天皇の起源とアミニズム (original) (raw)
はじめに
私たちほとんどの大和民族は、実際には天皇の子孫です。何故、天皇が特別視され、敬愛の対処となったのか。そして、元来天皇はどういった存在でしょうか 。その考察をブログに纏めました。
日本の歴史
歴史区分は以下のように分けるのが一般的です。
歴史区分
- 縄文時代 (前14000年頃~)
- 弥生時代 (前4世紀頃~)
- 古墳時代 (3世紀頃~)
- 飛鳥時代 (592年~)
- 奈良時代 (710年~)
- 平安時代 (794年~)
- 鎌倉時代 (1185年~)
- 室町時代 (1336年~)
- 安土桃山時代 (1573年~)
- 江戸時代 (1603年~)
- 明治時代 (1868年~)
- 大正時代 (1912年~)
- 昭和時代 (1926年~)
- 平成時代 (1989年~)
縄文時代が約1万年という長期にわたるのは、その時代が非常に古く、研究が難しいことに加え、日本列島が南北に細長く、亜寒帯から亜熱帯まで広がっているため、単一の時代像として捉えにくいためです。また、多様な生活様式や文化が共存していたことから、複数の解釈や説が生まれ、教科書などでの統一した扱いが難しくなっています。
当時の人口は2~26万人程度とされ、現在の1億2千万人の1/500~6000に相当します。人々が出会うことは稀で、特に集団で出会うことは非常に少なかったでしょう。また、当時は食料に困らず、移動生活が主流だったため、土地の所有意識や耕作地を巡る争いもなかったと考えられます。
この時代には多くの謎が残っており、憧れなど特別な感情を持てば実態を見誤ります。ファン心理では、「アバタも笑窪」に見えます。こういったゆがみがある事で、ホモサピエンスに今の繁栄があるかもしれません。
「鎌倉幕府成立
鎌倉幕府の成立が日本における封建制の始まりであり、天皇から武士の長である征夷大将軍へ実権が移り、歴史的な大転換点となりました。この鎌倉幕府の成立を仮に約800年前(およそ8世紀前)とした場合、1世紀に3世代の交代(平均33.3年で次世代が生まれる)と仮定して、計算を行うことができます。
この場合、各世代で親が2人いるとすると、先祖の人数は次のように求められます:
2^{3 \times 8} = 2^{24} = 16,777,216
つまり、約800年前の理論上の計算では、私たち一人ひとりの先祖は16,777,216人にのぼることになります。これは、各世代で先祖が重複なく存在するという理想的な仮定に基づいた数ですが、実際には同じ先祖が複数の経路でつながるため、この数よりも少なくなります。時代をさかのぼるごとに膨大な数の先祖が存在したことがわかります。もちろん、その中には天皇も、貧民も含まれます。
当時の日本の人口を600万人弱と仮定すると、先祖の数はその3倍にあたります。天皇制が2800年続いていると言われているため、ほとんどの日本列島の人々が天皇家と何らかの血縁関係を持つといえます。
さらに、ほとんどの研究者は、私たちホモサピエンスが1つの系統から派生していると考えており、生物全体が互いに血縁関係を持っていると言えます。
天皇とは
天皇は現在も宮中祭祀を執り行い、シャーマン的な役割を担っています。神道は明治時代に国家神道として体系化される以前、アニミズムとして「あらゆるものに神が宿る」と考え、「八百万の神々」を信仰の対象としていました。女性天皇も沢山いますが、月経は血を出すことで、死を連想させ、シャーマンに不向きとされ続かなかったと思います。だから、連続しなかったのでしょう。
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魏志倭人伝
『魏志倭人伝』には、以下のように卑弥呼の記述が残されています。「その国、本はまた男子を以って王と為す。住みて七、八十年、倭国は乱れ、相攻伐して年を歴る。すなはち、一女子を共に立て王と為す。名は卑弥呼といふ。鬼道に事へ、よく衆を惑はす。年、すでに長大にして、夫婿なし。男弟有りて国を治むるを佐く」と。これに基づき、卑弥呼は霊的な指導者としての役割を果たし、実際の政治権力を握っていたのは弟だったと考えられます。
倭国、すなわち邪馬台国を大和朝廷と同一視しない見解もありますが、この時代には誠二の権力と宗教(鬼道)が分離されていたわけです。6世紀に聖徳太子が政権を補佐した際にも、政治と宗教が役割を分担していた点に通じます。さらに、平安時代に実権を握った藤原氏の台頭により、天皇は儀礼的な役割へと移行していきました。政権で実権を持って治めている天皇はそう多くはありません。これらの歴史的事例から、天皇もまたシャーマン的な存在であったと捉えることができるでしょう。
また、現代のチベット仏教におけるダライ・ラマや、仏教を国教とするブータンにおけるジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とダルマ・ラージャの分離は、政教分離が維持されている一例です。これらは宗教的指導者が国家運営に関与しながらも、世俗の行政や政治と役割を分担し、共存している例と言えるでしょう。
また、ローマ法王もバチカン市国の指導者であり、キリスト教社会全体においては宗教的影響力を持ちながら、直接的な統治には関与していません。こうした事例は、政治と宗教の役割が分離されていても、宗教的権威が社会全体に大きな影響を与えることを示しています。
血統と宗教
明治政府は廃仏毀釈を推し進め、それまでの神道を国家神道として再編成しました。江戸時代には、キリスト教への対策として仏教寺院の檀家になることが義務付けられていましたが、その結果、仏教寺院は檀家を新たに獲得を獲得する必要が無くなり、葬式仏教が定着しました。仏教には多くの宗派が存在しますが、その内容を知る人は檀家でも少数です。
私たちはクリスマスを祝い、バレンタインデーにチョコレートを贈り、結婚式ではキリスト教の神父に誓い、葬儀や法事は仏教の僧侶に依頼し、正月には神社に参拝するなど、異なる宗教行事を多様に取り入れています。このような宗教の混在は、根底にアニミズム的な性質があるためと考えられます。
国家神道では、天皇の血筋が特別視され、日本の宗教的アイデンティティや国家の象徴としての役割を担っています。しかし、血統を重視する宗教は他にも多く存在します。ユダヤ教やイスラム教の一部派閥では、預言者や聖職者の血筋が宗教的権威として重要視されてきました。
アニミズムは宗教の原初的な形態で、自然や身の回りのものに霊魂や精霊が宿ると信じる信仰です。アニミズムは地域や血縁、土地との結びつきを重視し、その地での伝統や祖先との関係を大切にする傾向が強いとされています。
1. ユダヤ教
ユダヤ教は母系の血統が重要視されており、母親がユダヤ人である場合にその子どももユダヤ人と認められるのが一般的です。また、ユダ族やレビ族など、古代イスラエルの12部族に由来する家系も重要視されています。特に祭司職である「コーヘン」や「レビ」などの称号は血統によって引き継がれています。
2. イスラム教
イスラム教において、預言者ムハンマドの血統を受け継ぐ子孫(サイイド、シャリーフと呼ばれる)が特別視されることがあり、特にシーア派ではイマームと呼ばれる指導者がムハンマドの血統を持つことが条件とされています。この血統が宗教的権威や指導力の根拠とされることもあります。
3. ヒンドゥー教
ヒンドゥー教のカースト制度では、血統が階級を決定する重要な要素の一つです。バラモン(司祭階級)などの上位のカーストは、血統による純潔性を重視し、他の階級との婚姻を制限することで自らの地位を維持してきました。この血統は宗教儀礼の際にも重要視されることがあります。
4. ゾロアスター教
ゾロアスター教は古代ペルシャの宗教で、かつては血統の純潔性が重んじられ、他宗教との婚姻を禁止していました。現在でもゾロアスター教徒の一部では、血統の維持を重視する傾向が残っています。
これらの宗教では、血統が宗教上の権威や社会的地位に影響を与える要因とされることが多く、家系や出自が宗教的アイデンティティの一部として受け継がれてきました。
ノロ・ユタ
沖縄をはじめとする日本列島南西部の島々には、古くからノロやユタと呼ばれるシャーマンが存在し、地域の信仰や儀式を司ってきました。ノロは国家や共同体に関わる公的な祭祀を担当し、ユタは個人や民間の相談や儀礼を受け持つなど、役割が分担されています。
これらのシャーマンはもともと同一の役割を果たしていたと考えられますが、国家や共同体が成立するにつれて、公式行事を担うノロと私的な相談や祈願を行うユタへと役割が分化していったと推測されます。このような公私の分離は、政教の役割分担に伴って信仰の形も変容していった過程の一つと言えるでしょう。
ヤポネシアと大陸(朝鮮半島)との交易の基地は縄文時代と弥生時代とでは移り変わったと思います。縄文時代には出雲が、弥生時代には瀬戸内海や九州でした。
沖縄の「ユタ」と「ノロ」は、伝統的な宗教的役割を担う女性が多い神聖な職能者です。それぞれの役割や特徴には違いがありますが、沖縄の信仰や文化に深く根差しており、地域社会に大きな影響を与えています。