風光明媚な海沿いの町 山口県光市 (original) (raw)
光市は周防灘(すおうなだ)に面して海岸線が長く続く自然環境に恵まれた町で、周南市・下松市の東方に立地し、周南工業地帯の一角を成しています。
旧光市が発足したのは昭和18年4月1日でしたが、平成16年10月4日に大和町と合併して、新しい「光市」が誕生しています。現在の人口は5万人ほどです。
山陽本線 旧光駅
昭和16年(1941)に光駅に改称されるまでは「虹ヶ浜駅」と称していたそうです。
現在の駅舎は新しく建て替えられています。
虹ヶ浜(下松市笠戸島方面を望む)
国道188号線を挟んで光駅の南側に広がる虹ヶ浜海岸。
初夏の浜辺は忘れ去られたように人影もまばらです。
いまはまだ梅雨 だれもいない海
虹ヶ浜(西端)
向こうは下松市です。
白砂の虹ヶ浜
白砂青松は常套の形容詞で、実際の海砂は薄く茶色がかって、松は黒松の緑です。
浜の東端の工場と、その沖の水無瀬島を望みます。工場手前の島田川河口から西に約3km続いている。
海岸線が長い光市には山口県でも有名な海水浴場が2個所もあり、西側にあるのがこの虹ヶ浜海水浴場で、夏のシーズンには海の家や貸しボート屋が並び、大勢の海水浴客が県の内外から訪れます。
室積海岸(むろづみかいがん)
こちらは室積海岸。工場を隔てた東側の海岸です。光高校ヨット部などの練習場がありました。
どちらかといえば虹ヶ浜海水浴場は一般の海水浴客が多く、室積海水浴場は臨海学校やキャンプ場として賑わいます。どちらも夏には何万人もの人が訪れるところです。
室積海岸
室積海岸の ”虹ノ松原” 西端辺りの風景…。光青年の家のところから撮った写真で、白いのは積雪です。黒松の林が見事でしたが、松食い虫の被害で、ここもかなり伐採されたのではないかと思います。
光市は戦時中に光海軍工廠(かいぐんこうしょう)があったところで(そのため旧名の周南町を光町に改称したそうなのですが)、水無瀬島とか海岸の少し西側には人間魚雷「回天」の光訓練基地があり、その旧跡も少しですが残っていました。そこに現在は平和記念碑が建立されているようです。
哲学者の上山春平さんも光基地の回天搭乗員の一員(中尉)で、二度出撃。一度目は潜水艦の魚雷発射のみでしたが、二度目は日本海で戦闘機から機銃掃射を受けて潜水艦が損傷。戦死者も出し、海底から九死に一生を得て帰還されたそうです。人間魚雷は母艦である潜水艦の甲板に固定されて出撃しますから、発射までは潜水艦と運命を共にしています。
ほんとうに大変な時代だったと思いますが、海はやはり平和利用がいいですね。
光海軍工廠は**終戦前日**にB-29の爆撃を受けて廃墟と化し、その跡地に戦後、武田薬品と光製鐵所(現在は細分化されて所属や名称がややこしくなっている)の両工場が建設されて、現在も操業しています。
光祭り
毎年5月18日~20日まで開催の産業まつりのことで、当時から市街や光市民ホールなどでいろいろな催し物があったようです。光市民ホールはこの頃(1972年)に完成したもので、他の都市に比べても建設時期は早いですね。
島田市(しまたいち)交差点(光製鐵所西門前)
祝20周年記念起業祭と書いてあります。
光製鐵所は昭和30年(1955)に開設したので20周年記念になります。起業祭当日には工場見学も出来たようです。
**賀茂神社**(光市三井)
弘仁2年(811)嵯峨天皇の時代に、山城国賀茂大神宮より勧請したと伝えられるそうです。
遠くから見ると全体が古墳のようにも見えます。
賀茂神社拝殿
賀茂神社の朝鮮鐘でしょう。
曹洞宗の寺で、明応年間(1492~1501)建立とのこと。本尊は聖観音菩薩像。
市街の喧噪を離れたのどかな山間にありました。周防灘を一望にできます。
山門手前の右側にある石仏群が、のどかな表情で、疲れも癒やされます。
場所を忘れました。
虹ヶ浜海岸の海の家
今では影も形もないでしょう。覚えている人もいるのかな?
光まつりの道中踊り
現在の光まつりはなぜか10月になっているようです。
以前はたしか5月開催で、普賢まつり(13~15日)や光製鐵所の起業祭(18日)などと同時期に開催されていたと思うのですが…。
いつ、どういう理由で変わったのかな?
諸行無常、有為転変…也。
光市には、ほかにも室積公園の象鼻ヶ崎(ぞうびがさき)周辺散策コースや、島田川(しまたがわ)沿いの三島温泉などの保養地もあり、芸能では熊野神社の人形浄瑠璃芝居が見どころです。
また光市と合併した大和町も朝鮮式山城と思われる岩城山神籠石(こうごいし)が有名で、万葉学の犬養孝先生が大和村(当時は村)の小学校に来られたときに、いろいろと面白い話を拝聴したことを思い出しました。
光駅北側の丘には光カントリークラブ(ゴルフ場)がありましたが、そこも今はすべて虹ヶ丘の住宅地に変わっているようです。
光市や周南市には何度も行っていて思い出は尽きないのですが、今では市中を新しい幹線道路が走るなど町全体の様子も変わってきているので、古い話はあまり参考にならないかもしれませんね。