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民部大輔

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関連ブログ

🪻源氏物語&古典blog 和歌&漢文🪻1年前

心から 常世《とこよ》を捨てて 鳴く雁を 雲のよそにも 思ひけるかな〜中秋の十五夜 源氏の君を囲んで過ごす。惟光の歌🌖心から 常世《とこよ》を捨てて 鳴く雁を 雲のよそにも 思ひけるかな 中秋の十五夜 源氏の君を囲んで過ごす。惟光の歌🌖 〜自分から故郷である常世を捨てて 旅の空に鳴いて行く雁を ひとごとのように思っていたことよ。 【第12帖 須磨 すま】 初雁《はつかり》は 恋しき人の つらなれや 旅の空飛ぶ声の悲しき と源氏が言う。 良清《よしきよ》、 かきつらね 昔のことぞ 思ほゆる 雁はそのよの友ならねども 民部大輔《みんぶたゆう》惟光《これみつ》、 心から 常世《とこよ》を捨てて 鳴く雁を 雲のよそにも 思ひけるかな 前右近丞《ぜんうこんのじょう》が、 「常世《とこよ》出《い》でて 旅の空なる かりが…

#民部大輔#惟光#良清#右近丞#心からとこよを捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな

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日本中近世史史料講読で可をとろう25日前

天正18年1月8日龍造寺高房宛豊臣秀吉知行割目録写肥前国龍造寺藤八郎*1知行割之事 但田畠七千八百拾弐町弐段 一、八万七千石 佐嘉郡*2 但田畠四千弐百四十五町八反 一、四万七千弐百石 小城郡 合拾三万四千弐百石内 三万石 藤八郎京のまかない*3 五千石 民部大輔いんきよ分*4 壱万千弐百石 佐嘉にてのたい所*5入 八万石 馬廻*6ニわりわたすへき分 已上 但田畠二千二百廿八町壱反 一、弐万四千五百四拾六石 三根郡 (中略・・・下表を参照) 都合三拾万九千九百弐斛*7 右小給人所付*8わり付候てわけ可申、銘〻ニ御朱印被下候也、 天正十八年正月八日*9 御朱印有 龍造寺藤八郎とのへ (四、2913号) (書き下し文) 肥前国龍造寺藤八郎知行割の…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸1ヶ月前

【10分で聴く源氏物語 第18帖 松風1〈まつかぜ〉】入道夫人の祖父の中務卿親王の別荘が、嵯峨の大井川の側にあった。入道は、明石の上と姫君の住まいにしようと手入れをする by 🐱🍁【源氏物語577 第18帖 松風1】東の院が落成したので 花散里をはじめ夫人達を源氏は移らせた。中央の寝殿は源氏が休憩したり客を招いたりした。 〜東の院が美々しく落成したので、 花散里《はなちるさと》といわれていた夫人を源氏は移らせた。 西の対から渡殿《わたどの》へかけてをその居所に取って、 事務の扱い所、家司《けいし》の詰め所なども備わった、 源氏の夫人の一人としての体面を 損じないような住居《すまい》にしてあった。 東の対には明石の人を置こうと源氏はかねてから思っていた。 北の対をばことに広く立てて、 かりにも源氏が愛人と見て、 将来のことまでも約束してある人たちのすべてを そこへ集めて…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸1ヶ月前

【10分で聴く源氏物語 第18帖 松風1〈まつかぜ〉】入道夫人の祖父の中務卿親王の別荘が、嵯峨の大井川の側にあった。入道は、明石の上と姫君の住まいにしようと手入れをする by 🐱🍁【源氏物語577 第18帖 松風1】東の院が落成したので 花散里をはじめ夫人達を源氏は移らせた。中央の寝殿は源氏が休憩したり客を招いたりした。 〜東の院が美々しく落成したので、 花散里《はなちるさと》といわれていた夫人を源氏は移らせた。 西の対から渡殿《わたどの》へかけてをその居所に取って、 事務の扱い所、家司《けいし》の詰め所なども備わった、 源氏の夫人の一人としての体面を 損じないような住居《すまい》にしてあった。 東の対には明石の人を置こうと源氏はかねてから思っていた。 北の対をばことに広く立てて、 かりにも源氏が愛人と見て、 将来のことまでも約束してある人たちのすべてを そこへ集めて…

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸1ヶ月前

【10分で聴く源氏物語 第12帖 須磨10】「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく…」大津市の石山寺、美しい月を見て源氏物語の着想を得たとか🌕 石山寺は季節それぞれの花が綺麗 by🐱🌊【源氏物語313 第12帖 須磨47】源氏は、昼間は、皆と一緒に冗談を言ったり、いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、珍しい支那の綾などに絵を描いたりした。 〜自分一人のために、 親兄弟も愛人もあって離れがたい故郷に別れて漂泊の人に 彼らはなっているのであると思うと、 自分の深い物思いに落ちたりしていることは、 その上彼らを心細がらせることであろうと源氏は思って、 昼間は皆といっしょに戯談《じょうだん》を言って 旅愁を紛らそうとしたり、 いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、 珍しい支那《しな》の綾《あや》などに絵を描いたりした。 その絵を屏風に貼らせてみると非常におもしろかった。 源氏は京…

戦国日本の津々浦々 ライト版1ヶ月前

安来 やすぎ出雲中海南岸の港町。現在の島根県安来市安来町。出雲国の東端、伯耆への玄関口に位置し、中海を通じて日本海水運にも繋がることから、中世、水陸交通の要衝として栄えた。 隠岐との繋がり 朝鮮人集落 富田の外港 出雲の物資積出港 戦国期の安来町 関連人物 参考文献 隠岐との繋がり 「安来津」の史料上の初見である『増鏡』の記事によれば、隠岐に配流される後醍醐天皇が播磨・美作から北上して米子に出た後、安来津から船に乗って隠岐に渡っている。これは当時の山陽と山陰とを結ぶ主要なルートとみられ、安来が水陸の交通の要衝にあったことが分かる。 『増鏡』の記事にもあるように、安来と隠岐とは密接な関係にあった。文明七年(…

仮想空間2ヶ月前

源氏物語(十八)松風読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567576 1 松風 2 ひんがしの院つくりたてゝ花ちるさとゝ聞えし うつろはし給。西のたいわたどのなどかけて。まど ころげいしなど有べきさまにしをかせ給ふ。京の たいはあかしの御かたとおぼしをきてたり。北の たいはことにひろくつくらせ給て。かりにても哀 とおぼして。ゆく末かけてちぎりたのめ給し人々 つどひすむべきさまに。へたて/\しつらはせ 給へるしも。なつかしう見所ありてこまか なり。寝殿はふたげ給はず時々わたり給ふ御 やすみ所にして。さるかたなる御しつらひども しをかせ給へり。あかしには御せうそこたえず 3 今はなをのぼり給…

179(擁護派)のモノ置き場5ヶ月前

「二階合戦」の虚実と畠山兄弟の争いまたしてもブログを始めた時点ではこんなに触れることになるとは思わなかった石垣長経周りの話。 戦国期の畠山氏と紀伊の関わりはまだまだ不明な部分が多い。近年、新谷和之氏が天文以降の紀伊での戦闘、かつ湯河氏と畠山氏の連携の可能性を指摘しているが*1、それを踏まえた上で今回注目したのが、『金屋町誌』が記す「二階合戦」という戦いである*2。 「二階合戦」の典拠 畠山兄弟の争いと賀茂氏 賀茂氏の動向と畠山稙長の大野攻め 湯河「直春」・宮崎「直定」の動向 その他の紀伊の合戦 没落する長経 まとめ 「二階合戦」の典拠 『金屋町誌』の該当部分の記述は以下の通りである。「その頃二階城には神保彦九郎茂政の弟長治がい…

リストリー・ノーツ9ヶ月前

【CK3】江戸城の主・転 道灌超ゆる者・太田資房(1496-1534)文明十一年(1479年)。 すでに管領・細川勝元らの反乱や、側近・伊勢貞親の裏切りもあり、その権威を大きく失墜していた室町幕府は、越後上杉家当主・上杉顕定が中心となった大規模な反乱により、その命脈を実質的に絶たれる事態に陥っていた。 天下はこれを統率する主君を失い、「戦国時代」に突入。 大義も名分もなく、力ある者が覇権を握る混沌の時代の中で、日ノ本の各地では少しずつ頭角を現す諸勢力が形成されつつあった。 そんな折、中央同様に長きにわたる闘争と混乱に明け暮れていた関東では、元の主君・上杉氏を打倒し下剋上を実現した太田道真・道灌父子が台頭していた。 新勢力の登場に対し、旧勢力の代表たる越後上杉家は…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語580 第18帖 松風4】大堰の別荘の預かり人は、自身の物のようにしている田地などを回収されないかと危うがって、権利を主張する。「もう長い間持ち主がおいでにならない別荘になって、 ひどく荒れたものですから、 私たちは下屋《しもや》のほうに住んでおりますが、 しかし今年の春ごろから内大臣さんが 近くへ御堂《みどう》の普請をお始めになりまして、 あすこはもう人がたくさん来る所になっておりますよ、 たいした御堂ができるのですから、 工事に使われている人数だけでも どんなに大きいかしれません。 静かなお住居《すまい》がよろしいのなら あすこはだめかもしれません」 「いや、それは構わないのだ。 というのは内大臣家にも関係のあることで そこへ行こうとしているのだからね。 家の中の設備などは追い追いこちらからさせるが、 まず急いで大…