ブリティッシュ・パテの古いオーケストラ映像から(その三:1950年代——「動く」ミルドレッド・ミラーなど) (original) (raw)
下記続き、前回は三十年代四十年代をひとまとめにしたく長くなり過ぎ…戦前の映像は残っているだけでもの珍しかったが、このあたりになってくると演奏シーンが短すぎてもの足りなかったり。
なお、(同タイトルで)YouTube にあったものはそちらを埋め込みでリンクした。再生最後の方で映像にリンクが被さるのが邪魔だったりしますが。ただし拡大表示すると本家よりずっと鮮明。サーバー容量に直結しますからね YouTube とパテ新旧メディアの差を感じたりしないでもないが、パテのサイトとしては映像貸し出し用のサンプルとして、あるていど意図的にということもある(?)。[追記:左記サイト・リニューアルにより訂正]
また、オーケストラの配置に触れているがザッと見ただけで(とくに古い動画はかんじんのヴァイオリンとヴィオラが識別し辛い)、各パート演奏箇所を楽譜に照合して楽器をかくにんする等おこなっておらず適当であります(なおヴァイオリンをしもて側に集めるのを「ストコフスキー配置」としている)。
Toscanini On Ski Lift (1950)
「その一」で紹介した映像、マエストロとゆかいな仲間たち(?)。「仕方ない、少々稽古つけてやるか」→リラックスした名演である?(笑)。
The Blue Danube By Johann Strauss (1950)
フェルディナント・グロスマン指揮
男声合唱団入り『青きドナウ』。タイトル・シーケンスに「指揮および合唱指揮 ウィーン国立歌劇場のフェルディナント・グロスマン教授」とある。大合唱団に比べてすし詰め状態の小プルトだが、チェロ中央/コントラバス右(かみ手)後ろでヴィオラ右翼か。
Edinburgh Festival 1951
エジンバラ音楽祭。41秒、ニューヨーク・フィルの演奏会告知ポスターが映る。指揮者はワルターとミトロプーロス。曲目やソリストは見えないが、その後、サムネになっているマイラ・ヘスや、レオン・グーセンス(オーボエ)、イダ・ヘンデルの練習シーンならびに楽譜をさらっているボールトが登場(いかにも英国紳士然とした佇まいではある)。ハレ管やロンドン・フィルも出演とナレーション。オーケストラは演奏前(?)のシーン数秒——遠景でよくわからないが指揮者が頭のかんじからボールト?(苦笑)、であれば、ロンドン・フィル?——チェロ右より/コントラバス右後列のストコフスキー配置か。
続いてグラインドボーン・オペラの公演の告知。ヴェルディ『運命の力』とモーツァルト『フィガロの結婚』、指揮はフリッツ・ブッシュ。若きミルドレッド・ミラーがメークしながら唄う(with オーウェン・ブラニガン)。ワルターのステレオ盤『大地の歌』、同じ英語話者でもフェリアーに「クセが強」くかんじる向きには——当方もそのひとり——人気ですね、劣らぬ美女でもある。権利関係等存じませんが、ここは(ヘスにはあれですが)なぜサムネに使わないのか(笑)。
Festival In Edinburgh (1953)
エイドリアン・ボールト指揮ナショナル・ユース・オーケストラ
二年後のエジンバラ音楽祭。カラー。(3分37秒、サインに応じるマティウィルダ・ドブス。リチャード・バートンと前年チャップリン『ライムライト』が公開されたクレア・ブルームが連れ立って現れる。続いて)ジークフリートの角笛を奏するデニス・ブレインが登場。6分37秒、グラインドボーン・オペラのロッシーニ『オリー伯爵』のプログラム、指揮ヴィットリオ・グイ。サーリ・バルバシュの舞台リハが続く *1 。
8分14秒からボールト指揮ナショナル・ユース・オーケストラ、チェロ右翼のストコフスキー配置。10分15秒、エジンバラ国際フェスのパンフレットを開くと(バレエにはまったく疎いが)マーゴ・フォンテインの写真、ストラヴィンスキー『火の鳥』の迫力ある舞台に続く。
下記は同年の別映像。モノクロ、音声なし。演奏会の告知を収録、2分4秒から。BBC 響、指揮サージェント、ソリストにソロモンやエレノア・スティーバー。続いてフィルハーモニア管、指揮はカラヤンとボールト、ソロにアイザック・スターンが見える。ソロモンのリサイタルに続いてウィーン・フィル、指揮はワルターとフルトヴェングラー、ソロにゼーフリートとフィッシャー=ディースカウという豪華メンバー。ワルターは戦後のヨーロッパ復帰が1947年の当音楽祭、この年1953年は上の歌手たちと8月9日にドイツ・レクイエムなどオール・ブラームス・プログラム( CD 化されている)。フルトヴェングラーは『エロイカ』などを演奏した模様。
Bronze Bust Of Kathleen Ferrier Is Unveiled In Home Town. (1954)
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団
音声なし、20秒。前年に早世したフェリアーの胸像除幕式。指揮者のお辞儀シーンのみで演奏は無い。キングジョージホール(ブラックバーン)。
Us Orchestra Players Visit Sibelius Eminent Composer Is Congratulated On Approaching 90th Birthday By Philadelphia Symphony Orchestra. (1955)
音声なし27秒。バスでフィラデルフィア管のメンバーがヘルシンキ郊外のシベリウス宅を訪問、九十歳を迎える作曲家をお祝い。なにか横のオーマンディがエラそう(笑)。
Edinburgh Opens Ninth Festival Scottish Capital Is Host To Guests From All Parts Of The World. Lord Provost Heads Procession To Inaugural Service At St Giles. (1955)
ユージン・オーマンディ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
という珍しい組み合わせ。再びエジンバラ音楽祭、1955年八月。音声なし。47秒からほんの数秒、暗くてよく見えないが演奏シーン、説明記事によればアッシャーホールでのリハーサル。33秒にベルリン・フィルの演奏会告知、指揮者は表記順に、オーマンディ、サヴァリッシュ、ヒンデミット、カイルベルト。カラヤンは同行していない。たんなる憶測だがオーマンディのところには、この年もフルトヴェングラー(あるいはチェリビダッケ?)が入る予定だったのかも(カラヤンは亡くなったフルトヴェングラーの代役でベルリン・フィルのアメリカ・ツアー中のこの年四月、芸術監督に就任したばかり)。ソリストに同じくソロモン、レジナルド・ケル、フランチェスカッティ、エンリコ・マイナルディ、ゲザ・アンダ、フィッシャー=ディースカウ。続いて、たばこ片手にカメラに手を上げるソロモン、談笑するオーマンディとフランチェスカッティ。
The Saar Returns To Germany Aka The Saar Rejoins Germany (1957)
1月1日にフランスの保護領からドイツに復帰したザールラントのザールブリュッケンでの式典の模様。アデナウアー首相の演説後ドイツ国歌が演奏される。オーケストラ/指揮者不明だが、会場のザールラント[現]州立劇場のオーケストラとおもわれる。このころの音楽監督はフィリップ・ヴュスト(Philipp Wüst)という方(Wikipedia ドイツ語版)。チェロ右翼のストコフスキー配置。
Poland: First Concert In New Concert Hall. (1957)
ロベルト・サタノフスキ(Robert Satanowski)指揮ブィドゴシュチュ・フィルハーモニック管弦楽団(Bydgoszcz Philharmonic Orchestra)
上掲タイトルの「新しいコンサートホール」とはブィドゴシュチュの、フィルハルモニア・ポモルスカ(Filharmonia Pomorska)、すなわちブィドゴシュチュ・イグナツィ・ヤン・パデレフスキ・ポメラニア国立フィルハーモニック(Państwowa Filharmonia Pomorska imienia Ignacego Jana Paderewskiego w Bydgoszczy, 英:Ignacy Jan Paderewski Pomeranian Philharmonic in Bydgoszcz)ということらしい。オーケストラはポメラニアン・フィルと呼ばれている団体か。チェロ右翼/コントラバス右後列のストコフスキー配置。
Germany: Opening Of Richard Wagner Festival (1957)
バイロイト。音声、演奏シーンなし——この年の『指環』はクナですね、残念。再生速度が早くワケわからないが、ハイソな方々が続々到着するのに続いてヴィントガッセンが映っている。
Arts : Opening Of The 11th Internation Edinburgh Festival (1957)
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団
1957年のエジンバラ音楽祭。演奏会告知三団体に続いてリハーサル・シーン、音声は BGM のまま。チェロ右/ヴィオラ右翼のストコフスキー配置。エルガー生誕百周年に捧げたプログラムとナレーション。
告知の方は、サムネになっているフィルハーモニア管が指揮者にクレンペラー、クーベリック、オーマンディ。ソリストにアントン・デルモータ(テナー)のみ見えるが、ディートリヒ[おそらくフィッシャー=ディースカウ?]とルドルフ・フィルクシュニー(ピアノ)が、その下に続くコンセルトヘボウの告知のところで見える。指揮者にベイヌムと大かつやくのオーマンディ、ソロに[おそらくデニス・]ブレイン、フィルクシュニーおよび[おそらくシモン・]ゴールドベルク。続いてハレ管、指揮はバルビローリのみで、ソロにクララ・ハスキルが読み取れる。ミラノ・スカラ小劇場(La Piccola Scala di Milano)、演目はベッリーニ『夢遊病の女』、ドメニコ・チマローザ『秘密の結婚』、ドニゼッティ『愛の妙薬』。
Russian State Symphony Orchestra (1957)
ナタン・ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団
ショスタコーヴィチ交響曲第11番『1905年』。世界初演(10月30日、モスクワのチャイコフスキー記念モスクワ音楽院大ホール)のニュース映像のようだ。チェロ正面、同じく正面最後列にコントラバスのヴァイオリン両翼配置か。
Wot - No Soprano? (1958)
(公演:1958年1月2日、ローマ歌劇場)
1分19秒過ぎから「リハーサル」の映像、ストコフスキー配置のように見える——といいますか、ローマでのカラスのスキャンダル、『ノルマ』第一幕途中降板事件に関する、いわくつきのニュースフィルム。説明記事にはなんの言及もないが、じっさいにはこの公演とは無関係の映像を持って来たらしい。ナレーション:「リハーサル中の彼女はカンペキに元気そうだ。マリアの声を聴きたいなら、ドレスアップしないでリハーサルに行けばよい。たいていは最後までいるんだから」(ひどい)。
Philadelphia Symphony Orchestra (1958)
1958年1月6日頃、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管
モスクワ公演、バーバー『弦楽のためのアダージョ』。指揮棒なし、チェロ右翼/コントラバス右後ろのストコフスキー配置。
40th Anniversary Of The Soviet Army (1958)
赤軍創立40周年記念式典、チャイコフスキー『1812年』。軍楽隊でもほんものの大砲は登場しないようですが、ブラスセクションだけで何人動員されてるんでしょうか壮観であります(毎年の戦勝記念日では千人を超えるメンバーの軍楽隊がパレードに参加するそうで)。指揮のイヴァン・ヴァシリエヴィチ・ペトロフ(Ivan Vasilyevich Petrov)将軍については Prabook に記事があった(英語)。
Festival Of Tchaikowsky Music (1950-1959)
1958年4月11日、ヴァン・クライバーン:ピアノ(キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団)
1958年の第一回チャイコフスキーコンクール、指揮はコンドラシンですね(とうぜんながら若い)。調べるとオケはモスクワ・フィル、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番はファイナルの4月11日らしい。説明記事にも「審査委員長のエミール・ギレリス教授が祝福」とあるように表彰式(?)のシーンにギレリスが登場。しばしば登場するショスタコーヴィチの挨拶シーンに続き演奏、とうぜんクライバーン中心の映像だがオケはチェロ右翼/コントラバス右後ろのストコフスキー配置。
Czechoslovakia: Prague: International Competition. Organ Section (1958)
プラハの春国際音楽コンクール、オルガン部門。1分26秒過ぎから第一位のヴァーツラフ・ラバス(Václav Rabas)(Wikipedia チェコ語版)のソロで、ラインベルガーのオルガン協奏曲(第二番?)。チェロ右翼/コントラバス右後ろのストコフスキー配置。チェコ・フィル?。
Leopold Stokowsky Aka Leopold Stokovsky (1958)
モスクワ音楽院。オーマンディに続き御大登場。ショスタコーヴィチ『1905年』終結部51秒。オーケストラ名記載なし。説明記事には前出オーマンディ/フィラデルフィア管のモスクワ公演と同じ「1958年1月6日頃」とあるがこれはおそらく混同で、CD が出ている6月7日、全ソビエト連邦ラジオ・中央テレビ放送交響楽団、要するにモスクワ放送交響楽団との演奏ではないかとおもわれ(Moscow State Conservatory: SMC CD 0030)。前出のラフリンの初演から約七か月後ということになる。後列左から中央にチェロ、その後ろ最後列にコントラバスをそれぞれ一列に並べる。指揮棒なしの例の十本指タクト。
Unknown: Prizes Awarding In The Frame Of The First International Competition "George Enescu" (1958)
第一回ジョルジェ・エネスク国際コンクール。おそらく審査員としてバルビローリやメニューイン、オイストラフ、ナディア・ブーランジェらが映る。47秒からチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、オーケストラ不明。ソリストは第一位のステファン・ルーハ(Ştefan Ruha)(Wikipedia ルーマニア語版)。
Halle Orchestra In Ireland. (1958)
音声なし、1分57秒。説明記事によるとオーケストラ創立100周年を記念してダブリンの聖母マリア合唱団とともに行なったアイルランド・ツアーからの映像、演目はエルガーのオラトリオ『ゲロンティアスの夢』。チェロ右翼/コントラバス右後ろのストコフスキー配置。
Usa: The New York Philharmonic Orchestra (1959)
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
ショスタコーヴィチ五番、2分47秒。チェロ中央から右/コントラバス右後ろのストコフスキー配置。タイトルは "USSR: " の誤りか。キリル文字のタイトル、ならびにロシア語ナレーション、説明記事にその英訳:
バックグラウンド:モスクワっ子たちはアメリカ最古のオーケストラの登場を大きな関心を持って心待ちにしていた。
こちらは、多面的な音楽的才能を持つ、このオーケストラの指揮者で音楽的指導者、レナード・バーンスタインである。
ソ連の作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィチを、聴衆とオーケストラの音楽家たちが熱狂的に歓迎 ...
音楽は人々の距離を縮めます。それは、人々が心を通わせ、友情の中で生きていくことを助けてくれます。
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五十年代はモスクワの映像が多い。冷戦真っただ中でニュース価値も高かったか。加えて地元英国のバルビローリと、オーマンディがけっこうあちこちに登場。またこの時代になると、かくにんできたものでは当の本人とラフリン/ソヴィエト国立響以外はストコフスキー配置のよう。
(つづく)