CDB若山研究室時代とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
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「STAP研究と騒動の経過」の記事における「CDB若山研究室時代」の解説
2011年 4月 - 小保方晴子が理化学研究所若山研究室の客員研究員となる。 6月 - Nature Protocol誌に、細胞シートの皮下移植に関する論文が掲載される。著者は小保方晴子、岡野光夫、大和雅之ら。 11月 - キメラマウスとSTAP幹細胞の作成に成功する。 2012年 1月24日 - 若山研究室が運営費交付金でマウス発注手続き(しかし小保方はこの日に実験したと主張)。 1月27日 - 若山研究室に免疫不全マウス(6週齢、雄)が納入される。 3月12日 - TCR再構成について西川伸一CDB副センター長(当時)が助言する。 4月1日 - 若山照彦が山梨大学の教授に就任。理研CDBでは客員の扱いで2013年3月まで在籍し、若山研究室も2013年3月まで存続する。若山は山梨大学においてSTAP細胞の再現実験に取り組んでいたが、全く成功しないことを何度も小保方達へ伝えていた。 4月 - ネイチャー誌へ2012年論文を投稿。 4月24日 - 米国仮特許出願(US 61/637,631) 4月27日 - 「STAP現象をヒト体細胞に適用する計画」が若山研究室から提出される。 5月 - ネイチャーへ投稿した2012年論文がリジェクト。 5月 - 若山が受精卵ES細胞を樹立。 6月6日 - セル誌へ投稿(⇒リジェクト)。「改ざん」画像使用。 7月 - サイエンス誌へ投稿。「改ざん」画像使用。 8月21日 - サイエンス論文がリジェクトされ、査読コメントで画像切り貼りや、ES細胞の混入や死にかけた細胞が光る現象である可能性を指摘される。 9月 - 若山、AC129 STAP幹細胞樹立。 2012年中頃 - 小保方はSTAP幹細胞にTCRが見られたことを若山研究室内で報告。しかし組織培養を繰り返すうちに8系統で再構成は消失した。 11月15日 - 小保方に研究ユニットリーダー(RUL)応募の打診があり、小保方は受諾。 12月21日 - 小保方RUL採用面接、及び竹市雅俊が笹井芳樹に小保方への面接指導を依頼。 12月28日 - 笹井指導による、アーティクル論文のたたき台が出来上がる。 2013年 1月 - 小保方が渡米し、アーティクル論文原稿をバカンティと検討。バカンティは笹井へ共著者に加わることを要請。 1月14日 - 小保方がRUL採用にあたっての推薦書3通を提出。推薦者はバカンティ、岡野光夫、大和雅之。 1月16日 - 小保方研究室の場所、及びメンターとして笹井と丹羽仁史が付くことが決定。 1月 - 丹羽が研究グループに参加。丹羽はTCR再構成がないことで慎重な見解を取るが、笹井は組織培養を繰り返すうちに消失したとの見方を取る。
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