1587<道満丸景虎と小姓の戯言>(天正戦国小姓の令和見聞録)HB (original) (raw)

<道満丸景虎と小姓の戯言0262>episode262,season3

天正戦国小姓の令和見聞録)

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春日山城、鳴海幕府(開府1587年)

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太

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天正四百五十二年 十月弐日

「総選挙自公過半数割れ二百議席未満の衝撃。手の平返し、敵前逃亡内閣の末路」

令和幕府での九人による御屋形選出決戦で石破殿が勝ち抜ちぬかれた。拙者の推した林殿は四位に留まったが、次期総裁選での勝利の布石にもなっておる。代議士は通常、弁士とも言われるが、悲しいことに雄弁実行という政治家はおらぬようでござる。石破殿はマイナ保険証と既存の紙の保険証廃止の見直しをハッキリと明言し、早期解散も慎重を期すと総裁選では言っておったが、その発言も反故にし手のひら返しで十月二十七日総選挙と打って出てしまった。最高権力を手にしてしまえば、勝てば官軍負ければ賊軍ということじゃな。石破殿も林殿も総裁選が終わればマイナ保険証・紙の保険証廃止の見直しは前言を完全撤回とする暴挙にでておる。状況はことなれど水原一平氏のあの疑惑の一夜での前言撤回とたいして変わらぬ。G7の中では保険証との紐づけは日の本だけというではないか。いくらITの利権絡みとはいえあまりにも弱者に寄り添う姿勢がまったくないのは問題でござる。大義のない解散総選挙では自民党が久しぶりに下野する姿をそなた達は目にするかやしれぬ。領民が命より大事な保険証が政争の具にされることに怒りを覚えているのじゃ。ポイントに目がくらんだ者達はいまからでも遅くはない。マイナ保険証の解除の手続きが十月から可能と厚労省のアナウンスがあった。しかしである。システムの不具合で解除ができないという軒猿からの伝聞があったが、このまま2ヶ月間システムの不具合で解除できないおそれもござる。そのときは諦めるしかないが、唯一解決策がござる。政権交代で法律を変える(もとに戻す・紙の保険証存続)ことでござる。マイナポータルのシステム障害や震災の激増でデジタル依存だけでは領民の命の保証はできぬと存ずる。裏金議員は百人ほどおると軒猿から聞き及んでおるが、選挙での非公認をしないかわりに比例重複をできなくする案があるようでござるが、それでも生温い感は否めね。しばらく間をおいて石破殿は裏金議員の公認と比例重複を認めたと軒猿からの知らせが入っておる。石破殿は詭弁士にでもなったのかとお見受けいたす。短命内閣は間違いないと存ずる。日米地位協定は毎月弐回ある日米合同委員会を無視してそう簡単に変えられるものではない。アジア版NATOは亜米利加の許可が必要じゃろう。なぜなら日の本は戦前の立憲君主のリーダーであった昭和の帝がやってはならぬ日米開戦を強行し、敗戦後はGHQの隷属化を皇室の存続と引き換えに桑港講和条約で、半永久的な米軍駐留・広島・長崎へのジェノサイドの容認と原爆の是非を問わないことを確約しておるからでござる。昭和の帝は戦後マッカーサーとの十数回の会談を行い、ホイットニー文書のようなお考えに変わった様子も機密解除されておる。今の日の本の領民はその流れで生かされておるというわけじゃ。昭和の帝は追い詰められた戦況を有利にし講和に持ち込もうとしたと聞いておる。ミッドウェー海戦後早めに講和に持ち込んでおれば、東京大空襲や原爆投下・沖縄の悲劇・全国都市無差別攻撃も避けられたかもしれぬ。いまさら拙者が申してもあとのまつりじゃが。野党では立憲野田代表が選挙本部長、小澤殿が副本部長というコンビで総選挙に臨むようでござる。野田殿は十二年前の安倍政権に下野されたリベンジは相当のものがござる。それでも領民が石破政権を支持するとなれば日の本は終わりになるじゃろう。野党に期待しなくても与党を引きずりおろす役目を担わなければ、そなた達領民の未来は閉ざされる運命にあることを肝に命ずべきでござる。投票所に行かず棄権すればするほどそなた達は自ら首をしめるという認識はもつべきで、実りある選挙の結果とこの国の再興を拙者は信じておる。自公で200議席未満と見出しでは申しておるが、これは野党間の一本化調整がうまくいった場合でのことでござる。国会での党首討論では石破VS野党では五分五分のようにお見受けいたした。石破殿は自分の言葉で事の真意を述べ逃げることなく対処したようでござる。日本創生解散と銘打った石破殿だが、野党は裏金問題ばかりに終始しておる。亜米利加の手のひらで自治権を与えられておる日の本の政の未熟性は今後百年は続きそうじゃな。野党第一党が自ら身を削ることなく他の野党からの協力を得るのは難しかろう。小澤殿が魔法の杖をお持ちなら話は別でござるが。選挙戦で鍵を握っておるのは、やはらりそなた達無党派(浮動票)なのでござる。裏金疑惑の議員五十人ほどが野党の一本化失敗による漁夫の利を得て全員当選しないとも限らぬ。日の本の未来を決めるのはそなた達次第なのでござる。

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<道満丸景虎と小姓の戯言0261>episode261,season3

天正戦国小姓の令和見聞録)

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春日山城、鳴海幕府(開府1587年)

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太

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天正四百五十二年 九月二十六日

「報道の勇み足、自民党総裁選三強説は予想外れ」

令和幕府の永田城では何人もの悪党がすんでおり、領民を見下す政を止める気配は一向にござらぬ。下野に甘んじておる一時平成幕府のお屋形を務めた野田殿が十二年前の屈辱を晴らさんと息巻いておる。はからずもその時の自民党総裁は何者かの仕事人にして殺られてしもうた。下手人は白昼堂々と発砲して取り押さえられたものの、大医による医療診断と奉行の言い分が真っ向対峙しておるゆえ、奉行所の判断は未来永劫決着がつかぬらしい。検察は山上殿の弁護団にたいしては分が悪い。十二年前の総裁が宗教団と密接に関わり合い、信者の家族が過度な寄付で路頭に迷いこんだ結果が悲劇を生んだことは紛れもない事実として後世に残ることになるのじゃ。良くも悪くも兵庫県知事の鋼のメンタル性にはかなわぬが、人間はみな弱き生き物じゃ。宗教などには負けてはならぬ。まことの下手人の所在は闇の中に居るらしい。時を経て今は令和六年となっておる。天正にすれば四百五十二年となる。令和幕府の総裁選ではかわら版によると、石破・高市・小泉殿が選挙戦をリードしておると言われるが、決選投票の行く先は誰も予想できないと申されるがそうではござらぬ。面従腹背であっても形だけの挨拶まわりは無駄というものじゃ。選ばれた臣従達の票と令和幕府支持の領民票は同じ数でござるが、九人もの候補者がおるので、第一回目で誰かが過半数を得るのはちと難しい。拙者が思うに、岸田殿の意向を踏襲する林殿と実力派の茂木殿が接戦をくぐり抜け、おそらくこの二者での決選投票になる。三強は以外にも隠れ支持者の離反で思うようには票が伸びぬと存ずる。令和幕府支持領民は理性と見識と大局を見ておりかわら版は彼らを侮ってはならぬ。大いなる報道の勇み足となる所以でござる。

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<道満丸景虎と小姓の戯言0260>episode260,season3

天正戦国小姓の令和見聞録)

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春日山城、鳴海幕府(開府1587年)

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太

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天正四百五十二年 九月二十三日

「誰も語らぬMLB大谷翔平のこれからの試練」

MLBではポストシーズン直前になると個人記録の方に目が行くようになるが、右肘のハイブリッド手術明けでの2024年では控え目にプレーすると思われておったが、リハビリも何のその好記録を積み上げておる。ナ・リーグでの三冠王は難しくとも本塁打と打点の二冠は取れるじゃろう。日米のメディアでは、何が何でも大谷の存在感を打ち出そうとする動きがある。 50+50といっても拙者にはさっぱりわからぬ。五十路同士の婚姻、落ち武者狩りの分前の比率、戦の勝敗の行方、熟年離婚での元御前への分前の比率などではなさそうではござるが。MLBでは打者記録を伸ばすための措置である指名打者DHは守備につかなくても良いという一見不公平な見立ても否めない。守備と打者を兼ね備えての記録こそ正当性があるというのが誰から見ても伝統的な常識であったはずでござる。近年、人気面ではMLBは北米四大スポーツのトップリーダーからおそらく四番目くらいにまで落ちてござる。その時々の話題性のある選手でも持ち上げなければMLBはこの先立ち行かなくなる。人気回復のためにいろいろなルール改正や賭博業者をスポンサーにしなければならなくなったMLBの体質にも問題がござる。投手の怪我や故障者リストが急増している背景にはそうした素地があったのでござる。大谷殿の盗塁成功の激増は牽制のルール改正があったからでござろう。本塁打は見事の一語に尽きるが三振が多すぎる。三割打者で三冠王となれば歴史的偉業にもなるが、ボンズのシーズン73本塁打、ニコルの138盗塁、ウィルソンの191打点、最高打率0.440という大記録には届くかどうかはわからぬが、二刀流にこだわれば力が分散され到底難しくなる。イチローのシーズン262安打は歴史的偉業で、10年連続200本安打はピート・ローズもなし得なかったものでござる。メディアの大谷選手持ち上げ戦略は一時しのぎでござろうが、まずはオードックスな三冠王本塁打王打点王盗塁王などの関門をくぐらなければならぬ。2024年はリハビリ年のはずが大爆発の期待で話題を誘ってはおるが、心配なのは2025年にその反動で右肘の悪化や極端な不振に陥らぬとも限らぬ。大谷殿は努々健康面には注意されよ。シーズンが終われば、2024年三月でのフィールド外での出来事がまた話題にあがると見ておる。水原殿が一夜にして前言を撤回した理由が未だに不明であり、大谷殿の認識がどのくらいあったのかも知りたい識者も多いことであろう。裁判沙汰になったあとでも水原殿は高級外車を乗り回し生活に困窮しているとは到底思えぬ。司法取引がどういう内容かは拙者にはわからぬが、MLB、球団、代理人、スポンサー業界などとのやり取りも否めない。当事者は事の白黒をはっきりさせておくべきでござる。そうでもせねば、大谷ファンもアンチ大谷ファン、一般のスポーツファンは納得がいかぬことと存ずる。疑惑の一夜はそう簡単に払拭できるものではござらん。

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<道満丸景虎と小姓の戯言0259>episode259,season3

天正戦国小姓の令和見聞録)

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春日山城、鳴海幕府(開府1587年)

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太

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天正四百五十二年 九月十三日

「二〇二四年・令和幕府お屋形選出選挙の予測」

AIでの自民党総裁選予測では、一位が石破殿、二位三位が茂木殿、河野殿となっておるようじゃが、進次郎殿の名が出ておらぬのにはそれなりの理由があるからでござろう。我がお屋形様の予想では、一位が林殿、続いて石破殿、茂木殿、川上殿と仰せでござる。石破殿は世論調査で一番人気でござるが、決選投票ともなると議員票を得るのにいつも苦戦していることからお屋形への道は厳しいと見て良い。9人もの候補者がいる自民党総裁選では、決選投票でライバル陣営からの後押しがどのくらいあるかという点が大事でござる。派閥単位での決選投票がなくなり、矜持と包容力と総合力をもた候補者はだれかといえば、外交面での実績と党内での期待度や体外的な存在感をもつ人物ということになる。自尊心が強すぎる懸念がある小石河連合は結束力はあるものの議員票を得るのには限界がござる。岸田首相の旧派閥からは林殿、上川殿がおるがどちらかが決選投票に向けば一方は支援に回るはずでござる。元組閣の大臣の出身旧派閥の動きが決選投票の鍵を握るが、国民からの多くの不安や反感を抱かれているマイナカード関係での候補者の立ち位置は大きな負の伝播につながると見て良い。それ故、林・茂木・川上氏の三つ巴決戦になるやもしれぬ。

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<道満丸景虎と小姓の戯言0258>episode258,season3

天正戦国小姓の令和見聞録)

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春日山城、鳴海幕府(開府1587年)

お屋形様:上杉道満丸景虎

見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太

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天正四百五十二年 九月弐日

「迷走する令和時代への歴史の波紋」

この半月ほど天正の戦国時代に里帰りをして参った。この時代ではあいもかわらず令和幕府の脆弱さや伴天連の国の浅はかさが目に余る。これほどまでに国内の領民と海の向こうの伴天連達が歴史の歯車を悪しき方向に向かわせておるとは情けないとお屋形は頭を抱えて嘆いておいででござる。まこと由々しき事でござる。よく考えてみると、令和の時代に迷いこんでいる隙にお屋形様の盟友三河殿が抜け駆けをして江戸に幕府を開いた故、令和の民は毘沙門天から罰を与えられておるからであろう。今はその偽りの歴史の騒動による波紋の中でそなた達は生きておるのじゃ。

幕末の騒動や明治維新や亜米利加との戦は、鳴海幕府が存続しておったなら、その歴史の出来事はなかったはずなのじゃ。日の本の領民や幕府には羅針盤がござらぬ。今後何百年かは迷走を余儀なくされることは疑いようがござらぬ。日の本がGHQを引き継いだ日米合同委員会の監視下のもと好戦的な民族の牙を抜かされ続けることから逃げられないであろう。自治権だけを認められた日の本の国では器量のある政治家は必要ござらぬ。亜米利加の手のひらで生きて行けば命だけは保証されるからじゃ。国家経済では一般会計予算だけ領民に示せば誰も文句を言わない。一番大事な特別会計予算を領民に示さなくてもメディアが幕府に忖度をして蓋をしているのでござる。五輪の経費も国家的なイベントの予算も利権の温床にもなり、領民の知らないところで上級武士共が潤う仕組みになっておるのじゃ。それを正して行くにはそなたたちの自助努力に頼るしか手はござらぬ。

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道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の五 最終決戦01

其の五 最終決戦

天正十一年と十二年に景勝軍は何度も阿賀北衆に攻め入ったが、ことごとく惨敗を喫していた。越後内では景勝の高圧的な支配体制に反発する諸将が、阿賀北衆への寝返りを加速させている。兵力も同じくらいになり、接戦を繰り広げた。

重家殿の堅固な守りと湿地帯での地の利を活かした戦いで、景勝側は手も足もでない。景勝殿は対戦中、危うく重家軍に捕らえられそうになったが、なんとか窮地を脱することができた。

七十戦して六十八勝もした輝虎様とはかけ離れた尾屋形像に、配下の兵からは後ろ指を指されるほど諦念の意が増していった。

兼続殿にも問題は多かった。軍師でありながら越後の領民や兵の不安を取り除くのが不得手だったことだ。大きな力に依存する性格を持った景勝殿の思惑に合っていたのかも知れない。

「勘五郎、また蹴散らしたぞ。今年は二回目だな。上々だ。寝返った諸将も半数にはなっただろう。春日山城攻略にはもう少しだが、予定どおり進めるぞ。それにしても景勝殿は下手に動きすぎる。棟梁の器では無いな。軍師の兼続も兼続だ。何を考えているのかさっぱりわからん」

「源太殿、昨年と今年で景勝軍のほうは半減しておりますぞ。このまま行けば、春日山城陥落は目の前ですぞ」

「伊達家と蘆名家が争い、正宗殿が勝ったそうだ。正宗殿は景勝殿を支援するらしいが、そうなると厳しくなるな。新潟城は間に合わせで作った城だ。どうでもよいわ・・・」

「源太殿、景勝殿が秀吉殿に臣従するというお噂を耳にいたしましてござる・・・」

「なんだと、この越後を売り渡す気か。大枚の金銀もろともか。その前に春日山城を取り戻さなきゃいかん。道満丸様も今年は元服する。亡き御屋形様の詔を世に知らしめる時が来たぞ」

「亡き御屋形様の書状はすでに全国の諸将に送ってござりまする」

「鳴海院様も覚悟をお決めに成ったのだろう。決戦が道満丸様の初陣とはめでたきことじゃ・・・。今年は何年じゃ」

「年が明ければ十五年となりまする」

「輝虎様の詔は加地城の土中に丁重にお隠ししよう。阿賀北衆のこの地にあった方がいいぞ。そう鳴海院様に伝え」

「源二郎殿の最後の文が届いておりまする・・・。鳴海院様と源太殿へ・・・」

「最後じゃと?どうしたのじゃ」

「中風で倒れたとかで、生前に記されたものでしょう」

「勘五郎、読んでくれぬか」

「謹啓 鳴海院様、新発田重家源太様

信長様がお亡くなりに成られてから、幾久しくご無沙汰しておりましたことお許しくださりませ。

さて、越後の国ではその後如何されたでございましょうか。御屋形様の書状は諸将の皆様方にはお伝え申されたでしょうか。道満丸様は無事元服の儀を済まされたでしょうか。心配でたまりませぬが、他ならぬ、鳴海院様、源太殿でござりまする。いつしか、道満丸様を国主にされ、天下に号令をおかけすることでござりましょう。国内では秀吉殿の天下人の仮の姿に諸将が媚びを売っており、紀伊、四国、飛騨、備前も次々に平定し、九州も手の内にあり、あげくの果てには朝鮮・明国への出兵も思案するなど、自失呆然とする次第でござりまする。御屋形様のご意思が乱世の終わりを迎えることを切に楽しみにしておりまする。敬白 垂水源二郎」

「あの源二郎殿がなぁ。残念でござる」

今は不安と希望が交錯するが道満丸様と源太殿を信じるしかない。

拙者にあるのは、鳴海院様が然るべき時がくるまで土中に匿っておれというご下命を戴くまでの十年の記憶だけだ。

思い返せば死を予見した輝虎様は前もって跡継ぎを決めていた。

鳴海院様が生前の輝虎様からある書状の巻物と青苧(からむし)の衣を賜っていた。

青苧の衣は鳴海院様の香りに満ちていた。その香りとは柘榴と茉莉花のことで輝虎様のお気に入りでもあった。その書状には独特の香りに包まれていて、匂いでその在処が分かるほどである。書状は家督の記載と今後の越後の財政に関する重要なもので、それが無ければ景勝殿としても正式な国主としての発布は不可能に近かった。道満丸様と野斜丸様は双子の兄弟で諸将には見分けがつかなかった。輝虎様はそこに光明を見いだしていたのかも知れぬ。

輝虎様の戦の軍資金は鳴海金山などが主な財源だったが、実に日本の約半分の金の量を占めていた。拙者の見立てだが、七十回にも及ぶ輝虎様の歴戦の賄いは鳴海金山のおかげと間違いない。それと同時に越後の青苧(からむし)の織物は二度の上洛で流通網が拡大し、京や大坂では良い噂が広まっていた。

日本の半分ほどの埋蔵量を誇る鳴海金山は輝虎様の外征に無くてはならないものだった。だからこそ輝虎様にとって阿賀北衆の国人の力は不可欠だった。御館の乱が勃発して、秀吉殿に臣従し支援を受けてまで景勝殿や兼続殿が執拗に阿賀北衆を追いつめたのにはそういう理由もあるが、何よりも阿賀北衆が手にする輝虎様のご遺言の書状を闇に葬らなければならなかった。

乱が始まり、翌年になってから、勝頼殿の仲介により上杉憲政殿と道満丸様が和議の交渉で春日山城に向かう途中、景勝側の手の者に惨殺された。

殺害された道満丸様は実は双子の弟である野斜丸様であった。

そのことは鳴海院様・源太殿・秀綱殿以外誰も知るよしもない。斬首を見て景勝殿が認めたほど風貌は似ている。

御館の乱は景勝側の勝利により収束したかに見えたが、阿賀北衆への恩賞はないに等しいものだった。景勝殿や兼続殿の子飼いの上田衆には手厚く扱い、阿賀北衆へはわずかばかりの恩賞となった。

新発田長敦殿がお亡くなりになり源太(重家)殿への家督相続の承認だけに終わった。源太殿や加地秀綱殿は阿賀北衆の取り纏め役だったので、景勝殿への反感が日増しに強くなっていた。

源太殿は当初、兄の長敦殿と安田顕元殿の執拗な景勝側への要請に従わざるを得なくなっていた。長敦殿は当初劣勢であった景勝殿を救うため勝頼殿との和睦に成功をおさめ、景虎派に反転攻勢をかけ乱の収拾に一役をかっていた。

源太殿は元々景虎支持だったが、安田顕元殿の調略に嵌まり景勝支持に回った。安田殿は奇襲で本丸を攻めたのは、景虎側が先と不義の流言を吐いたので、源太殿は嫌疑を抱きつつも景勝側で戦った。

その後、鮫ヶ尾城で景虎様と華御前の自害の報を受けたが、これも安田殿の調略で堀江宗親殿が寝返った為ということを知らされる。その上、安田殿と景勝の誓約書が表沙汰になる。源太殿の怒りは最高潮に達していた。

落胆しながら、兄に従わざるを得ない状況にあった源太殿は、景虎側にいた本家の秀綱殿を攻め一旦加地城は降伏したが、それは見せかけの四面楚歌でもあった。そうすれば景勝側に目くらましが出来る。

景虎側にいた鳴海院様にとってそれは織り込み済みだった。源太殿の安田殿への逆調略でもある。

源太殿は本家に攻撃したという名目を兄とその家臣団に知らしめる。降伏の書状を認めればそれで事は済んでいた。

景勝殿の高圧的な態度に阿賀北衆や景勝側で戦っていた諸将も次第に反抗の狼煙をあげてきた。

道満丸様も元服を迎え逞しく育っていた。

輝虎様の遺言の書状を見た源太殿はあらためて、道満丸様と鳴海院様への忠誠を強くし景勝・兼続軍打倒へ向かうことになる。

景勝殿が秀吉殿に春日山城にある多くの埋蔵金を進上し、臣従したことが諸将の反感を買っていた。越後国主の器ではない景勝殿はそれを軽んじすぎた嫌いがあった・・・。

秀吉殿の再三の和睦交渉にも源太殿は頑として応じるはずもなかった。和睦の条件が景勝殿と同じ阿賀北衆への単なる助命の布告にすぎなかったからだ。兵力と士気では景勝・秀吉軍に充分勝っていた。

阿賀北衆軍と景勝・秀吉軍との最終決戦はもはや避けられないこととなった・・・。

天正十五年八月、秀吉の援軍を後ろ立てにした景勝・兼続軍を前に、加地秀綱・新発田重家連合軍は阿賀野川を挟んで対峙した。その陣には女武者姿の鳴海院様も馬上に構えていた。

秀吉殿は源太殿との和議を唱えたが、それは単なる助命の保障だけであった。源太殿にはさらに怒りが増していた。

道満丸様は三十万の兵を束ねる総大将として、阿賀北衆の諸将を纏め反撃に出ようとしていた。輝虎様の川中島以来の決戦に他の諸将も固唾を呑んで勝敗の行方を見守っている。

道満丸様の初陣の旗印が秀吉・景勝軍を襲う。

景勝殿への弟の野斜丸や父や生母の仇討ちという名目もあるが、越後と関東を平定後上洛して「天下布義」で日本の戦乱の世を終わらせるという輝虎様の想いを遂げる使命がある。秀吉殿の野望を打ち砕かなければならぬ。輝虎様の遺された越後の金銀と青苧のおかげで全国の武将への恩賞は約束されている。小田原の北条氏や東北の蘆名、伊達家も臣従し、徳川殿には日本の西半分を治めてもらう手はずも整った。

この戦いで道満丸様が勝つのか、景勝・秀吉軍が勝利をおさめるかは、拙者には伺い知ることは出来ない。

乱を制した道満丸様はいつ遺言状を城跡から探し出してくれるのだろうか。

拙者は決戦の前に加地城跡の土中深く埋められた。天正五年に春日山城で生まれて以来はや十年にもなる。時の記憶は今途絶えようとしている。御館の乱もそろそろ決着がついても良い頃だ。生前、輝虎様はこのような光景を想像していただろうか。天正十五年、鳴海院様の布告は天下を左右するに違いなかった。兄の輝虎様が突然身罷られ、ようやく道満丸様の元服をもって初陣までに漕ぎ着けた。

越後全土は景虎様と景勝殿との跡目相続の争乱で十年もの間確執が続いている。

拙者は乱の決戦の行方を知りたい。しかし拙者が土中に棲みついている間に、越後の国や大和の国がどうなったのか。

源太殿と道満丸様の声が高らかに越後の大地に響き渡った。

(了)

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の四 本能寺の変、重家の叛乱01

其の四 本能寺の変、重家の叛乱

蘆名家と伊達家が御館の乱に乗じて水面下で景勝打倒への足がかりを得ようと重家殿に調略をすすめていた。

天正九年六月になり重家殿は一門の衆や阿賀北衆、景虎を支持していた諸将を味方にして強固な軍を築き上げていた。重家殿は信濃川阿賀野川の合流地点を奪還し、新潟城を築城した。

景勝殿は重家殿の動きを押さえることが出来なくなった。この年は信長側の領地侵攻に対処せざるを得なくなり、春日山城に兵を引き上げた。

「勘五郎、いや信宗、どうだ、良い眺めじゃろう。道満丸様にも新潟の港を見せてやろう。越後の地は土壌や水路が堅固な上、金銀も日の本の半分を占めている。この地で未来の御屋形様を支えるのじゃ」

「勘五郎でようござる。わたくしめも源太殿とお呼びしても」

「ハハハ、呼び名など、どうでも良いわ。気持ちが交わっていればな」

「とんでもござらぬ」

「しかし、お前も亡き御屋形様の大事な書状をよくお守りしたものだな。鳴海院様も大層お気に入りのようだ。義にあついのは良き事じゃ。ワシなど金目の物に目がくらんで景勝殿に加担したと思われているが、亡き御屋形様の義と心をないがしろにするものは好かんのじゃ。あのご遺言を見るのがもっと早かったら景虎殿をお守り出来たものを。亡き兄上は景勝殿へは忠誠を誓っていたし、仲立ちをした安田顕元殿は命の恩人故ワシは悩んでおったのじゃ。悔やんでも悔やみきれぬ。大事なのは越後を守る偽りの御屋形様がそれにふさわしいかどうかなのじゃ」

「わたくしめは新発田様の娘婿で有りまするゆえ・・・。そのお気持ちはよく分かり申す」

「勘五郎、そうときたら、亡き景虎様の無念をはらすため、道満丸様のため、阿賀北で狼煙を上げるしかない。景勝殿と兼続を倒さねば越後の未来はないぞ。道満丸様が元服を迎えたら春日山城を奪還するのじゃ。景勝側の全ての諸将を味方にしてな・・・。亡き御屋形様のご意向に背くわけにはいかぬぞ」

「分かり申した」

「そうだ、源二郎殿から知らせはあったか」

織田家に水面下で不穏な動きがあると文が届きました」

「なに、秀吉が」

「これは一大事でござるな。景勝殿が阿賀北衆に執心するのは分からぬでもないが、寄りによって光秀殿には早まるなと源二郎殿に使いを出せ。秀吉殿の計略が織田家を徘徊している。おそらく来年の夏が危ないぞ」

「信長殿のお命が」

「景勝殿は一体何をお考えなのかさっぱり分からん。秀吉殿に越後の国を売るつもりなのか。鳴海金山もか」

「そうかも知れませぬ。国主が変わりまするぞ。誰になるかはわかりませぬが」

「そうはいかぬ。鳴海院様と話し合わねばなるまい。勘五郎、修復した加地城の様子を見に行くという口実で鳴海院様に使いを出せ」

源太殿は確かに周りに流されて加地城を攻めた。鳴海院様は怒っていたようにも見えたが、実は織り込み済みのようだった。景虎派の諸将から見ればそのしこりは簡単に消えるものでは無かったが、騒動の裏表を知った源太殿には亡き輝虎様との約束は命より優先している。

源太殿は鳴海院様に加地城の広間に通された。

「源太殿。此度は良く踏ん張りましたなぁ」

「ありがとうござりまする。道満丸様にも新潟城にて眺望していただこうと存じまするが」

「それはそれは良き事じゃな。じゃが、気は緩めてはなりませぬぞ。この城でも内応するものがいる。何処ぞの国の間者かわからぬが」

「信長殿が危のうござりますると、源二郎殿の書状が届きました」

「臣下にも曲者が多いとの事じゃ。信長殿はそなたを支援してくれるそうじゃが。足下が揺らいではそれも叶わぬ。」

「鳴海院様、大丈夫でござりまする。信長殿の支援と阿賀北衆がまとまり、景勝殿の諸将もこちらに寝返るという良い知らせも受けておりまする」

「秀吉殿は明智殿と信長殿との離間の計を策しながら、天下を狙っていると源二郎がしかと記しておりまするゆえ、信長殿の暴走が天下布武の思わぬ落とし穴となるのは必定。源太殿も信長殿に少し期待しすぎではないのか?濃越同盟はすでに兄が生前蔑ろにしておるのだぞ」

「ハハー」

「まぁ良い、しかし、そなたも派手にやりよるでなぁ。兄上の目を誤魔化してこの加地城も攻め落としたようでもあるし」

「面目ござりませぬ」

「過ぎたことはもう良い。言葉のあやじゃて。そなたには恩義を感じておるのじゃ。秀綱もな」

「重家殿、攻めを加減して頂き鳴海院様も深く礼をしてもしきれぬほどじゃ」

「秀綱、重家殿と道満丸、越後の諸将とは一心同体であるのを忘れるでないぞ」

「は・・・」

「鳴海院様、御屋形様のご遺言の件についてでござりまするが」

「そなたもしかとこの目で見たのであろ」

「道満丸様の元服までにまだ日があります故、ご遺言の布告はしばらくできませぬ。ましてや、道満丸様は御館で死去したと言うことになっておりまする・・・」

「そうじゃな、たしかに今全国への布告は出来ぬ。景勝殿と兼続の打倒と道満丸様の元服が最優先と思うておる」

「そうでござりまする」

「この戦は長引くかもしれん。景勝・兼続軍との決戦は避けられぬ。しかるべき時まで兄上の書状の在処を隠しておかねばならぬな・・・」

「最終決戦にまでは少なくてもおよそ三十万の兵と要塞を築けましょう。春日山城の金蔵の十倍は用意できまするが、いまは堅固な防御と兵器庫の拡充に徹する時期といえまする」

「源太殿は逞しいのう。秀綱も見習わなくてはな」

天正十年は国内での争乱が激しくなり、この年は日本国中が戦乱の極みに達していた。二月になり、景勝殿は初めて重家殿と対戦するもことごとく大敗する。

「兼続、阿賀北衆は祖父の時代から攻めあぐねていたそうだな」

「殿、越後がなかなか纏まらないのも、彼らが頼朝公からの国人という想いが強く、しかも鳴海金山と青苧の管轄を容認せざるを得なかったからと聞き及んでおりまする・・・」

「父上が戦に強かったのも彼らの支持があったからなのか」

川中島でも阿賀北衆の働きが大きかったと言われまする」

「それで父上はあの血染めの感状を送ったという訳か」

「殿、どうされました?」

景虎殿との対峙では調略で阿賀北衆を強引に取り込んだが、この反抗ぶりはなんなのだ」

「謀が見破られたからでしょう。それに、亡き御屋形様のご遺言の行方が分かりません。彼らは目にしたのでしょうか?」

「それは分からん。道満丸が死去して野斜丸、姫二人も見分けが付かぬほど焼け焦げたと聞いておる。叔母上は自害なされたが」

「御遺言があっても生き残った継承者は殿しかおりませぬ故、ご心配なされませぬよう」

「そうであったな。しかし、上田衆にしか恩賞を授けなかったのは」

「間違いではござらぬ。彼らがいたからこそ結束できるのですぞ」

「そうか。お前の言う通りかもしれぬな」

「腹を括って徹底的に根絶やしにするしか有りますまい」

「しかし、初めて戦ったにしては負けすぎじゃな」

四月、再び重家殿を攻略するが信長軍の領内侵入で手を緩めざるを得なくなった。

六月、本能寺の変で信長殿が死去。信濃での織田殿の旧領地の奪い合いで景勝殿には余裕は無く阿賀北衆とは睨み合いに終わった。

重家殿の陣営では景勝・兼続軍への勝利で沸きかえっていた。

「殿、源二郎殿から文が届いておりまする」

「そうか、すぐ鳴海院様に。馬をひけ。加地城に行く」

源太殿は文を携え愛馬にムチを打った。

「鳴海院様、大変でござる」

「どうされた源太殿、血相を変えて」

「信長殿が本能寺で討ち死にのご様子。源二郎殿からの火急の文でございます」

「何じゃと?」

「どういたされますか」

「首謀者はだれじゃ」

明智の光秀殿でござる」

「光秀殿も早まってござるな」

「秀吉殿の策に嵌まったということでしょうか」

「毛利攻めは光秀殿を貶める離間の計じゃろうて」

「生真面目なかたで将軍家ともよしみを通じていたからでしょうか・・・」

「いやもっと深い訳がある」

「といいますると」

「信長殿は天子になるおつもりじゃったのじゃ」

「それはなんと」

「光秀殿にはそれがどうしても許せなかったのじゃ」

「信長殿が将軍家や御所を蔑ろにしたのも」

「信長殿が亡くなって一番利を得るのは誰じゃろうのぅ」

「だれでありましょうか」

「ほかならぬ舌足らずな秀吉殿であろうな。己の力を金銀で誇示する腹であろう。景勝がそれにすり寄ろうとは。兄上も嘆いておいでであろう」

本能寺の変の三ヶ月前、勝頼殿は信長・家康軍に攻められ自刃した。

これにより武田家は滅亡していた。

秀吉殿は予定どおり毛利家と和睦して、京都に引き返した。

光秀殿の追討の一番手になって、信長殿の家臣団への印象を良くする必要があった。

「秀吉殿が明智殿と弔い合戦をなされたと書いてございますが、秀吉殿の勝利とありまする。織田家家督争いが激しくなったとあり、清洲城において秀吉殿は三法師殿の後見人となり、実質的な権力を握ることになるでしょうな」

「由々しきことじゃ。三法師殿は信忠の子では無いか。信長殿の甥じゃな。まだ幼少の身であるぞ。信雄殿や信孝殿ではなかったのか。跡目相続の騒動は我が上杉家もそうじゃがな」

「秀吉殿は幼少の三法師殿の後見人ということで織田家の家臣と諸国への布告を出したかったのでしょう。さすれば、信長殿の実質的な後継者になれる。そういう策でしょうな。勝家殿はお市様と祝言を挙げましたが、秀吉殿との確執が日ごとに強くなっている故、年があければ戦は避けられぬでしょう」

「そなたは道満丸の後見人じゃ。越後の家臣を纏めねばなりませぬぞ。景勝殿では務まりますまい」

家督を継ぐというのは過酷でございますなぁ」

「ほれ、そのことじゃ、遺言の詔が一番なのじゃ。兄上の書状の巻物はこの城の土中深くに棲まわれるようにしておく。仲川と麻倉には道満丸様が元服して後継者の正当性を布告するまではな」

「ならば、景勝殿と兼続殿にはお覚悟をしてもらわなければなりませぬ」

「捕らえて兼続と粟島に流すしかあるまい・・・国内の諸将に噂を流して味方に呼び寄せる策も必要じゃな」

「鳴海院様は亡き御屋形様の化身のようでござる」

「化身の老婆と呼ぶ諸将もおるでな」

「今でもお美しうござりまする」

「世辞もたまにはいいものよのう」

「世辞でもござりませぬ」

「信玄殿の姫はどうしておる」

菊姫様にござりますな。景勝殿のご正室になられました」

「政略とはいえ、おなごはいつも大変よのう」

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の三 風雲急春日山城05

「源太殿か」

「源二郎殿であらせられるか」

「・・・」

「これはこれは、垂水殿。お懐かしゅう・・・川中島以来でござる」

「源太もすっかり偉くなりよったものよのぅ。息災であったか」

「ハ・・・」

「そこにおられるお方は?」

「道満丸様でござる・・・」

「はてさて、春日山城に赴いたおり亡くなられたのでは?そういう風に聞き及んでおりましたが」

「話せば長くなるが、亡くなられたのは弟の野斜丸様でござったのじゃ」

「・・・今でも信じられませぬ・・・。それにしても逞しくお成りになられて・・・」

「何を涙しておる。越後は今混乱の時でござれば」

「そうでござったな。越後を救うのは源太殿と鳴海院様、そして道満丸様じゃ」

「源二郎殿、そなたもじゃ」

「鳴海院様・・・」

「ところで源二郎殿は今どのように」

「今は亡き尾屋形の命で堺の青苧座衆を束ねておる。御所と諸侯の内偵も兼ねてな。青苧と晴海金山は亡き御屋形様にとって天下布義への貴重なものであった。三度目の上洛の折には多大な軍資金がいる。それを賄うには余りあるものだが、諸侯の実情把握はもっと大事なこと故、御屋形様はワシを川中島の戦の後、堺に遣わされたのだ。それに、ワシは輝虎様の影武者と言われていた故、越後にはいられなんだ」

「そうでござりましたか」

「ところで、勘五郎殿は息災でござるか・・・。蔵田殿から火急の文が届きましてな。御屋形様が身罷れたと。取り急ぎ堺から蔵田殿の舘に赴いた。そこでは勘五郎殿が形相を変えて巻物を体に縛り付けて守っておった。鳴海院様にお届けせねばと申してな。拙者は同行して、阿賀北の関所を通るまで案内致した。鳴海院様へ御屋形様の大事な書状をお届けできるか心配致したが・・・」

「存じておりまする。鳴海院様から聞いておりまする」

「無事届けられたということじゃな」

「大手柄でござった。今は拙者の妹と夫婦になっておりまする」

「して、いまどこぞに住まわれておるのか」

「五十公野城の近くでござる」

「どなたかに仕えておるのか」

「誰にも仕えてはござらぬ」

「はてさて、意味がわからぬが・・・」

「いまは五十公野信宗と名を代え、五十公野城主でござる」

「大したご出世でござるなぁ」

「ハハハ、心根は少しも変わってはおりませぬぞ。義に厚き義理の弟でござる」

「拙者はこれからも乱世を終わらせるという、亡き義輝様と御屋形様の意思をお継ぎになる方の手助けをしたいと思うておる。諸国の事情を把握するのは大事なことじゃてな」

「源二郎殿は川中島では御屋形様の代わりに、本陣の信玄殿に太刀を振る舞うとは。まさに武将の鏡にござりまする」

「なに、勢いで行ったまでよ・・・。源太も良い働きだったではないか。秀綱殿もだ。阿賀北衆は皆果敢でおったな」

「この日の本の乱世はいつ終わるのか気になりまするが・・・御屋形様がお亡くなりになり、この先どうなるものやらわかりませぬ。諸将の動向を知ってこそ良き政が成就されると信じまする」

「そうじゃな。今となっては成るようにしかならぬと言うことか。道満丸も大変じゃが覚悟を持って肝を据えねばならぬな」

「しかと受けた賜ってござりまする。源二郎殿、亡き御屋形様のご意思に沿う覚悟じゃ。今後とも太平の為お力を賜りたい」

「道満丸様におかれましては、まだ元服前の御身なれど、敬服いたしておりまする。源二郎しかと承知いたして御座りまする」

「そうか、よろしく頼むぞ」

「ところで、源二郎殿、京の動きはどうじゃ」

「幕府が無くなり、信長殿が上洛し、京都はいささか諸将の人質のような有様ですな。天下布武を唱えて諸将を配下におく所存のようでござるが、臣下の謀反の噂もございます。いつになるか存知ませぬが、そう遠くない頃に事が起こるというのは、堺では内密に知れわたっている様子。家康殿は信長殿と同盟を結んでいると言われますが、実質的には信長殿の子飼いに等しい立場ですな。三河には刻も早く戻りたいのでしょう。氏規殿も申しておりました。徳川殿と氏規殿は今川での人質という苦境を過ごしましたから絆も深いのでしょう。服部正成殿から聞き及びました」

「秀吉殿と勝家殿との不仲は確かなのか」

「家臣の間でも騒がしいそうでござりまする」

明智殿の玉姫君は息災か」

「と言いますると」

「なに、亡き兄上の想い人と良く似ておいででしてな。ふと思いだしたまでじゃ」

「その姫は確か凜姫様・・・・。あのお美しさは日の本一でござりましたな」

「今更思い返しても仕方が無い。兄上を慕いながら身罷られたのじゃ。もう良い」

「ハハー」

「ところで源二郎殿、兄上が亡くなられたのは我らが春日山城から戻って余り日が経っておらなかったではないか。蔵田殿のその後のことは知っておろうか。勘五郎には聞いてはおるがいささか心細うてな」

「鳴海院様、わたくしめは亡き御屋形様の命で堺に身を寄せ、諸国の内偵を仰せつかっておりました故、積もる話もございまする」

「奥で茶でもゆるりとお飲みなされるか」

「かたじけのうござりまする」

源二郎殿は鳴海院様に一部始終を語り始めた。

「源二郎殿は兄とは良く似ておったな。道満丸と野斜丸は双子じゃったが、同じくらいの風貌ではあったな。川中島の戦いでは武田領でも噂は絶えぬでな」

「滅相もござりませぬ」

「まぁよい。兄上の事じゃが」

「以前から中風を患っておられまして、医者からも諫言されたとの事ですが、無視されて日々の食生活は止まることが無かったそうです。連戦の疲れから抑制が出来なかったのでしょう」

「あのときは相当具合が良くなかったと言うことか」

「蔵田殿も申しておりました。正直、気をつけないと危ういと」

「そうじゃったのか。兄上が書状をわたくしに預けたのも分かるような気がするが。ここまでお家騒動が大きくなるとはおもわなんだな」

「景勝殿が突如本丸を奇襲されましてな。金蔵と武器庫を手中に収めてしまいました。日を待たずに、勝手に家督を継いだという布告を全国にだされましてな。拙者も驚いておりまする。景虎殿をいち早く支持した柿崎殿は景勝殿を支持する者に殺害される有様。景勝様は三の丸への攻撃に踏み切り、景虎様は憲政殿の御館に居を構えました」

「居を移されたのか」

「そうでござりまする。亡き御屋形様とは違い、景勝様は諸将に対し高慢な態度で従うよう布告したのに対し、反発する諸将が後に絶たず、お家は景勝殿と景虎殿の二大勢力で一進一退の攻防が一年ほど続いたでしょうか。その間に、勝頼殿は景虎殿と当初密約を結んでおりましたが、景勝殿の調略で勝頼殿は手のひらを返し、景虎殿を窮地に立たせたと」

「どのような調略なのじゃ?」

「なに、たいした事ではありませぬ。おそらく春日山城の金銀をちらつかせ、どこかの所領を差しだしたのでございましょう」

「勝頼殿も度重なる戦いで戦費も底をついていたということか」

「そうでござりましょうな・・・勝頼殿は景勝殿に寝返っても、中立の立場に扮しておいででした。幾たびか和議の交渉まではいくものの双方の言い分には溶け合うものはござりませんでした」

「勝頼殿を説き伏せたのは誰じゃ?」

新発田長敦という者でござりまする」

「源太殿の兄では無いか」

「兄の言いつけには背くわけには行かず、景勝殿の陣営で戦ったと聞いておりまする」

「致し方ござらぬ。源太殿の不徳とは言いがたい」

景虎様の死去には源太殿も泣いておりましたなぁ」

「源太殿が景勝殿からの恩賞云々での反抗ではなかったことは分かっておる。味方を欺すのには身内からというではないか」

「景勝殿もこれで棟梁としての器がないと、諸国にしらしめたと同じでござりましょう」

「源二郎殿、話はよう賜りましたが、これからが大変じゃ。お家騒動はこの先長うかかりまするな」

「道満丸様が元服を迎えるまでの辛抱にござりまする」

「書状にもそう書いておったな」

垂水源二郎殿と鳴海院様は回想に時を忘れていた。

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の三 風雲急春日山城04

鳴海院様は輝虎様が亡くなられて二年目にして初めてご遺言の巻物を見せた。

拙者もやっと日の目を見ることができた。

主文と添え文が述べられている。

全て血書であった。

獅子の武将印、地帝妙、勝軍地蔵、帝釈天妙見菩薩、輝虎様の印判。誰にも真似できない厳かな遺言である。

真に輝虎様の遺言状と呼ぶにふさわしい青苧の巻物であった。

「遺言。輝虎亡き後は次のように取り計らえ。

主文、

添え文、

天正五年八月 上杉輝虎

源太殿は感涙にむせんでいた。

「亡き輝虎様の印判と書状じゃ。間違いない」

「そなたを調略した安田顕元殿は景勝殿との板挟みで自責の念で自害したそうじゃ」

「それは聞き及んでおりまする」

「だいぶ悩んでおいでだったそうな」

「そうでござりましょうな。安田殿の堀江宗親殿への調略で景虎様は鮫ヶ尾城で自害され申した。当然でござろう。裏では景勝殿と兼続殿が糸を引いていることは間者からの話でも分かっておる故。自分の思慮の浅さはかさに呆れておりまする。安田殿はわたくしめの命の恩人成れば、情を重んじたばかりに景勝側に組み従ってございます。顕元殿が景勝殿に誓紙を差しだしているとは存じませんでした。わたくしめは景虎様とはよしみを通じておりましたので、お支えしようと思うておりました。しかし亡き兄は元々景勝殿を慕っておられた故、わたくしめも悩みましたが、結果的には景勝殿に加担したも同じ。わたくしの罪は重とうごぞざりまする」

「源太殿、そなたのことはわたくしめが良う存じておるでな。その事はもう良いでは無いか」

「ハ、痛みいりまする」

「源太殿、兄上のご遺言どおり、我らは乱世を終わらせねばならぬぞ。春日山城に幕府を開くのじゃ。それには景勝殿と兼続を亡き者にしなければ成就できぬ。内外の諸将の協力も取り付けねばな」

「ハ、おおせの通りにござりまする」

「源太殿、ここまで来たら、亡き兄上の御遺言は全国の諸将に告げねば成らぬが、景勝殿の後ろには兼続が指をくわえてこちらへの罠を仕掛けているという噂じゃ。心してかからねばならぬぞ」

「とにかくこれからは道満丸様を旗印に阿賀北を取り纏め、春日山城を奪還して越後をお守りせねばなりますまい。なぁに、青苧と鳴海金山があれば越後は安泰でござる」

「そなたはあいも変わらず鞘には収まらぬ者のようじゃ。交易と周りへの感状の気持ちも忘れるではないぞ。皆をまとめ上げる器量は上々のようじゃ。亡き輝虎様がそなたを国主にと言われたことも一理あるでな」

「お戯れを。拙者はそのような者にはなれませぬ。道満丸様をお支えするのが天分と心得ておりまするゆえ」

「分かっておる。分かっておるが、亡き御屋形様はそなたのそういう所が気に入っておられたのじゃ」

「年が明ければ、景勝殿と兼続がこの阿賀北衆を攻めてくることは必定。加地城が修復するまで新発田の城で道満丸様と秀綱殿とともに足をお運びくだされ」

「そう気を遣わなくてもよい。城の修復は奸計なのであろうが」

「それは・・・こちらに赴く口実にもなりまするゆえ」

「道満丸が元服を迎えるのにまだ日を要するが、源太殿、それまで武術を身につけてやってほしいのじゃ。この先そなたの助けにもなると思うのだが、いかがじゃ」

「もったいないお言葉・・・かしこまりましてござりまする。・・・ですが、少々手荒になりまするぞ」

「構うことはない。手加減は無用じゃ。それに武術も良いが、道満丸を領民に紛れて農民や治水の役にも遣わしてはくれぬか。領民の日々の暮らし向きを体現させたいのじゃ。さすれば政の大変さも体で覚えてくれるはずじゃ」

「鳴海院様、以前からそう申されると思い、既に勤しんでござる」

「・・・さすがに源太殿でござる。亡き兄上がそなたを兄弟の様に慕っておいでであった訳が今更ながら分かったぞ。苦労をかけるな」

「滅相もござりませぬ。道満丸様こちらへ・・・」

「叔母上様・・・」

「道満丸や、治水に勤しんで領民の大変さはどうじゃ」

「は、身をもって領民の大変さを感じてござります」

「それでよい。源太殿もそなたは逞しくなったと言うておる。亡き景虎殿も喜んでおいでじゃろう」

「痛みいりまする・・・」

「おぅ、そうじゃ、源太殿、そなたに会わせとうお方が奥に控えておる」

「どなたでござりまするか・・・」

「お会いすれば分かる・・・」

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の三 風雲急春日山城03

輝虎様亡きあと、翌日には景勝殿は本丸を占拠し、金蔵と武器庫を抑えてしまった。我こそが正当な継承者であるという布告を三月に全国に発給したが、正式な輝虎様の印判ではなく勝手に作ったものだったから、諸将からは嫌疑がかけられていた。景虎様も対抗して自前の布告の書状を作っていたが、それが景勝派と景虎派を二分するお家騒動に発展してしまった。

初めの頃景虎派は北条の支援と勝頼殿との密約で景勝殿を追い込んだが、景勝殿は源太殿の兄の協力で勝頼殿への大量の金銀の供与などで、景虎派への離間の計が功を奏し、大勢の逆転に成功していた。

天正七年四月、劣勢に立たされた景虎様は勝頼殿の仲介で景勝殿との和解交渉が成立した。和議のため春日山城へ向かう道満丸様と上杉憲政殿は景勝側の者に斬り殺される。景虎様の妻である華御前は自害、鮫ヶ尾城で景虎様は堀江殿の裏切りにあい自刃した。

景虎様の二人の姫は、配下の数人の護衛で紀伊の服部家に向かった。兄の北条氏規殿に密書を送り、家康殿と水面下で繋がっていた服部半蔵氏に伝わった。姫たちは伊賀と甲賀の忍びの家に匿われた。その後はくノ一となるかどこかの御前になるか知るよしも無い。

これで御館の乱は終息したかに見えたが、阿賀北衆では大きな動きがあった。斬り殺された道満丸様は実は野斜丸様であることはまだ誰も気づいてはいない。

景勝殿と兼続殿は輝虎様の遺言状はに気づいてはいないと、思われてはいたが、すでにその二人は輝虎様の留守を見て遺言状の盗み見をしていた。景勝殿の輝虎様への不信は亡くなる前から大きく根付いていた。

形の上での酒席などに顔を出さないのにはそういう理由があった。

道満丸様の死は諸将の間では公の事実として受け入れられている。源太殿の兄は景勝派で鳴海院様は景虎派だった。阿賀北衆の安田顕元が元々は景虎派だった源太殿を調略で景勝派に引き寄せていた。

やむなく源太殿は兄と共に加地城を落とす羽目になった。源太殿は形の上では加地城を落としたことにする虚偽の策にでる。

源太殿はすでに道満丸様の正体を知っていたからだ。

鳴海院様は源太殿が安田殿の奸計の策に陥ったと周囲に思わせ、韓信の股くぐりの計を巡らせたと察していた。兄の長敦殿への逆奸計の策を講じたことになる。源太殿は兄上とは確執が続いていた。

それでも鳴海院様は気丈な方だった。

正式な輝虎様の詔を源太殿に見せた。源太殿は涙ながらに秀綱殿と鳴海院様に詫びを入れた。道満丸様は加地城で元服を迎えるまでとの命も受けていた。

天正八年、源太殿は新発田城主である兄長敦の病死により家督を継いだ。源太殿は五十公野治長から新発田重家に名を変えた。それまで源太殿が城主だった五十公野城は勘五郎に与えて、名を五十公野信宗とした。

このときから、道満丸様を旗印にして、阿賀北衆は重家殿を中心に景勝・直江軍と来る決戦に向けて士気が上がっていった。

加地城の修復中の屋敷の一画に源太殿は鳴海院様を訪ねた。

「源太、いや重家殿、いま我らは大変なお家騒動ではあるが、此度はご苦労な事でござったな」

「わたくしめはずっと源太でござる。こちらの方こそ鳴海院様にはご迷惑をおかけもうした。許して下され」

「分かっておったぞ。仲川、麻倉、これへ」

「なんでござりましょう」

小姓の仲川と麻倉は丁重に青苧の巻物を差しだした。

「これは御屋形様のご遺言状じゃ」

「ご、ご遺言でござりまするか」

「生前、そなたと共に春日山城にお見舞いにいったであろう。そのときに兄上から内密に預かっていたのじゃ」

「こちらへは道満丸様もご一緒でしたな・・・。しかし、こんなことになろうとは思いませなんだ」

「とくとその目で兄上の詔を拝謁するのじゃ」

「ハハー、恐れ多き事でござりまする」

「そう畏まるではない。兄上とそなたの仲ではないか」

「・・・では、拝謁つかまつりまする」

源太殿は息が止まる形相で手が震えていた。

「こ、これは・・・、なんとお美しい巻物でござりまするな。この麗しい香りは鳴海院様がお召しの物と同じでござる」

「そのようじゃな」

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の三 風雲急春日山城02

勘五郎はすでに春日山城を脱していた。

拙者は景勝殿の配下に追われた勘五郎に背負わされながら、春日山城下ある民家にしばらく匿った。運良くそこは越後青苧座の蔵田五郎殿の大きな商家だった。

「お頭様、お客様でございます」

「こんな夜更けに誰じゃ?名を聞いてもらわぬか」

「ハ・・・」

「どなたであった?」

「勘五郎と申しておりました。かなり憔悴しておるようですが」

「勘五郎・・・すぐお通ししなさい」

「蔵田様」

「勘五郎殿、どうされたのじゃ。泣いてばかりでは分からぬ。真吉や茶を持ってこい

「・・・」

「どうされたのかと聞いておる」

「御屋形様が・・・」

「輝虎様がどうされた?」

「十三日寅の刻に身罷りになられました」

「何ですと」

「九日の軍議の後、厠でお倒れになりまして」

「あぁ、なんとお痛ましや」

「何日かお眠りになされ、そのまま身罷ってござりまする」

「誠であれば一大事じゃ。真吉や、これへ」

「すぐに堺へ使いを出しなさい。垂水源二郎殿といえば分かるが、名や風貌を変えているかも知れぬ。服部殿にも伝えるのじゃ」

「勘五郎殿とやら、輝虎様のご遺言はござったのか」

「こちらでございます。鳴海院様以外お見せするなとご下命を賜っております」

「つまり、御遺言状ということだな。この美しい青い巻物じゃな。麗しい香りじゃの」

「そうでござりまする」

「添えてある匂い袋は柘榴と茉莉花の香りじゃな。さては輝虎様の妹の鳴海院様のものではないか。城内では誰もが存じておる」

「中身はどなたもご存じありませぬ」

「勘五郎殿、そうとわかったら・・・堺にいる源二郎殿がこられるまでここで匿って下され。越後内は何処も関所で厳しいはずじゃ。源二郎殿と扮装して一緒に阿賀北の地まで案内してもらうのじゃ。無事御屋形様の書状は必ずお届けしなければいかぬぞ。景勝殿は執拗に追う性格のお方だ。鳴海院様も輝虎様がお亡くなりになった事を知れば狼狽するとは思うが。阿賀北衆にたどり着くのは難儀になるじゃろう」

「どうかお導きくだされ」

「なに、心配されまするな。阿賀北の関所を無事抜けるまで、源二郎殿が付いておるから安心せよ」

「かたじけのうござりまする」

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の三 風雲急春日山城01

其の三 風雲急春日山城

天正六年の正月を迎えた。輝虎様は機嫌

が良くなっていた。三度目の上洛を勢いのあるうちにすべしと言う家臣の総意も取り付けたからである。

だが悲劇は前触れも無く訪れた。

三月九日には軍務会議の後、輝虎様は厠へ向かうが突然倒られた。

その後昏睡状態となり十三日に亡くなられた。

春日山城は騒然となった。

輝虎様の遺言状がなかったからだ。

その遺言状の在処は勘五郎のみが知っていた。

お家騒動の一部始終はおぼろげならまだ拙者の記憶の中にある。

景勝殿には輝虎様と景虎様への一方的な鬱積を抱いていた。自虐的な性格が突如攻撃的になり、自失の念に支配されていた。亡き輝虎様の景虎様への偏重的な扱いという誤解は取り除けなかった。輝虎様の遺言状を盗み見するまでは至って和やかだったが。

輝虎様は国主で何事も公平に見る方だ。景虎様は北条家からの養子だから気をつかわなければならない。後継者を決めるのには第三者の意見も必定。その点から見ても景勝殿は景虎様の後塵を拝していた。

輝虎様がお亡くなりになって十日ほどで、景勝殿は家督相続の書状を書き、その正当性を国中の大名に布告した。景勝殿と兼続殿は輝虎様の生前に内密で遺言状の内容を知ってしまったがために、書状の有無には躍起になるのは当然のことだった。事が日にさらされたら景勝殿と兼続殿は自滅からは逃れられない。それが奇襲作戦の行動につながった。

景虎様は遺言状のことは何もご存じなかった。だが、景勝殿と兼続殿への相互不信は日に日に高まっていった。

「兼続、御屋形様の亡骸はワシが計らうゆえ、まずは本丸と金蔵と武器庫を占拠せよ。景虎には一歩も立ち入らぬよう警告しておけ。上田衆で脇を固めろ。阿賀北衆には抜かりなく対処せよ」

「分かり申したが、景勝様、まずは御屋形様の遺言状を手にしませぬと」

「そうだったな。そうせよ」

「殿」

「なんじゃ、どうした」

「御屋形様の御遺言が消えてしまいましてござりまする」

「・・・どうしてだ。以前兼続とそっと見たではないか」

景勝殿と兼続殿は輝虎が内密に書いていた遺言状を毘沙門堂で盗み見をしていた。遺言状そのものである拙者はそのことを目にしている。

「小姓の勘五郎はどうした?」

「ハ、今城内を探しておりまする」

「あいつめ、何処ぞに隠れおったな。兼続、早急に捕らえるのじゃ」

「ハハー」

「御屋形様の書状を誰にもみせてはならぬ。兼続、良い考えはないか」

「こうなったら、しかたがござりませぬ。早急に殿が新しくお作りなされませ。それを国中に布告するのです」

「それで良いのか」

「よろしゅうござりまする」

「自信があるようだな。それで不都合は生じないのか」

「それは」

「それ見よ、偽りのワシの印判では世継ぎは無理と言うことでは無いか・・・」

景虎殿も同じように為さっておりまするぞ」

「勝頼殿と上手く通じておるからのう。切り崩す策でもあるのか」

春日山城の金銀で調略は可能かと存じます。領地も少しおわけいたしましょう。勝頼殿はさきの長篠の戦いで惨敗し軍資金も底をついておるご様子。早急に新発田長敦に交渉を任せましょうぞ」

「上手く行くのか?金で動くようなお方とはとても思わぬがのう」

「やってみなければ分かりませぬ」

「今日は何日だ」

「三月も中程になりまする」

「それではお前に任せる。明日にでも布告するのじゃ。伊達、北条、織田、武田、毛利、島津、長宗我部、全てにじゃ」

「ハ・・・」

「しかし兼続、御屋形様のご遺言の書状が先だぞ。あの書状があってはワシもお前も切腹ものじゃ。布告を出しても諸将は振り向きもせぬであろう。ワシは逆賊となる。まずは小姓の勘五郎だ。引っ捕らえろ。まだ城内にはいるはず。あの匂いで所在は分かるはずだ」

「ハ・・・」

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の二 御屋形様の真意02

三の丸でようやく宴が始まった。

鳴海院様、源太殿、秀綱殿、景虎様、秀嗣殿の小姓の仲川・麻倉が輝虎様を囲んでの団らんだった。

輝虎様は青苧座の頭である御用商人蔵田五郎殿も呼ばれていた。

鳴海院様は他に輝虎様の想い人であった凜姫の縁者も密かに呼び寄せていた。

「待たせたな。そうじゃ、宴の前に皆にも会わせておきたい者がおる。五郎殿、これへ」

「越後青苧座の蔵田でござります。以後、御見知りお気を」

「おぅ、そなたが蔵田殿か。お噂はかねがね聞き及んでおりまするぞ。御屋形様の戦が上手く行っているのは御仁の御陰とな。阿賀北の鳴海金山と蔵田殿の青苧を合わせれば日の本を優に治められましょうぞ」

「源太、相変わらず豪快じゃなぁ。勘五郎、兼続にこう申せ。景勝も時には酒もたしなむことが必要じゃとな。呑めなかったら呑んだふりをすればいいのじゃ」

「御屋形様、景虎が思うに」

「どうした」

「景勝様は酒を召されないので、ただ遠慮されているのでは。それに」

「それに何じゃ?どういうことじゃ。はっきり申せ」

「わたくしが後年こちらの養子にさせていただいた上に、姫さまと四人もの子を授かり、初陣も先にさせていただいて。景勝殿には申し訳ないと」

「ハハハ、つまり、それは勝手にひがんでおると言うことじゃ・・・。あれでは棟梁にはなれぬな・・・もう良いわ。酒の肴がまずくなる。源太、どんどん呑むのじゃ。

朝まで付き合うぞ」

「恐れ入りまする」

「御屋形様、思い出しまするなぁ、初めての越山の折、わたくし目はまだ十四歳の頃でござりました。小田原攻めで初めて戦をしたときのことでござる。北条の話は景虎殿には聞こえは悪いがの」

「源太殿、昔のことでござる。一向に構いませぬぞ」

「よう言われた。感服つかまつった。この戦国の世で随一の美青年に乾杯じゃ」

「源太、酔うているな」

「御屋形様が義輝様から関東管領を賜った年のことでござるが、小田原攻めで思わぬ退却をされた時がござりましたな。そのとき拙者は戦いでの陣の配置が悪く、それでは負けも同然と激しく喧嘩をいたしました。御屋形様は察知してわたくしめをしんがりの役を仰せつかりましたが、無事春日山城にお戻りになられて良うござりました」

「そうじゃな。お前がいなんだら、ワシは灰と化したはずじゃ。目が覚めたぞ。あらためて礼を申すぞ」

「拙者は阿賀北の名も無き城主。恐悦至極にござりまする。うぃ・・・」

「四度目の川中島の折りでも、秀綱と功を挙げたようだな。頼もしい限りじゃ。秀綱も呑め呑め」

「兄上、源太殿の話が面白うございまするなぁ」

「ワシが見込んだ男だ。景勝と変わってほしいものよのぅ」

「源太殿はかなり酔うてござりまする」

「あいつには多くの借りがあるのじゃ。好きにさせてやってくれぬか・・・。そのうち春日山城の主になるでおろうからなぁ。ハハハハ」

「豪快な源太殿がおられれば越後も安泰でござりまするな。当方の苧と金山、銀山が手を取り合えば乱世に終わりを告げるのも夢ではありますまい」

「五郎殿もそう思うておるか。亡き義輝様もそう申しておったな」

景虎や、一つ聞いておきたいことがある」

「なんでござりましょう」

「越後の国をどうしようと想うとる?」

「そのようなことは・・・わたくしめには荷が重とうござりまする。いつも思うているのは、それは御屋形様への忠誠と義の結束でござりまする」

「相変わらずそなたは優等生じゃの。表向きはどうでもよい。ワシはそのうちいなくなる。そなたの心根が知りたいのじゃ。越後はこのままで良いと思うておるのか聞いておる」

「わたくしめは養子の身でござりまするゆえ、政に関しましては景勝様とは軋轢や誤解があってはならぬと常々思うてござりまする。何より、一献交えながら差しで話し合えばわかり合えるかと。それが叶いますれば越後は安泰かと」

「そなたは相も変わらず殊勝じゃのう。ワシが見込んでいた甲斐があると言うものじゃ。よく言った景虎。道満丸のこともある故にな」

「ワシが死んだらある書状を鳴海に見せてもらうが良い。おぬしを信じておるでな。だが、今しばらくは見せられないが」

「仰せのままに」

「兄上、わたくしめには一つ気になることがござりまする」

「なんじゃ」

「信長殿と家康殿のことでござる。彼らは天下布武をされるのでしょうか」

「配下に羽柴という者がいると聞いたが、おおぼらでなかなかの曲者と聞く」

「何やらこの先大きなうねりがあるのを夢にみるのでござりまする」

「どういう夢じゃ」

「この越後が争乱となる夢にござります。御屋形様の世継ぎの方は上洛せず、どなたかにひれ伏す姿を。わたくしめには見とうございませぬ。いやな予感が押し寄せるのでござりまする」

「そなたは肝が据わっておるのだが、幼少の頃から先回りするところがあったな。ほれ、ワシはまだこのように元気では無いか。越後はこの先も安泰じゃ」

「わたくしめもそのように想いたいのでござりまするが」

「それじゃから、はやく手を打っておくのじゃ。鳴海に託したのには訳があるのじゃ」

「よく分かり申した・さて、兄上、ご無礼かと存じましたが、かの方をお呼びしてござりまする」

「はて、誰じゃ」

「お会いすればお分かりになりましょう」

「お久しゅうござりまする」

「はてどなたでござろうか」

溝口秀勝でござりまする」

「そなたはたしか、丹羽殿、いや信長殿の」

「そうでござりまする」

「凜姫は息災でござったか」

「はぁ、母上の妹でござりましたが、十代の頃に縁談が取りやめになりまして。それ故わたくしの方で引き取ってござりました。昨秋労咳を患い亡くなりましてござりまする」

「なに、身罷われたのか・・・ワシとは二つ違いであったの」

「これがその形見でござりまする」

「ワシにか。どうしてじゃ」

「亡くなる前に叔母上がどうしてもと。生涯独り身を通されました」

「残念無念じゃ」

「やはり、輝虎様の想い人でござりましたか」

「はっきり申す。溝口殿の言う通りじゃ」

「そうでござりましたか。痛みいりまする。それをお聞きし安堵いたしましてござりまする。かの姫の御霊もうかばれましょう」

「鳴海、縁者とは溝口殿のことだったのか」

「申し訳ござりませぬ。溝口殿のご生母さまとはよしみを通じており増した故」

「おぅ、そうであったな。凜姫殿にはいささか詳しいので、不思議に思うておったのよ」

「源太・・・。溝口秀勝殿じゃ。そなたにご執心のようじゃ」

「溝口でござる。お初にお目にかかりまする。川中島でのご武勇、信長様も大層お気にめしております故、尾張にもたまには旅にと仰せつかわっておりまし」

「拙者めに士官をせよと」

「滅相もござらぬ。殿はただ」

「信長殿にお伝え下され。拙者は越後からは出るつもりはござらぬ。二人の方には仕えぬ事はお分かりであろう。二心は片隅にもござりませぬ」

「しかしでござる」

「しかしもお菓子もござらぬて・・。それよりも、尾張の酒でも戴こうかの」

「それは」

「秀勝殿、もう良いでは無いか。こやつは、一度言い出したらてこでも動かぬでな」

「申し訳ござらぬ」

「惜しゅうござるな。信長殿も」

「申し訳ござらぬ」

「秀勝殿、話はそれくらいに」

「輝虎様、お見苦しいところを」

「溝口殿、これも何かの縁じゃ。今夜は飲み明かしましょうぞ」

「鳴海院様、有り難き幸せ」

「源太殿も気持ちだけは有り難く受け取るのだぞ・・・。こののち、景虎共々溝口殿とご縁が続けば頼もしきことじゃ」

「ハハー」

宴は深夜まで続いた。

源太殿や景虎様と秀勝殿は兄弟のように宴席でよしみを通じていた。

数日後、鳴海院様一行は道満丸様を伴い下越の阿賀北衆の途についた。

輝虎様の書状は年明けの雪解けをもって、小姓の勘五郎が加地城の鳴海院様に届ける手はずになっていた。

道満丸と重家(鳴海院~謙信の詔)其の二 御屋形様の真意01

其の二 御屋形様の真意

輝虎様は三の丸での宴の前に鳴海院様を毘沙門堂に招き入れた。

春日山城は大きゅうござりまするなぁ。子供の頃と変わりませぬ。変わられたのは城主だけ」

「ここにそなたを呼んだのは他でもない、これからの越後のことだ」

「かような女ごときにそのような大事なことをおっしゃられても」

「そなたのご生母は公家の出だが、武術に秀でた天皇家の守り人の血を引いている。ワシが寺に入ってから目にしたあの姫君はそなたの従姉妹でもあったな。はからずも、下克上のなかでの悲劇であった。そなたも越後一の美貌だったが、あの姫君は言葉には言い表せぬ美しさだったのう。いま思えば悔しくて仕方が無い」

「わたくしが・・・だった、でござりまするのか?」

「いや、言い間違えじゃ。そう怖い顔をするな。ゆるせ」

「かの凜姫は兄上と離れ離れになったあと、嫁がされると聞いておりましたが」

「相手は何処の諸将じゃ」

「わかりませぬ。凜姫は嫁ぐ前に突如姿を隠されたそうでござりまする」

「それでどうしたのじゃ」

「兄上、血相が変わられておりまするぞ」

「・・・・・」

「御屋形様であろうお方がそのようでは困りまする・・・縁者の申すには、凜姫殿の姉に身を隠されたと聞いておりまする」

「その後はどうした」

「溝口殿は嫁ぎ先のほうから叱責され石高を半分にされたとか」

「して凜姫は」

「未だに独り身を通しているそうでござりまする」

「・・・・・」

「兄上のことをお慕いされていたからでしょう」

「たしか鳴海も父の政略で春綱殿に嫁いだのであったな」

「わたくしとて今は独り身でござりまするが・・・何か」

「しかし凜姫にはすまぬことをした」

川中島の二度目の戦の後でございましたでしょうか。軒猿の者から聞き及んでござりまするぞ。兄上は家臣の領土争いや国衆の争いでお疲れになり、一時出家を試み、高野山に向かいましたなぁ。その間に、大熊殿が武田に寝返り、急遽春日山城にお戻りになり、討ち果たしたことは賢明でござりました。そのことが越後を堅い絆で纏めることになったのですから。それに・・・」

「それに何じゃ」

「兄上の出家の理由でございますが、女の勘ですぐ気づいてござりました。あの凜姫が愛しくなったのでござりましょう?」

「何を言うておる。家臣の内輪もめで疲れていただけじゃわい」

「妹に隠し立ては通りませぬぞ。勘五郎殿が内密で私目に言っておりました。うわごとで想い人の名を言い続けていたと・・・」

「勘五郎め・・・。鳴海には負けたわ。家臣の争いで疲れておったのではない。凜姫のことが忘れられなくてなぁ。このワシが毘沙門天の化身とは良く言うたものよのぅ」

「ご自分を卑下してはなりませぬ。それが女子への誠意と義でござりますれば。兄上の小姓とはいえ勘五郎には非はござりませぬぞ」

「分かっておる。ワシも言い過ぎたわい」

「女子との情は致し方ござりませぬ故」

「そういえば鳴海にも嫁ぐ前には、確か好いた武将がおったのぅ」

「兄上、話の筋がそれてござりまする。もう昔のことでござりまするぞ」

「おぅ、そうであった。ワシとしたことが。鳴海だからこそワシの本心を聞いてもらいたかったのじゃ」

「そこまでおっしゃるのなら。いかほどでも聞いて差し上げまする」

「先ほどのワシの書状をいま見てくれぬか。勘五郎お渡ししろ」

「なんの巻物でござりまするか」

「読んで見てくれぬか」

「こ、これは・・・」

「いかがした」

「天下布義の詔ではござりませぬか。信長殿の天下布武の真向かいでござりまするぞ。これでは争いは避けられそうにありませぬ・・・。それに・・・詔は御所のお言葉でござりまするぞ。信長殿は日の本の天子になるおつもりなのでしょう。安土城を築いて日の本はおろか伴天連にも信長殿が国の王であることを知らしめるのはそのことがあるからでござりましょう。安土城の天主閣の下に御所の安息所を設けるというではござりませぬか。永徳殿がそのような屏風の依頼を信長殿から依頼されていると軒猿からきいておりまする。さすれば帝は信長殿に臣従ということになりまする。兄上も同じでござりまするのか」

「そう怖い顔をするな。そうではない、毒をもって毒を制する。乱世が終わったその後は政に専念するのじゃ。御所を蔑ろには出来ぬ」

「信長殿はやはり天子様を目指しておいでのようじゃ。力があれば誰でも皇帝になれるとお考えなのじゃ。家臣達にはよく思われぬと聞き及んでおりまする。元のチンギス・ハーンや大明帝国永楽帝のように」

「乱世が終わるのならそれも良かろうて。今はしかたなかろう」

「兄上、そのことはよう分かりもうした。ですが、家督に関しては早まってはなりませぬ。これでは皆納得しませぬぞ」

「ワシの遺言でもか。毘沙門天の化身も落ちぶれたものよ」

「そうでは有りませぬ。おふれを出せば皆従うでしょうが」

「そこが問題なのじゃ。景勝も景虎も承諾してくれれば良いのだが。その懸念が徘徊したら埒があかなくなる」

家督相続の件は兄上のことに関する故、わたくしめには、何も申すことはござりませぬが、些か不安にもなりまする。値踏みをするなど恐れ多いことではござりまするが。

次の御屋形様(御実城)、御中城様、関東管領様の棲み分けは上手く行けばよろしゅうござりまする。がしかし、大事なのはその方の器量でござりましょう。わたくしが見るに、景勝殿は国をまとめ上げる器があるとは思えませぬ。側近がいなければ何も出来ますまい。力のある方に従うというお方と御見受けいたしまする。越後の金銀量は日本の約半数を占め、青苧の扱い量で天下に号令をかけられるほど財政は潤沢でござりまする。兄上をお継ぎになるかたなら、それを礎に「天下布義」を貫かねばならぬでしょう。もはや信長殿と争うのは必定。手取川の敗戦でより敵意をもって攻めてくるやも知れませぬ。ある意味、後漢曹操のように振る舞う器量でないと越後と春日山城は守れますまい。ですから景勝殿ではいけませぬのじゃ」

「鳴海は相も変わらず鋭いところを突くのう。景虎はどう見る?」

「どちらかと言えば景虎殿のほうがよろしゅうござりましょう。北条と上杉の同盟でこちらに来られた方ですから。七尾城、手取川の戦の噂も良く聞き及んでおりまする。諸将の間でも人望は厚いと聞いておりまする。兄上の期待は裏切ることはありますまい。ただ、今は表には出さないほうがよろしゅうござりまする。なぜなら、景勝殿の景虎殿に対する嫉妬心が強すぎ、被害妄想的なところがありまするゆえ、何が起こるか予想することは決して出来ませぬ」

「あと一人おるが」

「一番理想とされるのは、今の兄上のお気持ちのままに進めることでしょう。ご遺言状はそれでよろしゅうござりましょうが、景勝殿がどう思われるか・・・それを見れば景虎殿も景勝殿も無碍には出来ぬはず」

「鳴海に申したら胸のつかえが降りたわい」

「こうして拝見すると、獅子の印がよろしゅうござりまするなぁ。勝軍地蔵・帝釈天・妙味菩薩の左に兄上の印をおふれになれば諸将の皆は国主としてお認めになるはず」

「ワシ以外に見せられるのはそなただけじゃ。阿賀北の加地城までには道中くれぐれも気をつけるのじゃぞ。なぁに、源太が付いておる。勘五郎もおる。秀綱もおるではないか。小姓の仲川・麻倉も」

「そうでございましたな」

輝虎様と鳴海院様はそのあと一刻のあいだ毘沙門堂で歓談した。