32の味わい (original) (raw)

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シアター能楽の英語能『オッペンハイマー』へ。

昨年エルヴィス・プレスリーを題材にした『青い月のメンフィス』を観てたいへん面白かったので楽しみにしていた。先に言ってしまうと演目としては『青い月のメンフィス』のほうが好みではあった。エルヴィス・プレスリーの音楽のもつ強度と、大スターの持つ多面的な顔、そしてその孤独が一人のファンガールと共鳴する構造は物悲しい美しさがあった。また、はじめて英語能を楽しむという姿勢でエンタメ的にも消費しやすかったのかもしれない。

去年の感想↓

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8月6日と9日に上演される『オッペンハイマー』は徹底して因果の物語として構成されており、テーマのシリアスさはある程度覚悟していたが、国や言語だけではない越境と接続の工夫に度肝を抜かれた。因果から逃れられると答えて500年狐の姿で生き死にを繰り返す僧・百丈∕平家物語俊寛オッペンハイマーの魂が混然となり因果を一心に引き受ける覚悟ができたときに不動明王から倶利伽羅剣と縄を受け取り、あらゆる魂を解放に導く舞を舞う姿を観客が証人として見届ける。

台本を見たときに物語として複雑であることよと思った。ぶっちゃけけっこう難しい。しかし要素がミルフィーユのように多層になっていることで豊かな味わいにもなっているように思えた。

ワキは四国から「重い悲しみが胸に降って」きたことをきっかけに広島までやってきた遍路である。私はこの突然わけもわからず「重い悲しみ」にとらわれることがとても大事なことだと思っている。原爆が落ちた数十年後に生きるお遍路と広島の地がコネクトしたわけで、この力を共鳴や共感、あるいは想像力、いろんな言い方ができると思うが、それこそが歴史とつながる方法だと実感しているからだ。

ワキは不動明王の夢を見て広島へ行くお告げを受け、狐と高僧にゆかりがあるという山寺へ向かい、そこでシテに会う。シテは禅宗公案の一つ、『無門関』の中の「百丈野狐」という法話に出てくる百丈の話をし、続けてオッペンハイマーについて語りだす。

ちなみに台本ではこの前シテは俊寛の面をつけている設定とされていたが、6日の舞台では前シテこそがオッペンハイマーの面であったように思う。そして、後シテが俊寛の面?と思ったのだけどどうも「俊寛」ではなくて目が金色であることなどを見ても「三日月」に似ているようである。識者に教えていただきたい。

それから永い時を経て、ロバート・オッペンハイマーが作り出した爆弾は広島の街を一瞬に破壊し、人々を焼き尽くし、何百年もの苦を世に広げました。百丈と同じく、オッペンハイマーは世の虚無に陥ったのです。科学者の眼で原子より小さい世界を見通すと、そこには因果の律が働かないようでした。この智慧オッペンハイマーは目がくらみ、心を失いました。自分の作る爆弾が破壊するであろう何万の、ひいては何百万の人々のことを忘れてしまったのです。

何かしらの真理を追い求めて探究する美学の裏で、それが恐ろしい計画に使用されたときに人間が責任を負えない出来事は様々な場面で起こりうることである。核だけでもチェルノブイリ、水爆実験の第五福竜丸の被ばく、そして自分も体験した東日本大震災が脳裏に浮かぶ。コントロールできるという慢心が「悟りを得た人間は因果から解放される」と答えた百丈禅師の驕りと重なり、また島流しにあった俊寛が仏僧でありながらも我を失い心乱れる姿とも重なるように思う。能の俊寛は見たことがないのでぜひ何かの機会に見てみたい。

人によってはオッペンハイマーを悲劇のヒーローに描いているじゃないかと憤りやもやもやを感じる人もいたかもしれない。

私は因果から逃れられないことを理解したオッペンハイマーが、不動明王によって力を得て衆生のために踊り続けるのを一瞬「許し」のように感じて優しい物語なのかも…と思っていたが、どうもそうではないんじゃないかと一晩経って思い直し始めている。

この舞台におけるオッペンハイマーの罪はけして許されるものではなく、恐ろしい因果を一身に背負う存在として永遠に炎の中で踊り続けることを課されている。あとはオッペンハイマーという名前はついているが、人間の慢心や業の象徴的存在のようにも感じた。

ともあれ、万人から愛され文句のつけようがない作品なんてなかなかないわけなので、私は試みとしてはたいへん面白く思ったし日本以外でも上演されてほしいなと思う。まさかオッペンハイマーも自分が能に取り上げられるとは思いもよらないだろうな…。

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この舞台を観る前に友人と災害や戦争への距離の取り方の話をしており、自分は広島と深い縁は結んでいない自覚があるためこういう形で関心を持つことができるのかもしれない。

というのは私自身はこのブログで語ってきたように3/11が偶然にも誕生日で震災を体験しているのだが、震災について語ろうとするとあんまりうまく話せる感じがなくて、他人に一生懸命話しても頭の中で(いい感じにまとめようとしているな)(悲劇のヒロインぶっているな)ともう一人の自分が邪魔をするわけである。

なので「生きてるといろいろありますよねーハハハ」と終わらせてしまうことが多い。実際そうとしか言いようのないものもあるんだけど、どうもうまく体験をつかみとることができないし、いわゆるショックを受けた人が陥る失語状態とまでは至らないが、途端に口が錆びついたような感覚になる。

代わりに最近は国内の、特に西側や南側の歴史にまったく関心がなかったまま生きてこられたことが恥ずかしくなり、実際に足を運びたいなーと思ったり(思うだけだったり)運んでみたり、関連する読書をしたりと少しずつ関心を持ち始めている。それは自分と物理的にも精神的にも距離があるからできることであるのかもしれない。

あまりにも近いことは受け止めきれず、あるいは気持ちにダメージが与えられ、目をそむけたくなったりもする。すべての〇〇に反対しますと言うときに当然そうは思っていても実際にすべての事象にかかわることは不可能である。差別や戦争が良くないというのは当たり前としても、やれることをやれる範囲でやる。そして、自分の関心が自分の身近な場所ではなくて別の場所にあるのであれば、そこに対して近づいて知っていこうとする努力だけはしていきたい等と考えた一日だった。

前提

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96年やっていきます。

セブン

ジュマンジ

いつか晴れた日に

トレインスポッティング

ノートルダムの鐘

どれも何回も観ている大好きな映画です。

「セブン」

私は陰惨な映画が好きなので精神安定剤として何回も観ちゃうんですけど、その中の一本がこれ。ストーリーはシンプルで直線的、洗練されていてなおかつちょっとしたどんでん返しがある。本家のスペースでもばちこさんが仰ってましたけど、このあたりから見せ方や技術に工夫を凝らす感じの映画が増えてきましたね。

90年代ってどんぴしゃで私の10代なのですが、94年にロバート・K・レスラー「FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」、96年にトリイ・ヘイデン「シーラという子 虐待されたある少女の物語」などが出版されはじめ(どれも早川書房)、読んでいた記憶が。70年~80年代から精神がどういう構造になっているのか実践に移したことが本格的に記録になりはじめ、それが日本でも語られ始めるようになった時期だったと思います。

正直いま触れると露悪的なところもあるのですが、頭の中がどういう仕組みになっているのかを映像にどう起こすのかが工夫され始めていて、その表現における金字塔になったのが「セブン」である気がします。カイル・クーパーのオープニング然り、ジョン・ドゥの部屋の美術然り。

あとこれは90年代から2000年代の映画に特に多かった気がするんですけど、映画のノベライズ本ってめちゃくちゃたくさんあった気がします。「セブン」ハムナプトラ」「ハード・ターゲット」など私も好きな映画のノベライズは持っていました。推しの詳しい描写、欲しいじゃん…。その中でも「セブン」は二見文庫さんから出ているのですが、その中でも私が特に印象に残っているのはサマセットがバラの壁紙を切り取って持ち歩いていること。彼の心の安らぎの象徴として出てきた気がしますが、10年くらい読み直してないので間違ってたらすみません。映画ではメトロノームがその役割を果たしていましたね。

最後にデヴィッド・ボウイのThe Hearts Filthy Lessonが大好きです。このコンセプトアルバムも刑事から被害者まで全部ボウイが演じていて、全体的にセブンの世界観と合っていて良かったな。

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ジュマンジ

96年当時に映画館に友達と観に行った記憶。これは今でも大好きな映画です。ロック様主演のリメイクが作られ、姉妹版の「ザスーラ」という作品もあったけどこれが一番かな。

なんといってもゲーム盤のぬめるような美しい木の彫刻と駒の象牙のような質感。モノとしての魅力がものすごくて見ている私も手を伸ばしたくなるような物体です。太鼓の音もむちゃくちゃいいですよね…。

あれって孤独で寂しい気持ちを抱えている子どもにしか聞こえない設定になっていて狡猾というか、おそろしいゲームだなあ。子供向けで100分映画なので展開が早いんですが、テンポ感が良いので全然違和感がない。再鑑賞して確認したらなんと開始7分でアランがゲーム盤と出会っていた(笑)これには驚きました。ちょうど15分で過去パートが終わって、現代のシーンに入るわけです。ちなみに私のキルスティン・ダンストとの出会いは「ジュマンジ」が初です。

また、主演がロビン・ウィリアムスなわけですが、無垢がそのまま大人になりました、みたいな目の輝きを見るとこの人は「フック」やこれも大好きな「アンドリューNDR114」もそういう設定だったけど稀有な俳優さんだったなあと思います。いなくなって本当にさみしいです…。

見返すといろんな無理な設定があって、いやいやいやジャングルにライオンはいないだろとか、なんとなくの恐ろしい未知の土地としてのジャングル像で北から目線をビシバシに感じますが。

アランが対峙して乗り越える対象としての「父親」とジャングルで執拗に罵りながら追ってくる「ハンター」ヴァン・ペルトを同じ俳優(ジョナサン・ハイド)が演じている設定は子供ながらにそういう方法でテーマを語ることができるのか!と感動した覚えがあります。

いつか晴れた日に

アン・リーが撮るジェーン・オースティンもの良すぎるな…。原作はオースティンの「分別と多感」で、主人公となる理知的で控えめな姉エリナーをエマ・トンプソン、率直で情熱的な妹マリアンをケイト・ウィンスレットが演じています。脚本をなんとエマ・トンプソン自身が書いているらしくてまじですごい。アカデミー賞脚本賞取ってるそうです。

ほんとうに良質ないい映画という感じで、これは私は子どもの頃に親が図書館から借りてきたのかな、VHSで観ているのですが今でも心に残るくらい素敵な一本だと思っています。姉妹の相手役をそれぞれ若かりし頃のヒュー・グラントアラン・リックマンが演じています。

話としては典型的なオースティンものではあるのですが、私は基本的に恋愛ものが共感できないけれど好きなものは好きという感じで、オースティンは好きなんですよね。今でいうリアリティーショーを観ているような感覚に限りなく近く、人間の心の機微は不変であるなあと思います。女性が自立して生きるのがほぼ難しい状況の中、自分の心に真摯に生きる姉妹たちの姿が染みます。

エマ・トンプソンの抑えた演技もほんとうに大好きなのですが、白眉なのはケイト・ウィンスレットの鮮烈な演技。とにかくロマンチックが大好き、詩が大好き、素敵な王子様が現れるのを夢見てます!!というマリアンを堂々と演じていて、このドラマチックさに儚さを足すと「ハムレット」のオフィーリア、力強さを足すと「タイタニック」のローズにつながるんだなあと彼女のブレイクにも納得です。

大雨の中、自分を振ったウィロビーの屋敷を見に行って「ウィロビー!」と呟くシーン、ずっと忘れない。冷静に考えると周りに迷惑をかけまくっているので大変なキャラクターなんですけど、そこは10代の女の子なので…(笑)

トレインスポッティング

アーヴィン・ウェルシュの原作小説もかなり好きで何度も読んでいます。原作でスコットランドの大出世枠であるショーン・コネリーと脳内でずっと会話しているシック・ボーイがかわいい。

なんかすごい人気なので好きと言いづらいんですけど。ダニー・ボイルの画期的な映像表現も素晴らしいし、音楽も私は詳しくないのでよくわかんないんですけどかっこいいし、刹那的に生きる若者たちの姿を見てこういう世界もあるのかあ…とぼーっと20代の頃は観ていましたが、良く考えなくてもこれけっこうハードできつい世界ですよね。

「どこにもいけない」感が厳しく、資本主義もまっぴらごめんなレントンがドラッグに溺れて逃避するしかない気持ちがしんどい。すさんだスコットランドと明るいロンドンの違いも今観るとなんとなくわかってきた気がします。

今観たらレントンパパ、ジェームズ・コスモじゃんとなったり。あとダイアン役のケリー・マクドナルドはこれ以降の作品も好きですね。Netflixの「Giri/Haji」もすごく良かった。「T2 トレスポ」はベグビーのおつらみ以外よくわかんないな????で終わってしまったんだけど、もう一回観たら違うかしら…。

ノートルダムの鐘」

私の人生を変えてしまった一本。あちこちで呟いているのでもうあんまり言うことないんですけど…。でも今観てもディズニー史上最高の作品だと思っています。アニメーションが本当に丁寧で華やかで美しいし、アラン・メンケンの音楽も素晴らしいし、オープニングはまじでディズニー史上最高の(以下略)

なぜ私はこれを劇場で観なかったのか。悔やまれるのはそこですが、これは5つ下の妹がプレゼントでVHSをもらっており、それを流しているのを学校帰りの私がたまたま見かけてフロロー判事のヘルファイアにくぎ付けになってしまったのが始まりです。

ていうか今知ったんだけど、クロード・フロローだけ別枠でwikiの記事作られてるのなんで!!! 爆笑している。それだけ今は人気なんだろうなあ。映画にはまっていた22、23年前の当時はフロローが好きな人は数えるほどで、いつも同好の士とHPでファンフィク書いたりしていた時代が懐かしいよ…。いかんいかん、フロロー以外の話もしなきゃ。

しかしディズニーがよく「ノートルダム・ド・パリ」をミュージカル映画化しようとしたなあと今でも驚きをもって考え込んでしまう。民族差別やルッキズムの問題に切り込んでおり、欺瞞に満ちた権力に正面から訴えかける力強さがある作品。もちろん全部が全部肯定できるわけではないし、実写化を待ち望んでいるものの難しいだろうなあと思ったりはしている。

最後に劇団四季の黄金期の俳優さんたちが吹き替えをしている奇跡についても言及したい。どういう経緯なのか本当に謎なんだけど、まじで、なにゆえに劇団四季にオファーがいったの!????? ほんとにありがと!!!!!!! んーまっ!!!(激しいキス)

エスメラルダ役の保坂千寿さん大好きすぎるよ。フロローの台詞を演じた日下さんやクロパン役の光枝さんが亡くなったのが寂しすぎるが、私が歌を始めるきっかけを下さってありがとうございますという私的感謝しかない作品です。あと5万字くらい書けそうなくらい好きだな。一生大好き。

前提

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95年やっていきます。

激流

耳をすませば

カストラート

ショーシャンクの空に

マクロスプラス MOVIE EDITION

なんかむちゃくちゃなラインナップだぞい。ではまいります。

「激流」

これはTV放映か何かで観た記憶があります。川下りの名人ゲイルは家族とともに若いころに親しんだ川へやってくる。そこで出会った青年たち一行と親しくなるが、実は青年たちは強盗殺人犯で、彼らの逃走劇に巻き込まれてしまうという話。

まず主演のメリル・ストリープ、まじで川下りスタントなしでやっているらしくてすごい。二の腕ムキムキのメリルが観られるのは「激流」だけ!(????)

そしてこの映画でケヴィン・ベーコンジョン・C・ライリーと私は出会ったのですが、ほんとうにケヴィン・ベーコン演じるウェイドが恐ろしくて恐ろしくて。他作品でもケヴィン・ベーコンが出てくると(こいつは何をするかわかんないぞ…)と身構えてしまうくらい見事な演技でした。

これを機にと観直したのですが、やっぱりむちゃくちゃ怖いよ。こんな悪人、なかなかいないですよ。いっけんふつうの陽気で爽やかなお兄さんに見えるしゲイルも息子のロークもそれで心を許してしまうのですが、自分の目的のためなら冷酷に淡々とやることをやる感じと自分が少しでも見下されたり気に食わないと思ったら即暴力に訴えるところがマジで怖かった…。超自己中心的なやばい人でした。ジョン・C・ライリーはこれ以降もなんか癖のある顔だけど本当は気弱な人のイメージが固定されてしまった(笑)

劇中では主人公ゲイルの父が難聴(耳が聞こえづらいと字幕にあったが…)あるいはろう者であると示されていて、つまり主人公家族が手話ができる理由としてそういう設定になっています。主軸部分にはろう者がいないので、今だったらそういう作られ方はしないだろうと思います。が、子どもの私にとってはものすごく強烈な印象が残っていて、私は「こういうときのために手話を覚えないと…」と手話をかっこいいものとしてとらえていました。

家族の復縁ものとして撮られていますが、女性のスポーツアクションがこんな風にかっこよく撮られている作品は他になかなかないように思いますし、あとやはりカーティス・ハンソンなだけあってきっちり撮られているので観やすいです。犬は無事です。

耳をすませば

言うほど好きかと問われると私は当時、ミームっぽくなっていたラストがほんとうに嫌だなあと思っていたのですが、文学少女が図書館で素敵なBOYにMEETSする設定には、まあふつうに憧れましたよね…それがヴァイオリン職人を目指しているなんてやりすぎだろ!!!とは思いますが、もともとはりぼん掲載の少女漫画でやんすからね…。ちなみに柊あおい先生の「星の瞳のシルエット」も面白いです。正直、天沢くんより杉村の方が素敵だと思っていました…バロンがいちばんかっこいいけどね! なんたって声優が露口茂さんだもんね。良すぎるよ。

思春期に小説を書くことに夢中になるって私もやっていたんですけど、恥ずかしいじゃないですか…でも自分の中にどういうものが根付くのかという点でとても大切な作業だったなと思います。今は当時好んで読んでいた作品からは離れてしまったし、自分の書いていたものもそれらの二番煎じというか上澄みを真似しているだけのしょうもないものでしたが、自分で製本もして挿絵も描いて、作品として形にしていくのとっても楽しかった。これが長じて同人文化に手を染めることになるとは思いもしませんでしたが。

あとこの映画の何がいいかと思うというと、お父さんも司書で雫のやりたいことをしっかり応援してくれる態度、お母さんも社会人学生(大学院生)である設定。特に学問に打ち込む母親の姿がジブリアニメで示されたのってすごく素敵なことだと思っています。

余談ですが95年映画で「乙女の祈り」もあげるか迷っていたんですよね。見直すたびにそんなに面白くはないなと思うんですけど、定期的にふと思い出すインパクトがある。こちらは少女たちの創作が最終的に恐ろしいところに行きつく話ではありますが、少女の自己実現としての創作映画が同じ年に公開されているのって面白いな。

カストラート

ジェラール・コルビオ監督、もう80代なのか…。はい、これは完全に仕事で使うためにDVDをヤフオクで競り合って買いました(笑) 実際自分がバロック・オペラをよく学生時代に歌っており、カストラートについて関心が高かったことがきっかけ。

女性が舞台に立つのを禁じられたこともあり、去勢手術を受けて身体は成人男性となるが男性ホルモンが出ないために高音で歌える歌手になった人がカストラートと呼ばれるわけですが、当然ながら優れた歌手になれるのは一握りだけ。その中でも実在したスーパースター、ファリネッリを描いたのが映画「カストラート」。

フィクションではありますが、貧しい家庭に生まれた兄弟の話として描かれています。スターになった弟カルロ(のちのファリネッリ)が歌い、兄リカルドが作曲をして大成する二人。しかし彼らはジョージ2世の庇護を受けたヘンデル派と敵対する王太子フレデリック・ルイスパトロンの貴族オペラ、この二つの政治的な争いに巻き込まれるようになり…というのがあらすじ。

ほとんど兄と弟のビッグ感情の話です。ニコイチだった二人の男が別々の生き方を選択するまでのロマンチックな話といってもいいかもしれません。コルビオ監督の作品だとフランス・オペラを作ったリュリ→♡→ルイ14世を描いた「王は踊る」も名作なのですが、この人こういう話好きなんだろうな…。

私の好きなヘンデルが出てきたりするのもうれしい。見どころはなんといってもオペラのシーンで、この場面ではソプラノ歌手とカウンターテナーの声を合成したものが流れているのですが頭に羽根をつけてゴンドラで天上から降りてくる演出など、まるで宝塚歌劇団の男役のような華やかさ。おそらく需要のされ方も同じだったのではと思います。

この時代のオペラはとにかく歌手が自らの技巧を披露するものであり、役柄は神話や歴史の英雄や王を描いたものばかり。リアルな人間の姿を描くというより不変で美しく完全な姿を愛でるようなものでした。

こういった完全な神/英雄のキャラクターを歌い続けたのが、人の手によって作られた男性としても不完全な存在である(という描き方をされた)カストラートファリネッリであり彼が実存理由に葛藤するという筋書きは今だったらぜったい作れない無理な内容。とはいえ、当時はこのような苦しみを味わった人もいただろうなというのがよくわかります。

そういえば私がカストラートという存在と初めて出会ったのは鳩山郁子先生の名作漫画「カストラチュラ」ですがこれは架空の中国を舞台に「カストラート」+「さらばわが愛/覇王別姫」みたいな内容で、おそらくどちらもご覧になっているんだろうなと想像します。

ショーシャンクの空に

本家でも語られており、もうあんまり言うことない…(笑)

が、やっぱり流していると観ちゃうんですよ。同じ年に公開されている「黙秘」もキングの小説「ドロレス・クレイボーン」を基にしていてこっちを観たときに女性版ショーシャンクみたいだなと思った記憶があるんですけど、どうしたって「黙秘」の方が女性への暴力をテーマに母と娘を描いており、ロケーションやシチュエーションもあってずず暗いというかもっと陰惨な感じです。ショーシャンクはどこかしら陽の雰囲気があってラストも希望に満ちていて見やすいです。

あとこういう役柄のティム・ロビンスが好きなんです。賢くて優しいし、ちょっと頑固なところがあって、しっかりしているんだけど、どっかサポートしたくなる笑顔が儚い感じの…レッド、おまえもそうなんだろ? わかるよ。でっかい天使だよな。

BATIさんも仰っていたけどトーマス・ニューマンの音楽もいいですよね。

7/28追記

観直したらやっぱりいい映画。魂の自由と不屈の抗い。キングのこういう小説って人が生きることのしんどさ、形容できない恐ろしい悪行、そして人間の心の交流がきわめて美しく語られるなあ。

フィガロの結婚」の手紙の二重唱が流れるシーンは素晴らしいですね。

マクロスプラス MOVIE EDITION」

これは弟がDVDを持っていて見せてもらったら私がはまってしまったというやつでした。思えばAIの歌姫シャロン・アップルが様々な容姿になれる設定など時代を先取りしていたのではなかろうか。まあブレードランナーとかの影響もあったのかもしれんが。ちなみにマクロスシリーズはいっさい知らず、これだけ偏愛しています。マクロスシリーズって歌の力で世界平和を!みたいな話として認識しているのですが…間違っていたらごめんなさい…。

なんといってもアニメーターの板野一郎氏が生み出したという戦闘演出である板野サーカスと呼ばれるミサイルVSガルドの戦闘機の場面はほんとうにすごくて見ごたえあります。最後のガルド戦、完全に「トップガン マーヴェリック」ですね。ぼくはイサムよりガルドが好きなんだよ。プライドが高くて…。ちょっとこの映画でいやだなーと思うのは仲良し三人組の関係が崩れた過去の事件の設定ですね。そうしなくてもよかったんじゃないの…?

菅野よう子の音楽もとてもいいです。10万人を洗脳する音楽を作れって言われて出てくるのがこれなのすごいなと思う。

前提

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94年やっていきます。

ライオン・キング

日の名残り

ハード・ターゲット

さらば、我が愛/覇王別姫

ピアノ・レッスン

ライオン・キング

これは家族と劇場で観ました。たしか夏公開だったと思うのですが、帰りの車で夜空を見つめて(あの星は亡き王たちが…)とシンバ気分になっていたのはご愛敬。まだ10歳だったので許してください。

やはりこれも、ハンス・ジマーエルトン・ジョンの音楽の力が大きかったと思います。「早く王様になりたい」は兄弟でよく合唱していました。これ製作がドン・ハーンなんですけど私の人生を変えたあの作品にも関わっているんですよね。ディズニーの第二次黄金期ということらしいのですが、たしかに「美女と野獣」あたりからぐんと作品のパワーが増した気がします。

ジェレミー・アイアンズ演じるスカーのイギリスの悪役という感じもたまらないものがありますが、ムファサ役のジェームズ・アール・ジョーンズの美しい声の深みよ…。絵コンテ段階でナシになった妻としてナラを求める場面ですが、これは無くてよかったなあと思います。ミュージカルだと復活していますし、最新のフルCGでもなんかそういう場面ありますが…。スカーの冷酷かつ卑怯なところ、恋愛要素ない方がイキイキして見えるかなと勝手に思っている。

あとヌーの暴走のシーンとかマジでめちゃくちゃ怖かった。あのシーンの絶望感ったらない。「ライオン・キング」におけるライオンの「王」たる権力というかほかの動物に対する影響の及ぼし方がフィクションと現実が入り混じるとまじでよくわかんないんですけど(コミュニケーション取れる相手を食べることがあるわけですから)、それでもたくさんのヌーが暴走したらライオンといえども勝てるわけではない、踏み殺されることもあるし、高いところから落ちたら死ぬという、当たり前なんだけど現実の力の作用みたいなものがあそこで提示されたのって大事だと思うんですよね。

ある年齢までの子どもにとって、親は絶対的な存在だと思うのですけど、あそこでムファサが転落死する(しかも自分のせいで、とシンバは思っている)ってふつうに考えてあまりにも辛すぎる。自分が死ぬより辛いかもしれない。ほんとうにシンバには長い長い長い時間とセラピーが必要です…。ともあれ、夜空に浮かぶ雲のムファサと会話するターニング・ポイントのシーンなんて本当に神々しく美しい。セル画のアニメっていいよなあと思いますし、「ライオン・キング」に関しては旧作の方が好きです。

日の名残り

ジェームズ・アイヴォリー監督作品、実は「サバイビング・ピカソ」(96)くらいしか観てないかも…。カズオ・イシグロの原作も大好きです。なんといってもミス・ケントンことエマ・トンプソンがむちゃくちゃ良い。もちろん執事スティーブンスを演じるアンソニー・ホプキンスも。

役割にがんじがらめになってしまうスティーブンスとつい意地を張ってしまうミス・ケントンの二人にやきもきしてしまうね。このあたりはオースティンの「高慢と偏見」的な正反対の2人が惹かれあう王道だよなー。

恋愛が主軸というより、あくまで実直で不器用な執事スティーブンスの視点で回想される彼女との日々を通して、自分の過ちに気づく物語なんですよね。心底尊敬して仕えていた主人の過ちを共犯者となって受け入れていたこと、第二次世界大戦を経て失われていった大英帝国の栄光、アメリカの台頭。愛した女性が自分が原因で泣いていると察していながらも仕事の話をすることでしか慰められない不器用さ。

新しいアメリカ人の主人ルイス議員に「世界は広いぞ」と言われて失礼にならない程度のはね返しで告げる「世界がこの屋敷を訪ねてきたもので」というセリフ。スティーブンスの矜持は美しくもまた傲慢なものでもある。実際には彼の認識していた「世界(の要人)」は実際の世界を構成する一部にすぎず、彼らとも執事として接していたわけで、人間同士の対話らしい対話はしていない/また立場上それは許されない/あえてそうしないことを選択していた。というわけで、スティーブンスはまなざす観察者としての自分しか認識していなかったのかも。だからこそ旅先のパブでの彼の戸惑いは異世界に紛れ込んだかのような反応なんだなあ。

旅の間にダーリントン卿を3度知らないと嘘をつくところもキリスト教におけるペテロなわけですが、ペテロと違うのは最後の人に向かってはあとで正直に話すんですよね。旅先で偶然出会った見知らぬ親切な人にだから言えたというのも大事なのかも。

ミス・ケントンとの最後のバス停での別れなんかね…たまりませんね。泣いちゃうよ。スティーブンスはダーリントンホールで最後の最後まで働いて生涯を閉じるんでしょうけど、私はわりと幸せなことだと思っています。閉じられた空間というお屋敷ものとして観ても面白いですよね。空間が人を作るともいえるのかもしれない。

あとこれは映画ではどうしたってスティーブンスの視点になってしまうので難しいけれど、原作はスティーブンスを信頼できない語り手として設定している面もあり、原作との比較をしても楽しいかもしれません。

ハード・ターゲット

80年代後半から90年代のアクション映画マッチョ代表の一人でもあるジャン=クロード・ヴァン・ダム主演、ジョン・ウー監督の初ハリウッド進出作品です。もれなく白い鳩が飛ぶよ。

いきなり「ハード・ターゲット」って言いだしてどうしたの?って思うでしょ…これは90年代最後に私がアーノルド・ヴォスルーに夢中だったからです…。ヴォスルーさんは「ハムナプトラ」でイムホテップを演じていた美丈夫ですというと皆さんおわかりになるかな。この映画、ランス・ヘンリクセンが悪の親玉でヴォスルーさんが右腕なんですよ。最高でした。

話としてはニューオリンズのスラム街が舞台、弁護士のナットは行方不明の父親を捜している。実は父はホームレスになっており、フランスの富豪率いる人間狩りを趣味とする集団に殺されていたという胸糞の悪い話。このナットを助けるのがマレットヘアが印象的なジャン=クロード・ヴァン・ダム演じる凄腕の心優しい元海兵隊員のマッチョ。動体視力が悪くアクション映画で寝てしまうという最悪な私ですが、ジョン・ウーのアクションてなんか見やすいんですよ。

粗野に見えて優しく賢いマッチョが知的な美女を助けるために巨悪に立ち向かうストーリー展開は単純なんだけど、やっぱり見せ場づくりがうまいしとにかく見やすい。下種な男が耳切られるところとかインパクト大で最高なんですよね…。あとヴァン・ダムのチャームというか、魅力がすごい。わざとらしくない落ち着きとさりげない優しさなどぐっときちゃう。他の作品での彼も同じようなキャラばかり演じているのかはよくわかんないんですけど。90年代の映画マッチョってみんなこんな感じなのかな。

あとは現代の分断と虐殺の現代にこういう作品を振り返ると、金もらってホームレスたちは人間狩りに同意してるんだから、ゲームの最中に殺されても当然でしょと言い出す人が一定数いそうで、そういう意味で「これはとんでもなく悪いことです!!!!」と示してくれているのがもしかして優しいのかもとすら思えてくる。世の中悪くなっているとは思いたくないんですけどね。

映画は基本的に白人からの視点ではあるけれど、文化が入り混じるニューオリンズという土地の複雑さ、そこにはびこる暴力のピークが94年であったらしいこともふまえると時代性も垣間見える一本です。

観直そうと思ったら今課金しないと配信では見られないようです。

さらば、わが愛/覇王別姫

最近の映画だとアロノフスキー監督の「ブラック・スワン」にも通じるところがありますが、覇王別姫という劇中の京劇作品がある男の人生にぴたっとはまってしまった奇跡と残酷さという点がすごく好きで、面白く観た印象がある。余談ながら「ブラック・スワン」は映画館で観て心底やられてぐったりしてしまった思い出がありますが、ナタリー・ポートマン演じるニナの葛藤が大学生時代の自分の記憶に結びついて余計に辛かったというのはあるかも。やだみは強いけど好きな作品です。芸術作品が一人の人生を変えてしまう話はだいたい漏れなく好き。あと「さらば、わが愛/覇王別姫」って、ばちこさんがいうところのガタカ・ドクトリン※に当てはまる映画なんじゃないかなと思うんですが、どうでしょうか。

セクシャル・マイノリティの生きづらさ、セックスワーカーの女性が翻弄される姿を93年の中国映画でここまでしっかり描いている点で凄まじい。また、レスリー・チャンという俳優のエピソードも有名なのでいくらでも語れるのだろうと思うんですが、あんまりそこには重きを置かないで私はこの作品を観ている。時系列がぱっぱっと移り変わるのも見やすい。ちなみにチェン・カイコー作品はあと「空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎」を付き合いで劇場で観たんだけど、こっちはまじでわかんなかったです。

最後に自分がアジアの映画が苦手なんですという言い訳をする。たしか「グリーン・ディスティニー」で(あ、私だめだ…)と思った10代の記憶が始まり。

タイトルだけは知っていたけどリバイバル上映をやっていた数年前に初めて観た。元々、邦画も含めたアジア映画に対して基本的に苦手意識がある。邦画、韓国映画、中国映画、インド映画くらいしか観たことないので食わず嫌いと無知のせいはあるかもしれない。正直、自分にとってアジアの映画は感情の増幅と映像の外連味が欧米ものより湿度や温度が高い感覚があり、観ていて疲れてしまうことがある。

自分が西洋の文化(特に静謐な作品)に対して幼少期から強いあこがれがあって専門に勉強していたのも「アジアの湿度・温度が苦手」感覚を後押ししているのかもしれない。

欧米の作品がカラッとしているかというとそうではないんですけどね…。京劇も型という点でバロック・オペラものに似ているとは思うんですけど、オープンにする感情の発露と秘めている感情の凄みの対比という点ではやはり湿度を感じてしまう。

ここまで書いておいてなんなんですけど、歌舞伎と能だと能の方が好きだし、基本的に賑やかで人情ものみたいなのが苦手なんだろうな。そういう意味では「覇王別姫」こそ究極の温度・湿度じゃんとも思うんですけど、ここまで振り切っているからこそ楽しめたのかな。

ピアノ・レッスン

なかやまきんにくんじゃないけど、私はとにかくパワー!!!!!やーーー!!!!と思っている映画です。90's MOVIE TIME MACHINE本家の方でもとりあげられていたジェーン・カンピオンの名作。

とにかく主演のホリー・ハンターの顔つきとたたずまいが大好きすぎる。映画に出てくる物静かで頑固な女大好き。マイケル・ナイマンの音楽を一時期聴きまくっていて、もちろんこの映画のテーマ曲「楽しみを希う心」も楽譜を買って練習した。劇中では実際にホリー・ハンターが演奏しているらしいのですが、正式なサントラに収録されていないけど、劇中でエイダがピアノに没頭するシーンで一瞬出てくる拍子がずれていくところなんかはちょっとよくわかんなくなるくらいの難しさです。サントラにはないけどこっちにあった。

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寂しい海辺の砂浜にピアノがあるという詩情あふれる画がまず素晴らしいのですが、潮風でピアノが傷むことを考えるとピアニストは悲鳴をあげたくなるかも(笑)

半身のようにくっついていた母エイダと娘フローラが物語が進むにつれて分離していく印象があって、あたかも男たちによって別の関係性に作り上げられていくようにも見えました。クライマックスにエイダの身に起きる暴力もそうですが、青髭公の芝居や森での放尿や樹木への性交をまねた子供たちの遊びなど、ところどころにドキリとするような人間のもつ本能的な力が画面から立ち上る気がしていて、ニュージーランドのうっそうとした森と暗い大地と深い海というロケーションも合いまり文芸映画ではあるのですが物静かさとは違う生き生きとしたパワーのある作品だと考えています。

ピアノという楽器と女性の関係もたどると面白く、ヨーロッパでは19世紀にピアノが普及したことに伴って家庭音楽が流行した経緯があります。モーツァルトベートーヴェンも裕福な子女にピアノを教えていましたしね。エイダもそういう経緯でフローラの父となるピアノ教師と恋に落ちたのでしょう。面白いのは女性は鍵盤楽器の演奏は推奨されたけれど、管楽器のように「口に楽器を当てる」ものは推奨されなかったようです。このあたりも当時のジェンダー観が垣間見えるなあと。

先述した「楽しみを希う心」、私はエイダの作品なのではと思っているのですが、2~3分の小品であり、反復で指のための練習曲じみた構成でありながら聴こえてくる小指で奏でられるメロディーがエイダのうちに渦巻く情念を表しているようで、音楽的な観点からも面白い。

しかしエイダが自分の感情の発露の媒体としてほとんど叩きつけるようなタッチで激しくピアノを弾いている姿は良家のおしとやかな淑女の姿とはいえず、いささか狂気じみた力強さで私はとても小気味よいなと思います。フローラ役のアンナ・パキンも妖精というより私は小鬼と思っていて…底知れない雰囲気がとてもいい。

これがサム・ニール演じるスチュアートをおびえさせてピアノとエイダを引き離す画策へ走らせますが、ハーヴェイ・カイテル演じるベインズには敬意を抱かせて強い魅力を放つわけで、ピアノとエイダという一つの(誤解を恐れずにいうならば)モンスターのような生き物が男性たちを超越した力を持っているんですよね。

あと指もそうですしピアノに対してもそうなんですけど、「そうなったらそうなったこと」というエイダのスタンスがほんとうに共感できる。私にとってはライナスの毛布のような映画です。

前回の記事に続いてまた90's MOVIE TIME MACHINEを真似して考えてみるターン。

93年のリンク↓

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ところで、自分の5本を選ぶときにとりあえずwikiとか日本公開映画で探しているんですけど、お三方はどこのサイトで確認していらっしゃるのだろうか。なにか取りこぼしていないか心配ではある。

というわけで1993年の5本。

93年

奇跡の旅

ジュラシック・パーク

スーパーマリオ 魔界帝国の女神

オルランド

水の旅人 侍KIDS

「奇跡の旅」

いまだとディズニープラスで観られるっぽい。というかディズニー映画だもんな。もともとの実写映画「三匹荒野を行く」(1963年)は未見。これもテレビ放映か録画されたVHSで観たような記憶です。

賢くて穏やかなゴールデン・レトリバーのおじいちゃん犬シャドウ、おきゃんな雰囲気のヒマラヤン猫のサシー、やんちゃで無邪気なアメリカン・ブルドッグのチャンスがひょんなことから離れ離れになってしまった家族のもとを目指して荒野を旅するロードムービーである。それぞれにご主人となる三人の子どもがいて、年長のお兄ちゃんにシャドウ、真ん中の女の子にがサシー、末っ子の幼児にチャンスという感じ。「ベイブ」もそうですけど、実写の動物に俳優がアテレコをする形の映画です。私は吹き替えで観たことしかないんですけど、チャンスの吹き替えはマイケル・J・フォックス、サシーがサリー・フィールドだったのか…。余談なんですけど私も三人きょうだいのいちばん上なので、それぞれにペットがいるってなんて素晴らしくゴージャスなんだろうとひたすらうらやましかったです(笑)この数年後に犬を飼うわけなのですが。

まーとにかくCGなど使っていない三匹の動物の演技が見事。アテレコをやった俳優の声の演技もすばらしく、おばかなチャンスとサシーのつんとした掛け合いなんかはあるあるなんだけどかわいい。また、山脈の自然の描写も美しいです。今観ても面白いんじゃないかな。やっぱりクライマックスのラストで泣きそうになっちゃうんですけど、どうやって撮ったのかと考えるとちょっと心配になる。三匹がつらい思いをしないで撮影できていたら良いな…。ちなみに2もありますが、1の方が良いと思います。

あと私は映画のサントラというのが大好きなんですけど、ここであげる映画はだいたいテーマ音楽ぜんぶ覚えている。「奇跡の旅」のスコアも軽やかで西部劇的な明るさと曲調が良いです。

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ジュラシック・パーク

本家の90's MOVIE TIME MACHINEでも取り上げられていた一本。私もこれを劇場で観たのですが、もう一生忘れられない最高の体験でした。夏休みの宿題で日記みたいなの書かされるじゃないですか、葉っぱを食むブロントサウルス(今はアパトサウルスというんでしたっけ)を描いた記憶がまざまざと思い出されます。目を活き活きと描こうとがんばった。

今のシリーズにも使われてるけど、T-Rexが近づいてくる足音でグラスの水がズゥー…ンと振動を起こすところはほんとうに怖いし異様な何かが近づいてくる予兆として強烈。あとはサム・ニールほんと良すぎる。私はアラン・グラント博士とエリー・サトラー博士がだいすきなんですよ…。グラント博士がはじめて恐竜たちをみるシーン、きらめく湖水に草食恐竜たちが集まっている遠景、一緒に涙ぐんじゃうもん。ちなみにジェフ・ゴールドブラムのセクシーさは最近になるまで全然ピンときていないタイプでした(笑)うさんくさいし早く死ぬだろと思っていた。ひどい。

本筋の面白さは当然のことながら、グラスの水ズゥーンもだし、恐竜をみたときのサングラスを震える手で外す動作、スプーンですくった緑のゼリーが恐怖に震える手でプルプルするなどなど、忘れられない動作や視覚効果という点でほんとうにお見事だと思う。ジョン・ウィリアムズのスコアも最高。

当時の私は「ジュラシック・パーク」タイアップのT-Rexのゴム製のフィギュア(おなかを押すと鳴く)や仙台市科学館プテラノドンブロントサウルスのプラスチック模型も買ってもらったので、しっかり恐竜ブームにのっていたのであった。

スーパーマリオ 魔界帝国の女神」

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観たことない人は一回騙されたと思って観てください。ということでユーネクのリンクぺたり…アマプラだと課金、あとHuluで2025年7月現在観られるみたいです。いやでもこれまじで何?ってなるひとはなるんだろうな。カルト的人気があるらしいのですが、私もこれをテレビで観てなんて面白いんだ!となってしまったタイプの人間です。当然、今だったらできない描写もあるよなとは思うんですけども。面白くなかったらすみません。これは謝ります。

50億円かかったと煽り文句で言われてますけど、美術はかなり凝っていて見ごたえあります。ボブ・ホスキンス(ダニー・デヴィートの代役だったらしい)と若かりしかわいいジョン・レグイザモがマリオ兄弟を演じてるんですが、フィクションのキャラクターが現実にいるとしたらという翻案としてはリアリティのある描写になっており、そこは好き嫌いあるとは思うのですが、私の好みの塩梅です。この映画はデニス・ホッパーが演じるクッパたち恐竜族が支配する地底帝国とマリオたちが住む人間の世界とに分かれており、そこがつながったときに大冒険が始まるという設定。

なんか書いていてテーマ的には特に褒めるところはなんもないことに気づいてしまったので、とたんに不安になってきた。でも今だったら作れない一本だなーと思うのである、いろんな意味で。

地下帝国の描写がサイバーな80年代の感じで私は大好きです。あとはとにかくキノコ。キノコを信じろ。

オルランド

ヴァージニア・ウルフ原作、サリー・ポッター監督作品、ティルダ・スウィントン主演というなんかものすごい布陣の映画。ちょっと奇跡なんじゃないかな。内容は歴史ファンタジーなのでつかみどころがない印象もあるかも。これは唯一大人になってから見た映画ですね。

恋人であった詩人ヴィタ・サックヴィル=ウェストをモデルとしてウルフが伝記的な物語として書いていることもあり、性別と時代を越境するキャラクターとして今だからこそ注目される作品なのかもしれない。時代性もあってかなりホワイトな作品ではあるのですが、クィアな映画としては勇気づけられる。

ティルダ・スウィントン演じる美青年オルランドはクウェンティン・クリスプが演じる年老いたエリザベス女王(この男女の逆転キャスティングよ!)に、「けして色あせるな、枯れることも、老いてもならぬ。そうすれば屋敷をおまえとその子孫に永遠に授けよう」と呪いをかけられて400年の時を生きる。単に女王がそういったからハイ、そうしますで不老不死になる流れが面白いよね。じゃあオルランドはその不老不死でなにか善行をしたりするかというとそうではなく、ロシアの美しい王女サシャに恋をしてみたり、その恋が破れると詩にハマって詩人への道を目指そうとしたりする。

途中でオルランドが女性へと変身してからの描写は女として生きることの難しさや喜びを描いていて、男性のときの詩やら恋に夢中になるエピソードと対比されているように思えます。ウルフの原作では現代パートはないのですけれど、私はラストの流れが好きです。

あとはサントラ音楽もいいんですよね…ジミー・ソマーヴィルが歌うComingも大好き。

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「水の旅人 侍KIDS」

サムライキッズってなんだろって感じなんですけど。大林宣彦監督作品、主演は山﨑努です。これいま配信ないんですね…。大林監督の作品だと91年の「ふたり」も子供心ながら強烈に印象に残っています。これも映画館ではなくてテレビで観た記憶です。

小学生の男の子が一寸法師のような侍おじいちゃんと出会うお話です。後半のほうあんまり覚えていないんですけど、水の精であるおじいちゃんを助けるために美しい水源を目指して山に入るシーンがあった気がします。ハイビジョン合成の夏休み映画だったそうです。

未知の存在と出会って子どもが成長するファンタジーとして、当時は安達祐実主演の「REX 恐竜物語」とかありましたね。前述のとおり、ジュラシック・パークの大流行もあり恐竜ブームもあったんですよ。

恐竜やかわいい妖精ではなくて渋い顔をした小さい山崎努と仲良くなる展開がグッときます。これも音楽は久石譲で壮大なテーマ曲は忘れたことがありません。

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というわけで93年はおしまい。けっこう時間かかるので94年も書けるか不安になってきた。

友達が喋っているスペースが好きだ。スペースというのはX(旧Twitter)に導入されて久しいリアルタイムおしゃべり提供の場であり、不特定多数の人が聞くことができる機能で私も何度か主催したこともある。主催というほど気合が入っていなくとも、作業スペースというのもあるので気軽にやっている人も多いのではなかろーか。

そんな中でBATIさん、vertigonoteことばちこさん、セメントTHINGさんの3人で90年代の映画を語るトークセッションが行われたのが2022年のことである。もう3年経っている!という驚き。そして私はたぶん一番のファンと豪語できるくらい、録音された番組を何度となく聞き続けている。マジのマジで、お三方には気持ち悪くてごめんなさいというレベルで聞いている。マジで。

92年から始まり2000年まで追っているポッドキャストでそれぞれ2時間くらいあるやつをたぶん7周くらいはしているので…気持ち悪いな~自分。でもほんとうに面白いんですよ。

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私は正直ふだんラジオ番組やポッドキャストを聞く習慣がないんだけど、一度好きになると繰り返し聞き続けるという癖がある。本もそうで、新しいものを読むときより再読しているほうが幸せと落ち着きを感じる。単純に精神安定剤になっているんだろうな。

あまり意識していなかったけど、私は自分のテリトリーというものを大事にしている人間で、何が自分の空間(人間然りインテリア然りファッション然り)に入ってくるのかを異様に精査する。排他的とすら言えるかもしれない。社交的なんだけど友達が少ない人間あるあるである。なので一度ふところに入るともうそれだけで本もポッドキャストも人間も信頼のおけるマブダチになっちゃうのです。余談でした。

なんといっても三人のバランスが絶妙なのがツボなんだと思う。三人とも何かのジャンルに特化した映画オタクというわけでもなく、かといってシネフィル然とした解説屋さんでもなく、いい意味で映画いろいろ観ている普通の人だよというフラットな温度感が心地よい。あとは個人的に三人とも何度かお会いしたことがあって私が一方的に親近感を持っているからというのもあるかもしれない。

いちばん年長でリアルタイムで映画を追ってきていて音楽も好きで人柄もマイルドでとてもとても優しいBATIさんと、私が20代後半でX絡みで友達になることが多かった黎明期から多大にお世話になっている私の概念の姉的存在であるからっとした語りが魅力的なばちこさん、穏やかで聡明かつあらゆる最新カルチャーに関心が高いセメントTHINGさん(たまにDIVA魂が飛び出る瞬間が愛おしい)のバランスがたまらないのである。

何かの対象を語るとき、人は結局だいたい自分のことを語ることになると私は思っているので三人が好きだからそれぞれの意見や思い出を聞いていて心地よいんだろうな。

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というわけで(?)楽しいポッドキャストなんだけど、自分にとっての90's MOVIE TIME MACHINEのラインナップを考えてみる。

92年

仕立て屋の恋

永遠に美しく…

フック

エイリアン3

アダムスファミリー

なんかお子様ラインナップになっちゃった。とはいえほとんど10代のお子様のときに観て強烈だったものがほとんどなのでしょうがない。ちなみにどれも後追い。この中で図書館から親が借りてきてVHSで観たのは「フック」テレビで観た記憶があるのは「アダムスファミリー」、「永遠に美しく…」です。

「フック」はなんといってもピーターパンが普通の大人になったらというのをロビン・ウィリアムスが演じていて、ボブ・ホスキンスのフックが愛嬌のある感じでかわいい。しかしちゃんと悪いやつなのだ。ネバーランドの孤児たちがピーターと諍いをしつつ最後に認め合うという王道の流れなんだけど、ダンテ・バスコ演じるロストボーイリーダーのルフィオがフックに刺されて命を落とす悲しい死が印象に残っている。なんか妙にセンシュアルさを感じるシーンだった気がするが、今際の際に男が男へ何かを託すロマンとセクシーさをこの時点で私はびんびんに感じ取っていたのだろうな…。

センシュアルというとパトリス・ルコント仕立て屋の恋」。なんといってもぬめっとした質感のある小男イールを演じるミシェル・ブランのつぶらな丸い目、妙にきれいな肌、赤い唇がすごい存在感でこれはのぞき見をしていた隣人の若い美女に一方的に恋をするというどうしようもない中年男性なんだけど、ほんとうにみじめで悲しい終わり方なのに貫きすぎていて妙な清々しさすらあるという不思議な映画だと思う。スケートのシーンとかさあ…ほんといたたまれないじゃないですか。つらい。でもすごく気持ちがわかるというか…人に恋をするというのはああいうみっともなさを抱えるということだと私は思うんですね。お前はイールのなんなんだという話なんですが…。作曲家のマイケル・ナイマンにはまっていた時期に観て心に残った一本。

永遠に美しく…」は今も時々観直すんだけどやっぱりバカみたいに面白いんだよね。メリル・ストリープゴールディ・ホーンブルース・ウィリスという豪華キャストが本気でコメディやってるのもすごいのだが、なんといってもイザベラ・ロッセリーニ演じるリスルの美美美-美美ー美美ぶりがやばい。同じ人類だろうかと思った記憶がある。リスル様が「あたくしを何歳だと思って?」とマデリーンに聞いて「37…?(うろ覚え)」と言われて「ムッ!」とかまえるところの可愛さなんてたまらないところがある。カリカチュアしすぎのきらいもあるけど、とにかく仲が悪くて殺しあったりするけど共依存せざるをえないマデリーンとヘレンが最高すぎるし、一周回って女×女の映画としてとらえることができるかもしれない。

「アダムスファミリー」はティムバートンぢからで「実写でCreepyでイケてる世界観」まで持ってきた圧倒的ビジュアルがもう勝てない。強烈に印象に残るっていうのはそれだけでパワーだよね。ハンドくんが好きです。他はあんまり言うことがないけど…。調べたらこれ91年制作なんですね。

エイリアン3」、セメントさんも挙げていらしてとっても嬉しかった。やはり坊主頭のシガニー・ウィーバーが囚人たちの実質リーダーとなって惑星刑務所の中で奮闘する姿が忘れられない。特にディロンとリプリーの信頼関係が熱かった…。そして私は2で活躍したビショップがエイリアンシリーズのアンドロイドの中でもかなり好きなほうなんですが、おまえがそうなのかよ!というラストも衝撃でした。

92年で疲れてしまったので今日はここまで。

www.tsogen.co.jp

今年読んで面白かった本シリーズになります。

たぶん一位が前の記事で書いた『クアトロ・ラガッツィ』なのですが、これは今年の春先に読んで面白かった本でもあります。

シャーリイ・ジャクスンは言わずと知れたアメリカン・ホラーの作家。代表作は『ずっとお城で暮らしてる』(こちらも2018年にタイッサ・ファーミガ主演で映画化しています)や社会を賑わせた短編ホラー『くじ』など。シャーリイに影響を受けた18名によるトリビュート集です。

今年、映画『Shirley シャーリイ』が劇場公開されたのでシャーリイ・ジャクスン熱が高まりました。

映画「Shirley シャーリイ」

映画は『処刑人(別タイトルだと絞首人)』の構想を練っているシャーリイとその夫、そして居候することになった若い夫婦の関係をめぐって渦巻いていく心理サスペンスもの。夫役が私の大好きなマイケル・スタールバーグで最高でした。

日常の中のちょっとした違和感、足を運んではいけない場(それもことさらに恐怖をあおるような場所ではないところ)に潜む異常、ぺろりと一皮むけると邪悪な存在とわかる身近な人間。そういう怖さがジャクスンの小説には潜んでいて大好きです。それを体現したかのような映画でした。配信が始まったのでもう一回観る予定です。

脅かす系のホラーが苦手だけど、怖い小説は読みたいという人におすすめかも…おすすめしていいのかわかんないけど…。

『穏やかな死者たち』の中で私がダントツに嫌だな~こわいな~と思ったのがレアード・バロン『抜き足差し足』。もうタイトルからして嫌。

主人公ランダルは野生動物カメラマン。抜き足差し足忍び足…で誰かを背後から脅かした、あるいは脅かされた経験って多くの人には珍しくない体験だと思うのですが、主人公は仕事中にこれを同僚にやられて、そこから幼少期の思い出がわきあがり、不安が止まらなくなります。

ランダルの父親はよく家族相手にこの『抜き足差し足』ゲームをやっていたのですが、たわいもないゲームのように見えて、良き家庭人であるはずの父親はその瞬間怪物のような「捕食者」になっている…。

神がかりのような能力があった精神的に不安定な叔母、巷で行方不明になっている女性たちのニュース。森で二人きりになったときの父の恐ろしさ。そして父の異常性に気づきながらも受け入れていた母。

「ハネムーンでロッジに泊まってね。夜明けに2人で1枚のキルトにくるまってテラスに出ていたの。そうしたら狐が1匹、軽い足取りで庭に入ってきたのよ。それであなたのお父さんに母なる自然のすばらしさを語りかけたの、というか小声で、わあ、狐よ、といったの。彼は微笑んだわ。いつものねじれたようなのじゃなくて、冷たい微笑みだった。そしてこう言ったの、**動物は表情を変えないんだ。獲物を生きたまま食らっている時でもね。**おかしいかもしれないけれど、わたしはそのとき、わたしたちは最高に相性がいいと思ったの」

ジャクスンの小説に出てくるインテリで頭がいいんだけどどこか人間性を欠いた不気味な男性ってたぶん夫だった文学評論家のスタンリー・エドガー・ハイマンをモデルにしているのかな?と思うのですが、『抜き足差し足』のお父さんも、映画でスタンリーを演じたマイケル・スタールバーグしかもう浮かばない…。

もう一つはジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン『遅かれ早かれあなたの奥さんは…』。

一人で行動する女性たちに襲い掛かる様々な男性の暴力の予感。このあくまで予感というか、こうなるんじゃないかと読んでいる側に想像させてくる時点でつよい。この時点でほんとうに嫌すぎるのですが、実は…という構造に気づくとなるほどとなって少なくとも怖くはなくなります。いや、本当のこわさは違うところにあると気づくというか。私は3回くらい読んでやっと気づきましたが、これもジャクスンらしいなと思います。

この他にもたくさんジャクスン要素あふれるお話がたくさんつまっていてお得(?)です。たぶん通の人はケリー・リンク『スキンダーのヴェール』が好きなんじゃないかなあ。

ジャクスンの100%ジャクスンらしさを味わいたかったら短編集『くじ』がおすすめですし、私は短編集『なんでもない一日』に収録されているジャクスンのエッセイも好きです。