book235の日記 (original) (raw)

太郎への惨たらしい仕打ち

前回、太郎は多賀者に捕まってしまい、二重密偵になれとそそのかされていた。

今回は二重密偵になったことを隠して帰ってくるのかな、と思っていたら、自白剤のようなものを投与され、あまりにも惨い姿で連れられてきて、大変ショックを受けた。

無理やり飲まされたのか?自分の意思で飲んだのか?

ただ、気になる点もある。前回ラストの二重密偵になれというシーンと、どうにもつながりが悪い。これは描写が未熟だからではなく、あえて泰先生がミスリーディングしたのかなと考えている。タカは薩摩に太郎を救出させ、その後情報を提供させようというところまで計画しているのではないだろうか。

だけどきっと大丈夫

半次郎と食べたお饅頭の味、大久保一家と過ごした時間や、大久保の妻が準備してくれた襟巻の温かさが本物であることは太郎にはわかっているはず。きっと無事に戻ってくるはずだ。

泰三子:だんドーン第48話「その涙は思い出の味」より

太郎の姿は目を背けたくなるけれど

それにしても今回の太郎は、もう、お顔が…惨たらしい描写。辛いのだけれど、これも欠かせない描写の一つだと思っている。

泰先生は、だんドーンの2巻のコラム(15話の後のページ)で性暴力や子どもに対する性的な扱いは、「読者の目を楽しませるためのものとしては描写しない」と決めている、と記されている。

だんドーン(2) (モーニングコミックス)

このポリシーは暴力シーンでも同様のはず。きっと、切迫した情勢や多賀者の残酷さや狡猾さ、今後のストリーのために欠かせないものだ。どきどきしながら続きを待っている。

逃げられない島田

タカにボッコボコにされた跡も痛々しい島田、唯々諾々と太郎を抱えてタカに着いてきている。

島田は有能だし、手下からの信頼も厚い。(あと拷問も上手い。)

しかし、五色をいっぺんに失ってしまうし、太郎を連れて帰ってきてしまい、やりたくもないであろうに太郎を苦しめている。

有能なのだけどリーダーと意思疎通ができず、その場しのぎで部下を守るけれど、効を奏しない。このような姿に、私はDV被害者を重ねてしまう。このまま多賀者でいてもロクなことはないとわかっているのだろうけど、長年暴力に傷つき、学習性無力感のようなものや判断力の低下を抱えているのではないだろうか。飛躍している部分もあるけど、そのように捉えている。

スケベ忍者になるよと言っちゃう優しさが報われますように…

タカのモチベーション

タカは心身ともにボロボロだが、まだまだ謀略を巡らせそうである。戦は回避したい、社会の安定を維持したいという思いは重要な行動原理なのだろう。

同2巻第12話「雲なき明日へ」より

忍びの里に拾われて家族もいないタカ。悲惨な生い立ちと直弼との出会いが今の人格につながっているのだろう。

ちなみに、今回の「力に任せて暴力で解決を図るのは男性の悪いところよ」って台詞は面白かった。粛清前に排便させてあげる様子に、「女性ならではの気遣いってやつだ」とも言われたし。男性らしさ、女性らしさ、って言説のくだらなさへのよい皮肉になっている。

太郎周りが衝撃的すぎて書けなかったけど、爆発四散仕様たけり丸の再登場や突然の大谷吉嗣、福岡藩との茶番、ほっぺたがむにっとなっている作蔵など、今回も楽しいシーン満載だった。

本日の読売新聞ではデジタル教科書の導入について掲載されていた。文科省は活用拡大姿勢だが、以下のような懸念の声を紹介している。

(読者限定記事)

教科書「デジタルのみ」3% 英語授業 「紙と併用」88% : 読売新聞

教科書「デジタルのみ」3% 英語授業 「紙と併用」88% : 読売新聞

(無料版はこちらから)

教科書「デジタルのみ」3% 英語授業 「紙と併用」88% : 読売新聞

デジタル教科書を「主」にするのは賛成できない

上記記事でもコメントが紹介されている群馬大の柴田教授は、このように示されている。

先頭から逐次的に読むことが多い小説や論説文においては、紙で読んでもデジタル機器で読んでも読みのパフォーマンス (読みのスピードや理解度) に大きな違いは見られません。しかし、業務や研究の読みではデジタル機器に対する紙の優位性が顕著に示されることがわかってきました。こうした読みでは、複数の文書を並べたり、重ねたり、移動したり、ページをめくったり、テキストを指でなぞったりする行為が頻繁に行われます。現状のデジタル機器では文書操作の認知負荷が高く、思考に中断をもたらすことがあります。これが読みを阻害する要因になっているのです。

柴田 博仁 | 群馬大学情報学部

ここで紹介されているような「画面」の光が集中を妨げるというような研究結果も、普段の生活実感と合っている。

www.ricoh.co.jp

やっぱり、何か集中して勉強したり、読書して思考したりする時は紙の方が集中できる。検定試験の準備をする時は、必ず紙の書籍を購入している。スマホタブレットの画面だと、自分が目にする情報が右から左へスーッと流れていく気がするのだ。記録やデータの整理はデジタルが圧倒的に便利だが、何かを振り返って、「この時どう感じていた?」「次はどうする?」と思考するときは紙や手帳に考えや経験を書きなぐる方がずっとアイデアが浮かんでくる。

現在の科学で明らかになっていることが全てではないが、デジタル偏重で学力が低下してしまった後ではもう遅い。現時点ではデジタル教科書の使用割合を大幅に増やすことには慎重であるべきだ。

小学校低学年の息子はというと

小学校低学年の息子がいるが、授業や宿題では普通にタブレットが活用されている。夏休みには鍵盤ハーモニカを練習したり、家事の手伝ったりする様子を録画して提出するという宿題があり、本人も意欲的に取り組んでいた。体育ではダンスのお手本を録画したものが送られてきて、繰り返しながら練習できる。

デジタルならではの学びに活用されていると思うが、それでも学習の中心は紙のドリルで問題を解いたり、読解文を読み込んだりというものだ。

傍から見ていると、デジタルと紙の割合は5:95くらいが適切なのではないかなと感じる。

予算の論理に引きずられずに、子どもの将来を重視して

報道からは、文科省財務省も、GIGAスクール構想で大金はたいちゃったし、デジタル教科書活用しないと格好がつかない、と前のめりになっているのではないかと推察する。それでも、投じた予算があまり効果がなかったとう批判を甘受しながら、子どもたちの将来の学力低下のリスクという取り返しのつかない結果を招かないよう、立ち止まって考えなおさないといけない。

低学年男子への性教育事情

うちの小2長男は、どこのご家庭でもそうであるように、しょっちゅうチンチンだとかオッパイだとか連呼して喜んでいる。その都度、周りの人が嫌な気分になるから止めようね、と諭す毎日だ。
今の子育て世代向けには、わりと性教育の情報やコツは周知されてて、幼児期から自分のプライベートゾーンを大切にしよう、他人のプライベートゾーンは勝手に見たり触ったりしてはいけない、ということを教えている人が多い。うちも何度も何度も言ってきた結果、プライベートゾーンは大事だよね!ということは十分理解してくれている。

www.nhk.or.jp

突然やってくる街中のオッパイ

ある日の外出時、「おかーさん!あれオッパイ描いてあるよ〜!」とこっそり私に伝えてきた。みると何かの美術展のポスターで、アヴィニョンの娘たちみたいな、大人から見ると普通の絵画だ。

ims-create.co.jp

またある日、公園に設置されていた上半身裸の女性の銅像に、あれはいいの…?と疑問をぶつけてきた。
こういった芸術作品と、公共の場所で展示すべきではないポルノとは、一応法的には区別されている。
「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反しない」ということらしいが、そういうふうに説明できればどんなに楽だろうか。
何とか低学年男子に理解できるように「君はあれを見てエッチで恥ずかしいな〜とは思わないよね?絵って何百年も昔から沢山描かれているけど、普段隠れているところを描くことで、飾らない本当の人間の姿を表現できる、ってお約束があるんだよ。見る人に伝わるよう一生懸命作ったものは、エッチで恥ずかしい感じはしないんだよ。そうじゃないエッチな絵は、街中に飾ったり、見たくないない人に無理矢理見せたらダメだよね。」というようなことを何とか説明した。そうだねえと納得した様子だった。

疑問は尽きない

しかし息子の疑問は尽きない。「でもさあ、女の人のおまたは絵にしちゃダメなんだよねえ…?」うーーん、これはどうなんだろう?女性器の絵はわいせつ物頒布罪とかの観点から、100%ダメとも言い切れるだけの知識がない。
とりあえず自分の知識の範囲内で説明しようと、スマホダヴィデ像の画像を検索し、「これはおちんちんがついてるけど、有名な芸術作品だよ。悪者に立ち向かう若者の純粋さとかを表しているんじゃないかな。おちんちんやおまたの絵って普通はダメだけど、こういう風にオッケーな時もあるかもしれないね。」と結論づけ、ここで話は終わった。

性教育に困らないだけの情報はそろっている

赤ちゃんはどうして生まれるの?という疑問にどう答えるのかというのは定番の悩みだが、今どきはどう対応するのが望ましいかという情報は豊富なように思う。性的なことを聞かれても、露骨に嫌な顔をしない、科学的なことを成長段階に合わせて淡々と伝える、というのは大抵の専門家が言っていることだが、とても参考になっている。

一方で、命が生まれるって素晴らしいことなんだよ~!感動なんだよ~!という価値観をくっつけて説明するのは良くない、という人もいて、何か納得。上手く言語化できないけど、セットになると何だか心地悪い。

この本は読んでみたけど、納得のいく説明ばかりでおすすめ。

おうち性教育はじめます 一番やさしい!防犯・SEX・命の伝え方 (コミックエッセイ)

やっぱり自分と他人の人格尊重がゴールだと思う

生活していると、性的な情報が目に入ることはいくらでもある。大事なことは、性的な情報をむやみに遠ざけることではない。普段の人付き合いでは露骨な性的表現はしないというマナーを身に着けたり、相手の意志と人格を尊重しない性的行動は許されないこと、性的対象としての側面のみが強調された女の子のイラストは現実ではなく、現実の女の子は意思も人格も独立した尊重されるべき存在だ…というようなことを中学校卒業までには叩き込まないといけないと考えている。道は遠いなあ…と感じつつ、鬼滅の刃甘露寺蜜璃ちゃんの登場シーンをちょっと嬉しそうに眺めている息子の姿に少し困ってしまう夏休みだった。

伊牟田を捕縛した小松。かつて邂逅した薩摩藩家老の調所広郷を回想しながら暗い目でこの先を思う。該当話はこちらから。

小松から見た家老像、重すぎ…

小松視点の今回、とてもいい。調所広郷って、歴史に詳しくない自分にとっては「なんか薩摩藩のあくどい家老」くらいのイメージだったけど、本音が見えない様子が怖い。

少年時代の小松は調所の死に様に、国家運営の責任を負うってこういうことなんだと思い知ったんだろう。その後、どうせ早死にするし、上手にバランスとって生きていければいいやと過ごしていたが、西郷たちとの出会いでギンギンにキマってしまった。

泰三子「だんドーン(2)」第11話:早世の名宰相 より

←もうサブタイトルがネタバレなのが悲しい…

そうして調所の末路を思いながらも、それでも藩の重役として全てを飲み込んで仕事続けていくのがすごいな。

小松を支えるものは何なのか

小松といえばいつも張り付いたような笑顔である。

泰三子「だんドーン」第40話「薩摩を癒す湯の花」より

何だか国語の問題が作れそう。

小松がニコニコしている理由を答えなさい→①ヒュースケン暗殺に伊牟田が関わっていなくて安心した/②暗殺の真相を知らない久光を馬鹿にしている/③薩摩藩は何も知らないことにするのが一番良いので久光に悟られまいとするが、伊牟田がとっても心配なので心からの笑顔は作れない、みたいな…

ニコニコ笑顔なんだけど、誰が読んでも、本心から笑っているのではない、というのがわかるのが泰先生やスタッフさん、担当編集さんの巧みな作品作りゆえ。

唯一心を許せる伊牟田も薩摩を離れており、小松がとっても心配になる。しかしながら、小松自身が川路に言ったように、田舎で静かに暮らすのではなく、苦しい重役道を続けている。動乱の中にあって、生を実感できるというワクワク感だけではなくて、薩摩という大藩の名門に生まれて、なんとか藩や暴発しそうになる藩士を制御しながら時勢を乗り切る才能を持っている責任感があるのかな。

そのうえで、脱藩脱藩!と熱くなるのではなく、傍から見ると不気味なくらい落ち着いているキャラとして立ち回るのが物語に深みを与えている。そうして最後のモノローグにつながっていくのがとても良い。

ハコヅメのカナに通じる深み

今回は小松視点でじっくり考えさせられたが、ハコヅメでも特定キャラ視点のストーリーは読みごたえがある。

カナ視点で描かれた、DV被害を装って警察を利用する母親が登場する回を読み返してみた。

泰三子「ハコヅメ(16)」その137「怒メスティックな彼女」より

まだ幼い川合や男心検定8級の聖子ちゃんとは違い、人の内面に敏感なカナは、仕事を通じて出会う人の汚さに、警察官なんてクソ稼業だと感じる。それでも仕事を続け、この回では人を疑いの目で見ることができたおかげで、ネグレクトされている子どもを保護できた。

こういう角度から描くことで話がもっともっと面白くなっているのは、だんドーンでの小松の存在と共通している。

がんばれ小松

象徴的に登場する飴を見るにつけ、小松の苦しさに気の毒になりつつ、アンボックスの最後でカナが見せたような心からの笑顔になれる日を願ってやまない。

金塊運搬の旅、今回は阿蘇へ。伊牟田は薩摩に戻り、小松に捕縛される。読み返してみると笑えるシーンの連発で最高だった。

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お米代の宅配道中が続いている。現代の熊本県を舞台に、川路と半次郎の雰囲気を良くしようとする太郎を困らせながらも、友情が育まれていく。

熊本県を襲った現代の災害にも思いを馳せる

人吉と熊本城といえば、令和2年7月豪雨災害と平成28年熊本地震を真っ先に思い出す。作中で桃源郷のようだと形容され、城の美しさが称えられる。甚大な被害を受けた熊本県や地元の人たちを思うと、忘れてはいけないなと感じる。これを機に復興特集サイトなど見てみたが、復興事業は地道に続けられているようで、尽力されている方々に頭が下がる。

また、登場する永国寺や熊本城は西南戦争でも戦闘の舞台となったそうだ。災害の記憶と相まって、その悲惨さを想像せずにはいられない。この物語の最終段階では、そこに生きている民衆の痛みもリアルに描写されるのだろう。

旅先での出来事が川路の人物像と綺麗にリンクする

幽霊の似顔絵に学ぶ

幽霊寺のエピソードに「どんな相手ともしっかり向き合う」ことを心に刻んで、半次郎に自分と同じ部分を見出す川路。似ているところを発見すると好感度上がるよね。

後の世の警察官も人と向き合うことの大切さを体現してたよね。

泰三子【ハコヅメ】第5巻:その39「世紀の小芝居」より

例の角刈りアルコール依存女性を保護するための茶番だったけどね。(ここは面白エピソードではあるんだろうけど、この女性も色んな生きづらさを抱えているであろうと思える。アルコール依存で、しょっちゅう警察のお世話になってて…だからといって福祉行政では解決しきれないのだろう。)

石垣に民衆を思う川路

熊本城では、石垣から築城当時の人々を想像する川路の姿に、半次郎が「へえ、面白れー男」となっている。

土地の紹介も2人の友情描写もお見事

土地のエピソードが脱線じゃなくて、話の本筋に効いていてすごいなーと思った。

愉快な日常にこの先の悲劇への布石

一貫して描写されている一人一人の民衆を守ることの尊さ。きっと西南戦争で西郷や半次郎と対峙する川路を支える信念を形作っていくのだろう。この二週、他にもかわいいタノ助タノ子、有馬先生の気持ち、行動力ありすぎ河上さんなど見所いっぱいだった。

今回のお使いはお米代の支払い。怪しまれないように「田の神さぁ」に偽装するが、その神のお姿はあまりにも神々しく…すっかりレギュラー化した太郎くん、惜しみなくツッコミ役の才能を発揮してくれていた…!

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