三菱重工業 (original) (raw)

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三菱重工業株式会社(みつびしじゅうこうぎょう、: _Mitsubishi Heavy Industries, Ltd._、略称MHI)は、東京都千代田区丸の内及び東京都港区に本社を置く、三菱グループ重工業メーカーである。

概要 種類, 機関設計 ...

三菱重工業株式会社Mitsubishi Heavy Industries, Ltd.

丸の内二重橋ビル
種類 株式会社
機関設計 監査等委員会設置会社[1]
市場情報 東証プライム 70111950年5月29日上場名証プレミア 70111950年8月29日上場福証 70111949年7月1日上場札証 70111950年6月1日上場
略称 三菱重工・三重・重工・MHI
本社所在地 日本の旗 日本100-8332東京都千代田区丸の内三丁目2番3号(丸の内二重橋ビル[注釈 1] 北緯35度40分39.7秒 東経139度45分42.5秒
設立 1950年(昭和25年)1月11日(中日本重工業株式会社)(創立:1884年明治17年)7月7日)
業種 機械
法人番号 8010401050387 ウィキデータを編集
事業内容 機械建設機械航空機船舶、防衛機器の製造・販売
代表者 泉澤清次代表取締役社長CEO)小澤壽人(代表取締役兼常務執行役員CFO)加口仁(代表取締役兼常務執行役員兼CSO兼ドメインCEO兼エナジードメイン長)
資本金 2,656億878万1,000円
発行済株式総数 3億3,736万4,781株(2024年3月31日現在)
売上高 連結:4兆6,571億4,700万円単独:1兆7,296億5,300万円(2024年3月期)
経常利益 連結:2,825億4,100万円単独:1,202億7,800万円(2024年3月期)
純利益 単独:1,530億7,100万円 (2024年3月期)
純資産 単独:1兆1,627億9,500万円 (2024年3月期)
総資産 連結:6兆2,562億5,900万円単独:3兆4,803億1,700万円(2024年3月期)
従業員数 連結:76,859人単独:21,634人(2023年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 15.6 %日本カストディ銀行(信託口) 5.0 %明治安田生命保険相互会社 2.3 %STATE STREET BANK WEST CLIENT - TREATY 505234 1.8 %三菱重工持株会 1.6 % THE BANK OF NEW YORK MELLON 140044 1.0 %(2023年3月31日現在)
主要子会社 MSJ資産管理 64.0 %三菱ロジスネクスト 64.6%三菱マヒンドラ農機 66.7 %プライメタルズ テクノロジーズ 65.7 %
関係する人物 岩崎弥之助 岩崎小弥太 三宅川百太郎(元常務) 郷古潔 玉井喬介 岡野保次郎 李家孝 櫻井俊記 荘田泰蔵(元副社長) 河野文彦 牧田與一郎 鈴木正雄(元副社長) 飯田庸太郎 増田信行 西岡喬 佃和夫 大宮英明(元代表取締役社長、現取締役相談役) 宮永俊一(元代表取締役社長、現取締役会長) 児玉敏雄(元代表取締役副社長) 小口正範(元代表取締役副社長執行役員CFO) ※ 出身著名人の節も参照
外部リンク www.mhi.com ウィキデータを編集
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三菱金曜会[2]及び三菱広報委員会[3]に属する[4][5]三菱UFJ銀行三菱商事とともに三菱グループ(旧三菱財閥)の「御三家」と呼ばれる[6]。また、川崎重工業(KHI)、IHI(旧・石川島播磨重工業)とともに日本の三大重工業の一角を成しており、事業内容・規模ともに首位である。日経平均株価及びTOPIX Large70の構成銘柄の一つ[7][8]

通称は「三菱重工」または「MHI[9]。三菱グループの源流企業である日本郵船(NYK LINE)の船の修繕・改修のために国が払い下げた長崎造船所長崎県長崎市)を発祥とする。現在では日本最大の技術開発メーカーであり[10]、事業領域は宇宙宇宙航空研究開発機構)と多岐にわたる[11]。総合的な社会インフラ事業を担っている。三菱電機三菱自動車などは、もともとは同社の一部門が独立して誕生した企業である。

主力製品は、船舶造船)、エネルギー関連機器、産業機械航空機ロケット兵器(防衛装備品)などである。ほかにも、鉄道車両リニア電気機関車・懸垂型モノレール新交通システムLRVなど)の製造、さらにエアコンや事業所向け大型冷凍機ターボチャージャーETCシステムの製造でも知られ、過去には「シルバーピジョン」というスクーターも製造していた。なお、エアコンや加湿器は三菱グループ内で三菱電機競合している[注釈 2]。ETC車載器も過去には競合していたが、部門を古野電気に譲渡したため[12]競合しなくなった。

明治時代以降、三菱グループ自体が政商として発展を遂げてきた歴史的経緯で、三菱重工業は伝統的に「三菱は国家なり」という意識を持っており、世界へ目を向けた一途な心情からの経営方針としている。三菱重工業の社長、会長を歴任した飯田庸太郎は「防衛産業で日本のお役に立てなければ、三菱が存在する意味はない。もって生まれた宿命と思っています。」と語っている[13]兵器製造の分野では防衛省への納入実績が第一位の企業であり、世界では21位、日本ではトップの製造開発企業とされ[14]戦闘機ヘリコプターイージス艦を含む護衛艦潜水艦戦車ミサイルなどの製造をしている。事実上、現在においても日本の国防を担っている存在である。

三菱財閥二代目の岩崎弥之助が創業する。1884年(明治17年)に工部省長崎造船局の工場施設を三菱財閥の源流企業である「郵便汽船三菱会社(現在の日本郵船)」が借り受け、長崎造船所として事業継承。1887年(明治20年)に施設一切を買い受ける。1917年(大正6年)に三菱合資会社から独立して三菱造船株式会社(初代、以下省略)となった。造船事業は同社の祖業である。

後に業務多角化に伴い三菱電機、三菱航空機(初代、以下省略)などを分社化するが、いずれも収支不振の連続から、経営合理化のために三菱財閥4代目岩崎小弥太が「造船」と「航空機」の合併を決断し、1934年4月に三菱造船を三菱重工業(初代)と改名すると、6月には三菱航空機を吸収合併した。

重工業」の語句は英文の「Heavy Industries」から小弥太が発案した造語であると語られている。戦前は日本の軍事力強化に伴い兵器(艦船、航空機)製造の中心として発展し、日本海軍超弩級戦艦武蔵の建造や零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を設計、製造するなどして軍艦建造トン数は10倍以上、戦車の製造台数は200倍以上、資本金は20倍以上に成長する。

1945年第二次世界大戦終結後、GHQ財閥解体および過度経済力集中排除法の適用により、1949年(昭和24年)6月4日持株会社整理委員会は三菱重工を三分割する決定を指令[15]1950年(昭和25年)、東日本重工業(後の三菱日本重工業)、中日本重工業(後の新三菱重工業)、西日本重工業(後の三菱造船(2代目))の3社に分割される。当初は3社が製品で棲み分けるも、線引きが曖昧になり製品群の重複が多数発生した。高度成長にあたり、3社の再統合を計画に際し「財閥の再来」など非難も挙がるも、他の三菱グループと協力しながら1964年に3社は再統合し(法手続上の存続会社は新三菱重工業)、社名を再び三菱重工業(2代目)にする。三菱グループは重化学工業関連企業が多く、高度経済成長期重厚長大産業が大きく発展する中で戦後に中核を担い、日本最大規模の重工業メーカーとして復興する。1970年には同社の自動車部門である三菱自動車工業2018年には再び造船部門である三菱造船が分離・独立した。

年表

「長崎鎔鉄所(1860年)」 三菱重工業株式会社社史編さん委員会『海に陸にそして宇宙へ : 続三菱重工業社史 1964-1989』三菱重工業株式会社、1990年

旧三菱重工業東京本社ビル(現:丸の内二丁目ビル)(2012年10月8日)
三菱重工爆破事件の舞台となった。

歴代社長

さらに見る 氏名, 在任期間 ...

氏名 在任期間
1代 藤井深造 1964年6月 - 1965年5月
2代 河野文彦 1965年5月 - 1969年 月
3代 牧田與一郎 1969年5月 - 1971年2月
4代 古賀繁一 1971年12月 - 1973年5月
5代 守屋学治 1973年5月 - 1977年6月
6代 金森政雄 1977年6月 - 1981年6月
7代 末永聡一郎 1981年6月 - 1985年6月
8代 飯田庸太郎 1985年 - 1989年
9代 相川賢太郎 1989年 - 1995年
10代 増田信行 1995年 - 1999年
11代 西岡喬 1999年 - 2003年
12代 佃和夫 2003年 - 2008年
13代 大宮英明 2008年 - 2013年
14代 宮永俊一 2013年 - 2019年
15代 泉澤清次 2019年 - 現職

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三菱重工横浜ビル(2011年10月2日)

本社および本社機能

本社機能は以下のとおり分散されている。

総合研究所

総合研究所は製造品目が多岐にわたるため、複数拠点に立地している[39]

事業所・工場

事業所および工場の一覧[40]は以下のとおり。
(括弧内は略称、太字は三大主力工場を示し、略称の続きに所在地に属する自治体を併記する)

東京ドーム13個分の広さがある)

事業ドメイン・セグメント

2023年1月1日現在の事業ドメイン・セグメントの一覧[41]

エナジー

プラント・インフラ

物流・冷熱・ドライブシステム

原子力

機械システム

防衛・宇宙

民間機

丸の内の旧本社ビルは文部科学省の仮庁舎となっていた。2016年(平成28年)現在は、丸の内地区の再開発事業に伴うテナントの仮移転先になっている。

社内には7つの事業ドメインとセグメント、12の主な生産拠点が存在する。

エナジードメイン

主に横浜製作所、高砂製作所、長崎造船所、日立工場、呉工場、三菱重工コンプレッサ(広島)、三菱重工マリンマシナリ(長崎)、三菱重工航空エンジン(名古屋、長崎)で生産を行う。なお火力発電事業は、2014年2月1日付で日立製作所との合弁会社「三菱日立パワーシステムズ」(後の「三菱パワー」)に移管、その後日立との合弁解消を経て2021年10月1日より三菱重工業本体に復した。なおブランド保持とグローバル契約窓口のため「三菱パワー」の商号・法人格ともに残している[42]

自然エネルギープラント

火力発電プラント

蒸気・ガスタービン

事業用大型ガスタービン

事業用中小型ガスタービン

事業用蒸気タービン

エンジン

産業機械

プラント・インフラドメイン

造船や交通システム、化学プラント、環境設備、製鉄機械事業を行う。主に長崎造船所、神戸造船所、下関造船所、横浜製作所、三原製作所で生産される。造船事業は2018年1月1日付で「三菱造船株式会社」(3代目)へ移管。 製鉄機械事業はプライメタルズテクノロジーズジャパンに。交通システム、化学プラント、環境設備は三菱重工エンジニアリングにそれぞれ移管している。

貨物船

旅客船

特殊船

その他

交通システム

化学プラント

製鉄機械

原子力セグメント

主に神戸造船所内と品川本社で設計開発、神戸造船所で生産、高砂製作所で生産や試験研究を行う。設計部門の技術者は、原子力・化学・機械・電気・建築・土木などの専攻を卒業したエンジニアで構成され、燃料・系統・電気・配置・機器・配管・建物などの設計を行う。

原子力プラント

機械システムセグメント

主に三菱重工機械システムが生産を行っている。

物流・運搬

試験装置

免振・制振設備

紙・印刷機械

防衛・宇宙セグメント

主に相模原製作所、名古屋航空宇宙システム製作所名古屋誘導推進システム製作所、神戸造船所、長崎造船所で生産を行っている。

宇宙機器

航空機

エンジン

誘導機器

特殊車両

自衛隊向け特殊車両

艦艇

民間機セグメント

主に名古屋航空宇宙システム製作所、神戸造船所、広島製作所、下関造船所で生産を行なっている。ボーイングやエアバス向けの航空機部品を生産している。また自社で開発の小型旅客機Mitsubishi SpaceJet(開発中止)の生産も行っていた。

物流・冷熱・ドライブシステムドメイン

エンジンとターボチャージャーを三菱重工エンジン&ターボチャージャー(相模原)、エアコン冷熱機器を三菱重工サーマルシステム(枇杷島、神戸)、フォークリフトや運搬機器を三菱ロジスネクストが生産している

エネルギー

船舶・海洋

物流・運搬

自動車関連

産業機械

エアコン・冷熱機器

家庭用ルームエアコン

「ビーバーエアコン」のブランド名で展開[47]

業務用エアコン

「セゾンエアコン」のブランド名で展開

車両用エアコン

ヒートポンプ製品

冷凍機

製紙機械事業

メッツォペーパーおよびその日本法人のメッツォペーパージャパン株式会社へ譲渡[48]

製鉄機械事業

建設機械事業

工作機械事業

工作機械、常温ウェーハ接合装置、精密切削工具、自動車部品は滋賀県栗東市の本工場で、パワートランスミッション製品は愛知県名古屋市の岩塚工場で生産されていた。また、航空機主翼を始めとして社内製品そのものの工作機械も手がけていた。うち、完全子会社であった三菱重工工作機械株式会社は、2021年2月5日付の契約において日本電産(現・ニデック)およびそのグループ会社に譲渡され、2021年8月の株式譲渡完了を待って「日本電産マシンツール株式会社」(現・ニデックマシンツール)となった[49][50]

日本国内

※全て株式会社である。

日本国外

元関連会社

これらの医療機関は、企業立病院であるが、三菱重工業関係者以外も利用可能である。

ダイヤモンド・プリンセス火災事故

内部告発と報復

F-2支援戦闘機墜落事故

偽装請負問題

情報漏洩

2011年9月

2011年9月19日に、読売新聞が朝刊の一面で、三菱重工の社内のシステムが広範囲にわたってコンピュータウイルスに感染していたことを報道し、同日16時過ぎに三菱重工はこれを認めるプレスリリースを発表した。感染は本社、工場、研究所等の国内11拠点のサーバ45台と職員のパソコン38台で、造船、防衛、航空宇宙、発電プラント、鉄道等の情報が狙われていた[58]。プレスリリースの翌日の9月20日にはIHI川崎重工も同様の被害を受けていたことを発表した[59]。その後の調査で、川崎重工のコンピューターは三菱重工のコンピューターと同じく、踏み台と見られる送信先(米国のウェブサイト)に情報を送信していたこと、日本航空宇宙工業会 (SJAC)のコンピュータを踏み台にして、SJACやその会員企業を名乗る送信者から「事前資料送付」と題された標的型攻撃メールを受信していたことが判明した[60][61]

2012年11月

2012年11月30日に三菱重工は、同月27日に名古屋航空宇宙システム製作所の宇宙関連業務に使うコンピューター4台が新型のウイルスの感染していたことが判明したことをプレスリリースで発表した。同30日には宇宙航空研究開発機構イプシロンロケットの情報が外部に漏洩した可能性があることを発表していた[62]

長崎造船所での塵肺問題

長崎造船所で1955年から2014年にかけ下請会社に雇用され勤務してきた元従業員ら(死亡した元従業員の遺族も含む)が、作業所で粉塵を吸入し塵肺になったとして、長崎地方裁判所に約6億3,400万円の損害賠償を求め訴訟を提起。2022年11月7日に同地裁は、原告のうち20人には請求を認めたものの、一部の原告に対しては、因果関係が認められないとして棄却。この判決に対し、原告からは「正社員と下請とを差別している」との批判が出ている[63]


注釈

  1. 単に「三菱パッケージエアコン」「三菱ルームエアコン」といった場合、通常は三菱電機の製品を指す。
  2. グローバル・グループマネジメントなどを担う部門を中心とした本社機能を移転。

出典

  1. 三菱金曜会”. 三菱グループホームページ. 2020年12月6日閲覧。
  2. 売上高ランキング”. 日本経済新聞 (2016年3月7日). 2016年3月11日閲覧。
  3. 沿革”. 三菱重工メカトロシステムズ株式会社. 2015年7月27日閲覧。
  4. 総合研究所”. 三菱重工業. 2023年1月7日閲覧。
  5. 沿革”. エム・エムブリッジ株式会社. 2022年1月18日閲覧。
  6. 世界の艦船』第802集、2014年8月、121頁。

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