【古事記】美和の大物主の伝説(Ⅰ)【記紀解読】 (original) (raw)

記紀の #古事記 崇神天皇(第10代)に #美和の大物主 の伝説が書かれています。#三輪山祭祀 と #神氏(みわうじ) #鴨氏(かもうじ) のはじまりのお話。#オオタタネコ(意富多多泥古)が語った賀茂の血脈と #出雲口伝 の系図を比較してみると興味深い歴史が見えてきます

目次

本文

古事記「美和の大物主」

三輪山祭祀の始まりに関するお話が、古事記崇神天皇(第10代)記に紹介されています。

神氏(みわうじ)・鴨氏(かもうじ、賀茂氏)の始まりと血脈に関するお話です(本記事は1回目。1と2について)

1. 疫病に悩む天皇の夢枕に大物主神があらわれて、オオタタネコ三輪山の祭主になるまでの話

2. オオタタネコが大物主を祖とする話

3. 大物主がイクタマヨリヒメと結ばれ妊娠した話(三輪山伝説、オダマキの糸)

大物主神が鎮まる三輪山。八大龍王弁財天大神 龗神神社 下の池から。(2022年3月)

崇神天皇の時代、はやり病が盛んで人民がほとんど尽きようとしました。たいへん困った天皇の夢枕に、大物主の大神があらわれて「かように病が流行るのは私の心である。これはオオタタネコ(意富多多泥古)が私を祀れば、クニも平和になるであろう」と告げました。

そこで四方に遣いを出し、オオタタネコを河内のクニのミノ(美努)の村から探してきました。

天皇が「お前は誰の子か」と尋ねると、オオタタネコは「オオモノヌシの神が★スヱツミミの娘の★イクタマヨリ姫と結婚して生んだ子が★クシミカタ。その子が★イヒカタスミ、その子が★タケミカヅチ、その子が私★オオタタネコです」と答えました。

天皇は歓び、オオタタネコを神主としてミモロ山(三輪山)でオオモノヌシの神を祀りました。

三輪山祭祀が行われた纏向遺跡(まきむくいせき)は 桜井市大田 の地にあります。

纏向遺跡から三輪山桜井市大田(2021年9月)

古事記で語られたオオタタネコの血脈(出雲口伝と比較)

古事記で語られたオオタタネコ(鴨氏)の血脈を、出雲口伝(出雲東王家、富家伝承)の系図と比較してみました。

各人物が登場した時代についても参考に書き出しています。

左)古事記で語られたオオタタネコ(鴨氏)の血脈、右)出雲口伝・鴨(賀茂)家の系図

オオタタネコは、古事記では第10代・崇神期(ミマキイリヒコ・イニエ)の鴨氏の第4代目、出雲口伝では第9代・開化期(オオヒビ)の賀茂氏の第10代目とされています。

天皇家賀茂氏とも、9〜10代で380年の系図ですから、一代の平均は約40年となり時間的には出雲口伝の方がムリがありません(古事記では一代平均が約100年になる計算。時間感覚の無視は記紀あるあるです)

事代主(大物主神)と玉櫛姫(活玉依姫、イクタマヨリヒメ)の婚姻から、葛城のクシヒカタ(クシミカタ)への流れは、出雲口伝と三島溝咋神社(みぞくいじんじゃ、大阪府茨木市)社伝で一致しています。

溝咋神社社伝と出雲口伝は一致

二つの系図から見えてくる歴史

系図を照合すると、次のことが判明します。

■ 大物主の正体は事代主(コトシロヌシ)だった

■ 出雲の血脈が、ヒメタタライスズヒメを通じて、第二代綏靖天皇に引き継がれている

■ 出雲の国譲り神話では、征服側の天つ神(軍神)として登場するタケミカヅチが、実は賀茂(出雲、国つ神)の嫡流だった

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付け加えると、出雲口伝は、オオタタネコはヤマトの大勢力*1賀茂氏嫡流で、開化天皇の『妹』で生涯独身を通した姫巫女・モモソヒメをサポートして、数百年前にヒメタタライスズヒメ神武天皇皇后)が始めた三輪山祭祀を再興したと伝えています。

モモソヒメは宮内庁治定で箸墓古墳の埋葬者とされています。

しかし、出雲口伝は箸墓古墳の真の埋葬者はヤマトヒメ(第11代垂仁天皇皇女、伊勢にアマテラスを遷し祀った初代斎王)であるとしています。

ヤマトヒメの事績は斎王が伊勢と京都の下鴨・上賀茂に存在した歴史に繫がっています。

箸墓古墳。水が抜かれた箸中大池の珍しい風景(2023年2月)

ここまでお読みいただいた方は、すでにオナカイッパイかも知れませんね。

私がそうでしたから😅

読み進んでゆきたいのですが、次の行には淡々と初めて知る歴史が書かれている…

その連続が出雲口伝を読む面白さであり、シンドさでもあります。

食あたりしないように、続きます。

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*1:大王家(天皇家)に次ぐ副王格