2024年7月 山陰旅行 その3 (original) (raw)

国指定史跡、重要文化財、国宝の「荒神谷遺跡」に行きました。

荒神谷遺跡で一番有名なのは「4列に並んだ同じ形の銅剣358本が一度の出土したこと」ではないでしょうか。

他にも銅鐸や銅矛も出土し、弥生時代の青銅器研究の転換点となりました。

こちらが実際の発掘現場を再現した荒神谷遺跡です。

展望デッキからは出土した時の状態なども見ることができます。

荒神谷史跡公園には3000年の時を経た「古代ハス」の池があり、6月下旬から7月上旬には花が咲きます。

訪れた時は花の盛りは過ぎていましたが、写真を撮りにカメラマンが訪れていました。

古代ハス池の隣には「古代農耕地」があり、黒米や赤米などの古代米が栽培されていました。

次に訪れたのは、こちらも国指定史跡、重要文化財、国宝の「加茂岩倉遺跡」です。

駐車場に車を停めて、銅鐸の車止めがある舗装路を遺跡まで歩きます。

雨上がりで苔がついた道路には落ち葉も落ちていて、とても滑りやすかったです。

この遊歩道?の横は猪のヌタバになっていて、広範囲で地面が掘り返されていました。

足元に気をつけながらゆっくりと10分ぐらい歩くと、視界が開けて発掘場の下に出ます。

この遺跡は、1996年農道の工事中に偶然に重機で掘り起こされ発見されました。

銅鐸が埋められていた穴は工事で大半が壊れてしまいましたが、2000年以上埋められたままになっていた銅鐸が39個出土しました。

発掘現場は展示施設として整備されていて、当時の様子を見ることができます。

特徴的なことは、大きな銅鐸の中に小さな銅鐸が「入れ子」のように入った状態で埋められていたことです。

あちらに見える「加茂岩倉遺跡ガイダンス」には出土して銅鐸のレプリカが置いてあり、間近で模様を眺めることができます。

近くの荒神谷遺跡で出土した銅剣の一部に刻印されていた✖️印と同じ✖️が、こちらの銅鐸の一部にも刻印されていたことも謎を呼びました。

ガイダンス棟の方から発掘現場を見ると、こんな感じになっています。

博物館巡りも終わり、日本海沿いを三朝方面に走ります。

国道9号線は大山の北を走ります。

大山は、別名「伯耆富士」と呼ばる中国地方の最高峰(1729m)です。

西側から見るとまるで富士山のような美しい姿の山ですが、日本海側から見ると山肌は大きくえぐられ荒々しい姿を見せています。

三朝温泉を通り過ぎて東に入ったところに、次の目的地「三徳山三佛寺」があります。

役行者が開いた修験の山、そして信仰の山です。

国指定の名勝・史跡、国立公園、日本遺産です。

20年ほど前に訪れたときは、比較的気楽に観音堂まで登れました。

気楽と言っても、クサリ場はあるし、気の根っこを足がかりに斜面を登るカズラ坂、両サイドが切り立った崖の上の岩をいく馬の背では足がすくみました。

当時は、観光客をガイドしていたタクシーの運転手さんが背広と革靴で馬の背をひょいひょいと渡っていく姿もありましたが、今は服装も履き物(靴)も入山する際にチェックされるようです。...滑落の事故もあるようです....

国の重要文化財が3つ(文殊堂、地蔵堂、納経堂)と国宝の投入堂があります。

特に投入堂は断崖絶壁の窪みに建てられており、その美しさは一見の価値あり!です。

平安時代後期に建てられたそうです。

(下から、文殊堂、地蔵堂、左奥に投入堂

自力で登ることができなくても、県道沿いに「投入堂遥拝所」があり双眼鏡で見ることができます。

今日の宿は三朝温泉に取りました。

三朝温泉ラジウム泉で、お湯の良さには定評があります。

源泉掛け流しをうたう宿も多くあります。

こちらの宿では夕食も朝食もバイキングでいただきました。

旅の間に一度は、バイキングで自由にお料理を楽しみたいと思っています。

【5日目】

最終日です。

今日は帰るだけなので、浦富海岸を見学しました。

山陰ジオパークの一つです。

海岸線沿い15kmほどが海蝕されたリアス式海岸になっています。

何ヶ所か展望所があり、迫力の海岸線と美しい海を眺めることができます。

展望所からは海岸線まで降りる道もあるようで(?)、プライベートビーチのように海遊びを楽しんでいる方が見えました。

これで2024年7月の山陰旅行は終了です。