南明 (original) (raw)
南明
明朝の地方政権
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南明(なんみん)は、明が首都の北京を失ったのち、明の皇族によって1644年から1662年までの間に華中、華南に立てられた地方政権の総称である。
南明の最大勢力圏(1644年11月)(英語)
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公用語 | 古代漢語 |
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首都 | 南京→紹興→福州→肇慶 |
皇帝 1644年 - 1645年 安宗 弘光帝 1646年 - 1662年昭宗 永暦帝 内閣首輔 1644年 - 1644年史可法 1651年 - 1652年沈宸荃 変遷 明の首都北京失陥、南京で南明成立 1644年6月19日 福州に遷都1646年8月18日 肇慶に遷都1646年12月24日 ビルマに亡命する1659年 崩壊1662年6月1日 | |
現在 | 中華人民共和国 中華民国(連江県、金門県) ミャンマー |
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南明
大明
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南明成立期の最大領域
1.台湾に拠った鄭成功の子孫が1683年まで抗戦を続け、明の命脈を保った。
2.南明に公式な国旗は存在しない。
概要
1644年3月に北京は順の李自成に陥落させられ、崇禎帝は万歳山で自殺した[1][2][3]。副都の南京の官僚は江南へ退避していた皇族の中から新帝擁立を試み、史可法ら東林派は朱常淓(中国語版)を、馬士英ら反東林派の官僚や盧九徳(中国語版)ら宦官は万暦帝の孫の福王朱由崧を推した。結局、史可法らが折れ、5月に朱由崧は南京へ入り即位した(弘光帝)[1][2]。
朝廷では誰を出鎮させるか議論となり、馬士英の推挙で史可法が兵部尚書兼武英殿大学士となり「督師輔臣之印」をもって出鎮した[1]。馬士英は自らの出鎮を望まず、史可法を朝廷から出すよう仕向けたものといわれており、その経緯は応廷吉『青燐屑』上巻に書かれている[1]。
政権では馬士英の推薦した阮大鋮が権勢を振い、復社の名士からの反発を招いた[4]。桐城を守備していた孫得勝や羅九武も危機感に乏しく人心を失っていた[4]。
1645年正月に清軍が李自成を打ち破って入関すると[1]、その勢いのまま江南に押し寄せた[4]。そして同年4月、清軍の侵攻を受けて南京が陥落し、弘光帝の政権は崩壊した。
1645年6月、魯王朱以海[2]が擁立され、監国と称して紹興に亡命政権が立てられた。同時に福州で鄭芝龍や黄道周らに擁立された唐王朱聿鍵が即位し(隆武帝)[2]、ここに南明は2つの政権が並立する状態となった。朱以海と隆武帝は正当性を巡って争ったが、1646年6月には紹興などが清軍に攻略され、朱以海は海上へ逃れて鄭成功(鄭芝龍の子)の元へ身を寄せた。これにより隆武帝が唯一の皇帝となるが、1646年8月に福州は清軍の侵攻を受け、隆武帝が捕らえられて政権は崩壊した[3]。その後、弟の朱聿𨮁が皇位を継ぐ(紹武帝)が、これも同年のうちに清軍に敗れて自殺した。
1646年10月、瞿式耜(中国語版)らに擁立された桂王朱由榔(弘光帝の従弟)が肇慶[2]で監国を称し、11月に即位して(永暦帝)政権が成立する。鄭成功や張煌言(中国語版)らは各地で抵抗し、一時は清を圧倒したが、永暦帝はビルマで呉三桂に捕らえられて[3][5]雲南へ連れられ、1661年に昆明で殺された[2]。一方、朱以海を保護する鄭成功は清への反攻の拠点を確保するために台湾へ進出し、1662年に政権を樹立したが、同年中に朱以海と鄭成功が病死して南明の滅亡は決定的となった。その後も鄭成功の子孫によって抵抗は続けられる[2]が、1683年に鄭克塽が清へ降伏し、復明の道は絶たれた。
皇帝
→「明朝の君主一覧」を参照
- 安宗弘光帝(朱由崧、在位1644年 - 1645年)万暦帝の孫。福王朱常洵の長男。
- 紹宗隆武帝(朱聿鍵、在位1645年 - 1646年)洪武帝の九世の孫(二十三男朱桱の子孫)。唐王。
- 紹武帝(朱聿𨮁、在位1646年)隆武帝の弟。唐王。
- 昭宗永暦帝(朱由榔、在位1646年 - 1661年)万暦帝の孫(桂王朱常瀛の四男)。永明王。
元号
出典
- [1]
辻原 明穂「明清交替期の督師幕府 : 揚州督師史可法幕府をもとに」『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要. 史学編』第10巻、京都女子大学、2011年3月31日、81-125頁。 - [2]
『南明』 - コトバンク - [3]
『明の時代(年表)』 - コトバンク - [4]
大谷 敏夫「<論説>戴名世断罪事件の政治的背景 : 戴名世・方苞の学との関連において」『史林』第61巻第4号、京都大学文学部 史学研究会、1978年7月1日、487-523頁。 - [5]
『明』 - コトバンク
関連項目
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