yoshia-kiの日記 - 明るい未来へ (original) (raw)

(承前 ネコの鳴き声はなんとかヘルツでガン細胞をころすってほんとう? 熱い味噌汁もうまくなってきた季節ではありますが、70度で麹菌が全滅するってほんとうですか?)で、このイスラエル情勢である。世界大戦についてである。なんだかトランプも不正選挙でまた落とされるみたいな流れかもだし、ただまあイシバ氏になったのでアレ日本、アメリカさん見限ったわけ?ということでハンドラー指名的スンズローではなかったのはすくなくともまあいい兆候なのかも(議員票は最多であったみたいだが)。だって戦後70年で秘密契約も終わったのでしょ?もう資源開発をしてもいいわけでしょう?だったらもういこうや日本、なんて。陽のあたる世界で暮らしましょうと。

バブルから30年の鬱屈を経て、日本はたぶん「徳」みたいのはけっこうためこんでいる。その陰圧バネ力みたいの(?)がこれから発揮されるのだとしたら、私はわりと日本の将来についてはとても楽観的です。楽しい時代が来るかもよ、とか。「台湾有事」なんていっているひとがいるけれど、イスラエルも火の車みたいだし弱っているし、いろいろバレてたいへんだし、ないのだろうねたぶん。この四字熟語化のスキームみたいのは思考を停止させるはたらきがあり、「北方領土」とか「拉致被害者」とか(4字ではないけれど😅)。北方領土なんてあれくらいで済んだのはもういいと思うし(ごめんなさい、でも)、樋口中将がんばったと思うし、北朝鮮にいたってはアレ日本がつくった国なのでしょ、ロシア伝統のバッファゾーンづくりを交渉のかたにして、日本陸軍の諜報部は明石さんをはじめ超優秀だったよやはりと。「恥ずかしながら生きてかえってまいりました」のひともアレでしょ、たぶん。「台湾有事」よりは北朝鮮でしょ、南下して朝鮮半島の統一でしょまず。そして分割統治・間接統治マニュアルみたいな植民地の少数民族による大量民族の支配体制みたいのはもうやめて(もうやめていいんです!)、日本、もうどうどうと陽のなかをあるきましょう😸ただこの陽のなかをあるくのにはさいしょはまだ慣れないかもだけれども。「え。オレいいの?」みたいな。70年の塀のなかの暮らしがあるしさ。

でまあ、植民地日本としては参考になるキリストさん時代前後のパレスチナ情勢である。ローマの植民地&売国政治家&愛国運動といつの時代も構図はとても似かよっていて、むかえる結果もおなじである。ただ危機になると本質が「目覚める」というのはほんとうらしく、東日本震災のときなんか、うちの温泉宿になんか(宮城生まれです)浜のひとたちが避難・居留していたりして、ボランティアのひとたちなんかもすごく清々と士気が高く、すごく感謝している次第です。日本もぜんぜん捨てたもんじゃないですよ、きっと。また「危機」がくれば日本の良心みたいのが爆発しますよきっと。そうして危機待ちみたいのはどうかとは思うけれど😅。そのいみ「ワクチン」というのはすごい危機になりうるよね、だって8割ぐらいの国民がうっているわけでしょう?政府が手のひらかえしてごめん、じつは……なんてテヘペロしたってもう止められないでしょうし。なだれをうって、もうエエじゃないか運動とか一揆とかそんなポテンシャルもじつはもった国民ですので、そこはもうとめられない。そのための仕込みだったのかと思うくらいひっくりかえりますよぜんぶ(そこはかとない期待もこめて)。暗ーい支配・統制のやぎ座時代はもうすぐ終わるですしさ。

まあこのむかしのパレスチナ時代も噴飯やら憤怒・鬱屈やら支配統制やら詰めこみつめこみされていたわけであるようだけれども、そこから三、四〇〇年ぐらい「キリスト教」ってまだ今のかたちみたいに固まっていないようなのね。いろいろ虚偽・真実(?)が玉石混交で、なかなか逆に興味ぶかいのであります。いまではいっぱひとからげに「グノーシス主義」とよばれる「主義」ではありますが、もう百花繚乱のていでいろいろ個性的なひとがいたりしてまあおもしろい。だれかがかってに福音書を書いたり、行伝をしたためたり、「旧約」の神は第三界の造物主デミウルゴースだから無視とか、キリストさんは第一界のバルベーローからほんとの神がこの物質世界に送ったんです、とか、もうこのさい福音書は「ルカ」一本で統一しようとか、パウロ使徒でもないのにサウロ時代なにしてくれてんの、なにげに「新約聖書」の4分の3ぐらいはあんたの手紙だし、どゆこと?とか。もういいたい放題でこちらがハラハラするぐらいなのです。コンプラとかリテラシーとかあまりありません。わりとけっこう自由に言っているみたい(まあ残存している結果としては、ということだけれども)。それでメシを食っていけている論客・神職みたいのもいたのだろうし、まあうらやましいことです、と。

きのうのイランも2度目のイスラエル攻撃も、ヒズボラとかと連携してやっているのだろうし、イスラエルも2,3面攻撃で大変だろうけど、イランもそうなので、またしばらく沈黙なのだろうかも。ロシアは水面下で不動みたいだし。イスラエルも反反撃するのだろうけど、どの程度なのか。あちら側のこちらメディアはいかにも大きく扇情するのだけれど、いつものことだし、大山鳴動してミサイル5本、みたいなのがじっさいは現状なのかもよ、と。私は楽観的すぎるのだろうか。でもなんか「あちら側」も太陽に突き進むにつれじょじょに崩れていく彗星のように弱っているみたいだし、いわれるようにイシバ氏も短命ではなく、わりとあれ?なに?日本もう自立独立主張してもいいわけ?ほんと?あとで梯子はずさない?みたいな戸惑いのなか、けっこう長続きしたりして。

日本にとってこのさきにあるのは非植民地化というのは逆にたぶんそうなのだけれども、それは厳しい現実です。中国とか北朝鮮とかロシアとかは隣人であるし、そこが他のNATO陣営と違うところだし人種も違うしなんだかんだいっても、自衛など必要になるのは必然かもだし、攻撃の可能性をちらつかせたりして交渉してまあ難しいけれども、ただそれは「冷や水を浴びる」ような自覚が求められるのかもしれない。ただどの国とも比較的に仲よくしつつ、みたいな全方位外交で(なんといわれようとも)結果的には良きと、今後は進んで欲しい、というお花畑的な中間結論で今日のところは書き終えます。でもそれがいちばんいいのかもよ現状。逆にいちばん難しいことなのかもという懸念もあるけれども。逆に一種の日本しかできない日本らしい独自路線なのかも。たぶん(理想的には)。

まあ窮屈で込みあったさきに明るい未来がすこしずつみえてきたような、そんな感じをうける今日このごろです😸。ほんのちょっと、すこしずつだけれどもさ(個人の感想です😅)。

タブレット」というものがある。モーゼの十戒石板なんかもタブレットと訳すし、モーゼ君は人民の牛ちゃん信仰にブチギレて割ってしまったけれども、現代社会においてはこれがまたもう充電なんかしていると踏みやすい位置にあったりして、踏んでしまった。液晶が割れて見られなくなってしまった。ゾン・アマのキンドルアンリミテッドなんかでストックして、寝る間の睡眠薬的にタブレットで読んでいたのだが、これがもうできなくなった。ひとり無用にモーゼ君状態であり、まあとにかく眠れない。

でどうしようかということで、リアル紙本のストックからなんか小難しいのを引っ張り出してきて、なんとか寝ようとしているわけですが(寝るには小難しいもののほうがよく、すうっと読めるとそのままずうっと読んじゃうし、頭が疲れる系がいい)、とりあえず「死海写本」なんてものを。

死海文書はだいたいいわいる旧約聖書に入っているやつの写本が主なので、アカデミック的なおもしろさ(?)としては現行のとくらべて一字一句どうか、とかそんな程度で、ナグハマディ文書とかと比較してあまり興味がなかったのだが、オリジナルの文書もあり、それ。それをあらためて読んだ(共同体の規則とか闘いの書とか。あらためて読むと結構あるのねオリジナル)。

でまあ、これが書かれたであろう紀元前後プラスマイナス100年ぐらいは、ここらはまあすごい動乱なわけでして、セレウコス朝とかプトレマイオス朝の抗争とか、はたまた新興たけだけしいローマ帝国とか、いつの時代もこのあたり(死海あたり)でも売国奴政治家とか愛国的抵抗運動とか、もう波乱。これだけでもおなかがいっぱいになる勢いなのだけれど、そのような背景に隠遁者集団みたいのに書かれたらしい死海文書。この背景は考慮に入れる必要がとてもあると思われる。

結論からいうと、キリストさん(固有名詞のヨシュア・ベン・ミリアムさん)は「革命家」として期待されていたのだろうね(死海文書とは関係ないけれどもね)、イスラエル独立の彗星として。新約聖書ではあまりそういう側面には言及していないけれども。ローマだしね。削られたのかな、いろいろ編集の機会はあったわけだし。ニケイアとかカルゲドン公会議とかさ。キリストさんの処刑まもなくして自治区から直轄属州になったわけだし、もう亡国よね、そんなはざかい・暗黒時期の社会情勢。愛国運動・独立運動はあったろうし、熱心党シモンさんとか、死海文書を書いたとされるエッセネ派とか、売国奴・植民地政権に対抗してはじきだされたグループなのだろうし、日本の戦後の公職追放みたいなかんじなのかしらんたぶん。そんなこんなで民衆の期待を集めた国家独立への革命家アイコンとしてのキリストさんだが(当時はたぶん)、もう「愛」方向にいっちゃって、民衆はもう落胆した、しまくったのかもしれないし、なんかいろいろ革命家みたいのがその後も出てきて、数十年後にはバル・コクバもででまあ負ける。ローマ支配にかんぜんに屈することになる。(この「キリストが出る」→「国家が滅ぶ」はなかなか興味深い現象で、仏陀が出たあとシャカ族も滅んでいるし、まるでさいごの花火か役割終了の鐘の音か、なにかあるのかな)

で、「キリスト」(一般名詞)については、死海文書でも言及があって、なんだか日本には曲がって伝わっている感があるし、まあ日本人向けコンテンツだと興味惹きのため日本スゲー的へ向いているのはしようがない側面はあるのだろうけれども、まあ要はキリストは2人いるわけである。ひとりと、多数という組み合わせもある。祭司と世俗の王というわけで、神道のトップとしての天皇と幕府、あるいはローマ教皇と諸国みたいな。たぶんね。でもそれだけ。

ただなんでこんなイスラエルなんて「国」のことにオレ寝るまえの時間をとられなければならないのか、もっと知るのは日本がさきでしょ、とは思います。トルーマン・カポーティなどの本を読むと、ほんの何十年か前はユダヤ人は(イタリア人さえ)当時は「二級市民」みたいな感じというのが伝わってくるし、ノーベル賞とか医療関係とか、けっこう金を使って印象操作・広告代理的操作すりこみみたいのすごいしたのだろあんたたちというような印象を受ける。ここ50年ぐらいでね。いまフランスではナチス肯定とかアンチセムみたいなのは「法的に」×だし、司法もかよ、という感じがします。べつに私の元妻もアシュケナージだったけど、ぜんぜん頭がいいとかそんなのまったくないよ?フツーです(彼女の名誉のためにいえば)。

そもそもイスラエルなんて統一国家はほぼないんで、なんで「約束の地」とかいってるわけ?だってダヴィデぐらいでしょう、統一王は。サウルもソロモンもアレだし。一代きりです。まあソロモンは入れてもいいのかもだけど。まあダヴィデも戦友殺してその奥さん強奪してなんかもう人間的にどうなんでしょうね(ソロモンの母)、という感じではあるし。戦闘民族すぎるところがある。やりすぎるところがある。知らんけど、会ったことはないけど。でも現代でもそう。

私はイスラエルが嫌いなわけではないし、むかしわざわざ行ったこともあるし、ファラフェルは好きだし、ゴマのタヒーナ・ソースも好む。イスラエルはむしろ好きだけれども、日本人が持つ(たぶん)「ユダヤすごい」幻想は妻もいたことだし無い。皆無。アボカドやスウィーティなんてもいいし、なんならむかしキブツにはいろうかと思ったこともある。なんだかとっても小児愛みたいな文化があるのか(これは地中海全般ね、フランスでもアルジェリアでも遭った。日本でもむかしあった。うちのじもとの大将伊達政宗氏なんかもラブレターがのこっているし😸)若かりしころの私はもうエルサレムなんて歩くだけで30メートルおきぐらいに誘われましたよ。髪をなでられ、なあ、ビール飲まない?とかなんか。帰りの飛行機でも「おれ、建築家でさ」とか隣席のおっさんにずっと手を握られていたよ。私はヘテロなのでそんな「モテ期」の無駄ダマを撃ちたくないけれども(帰りの飛行機についていえば、テルアビブ空港で過去の日本赤軍のアレで日本人だしとっても厳しく2時間ぐらい調べられました。で、国民皆兵なんだろう同年代の若い女のひとだった。その人が最後には時間ギリギリなんで飛行機までショートカットして連れて行ってくれた。なかなか色黒で骨太のキュートな人だったが、私は当時はフランスの美大にいてスケッチして回っていたのをその絵をみて、「あなたは宇宙人ね」としょうもない箸にも棒にも掛からぬ社会からの離脱者を困った顔で笑うみたいな表情をしたのが印象的だった。この「あなたは宇宙人ね」という冷たい突きはなすかの言葉は、その後の私の人生でときどき自動脳内再生されることになる。まあいいか😸)

で、ネタニヤフよう、と、でもただとにかく私は思うのである。急げ、と。時間がもうありません。トランプになったらもう終わりだし、早くやることやらないとまずいし、ただ(ただ人が死ぬのはアレよ私も。反対ですよ、家族もいるし)ただなんかもうあなたたち勢力はもう影響力ないわけ?打っても響かないしさイランとかロシアとか。もう世界大戦ムリゲーなのですか、と。まあもうNATOウクライナに入っていること自体バレバレですでに世界大戦ではあるのだろうけれども。とにかくもうこのローマ・キリスト教的イメージによる頭上の「想像界イデア界支配」みたいのがウザくてウザくてたまりません。FU〇K(😅)。日本人なら米のメシに梅干しですよ、でもちょっと肉とポン酢(をかければだいたいなんでもうまい説)があればいいという。あとなんか水菓子、果物なんか。秋も深まると今年さいしょの熱燗もすてがたい。あとネコも……(後半に続く)(ツヅク!(エウレカセブン風😸))

グローバリズムの必然」と人類の未来

とかなんだかたいそうな題にして書き置いてしまい、扱いきれない予感がしつつ、あれこれと思いながらいま小刃にて秋の栗をむいている台所、午後3時。今年の栗はまだ出はじめなのか身が薄く、たいして食いどころがないようで、いかにしてこれを喰らおうか。歩留まりのわるさを考えれば栗ご飯がいいか、あれはどうせ季節の変わりのために食べるようなものだし、など。

風の谷のナウシカ」というものがあり、私は原作漫画がアニメージュだかに連載されていたころからの読者なのだが(あれは小学生のころだった。となりの席の女の子がアニメ好きで、といっていまと比べればまだアニメの黎明期ではあるが、定期購読している彼女が誌面を見せてくれた。思えばいろいろまだまだ莫大な未知に囲まれた穢れなきちいさな年頃であり(笑)、なんでいまこんな愚劣な大人になってしまったのかと少しく悲しく思うが、まあいいや)、で、「風の谷のナウシカ」。ここでは映画版ではなく原作漫画版ですが、読んだ方はいらっしゃられるでしょうか。とても大版の出版物で、枕元に置いていてそのまま寝ると、ちょっとした際に顔に触れてひんやり冷たいアレです。わからない人はごめんなさい。

ネタバレになるけれども(読みたくない人はこの段落を飛ばしてください。なんなら私の駄文章などぜんぶ飛ばしていただいても貴方の生活の支障にはまったくならないでしょうけれども(笑))、ナウシカたち世代は遺伝子組換え的な人造人間であり、地球表面の汚染が終息するまでのつなぎのために生み出され、清浄な世界になったあかつきには、保存されていたもとの生命でかつ選ばれた命みたいのがその綺麗になった大地に踏み出しますよ計画、みたいな。だけどラスト近くでその卵を盛大に殺戮するナウシカ(ビームだけれどもね、すごくいいシーンだと思う、「わたしは自分の罪深さにおののきます!」(「!」はついていたか?)ヴ王がまたいずれにしても王らしくていい)その「ナウシカ」。

作中、粘菌が出てくる。それはいわば腐海の菌の凝縮版で、もっとも純粋なかたちは人間によって選択的に培養されたものなのだが、意志を持っている。意志を持っていて、とおく近くから、ある一地点で合流しようとする。

栗をむきながらぼんやりと思うのはそのイメージであり、「ナウシカ」自体は今回はあまり関係がなくなってくるのかもしれないな、と無駄な振れ幅にみずから当惑しつつも申し訳ございません、反省しつつ「しろまいたけ」のパックをやぶりスライスする。やはり栗ごはん方面になりそうだ。

暴力、侵略、虐殺。人類が黎明から繰り返してきたことだが、といって「それは人間の闇の部分の顕在化である」といったもっともらしい解説はかなり嘘くさいし、ダレトク、ただ上からのアレで、庶民はべつに自発的に大戦争などしないものだと私は思う。ヤンキー的ヒエラルキー争いみたいなのは会社でも都市地方社会でもあるかもだけど。「偉いひと」たちが机上の地図で線引きしあい、「俺コレね」「じゃあわたしここ」「ずるーい」など、じゃあ以後はマニュアル通り敵を醸成するように世論づくりして、「敵は非人間」とか洗脳して…散会!(ナルトの「散」ふう)など。時と経験に練られた「侵略手帳改訂版ver.22」みたいな、「敵」が「非人間」でないとじっさいもんだい庶民は銃のトリガーをひけないわけですし。そして「敵」がじつは国こそ違えど同じフツーの庶民でありました、などと銃口から煙が出たまま呆然と殺したからだと血の海を見おろしてはじめて悟ったとしてもいまさらそんな、それはひどいし、とてもとても困るし、そうして、現実逃避してもテヘペロなんかではすまされないし、夢だけど、夢じゃなかった!そのものであり。前線で指令室でドローンの操作画面の前で、そのようなことがじっさいにいま大量に起きている。「ずるーい」のひとたち(仮)は、ほんとずるいよ(ここに選ばれた卵の巣を大虐殺するナウシカのシーンを挿入「わたしは自分の罪深さにおののきます!」そうでもないぞ(ただ全体としては罪深くはあるのかも))。

暴力、侵略、虐殺のはじまり。これらおよそ人間的でもない、庶民的でもない、町中華的でもない、ましてや「子ども食堂」的精神でもない行為の始原はどこに求められるのか。たぶんそれは「彼ら」である。
人類の黎明期、すごく昔、人口密度も低く、ごく点々と家族親類のコミュニティがちらほらと地表にあったにすぎない時期。
その年は天候による不作で、おのおののコミュニティは飢えによる死に直面した、そのとき。
それでもみな工夫して、いままで食べてこなかったものを食べたり、できるだけ食べずにすむ生活モードを模索したりして、生き延びようとしていたそのとき。
あるひとつのコミュニティが、これまでの常識を破り、他のコミュニティを襲撃した。なけなしの食糧を奪い、飢えをしのぐことができた。そしてここからがアレなのだが、しのげたので、味をしめちゃって、それからはもう勤労をやめ武力に特化集中するようになる――「彼ら」の誕生。どうせ奪えばいいんでしょ、働くのもめんどうくさいし、武器つくってまたどっかの村の倉がメシでいっぱいになるまで待ちましょ、と。
(ただまあ彼らも彼らなりに、これまでの「常識」(=人の心みたいの)から外れたことをしている自覚と自責の念はあったのだろうし、ただ彼らは人格をもう一つつくることで乗り切った。いまでも北米とかで顕著なピューリタニズムみたいな、右手で殺戮をし、左手で人権を唱える、唱えることができるという分裂症的気質にはそんな経緯があるのだろうと想像する)。いずれにしたって、まわりは「常識」のコミュニティばっかりである。殺戮して奪うなどと考えたこともないし、ましてや武器をや、他の奴隷化をや。そんなひとたちを侵略し奪い、労力ほかとして奴隷化するなんて簡単である。カニにじゃんけんで勝つより簡単である。こうして「彼ら」は彼らの版図を拡大する。そして時代の常ながら、優しいひとたちは絶滅する。古代中世現代を問わず、これは事実だ。

ただまあ、移動速度や通信速度、とりわけ人口密度の高まりという背景、いつか他の集団とぶつかるのは必然であるのもたしかだ。ぶつかるどころか乗り上げたり、それでつぶしてしまったり、まあ運が良ければ平和裏に融和したりする(のは、ほぼ不可能であろうし、とくに集団どうしに人数差・戦力差がある場合。モラルの「欠け具合」も重要だ)。で、だ。じゃあ、グローバリズムも必然でしょ、ということになる。もう地球全体のさいごまでいく。とくに拡大の波紋の最前列にいるのが「彼ら」である場合は。(というかもう、とっくにさいごまでいっているし。いまギリ、ココ)。

ここで問題となるのは、結論からいえば「すりつぶされる個々の命」である。個々の命とか、個々の文化とか、個々の明るい未来のことであり、乗り上げられ、つぶされる側のつぶされる「何か」である。その「何か」こそ、この上なく貴重で、愛らしく、美的でかけがえのないもののように思えるからこそ、みんな必死で考えたり、あるいは必死で考えないようにしたり、その折中があったり、心を砕いて貴重な時間をそれに使う。「ワクチン」なんかもそうで、というよりさらに顕著にこの問題があらわれていて、「彼ら」の拡大の波はなにも地理的グリッドだけでなく、時的グリッドにおいても当然そうである。(この「ワクチン」なるものについては、私は受けていないし、子供たちにも受けさせていない)かりに時軸上に、この「2024年」をはじめ、過去、未来の目盛りを置いていって、たとえば「ムーンショット目標年」のようなものを未来の軸上にポンポンと置いていけば、時をさかのぼって、いま、なんか体に入れさせろということになるだろうし、ただ、世界に大風呂敷をひろげた治験(実験)であるので、いろいろ同時に試したいことも多いだろう。私も研究者であればひとくち噛ませてもらいたい垂涎の機会ではあるだろうし(飼い猫の夜鳴きが聞こえなくなる試薬とかどさくさにまぎれて入れてもらう)、まあその一部として。(ただ、だいたい、いろんな種類の薬剤があること自体ふつうに考えて異常であるし(いわく「汝、常に初心に帰れby ネコ様(😸)」)、ましてやプラセボもあるらしい(あるんでしょう?そもそも何が入っているのかが公式に知らされていない異常さである。からだに入れるものですよ?)あなたは赤ちゃんを昔ながらに3種混合とか打ちに行って、食塩水を注射されたらどう思いますか?)まあ私のなかでは 3年前にはすでに終った問題であるのでいいや。現在つらい状況にある人たちは大変だと思う。でもなんだか当時は知り合い家族を説得しようとして空回りしてもう疲れた(もう疲れたよパトラッシュ、なんだか眠くなってきちゃったよ……🐕)ただデマ太郎がいうように、運び屋太郎に逃げ出し型トランスフォーメーションしたあと(キ、カ、ココ!※トランスフォーマー・タローの変形効果音、実写版より(運び屋なんて運輸的な名なので「クルマ側」だろう)。目玉ピカピカ「ホ ウ テ キ シュ ダン ニ ウッ タ エ マ ス」ドーン!晴天の空から爆音と煙をあげて戦闘機のナイトホーク4機が落ちてくる――)まあ今でも公式の被害が公表され続け、増え続けている。この段にいう「すりつぶされる個々の命」とは、まさにそこに含まれる)(もうこの小題は止めるのが適切かもだけれど「副反応」だって(笑)。そんな言葉はなかったし、フランス語でもさすがに「副作用」のままである。この新語が「病」流行のごく前段階で出てきた(ということは公的機関やメディアでは用語について共通的使用に向けたブリーフィングを経ているはず)のは、ちょっと、かなり怖い))

まあ逸れました。いや、逸れていない、あるいはさらに話の核に近い話をしていると思う(そうかな?)。といって、「目覚めた」ひとたちとか、これもどうも。ちょっと、いままで、あれ、ちょっと今もおかしくない?って気づいたぐらいにしておけばいいものを。「目覚めた」て、 ジョジョ5のレクイエム化をうながす2度目の矢に貫かれたのかあんたは。「『矢』は最後の最後でこの俺/わたしを選んだのだァ―――ッ!」(笑)(あの、「あんた」っていうのは仮想の人物群です。たぶん「彼らはいない」。まあいいや)(でもそのような驕慢さが対立を生むのですよん)。たぶん、時の流れはゆっくり過ぎて、スグ・ココ・イマと手に取れる目で見える明証をもとめるひとの常として、そののらりくらりぶりに耐えられないのだろう。私は耐えられない。そして「目覚めコンテンツ」に職業・収入的に関与していればしているほど、前がかりにならざるを得ない。なにか頻繁に書かなければならないが、そんな、書くこと毎日ありますか? こうしてノルマ化による弊害が生まれ、情報の重要性のヒエラルヒーをみずからの手で崩していく。明日のだれかのリアルな死と、誰それのリコン・フリンの話が同列になる。まあほんとうに話が逸れてきたのでこのあたりで切り上げます。

ただ(とあまり切り上げていないけれども)、いまの「みずがめ座」的コミューンとか、エコヴィレッジとかプレップとか、私はとても共感するところがある。いい。私が自然農を始めようと思ったのもその背景にある諸々の危機感からで(たぶん。もちろん「始めようと思った」と「始めた」では無と有の違いがあるけれども。リンゴの木村秋則さんとか。私のなかではナウシカ的な「姫ジイさま」である)、で、私もどこかのコミュニティに合流したい、が、なんだか漂う若々しいバイブス・アゲアゲの無敵感が怖い。みんな優しそうではあるし、実際そうなのだろう。みんなで火を囲んで肩を組んで歌など歌わなければならないのだろうか、怖い。慣れない。どこか孤独志向のひとでも笑って入居できる厳格だが個室+プライベートバストイレ完備の修道院みたいな信条のコミュニティはないものだろうか(また、菜食はいいがアルコールは許して欲しい😅。あとネコ持ち込みも😸)。あるいは「アナスタシア」(にはとても感銘を受けた)のように自分で「祖国」(自分と家族の生活圏かつ農園かつ自然な自然公園(?)かつ宇宙魂との交流の結び目みたいな(?)場所)をつくるのがいいのだろうか。たぶんそれがいいのだろう。いいのだろうけど、利用可能な土地は山ほどあるのだけれども(文字通り山林なのだけれど)、藪やら坂やら、自然は深くぶ厚く、これ、「祖国」に変えるにはちょっとばかしハードルが高すぎるようだぞ(心象高さ3キロメートル😅)。重機は入れたくないし、金もないし、と手をつける前からとてつもない作業量に圧倒されている今日このごろであります。(まあひとりと息子とネコでやるのが気安くいいのだけれど、現実的にこの作業量の問題ね。だから人手めあてに姑息にコミュニティとか考えている私)。
ただ現在のアゲアゲ・コミュニティムーヴメントには、わりに静けさとひかえめさと堅実さを感じる。セックス解放&めくるめくドラッグ・オーバードーズ!みたいなかつてのヒッピーの爆炎うずまく花火倉庫みたいな噴火力はあまりないようで、そこはいい。(といって、私は70年代生まれなのですが)。

なんだか漠然とそのアナスタシア的方面へ導くもの、尻を蹴ってくるもの。生きづらさ、文明の自己壊滅的状況とかあるかもですが、それについで「終末思想」というものがあり、それは、あれ?もう予言日って、過ぎたじゃん、なにもなかったじゃない、といって、ニチアサの戦隊モノやプリキュアのようにつぎつぎとメタモルフォーゼし、それが新商品と連動していくわけであるが、結果、いつもなんかの「終末」が近い(笑)。まあ自分の死というものを考慮すれば、それがいちばんの終末ではあるのだろうけれども、とはいえ人間の顕示欲というのか、つねにアテクシ重要な時に立ち会っていたいのアテクシ欲(長っ)により、とても意義のある時期に生まれて生きているのだという実感が欲しいので欲、それが新商品を生み続ける背景なのだろう。でもたぶんそんなことないっスよ、時間のうだうだのらりくらりぶりだけが健在で、遅々としてだがちょっとずつは進んでいるみたい。苛烈&いますぐ明証を求めてキリキリ舞いしても、その場で煙が出るだけよ、なんて。

結局あれっしょ、ムーンショット計画準備の布石、余計なベビーブーマー殺し→で、ゆりもどし的大量逮捕で掃除→次いで分裂・内乱→統合→かつ宇宙人の駒を使う(最初のは嘘(共通の敵として登場させて世界統一を図るあがき)で次はマジ)→そしてやっと宇宙進出、みたいのは7,8年ぐらい前から浮かんだ絵空事or水先案内地図だけれど、遅々として時はゆったり、進みもしねえ。ねえパトラッシュ、ぼくは疲れたよ(🐕)。
時。土星的なもの。この物質的世界。土星の上位互換としての太陽系最強の星、冥王星。星占いの、もっともベタな考えを敷衍すれば、巡る人生のサイクルとして、それを強要する強い星たちが醸成する流れとして、拡大とグローバリゼーションのいて座冥王星、社会的地位の最高到達点である管理と統制のやぎ座冥王星(いまココ。でも11月に移る)、革命と脱社会化の水瓶座冥王星、そして魚座冥王星でぼけて死んで、その混沌から羊の赤子が生まれるという流れ。ということなのだろうけれども。

「すりつぶされる個々の命」と必然としてのグローバリズム(長い目で見ればこれも一時期の、ではある「滅びは約束されている」ドーン!)。地球の人間社会全体に敷衍してみると、その巨大な星の冷淡な眼のしたで、ちいさな命にはとことん無関心な時がゆっくり遅々と運動して、冷淡にも拡大と均一化の過程で人間社会的には侵略・戦火・虐殺が論理的に避けらない。たぶん。たしかに。それら容赦のない遅々とした巨大な歯車の回転に、はさまれて、すりつぶされる小さな命の累々とした悲鳴の重なりにも、「神」なるものはあまり関心がないようで(?)、まあ、そんなものなのかな、と栗をむきつづける(まだむいてたのかよ!)。

「fulfill」 という考えかたがあり、その思考パターンの人たちがいま世界の覇権を握っている。ざっくり西欧ね。「時が満ちるまで」とか、これは、これこれの予言が成就するためであった、とか。キリスト再来後の至福の千年王国も、時間限定だし。悪魔は滅ぼされておらず、どっかの暗がりなんかにつながれているだけだし。時が満るまで。
まあたぶん、流れ的には西欧衰微→そのあいだ他の勢力を育てておく(「ブリックス」とかそもそも誰が言ったか蓋然的につくられていた枠組みだし)→で、衰えた西欧が、そこに合流、世界統一、みたいな。そもそも150年ぐらい前は、日本でも、隣の県と県が殺し合いをしていたわけであるし、そうして国境間の軍備がなくなり、莫大な軍事費が浮くのはいいことだとは思う。この過程で失われかねない地域性、ローカル文化なども「すりつぶされる個々の命」である。まあただ、浮いた金を宇宙開発なんかに使うのはいいのでしょうね。もう宇宙植民しかないじゃん、だって。あ、地下もあるかも(地下都市があるのならすごく行ってみたい😸)。ただ(「ただ」が多いけれど😅)「アポロ計画」なにやってんだよ、というのはいち天文ファンとしていつも思う。月に行ったか行ってないかなんてこの際(どの際だ?)どうでもいいけれど、70年代から40年間以上、そのあと月に行っていないというのはどうゆうこと?私が軍の開発とかにいたのならいろいろ考えるかもだし、潮汐ロックでいつも同じ面を向いてるから、鏡を並べた程度ですごい兵器になるかもよ?地球の裏がわには鏡衛星みたいので迂回させてビームみたいな。それで「アルテミス計画」。いまさら月軌道に調査衛星をあげて、「人類生活の可能性をさぐる」とかどうゆうこと?そのデータ収集用の躯体を人体型にするか、「スヌーピー」にしちゃおうか、とか。どうでもいいけれど、アポロ行ってなかったの?いまさら?経験データの蓄積あるんでしょう?なんだかなあ、と嘆息。「じつは行ってませんでした」といわれてもナットクするレベルの話。もー。

人類は宇宙進出を止められている、というのはあんがいあり得るはなしかも。だって会社も社会もいまだヤンキー的ヒエラルヒーの争いでしょう?「成りあがる」「たたきあげ」とかさ。「血のにじむような下積み」「糟糠の妻」だって。地球美談。地球限定。まあいいけれど、ただこんなのが宇宙に出たら迷惑でしょう。すごく。蹴おとされている人が大多数なわけだし。こんどは宇宙人を蹴るのかという。

宇宙人的な存在はたぶんいるのだろうし(と私は思う。UFOは見た。第二種接近遭遇(笑))、だってこの天の川銀河だけで8000億の恒星があり、そしてしかも銀河じたい8000億ぐらいあるというので(銀河をかぞえる単位は何だろう?「個」?「渦」なんて風流かも)、もう数の既存概念で思考のはばたきをリミットする必要はぜんぜんなく、惑星小惑星を入れたらもう無限ですので、どっかにはいるんでしょうね宇宙人さんたち。ただ存在の仕方が地球とは異なるのかもしれないけれども(あてどもない想像)。彼らから見れば地球人なんて野生動物以下の知性であり(野生動物は知的です)、地球はニンゲン野生の王国なんであろう。「テラリウム」とかトカゲを飼うやつがあるけれど、あんな。夏休みの自由研究の観察対象ぐらいでしかない。「緑のこびと」の次男D君提出。「ほんとうは、お兄ちゃんに、手伝ってもらって……」(バレて泣く)(私はまえにイグアナを飼っていたことがある。犬猫はもちろん、モルモットもミヤマクワガタもいた。どうでもいい情報でしたxD)。

役割というものがある(と話に戻ろうとする)。ニンゲンにはたぶん無関心であろう数式みたいな神というものも。ただそれは大きな歯車機構的な冷たい一神教的な神のイメージであって(たぶん)、日本の神様たちは血が通っていてとても素敵、優しくてときに怖い。神々のイメージはこれでもういいんじゃないの、世界的に(😊)。カトリックだって一神教とは言葉だけで聖人カレンダーとかなんとかの守護聖人とかマリアさんとか天使軍団とかじつはパガニスムそのものだし。悪魔だっているし、裏オモテ手抜かりないですし(ここで、一神教の起源については、花の第18王朝のアクエンアテンの残党がシリア方面に逃れたのではないかという私の中間考察もあるが、またべつの機会に(ここまで読んでくださった奇矯な方がおられれば。もしかするとフロイトの考察のようにアクエンアテン=モーゼなのかもしれない。いずれにしてもアクエンアテン側の人間ではあるのだろう。だって遷都までしてそんなスタッフそのあとどこに行ったの。モーゼの出エジプトはこれまで19王朝のラムセス2世のときと比定されてきたみたいだけれど、どうか。ラムセス2世にしてはヘタレすぎるかもだし、「ツタンカーメン(ク・アテン)」にこれほど(どれほど?)注目が向けさせられているのはさかのぼってみれば何かさもありなん的な長年のメディアによる誘導があるのかもしれない)数限りない「事実」と「大衆」のあいだに文字通りいるのがメディアであって、意図的に取捨選択して大衆に彼らに有利な「事実」を知らせるのだとしたら、ということであるが。「モナリザ」なんかもそうで、別にあんな小さい可も不可もない作品を、メディアがピックアップして、大衆に「これをこそ見ろ」というわけであるし、あれはたぶんキリストの娘のサラで、のちにメロヴィング朝につながる(というテレビ番組資料のための翻訳をずうっと前にしたことがある。シオン騎士団とか))で、その人類の特異点としてのアクエンアテンは何を見たのか、出会ったのか……シーユーネクスト!(笑)))))。カッコが多い!

役割というものがある。たぶんね。私は自分自身の役割なんて知らないけどさ。自分自身の役割を知っている人がいたら教えて欲しい参考までに。ただたぶん「悪魔の役割」みたいのもあって、それは「時を定められている」(reたぶん)。「アルジュナ」というひとがいて、古代インドの王子さんなのだが、やはり王侯貴族は戦うもの、というわけで指揮官的に敵に対峙する。で、ひびり、というかその前に殺しなんて嫌で、なんとも決断できずにいる。それを見かねた軍事顧問的な永遠のクリシュナ氏が、やれ、と。殺しても生命というものは命の仕組み的にどうせ死なないし、あんたは今の肉体人生でやるべきことをやれ、と言うわけである。役割をやれ。殺しなさい、と(しかしこの輪廻転生的なことを持ちだして説得するのは反則だと思うけれど。知らんし、知り得ないことだしさ)。
役割。神。悪魔の役割。神の「無関心」。すりつぶされる個々の命。アルジュナ。でもそんなインド風輪廻転生ギリシャ風永遠の生の枠外から言われても、わたしたち知らなくね?ひどくね?金属歯車的な冷たい神の視点――「わたしは自分の罪深さにおののきます!」(と、ここでなぜかパトラッシュを連撃するナウシカを挿入。パトラッシュはだめだよナウシカさん。と、ひるがえってトランスフォーマー・タローを撃つナウシカさん+巨神兵のビーム。「ホ ウ テ キ シュ ダン ニ ウッ タ エ マ ス」ドーン!(自爆装置作動)あ、タローはいいけど。少なくとも一部の民意は反映しているかも!(笑)

まあ妄想はいいや。現実に戻りましょう。ズドーンと重い現実。たまに楽しいこともあるかもだけど、中年になるとあまりそんなときも少なくなり。まず、まあモテないわけね、老化だし。婚活市場のニーズゼロ(婚活とかはしていないけれども)。清々しいほど見向きもされません。そのへんの石っころのほうがスターのセレブみたいに視線を集めるのよね。まあ自然といったら自然なのでしょうが。笑えるくらい老化一直線なのですが、それは人生折り返し、第4コーナーをまわり死への最後のストレートに入った!ってことなのでしょうが。けっこうまだ慣れません。慣れたら慣れたでそれも困るような。

役割――悪魔教とか「ホワイトハット」とか、まあいいですよ、悪魔教に関しては実際あるし、私もフランスでちょっと薔薇十字団的な業務を掠めたことがあるのでいろいろわかるところはある(薔薇十字団は悪魔教ではないけれどもたぶん)。私の2度目の妻は南仏ニースの出身であったけれども、あそこはロンドンシティの金融によって作られたパステルカラーの悪魔教版ディズニーランドの側面もある(まあディズニーも……)。元妻の兄は幼いころに「悪魔教のひとたちに誘拐されていろいろされた」らしい。ヨーロッパにはほんとうにあるんです。いるんです。純朴な日本人には(私もそうだったけれども(笑)ほんと想像もできかねるような(想像するのもけがらわしいくらい)ひどい連中がいるのです。そのような連中はすくなくともかならずぜんぜん貧乏ではありません。貧乏なアテクシに恵んでやろうという気さえない(あたりまえだ)。

でも「ホワイトハット」vs悪魔教集団、みたいなアレもどうか。近日公開、総天然色、宇宙跳梁大活劇!(?)みたいで劇場公開が待たれるけれども、どうか(というのは、時はずうっと無関心で遅々としてじっくりと順序だって地味ーに成すべきことは成していっているという感がある。「すべてのことには時がある」みたいな(旧約聖書の「箴言」は、コヘロトの言葉というんだよねたしか。日常に使えない豆知識③😸1、2はどこにいった)。まあ短期間の大活劇であればいいのだけれど、と私もやきもき願うけれども)ただ「ホワイトハット」の役のひとたちは誰よ?地上に普通にいるひとたち?軍隊?まあたしかに悪魔教軍団にはそんなに強い軍隊はいないだろうけどさ、法律的に、ひとの良心的に。ただ良心がないからこその悪魔教なんで、彼らは彼らで役を演じきるディターミネーションがあるのだろう、ダンコ悪魔教ですよあなた。後さきもうないしさ、星占い的にも(?)。「その時が満ちるまで」。まあもうすぐだといいのだけれど、でもそんなこんなでもう7、8年も過ぎてしまったし、話半分できいていきましょう。(悪魔教もがんばれ、根性みせろ、役を演じきれ、なんて。早く眼に見える変化をみせろ)でもやはり、できれば、なんだかんだ反論を言いつつも曲がりなりにも社会の中にはまだいるわけで、内向きに文句ばかり言っていても創造的でも生産的でもないし、できれば社会をドロップアウトして、明るく楽しく「祖国」やエコヴィレッジづくりをしたほうが全面的絶対的にいいのだろう。かつメンタルとフィジカルともに健康にもよさそうだ。メシもうまい(そして大活劇うんぬんはもう忘れる)。まあやらなければいつになったって絵に描いた餅ではあるのだろうけれども。ただそういう「やったひとたち」が、点々と世界じゅうに存在していることもたしかで、そのようなひとたちが、粘菌があつまるように合流して、いつの日か、ある地において天へ触手のように頭をもたげ、伸びていく――そのさきにはUFOの母船が来ていたりして。ただ悪魔教の残党も集結してとなりで触手を天へ伸ばしているのも忘れてはいけない(いけないのか?😅)。2本の触手は絡みあって同化したりして。人生アウフヘーベン止揚)ですよあなた(誰やねん😸)。

私はこのひとは、いわいる美文系の物書きのなかで、これまでの日本のトップ川端康成なども越えていると思う。ただまあ個人的ないろいろはあり、「マレー蘭印紀行」は日本美文の最高峰だが(?)、「ねむれ巴里(パリ)」は、とても明晰な意識は感じられ、それはそれで良く(たんなる消費者として読む場合)ただなんだか彼のフランスでの経験と私のが被るので、ダゲール通り33とか近くに住んでいたし、なんだか金もなしいいろいろなのでなんかわかる、という感じ。すごくわかる。

金子光晴はすごい。
頑張った。

ウクライナ問題についての問題

なんだかとても個人的な話になりますが、「ウクライナ」という「国」というかいろいろに関しては、わりと私は日本人の平均以上になんの因果か関わっているような気がするし、いわいるアシュケナージの妻もいたし、今回の戦争についても、その1年ぐらい前に翻訳者志望のウクライナの女性と翻訳サイトで知り合いになり毎日いまでもテレグラムで会話している。(ビデオ会話は化粧とかカメラの角度とかめんどくさいのでメッセージ中心になっている)。最初のころは私が結婚を申し込んだりいろいろごたごたしたが、だんだん不穏な空気になり彼女が徴兵されたりなどして、その収容場所に彼女は行かなかったり、法律が変わったり、占領されたり、まあそれで戦争ということになったという経緯がある。「ヨーロッパいち巨大な原子力発電所の不安」みたいなのも。ただいずれにしても彼女はまずは私の星占い友達であり、星占いの者(?)としてとてもスキルが高いと思われる(もちろん私視点である。ただ一般的にウクライナの女性は高学歴な人が多い。高学歴がスキルが高いというのはどうかとは思うけど)。まあとても能力が高いと思う。しかし瞬発的な占い(ホラリーとかタロットの小アルカナとかルーンとか)を好む女性的な傾向(?)があるので(たぶんたしかにある。私はそれに慣れなければならないけれども)、統計的な星占いを好む私とはわりと補完している。たぶん。

ただ、私は思ったことをそのままいう傾向があるので、ウクライナの人で戦下の人に「ウクライナ戦争は誤りで、私はロシアのほうが正しいと思う」とか言ってしまう。彼女がウクライナ人としての愛国心的にいろいろ言っても、「それはどうせ人工的な愛国心なのでしょ、1997年生まれでしょ」とか言ってしまう。彼女は怒るが、そのあとでも私はいろいろ言う。私は自分が何様と思っているのか、定かではない。

いろいろ考える人がいて、未来を予測しなければならない仕事のひともいる。ウクライナの「特殊軍事作戦」(😅)に関しては、私の意見は3-4年前から一貫しており、それゆえにウクライナ人の「カノジョ」的な人(私志望。彼女は結婚はしないが一緒に暮らしてみてもいいとは思うといっている。ちょっとみずがめ座つよしのフェム的ではある)の反感を買ってきたのだが、そんなひとにもウクライナとかロシアについての私の冷徹(?)な分析を言わざるを得ない私とは何様か(私が正確?であるとして)。ロシアは良い、頑張っている。ウクライナはもうだめです。それは初めからそうです。とか。原発は冷えているので別に心配しないでとか。
ただ、彼女がウクライナを脱出して日本に来るような、日本財団とかのいろいろな取り組みやなんかに依頼し接し、「こいつら本気でない」と感じたのも事実です(いろいろ言っている政治家とかも電話したし、いろいろした)。

私はいろいろと、イスラエル消滅に伴うウクライナにおける新たなエルサレム創出プランの存在とか、いろいろと彼女に話したが(これは何年か前からほんとうにあるようだ)、ただ、なんだか、いつも思うのだが、抽象的思考(抽象世界=イデア界みたいの)は速度が速く精密で全般的なのだが、これが下層(?)の物質界への伝播となると精度も欠き遅く完全ではなくなる。

まあ、いずれにしても私は女子アナとかのような人々は「万死に値する」とおもう。いろいろ大学に入り、放送研究会とかに入り、ミスコンに抵触して、つてとかで就職してアナウンサーになり野球選手を捕食して人生すごろくいっちょ上がりみたいな、マテリアリズムが過ぎるというような。そんなひとたちにいろいろ教授されたくはない。彼女たちは自分のしていることをわかってしているのだろうか。

「ヒマ→即ビール」問題についての考察みたいなもの

ここ数週間、暑い日が続いており、いろいろと見聞きしたすえに今年からはじめた(あるいは始めようとしている)自然農の、さいしょの畝立てもできず、また、仕事であるフランス語の翻訳校正の仕事も先週で途切れたので、ヒマである。ヒマなので、こうしてブログなるものを始めようと思った次第なのだが(なんの因果か読んでくださっている方、時間を取ってすいません😅)、基本的にブログではなくとも毎日備忘録的なものは書いていたので、それをアップしてみたという次第です。
アフィリエイト」だの物販につなげるなど、なんだかわりと欲深い世界のようなので勉強中で、ただあまり商売っ気はないようなので意欲や活力が落ちるかもしれず続けられるかは未定です。また、旧世代の人間なので、1行開けとかスマホ向けの短文化といった方法は、どうしようかと思案中で、もしかすると人間の集合意識の前進にともなう出来事かもしれないなどと思うこともあり(どの言語も時間とともに例外なくシンプル化していく傾向にあるようだ)、なかなか慣れない。時間の無駄はもちろんこちらの不手際で不快になった方は非常に申し訳ございません。

さて。

ヒマについてである。時間を持て余すとか、スケジュールが空白であるとか、そのような期間・状況についてである。これは(たぶん)人類を滅ぼすであろう重要な課題であって、結論からいえば、現生人類はこの壁をクリアすることはできないものと思われる。

ユヴァル・ノア・ハラリとかいう軽薄な(屑)が(一般市民からすれば)役に立たないヒマな人間はいないほうがいいし、いるとしたらとりあえずゲームと麻薬でヴァーチャルな世界で時間を過ごさせ、かつ子孫は残さないほうがいい、等なにかのインタビューか記事で言っていたのを読んだのを記憶しているが、たぶんそれに関してはその通りであり、私はゲームはしないものの、また麻薬はいまは日本在住である背景使えないしあまり使いたくないが(私はマリファナなどの感受性みたいのが高いらしく、いちどパリのメトロで「永遠のトンネル」みたいなのに遭ったことがある😅)、酒は飲む。けっこう飲む。あんまりヒマだと昼からビールを飲みたくなってくる。

また、ゲームについても、私の息子のひとりは登校せずいわいる「ニート&ひきこもり」状態なので、ただ、よくよく考えればソクラテスなどなんかもニートで、ひきこもりではないものの、メシを得る危機感がなければ、ニートとひきこもり(外出せず金もかからないし)は現社会では最適解ではあるのではないかなどと考えもする。

AI化がどうのこうの、人間の労働機会を奪うだの、いろいろ言う人がいるが、つまり、ヒマになる。といって、このような予測はなにも新しいものではなく、何十年前にも「オートメーション化」で労働時間は短くなる、これからは「レジャー」の時代だ、モーレツからビューティフルへ(古っ! 私はこのころは生まれていないが)など、社会変革みたいなのはあったけれども、けっきょくのところ、働く時間は短くもならず(なった人もいるのだろうけど)、一般大衆(イーロン・マスクではない私ももちろんそこに含まれる)の給料もあまり変わらずである(変わった人もいるのかもしれないけど。翻訳業界では単価が下がった人はいるが、上がった人など聞いたことはない)でありますので、「今回」も一緒だろうと斜に構える私であります。

このヒマ問題を痛感するようになったのは、最近義父がアルコール依存症のすえ死去したことである。(私のささやかな家族背景を手短にいえば、正確には元義父であり、元妻ともにフランス人で、子供は5人いるという現代では珍しい生殖状況です)その元義父が、わりと私もフランスに「孫見せ」のため長期滞在していた際は、とても話しやすく聡明で優しい人なのだが、亡くなってしまった。若いころから働いており、インテンシティが高い仕事だったので、年金がはじまるのも早く、50代半ばで「リトリート」したのだが(この語はフランス語では引退・年金生活を意味する)、あれよあれよというまに2、3年でアルコール中毒(ここはあえて中毒とする)となり、死去してしまったのだった。見つけたのは彼の息子で、台所で心肺停止で倒れていたそうである(ちなみに老人の熱中症による死亡は台所にひとりでいるときが多いらしい)。

私もたまに禁酒するほどのアルコール愛好者(笑)なのだが、義父の最期のころは、娘(元妻。なのだが今でもべつに険悪な関係なのではない。そうならなければならないという常識に私は反しているのかもしれない。彼女は7年ぐらい前にシチリア人に恋をしてフランスに帰った)最期のころは、娘を見てもだれかわからず、内臓もいわいるボロボロ状態だったらしい。これはアルコール中毒の後期の、なにかアンモニアみたいのが腸から血に入って脳が錯乱するみたいな症状らしい。私もかなり酒は飲むほうで、断酒の際は離脱症状のケアを自分でコントロールするすべを身につけたが(これについてはまた書こうと思う。備忘録的認知行動療法的思考整理。ただ現社会的にわりと有効な方法だと思う(?)、彼は数週間なり入院してなにをおいても強制的なアルコール抜きをするべきだったと思うのだが、元妻によれば「本人が入院を望まなかった」ということで、やはり、革命と権利の国フランスというべきか、悪い意味で。(ちなみに私にとってのフランスは、まったく「おフランス」ではなく、地獄である。フランスに行ったことのある人がなぜ「おフランス」なままでいる場合があるのかを私は知らない。たぶん華厳経とかの内容とかがかわっているのだろうか私にとっては謎である😅)。

さて。義父は、急にハードな仕事日常が終わり、年金生活となり、ヒマだったのであろう。そのちょっと前には、年金生活がはじまったら、バイクで旅行するとか(実際ハーレーを買った。しかしいちども旅行にはいかなかった)、模型作りや古い武器(マグナムやモーニングスターなども集めていたのは確かではある。私もいちど日本刀を贈った)の収集をするとか、いろいろ展望を語っていたのだが、ほぼそれらをせず、たぶん「ヒマに飲み込まれてアルコール中毒で亡くなった」のだ。
(この、「のだ」調にすると、私には仙台のヴァーチャルキャラの「ずんだもん」(素材・音声フリー!)の口調が思い出されるが、まあいいや)

といって、フランスは、酒のみにはやさしい国ではあり、昼酒はもちろん(大学の学食や病院でも提供していた)、飲酒運転の基準も日本よりだいぶゆるい(2024年の今はどうだか知らないが)。シャンパンとか泡のやつを、あるいはシードルなんかを、日曜の昼に子供たちも含め飲むというルーティーンもある家庭も多いように思う。8歳とかそこらの子供ですよ? アル中製造機としては高性能な国です。その点では私も居心地がよかったことはたしかです(なんだかヴィザのために美術大学とかに行っていた)。

ヒマなので、朝からビールやシードル、ワイン、風邪気味であればホットラム酒、私が義父に贈った日本酒、場合によっては生のウイスキーに小さな氷のかけらを入れたもの、など、フランスでは日本よりアルコールが身近なような気がする。あなたの肌のすぐそばに彼らはいます。「昼酒」(または朝酒)を心理的に拒否する集団的圧力みたいなのはあまり存在しない。元妻の実家はロワールの田舎であったので、そのせいかどうかはしらないが、けっこう朴訥っぽい隣人みたいのが気軽に家を訪れて、そのたびに酒で歓談みたいなこともまれではなかった。またその年のロワールの地酒(ミュスカデとかそういうの)なんかをいっぱしのテイスターじみた顔で試飲することもあった(「じみた」とか、意地の悪い言い方かもしれないが、悪意はなく、フランスではわりと食と酒とチーズとパンの地域性を小難しく愛している人が日本よりか多いように思う)。

いずれにしろ、酒は飲み過ぎてはいかんと思うし、それは体の状態に明白に出てくる。私は先月と先々月に禁酒をし(それには義父のことが深刻に私自身の危機意識としてあった)、でたまたま行ったクリニック(息子がその日は不安症状だった。私も。セルシンをもらった)で血液検査を勧められたが、驚いたことに私はすべて正常の範囲内だった。もっと、アル中らしいいっそ振り切れた数値がでてもおかしくないな(医者もそう予測していたとあとで言った)、でも禁酒もしたのでこれが今の俺のベストだ(笑)などどびくびくしていたのだが。「正常」だった。ガンマなんとかやすべて、範囲内におさまっていた。ちょっと「悪玉コレステロール」が高い、と言われたものの、私はもともと「悪玉」だとは思わないようにしている。

私はアル中なのかどうか、すくなくともよく言われる定義で、「毎日飲むかどうか」という指標は、それはまあほぼそうなのだけれども。ただ、断酒は何度もしており、ひとに強制されたわけではなく、なんとなくでもたしかに体がだるいと感じるとき、私はビビりなので、かつ普段は病院に懐疑的であり健康診断もしないので、死んでしまったら息子にめしを作れなくなる、彼の将来が明るく(?)なるまで見届けなければ、など壮絶な危機感を覚えるので、である。ただ、重度のアル中のよくいわれるような「カラフルなこびとが机の上で走り回っている」とかの離脱症状に伴う幻覚や、ましてやけいれんなどはない、たんなる甘っちょろいアルコール愛好依存症のレベルなのだろう、離脱症状としては、2日間ぐらい寝れず(アルコールと読書は睡眠薬的な役として機能している)、脂汗の寝汗、ちょっとの手の震えぐらいなものだ。そして私は前もってセルシンを飲んでおく。断酒初日は2ミリグラムを四、五時間おきに飲む。それを2,3日続ける。3日目ではあまりもう離脱症状はないが、ただ「後期離脱症状」というのがあるらしく、私は怖くビビりなので慎重に日を過ごすことにしている。この期間はできれば仕事をしないほうがいい。ちょっとした家事はあるが(私は息子のひとりと二人暮らしである)、その程度で安静にする。その後はべつだん「アルコールがどうしても欲しい」とは衝動がなく、わりとすっとアルコール抜きの生活を送ることができる。ただ、わりと自分のなかで四週間とか二か月とか期限を見据えているといい。あとpcでなんやかや見たり読んだりしていると、システマティックだったアルコールの杯がなく、手や口がさびしいというのはしつこくあります。ルイボスティーやその他のハーブティー、または庭のドクダミヨモギで作った自家製茶をのむことでこの寂しさを中和するようにしている。リンゴ酢を入れるのもいい。キックが出で、物足りない感が減る。これら方法は私の経験のすえに確立されたものだが、いまではシステマティックになりすぎていて、「どうせ禁酒は(その気になれば)いつでもできるだろ」と逆に妙な信頼感がでてきており、それはそれで好ましくないような気がする。

ただ以前、私(とこどもたち)は元妻とシチリア人の恋の「事件」(私たちにとっては。ただフランスでは中年にさしかかった年齢でよくある)でかなりハードランディングになり、あとになってわかったがパニック障害と鬱で離婚後、2年間あまりベッドからでれない時期があった(森田療法などいろいろ勉強した時期でもある)。パキシルやその他などの薬漬け+アルコール漬けで、とりあえずは生き延びることに努め(なんだかんだ言っても体は死にたくないので。大鍋で肉や野菜やなんやかやのスープを作っておいて、毎日すこしずつ食べるように強制した)、仕事も完遂することができず、そもそもメールを見ることも体が拒否するので、仕事(フリーランスの翻訳者、自宅事務所)の依頼も返信せず、仕事がなくなり、生活保護を受けたこともある(これを書くと読む人に私は殺されかねないが、事実であるので)。まあ、フリーランスは返信しなければかなり速やかに業界から忘れられるのは確かなので、なかなか今の状態に戻るのは苦労したし、なんとかかんとか仕事は戻ってきたものの、その期間で翻訳業界は驚くべき変化を遂げ(グーグルなどの翻訳はもちろん、独自のオンラインソフトでの翻訳や、翻訳ソフトで用語が被ると単価の引き下げ、中国などの新興勢力、snsのページを作らないと仕事の機会にであえないなど)いろいろと困難性はあったが、まあ元の位置には戻ることができた。良かった。これを読む人がいれば、たとえ一時期にせよ生活保護など断じていかん、●ね、などと思われると思うが、確かに、私もそれはすうっと理解するし、ただまあ生活保護があるこの社会にはとても感謝している。感謝して尽きることがない。(日本はこの生活保護のゼロか100かで極端だが、フランスの場合は0と100の間のグレースケールの援助の種類がすごくあり、半年働けばずっと失業保険みたいなのをもらったり、子供が多ければそれだけでいっぱしの給料並みの金が入るし、日本の生活保護の仏ヴァージョンのような金をわりとみんな気軽にもらっているし、ソーシャルワーカーも気軽に書類を記入するようである(だからといって日本人の日本における強い後ろめたさが相対化されるわけではないけれども)。また、家族・親族に金の余裕があれば出してもらうという強力な制度は私が知る限り(その必要性に迫られて調べた。私の家はバブルのとき破産した)日本だけであり、シンクタンクなどは欧州の事例に追随することが定番なので、日本でもそのうちなくなるのだろうとは思う(いまもあるようだが))。

バブルについていえば、私はそのころ10代と20代であったが、そして小学校までをある温泉地で過ごし、小学校のクラスには観光業や旅館のオーナーの息子・娘が多くいて、私もその一人だが、それら旅館ホテルは1軒の例外を除き街にある十何軒がすべてつぶれたか銀行に取られた。今の人にはわからないかもしれないが、当時は「連帯保証人」などという恐ろしいシステムが鋭意跳梁しており、自ら命を絶つ経営者もあった。私の家の知り合いでもいるし、私の父もその意思を私に言ったことがある(攻撃的に諭したが。私も若かった)。

あれは暑い夏だった。みんな死を思っていたように思う。たとえばあるホテルのオーナー家族であった元同級のH君は、ホテルが東京だか外国だかのグループに競売でたたき売り&爆買いされ、ある種の人質として経営陣の端っこに入れられた。そのときは、夏で、空は青く雲がなかった。罪びとのように坊主頭にしたH君は、半そでのワイシャツを着て、額にたまのような汗を浮かせていた。いずれにしろ、私の家も競売になり、審査員みたいのがづかづかと食事中に入ってきて写真などを撮っていくことになるのだが。なんだか今思えば日本じゅうが死期の入口にあり、みんなどんより暗い未来をひしひしと肌感でどっぷり感じていたように思える。どうしてだろう。まいにち心労し、絶望し、その意味ではまったく「ヒマ」であることが不可能であったことは確かだが。これが「ベーシックインカム」などという事態になると、人類総生活保護的な状況になると、ヒマ問題は間違いなく加速する。

たぶん、人類の未来として、ベーシックインカム的なものや、北欧的な手厚い社会保障的なやつや、労働の軽減のさきには、ヒマ問題があるが、しかも長寿化したらなおさらのことで、自分で命のスイッチを切るには、とうぜん死とは何かがわからないままなので、どうにもならない。とても困る。しかし、「神がいなければすべてが許される」みたいに、死が終わりであったらすべてが許されるだろうというのは確かだろうし、たとえば金に困ったら銀行強盗をして、追い詰められたら自分のこめかみを撃ち抜けばそれで済む話である。ただ、やはり「死後」という漠然とした継続とメタモルフォーゼを本能的にキャッチしているのか、べつにそのへんのひとがすべて銀行を襲うわけでもなく、うちの猫(野良猫出身)がトタン屋根の上の猫のようにとつぜん暴れ出すというわけでもない。ただ中年になり思うのは、あと酒による健康への悪影響にビビりながら思うのは、昔も今も、何千年前も現代も、わりと人は中年になりあちこち体にガタが出はじめると、それはつまるところ死の恐怖であり、そうなるとシステマティックにいろいろ宗教的な哲学的な観点で自分の状況を必死に考察し始め、あるいはそのようにケツを蹴られるようにして「なにか」の行動をしはじめるということである。若いときは無理が効くしそんなことはどうでもいいし、肉体的臨場感としての必然性がない。

私も統計的に自己を振り返ってみると、「あ、これは肝臓が脂肪肝で肥大しているのかな。ヤバ」というような違和感を感じた時は、まあこれでいいかもねという期限まで禁酒し、その期間はきまってお経をむさぼり読んだり(華厳経がなかなかいい。理趣経も興味深い😅)、またはナグハマディ文書を出ているのは読んだりする行動に出はじめる(この分野では、翻訳者とのひとりして、荒井献さんという方の貢献がとても大きいと感じる)。まるでおびえたマウスの行動を見下ろしているようだが、実際にそうで、おびえており、そうして昔から人類はなんかいろいろ杞憂してきて、親鸞さんなども、すげえ修行したのに煩悩とかなくならないムリ、他力本願的法然さんの話はすごい、とか、紆余曲折のすえ突如「自然農」「自然農法」を始めたり、場合によっては出家したり家の財産を全部寄付したりするような行動パターンのわだちを踏むようだ。とにかくいつの時代でも人は死ぬことにビビりまくっており、そろそろ何千年もそうやってきたのだから、いい加減そろそろ「死」とは何かわかってもいいでしょ、とは思う。でもなんやかやそれらしく説明されても信頼できない。だって誰もまだ死んだことがないのだから。

体験できない未知の領域である「死」と、そのあいだをつなぐ日常としてのヒマ。今は忙しくとも、未来に進むほどこの「ヒマ度」は濃くなっていくようだ。私は趣味などでその時々を楽しく過ごせている人々がうらやましい。とくに中年以降の女の人に多いようだ。ホテルのデザートビュッフェみたいなのにいるのは大概この女の人たちである。素晴らしいとおもう。この地球は女の人のためにあると本気で思う。新約聖書にある世界を継ぐ「柔和な人」とは中年の女の人なのだろう。私のようなおっさんはもちろん、女の人も四十を過ぎると婚活市場ではいきなりニーズがゼロになるが、それでも女の人は生き延びる。あるいは楽しく生き延びる人もいる。素晴らしい。うらやましく思う。

このヒマ問題における私なりの一時的な結論としては、ヒマ問題は解決できず、人類の宿命みたいなものであり、今後アルコール中毒は増えるだろうが、女の人は比較的いい。男もエストロゲンとかを注射したほうがいいのかもしれないが、最強なのは閉経後の女性であるので、それもどうか。老後のために趣味を持ったほうがいいよ、といろいろ直接的間接的に聞くが、そんなの急に持てるかよ、というのが真情であり現行の苦行(?)の元凶です。