リンゴ・スターとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
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Sirリンゴ・スターMBE | |
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基本情報 | |
出生名 | リチャード・スターキー |
生誕 | (1940-07-07) 1940年7月7日(82歳) |
出身地 | ![]() |
ジャンル | ロック[1] ポップ[1] ロックンロール[1] |
職業 | ミュージシャン シンガーソングライター ドラマー 俳優 |
担当楽器 | ドラムス ボーカル |
活動期間 | 1957年 - |
レーベル | パーロフォン ユナイテッド・アーティスツ キャピトル アップル スワン ヴィージェイ トリー アトランティック RCA マーキュリー コーク プライベート・ミュージック ボードウォーク ライコディスク ヒップ・オー |
配偶者 | モーリン・コックス(1965年 - 1975年) バーバラ・バック(1981年 - ) |
著名な家族 | ザック・スターキー(長男) |
共同作業者 | ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ ビートルズ リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド |
公式サイト | リンゴ・スター 公式サイト |
著名使用楽器 | |
ラディック・オイスター・ブラック・パール・セット |
リチャード・スターキー(_Sir Richard Starkey_、MBE、1940年7月7日 - )は、リンゴ・スター(_Ringo Starr_)の名で知られるイギリス出身のミュージシャン、俳優。元ビートルズのメンバーで、メンバー4人の内リンゴだけはクオリーメン時代からのオリジナルメンバーではない。左利きだがドラム・セットは右利きのセッティングである。
リンゴのドラムはほかのメンバー、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンを支え続けた。彼のドラム・プレイは評価され、1999年、モダン・ドラマーの殿堂入りを果たした[2]。 2011 年、ローリングストーン誌は彼を史上5番目に偉大なドラマーにあげた。 彼は、1988年にビートルズとして、2015年にソロ アーティストとして、ロックの殿堂入りを 2 回果たした[3]。 2020年、彼は世界で最も裕福なドラマーとして引用され、純資産は3億5000万ドルであった[4]。『レコード・コレクターズ』の「20世紀のベスト・ドラマー100」では2位にランクしている[5]。ビートルズでは「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」「グッド・ナイト」「イエロー・サブマリン」などリンゴがリードボーカルを務めた楽曲もある。ソロでの代表曲には「明日への願い」「バック・オフ・ブーガルー」「想い出のフォトグラフ」「ユア・シックスティーン」「オー・マイ・マイ」「オンリー・ユー」など8曲の全米トップ10ヒットがある。1989年以来、彼はリンゴ・スター& ヒズオールスターバンドでツアーを行っている。
現在の妻は映画『007/私を愛したスパイ』のボンドガールとして知られる女優のバーバラ・バック, ドラマーのザック・スターキーは長男で、ザックの娘ターシャ・スターキーはベーシストとして活動している。
経歴
生い立ちからビートルズ時代
リヴァプールのロイヤル・リヴァプール小児病院で、1940年7月7日に誕生。労働者階級の出身だった。労働者の慣習に倣い父リチャード(1913 - 1981)のファーストネームを命名される。
3歳の時に、両親は離婚し母子家庭という環境で育ち「『父との思い出』と呼べるものは何もない」と述べている[6]。
小学校低学年時に盲腸炎・腹膜炎などで1年以上休学し、勉学面でついていけなくなった。そのため、学校をズル休みする事が多くなってしまった。12歳のとき、母エルシー(1914 - 1987)がペンキ職人ハリー・グレイブス(1914 - 1994)と再婚した。
病弱だった彼は入退院を繰り返し、学校にほとんど行くことができなかった。この入院中に医者から教えてもらったのがドラムで、やがて院内のバンドに加入した。以来、リンゴはドラム以外の楽器に関心を示さなくなっていったという。ドラム・セットを手に入れた後は、もう学校に戻ることはなかった。昼は工場で働き、夜はダンス・パーティーなどでドラムを叩くという生活を送り、数々のグループに在籍して腕を磨いていく。
ゲイター・ボウル・スタジアム(英語版)で演奏するリンゴ・スター(1964年)
ビートルズに出会った時にはロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズというバンドのドラマーを務めていた。当時ビートルズのドラマーだったピート・ベストが1962年8月16日に解雇され、リンゴが8月18日にビートルズに加入して新たなドラマーとなり10月5日にレコードデビュー。
若い頃から職を転々としていたリンゴは、プロのドラマーになって初めて金銭を安定的に得られるようになった。リンゴはビートルズ加入前にビートルズの面々とハンブルク巡業時に顔見知りになったが、ジョージ・ハリスンは「出逢ったころのリンゴは僕らよりも収入が多くて、僕らよりも早く車を買って乗り回していた」と述べている。
芸名の“リンゴ・スター”とは、ロリー・ストーム&ハリケーンズ時代にそれぞれが芸名を考えた時につけられたもの。指輪が好きで両手にいくつも付けていたので“Rings(リングズ)”と呼ばれていて自分がリンゴ・キッドに憧れているので「リンゴ」と命名。リンゴは、Ringo Starkeyでいくつもりだったけれど、しっくりこなかったのでStarkeyを半分にしてrをもうひとつ付けたと発言している。
“A Hard Day's Night”、“Eight Days A Week”、“Tomorrow Never Knows”など、ビートルズの楽曲にもリンゴの発言を曲名にしたといわれるものは多々あるが、いずれも文法的には正しくない。ジョンはリンゴのこうした言語感覚を讃えて“Ringo-ism(リンゴ語)”と呼び、「リンゴはときどき、ちょっと面白い言い間違いをするんだ。文法の間違いだとかいうようなのじゃない、ジョークっぽいやつ。これが結構いいネタになるのさ」と発言している。
1965年2月にモーリン・コックスと最初の結婚、同年9月13日に長男ザックが誕生した。同年、MBE勲章五級を授与される。
ビートルズが1970年以前に公式発表した楽曲(一般に213曲とされる)のうち作曲家としてのスター(=リチャード・スターキー)の氏名がクレジットされているものは5曲(「ドント・パス・ミー・バイ」「オクトパス・ガーデン[7]」「フライング」「ディグ・イット」「消えた恋」)あり、そのうち、彼が単独で作ったものは2曲(「ドント・パス・ミーバイ」「オクトパス・ガーデン」)である。また、彼がリード・ボーカルを担当している曲は十数曲存在する。また、「僕の曲はアルバムに最低でも1曲入っていればOK、人気投票では3人に全く敵わないけど、“2番目に好きなメンバーを選ぶ投票”だったら、きっと1番になれる」などの発言から窺えるようにビートルズのメンバーの中で、最も穏やか、かつ人格者であったことでも知られ、彼がいなければビートルズの解散はもっと早まっていたとも言われている。
リンゴは2週間ほどレコーディングを離脱したことがあった。当事者サイドの見解によると、1968年のアルバム『ザ・ビートルズ』(ホワイト・アルバム)のセッションで「バック・イン・ザ U.S.S.R.」をレコーディング中のこと、自分のスケジュールを常にほかの3人に合わせ、自由な時間もほとんどない状況で、そのうえポール・マッカートニーがリンゴのドラミングにいちいち注文をつけ、挙句の果てにはポールが自分でドラムを叩き、こういう風にやるんだよと言うと、流石のリンゴも激怒した。彼はやめてやると言い放ち、スタジオを後にした。
リンゴは2週間ビートルズを辞め、俳優のピーター・セラーズから貸与されたボートでサルデーニャの家族と休暇を過ごした。シェフが料理を出したが、リンゴはそれを食べることを拒否した。動物についての船長との会話は、リンゴが旅行中にギターで書いたリンゴのアビーロードの楽曲「オクトパス・ガーデン」に影響を与えた。彼は2週間後にスタジオに戻り、ジョージが”ウェルカム・バック”のジェスチャーとしてドラムキットを花で覆っていたことを発見した。
ホワイト・アルバムの完成中に、一時的に親密な関係に戻ったにもかかわらず、ビートルズの4番目の長編映画である『レット・イット・ビー』とそれに付随するLPの制作は、バンドの関係をさらに緊張させた。1969年8月20日、ビートルズは「I Want You」のミキシング・セッションのためにアビーロード・スタジオに最後に集まった。9月20日の会合で、ジョンはビートルズを辞めたと他の人々に語ったが、バンドの解散は1970年4月10日のポールの発表まで、公に知られることはなかった。
ビートルズ解散後の活動
1970年代前半
ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明する直前(1970年3月)に、スタンダード・ナンバーを集めた初のソロ・アルバム『センチメンタル・ジャーニー』を発表。これを機に、リンゴはソロ・ミュージシャンとしての活動を始動する。同年12月には2枚目のアルバム『カントリー・アルバム』もリリースしている。シングルでは、自作の「明日への願い」(イット・ドント・カム・イージー)[8]、「バック・オフ・ブーガルー」は、ヒット・チャートを賑わし、ジョージ・ハリスンとの共作曲「想い出のフォトグラフ」や「ユア・シックスティーン」(ジョニー・バーネットの曲のカバー)は、全米チャートでナンバーワンを記録した。1974年に1950年代の大ヒット曲プラターズのカバー「オンリー・ユー」、日本では「オー・マイ・マイ」がヒットした。1975年にはアメリカで「ノー・ノー・ソング」がヒットした。
シングルだけではなく、アルバムでも彼は成功を収めた。1973年発表の『リンゴ』は全米2位にランクインし、ビートルズ解散以降初めて、4人のメンバーが1枚のレコードの中で名を連ねた。ジョン・レノンやエルトン・ジョン、ニルソンなど、豪華な作家陣が楽曲を提供し、レコーディングにも参加した次作の『グッドナイト・ウィーン』も前作同様に大ヒットした。ジョージが企画して行われた1971年の『バングラデシュ難民救済コンサート』にも参加した。また1972年には、ロンドン交響楽団とイギリス室内合唱団によるロック・オペラ『トミー』のアルバム制作に客演した[9]。
1970年代後半~1990年代
しかし、1976年に古巣EMI/アップルを離れ、アトランティック・レコードに移籍した頃から、好調だったソロ活動に翳りが見え始める。76年にリンゴは「ロックは恋の特効薬」を発表した[10]。当時リンゴは、自らのレーベル、リング・オー・レコードを設立。作品のプロデューサーにアリフ・マーディン、作曲家にヴィンセント・ポンシア・ジュニアなどを迎え、極めてファンキーなサウンド作りに徹していた。しかし、そういった路線を、より具体的に打ち出した1977年のアルバム『ウイングズ~リンゴIV』は、ビルボードのアルバムチャートで100位圏外という結果に終わってしまう。この作品の売上不振を原因に、彼はアトランティックから契約を打ち切られている。プライベートでも腸の病気を患って、一時危篤状態に陥ったり、ロサンゼルスにある自宅が火事で全焼したりと、1970年代後半はリンゴにとって多難な時期となった。そんな中、彼は自らが主演を務める映画『おかしなおかしな石器人』の中で共演した女優のバーバラ・バックと恋に落ち、1981年に再婚[注 1](前妻のモーリーン・スターキーとは1976年に離婚している)。だがその前年1980年12月、ニューヨークでジョン・レノンが殺害されるという衝撃的な事件も起こった。この事件が起こった直後、夫妻は急遽ニューヨークのオノ・ヨーコのもとに向かい、ジョンの死を悼んだ。
1980年代には2枚のオリジナルアルバムを発表したが、シングル・カットされて全米トップ40ヒットとなった「ラック・マイ・ブレイン」以外はヒットには至らなかった。ジョー・ウォルシュをプロデューサーに迎えて制作された1983年発表の『オールド・ウェイブ』に至っては、本国やアメリカではリリースさえされなかった。1980年代の彼は私生活でもとても退廃的な体たらくだったようで、ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンのアルバムや、チャリティ・コンサートなどでドラムを叩く活動が中心だった。1980年代後半はアルコール依存症にも悩まされていた。
そんな彼も、1989年にアルコール依存症患者更生施設での治療を経てカムバック。ブルース・スプリングスティーンのバックバンドであるEストリート・バンドや、イーグルスの元メンバーなどを集めた、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」という新バンドを結成し、ビートルズ解散後初の本格的なワールド・ツアーに出る。その年の秋には日本公演も実現、元メンバーで解散後最初に武道館公演も行った。
1992年に久々のアルバム『タイム・テイクス・タイム』を発表してからは、その活動はますます精力的なものとなり、1995年にはオールスター・バンドを従えて再び訪日した。この際の武道館公演は、『ヴォリューム・ワン』というタイトルのCDとなって、アメリカの「ブロックバスター」から通販限定で販売されている。
1998年には、キャロル・キングやエアロスミスなどを手がけたことで知られるマーク・ハドソンを、作曲パートナーと共同プロデューサーに迎えて制作されたオリジナル・アルバム『ヴァーティカル・マン~リンゴズ・リターン』をリリース。マッカートニー、ハリスン、ブライアン・ウィルソン、アラニス・モリセットなど、豪華なゲスト陣とともにレコーディングされたこのアルバムは、彼にとって実に22年ぶりとなる全米アルバムチャートのトップ100入りを果たした。その後はハドソンをパートナーとして、精力的に創作活動に臨み、数枚のアルバムを発表している。数年間隔でオール・スター・バンドのツアーもこなし、マイペースながら着実な活動を続けている。
2000年代~現在
2008年には、メンバー中唯一サインに応じる元ビートルズとしての生活に嫌気が差したとし、「10月20日以降はどんなものであってもサインしない、ファンレターも読む暇がないのでゴミ箱行きになるから送らないでほしい」と声明を出した。報じられたニュースによれば、ファンレターの返事にサインを送ると、送ったサインが転売されるというケースが頻発したことに対する憤激であるとも言われている。
ハンブルク公演のバックステージにて(2011年7月)
2011年頃には、ギターを弾いている場面がよく見られる。「サマーツアー・イン・ヨーロッパ」のムービーでは青いフォークギターを弾いている。その他にリンゴのホームページでエレキギターやピアノを弾いているところを見ることができる。
2013年には「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として三度目の日本公演を行った。
2014年にはビートルズの米国上陸50周年のメモリアルイヤーとして、グラミー賞授賞式でポールと共演。そして翌1月27日、ビートルズ訪米50周年トリビュートコンサート"The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles"が開催。ラストではポールと共に「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」と「ヘイ・ジュード」を披露して会場を熱狂させた。
2015年にロックの殿堂入りを果たし、ビートルズはバンドとしてだけでなくメンバーがそれぞれ全員殿堂入りを果たした[11]。2016年に「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として四度目の日本公演を行った。
2018年3月20日、音楽界への貢献やエイズ研究などへの支援が評価され、ナイトの爵位が授与[12]、2022年6月には音楽界での長年の功績が評価され、バークリー音楽大学から名誉学位を授与された[13]。
映画俳優として
リンゴは多くの映画に俳優として出演するなど、音楽以外の面でも才能を発揮している。ドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』を除くすべてのビートルズの映画作品(『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』、『ヘルプ!4人はアイドル』、テレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』、アニメ『イエロー・サブマリン』)において、リンゴは主役またはストーリーの中心的な存在となっている。ビートルズのフロントマンであるレノンやマッカートニーも、これらの映画作品の中ではリンゴを引き立てる脇役に徹している。他のメンバーと違って作曲家としての才能に長けていなかったこともあって、ビートルズ後期になると彼はより映画の仕事に重点を置くようになり、ピーター・セラーズとの共演作『マジック・クリスチャン』や、『キャンディ』などに出演した。
映画『おかしなおかしな石器人』での共演をきっかけに結婚した現在の妻バーバラ・バックも、かつては映画『007』などに出演していた女優である。1980年代には、ビートルズの他の二人の元メンバーとそれぞれスクリーン上で共演した。1982年には妻と共に、ゴドレイ&クレームが監督を務めた短編映画『ザ・クーラー』に出演し、映画を制作したマッカートニー夫妻と共演した。マッカートニーによる1984年公開の映画『ヤァ!ブロード・ストリート』でも、彼はサントラへの参加のみならず、俳優として演技していた。ハリスンとは1985年公開の映画『レゲエdeゲリラ』で競演。エリック・クラプトンをはじめとする豪華なミュージシャンたちと、揃って演奏するシーンに出演していた。本業の音楽に再び精を出すようになった1980年代後半以降、彼が映画に出演する機会は減りつつある。
声優として
リンゴは1984年よりイギリスで放映が開始された子ども向けTVシリーズ『きかんしゃトーマス』のナレーターに抜擢され、作者ウィルバート・オードリーの自宅を訪問するなど番組との良好な関係を構築した。更に1989年からは同作をコーナードラマとして放映する為に米国PBSが製作した子ども向け番組『シャイニング・タイム・ステーション』にミスター・コンダクターという実写の役でレギュラー出演する。しかし、前述の「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」としての活動に専念するため[14]、『きかんしゃトーマス』の出演は1986年放映の第2シリーズまで、『シャイニング・タイム・ステーション 』の出演は1990年までとなった。その後2009年にBBCが製作したチャリティーシングル「Children in Need Medley」では再びトーマス役で出演している。
その他、1991年放映のアニメ『ザ・シンプソンズ』第2シーズン第18話「マージは芸術家」では本人役で出演し、2014年放映の3DCGアニメーション『パワーパフガールズ:ダンスパンツにご用心!』ではフィボナッチ・スパンコールという役で出演した。
リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド
「Ringo Starr & His All-Starr Band(英語版)」も参照
リンゴは1989年以降現在に至るまで、不定期であるものの、数年間隔のハイペースで、大物ミュージシャンを多数集めた「オール・スター・バンド」を結成し、活発にツアーを行っている。メンバーはツアーが行われるたびに流動的に変化しており、これまでにイーグルスのジョー・ウォルシュとティモシー・B・シュミット、Eストリート・バンドのクラレンス・クレモンズやニルス・ロフグレン、リチャード・マークス、トッド・ラングレン、ビリー・プレストン、シーラ・Eらが参加している。また、スターの息子でありオアシスやザ・フーのドラマーとしても知られるザック・スターキーも数度、参加している。1989年、1995年、2013年、2016年[15][16]、2019年[17]には日本公演が実現し、1995年のライブは「Ringo Starr And His All-Stars Band Volume One」のタイトルでアルバム化された。
歴代のオール・スター・バンドのメンバー編成は次の通り。
- 第1期(1989年)
ビリー・プレストン、レヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、ドクター・ジョン、ジョー・ウォルシュ、ジム・ケルトナー、ニルス・ロフグレン (ミュージシャン)(英語版)、クラレンス・クレモンズ - 第2期(1992年)
ティム・キャペロ(英語版)、デイヴ・エドモンズ、バートン・カミングス(英語版)、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミット、ザック・スターキー、ニルス・ロフグレン、トッド・ラングレン - 第3期(1995年)
ビリー・プレストン、フェリックス・キャヴァリエ、ジョン・エントウィッスル、マーク・ファーナー(英語版)、マーク・リベラ(英語版)、ランディー・バックマン(英語版)、ザック・スターキー - 第4期(1997 - 98年)
ゲイリー・ブルッカー、ジャック・ブルース、ピーター・フランプトン、サイモン・カーク(英語版)、マーク・リベラ、スコット・ゴードン - 第5期(1999年)
ゲイリー・ブルッカー、トッド・ラングレン、ティム・キャペロ、ジャック・ブルース、サイモン・カーク、ジョー・ウォルシュ(リハーサルのみ参加) - 第6期(2000年)
ジャック・ブルース、エリック・カルメン、デイヴ・エドモンズ、マーク・リベラ、サイモン・カーク - 第7期(2001年)
イアン・ハンター、グレッグ・レイク、シーラ・E、ハワード・ジョーンズ、ロジャー・ホジソン(英語版)、マーク・リベラ - 第8期(2003年)
コリン・ヘイ(英語版)(元メン・アット・ワーク)、ジョン・ウェイト、ポール・キャラック、シーラ・E、マーク・リベラ - 第9期(2006年)
ロッド・アージェント、リチャード・マークス、ヘイミッシュ・スチュアート、ビリー・スクワイア、マーク・リベラ、シーラ・E、エドガー・ウィンター - 第10期(2008年)
ビリー・スクワイア、コリン・ヘイ、エドガー・ウィンター、ゲイリー・ライト、ヘイミッシュ・スチュアート、グレッグ・ビソネット - 第11期(2010–11年)
ワリー・パルマー、リック・デリンジャー、エドガー・ウィンター、リチャード・ペイジ、グレッグ・ビソネット - 第12期(2012–17年)
トッド・ラングレン、スティーヴ・ルカサー、リチャード・ペイジ、グレッグ・ローリー、マーク・リベラorウォーレン・ハム、グレッグ・ビソネット - 第13期(2018年)
スティーヴ・ルカサー、コリン・ヘイ、グレッグ・ローリー、グレアム・グールドマン、グレッグ・ビソネット、ウォーレン・ハム - 第14期(2019年)
スティーヴ・ルカサー、コリン・ヘイ、グレッグ・ローリー、ヘイミッシュ・スチュアート、グレッグ・ビソネット、ウォーレン・ハム - 第15期(2022年)
スティーヴ・ルカサー、コリン・ヘイ、エドガー・ウィンター、ヘイミッシュ・スチュアート、グレッグ・ビソネット、ウォーレン・ハム[18] - 第16期(2023年)
スティーヴ・ルカサー、コリン・ヘイ、エドガー・ウィンター、ヘイミッシュ・スチュアート、グレッグ・ビソネット、ウォーレン・ハム[19]
ディスコグラフィ
詳細は「リンゴ・スターの作品」を参照
オリジナル・アルバム
- 『センチメンタル・ジャーニー』 - _Sentimental Journey_(1970年)
- 『カントリー・アルバム』 - _Beaucoups of Blues_(1970年)
- 『リンゴ』 - _Ringo_(1973年)
- 『グッドナイト・ウィーン』 - _Goodnight Vienna_(1974年)
- 『リンゴズ・ロートグラヴィア』 - _Ringo's Rotogravure_(1976年)
- 『ウィングズ〜リンゴ IV』 - _Ringo the 4th_(1977年)
- 『バッド・ボーイ』 - _Bad Boy_(1978年)
- 『バラの香りを』 - _Stop And Smell The Roses_(1981年)
- 『オールド・ウェイヴ』 - _Old Wave_(1983年)
英米では未発売。旧西ドイツ、カナダ、日本の3国のみでリリースされた。 - 『タイム・テイクス・タイム』 - _Time Takes Time_(1992年)
- 『ヴァーティカル・マン〜リンゴズ・リターン』 - _Vertical Man_(1998年)
- 『アイ・ウォナ・ビー・サンタ・クロース〜リンゴのクリスマス・アルバム』 - _I Wanna Be Santa Claus_(1999年)
現行盤では『クリスマス・コレクション』に改題されている。 - 『リンゴ・ラマ』 - _Ringo Rama_(2003年)
- 『チューズ・ラヴ』 - _Choose Love_(2005年)
- 『想い出のリヴァプール』 - _Liverpool 8_(2008年)
- 『ワイ・ノット』 - _Y Not_(2010年)
- 『リンゴ2012』 - _Ringo 2012_(2012年)
- 『ポストカーズ・フロム・パラダイス』 - _Postcards From Paradise_(2015年)
- 『ギヴ・モア・ラヴ』 - _Give More Love_(2017年)
- 『ホワッツ・マイ・ネーム』 - _What's My Name_(2019年)
ライブ・アルバム
ソロ
- 『ストーリーテラーズ・ライヴ』 - _VH1 Storytellers_(1998年)
- _Live at Soundstage_(日本未発売、2007年)
リンゴ・スター & ヒズ・オールスター・バンド
- 『リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド』 - _Ringo Starr and His All-Starr Band_(1990年)
- _Ringo Starr and His All Starr Band Volume 2: Live from Montreux_(日本未発売、1993年)
- _Ringo Starr and His Third All-Starr Band Volume 1_(日本未発売の通販限定作品、1997年)※1995年の日本武道館公演収録
- _King Biscuit Flower Hour Presents Ringo & His New All-Starr Band_(日本未発売、2003年)
- _Extended Versions_(日本未発売、2003年)
- 『ツアー2003』 - _Tour 2003_(2004年)
- _Ringo Starr and Friends_(日本未発売、2006年)
- 『リンゴ・アンド・ヒズ・オール・スターズ・バンド・ライブ2006』 - _Ringo Starr & His All Starr Band Live 2006_(2008年)
- 『ライヴ・アット・ザ・グリーク・シアター2008』 - _Live at the Greek Theatre 2008_(2010年)
コンピレーション・アルバム
ソロ
- 『想い出を映して』 - _Blast From Your Past_(1976年)
- _Starr Struck; Best of Ringo Starr Vol.2_(日本未発売、1989年)
- 『フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター』 - _Photograph: The Very Best of Ringo Starr_(2007年)
- _Ringo 5.1: The Surround Sound Collection_(2008年)
- _Icon_(日本未発売、2014年)
リンゴ・スター & ヒズ・オールスター・バンド
- 『アンソロジー・ソー・ファー』 - _The Anthology...So Far_(2001年)※1989年から2000年までのライブ・ベスト盤
主要な出演映像作品
- 『ビートルズ/ハード・デイズ・ナイト』(1964年)
- 『ビートルズ/ヘルプ!』(1965年)
- 『ビートルズ/マジカル・ミステリー・ツアー』(1967年)
- 『キャンディ』(1968年)
- 『マジック・クリスチャン』(1969年)
- 『ビートルズ/レット・イット・ビー』(1970年)
- 『盲目ガンマン』(1971年)
- 『バングラデシュのコンサート』(1971年)
- 『ドラキュラ二世』(1974年)※日本未公開
- 『マイ・ウェイ・マイ・ラヴ』(1974年)
- 『リストマニア』(1975年)※日本未公開
- 『ラスト・ワルツ』(1978年)
- 『おかしなおかしな石器人』(1981年)
- 『ヤァ!ブロード・ストリート』(1984年)
- 『きかんしゃトーマス』(1984年 - 1986年)※ナレーション
- 『レゲエdeゲリラ』(1985年)
- 『シャイニング・タイム・ステーション』(1989年 - 1990年)
- 『ザ・ビートルズ・アンソロジー』(1995年 - 1996年)
- 『コンサート・フォー・ジョージ』(2002年)
- 『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(2011年)
- 『愛しのフリーダ』(2013年)
主な使用楽器
エイジャックス・ドラムセット(Ajax Drumset)ブラック・ダイアモンド・パール色(Black Diamond Pearl Color)(1台目)
1958年4月27日に購入した生涯初の本格ドラムセットでスキッフルバンドやロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ時代に使用。シングルヘッドタム仕様の安いモデルだった。(約2年間使用した。)
プレミア・ドラムセット(Premier Drumset)マホガニー・デュロプラスチック色(Mahogany Duroplastic Color)(2台目)
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ時代からビートルズ初期にかけて使用していた茶色の2台目のドラムセットで約3年間使用した。
1960年7~9月頃に購入した物でカラーもヘッドの質も音も悪かったとの声もある。
最初バスドラムのフロント側に装着するヘッドにはPremierロゴの下に“Ringo Starr”と文字を入れていた。その後、1963年2月に無地のフロントヘッドにかぶと虫の角を模した「The Beatles」のロゴが描かれた物に変更した。
セット装着のヘッドは主にプレミア(premier)社のエバープレイ(everplay)ヘッドである。
なお同色のボンゴも所有していた。
このセットは1963年5月、ラディック製ドラムの購入のため(シンバル類とシンバルスタンド2本だけ残して)ドラム・シティ楽器店下取りに出した。
- バスドラム:20×14インチ(購入後しばらくしてタムホルダーをロジャースのスイボマチックタイプに交換する。)
- フロアタム:16×16インチ
- タムタム:12×8インチ
- スネアドラム:14×4インチ(ロイヤルエースモデル)
- シンバル:20・18・14?インチ。セット購入時の物でプレミアの“スーパー・ジン”シンバル(Premier Super Zyn)。海外サイトによると20インチは独特な大きなカップの形状からエイジャックス(AJAX)の可能性が大きい模様。
- スタンド類:セット購入時についていた物(プレミア製)
ラディック・ドラムセット・ダウンビート型(Ludwig Drumset Downbeat Type)オイスター・ブラック・パール色(Oyster Black Pearl Color)(3台目、4台目)
ビートルズ初期に使用した3台目~4台目のドラムセットで主に表舞台では使用期間が短く3台目が約1年間使用、4台目は5台目の大きいサイズを購入したため4か月しか使用しなかった。
3台目は1963年4~5月にイギリスのドラム・シティ楽器店にて購入。その際店長よりパイステシンバルをリンゴに提供した模様。5月12日(日)バーミンガムにあるアルファ・テレビ・スタジオで受け取り初使用する。1964年1月にバスドラムのフロントヘッドのLudwigロゴがほとんど剥がれて無くなっていたためヘッド自体は交換せずludwigのロゴのみ書き直す。4台目は購入1か月後にタムホルダーを変更したがこの3台目は純正レールマウントのまま今日に至っている模様。そしてこの3台目セットはリンゴ・スター本人が2015年12月3~5日にアメリカ・ビバリーヒルズで開催されたジュリアンズ・オークションズに出品し211万米ドル約2億6千万円で売却された。なおジャズフェスティバルスネアも同じく7万5千米ドルで売却する。
4台目は1964年2月にアメリカ・マンハッタンのマニーズ楽器店で同じサイズの物を購入。その際シンバルも(Aジルジャンの20インチを含む)何枚か購入する。3月初めにロジャースのスイボマチックタムホルダーに交換する
特に製品としてセットされた組み合わせではなく、店の在庫を組み合わせたか、ラディック・スーパー・クラシック(Ludwig Super Classic)とラディック・ダウンビート(Ludwig Downbeat)を組み合わせたオリジナルセットの模様。
「THE BEATLES」と書かれたドロップTロゴは、ドラム・シティ楽器店のオーナーのアイヴォー・アービターが考えたアイディを元に、同店のドラムヘッドに文字入れを行っている看板職人エディ・ストークスの手で書かれたもので、同店はライセンスは取っていなかった。
ロゴはバスドラムのフロント側に装着するレモ(REMO)社の20インチのウェザー・キング(Weather King)ヘッドに書かれていた。
バスドラム以外のヘッドはラディック(Ludwig)社のウェザー・マスター(Weather Master)ヘッドが付けられていた。
- バスドラム:20×14インチ(ドロップTロゴ入りヘッドを装着)(4台目に関して当初は純正レールマウントで使用していたが1964年3月初めにロジャースのスイボマチックタムホルダーに変更して使用した。その後の購入セットはすべてこのタムホルダー仕様にして使用した。)
- フロアタム:14×14インチ
- タムタム:12×8インチ
- スネアドラム:14×5.5インチ ウッド・タイプ
- シンバル:20・18・15インチ。海外サイトによると20は最初プレミアセット時代のカップの大きいAJAXあたりのシンバルを使用していて1963年11月初めにカップがなだらかなZynシンバル(シズル4個付)に変更した模様。18は最初はZynで途中でジルジャンに変更。
- スタンド類:セットと一緒に購入した物(ラディック製)当時のセットの写真を見るとプレミア製とラディック製のシンバルスタンドを交互に使っている。
ラディック・ドラムセット・スーパークラシック型(Ludwig Drumset Super Classic Type)オイスター・ブラック・パール色(Oyster Black Pearl Color)(5台目、6台目)
ビートルズ初期から後期にかけて使用した5台目~6台目のドラムセットで5台目は歴代使用のドラムセットの中では一番長い約4年間使用、6台目は約3年間使用した。
5台目は1964年5月にイギリスのドラム・シティ楽器店で購入した物で5月31日ロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで引き渡された。
6台目は1965年8月に同じサイズの物を購入。
ロゴはバスドラムのフロント側に装着するレモ(REMO)社の22インチのウェザー・キング(Weather King)ヘッドに書かれていた。
バスドラム以外のヘッドはラディック(Ludwig)社のウェザー・マスター(Weather Master)ヘッドが付けられていた。
「ヘイ・ジュード」ではタム、フロアタムに毛布をすっぽり被せ、響きを極限まで抑える独特のサウンドを生み出した。
- バスドラム:22×14(ドロップTロゴ入りヘッドを装着)
- フロアタム:16×16インチ
- タムタム:13×9インチ
- スネアドラム:14×5.5インチ ジャズ・フェスティバル(Jazz Festival)
- シンバル:20・18・15インチ。海外サイトによると20は最初Zynシンバル(シズル4個付)使用ののち1964年7月あたりにジルジャンに変え末期にはパイステに変更した模様(当時の写真から各社のカップの形状の違いで判断)。18は最初ジルジャンでその後は不明。
- スタンド類:ラディック製
ラディック・ドラムセット・ハリウッド型(Ludwig Drumset Hollywood Type)ナチュラル・メイプル色(Natural Maple Color)(7台目)
ビートルズ末期に使用したナチュラルカラーの7台目ドラムセットで約1年使用しビートルズ解散後も時々使用した。
7台目は1968年後半に購入したセットでタムが2個にシンバルが3枚と各々数的にグレードアップしている。
「ゲット・バック・セッション」ではバスドラムのフロントヘッドは付けずに毛布を入れている。フロアタムにも布が被せられているほか、ハイハットタンバリンを装着している。
- バスドラム:22×14インチ
- フロアタム:16×16インチ
- タムタム:13×9&12×8インチ タムホルダーを使用せず、ダブルタム・スタンドを用いていた。
- スネアドラム:14×5.5インチ ジャズ・フェスティバル(Jazz Festival)
- シンバル:20・18・16・15インチ。ジルジャン製かパイステ製
- スタンド類:ラディック製
ビートルズ時代はドラム・シティ楽器店より供給されていた。材質は不明だが、現在でもドラムスティックの材質として一般的なヒッコリーかオーク材が使われていたと思われる。
サインや「Ringo ☆」と刻印されたシグネイチャーモデルのスティックも発売されている。
「ラヴ・ミー・ドゥ」レコーディングの際には、セッションドラマー(アンディ・ホワイト)に出番を奪われてしまったため、タンバリンを叩いているバージョンがアルバムでは採用された。
映画『ヘルプ!4人はアイドル』で「悲しみはぶっとばせ」でもタンバリンを叩いている。
アルバム『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』で使用。
「エヴリー・リトル・シング」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」で使用。
CM
脚注
[脚注の使い方]
注釈
- ^ バーバラ・バックは、007ジェームズ・ボンド映画の元ボンド・ガールだった。
出典
- ^ a b c Ringo Starr|Biography & History - オールミュージック
- ^ "Modern Drummer's Readers Poll Archive, 1979–2014". Modern Drummer. Retrieved 10 August 2015.
- ^ "2015 Rock Hall inductees". Radio.com. Archived from the original on 17 December 2014. Retrieved 16 December 2014.
- ^ Gabrielle, Olyatitle (3 August 2020). "Ringo Starr Net Worth: You Won't Believe How Big the Beatle's Fortune Is Now". Retrieved 3 January 2021.
- ^ 2012年6月号
- ^ リンゴ・スター・バイオグラフィ 2021年1月8日閲覧
- ^ https://www.beatlesbible.com/ > ... > The Beatles’ songs
- ^ Harry, Bill (2004). The Ringo Starr Encyclopedia. London: Virgin Books. p. 224. ISBN 978-0-7535-0843-5.
- ^ リンゴは、『トミー』のオリジナル・アルバム(1969年)を発表したザ・フーのメンバー、ロッド・スチュワート、スティーヴ・ウィンウッドらと共に、アルバム制作に客演した。
- ^ The Ringo Starr Encyclopedia 2004 publisher Virgin Books isbn=978-0-7535-0843-5 page=209
- ^ “2015年ロック殿堂入りアーティスト発表!リンゴ・スター、ジョーン・ジェット、グリーン・デイなど”. シネマトゥデイ. (2014年12月18日). https://www.cinematoday.jp/news/N0069148 2014年12月18日閲覧。
- ^ リンゴ・スターさんに爵位授与 英王室、ビートルズ2人目 産経ニュース(2018年3月20日)
- ^ “リンゴ・スター バークリー音楽大学から名誉学位を授与”. amass. (2022年6月3日). https://amass.jp/158078/?fbclid=IwAR1y4hH_W1AoVNZjXs8SrKqIBemo5AkJrEsCSqVQhKVfs4Gy7uI6_Pr4s8g 2022年6月5日閲覧。
- ^ 「The Thomas The Tank Engine Man」by Brian Sibley, ISBN 0-434-96909-5
- ^ “リンゴ・スター、ビートルズ来日50周年の2016年秋に来日公演が決定”. BARKS (2016年6月27日). 2016年11月1日閲覧。
- ^ “リンゴ・スター、3年ぶりの来日ツアー! トッド・ラングレン、スティーヴ・ルカサーら豪華布陣の東京公演を速報レポート”. RO69 (2016年10月31日). 2016年11月1日閲覧。
- ^ “RINGO STARR And His All Starr Band/リンゴ・スター アンド・ヒズ・オール・スター・バンド”. ウドー音楽事務所. 2019年4月9日閲覧。
- ^ “リンゴ・スター、オール・スター・バンドと共に約3年ぶりとなる北米ツアーを行うことが決定”. NME (2022年2月8日). 2022年5月31日閲覧。
- ^ “Ringo Starr and All Starr Band Announce Spring 2023 Tour Dates”. billboard (2023年1月12日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ The Beatles' Ringo Starr drums up a new job Express.co.uk 2015年8月27日
- ^ 『スケッチャーズ メンズ CMキャンペーン実施 伝説的なドラマー リンゴ・スターが出演!10月9日(金)よりオンエア開始』(プレスリリース)スケッチャーズ ジャパン合同会社、2015年10月8日。https://www.atpress.ne.jp/news/76915。2021年1月8日閲覧。
- ^ “スケッチャーズCMにリンゴ・スターが出演”. ローチケHMV-NEWS- (ローソンエンタテインメント). (2015年10月8日). オリジナルの2015年10月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151018005141/https://www.hmv.co.jp/en/newsdetail/article/1510081019 2021年1月8日閲覧。
関連項目
外部リンク
- リンゴ・スター 公式サイト(英語)
- #RingoStarr (@ringostarrmusic) - Twitter(英語)
- Ringo Starr (ringostarrmusic) - Facebook(英語)
- Ringo Starr (@ringostarrmusic) - Instagram(英語)
- リンゴ・スター - Discogs
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