1784年 (original) (raw)
1784年(1784 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
他の紀年法
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凡例
分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
仏滅紀元 : 2326年 - 2327年
イスラム暦 : 1198年 - 1199年
ユダヤ暦 : 5544年 - 5545年
ユリウス暦 : 1783年12月21日 - 1784年12月20日
カレンダー
できごと
- 2月6日 (旧暦) - 福岡藩の藩校修猷館(東学問稽古所)開館。
- 2月23日 (旧暦) - 「漢委奴国王印」発見。
- 3月30日-5月10日 - イギリスで総選挙。小ピット内閣の与党が勝利。
- 8月23日 - アメリカ内の分離主義者が現在のテネシー州にてフランクリン国を建国しノースカロライナ邦からの独立を宣言。
- 甘棠館の創設。
- イマヌエル・カント、『純粋理性批判』第二版出版。
- イギリスでジョンスメドレーが創業。
誕生
- 1月1日(天明3年12月9日)- 毛利斉熙、第11代長州藩主(+ 1836年)
- 1月2日 - エルンスト1世、ザクセン=コーブルク=ゴータ公(+ 1844年)
- 1月28日 - 第4代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードン、イギリス首相(+ 1860年)
- 2月5日 - ウィリアム・テイラー・バリー、第10代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1835年)
- 4月5日 - ルイ・シュポーア、作曲家(+ 1859年)
- 6月8日 - アントナン・カレーム、フランス料理のシェフ(+ 1833年)
- 7月22日 - フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル、数学者・天文学者(+ 1846年)
- 7月27日(ユリウス暦7月16日) - デニス・ダヴィドフ、軍人(+ 1839年)
- 10月14日 - フェルナンド7世、スペイン王 (+ 1833年)
- 10月15日 - トマ・ロベール・ブジョー、フランス軍の将軍・アルジェリア総督(+ 1849年)
- 10月20日 - 第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル、イギリス首相(+ 1865年)
- 11月15日 - ジェローム・ボナパルト、ヴェストファーレン王(+ 1860年)
- 11月24日 - ザカリー・テイラー、第12代アメリカ合衆国大統領(+ 1850年)
- 月日不明 - 尾上菊五郎 (3代目)、歌舞伎役者(+ 1849年)
- 月日不明 - 関山仙太夫、囲碁棋士(+ 1859年)
死去
- 1月17日(天明3年12月25日) - 与謝蕪村、俳人(* 1716年)
- 5月20日(天明4年4月2日) - 田沼意知、江戸幕府元若年寄(* 1749年)
- 7月15日(天明4年5月28日) - 伊勢貞丈、旗本・有職故実研究家(* 1718年)
- 7月31日 - ドゥニ・ディドロ[1]、啓蒙思想家(* 1713年)
- 9月2日 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスコンティ、考古学者(* 1722年)
- 12月13日 - サミュエル・ジョンソン、文学者(* 1709年)