今年気になったトピック、テーマは「要約」です。
大井先生、田端先生と『パラグラフ・ライティング指導入門』(大修館書店、2008年)を書いていた時にも、summarizing; précis (writing) をどうするかという議論はあったと思うのですが、中高段階の入門的指導評価に資する本、という性格上、盛り込まなかったというように記憶しています。
その後、15.6年が経ち、英語教育系の学会、研究会、研究大会で「要約」がコアなテーマとして扱われていることに驚いています。
ただ、これは教育現場が成熟してきたというよりは、某英検のライティングの設問に今年度から「要約」が含まれるようになった、という外的要因の方が大きいのではないか、と邪推しています。

私がスキルとしてのライティングに限らず、学習方略としての「要約」に対して、慎重なのは、このブログの随分昔のエントリーで取り上げた、

がずっと引っかかっているからです。
過去ログはこちらから。そろそろ18年経つのですね。

tmrowing.hatenablog.com

昨今囂しい「生成系AI支援の英語指導法」にも言えることですが、「かしこそうな言葉づかい」に対して警戒できるセンサーをどこかに忘れてきたような「助言」や「提言」が多すぎませんか?

私は英文ライティングの指導・評価を専門と自称していますが、評価やフィードバックに際してAIを援用するにしても、誰かが作ってくれたプロンプトを借りてきて、入力して、「ブラックボックス」よろしく出力された情報を使う、ということには大きな抵抗があります。
エッセイライティングでも、和文英訳でも同じことですが、AIによって本当に適切・的確に処理されているかは、誰かが確かめないとなりません。では、それは誰なのでしょう?そもそも自分一人では大変な仕事だから、AIを頼ったのに、その仕事の成果が本当に信頼に足るものであるかを自分が検証する、というのは何とも解せない話しになります。また、同じプロンプトでも、異なるAIに入力すれば異なる出力が出てくるわけで、その違いを比較検討するなどということを実行に移し、実効を挙げようとするなら、その手間暇、エネルギーは相当に大変なものになるでしょう。

例えば、大学入試の「和文英訳」対策の課題として授業で使うとします。

という気持ちはわかりますが、そもそも、AIが和文英訳に際して「何を良い英語として情報処理をしているのか?」、「その日本語と等価な英語表現を適切・的確に選び、チャンクや文を生成できているか?」というところは、まだまだ検証の余地が大きいでしょう。

上述のリンク先で引いた宮原の論考を和文英訳するとしましょう。

ずいぶん長い間、私は「要約」に頼ってきた。高校入試、大学入試、公務員試験、学位のための資格試験など、受験勉強の癖がいまだに抜けないのだろう。いや、アカデミックな研究の世界でもまた、一部の本物の知識人をのぞけば、みな「要約」を武器にしている。(中略)しかし、その人が本当に「何かを言わねばならない」必然性が感知される場合、その文字面から伝わる意味内容を「要約」してわかったような気になってはならない。その発言に耳を澄まし、その人の意識のふくらみに、その言葉の価値に対して敏感でなければならない。「要約」の欠陥にようやく気づかされた私は、いまだに直らない自分の悪癖に腹を立ててもいるのだ。
宮原浩二郎 『論力の時代 言葉の魅力の社会学』(勁草書房, 2005年、pp. 83 - 84))

以下、AI支援による翻訳例です。
原文とどの程度等価に迫れているか?やはり「人」の目で、しかも「目利き」の目で見る必要があるでしょう?彼らがベストと思っている最終的な「翻訳」が、そもそも和文英訳の解答として確かなものでないとするなら、生徒や教員がAIとの対話を経て、AIの助言を活かして、推敲した結果手にする「英文例」にどれほどの信頼が置けるでしょうか?

DeepL(無料版)訳
For a very long time, I have relied on “summaries”. I guess I am still stuck in the habit of studying for high school entrance exams, university entrance exams, civil service examinations, qualification exams for degrees, and so on. No, in the world of academic research, too, everyone uses “summary” as a weapon, with the exception of a few genuine intellectuals. However, when we perceive the necessity to say something, we should not think that we understand by “summarizing” the meaning conveyed in the text. We must listen carefully to what is being said, and be sensitive to the fullness of the person's consciousness and to the value of the words. Having finally realized the defects of “summarizing,” I am also annoyed at my own bad habits, which I have yet to correct.

原文の「武器」をそのまま "a weapon" として大丈夫でしょうか?
もっと大きなところでは、

その人が本当に「何かを言わねばならない」必然性が感知される場合、その文字面から伝わる意味内容を「要約」してわかったような気になってはならない。

の主語/人称代名詞の処理が全くダメですね。あと「ふくらみ」を "fullness" で対応させているところも気になります。

Claude 訳
For a long time, I relied heavily on "summarizing" things. This habit probably comes from my years of studying for various tests - high school entrance exams, college entrance exams, civil service exams, and qualification tests for degrees. Even in academic research, except for a few genuine intellectuals, everyone uses "summarizing" as their tool.
However, when you sense that someone truly "needs to say something important," you shouldn't just summarize the surface meaning of their words and feel satisfied that you understand. Instead, you need to listen carefully to their words, be sensitive to the full scope of their consciousness, and appreciate the true value of what they're saying. I've finally realized the flaws in "summarizing," and I'm actually angry at myself for this bad habit that I still haven't been able to fix.

第1文の時制は、やはり現在完了一択でしょう。筆者自身が試験を切り抜けてきたのは過去であっても、現在は「アカデミズム」の世界にいることが前提ですから。現在と切り離された「あの日、あの時;現在とは違って」の過去形では不適切。
比喩としての「武器」をそのまま "a weapon" で置き換えずに、 "a tool" としていますが、本人やその目的に対してどのような働きをする道具なのかが述べられないと、比喩の部分を吸収したことにはならないでしょう。
「誰の必然性を誰が関知するのか」が従属節のイントロ部分で述べられているのは良いと思います。
ここでは、「ふくらみ」は "the full scope of" になりましたね。

Copilot 訳
For a long time, I've relied heavily on "summaries." Whether it was for high school entrance exams, university entrance exams, civil service exams, or qualifying exams for degrees, it seems I still haven't broken free from my study habits. Actually, even in the academic research world, except for a few true intellectuals, everyone uses "summaries" as a tool.
However, when someone truly "has to say something," you shouldn't feel like you understand the content just by summarizing the words on the surface. You need to listen to what that person is saying, be sensitive to the depth of their consciousness, and recognize the value of their words. I've finally noticed the flaws in "summaries," and I'm frustrated with myself for not being able to break this bad habit.

比喩の「武器」は、こちらでも "a tool" となっていますね。
「必然性の関知」のところは、主節の主語を見ればわかるだろう、ということなのでしょうか。「ふくらみ」を "the depth of" で置き換えています。

Gemini訳
For a long time, I relied heavily on "summaries." It's probably a habit left over from my exam-cramming days – high school entrance exams, university entrance exams, civil service exams, and qualification exams for degrees. Even in the academic world, aside from a few true intellectuals, everyone seems to use "summaries" as their weapon. However, when someone really needs to "say something," we shouldn't be satisfied with just summarizing the surface meaning of their words. We need to listen carefully to their statements and be sensitive to the depth of their consciousness and the value of their words. Having finally realized the flaws of "summaries," I'm still frustrated with my own persistent bad habit.

第1文が過去形で、「武器」が "their weapon" ですね。「必然性の関知」の部分はCopilotと同じ。「ふくらみ」も同じく "the depth of"です。
Geminiは、次のように「英訳に当たっての方針・着眼点」まで出力してくれるのですが、その目が本当に利いているのかは検証が必要です。

Here's a breakdown of how I'll structure my answers:
1. Comprehensive Answer: I will provide a clear and concise answer to the given prompt, ensuring it's understandable for an average American high school student.
2. Citation of Sources: If I use any information from the provided search results, I will cite them using the specified format: [NUMBER].
3. Clear Formatting: I will use a numbered list if it enhances clarity and keep the answer concise.
4. Concise Response: I will aim to keep the answer under 200 words.
5. Listing of All Sources: I will provide a numbered list of all search results, even if there are duplicates.

何事も、盲信は禁物。
それぞれに個性(人格?)があるので、プロンプトも個別最適化しないとダメなんでしょうね、きっと。そのそれぞれのAIに対応したプロンプトを別のAIに書いてもらえばいい?でも、そうやって書いてもらったプロンプトの適否は誰が検証?それもまた別のAIにって無限ループですか?
私は私で、自分にできることを続けていくだけです。

短いですが、本日はこの辺で。

本日のBGM: Who do you think you’re talking to? (Dawes)

open.spotify.com

最近はとんとフィギュアースケートネタを書いていません。
ヴィカ様の引退で自分の新たな「推し」を決めかねて今に至るのですが、今シーズンは樋口新葉(ひぐちわかば)選手の復活を喜び、現役を続行してくれた青木祐奈(あおきゆな)選手に期待しています。青木さんは特に今シーズンのショートプログラムの素晴らしさを強調しておきます。
曲はアストル・ピアソラの Adios Nonino。コレオ(振り付け)はミーシャ・ジーさんです。
今週末開催のグランプリシリーズのNHK杯では3位、銅メダルを獲得しています。
いつまで見られるか私にも分かりませんが、ミーシャのインスタグラムで動画もアップされているので、私が2万回くらい見たいと思うほどの青木さんのSPを是非。

www.instagram.com

さて、今日は「気になる語法」というよりは、より「指導法」に近い話しを。
出講先の高校の授業で「比較」を扱っています。
明示的な文法指導は時代に逆行するような扱いを受ける昨今で「文法を授業で説明している」というと批判を受けがちです。また、同じ「明示的」という括りであっても、解説を長々とするよりも、「論より証拠」の実例ありきで、簡潔明快な説明が好まれるのもイマドキの英語教育の流れに限った話しでは無さそうで、「文法説明という旧態然とした指導法を用いる年寄りが時代についていけずに愚痴っているのだな」と思う方は、以下、スルーされて結構です。

近年、私が授業で重視しているのは「語義と生息域」ということは、ソーシャルメディアでも繰り返し発言してきました。「比較」ということで、形容詞/副詞にスポットライトが当たることが多いわけですが、動詞も名詞も含めて、「比較」に関わる、日英語の異同は整理しておくに越したことはないと思って、高校段階の指導でも、まず「語義」の話しをしています。

教材としては既にnoteで公開している、

比較の基礎基本から発展まで (2023年12月改訂版修正)
note.com

の記事を読んでもらうのが一番です。というのも、この記事は、これまで私が高校の授業でおしえてきたことをまとめたものだから。

今日の記事は、その補足というか、更なる前提となるものです。

授業ではいつものように、

を示して、それぞれの比較と対応で、oldの持つ意味を実感してもらっています。
また、物差し/目盛りの用法で用いられているoldであっても、

の二つを、上述の犬や姉妹の例と比較することで、新しさ/古さの実感は変わってくることも示しています。
原級を用いた比較の表現形式では、どの教科書、教材でも、所謂「同等比較」が取り上げられると思いますが、長年、高校生のライティングを指導していて、この同等比較が適切かつ効果的に使われている例に出会う機会は少ないです。
市販の問題集などは「入試過去問の精選」を謳うわけですが、そこで示される同等比較の用例は、

The crowd was surprised to see a seven-year-old boy was able to swim as fast as the teenagers.
I haven’t got as much money as I need to help you.
This movie is not so interesting as people say it is.

のようなものが多いでしょう。

英米のELT用教材なら何でも優れているわけではなく、大規模コーパスから得られたreal English で定評のあるCOBUILD English Usage (2019)でも、最初に示される用例が

The ponds were as big as tennis courts.

という、一文だけでは何を伝えたいのか判然としないものです。
それでも、その他の用例の中には、

I could see almost as well at night as I could in sunlight.
They aren’t as clever as they seem to be.
I don’t notice things as well as I used to.
You’ve never been as late as this before.

のように情景が目に浮かぶものもあり、参考になります。
注目すべき記述としては

So is sometimes used instead of the first as, but this use is not common.
Strikers are not so important as a good defence.

という、「否定の文脈でのsoは一般的ではない」という説明があります。重要ですね。

この「同等比較」では、二つ目のasに続く情報が重要です。
その情報は、聞き手・読み手にとって既知の情報であるか、十分な実感を持てるものであることが好ましいから。
私が最初に引いた

The crowd was surprised to see a seven-year-old boy was able to swim as fast as the teenagers.

であれば、十代の泳者の平均的な速さ、タイムが聞き手・読み手に実感できなければ、その7歳児の速さを伝えることは難しいわけです。
COBUILD Usageには一般的ではないと言われてしまう、否定文脈でのsoを用いた

This movie is not so interesting as people say it is.

では、「世評ではどの程度の面白さなのか」がはっきりしないと、この文を発している人が、この映画をどのように評価しているのかは伝え切れません。
発表ではなく、理解の段階でさえ、運用を考えれば、単一の文での学習や指導の限界といえるでしょう。
所謂「同等比較」が表す意味での注意点は、できる限り最初の方の授業で確認するようにしています。今は亡き若林俊輔氏は次のように言っています。1990年のことでした。以下、引用。

「従来、as... as を用いた表現は『同等比較』と呼ばれてきました。『程度が同じだ』ということですね。しかし、以上の説明からわかるように、『同等比較』という文法用語は適切ではないことになりました。≧は英語では is equal to or greater than と読みます。日本語では『以上』です。したがって『以上比較』とでも呼ぶことにしましょうか。いや、用語などどうでもいいのです。as 〜 as の意味をきちんと教えればよいのです。」(『英語の素朴な疑問に答える36章』 (ジャパンタイムズ、1990年))

この若林の『…36章』は研究社から2018年に復刊もされていますから、指導する立場の方は特に、できれば学習者も、as / as の持つ意味をきちんと確認して欲しいと思います。

こんな例も授業では取り上げています。

これは見かけほど大きな問題ではない。
This is not as big a problem as it might appear.

不定冠詞の位置ばかりが強調されますが、ここでは、印象と実際での問題の大きさの比較となっています。
授業で強調しているのは、やはり語義のことで、

「問題の大きさ」を取り上げる際に、話者の主観的形容でbig以外の様々な形容詞を選択することが可能である。

ということです。
例えば、「問題が『大きい』」ということを伝える場合にも、How big? という想定に対して、

のように、big/huge/massive/greatなどのドロップダウンリストから、クリックして選べば済むわけです。

観点を少し変えて、「事の『深刻さ』」で問題を形容するのであれば、

のように、serious / critical / severe / grave などのリストから選ぶことで対応することになるでしょう。
多言を要さず、ビシッと一語で決める効果があります。
また、"huge and grave" など足し算をすることで語義を深めることもできます。

では、振り出しに戻って「同等比較」の as 形容詞 as の生息域とは?
How big? に対して、上述の二つの検索結果のような、ある形容詞を選択しただけでは表現できない語義の奥行きを、

と聞き手・読み手に実感できる比較の対象を持ち出すことによって見せるわけです。

Germany’s Economy Is As Big As 22 Of Its Neighbours

Germany’s Economy Is As Big As 22 Of Its Neighbourshttps://t.co/X9nktNDAnM pic.twitter.com/xJWfLaFVgz

— Brilliant Maps (@BrilliantMaps) 2024年11月4日

ドイツの経済規模は近隣22カ国(の合計)と同程度

これは地図がないと比較の対象たる「22カ国」の実感は難しいと思いますが、地図を見ている人にとっては「!」となるでしょう。写真の中の英語表現では、地図上で色分けされた欧州諸国を示して

という文となっています。他動詞のequal、後置のcombinedも含めて覚えておくに値する例でしょう。

フィギュアスケートのグランプリシリーズ、フランス大会の金メダリストに言及したこちらのツイートにも同等比較でのas big as が使われていました。

Home crowd magic!
Lopareva/Brissaud shine on home ice, capturing their very first #GPFigure gold!
Their joy was as big as the cheers from the fans – a truly unforgettable moment!

— ISU Figure Skating (@ISU_Figure) 2024年11月3日

ホーム観客の魔法!
ロパレワ/ブリソードがホームリンクで輝き、初の#GPFigure金メダルを獲得しました!
彼らの喜びはファンの歓声と同じくらい大きく、本当に忘れられない瞬間でした!

これは動画が貼られているツイートですので、その動画でのファンの歓声を確認することで、実感も完成することでしょう。

NBAネタからひとつ。MSGとはニューヨークにある、マジソン・スクエア・ガーデン (Madison Square Garden) のこと。

“It’s not as big as I expected, but still the vibe is here.”
Cool Victor Wembanyama on his 1st time at MSG

— Eurohoops (@Eurohoopsnet) 2023年11月8日

「思っていたほど大きくはないけど、雰囲気はあります。」
クールなビクター・ウェンバニャマ、MSG初参戦

MSGは、約2万人収容可能なアリーナで、コンサートやスポーツイベントが開催されることで有名です。
別記事から参考写真を。ボクシングの試合で観客が入るとこんな感じです。

https://image.newyork.jp/wp-content/uploads/2015/03/Madison-Square-Garden-in-NYC-Interior.jpg.webp

ということで、英語表現という観点では、「同等比較という表現形式を使ってまで表したい何があるのか?」を自問自答することが大事だということを授業では強調しているわけです。

本日はこの辺で。

本日のBGM: Adios Nonino (2024年11月8日 代々木第一体育館で流れた約2分50秒のバージョン)

出講先の私学での定期試験の採点祭り(&成績提出)と、オンラインでの個別指導のフィードバックが重なったりして、なかなかブログの更新ができていませんでした。
その前後で、所謂「著者献本」をいただいていて、それを読む時間を捻出するのもなかなか…。

10月上旬で、こちらを倉林秀男先生より。

倉林秀男先生より恵投賜りました。
これは勉強になります。
ありがとうございます。 pic.twitter.com/ZNYc5P14wz

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年10月11日

読了は月末。

ようやく全編読ませていただきました。
犬耳だらけです。
ありがとうございます。 https://t.co/Yx2U7mJchw pic.twitter.com/ibPXud9Jfh

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年10月23日

繰る頁、繰る頁「犬耳」だらけです。アメリカで今まさに使われている表現を体感できる一冊だと思いました。ありがとうございます。

戸澤全崇先生からは、その更に前の9月末に送っていただいておりました。

戸澤全崇先生よりご恵投賜りました。
『英文法の展望台 全体像をつかむ英語上達トレーニング』(くろしお出版)
ありがとうございます。
じっくり読ませていただきます。 pic.twitter.com/r80VVjZGgq

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年9月30日

これも意欲作で読了には時間がかかり、なんと11月の頭まで。

ようやく読み終えました。
付箋がたくさん。
私のアプローチや考え方と異なる部分はいくつかありますが、言語事実を適切に捉えてその全体像を記述し、瑣末な分類主義に陥ることなく、メインの記述と補足解説との按配(塩梅)の良い、良い本だと思います。

ようやく読み終えました。
付箋がたくさん。
私のアプローチや考え方と異なる部分はいくつかありますが、言語事実を適切に捉えてその全体像を記述し、瑣末な分類主義に陥ることなく、メインの記述と補足解説との按配(塩梅)の良い、良い本だと思います。 https://t.co/IAb9s9iChG pic.twitter.com/3QDTBa0sqK

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月2日

ツイッターで書いた通りの感想です。ありがとうございました。

そして、その戸澤本読了のタイミングで届いたのがこちら。
森田修氏より。

著者のお一人の森田修さんより御恵投賜りました。 pic.twitter.com/uQACGNhm7l

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月2日

この本に関しては、既にツイッターで「北烏山編集室」さんによって、的確な評がなされていました。

ここからの12連投を是非

ご恵贈いただいた本。山本史郎先生と森田修さんの『増補改訂版 英語力を鍛えたいなら、あえて訳す!』(アスク)。「増補改訂版」とあるとおり、この本は2011年に日本経済新聞社から刊行された本をアップデートしたものだ。1/n pic.twitter.com/KpeyjDOcm1

— 北烏山編集室 (@kkyeditors) 2024年11月1日

私が特に「いいね」をつけたかったのは、「38 『具体例』を想像する」(pp.172-175)
この本では、英語を日本語に訳す、という場合の対処・処理で

という指摘をしてくれているのですが、裏返せば、私の専門でもある「英文ライティング」にも当てはまることで、ただword for word で言葉を移し替えるのではなく、その言葉の生息域で捉えなおして、

と自問自答して英訳することの重要性をあらためて認識させてくれます。ありがとうございます。

今、出講先の高3の和文英訳では、某大の過去問で、鶴見俊輔の初期の論考を扱っていますが、あの問題も、生息域で捉えなおして具体的な言葉を補って英訳することが望ましい格好の例だと思っています。

某大のようなメジャーどころの過去問は、受験産業・教育産業が対策をしてくれるので、そういったものにも目を通してはいます。
ただ、ある助言には目がテンになりました。ツイッターでも投稿しています。

faithの語義と実感。
結局my faithとかyour faithという単独の姿ではなく、その生息域で見ないとダメ。your faith だと「あなたの信仰」の意味になるから、「信念」を表す文脈では使わないように、なんていう助言はいかがなものかと。Oxfordの類語辞典ではグループリーダーですから。

faithの語義と実感。
結局my faithとかyour faithという単独の姿ではなく、その生息域で見ないとダメ。your faith だと「あなたの信仰」の意味になるから、「信念」を表す文脈では使わないように、なんていう助言はいかがなものかと。Oxfordの類語辞典ではグループリーダーですから。#何かみた pic.twitter.com/m43E1YReBk

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月6日

辞書の引用はこちらでは繰り返しませんので、ツイッターでご覧下さい。

これに関連して、faithが使われている動画の投稿の引用RTしていました。

この動画の冒頭で出てくるI still have faith in America.のfaith も、日本語で言えば「信仰」ではなく「信頼」に近いでしょう。
この一例も、生息域で語義を捉えることの重要性を物語ります。
とまれ、この動画は必見。政治的信条の合わない人も、英語の学びどころは複数あるので確認してください。

この動画の冒頭で出てくるI still have faith in America.のfaith も、日本語で言えば「信仰」ではなく「信頼」に近いでしょう。
この一例も、生息域で語義を捉えることの重要性を物語ります。
とまれ、この動画は必見。政治的信条の合わない人も、英語の学びどころは複数あるので確認してください。 https://t.co/oFZoQucwEG

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月6日

この動画を取り上げたのは、米国の大統領選の結果を受けての、Robert Reich氏の投稿を未明から読んでいたからなんですが、その前にこちらの投稿の前置詞fromの使われ方を取り上げておかねば。

締切間近!
videoは可算扱い。名詞(=A) from the moment SV(=B)での後置修飾の前置詞fromを確認。「Bした瞬間のA」。Aに来る名詞はfootage/video/film/pictureなどの映像記録、momentに続くBはof+ 名詞も多い。
「Bした時からずっと」という継続ではなく、その瞬間を切り取る表現であることに注意。

締切間近!
videoは可算扱い。名詞(=A) from the moment SV(=B)での後置修飾の前置詞fromを確認。「Bした瞬間のA」。Aに来る名詞はfootage/video/film/pictureなどの映像記録、momentに続くBはof+ 名詞も多い。
「Bした時からずっと」という継続ではなく、その瞬間を切り取る表現であることに注意。 https://t.co/mfNopgT9Zf

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月6日

この類例として、次の動画とそのツイートを取り上げたのでした。

この動画のキャプションで出る
A warning from 1994
のfromも同じ語感。

この動画のキャプションで出る
A warning from 1994
のfromも同じ語感。 https://t.co/2H0uKsTlvO

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月6日

別記事別媒体ですが、名詞の後置修飾でのfromの類例も。

fromの類例。 https://t.co/e3k5pZ4zu2

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月7日

この名詞の後置修飾の用法は、比較的新しく、まだ辞書では用例として採録するところまでは来ていない印象。

過去形や完了形で継続を表す例も混在しているけど、この「瞬間を切り取る」用法は比較的近年メディアで見聞きする機会が増えた印象。
COCAではヒットしないので、NOWでざっくり。

過去形や完了形で継続を表す例も混在しているけど、この「瞬間を切り取る」用法は比較的近年メディアで見聞きする機会が増えた印象。
COCAではヒットしないので、NOWでざっくり。 https://t.co/wYTzIHy2YQ pic.twitter.com/oqZXA7YjlX

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年11月7日

検索結果を再度シェア。

footage/video/videos/pictures + from the moment

「継続」して行われていることの「起点」としてのfromというノイズも含まれるので、以下実例で照らし合わせ。
video + from the moment

videos from the moment

不可算扱いのfootage from the moment

NOWコーパスは2010年以降の世界の英語ニュースを拾い集めているのですが、コーパスで実例が見えてくるのは2010年代の半ば、2015年とか2016年くらいからという感じですので、使用頻度が高まったのは比較的新しいことなのかもしれません。

例によって、

くらいの印象かも知れませんが、私にとってはリアルな変化の兆しですね。

ということで、拙ブログで発信している英語関連/英語教育関連情報に、少しでも信頼を置いていらっしゃる方々におかれましては、本日のブログ記事では、faithとfromを気にしていただければ、と思います。
短いですが、本日はこの辺で。

本日のBGM: Have a little faith in me (two meter session)/ John Hiatt

open.spotify.com

気がつけば10月も終了。
大谷選手はWBCに続き、MLBで世界一。大いなる目標を達成した後もまだ彼の「シート」にはいろいろ書いてあるんだろうな。
さて、採点祭りも終了しました。祭りの合間を縫って自分の勉強にと研究会を覗いたり、現場に足を運んだりしていましたが、このブログ「英語教育の明日はどっちだ!」の20周年記念イベントも2024年10月26日に細々と行いました。

passmarket.yahoo.co.jp

まあ、私の他には誰も言い出さないから、私が自分でやっているんですが…。

参加者から事前にいただいていた質問や感想をもとに、関連する過去ログを一緒に振り返る、というのが多かったと思います。画面越しではあるけれども30年ぶりくらいの再会という古い知り合いや、英国在住の方も参加してくれて有り難い限り。

今回参加が叶わなかった方からもソーシャルメディアやメッセージで労いの言葉をかけていただきました。
ありがとうございます。

このブログは、思い掛けない方も読んでいたりすることを、思い掛けないタイミングで知ることもあるので、20年続けていると、偶には良いこともあるわけです。
古くは倉谷直臣先生がコメントをしてくれたり、早川勇先生がコメントをしてくれたり、ということもあれば、福地肇先生が、このブログで私が福地先生の本を引用して語っているところを読んでいてくれていることをお弟子さんからの伝聞で知ったり、比較的最近では、日本の英語教育史上でも重要な一冊となると思われる

水野 的
『日本人は英語をどう訳してきたか』(法政大学出版局、2024年)

で、このブログの記事から引用されていたり(上掲書をお持ちの方は p.458をご覧下さい)ということがありました。
水野本で引かれているのは次のエントリーです。未読の方も再読の方も宜しく。

”I have my books and my poetry to protect me.”
tmrowing.hatenablog.com

記念イベントで参加者と一緒に振り返った過去ログのリンクだけこちらでも再度紹介。

「読み」「和訳」に関連して;母語(L1)の重要性

「英英の弱り目、和訳の効き目」再録
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20110210

subjective or subjunctive
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20120403

♪流行遅れの恋の歌、今も君は口ずさむ♪
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20110310

「寝ている時くらい眠っておけよ」
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20060310

「反意語を援用した語義の理解」

what the meaning means to us
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20120424

「お殿様?」「いや、autonomous learners。」
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20090130

『雨が好きさ』
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20071128

「私の風邪は耳から」
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20071119

「文法」指導に関連して

オランウータンはワニ使い?
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20150612

英文法指導で心がけていること
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20111006

ペアと伏線と選択肢
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20090501

パラフレーズの効用
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20060719

新たに表現を身につけるための方法・アプローチ

語義109番
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/10/19/114053

for something that is taking shape
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/10/10/221018

謝辞の生息域
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/10/03/084349

"Nobody knows me, but I'm always there."
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/10/01/175514

It could all be related.
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/09/28/100552

「わからないまま生きてゆく」
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/09/26/100423

定点観測
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/09/23/123950

showing/seeing a rise in similarity
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/09/19/193439

Is seeing believing?
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/09/14/160430

「初恋の味」
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/09/08/092034

"the book-turned-beloved-movie-turned-hit-Broadway-musical"
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/08/12/150028

全部載せ
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/07/30/142141

To be absolutely clear, ....
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/2024/07/26/120029

ことばに対する「臨み方」、ことばへの「関わり方」での原理原則、心構えなど。

私の理想の教科書
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20150306

What will become of us?
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20150305

「超えてゆけ、それを。」
https://tmrowing.hatenablog.com/entries/2008/04/17

ジャングルの金メダリスト
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20111207

「Dictogloss もどき」の指導手順、ねらい、効果など。

「聞くは一時の恥」
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20081024

「聞くは一時の恥、聞かぬは…」
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20120412

「もどき」のススメ
https://tmrowing.hatenablog.com/entry/20071008

ご愛読、重ねて御礼申し上げます。
30周年までは、生きていないかも知れませんので、何かの節目で口実をつくって、またの機会を作れればとは思っています。

あとは、私に書けることを、書けるタイミングで書くだけです。書いて残しておけば、また読めますから。
記念イベントの場でも言ったことですが、このブログ記事を一番繰り返し読んでいるのは、他ならぬ私自身です。

本日はこの辺で。

本日のBGM: Peaceful Place (Leon Bridges)

open.spotify.com

採点祭りも大変ですが、先の週末は自分の勉強に当てました。
作文の教師としては見逃せない保田幸子先生の講演とAI時代のライティングに関連するシンポジウムがLETの秋季大会でありましたのでオンラインで参加。保田先生の講演は、今月2回目。
併せて聞いてみて、私が「ライティング」という技能を見るパースが整い、解像度が更に上がった気がします。その分を生徒に還元します。

日曜日は投票を終えてから、東京家政大に久々に出向き、英語教育セミナーに対面で参加。
個人的には山岡大基先生の講演がお目当てでしたが、東京家政大出身の若手の高校の先生(大竹真紀先生)の実践発表が良かったですね。自分の母校で、恩師や先輩・後輩・同輩を前に、今の自分を見てもらう、こういう場がある、というのはその大学の文化とか風土とも言える価値のあるものだと思います。

そして、山岡大基先生と東京家政大の田頭憲二先生が、広島大&大学院の同期というのは初めて知りました。ここにもAlma Mater matters. 案件がありました。

山岡先生の講演は

と題するもので、教育実習から今やっているものまで、リアルな現実を見せてくれたと思います。
私とのかなり初期のやり取りを可視化した某英語教育雑誌の記事も紹介されていて懐古。
ここでは詳らかにはしませんが、一つの題材で授業を組み立てる流れを見るときに、今流行りというか主流とされている

の両方を見られたのは、学生・院生だけではなく、既に教室現場で数年の経験のある先生こそ興味深かったのではないでしょうか。

作文の教師の私としては、今山岡先生が実践している

の授業を実際に見に行きたいと思います。

山岡先生の今回の講演のように、「達人の指導法の伝達講習会」ではない、「最新の理論・知見の開陳」などの「答えを与えるもの」でもない講演は、巷で主流の「セミナーもの」の企画とは異質なのだろうと思いますが、私にとっては却って居心地の良いものでした。
(主語が大きくなりますが)現職の英語の先生はみんなこういうセミナーに来るべきなのにね…。

山岡先生からはお土産もいただきまして、重ねてありがとうございます。


これを書きながらいただいております。

そんな講演の内容とはそれほど関連は強くありませんが、本日の気になる語法は

です。
私が高校生を教える際には

と説いています。

4:3:3の4がmain
51:49 の51がmajor

などとザックリと伝えることも多いですが、実例は丁寧に扱っています。

そんな形容詞majorの派生名詞のmajorityは結構悩むかなぁ、という実感です。

のように、

の用法は、その国の法や制度(の違い)を知り、それに慣れればいいのでまだ対応は容易な方です。

悩ましいのは、

のように、majorityには定冠詞で、母集団の名詞の方は無冠詞の場合と、

のように、majorityは不定冠詞で、母集団側の名詞に定冠詞がつく場合

との明確な使い分けの目安です。
というのも、信頼のおける辞書であっても、majorityにつく冠詞は不定冠詞の例と定冠詞の例があるからです。
CACDでは

という用例。
MEDの米語版では

という用例。
その使い分けの注記などはありません。

ソーシャルメディアの英文例から。

Two-year-old Kuranosuke Kato was the first baby in two decades for Ichinono, a tiny, depopulated Japanese village overrun by life-sized puppets. Ichinono is one of more than 20,000 communities in Japan where the majority of residents are aged 65 and above.

VIDEO: Two-year-old Kuranosuke Kato was the first baby in two decades for Ichinono, a tiny, depopulated Japanese village overrun by life-sized puppets. Ichinono is one of more than 20,000 communities in Japan where the majority of residents are aged 65 and above. pic.twitter.com/sz7FWpdWsR

— AFP News Agency (@AFP) 2024年10月26日

2歳の加藤蔵之介は、等身大の人形が跋扈する日本の小さな過疎の村、市野々にとって20年ぶりの赤ちゃんだった。市野々は、住民の大半が65歳以上である日本の2万以上の集落のひとつである。

"The majority of goals we've conceded this season have been through mistakes. We've never really been carved open; we've always given teams goals. You can't do that in this division."

🔴 "The majority of goals we've conceded this season have been through mistakes. We've never really been carved open; we've always given teams goals. You can't do that in this division."#Morecambe's Jamie Stott#uts | #bbcfootball

— BBC Sport Lancashire (@BBCLancsSport) 2024年10月21日

今シーズンの失点の大半はミスによるものだ。いつもチームにゴールを与えてきた。このディビジョンでは、そんなことはできない。

上記2例は、the majorityで母集団は無冠詞。一般論を述べているので、母集団は無冠詞で、そのうちの過半数・大多数を取り上げると、それは一意に定まるものだから定冠詞、というような理屈付けでしょうか。

このタイプの表現形式は、アカデミックな文脈でも出てきます。

While the majority of students believe that they have more responsibility for their own learning than they do for supporting their peers’ learning, most students also recognize that being responsible for their own learning and supporting their peers offers benefits to all.
https://files.eric.ed.gov/fulltext/EJ1224347.pdf
生徒の大半は、仲間の学習をサポートすることよりも、自分自身の学習にもっと責任があると考えているが、ほとんどの生徒は、自分自身の学習に責任を持ち、仲間をサポートすることが、すべての生徒に利益をもたらすことも認識している。

大学入試問題の読解素材でもしばしばお目にかかります。

A peculiar phenomenon known as incubation gives some clues to the characteristics of the creative process. When faced with a new problem, the creative individual typically approaches it from a number of angles, but if a solution is not forthcoming, he or she temporarily puts aside the problem. A surprising number of gifted people report that often this is when the solution emerges, as though it were incubating in their unconscious while they were daydreaming, playing cards or visiting friends. It has been suggested that other, apparently trivial, activities provide the creative mind with fresh stimulation that can lead to an entirely new approach to the problem an approach that yields the correct solution. True geniuses are also marked out by their great motivation. Unlike the majority of people, they do not rely on the normal motivations, such as money or recognition by their equals; rather they find the work rewarding in itself. This is just as well, because the work of geniuses frequently overturns orthodox thinking and established theories; and for this reason, a work of genius may be ignored or ridiculed by the intellectual establishment, and its achievement recognized and praised only much later.

インキュベーションと呼ばれる特異な現象が、創造的プロセスの特徴を知る手がかりとなる。新しい問題に直面したとき、創造的な人は通常、さまざまな角度からその問題にアプローチするが、解決策が見つからない場合、その問題を一時的に脇に置いておく。驚くほど多くの才能ある人々が、白昼夢を見たり、トランプをしたり、友人を訪ねたりしている間に、まるで無意識の中で潜伏していたかのように、解決策が浮かび上がることがしばしばあると報告している。他の、一見些細な活動が、創造的な頭脳に新鮮な刺激を与え、問題へのまったく新しいアプローチにつながり、それが正しい解決策を生むということが示唆されている。真の天才はまた、大きな動機によって特徴づけられる。大多数の人々とは異なり、彼らは金銭や対等な人からの評価といった通常の動機に頼ることはなく、むしろ仕事自体にやりがいを見出す。天才の仕事は、正統的な考え方や既成の理論を覆すことが多いからだ。そのため、天才の仕事が知的権威によって無視されたり嘲笑されたりすることもあり、その功績が認められ賞賛されるのはずっと後になってからである。

他方、

To win the presidency, a candidate must secure 270 electoral votes – a majority of the votes

To win the presidency, a candidate must secure 270 electoral votes – a majority of the votes pic.twitter.com/WE27yP4Uug

— The National (@TheNationalNews) 2024年10月24日

大統領選に勝利するためには、候補者は選挙人票270票、つまり過半数の票、を確保しなければならない。

では、母集団には限定の定冠詞でmajorityには不定冠詞となっています。

次はNYTの記事から。

Scientists like Osburn have shown that, contrary to long-held assumptions, Earth’s interior is not barren. In fact, a majority of the planet’s microbes, perhaps more than 90 percent, may live deep un­derground.
www.nytimes.com
オズバーンのような科学者たちは、長年の思い込みに反して、地球の内部は不毛ではないことを示した。実際、地球上の微生物の大部分、おそらく90%以上が地下深くに生息している可能性がある。

上記二例では、母集団は限定・特定の話しをしているのだから、定冠詞というのはよくわかるところです。では、そこからとり出す過半数・大部分を不定冠詞で表しているのはどういう理屈なのでしょうか?

悩ましいですね。

このmajorityが可算扱いされ、不定冠詞がつく生息域に「選挙での得票数差」を表す場合があります。
これは初学者用の辞書を除けば、必ずといっていいくらい扱われていて、注記などが施されていることでしょう。

Wisdom英和より引用。

(選挙の勝者と敗者[次点]の)得票差(!(米)では過半数を得た勝者と残りすべての候補者との票の差をさす)
win the election by [with] a majority of ninety-two 92票差で選挙に勝つ

次はG6。

(米)(過半数票と残りの全得票との)得票差; (英)(当選者と次点者の)得票差(米plurality)
⑴ 候補者が2名だけのときは(米)(英)に意味の差がないことになる.
⑵ greatなどの形容詞と共にも用いる
He won by [with] a majority of 100 votes. 彼は100票差で勝った.

O-LEX英和

The proposal was defeated by a majority of 50.
その提案は50票差で敗れた[否決された]

この選挙・得票数の語義の場合にはofは母集団ではなく差分の実数を表すので、定冠詞は用いていないことを確認。

これらの組み合わせ以外に、次のような実例も見られます。悩みは更に深いものに…。

majorityは不定冠詞、母集団は無冠詞。

majorityも母集団も定冠詞。

辞書では両方の例を示していますが、どちらが優勢とも、この場面では通例こちら、などという使い方・使われ方の注記はないのですね。

Ngram Viewerで物言わぬ多数派の声を代弁してみました。

the majority vs a majority

the people vs people

NOWコーパスで母集団の冠詞の有無での比較をざっくりと。

母集団は無冠詞でpeople

母集団に定冠詞で the people

もう少し具体的な表現で見てみましょう。
COCAで形容詞のついた形。

母集団は無冠詞でpeople

母集団に定冠詞でthe people

Ngram Viewerでは5語のかたまりまでしか検索できませんので、SKELLでざっくりと。

the vast majorityで母集団無冠詞は 0.39

the vast majorityで母集団に定冠詞 the people は0.05

a vast majority で母集団無冠詞peopleは0.02

a vast majority で母集団定冠詞のthe people は 0。ゼロで、ヒットした用例は3つのみ。

2024年10月29日追記:
母集団たる名詞の方をもう少し具体化してresidentsをNOWで検索。
the majority of residents

a majority of residents

the majority of the residents

a majority of the residents

ということで、過度の単純化はダメだと言うことはわかるのでは?

こうして見てくると、私には誤文訂正や誤箇所指摘問題で出題してはいけない類いの語法・用法だと思われるのですが、実際には最近でも出題例があります。

下線を付けた語(句)のうち,一つが誤りです。その誤りを(A)~(D)のうちから一つ選び,A解答紙に記入しなさい。
(A)It is estimating that over half the world’s population use cell phones. (B)The majority of users are in developing countries, (C)making cell phones the first telecommunications technology in history (D)to have more users in developing countries than in developed countries.

誤った英語表現を含んだ部分がある場合にはa~dから誤りを1つ選び,誤りがない場合にはeを選んでマーク解答用紙にマークせよ。
As the storm roared through Florida, thrashing winds (a) tearing down trees and power lines (b) alike, and by Monday afternoon officials said the storm (c) may have cut power to (d) a majority of the state’s 20.6 million residents. (e)NO ERROR

Choose the ONE underlined word or phrase in each sentence below that is grammatically INCORRECT.

1.The end of the First World War (A)was accompanied by (B)unmistakable evidences that (C)the majority of Irish people had (D)no intention of remaining within the United Kingdom.

幸せか不幸か、私が引用した上記出題例では、majorityを含む下線部が誤りとなる出題はなかったのですが、巷でそういう出題がないとは言えません。でも、もし、majorityが出題されても、その部分は誤答になることがないのであれば、それを選択肢にする意味がないじゃないですか。
解答する学習者、受験生の脳のリソースを無駄に使わせる拙いor酷い出題だという認識です。
出題者におかれましては、ご高配をお願いする次第です。

というような「情報」を踏まえた上で、以下の大学入試の素材英文を眺めておいて下さい。

The publicity about her death is challenging more people to take a public position on a very controversial issue, and to think about the way they want to die in the event that they become chronically ill. As Dr. Kevorkian had hoped, the case is also provoking the medical profession to face an issue they have seldom previously discussed: doctors who help seriously ill people commit suicide. For many centuries, doctors have said that they should not assist in suicides because killing on demand would seriously erode patient trust as well as the moral basis of the medical profession, assisting the ill in regaining health. A further fear is that legalizing suicide could lead to a repetition of Nazi atrocities.
But many Americans say that more than death, they fear being kept alive by machines, when their life either has no meaning or has become a financial and emotional burden on their families and friends. In Washington State, for example, residents are being asked to sign a petition for a death-with-dignity vote. If it were so voted by a majority of the population, physicians would be allowed to participate in a patient's suicide in cases of terminal illnesses. The assisted suicide provision would be allowed only in cases of terminal illness; that is, where death is expected within six months. Although many doctors admit privately that they have advised patients to take a few extra pills or have injected an extra dose of morphine to hasten death, assisted suicide is actually illegal in all states.

ケヴォーキアン博士が望んでいたように、この事件は医療関係者にも、これまであまり議論されることのなかった「重病人の自殺を手助けする医師」という問題に直面させることになった。ケボーキアン博士が望んでいたように、この事件は医療関係者にも、重病人の自殺を手助けする医師という、これまであまり議論されることのなかった問題に直面するよう促している。何世紀にもわたり、医師は自殺を助けるべきでないと言い続けてきた。オンデマンドの殺人は、患者の信頼を著しく損なうだけでなく、病人の健康回復を助けるという医療職の道徳的基盤をも損なうからである。さらに恐れられているのは、自殺を合法化すれば、ナチスの残虐行為を繰り返すことになりかねないということだ。
しかし、多くのアメリカ人は、死よりも、自分の人生が意味をなさないか、家族や友人にとって経済的・精神的負担となったときに、機械によって生かされることを恐れているという。たとえばワシントン州では、尊厳死の投票を求める請願書への署名を住民に求めている。仮に住民の過半数の賛成が得られれば、末期患者の自殺に医師が関与できるようになる。自殺幇助の規定は、末期症状、つまり6ヶ月以内に死亡が予想される場合にのみ認められる。多くの医師が、死を早めるために患者に数錠余分に飲むように勧めたり、モルヒネを余分に注射したことがあると内心認めているが、自殺幇助は実際にはすべての州で違法である。

People associate the information age with the advent of the Internet in the 1990s, but the shift from the industrial era started more than a generation earlier, with the deindustrialization of the Rust Belt in the United States and comparable movements away from manufacturing in other industrialized countries. This period, roughly the mid-1960s to the early 1990s, was also marked by seriously worsening social conditions in most of the industrialized world. Crime and social disorder began to rise, making inner-city areas of the wealthiest societies on earth almost unlivable. The decline of family as a social institution, which had been going on for more than 200 years, accelerated sharply in the second half of the twentieth century. Marriages and births declined, divorce rose, and one out of every three children in the United States and more than half of all children in Scandinavia were born outside of marriage. Finally, trust and confidence in institutions went into a forty-year decline. Although a majority of people in the United States and Europe expressed confidence in their governments and fellow citizens during the late 1950s, only a small minority did so by the early 1990s. The nature of people’s involvement with one another changed as well, although there is no evidence that people associated with one another less, their ties tended to be less permanent, looser, and within smaller groups of people.

情報化時代といえば、1990年代のインターネットの登場を連想するが、工業化時代からの転換は、それよりも一世代以上前に始まっている。おおよそ1960年代半ばから1990年代初頭にかけてのこの時期は、先進工業国の大半で社会状況が深刻に悪化した時期でもあった。犯罪や社会的無秩序が増加し始め、地球上で最も裕福な社会の都心部がほとんど生活できない状態になった。社会制度としての家族の衰退は、200年以上前から続いていたが、20世紀後半に急激に加速した。結婚と出産が減り、離婚が増え、アメリカでは子どもの3人に1人、スカンジナビアでは半数以上が結婚せずに生まれた。ついには、制度に対する信頼と信用が40年間も低下し続けた。アメリカでもヨーロッパでも、1950年代後半には大多数の人々が政府や市民に対する信頼を表明していたが、1990年代初頭には、そのような人々は少数派に過ぎなかった。人々の関わり合いが減ったという証拠はないが、その結びつきはより永続的でなく、緩やかで、より小さな集団の中でのものになる傾向があった。

文法語法問題で問うのではなく、実際に聞いたり読んだり書いたりする中で英語力を問うなら、まあ許容範囲かと思うのですが、私のような英語教師・講師は、少数派に属するのでしょうね。

本日はこの辺で。

本日のBGM: Guess You had to Be There (Richard X. Heyman)

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私がnoteで公開している有料記事に『診断テスト』があります。

noteのセールストークから転載。

高校生の授業傍用でかれこれ20年近く使ってきた「診断テスト」を改訂/リニューアル公開しています。
全部で100題(番外編含めて108題)あります。
授業では、和文英訳形式で10問ずつ解いてもらって、シェアリングの後、解答例を配布し、解説を加えていました。
この公開版でも、一応、問題用pdfと解答解説のpdfは分けてファイルにしています

初級編
note.com

中級編
note.com

その初級編と中級編の両方に同じ記事が収録されています。

記事単体でも販売中ですが、この問題8題の日本文は無料公開しています。

note.com

この『語義8題』でやりたかったことは、noteの頁にも書きました。

この「8題」は、20世紀末のオリジナルの「診断テスト」では扱われていなかったもので、日本語と英語の間のズレや隙間など、これまで私が英語の学習をしてきて、英語の授業をしてきて、学習者の遭遇した様々なトラブルスポットを見てきて選び抜いたものになっています。
和文英訳形式となっていますが、解答解説、対比された補充用例や生息域の実例となる英文を読んでもらうと、これまでの「診断テスト」100題で養ったセンサーがさらに鋭敏になることでしょう。

日本語とのズレ、ということで、106番では、日本語のカタカナ語の「エピソード」と英語での使われ方の違いを取り上げていますので、この機会に是非、有料記事をお試し&お楽しみ下さい。

今日の気になる語法は、カタカナ語とのズレがある英語で

です。

既に、このツイートで指摘していました。

北米でも特に米国のカレッジスポーツの文脈で使われる
program
という用語は注意が必要。
大学の正式な運動部(とその活動・取り組み&それを統括する組織体)。
所謂「カリキュラム」のことをprogramというのも主に北米英語。
大学の教育活動の一環&競技選手の育成課程と捉えれば妥当な用語かな。

北米でも特に米国のカレッジスポーツの文脈で使われる
program
という用語は注意が必要。
大学の正式な運動部(とその活動・取り組み&それを統括する組織体)。
所謂「カリキュラム」のことをprogramというのも主に北米英語。
大学の教育活動の一環&競技選手の育成課程と捉えれば妥当な用語かな。 https://t.co/SCz5eXihLo

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年10月17日

ベネット氏自身のツイートで英語表現を確認。

Dear City of Virginia,
I regret to inform you that I must step down as the head coach of the basketball program. I am deeply grateful for the opportunity to contribute to the development of our talented athletes and to be a part of this community.
Sincerely,
Coach Tony Bennett

Dear City of Virginia,

I regret to inform you that I must step down as the head coach of the basketball program. I am deeply grateful for the opportunity to contribute to the development of our talented athletes and to be a part of this community.

Sincerely,
Coach Tony Bennett

— Tony Bennett (@CoachTonyBT) 2024年10月17日

親愛なるバージニア市の皆様、
残念ながら、私はバスケットボール部のヘッドコーチを辞任しなければなりません。才能ある選手たちの育成に貢献し、このコミュニティの一員となる機会を与えていただいたことに深く感謝しております。
敬具
トニー・ベネット コーチ

上では、便宜上「バスケットボール部」と和訳しましたが、この “the basketball program” を米国文化の文脈で捉えること大事。

報道文体でも一読了解できるか、知識と慣れが必要。

別媒体でprogram関連ネタ。
報道文体に注意。
ここでのカンマの後は情報源を示す後置のSVで
the basketball program announced on social media
大学のバスケ部がSNSで明かした
ということ。 https://t.co/9YtDu9onvH

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年10月17日

引用された英文をこちらに。

Virginia men’s basketball coach Tony Bennett will announce his retirement effective immediately at a news conference Friday morning, the basketball program announced on social media Thursday afternoon.

Virginia men’s basketball coach Tony Bennett will announce his retirement effective immediately at a news conference Friday morning, the basketball program announced on social media Thursday afternoon. https://t.co/haz448J259

— The Washington Post (@washingtonpost) 2024年10月17日

バージニア大の男子バスケットボールのヘッドコーチであるトニー・ベネットが、金曜日の午前に記者会見を開き、即刻引退することを発表した。バスケットボール部が木曜日の午後にソーシャルメディアで明らかにした。

そのthe basketball programの情報発信がこちら。

BREAKING: Tony Bennett to announce his immediate retirement in a press conference on Friday at 11 a.m.

こちらが大学の
the basketball program
のアカウント。 https://t.co/sLJNDtdeKU

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年10月17日

このprogramの語義は、辞書で対応しているものは少ないだろうと思われます。

American Heritage Dictionary (5th; 紙版は2011年)
語義区分の5-cで
A plan or system of nonacademic extracurricular activities
という定義を示し、用例に “the football program” を取り上げています。

この定義を見る限りではprogramは、大学だけではなく、教育活動が行われる学校・機関にも使われているのだろうと思いますが、報道で見聞きするのは大学で、しかもメジャーな競技スポーツという印象です。
中でも

が群を抜いて多いでしょうか。

そもそも、programをカリキュラムの意味で用いるのは、主として北米の英語ですので、文脈に気をつけることが重要です。例えば、同じ北米の英語で、競技スポーツに関わる文脈でも、次のようなprogramは、「教習」とか「講座」のような意味で用いられています。

The Jay Bilas Skills Camp Coaching Development Program is designed for coaches who have a desire to learn & grow in the coaching profession & Craft a strong foundation of fundamentals of coaching both on and off the court.

Coach Anthony Brown Jr. of the Team Hickory 13u, is spending the weekend honing his coaching acumen, developing his coaching IQ, & learning valuable coaching lessons at the Jay Bilas Skills Camp at Davidson College.

The Jay Bilas Skills Camp Coaching Development Program is… pic.twitter.com/G8QQIjBRzr

— Team Hickory (@TeamHickory) 2024年6月8日

ジェイ・ビラス・スキルズ・キャンプ・コーチング・ディベロップメント・プログラムは、コーチという職業を学び成長したいという意欲を持ち、コートの内外でコーチングの基礎をしっかりと身につけたいというコーチのためにデザインされています。

ここでの “coaching development program” は「コーチ養成講習」とでもいうべきもので、日本語のカタカナ語の「プログラム」とはそれほどズレを生まない語義になると思います。

これに対して「体育会運動部」のような、課外の部(活動、取り組み、それを統括する組織体)の意味でのprogramは比較的新しい使われ方になるのではないかと思います。

オンラインコーパスでざっくりと検索。

米文化での使用実態を確認したいわけですから、まずはCOCAで。

1990年代から見られる用法ですが、footballが群を抜いています。それでも、2015年以降で倍増に近い増加となっていることがわかります。rowingはあまりメディアでは取り上げられない模様。

米での通時的推移をCOHAで。

網掛けの色が濃くなっているのは2000年代以降。やはりfootball優勢ですね。通時的な比較ができるようなデータがないのか、rowingはここでは上がってきません。

GLOWBEで20エリアの比較を。データは2012-2013年のものですので、10年以上前の実態、ということは確認しておきましょう。

北米で使われ、圧倒的に米国で、そして、その殆どがfootballです。GBのfootballは一次資料を見てみないことにはわかりませんが、「サッカー」のことを指すのではないか、という疑問も浮かびます。
rowingの5例のうち2例はGBでのヒット。さもありなん?

次の抜粋は、英メディアでの米国の大学に関わる記事からで、サッカーではないfootballでした。

Yet, over and over again, I have heard Penn State officials decrying the influence of football and have heard such ignorant comments like Penn State will no longer be a 'football factory' and we are going to 'start' focusing on integrity in athletics. These statements are simply unsupported by the five decades of evidence to the contrary , and succeed only in unfairly besmirching both a great university and the players and alumni of the football program who have given of themselves to help make it great.
www.dailymail.co.uk
しかし、私は何度も何度も、ペンシルベニア州立大学の関係者がフットボールの影響力を非難するのを耳にし、ペンシルベニア州立大学はもはや『フットボール工場』ではなく、陸上競技における誠実さに『焦点を当て始める』のだというような無知なコメントを耳にした。このような発言は、それとは反対の50年にわたる証拠に裏打ちされていないだけであり、偉大な大学と、この大学を偉大なものにするために自らを捧げてきたアメフト部の選手やOBを不当に中傷することだけに成功している。

“the players and alumni of the football program” とあることで「部」であることが分かりますね。

そして、最新最大のコーパスでNOW。

baseballもかなり多いですが、やはり殆どがfootballですね。

ヒット数の多いNOWコーパスでatまで含めて、大学などどこでそのprogramが提供されるのかを見てみましょう。

コンコーダンスラインをざっくり。

community college やhigh schoolの例もいくつかあり、junior high schoolの例もありますね。

" Decatur City Schools is saddened to report the death of a 14-year-old student,” according to the statement. “Dr. Mark Christopher, principal at Austin Junior High School, reached out to the student’s family to offer condolences on behalf of Decatur City Schools. The student was a member of the football program at Austin Junior High School. We ask that you keep this student and his family in your thoughts and prayers.”
www.al.com
「ディケーター市立学校は、14歳の生徒の死を報告し、悲しんでいます」と声明によると、「オースティン中学校の校長であるマーク・クリストファー博士は、ディケーター市立学校を代表して、生徒の家族に哀悼の意を表しました。「オースティン中学校の校長であるマーク・クリストファー博士は、ディケーター市の学校を代表して哀悼の意を表するために生徒の家族に連絡を取った。生徒はオースティン中学校のフットボール部に所属していました。私たちは、この生徒と彼の家族を思い、祈り続けるようお願いします。」

次の記事はobituary。ボブ・ナイト氏は、私くらいの世代の日本のバスケットボールの指導者にもお馴染だったことでしょう。合掌。

But Knight, nicknamed “The General,” was best known for his nearly 30-year career as head of the basketball program at Indiana, where he elevated the team to a national powerhouse while maintaining rigorous academic standards and a high graduation rate for his players. He won all three of his championships there, as well as a NIT tournament victory in 1979.
www.yahoo.com
しかし、「将軍 」のニックネームを持つナイトは、インディアナで約30年間バスケットボール部の指揮を執ったことで最もよく知られている。そこで彼は、厳しい学業水準と選手の高い卒業率を維持しながら、チームを全国的な強豪校に育て上げ、1979年にはNITトーナメントで優勝した。

ボブ・ナイトといえば、昔はこんなコーチングの教則本があったんですよ。

ウィニング・バスケットボール 勝つための理論と練習法
原題:Basketball Vol.1 Vol.2

著者 ボブ・ナイト/ピート・ニューエル
笠原成元 監訳
1992年、大修館書店
www.taishukan.co.jp

世界のトップ選手、たとえチャンピオンでも「コーチ」は必要です。
教科教育でも「コーチング」という用語が聞かれることがありますが、コーチの「目利き」「腕利き」が前提なのですから、教科教育の世界の方たちも、「教えない授業」なんて言ってないで、競技スポーツの世界の「コーチ」からもっと学んでは如何、というのが偽らざる心境です。

ということで、英語、とりわけ米語での “program” について整理してみました。

大事です。
本日はこの辺で。

本日のBGM: 109で待っててよ (すかんち)

open.spotify.com

※2025年10月20日追記:

米国ではArmy、Navy士官学校にもprogramがあり、大学リーグのカンファレンスに所属しています。
陸軍士官学校はニューヨーク州のWest Point (ウエストポイント、日本では「ウエポン」などと略されたりします)にあり、海軍兵学校(米国海軍と海兵隊の士官学校)はメリーランド州のAnnapolis(アナポリス)にあります。
次のツイートにある動画クリップでの、Army Football のcoachがライバルのNavyを侮蔑挑発するコメント(trash talk)が話題になりました。番組のホスト役がprogramという語に反応していることがよくわかります。

— ESPN (@espn) 2024年10月16日

このツイート内の動画でも自動生成のキャプションが出ますが、この番組のこのコーチの発言が話題となり、英国のメディアでも取り上げられたので、そちらで発言を確認して、背景の理解を深めましょう。記事冒頭でしっかり "both programs this season" (今シーズンの両部)と書かれています。

www.dailymail.co.uk
Army football's annual scheduled matchup with service-academy rival Navy does not take place for another two months. That has not stopped Black Knights head coach Jeff Monken from trashing the Midshipmen.
Monken took a dig at his program's archrival's during an interview with 'The Pat McAfee Show' on Wednesday, with a much-bigger spotlight on both programs this season.
Navy and Army have a combined 11-0 record and hold the top two spots in the American Athletic Conference with a combined 8-0 league record.
(中略)
Before a possible double-December showdown with Navy could take place, Monken could not help but take a swipe at his program's biggest rivals.
'Do they still have a football program at that school?' Monken said. 'Well, we're gonna worry about this game this weekend. It's the only one we can do anything about. And East Carolina's got a good football team, a well-coached team and I assure you that's the only game we're concerning ourselves with right now.'

(陸軍フットボール部恒例のライバル海軍との対戦は、あと2ヶ月はない。しかし、ブラックナイツのヘッドコーチ、ジェフ・モンケンがミッドシップメンを酷評するのは止まらない。
モンケンは水曜日の 「パット・マカフィー・ショー 」のインタビューで、今シーズンの両部にこれまで以上に大きなスポットライトを当てながら、彼の宿敵を揶揄した。
ネイビーとアーミーは合計11勝0敗で、アメリカン・アスレチック・カンファレンスでは合計8勝0敗で上位2位を占めている。
(中略)
ネイビーとの12月のダブル対決が実現する可能性がある前に、モンケンは最大のライバルを一刀両断せずにはいられなかった。
「あの学校にまだフットボール部ってあるのか?」とモンケンは言った。「まあ、今週末の試合を心配することにしよう。我々がどうにかできるのはこの試合だけだ。イースト・カロライナはいいフットボールチームで、よくコーチングされたチームだ」。

この英国メディアのように、米国の大学文化・スポーツ文化の「外」から見た様子を報じてくれるのは、同じ「外」から見ている私にも有り難いことです。

この番組でのこのコーチの発言はtwitterでも話題にはなっていましたが、炎上するまでには至っていなかった印象です。

まずは発端となった番組ホストのPat MacAfee氏のアカウント。

— Pat McAfee (@PatMcAfeeShow) 2024年10月16日

その他

"We're gonna worry about the game this weekend. East Carolina's got a good football team, well coached team. I can assure you that's the only game we are concerning about right now." - Army Head Football Coach Jeff Monken on @PatMcAfeeShow pic.twitter.com/fFTiVTOfb7

— The Holton Ahlers Show (@HoltAhlersShow) 2024年10月16日

Army head coach Jeff Monken trolls Navy during ‘Pat McAfee Show’ appearance: ‘Do they still have a football program?’ https://t.co/QkHG9t8R2g pic.twitter.com/2Z43EGV2gn

— Ken Fang -- Very Asian (@fangsbites) 2024年10月16日

Army head coach Jeff Monken trolls Navy during ‘Pat McAfee Show’ appearance: ‘Do they still have a football program?’ https://t.co/1bQilsWeig pic.twitter.com/9FAXRBJ6tO

— Awful Announcing (@awfulannouncing) 2024年10月16日

Army-Navy matchupsというのは両校(両 "programs" )の関係者だけでなく、カレッジフットボールの界隈でも大きな関心が寄せられるようで、とりわけ今シーズンのように両部が絶好調だと、気にせずにはいられないのでしょうか、次のような動画も出回っています。

Bruce Feldman on Army or Navy’s Chances to Make the College Football Playoff | The Rich Eisen Show

youtu.be

Bruce FeldmanはこのFOXのカレッジフットボールのレポーター&ライター。NYTでも全米のカレッジフットボールのSenior Writerをしています。

www.nytimes.com

因に、英国文化での、スポーツの「プログラム」といえば、programme(s) で、こういう類いの「もの」を表すことが多いでしょう。

football programmes on sale
www.google.com

日常的な話題で用いられる基本語だからこそ文化の違いがあらわれるところでしょうか。

ここまで見てきて、私の最初のツイートで書いていた

という語義の理解での ( ) 内の補足は (programsは大学以外でも使われる語である、ということを除けば)、十分に筋の良いものであったな、と思っています。

今日は告知から。
ここでも呟いていましたが、

旧「はてなダイアリー」を私が日記として運用開始したのが、この日でした。
この10月26日(土曜日)で満20年となります。
午後〜夜で何かオンラインイベントをやろうかと思いますので、告知を気にしておいて下さい。

大会に向けて日記開始
- 英語教育の明日はどっちだ!https://t.co/gBPXW08t7K

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年10月16日

このブログの20周年を記念して、オンラインイベントを開催することにしました。
私の雑談と読者の皆さんとの懇親が主眼です。
Google Meet で行いますので、カメラオフ、マイクオフのチャットでも、マイクオンでのやり取りでも、顔出しでのやり取りでも構いません。
詳しくはこちらを。

祝20周年「ブログ・英語教育の明日はどっちだ!」
記念イベントをオンラインで開催します。
10月26日(土曜日) 19:00 - 21:00 定員20名
主に雑談と懇親を想定しています。
事前申し込み必須ですが無料です。
passmarket.yahoo.co.jp

という方がいらっしゃるやも知れません。
これは偏に、私が10/26のその前の時間帯でこちらにオンライン参加しているためです。

外国語教育メディア学会(LET)関西支部 2024年度秋季研究大会
https://let-kansai-2024-fall.peatix.com/

何とぞ、ご理解の程を。

現在出講中の高校では、高3で和文英訳も扱っています。
その中で、リスニングを取り入れる活動として、

というものを取り入れているので、簡単にご紹介まで。
この「ラウドスピーカー」というのは、80年代の終わりか、90年代の前半くらいの時期に金谷憲先生のセミナーで知ったんだと思います。自分の最古の記憶ははっきりしませんが、私のオリジナルではなく、先人の開発した、「シャドーイング」と「ディクテーション」を組み合わせた活動です。

ざっくりと手順を。
本来は少人数でのグループ活動です。

1. グループの生徒のうち1人がヘッドセットをつけて音源を聴き、シャドーイングをする。
2. 他の生徒は、シャドーイングで再生された音声を書き取る(シャドーイングの回数は適宜調整)。
3. シャドーイングする生徒を交代して2人目も同じ手順で行う。
4. さらに別の生徒に交代(以下時間が許せばグループ全員が終わるまで交代して繰り返す)。
5. グループ内でシェアリング。書き取った語句・表現の異同を確認し意見交換、適宜加筆修正。
6. オープンで音源を聴いて確認。
7. 英文のスクリプト確認。すぐに書き写さず、音読後、各自の再現した英文のチェック。
(8. 全員での音読か、オーバーラッピング)

当然、全てを完璧にシャドーイングできたとしても、それを全員が素早く正確に書き取れるわけではありませんから、グループのメンバーが交代でシャドーイングをすることに大きな意味があります。自分のシャドーイングの番になって「あ、さっき書き取れなかったのは、…って言ってたんだ」というような補填/気づきがある可能性が高まるからです。
少人数クラスなら交代で全員がシャドーイングを経験できる利点があるのですが、日本の一般的な英語教室で30人以上いる場合には、全員をローテーションするのは物理的に難しいもの。

そうした大人数の教室で聞き取る側・書き取る側が感じる「わからなさ加減」を、自分のシャドーイング担当時にメンテナンスすることが叶わないという構造的な欠陥を補う工夫として、

の活動を行っています。

つまり、「どんな内容の英語なのか」は、英語をシャドーイングする前、英語を聞き取る前に既に分かっている上での「ラウドスピーカー」を行うわけです。

一例を示します。
次のような和文英訳の「お題」があるとします。

外国から来た人が戸惑うことの一つが,日本人は極めて控え目に自己をPRすることだ。日本社会は謙虚さというものを美徳と考えているからだ、と日本人が理由に挙げるのを聞いて、自分を他者よりもよく見せなければならない局面でさえなぜ自分の長所をPRすることをはばかるのか理解に苦しむのである。

一般的な和文英訳の指導であれば、事前に着眼点やヒントを与えたりした上で、個々人に解答を提出させて、教師からフィードバックを与える、という流れが多いのではないかと思います。

私の授業でも、着眼点や注意点、NGワードなどは事前に伝えますが、私の作成した解答例をAI支援の音声合成で音源として準備しておき、ラウドスピーカーの活動を行うのです。

One of the things about Japanese people that confuse people from other countries is that the Japanese try not to look competitive. They say they do so because Japanese society values modesty, which is even more difficult for them to understand: why do Japanese people refrain from promoting their strengths even when they have to make them look better or different than others?

日頃から、「耳半分・頭半分」と言っていますが、聞き取れないところは、和文を頼りに、補うことを想定しています。
言ってみれば「ラウドスピーカーもどき」の活動ですね。

と隔靴掻痒なところは多いわけですが、自分のシャドーイングの番が回ってこなくても、

という主体的・積極的な取り組みが期待されています。

巷の和文英訳指導では、しばしば

などと嘯く人がいるのですが、それをやっていると、いつまでも英語表現が成熟しません。
教室で、教師の目の前にいる生徒の英語力の少し上の英語表現を意図的に盛り込んで解答例を作れるのは、その教室を受け持つ教師だけでしょう。

音声合成はこちらを利用しています。

elevenlabs.io

音源は mimicopy (耳コピ)というアプリにmp3の形で取り込んで再生しています。

mimicopy.artteknika.com

これは、速度もピッチも変えられるので、 生徒の習熟度に合わせて提示できるという利点があり、もう10年以上、私の授業での必需品です。AIが生成してくれた「自然に近い」音声があれば、自分で音声教材の作成が可能です。

↓はアプリの画面のスクショ画像なのでクリックしても再生されません。

↓再生はこちらのリンクを。
soundcloud.com

このアプリは、3箇所まで、ナンバリング&色分けで区間指定ができるので、波形を確認し、悩みどころ/困りどころをここからここまで、というように指定して、そこだけの「区間リピート」も設定できます。

冒頭だけの区間リピートの例。

↓こちらもアプリの画面の画像だけです。

↓再生はこちらを。
soundcloud.com

「ラウドスピーカー」と「教室全体で、スピーカーから流れるオープンな音声でのディクテーション」とを併用し、生徒同士でのシェアリングを複数回入れることで、習熟度の差にも対応可能でしょう。
私はこの「ラウドスピーカーもどき」以前に、オープンな音声での全員一斉のシャドーイングも体験させています。

ディクテーションのルールとして一つ課しているのが

です。
自分の癖、処理や思考のログを残すためにも、消しゴムを使わずに、抹消線と加筆修正で対応してもらっています。

「ラウドスピーカー」は日本生まれではありますが古くからある活動ですし、「ディクテーション」はそれよりも遥か以前からある活動です。
Instructed Second Language Aquisitionの観点で、どのような効果があるのか、私にはよくわかっていません。
それでも、このように、単文・短文から、まとまった分量のつながりのある英文まで、適切に書かれた英文さえあれば、教材作成が可能で、教室でトレーニングができ、生徒も教師もかなりの達成感を得ることが可能な活動になりますのでご参考までに。

本日はこの辺で。

本日のBGM: Anniversary (織田哲郎)

open.spotify.com

今日は朝からオンラインで講演会に参加し学びを深めた。

https://yasuda20241012.peatix.com/
AI時代の言語能力を考える連続講演会:保田幸子先生の会

・タイトル:「良い文章とは何か? 第二言語ライティング研究からの知見」
・内容:「あの人は文章力が高い」という時, それはどのような状態を指すのでしょうか。「 あの人が文章がうまい」という時, それは具体的にはどのようなことができる状態を指しているのでし ょうか。本講演では,これらの問いに答えるべく,第二言語ライテ ィング能力を評価・ 測定する際に用いられる様々な枠組みについて概観します。

講演の中で「複雑性の高い文章ほど、良い文章と言えるか?」という問いが投げ掛けられたが、先行のリサーチから得られる知見を整理する段階で、

というような話しがあったのだが、これは、特に後者の「」が危ういだろう。

を定量的に精査すべきところが、「評価が高い」という定性的な評価を含んでしまっている。
T-Unitもその概念が提唱されてから長い年月が経つが、補正をかけないといけないような指標は、教室現場のイチ教師にはまず使えない。

今日の講演会直前に呟いたこちらの英文の扱いなどを考えてもらえれば、私の言わんとすることはわかってもらえるかと。
文頭の分詞構文を使い、文末に独立分詞構文を使う、ということだけでライティングの評価が上がるとしたら、その評価の枠組みそのものが筋の悪いものなのでは?

Born in 1970, she comes from a literary background, her father being a well-regarded novelist.

話題つながりで、Japan News の記事。
記事中に
Born in 1970, she comes from a literary background, her father being a well-regarded novelist.
という文がある。
分詞が手放した時制を辿る頼みの綱の主節(主文)の動詞が出身を表すcome from という特殊な環境の例。https://t.co/8UwJcRUueb

— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年10月11日

ということも踏まえて、本日の「気になる語法」は所謂独立分詞構文として教材で示されたり、稀にテストで問われる表現から

the sun having set

it being Sunday

を。

私の授業では、基本的にこの二つの表現を短い一文で扱うことはない。問題集などで短い英文が一つしかないような場合は、文脈を補足するか、自分で産出するべき英文のお手本としては無視している。

かつて扱った某問題集では、練習問題の結果完成させる英文が

という目を疑うものだった。
こんな情報価値の低い一文を作って何になるというのだろう?

2000年代の大学入試でも次のような英文の完成を求める出題例があるが、今はどうなんだろうか?

The sun having set, we stayed there for the night.
陽が沈んだので、私たちはそこで一泊した(夜を明かした)。

この例では、thereで表されている「場所」がどういうものなのかはわからずじまい。
その表現の選択が必然であるようなせめてもの「文脈」「場面」が必要だろうに。

長寿TVドラマの『相棒』のSeason 8 (2009年放送) の第2話に「さよなら、バードランド」という回がある。そこでは、右京さんと神戸さんが証拠品を山奥に住む持ち主に届けた後、帰りの最終バスに乗り遅れて旅館に泊まることになり、そこで事件が起こるという展開があった。そんな場面で使われるのなら、まだイメージも湧くだろう。

他にも、

というような内容なら、まだ許容範囲だろう。
ただ、もしそれを接続詞を含む(つまり山谷のある)英文で書いたとしても、それほど流れは淀まないもの。

で十分。
わざわざ独立分詞構文を使ってまでハイライトしたい主文・主題とは何か?というところが「肝」のはず。

SKELLの検索ではthe sun having setは僅かに2例のみがヒット。そのうちの一つ、次の一文は、それなりの場面描写とは言えるだろう。

They reached the bridge at midnight, having marched the last seven kilometres in darkness (the sun having set at 18:29).
https://skell.sketchengine.eu/#result?lang=en&query=the%20sun%20having%20set&f=concordance
橋に到着したのは真夜中で、最後の7キロは暗闇の中を進んだ(日没は18時29分)。

実例をもう一つ。
ランディー・ニューマンが音楽を担当し、彼の評価を高めた映画 『ラグタイム』(ミロシュ・フォアマン監督、1981年)の原作小説 “Ragtime” (E.L.ドクトロウ著、1975年)には、こんな描写がある。

www.english-corpora.org
The sun having set, the electric lights were on inside the firehouse. Through the glass panels in the door the Negro could see the three matching grays in their stalls, the great nickel-plated pumper with its brass fittings backed up to the rear wall.

陽が沈み、消防署内の電灯がついた。ドアのガラス・パネル越しに、黒人は3頭の揃いの葦毛の馬がそれぞれの馬房にいるのと、ニッケルメッキが施され、真鍮の金具が付いた大きなポンプ車が後方の壁際に控えているのが見えた。

物語の設定は20世紀初頭の米国。このように、あくまでも情景描写の一部であることを確認。

と思って、ちょっと覗いてみたら、冴えない独立分詞構文の例が見つかった。

天候などでのit主語を使う文の独立分詞構文で、時制のズレを吸収して完了形となるもの。

Grammarlyさんは、次のような指摘。

これはGさんの言う通りだと思う。

現代の英語では、この前に、withがついて付帯状況の色が濃くなると少し使用頻度が上がる印象。
次は2012年の記事。

Shortly after dinner had concluded, we sailed away from the wharf and across Avacha Bay, which is considered to be one of the largest natural harbours in the world. With the sun having set, the light was rapidly fading but the street lights around the bay gave us a sense of the size of this spectacular location and many then headed for bed in expectation of the days ahead.
www.heritage-expeditions.com
夕食が終わって間もなく、私たちは埠頭を離れ、世界最大級の天然港といわれるアバチャ湾を横断した。日が沈むと、光は急速に失われていったが、湾周辺の街灯がこの壮大なロケーションの大きさを感じさせてくれた。

前後のバランスを確認してもらえれば、と。

さて、
次に、冒頭で疑義を示したもう一つの例、

を見ておこう。

このブログでも再三書いていることだが、私自身が、高校2年生だった1980年に、

で不適切、不正確な文法や表現は文字通り「整理」した。
特にこの項目は自分の手持ちの教材から抹消線で消したのを覚えている。


『英語参考書の誤りを正す』(p.126)

流石に「曜日」ではないが、驚くことに、最近の問題集にも次のような例が見つかる。

主節(主文)の内容が日常的で軽過ぎ、バランスが取れていない例と言える。

2024年10月13日追記:
バランスというのは内容と表現の両面で言えることで、例えば
「今日は日曜日なので、通勤快速は走っていません。」
程度の内容なら
Today is Sunday, so there is no Commuter Rapid running.
で十分ということです。

次のツイートなどは、バランスが取れている例かと。

It being Sunday, I had the privilege to meditate in an on-going Orthodox service. Glorious! pic.twitter.com/7IZhOGmKj3

— Scott4Ukraine (@ScottHarper18) 2024年9月1日

SKELLの検索ではSundayで6例ヒットしたが、文頭の例はゼロ。

検索語をSaturday に替えると、文頭の例が2例ヒットした。

1. It being Saturday night, many of these were inebriated and angry.
2. It being Saturday, the paths were busy with families skating and cycling, and weekend warrior bike racers working on speed and distance.

1. 土曜の夜だったため、彼らの多くは酩酊し、怒っていた。
2. 土曜日ということもあり、スケートとサイクリングを楽しむ家族連れや、スピードと距離を競う週末戦士の自転車レーサーで道が混雑していた。

例1で使われている inebriated(= having drunk too much alcohol) はかなりフォーマル度が高く、COBUILDでもOALDでもCambridgeでも無印の語。
例2は主節(主文)が並列の表現を含み、付帯状況の描写が長いもの。

その前後の場面の描写、情景描写が長かったり、込み入ったりしている中で、その更なる舞台設定や背景説明に多言を要さないために、コンパクトに折畳み圧縮した表現を必要とするわけだから、つぎのような例は、まさに生息域とは言えるものだろう。

'Next morning there appeared at breakfast John Ballantyne, who had at this time a shooting or hunting-box a few miles off, in the vale of the Leader, and with him Mr. Constable, his guest; and it being a fine clear day, as soon as Scott had read the church-service and one of Jeremy Taylor's sermons, we all sallied out before noon on a perambulation of his upland territories; Maida (the hound) and the rest of the favourites accompanying our march.
skell.sketchengine.eu
翌朝、朝食時にジョン・バランタインが現れた。彼はこの頃、数マイル離れたリーダー渓谷に狩猟小屋を持っており、彼の客人であるコンスタブル氏も一緒だった。晴天に恵まれたこの日、スコットが教会の礼拝とジェレミー・テイラーの説教を1つ読むとすぐに、私たちは正午前に全員で彼の高地領土の散策に出かけた。マイダ(猟犬)とその他の人気者たちも私たちに付いてきた。

と訝ったり、憤ったりする方もいるかも知れない。
でも、上述の英文は何時頃書かれたものだと思うだろうか?
出典は

で、19世紀の前半の英語。

他にも、SKELLでは、こんな用例がヒットする。

It being a very pleasant day, I wished myself in Hide Park.
skell.sketchengine.eu

とお怒りの向きがあるかも知れない。

この出典は

で、こちらから採取されたもの。

Tuesday 1 May 1660
This morning I was told how the people of Deal have set up two or three Maypoles, and have hung up their flags upon the top of them, and do resolve to be very merry to-day. It being a very pleasant day, I wished myself in Hide Park.
www.pepysdiary.com
1660年5月1日 火曜日
今朝、ディールの人々が2、3本のメイポールを立て、そのてっぺんに旗を掲げて、今日をとても楽しく過ごそうと決意していることを聞いた。とても気持ちの良い日だったので、私はハイドパークにいたかった。

今度は17世紀半ばの英語。
オンラインコーパスの検索結果も、その一次ソースまで確認することが大事だということがお分かりいただけただろうか?

現代で意外なところでは、ソーシャルメディアのtwitterで私と相互フォロー中の英国のアーチストTot Taylorさんのツイートにはit being Sunday単独で使われていた。

it being Sunday I'm guessing the BBC's "chief political correspondent" did not wish to 'alienate the alien' ??
I often wonder about Laura's 'interviews' (and, come to that, the BBC's political 'interviews' ...https://t.co/zZNdp42cAG

— TOT TAYLOR email: tot@riflemaker.org (@tottaylor1) 2023年5月28日

日曜日だから、BBCの 「主任政治記者 」は 「異星人 」を 「疎外 」したくなかったのだろうか?
ローラの 「インタビュー」(そしてBBCの政治的 「インタビュー」)について、私はよく疑問に思う。

ここは明らかに、大手メディアの政治的スタンスを「茶化し」にかかっている書き方であり、日常の言語使用でもちょっと特殊な例と言えるだろう。

現代英語で、このit beingを文頭のイントロどどいつで見聞きするとすれば、恐らくは

の譲歩のパターンだろう。

以下、GLOWBEでも見つかる2012年の記事から。

My takeaways from the race were cold but stunning swim, amazing bike (although for Luke not so great especially as I almost chicked him) and a long hot run at the end of it all but throughout amazing support and some amazing people - Sister Madonna, the Iron Nun was racing, she competed at the age of 82. She didn't make the cut off for the swim, but was allowed to continue. Sister Madonna crossed the finish line to many cheers and tears. They had run out of medals when she finished and another competitor walked up and gave her own. Despite it being a very small race in relative terms to those in Europe (~675 competitors) the standard was very high but so was the degree of sportsmanship.
www.26coaching.com
レースの総括としては、寒かったけど見事なスイム、素晴らしいバイク(ルークには特にひっかけそうになったのであまりよくなかったけど)、そして最後は暑くて長いランだった。
シスター・マドンナ(鉄の修道女)は82歳でレースに出場した。 彼女は、スイムはカットオフに間に合わなかったが、競技続行が許可された。シスター・マドンナは多くの歓声と涙の中、ゴールラインを越えた。彼女がゴールしたときにはメダルがなくなっていて、別の選手が自分のメダルを渡してくれた。ヨーロッパで開催されるレース(~675名)と比較すると、非常に小規模なレースであるにもかかわらず、その水準は非常に高く、スポーツマンシップの程度も高かった。

このような例は、前置詞としてのdespiteに続くチャンクなので、一般には、「意味上の主語つきの動名詞」としているのだろうと思う。

NOWコーパスでも拾える用例を追加。
2020年6月の記事で現代の話題。

It can take a good six weeks to establish breastfeeding. By this stage, it should be much easier to feed your baby and your milk will be more regular. However, I tell all of my patients that breastfeeding will be the hardest part of motherhood... well, for the first few weeks anyway. Despite it being natural, it doesn’t come naturally to everyone and that’s okay! Take a deep breath and relax. Take your time. The more you relax come feed time, the better your baby will feed.
www.mamamia.com.au
母乳育児を確立するには、6週間はかかります。この段階になると、赤ちゃんに母乳を与えるのはずっと簡単になり、母乳も規則的に出るようになります。しかし、私はすべての患者さんに、母乳育児は母親になって一番大変なことだと言っています。母乳育児そのものは自然なことですが、誰にでも自然にできることではありません!深呼吸してリラックスしてください。時間をかけて。授乳時間になったときにリラックスすればするほど、赤ちゃんは上手に母乳が飲めるようになります。

最終文の “The more you relax come feed time,” のcomeの用法は馴染のない人がいるかも知れないので、Wisdom英和から引用。

18(話)
[〜 A] A<未来の時期>が来ると
(comeは常に原形で仮定法の節を作る)
We will be a minority come 2050.
2050年頃になれば我々が少数派になるだろう(≒ ... when (the year) 2050 comes [arrives].).

despite it being の話に戻ると、これは文頭以外でも使われ、入試でも空所補充完成で出題されることがある。

Jacqui, I’m sorry but we have to hold a meeting tomorrow, despite it being a holiday.
ジャッキー、申し訳ないが、明日ミーティングを開かなければならないんだ、休日にもかかわらず。

目的語の位置にも来る。

A: Did you know that Professor Kemp has just finished writing a book?
B: Yes. She must be really looking forward to it being published.

A:ケンプ教授が本を書き終えたばかりだということはご存知ですか?
B:ええ。出版されるのを心待ちにしているに違いない。

前置詞が導く譲歩のチャンクがあるなら、当然「順接」での因果関係を表すケースもあると思うのが人情。
due to it being の例。

The ceremony at the historic Midland Hotel took place this evening with 18 new one stars given out, as well as 6 new two stars and 1 new three-starred restaurants announced. Due to it being held in Manchester, there was much speculation ahead of the awards that a Greater Manchester eatery would pick up a Michelin star, however it was not to be.
www.manchestereveningnews.co.uk
今晩、歴史あるミッドランド・ホテルで授賞式が行われ、新たに18の一つ星、6つの二つ星、1つの三つ星レストランが発表された。授賞式がマンチェスターで開催されたこともあり、グレーター・マンチェスターのレストランがミシュランの星を獲得するのではと、授賞式を前に様々な憶測が飛び交ったが、それは見送られた。

さらには、選択却下のrather thanの例もある。

When other Americans compliment me, it seems more natural, like: Hey, Kate, you got your hair cut. It looks nice. But when I’m complimented by Japanese people, I often feel very aware that I’m in a compliment/flattery situation, like some kind of switch has been turned on, rather than it being a spontaneous utterance.
他のアメリカ人が私を褒めるときは、もっと自然な感じがする、ケイト、髪切ったんだね、とか。でも、日本人に褒められるときは、それが自然に口にされたものというより、何かのスイッチが入って、褒められ、お世辞を言われるモードにいることを強く意識することが多い。

この、despite it being …や due to it being … は分詞構文と関連付けられない、とか、高校生には難しい、もっと基本的なものを教えるべき、などというのであれば、分詞構文的であっても17世紀とか19世紀の用例しかヒットしないような時代掛かった表現を教えることも見直すべきだろう。
めでたしめでたしとはいかないが、このエントリーが教材・学習材としての適切さ(appropriateness)を考えるきっかけになれば。

本日はこの辺で。

本日のBGM: Sunday Night To Monday Morning (Char)

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