32の味わい (original) (raw)

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今年読んで面白かった本シリーズになります。

たぶん一位が前の記事で書いた『クアトロ・ラガッツィ』なのですが、これは今年の春先に読んで面白かった本でもあります。

シャーリイ・ジャクスンは言わずと知れたアメリカン・ホラーの作家。代表作は『ずっとお城で暮らしてる』(こちらも2018年にタイッサ・ファーミガ主演で映画化しています)や社会を賑わせた短編ホラー『くじ』など。シャーリイに影響を受けた18名によるトリビュート集です。

今年、映画『Shirley シャーリイ』が劇場公開されたのでシャーリイ・ジャクスン熱が高まりました。

映画「Shirley シャーリイ」

映画は『処刑人(別タイトルだと絞首人)』の構想を練っているシャーリイとその夫、そして居候することになった若い夫婦の関係をめぐって渦巻いていく心理サスペンスもの。夫役が私の大好きなマイケル・スタールバーグで最高でした。

日常の中のちょっとした違和感、足を運んではいけない場(それもことさらに恐怖をあおるような場所ではないところ)に潜む異常、ぺろりと一皮むけると邪悪な存在とわかる身近な人間。そういう怖さがジャクスンの小説には潜んでいて大好きです。それを体現したかのような映画でした。配信が始まったのでもう一回観る予定です。

脅かす系のホラーが苦手だけど、怖い小説は読みたいという人におすすめかも…おすすめしていいのかわかんないけど…。

『穏やかな死者たち』の中で私がダントツに嫌だな~こわいな~と思ったのがレアード・バロン『抜き足差し足』。もうタイトルからして嫌。

主人公ランダルは野生動物カメラマン。抜き足差し足忍び足…で誰かを背後から脅かした、あるいは脅かされた経験って多くの人には珍しくない体験だと思うのですが、主人公は仕事中にこれを同僚にやられて、そこから幼少期の思い出がわきあがり、不安が止まらなくなります。

ランダルの父親はよく家族相手にこの『抜き足差し足』ゲームをやっていたのですが、たわいもないゲームのように見えて、良き家庭人であるはずの父親はその瞬間怪物のような「捕食者」になっている…。

神がかりのような能力があった精神的に不安定な叔母、巷で行方不明になっている女性たちのニュース。森で二人きりになったときの父の恐ろしさ。そして父の異常性に気づきながらも受け入れていた母。

「ハネムーンでロッジに泊まってね。夜明けに2人で1枚のキルトにくるまってテラスに出ていたの。そうしたら狐が1匹、軽い足取りで庭に入ってきたのよ。それであなたのお父さんに母なる自然のすばらしさを語りかけたの、というか小声で、わあ、狐よ、といったの。彼は微笑んだわ。いつものねじれたようなのじゃなくて、冷たい微笑みだった。そしてこう言ったの、**動物は表情を変えないんだ。獲物を生きたまま食らっている時でもね。**おかしいかもしれないけれど、わたしはそのとき、わたしたちは最高に相性がいいと思ったの」

ジャクスンの小説に出てくるインテリで頭がいいんだけどどこか人間性を欠いた不気味な男性ってたぶん夫だった文学評論家のスタンリー・エドガー・ハイマンをモデルにしているのかな?と思うのですが、『抜き足差し足』のお父さんも、映画でスタンリーを演じたマイケル・スタールバーグしかもう浮かばない…。

もう一つはジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン『遅かれ早かれあなたの奥さんは…』。

一人で行動する女性たちに襲い掛かる様々な男性の暴力の予感。このあくまで予感というか、こうなるんじゃないかと読んでいる側に想像させてくる時点でつよい。この時点でほんとうに嫌すぎるのですが、実は…という構造に気づくとなるほどとなって少なくとも怖くはなくなります。いや、本当のこわさは違うところにあると気づくというか。私は3回くらい読んでやっと気づきましたが、これもジャクスンらしいなと思います。

この他にもたくさんジャクスン要素あふれるお話がたくさんつまっていてお得(?)です。たぶん通の人はケリー・リンク『スキンダーのヴェール』が好きなんじゃないかなあ。

ジャクスンの100%ジャクスンらしさを味わいたかったら短編集『くじ』がおすすめですし、私は短編集『なんでもない一日』に収録されているジャクスンのエッセイも好きです。

本が好きだけど、わりと波があって読めないときはほんとうに読めない。そういうときは大体配信をだらだらと観ている。秋以降、涼しくなってからじゃないと本が読めないんだけど「読書の秋」をそのままやらせていただいています。

今年読んで面白かった本シリーズにしたいけど書ききれない気がするのでとりあえずこれだけ記録。

若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』

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16世紀末、ルターによる宗教改革に対抗するべくカトリック教会が見出したのは東アジアの小さな島国・日本。東アジアでキリスト教を広めるべくして送り込まれたのがイエズス会の宣教師ヴァリニャーノ。冷静な視点で当時の日本人の美徳、頑迷さ、その能力を見つめてキリスト教布教に励む。しかし日本は世界を知らない。ヴァリニャーノは九州のキリシタン大名を味方につけて、新しい土地での芽吹きとなる四人の少年を選び、遥かなヨーロッパの旅へと連れだしていく。

何が面白いといって、若桑さんの視点。東アジアへのキリスト教布教の一次資料を徹底的に調べつくして、遠い時代に生きた少年たちのみならず同時代の織田信長と彼の野望、日本にやってきたカトリックの司祭たち、キリシタン大名たちの行動、そして信長亡き後に台頭した秀吉の残酷さとすさまじい野望、やがて帰ってきた少年たち(そして名も知られていない日本の信者たち)の辿る過酷な運命を描き切っている。すべての人々が若桑さんの手にかかると生き生きと語りだすかのようで、基本的に一次資料を並べているのにも関わらず映画をみるかのような緻密でイメージ豊かな絵巻のよう。

私は日本史にうといので信長→秀吉→家康とおおまかに支配者が変わっていったことしか頭に入っていないのだが、それぞれの思想や政治的手腕も微細に描かれている。安土桃山~室町~江戸時代が好きな人にも楽しく読めるんじゃないかしら。

「うるがん様」で知られ、当時日本人信者に大変人気のあった宣教師オルガンティーノの視点の話はかなり面白い。

フロイス(※)は、信長が「俺は宗教を信じない。仏教も、キリスト教もだ。来世も信じない」とオルガンティーノに告白したと書いている。このオルガンティーノは、こともあろうに、秀吉が迫害をはじめた時にもなお、「いつか秀吉は改宗してくれるかもしれない」と書いて、歴史家をびっくりさせ、この善良な神父はばかじゃなかろかと言われている。しかし、このオルガンティーノは奇妙にもただの一度も 信長の改宗を期待していない。信長と個人的に話すことがもっとも多かったオルガンティーノは、実際、信長の目の中にいっさいの超自然やいっさいの神秘を根底から信じていない、その意味ではあくまでも冷静な近代 人を見抜いていた。いっぽう秀吉には神仏への中世的な信仰心があり、なんであれ、超自然的なものの存在を信じ、自分の運命がそれに支配されるということを信じていたから、彼がキリスト教の神を信じる可能性もまたあるのである。キリスト教の神父にとって最も恐ろしいのは、実は、仏教徒でも神道信者でもない。何も信じない合理主義者なのである。

※「日本史」を書いたルイス・フロイスのこと

万事この調子なのだが、しかし若桑先生の場合、徹底して一次資料が基になっているために推測の範疇であってもまるきりの嘘には絶対にならないのがすごい。どうしたら遥か昔を生きた歴史上の人物についてまるで会いに行ける知り合いのように生き生きと描くことができるのかと本当に驚いてしまう。

特に良いと思うのが、徹底して資料をあたるがゆえにその人物の性格も加味したうえで資料の信ぴょう性も考えているところ。とにかく身分や立場にかかわらず出てくる人間が同じ温度で描かれ、当然時代のもつ差別や偏見も考慮した注釈が入る。要は妙にヨイショしたりしていないのがすごく読みやすいし面白い。ちなみにこれは2003年に書かれた本なのですが、若桑先生のエンパシー能力の高さに驚いている。

日本が世界とつながるきっかけの時代、カトリック教会や日本統一をはかる支配者たちの政治や陰謀の渦に巻き込まれながらも、希望をもって海をわたった少年たちの穏やかな日々を思うと今どうやって生きるべきなのかなあとわが身を振り返らずにはいられない。

これは本当にむちゃくちゃ面白いので、また再読するべく文庫を買いました。単行本はでかいし持ち歩くには重いのですが、これはこれで本読んでる感が出るのでよかった。

ぽっぽアドベント2024おめでとうございます。12/5(木)担当のふじおです。

枠を壊せ! Advent Calendar 2024 - Adventar

12/4(水)はゾンビ犬さんの記事でした。

zombiewanwan.hatenablog.com

インドネシア映画のことなんも知らないので面白かったです。あこがれの世界が4DXで具現化するのすごいし、俳優さんに会えたのも素晴らしいですね。そして推しの前だと全部無理になるのすごくわかります。私は10年前にマーク・ストロングさんの舞台の直前、あまりの緊張で体調不良になったから…。

somewhereinJAKARTAで笑ってしまった。そしてまじですみません、旅行の話しようと思ってたけど、全然ちがう話になってしまいました。

毎度ながらみんな熱量が素敵だし面白い。毎年の風物詩になりつつあり、楽しく読ませていただいております。もちろん読んだ方のいろんな感想もいいな~と思いながら追っています。

さて、12月は師走というけど最近は漠然とした焦りで頭の中がいそがしい。このままじゃいけないような、もっとがんばらないといけないような気持ちがあります。

今年はいろいろと面白いものに出会えてよかったし、奇しくもそれぞれが自分の既存の意識枠を超えてくれる何かをくれたのでその話をします。

タイトルの通り、むちゃくちゃです。

基本的に音楽に関心があり、仕事の領域でもあるのでそれが中心になっています。みんなのように対象がまとまってなくて恐縮なんですけど、おもしろ本や情報の紹介と思って読んでください。いっぱいリンク貼りまくったのでアフィリエイトみたいだけど、ただの紹介です。

①『ハミルトン』でラップの練習だYO!

このリンマミさんとレスリーの写真好き Cosmopolitan/Martin Schoeller

www.cosmopolitan.com

10月。私はミュージカル『ハミルトン』の楽曲The Schuyler Sisters(スカイラー姉妹)の楽譜とにらめっこをしながら英語歌詞の一節を何度も練習している。歌いだしのThere’s nothing rich folks love more than going downtown and slummin’ it with the poor.のslummin’ it with the poor.がどうしてもいえない。

ポイントはslummin’itのスラミン-ニットのリエゾン部分だと気づいた。このフレーズはアーロン・バーというキャラクターが「下町に行って貧乏人と過ごすのは金持ちの最高の道楽さ」と歌っている。バーのように皮肉っぽくニヤニヤしながらさらりといきたいところだが、眉間にしわを寄せてスラミンニットウィッザポーと呪文を繰り返している。

この曲めっちゃ好きだけど、練習しないと「🎵アンジェリカ、ペギー、イライザ、Work!」しか歌えないもん…。

open.spotify.com

『ハミルトン』は2015年に制作されたメガヒットミュージカルである。ジョージ・ワシントントマス・ジェファーソンなどアメリカ建国の祖といわれているメンバーの一人、アレグザンダー・ハミルトンの人生がリン・マニュエル・ミランダの脚本・音楽でミュージカルになった。今も上演されているし、とにかくアメリカミュージカル史においてもエポックメイキングな作品だ。

作品自体は今年知ったわけではなく2019年にNY公演を観ているのだけど、時差ぼけであんまりよく覚えていない。ハマり始めたのは配信で観てからである。惜しいことをした。

『ハミルトン』はDisney+の配信でオリジナルキャストの公演を観られる。Disney社の理念や倫理観が気に食わないところがあるので、金を払うのは正直嫌だなと思いながら今月は『ハミルトン』のために払っている。だから『ハミルトン』は観てほしいけど、Disney+に入れとはなかなか言いづらい。作品自体は一度見る価値はあると思う。

自分にとって『ハミルトン』が特別なのは面白いのもあるけど自分にとって歌うのが難しい枠に入っているからだ。田舎の大学生の頃、落ちこぼれの声楽家見習いだった。つまり、いちおう外国語の楽曲を専門に学習してきたので、ウエストエンドやブロードウェイで上演されてきた有名どころやフランス語圏のミュージカルは楽譜とにらめっこしてある程度練習さえすればなんとなく歌うことができた(あくまでなんとなくである)。

しかし『ハミルトン』は美しいバラードも多いけれどジャズやR&B、ヒップホップなど私があまり人生で通ってこなかったジャンルの音楽を使い分けている。調べていくと、キャラクターの成長に伴ってラップの複雑さや難易度が変わる演劇構造との関わりがあり、日本語字幕だけでは気づきにくいダブル・ミーニングもちりばめられていて面白い。

知性のずば抜けて高いキャラクターには高難易度のラップが当てられていることもあって、語学の壁どころではないやばさがある。舌を噛む、が例えでは済まない難しさだ。これは早口言葉みたいなものなのでネイティブでもできる人とできない人がいるらしい。詳しくなくてアレなんですけど、いろんなアイドルグループでもラップ担当がいると聞いたので、やはり得意/不得意あるのかな。

それはさておき、これまで完全に諦めていた私だが、バラード系だけじゃなくてラップパートだって歌えるようになりたいと実に数年ぶりに尻に火がついた。ここでも悲しき理論の人間なので、楽譜を見ながらゆっくり練習した。さすがに難易度の高い楽曲は避けて、キャッチーで楽しい曲に挑戦した(それがスカイラーシスターズ)。相変わらず噛み噛みで言い間違えたりもするが、少しはましになってきた。一時間くらいするとだいぶできるようになった。

が、一日経つとすぐ忘れる。結局は反復練習だけがものをいうのである。

なんで今までできないと思い込んで、練習しなかったんだろう。なまじ歌の勉強をしていたせいか、ジャンルが違うだけですぐできないと思い込んでしまっていた。もちろん向き不向きはあるし頭が固いので確実に向いていない方の人間だけど、やってみると楽しかった。

楽譜をみると案外ハーモニーはシンプルな和音構成なので本気を出して数時間取り組めば、合唱慣れしている人や耳のいい人はコーラス部分はすぐ歌えると思う。

ちなみに今週末は友人を家に招き、ハミルトン勉強会とアメリカ南部料理の会をやる。大人の遊びである。もちろんThe Schuyler Sistersの歌唱体験も(無理やり)してもらう。Work!

アメリカ南部料理の本はこれ↓

www.anonima-studio.com

②GO! 天正遣欧少年使節

11月下旬。熊本県水俣市への二泊三日の旅行を終えた私はぼーっとしていた。去年のぽっぽアドベントは昨年の水俣滞在の話を書かせてもらっている。今年もう一度行き、じっくり楽しませてもらった。

滞在したホテルの窓を開ければ不知火海が見えて、その向こうに天草が見える。絶好のロケーションを堪能した。天草や五島列島にも行きたいな、と思った。天草四郎時貞天正遣欧少年使節のことはよく知らないことに気づいて翌日には図書館へてくてく向かっていた。

支倉常長率いた慶長遣欧使節はわが故郷にサン・ファン館があるのでなんとなく知ってるけど。リニューアルしたんだって。行きたい。

www.santjuan.or.jp

日本でキリスト教が禁教とされた時代に生きた人々の信念をそのまま引き継いでいる人たちが天草や五島列島に今も暮らしている。天草や五島ではかくれキリシタンによって唱えられた祈りの言葉おらしょがあり、それはその土地によって少しずつ形が違うそうだ。

www.shinchosha.co.jp

ちょうど昨日皆川達夫『キリシタン音楽入門』を読み終わった。bp-uccj.jp

日本の西洋音楽化は明治とされているが(国歌「君が代」が紆余曲折ありながら作られたのもこの頃である)、ほんとうはフランシスコ・ザビエルがやってきた16世紀にキリスト教の布教とともに典礼音楽が入ってきている。天正遣欧使節の少年たちも西洋音楽を学習していた。しかしその後の厳しい弾圧と信仰の禁制で、その記録の多くは失われてしまった。国内で印刷された楽譜もマカオなどの国外に移され、現在確認できるものはあとで日本に戻ってきたものなのだそうだ。上記の『かくれキリシタン』に書いてあったことなのだけど、絶対に周りに悟られないようにかくれキリシタンたちは声に出さず、口の中で祈りの言葉を唱えるそうだ。声を奪われたともいえるが、信仰を奪われないための無音の力強さを思う。

キリシタン音楽入門』の終章では箏曲「六段の調べ」はキリスト教音楽のクレドから来ているのではないかという面白い問題提起になっている。皆川先生曰くかなり専門用語を省いて簡易な言葉でこの本を出版したとのことだが、正直私にも難しかった…教会旋法の話とか前提知識ないとわかんないよね。

www.youtube.com

「六段の調べ」は初段から六段まであって、日本の音楽らしくめちゃゆっくりから急激に早くなっていく6つの曲のことである。初段の最初だけ演奏したことがあるので、へえ~となった。一般的には八橋検校が作ったと言われてそれが定説となっているが、どうもそうではないのではないかという意見もあり、作曲者候補が複数いるらしい。

The 日本の伝統、箏! そしてこれが古典の曲「六段の調べ」です!とこれまで紹介されているし私もそう認識していた。明確な結論は出ていないものの、キリスト教弾圧の時代に箏の純粋器楽曲として祈りの旋律が残ったとしたら面白い話である。

偶然ながら来月、箏の演奏家とお話をする機会があるのでこのあたりをいろいろ聞いてみたい。

余談。

天正遣欧少年使節イエズス会宣教師ヴァリニャーノに連れられて長崎から二年半の長い旅路を経て、ヨーロッパに到達した。伊東マンショ千々石ミゲル原マルチノ、そして中浦ジュリアンの4名の少年で構成された使節団だ。13、14歳で旅に出て帰国したのは8年後である。TBSで『MAGI 天正遣欧少年使節』ドラマも作られたのに今は配信をしていないのが残念である。

www.magi-boys.com

友達(Kちゃん)にこの話をしたところ、「むかしアイドルがおったんよ…」と言い始め、Youtubeでアイドルとして歌い踊る『GO! 天正遣欧少年使節』(2011)を突然見せられた。テレビ神奈川の戦国鍋という歴史ネタの歌番組である。困惑した。こいつはなんていうものを見せるんだと思った。

しかし観れば観るほどくせになる。私はこれで4人の名前もばっちり覚えた。振付もしっかり考えられていてすごかった。みんなも一緒に歌って覚えてね。

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🎵伊東はマンショ 千々石はミゲル 原はそうマルチノ~

中浦はなんたってジュリアンさ ぼくたち天正遣欧少年使節 GO!GO!GO!

ゲラゲラ笑ったこの流れで松田毅一の昭和の名著『天正遣欧使節』を一気読みした。これもまたなんか、誤解を恐れずにいうとかなりオタクっぽくて面白かった。

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インドのゴアで少年たちとヴァリニャーノが泣く泣く別れることになった場面などで松田さんも目頭を熱くし、独身で家庭を持たない立場のヴァリニャーノの父性の目覚めを感じ取って文章が激エモになっている。

あと、少年使節たちがたどったヨーロッパへの旅を追体験する旅行もしており、ゴアで井戸水を(この水を少年たちも飲んだことであろう…)と飲もうとしてコレラがかつてこの地で流行ったことを思い出して冷静に止めてるのもちょっとウケた。旅に使節団たちとちょうど同い年の知人の息子を同行させて、あれこれ投影しがちなのも若干の気持ち悪さがあったが、気持ちはわからないでもない。

松田さんは史料から読み取った上での思考なので、私のようなただのオタクではなく研究者としての態度なのだが、はっきりいってかなり面白い。情熱がはみ出していた。

箏の話もだけど、また違う視点で天正遣欧使節のことも語られる日が来るかもしれない。若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ』を読み始めています。めちゃおもろなんですけど分厚いので読み通せるかな…。

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カリブ海の「歴史」はだれが語るのか

10月は読書会きっかけでエドゥアール・グリッサン『第四世紀』と中村達『わたしが諸島である』を読んだ。秋になると私はてきめんに本が読めるようになる。夏はどうしてるかというとずっと配信を観ているだけである。

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奴隷船でカリブ海・マルティニック島に運ばれたアフリカ黒人の、ロングエ家とべリューズ家、二つの家系を軸に六代にわたる年代記が描くアフロ=クレオールの「歴史」を描いた『第四世紀』。これは読書会という目標がなかったらぜったいに諦めていた読書だった…(結局体調を崩して参加できなかったけど)。

物語の語り手であるパパ・ロングエという老人は私たちが通常学ぶ因果関係がはっきりした直線的な語りを持たない。つまり、Aが起こったからBがあり、BがあったあとにCがある…という論理的な「歴史」の流れでは語られない。

話はあっちこっちへ行くし、そもそも今誰の話をしているんだ?とめちゃくちゃ混乱しながら読んだのだが、それはマルティニックの「歴史」そのものが簒奪されているからだ。記録された順序が決まりきった「歴史」の語り方をグリッサンは選択しない。

カリブ海に浮かぶ諸島は1492年のコロンブスの発見から西インド諸島と呼ばれた。その大航海時代以降、すべての島がイギリス・フランス・スペイン・オランダなどヨーロッパ諸国の植民地となった。現地住民が滅亡し、アフリカから奴隷が連れてこられて土地の「歴史」は奪われた。私たちが習う「歴史」は誰が記したものなのかという問いが鮮烈に焼き付く読書体験だった。

『ハミルトン』の話に戻ってしまうけれど、主人公のハミルトンもカリブ海出身なのでカリブ海の事情をつなげて知ることができて面白かったし、'Who lives, Who dies, Who tells your story?'という歌詞で終わる作品であることも見事につながる。

『ハミルトン』でもっとも感銘を受けたのはラストで、猛々しく男性たちが闘い、論文を書き、決闘で死んだというマッチョなストーリーが残っているのは妻のイライザの功績によるものだと明かされるところだ。華やかで賢いアンジェリカも大好きだが、物静かなイライザが現代の私たちへ物語をつないでくれる感動と同時に彼女への敬意が示されるラストシーンが私は大好きなのである。

④能を舞うエルヴィス・プレスリー

7月、英語能『青い月のメンフィス』を観に行った。柳井イニシアティブが主催、シアター能楽によって演じられる英語能だが、これがめっぽう面白かったので感想の記事も書いた。

fujio0311.hatenablog.com

エルヴィスの命日にファンガールのジュディとエルヴィス・プレスリーの霊がメンフィスのエルヴィスの墓地で邂逅する物語だ。Love me tenderが能の調子で歌われる。

くわしくは上の記事に書いたのでよかったらどうぞ。

www.youtube.com

↨2016年の公演時に制作された紹介ビデオ。

とにかく、自分の中にも外国人が能を演じるなんてできないんじゃないの?という偏見があったのが打ち砕かれた。そういう偏見を披露するならば、日本人だって日本音楽をわからないのだから西洋人にも日本音楽がわからないはずだというべきだといった趣旨のことを述べたのは児玉竜一氏だ。

私は日本に住んで日本語を母語として暮らし、ヨーロッパで発展したオペラを勉強して、バレエやアメリカ発祥のミュージカルを鑑賞して楽しく過ごしている。児玉氏のいうように私は日本音楽をろくに知らない。もしかして今まで出会ったヨーロッパの人たちは私がクラシック音楽を勉強しているのを本当のところは何もわかってないだろうと思ったのかも…というか、そう思われている可能性のことをちらとも考えたことがなかった。なんという非対称。傲慢でした。

これ日本で2日間しか公演しなかったのがとても残念。みんなに観てほしいなと思うくらい面白かったです。

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あっちこっちに話がいって申し訳ない。単に私がこんなことを知って面白かったよ! いまこんなことに関心があるよ!という記録に過ぎないのだけど、共通して言えるのは私の中の既存の価値観を変えてくれたことだ。

それも「正史」とされている出来事を、周縁の視点から見つめ直す行為。中心-周縁の関係性はいま、あらゆる場面で気づかされる。自分がこれまで中心の語りにしか耳を傾けてこなかったことを痛感する。

正直この記事、最初はもっと独りよがりな反省ばかりでずず暗かった。一人反省会はやめようと思ってこの調子で書くことにしました。しかし、今の私はいよいよ自分が一人相撲を無様に取ってるような気がしている。あれもこれもつなげすぎて、もしかしてちょっと荒唐無稽な陰謀論者ぽくなってないかな…やばそうだったら言ってねみんなたち…。

ラッパーに話も聞いてみたいし、日本キリシタン音楽史も知りたい、箏や琵琶も習いたいし、能も観に行きたいし何なら体験したい。やりたいことがたくさんありすぎて、どれも中途半端だなーと思うし、したり顔で問題提起していることも実際のところはもう色んな方がトライしていることだろう。私は大したことはできず、枠を爪でカリカリしているだけだ。幸い、こういう趣味に近い領域で仕事をしているので、何かしらの形で組織に還元できればと思っている。

それから、もう中年にさしかかっているので余計にいい意味でチャラチャラしないといけないと考えている。未知のことを面白がってなんでもやってみること。ともするとすごく保守的になるので、これは気を付けたい。

野心を抱えて天を指すハミルトンと遥かなるヨーロッパを目指す天正遣欧使節の少年たちと自分たちの歴史を語るパパ・ロングエと能を舞う幽玄のエルヴィス。

いろんなものに元気をもらいながらもう少し一人相撲を取りつづけたい。

明日のぽっぽアドベントは山ワン氏です。

ぽっぽアドベント、最後までお楽しみにね!

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今わりと「家族」の規範から外れた生活をしていて楽しい話をしようと思う。

今年の9月に外国で働いていたKちゃんが帰国して、私の家の近くに住んでいる。ある意味頼れるのは遠くの家族より近くの友達である。これは本人に許可をとって書いているので安心してください。

Kちゃんの思い出を話す。

初めて会ったのはたぶん9年前で、その頃彼女は外国で仕事をしていた。特別仲が良かったわけではなくて、当時SNSで同好の士として集った15人ばかりの映画合宿で会った。

映画合宿のあたりになんとなく集っていたメンバーの中には今もつながっている人もいるし、もう縁が薄れてしまった人もいる。振り返ると安心して色んな事を話しやすいコミュニティであった。SNSの恩恵を最大限に享受していた幸せな時期だったように思う。10年近く経っているのだから、みんなも私も生活が変わった。

Kちゃんは面白い女だ。気づくと合宿でもいつの間にか一人でふらっといなくなっていた。彼女がいないことに最初に気づいたのは私だったと思う。

というのは、私も大勢で何かを長時間するのは得意ではない方で、それぞれが小さいグループで談話している中でなんとなく周りを見ながら一人読書をしていたからだ(たしかその時読んでいたのはアリステア・マクラウドの『冬の犬』)。まわりに聞いても誰も彼女の行き先を知らなかったし、そのへんにコンビニがあるような場所でもなかったのでちょっと心配になったものの、大人だから大丈夫だろうということになった。

そのうちなんとなく満足そうな様子のKちゃんが帰ってきた。どこに行っていたのかみんなが口々に聞くと「海、見てきた」とけろりとした顔で言った。合宿所になった宿から海岸までは徒歩で20~30分かかる距離だった。なので、1時間半くらいは留守にしていたのだ。しかも、誰にも言わずに。

その日の朝にたしか全員で近くの海岸に行って、海を眺めたり散歩をしたりしたのだけど私も本当はもっと静かにゆっくり海が見ていたかったので、率直に「いいな」と思った。

海岸はいちおう別荘地にあるので私たちが訪れたときも家族連れなどはいたものの、秋の海は見るからに激しく荒れていて風も強かった。揺れる吊り橋があったし、やろうとすれば人目を盗んで崖に行くことも可能なわりと剣呑な場所であった。

職業病もあると思うが、コントロール魔の私は「心配するからせめてどこに行くかくらい言っていきなよね」と保護者めいた説教をKちゃんにかましたのを覚えているのだけど、内心では「こいつ面白いな」と思っていた。

たぶん自分だったら誰かと連れたって行っただろう。少なからず誰かを誘ってみたり、一人で行くにしても絶対に断ってから宿を出る。Kちゃんは微塵もそんなことを考えずに、行きたいと思い立った瞬間に「よっしゃ行くか」と宿をずんずん出て行ってしまったのだ。私はその頃からKちゃんに一目置いていたのかもしれない。

実際に仲良くなり始めたのは2018年頃からだ。Kちゃんが帰国のときに時々映画や展示に行き、美味しいものを食べに行くようになった。オタク趣味の話もするけど、政治や生活、仕事の話もなんでも話している。Kちゃんと私はたぶん嫌いなものが似ているのだ。

私がコロナ禍のあと、引っ越しをして持ち家になった頃、Kちゃんに遊びに来てもらった。Kちゃんは仕事の都合で帰国すると1~2週間滞在するのだけど、私たちは会うとけっこう長時間話し込んでしまう。一人暮らしとしてはちょっと広めではあるので、私は「ホテル代高いんじゃない。もったいないからよかったらうちに泊まればいいじゃん」と提案した。そうしたら本当に帰国のたびに家に泊まることになった。

私は細かいところが気になるくせに繊細ではなく大雑把という面倒な性格の自覚があり、自分は誰かと一緒に住むことができない気難しい人間なのではないかと長年思っていたのだがKちゃんとは不思議なくらいストレスなく暮らせていた。そして、誰かと住むのってもしかしたら楽しいのでは?と気づいたのである。

『女ふたり、暮らしています』という韓国のベストセラー本がある。この本はたまたまKちゃんも読んでいたらしく、あこがれるよねえと話をしていた。

book.asahi.com

toyokeizai.net

キム・ハナとファン・ソヌという二人の韓国人女性が二人でローンを組んでマンションを買うまでの紆余曲折や猫4匹と一緒に暮らす様子を交互に綴ったエッセイ本だ。ハナが76年、ソヌが77年と私よりも年上の二人が、家父長制が日本よりも強い韓国で支持を得ている様子に元気が出た。時には喧嘩もしているし、他人と暮らすにあたっての気遣いにもしっかり触れているのがいい。なんといっても、猫4匹の生活は良すぎる。

私も常々、一般的な家族の形にこだわらない共同体を作りたいなと思っている。

最初Kちゃんはこの冬から関西に住むのだと言い張っていた。

極度の人たらしのところがあるKちゃんは周りの人によく好かれ、英語も話せるしコミュニケーション能力が高く、まじめにしゃかりきに働くので組織にも可愛がられる。しかしやりたいと思ったことを見切り発車で始めてしまうところがあるので、スナフキンのように根無し草の生活をしがちだ。

スナフキンライフもいいのだが、現実に私たちは中年にさしかかっている。Kちゃんは基盤になる土地を決めて暮らした方が向いているんじゃないかと話したら、実はそういう不安もあると本人が言い出した。私はこのまま一緒に住んでもいいなと思ったが、それぞれのプライバシーもあるし私の荷物がわりと多く、部屋はそれぞれの用途で埋まっている(だから引っ越したのだ)。

ある土曜日に仕事から帰ってきて、職探しをネットで何やらやっているKちゃんとお茶を飲みながらこのあたりの地理にもずいぶん慣れただろうし、近くに住んだらよいのではないかと提案をした。するとKちゃんはすくっと立ち上がり、「ちょっと不動産屋行くわ」と身支度を始めた。土曜の夕方16時である。「今かよ」と思いながらも私はついていった。

1件目は取り扱い物件が少なかったので、2件目は私も上京したてのときにお世話になった大手の不動産屋に行った。あれよあれよと内見が翌日の早朝に決まり、手続きはともかく翌週には私の家から歩いて1分のところに家を借りることになった。家具をちゃっちゃと最低限そろえてKちゃんは10月下旬に私の家を出て行ったが、週に2回は私の家でご飯を一緒に食べている。

Kちゃんも私も今のところ結婚や子育てをするつもりはない。

親の面倒はみたいが、老後の生活が成り立っていくのかも心配である。

一人暮らしだとやはり色々心配なことは多い。実際、私はこの秋ずいぶん調子を崩していたが、Kちゃんがご飯を作ってくれたのもありがたかった。旅行のときに猫の面倒を見てくれた。私は私で、旅行先で買って帰ったら喜ぶかなと思い浮かべる相手にKちゃんがよぎるようになってきたし、人見知りのつよいうちのねこは眠い時だったらKちゃんに撫でられても怒らなくなってきた。

帰ってきて「ただいま」を言う、何を食べるか相談できる、仕事でいやなことがあっても愚痴って笑い飛ばす相手がいることはハッピーである。お互いストレスは喋って発散するタイプだし、すぐふざけてしまうところも似ているので遅くまで大笑いしながら過ごしている。

一緒に生活するのは相手の人生の一部を引き受けることでもある。10年くらい経って同性婚ができるようになったら、同居人として籍を入れるのもいいかもしれない(と私は勝手に思っているがKちゃんはどうだか知らない)。

ただし、私たちはまだ経済的負担を折り半にしているわけでもなく、不動産も別である。結婚制度の責任やお互いの親の介護、深刻な自分の怪我や病気などが迫ったときにどういう判断をするのかは別の問題だと思う。

独身の女性が老後まで安心して暮らせる時代ではないし、なんだったらそんな日は永遠に来ないのではないかとすら思ってしまうニュースばかりだ。社会の規範意識が厳しい中だが、こういう生き方もいいじゃんと思える人生を送りたいものだ。

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7/19(金)、早稲田大学大隈記念講堂にて。

英語能「青い月のメンフィス」はUCLA早稲田大学の共同連携事業として発足した柳井イニシアティブによる、全編が英語で演じられる70分の能である。

物語は八月十六日の夜、エルヴィスの命日に彼が眠るメンフィスのグレイスランドの優美の聖堂を目指して車を走らせる40歳のファンガール・ジュディによる語りで始まる。一万人のファンが詰めかけているため、管理人からは瞑想の庭には入れないと言われたジュディの前にブルースの男が現れ、エルヴィスの様々な在りし日の姿について語る。男が消えたあとにジュディがブルームーンを歌っているとエルヴィスの幽霊が現れる…。

このあらすじを聞いただけで幽霊あるいは概念としての偶像が好きなので、あまり深く考えず鑑賞申し込みをした。なんといっても無料なのがすごい。文化資本!

ブルースの男として登場する前シテ(精霊のような存在)が、どのエルヴィスが好きだったかジュディに尋ね、ジュディがエルヴィスは一人だけだと言うと「いや、たくさんいた」と答える。ミシシッピの貧しい白人の少年だったエルヴィス、軍隊に所属していたエルヴィス、ハリウッド映画に役者として出演したエルヴィス…。それに対してジュディが「私の知っているエルヴィスは孤独のエルヴィス」と答える。

男がその孤独のエルヴィスはここ(墓)には眠っていないと答えるとアイである管理人オスカーのコミカルなパートをはさみ、いよいよエルヴィスの霊がジュディの前に現れる。

エルヴィスは「死の中で人生の寂しさがなつかしい」と歌う。一人メンフィスまで歌いながら車を走らせてきたジュディと死せる大スターのエルヴィスはここで共鳴する。

「青い月のメンフィス」の前に日本語による舞囃子高砂」、英語による狂言「梟」で観客の期待が高まる構造になっていたのもよかった。日本人の狂言方もいるが外国籍の演者がほとんどである。シアター能楽メンバーの紹介を読んでいたら、今はフランス語能やスペイン語能もあるらしい。すごいね。

印象的だった観客の反応として、笑いの質の変化がグラデーションのように感じられた。ちなみに観客の割合は7~8割日本人と思われるが、外国籍の観客も多かった。

英語のセリフで「梟」が始まったとき、どっと笑いが起きた。やはりそれは英語で能が演じられている「シュールさ」「驚き」によるものだったのかもしれない。というのも、弟が病気で困っているのだと訴えるセリフがの内容が特に面白いわけではないから。

そこから少しずつコミカルな演劇としての「梟」への称賛、楽しみとして、ほんとうになだらかなグラデーションで笑いの質が変わっていったように思う。最初の笑い声も、当然嫌な感じの笑いではもちろんないのだけど、この変化は印象的だった。

「青い月のメンフィス」は70分があっという間に感じられる濃密さで引き込まれた。特にジュディ役のローラ・サムソンの声が素晴らしくてずっと聞いていたい魅力があった。あまりにも良すぎて終演後もぼーっとしてしまった。熱中症になりかけながら早稲田まで行ったかいがある。

また、2,200円で販売されていた『エルヴィスの幽玄 能が英語になったとき』もデザインから装丁から、対談、インタビュー、能面や衣装制作の話もすべて素晴らしくて感動。

こちらはHPから通販できるようです。

https://www.waseda.jp/culture/news/2024/05/04/23727/

東京と京都の能楽堂で1度きりの上演なのがまたにくい。素晴らしい時間でした。

7/24 19:30追記

やっと『エルヴィスの幽玄』を読み終わったので備忘録の一言。

こちらの冊子の最後に寄稿されている児玉竜一氏によるエッセイ「英語能をめぐって」では、日本において西洋で発展したオペラやバレエ、ジャズやロックを演奏し、鑑賞し、楽しんでいる一方で日本の歌舞伎や能を外国人が同じように演ずることはできないという偏見について論じる前段階として、以下のようにまとめている。

…従って、義務教育によって身につける音楽的素養、知らず知らずの内に耳にする音楽的感覚において、現代日本人は、日本音楽ではなく西洋音楽を体得する。とすれば、「日本では西洋音楽はわかるが、西洋には日本音楽がわかるはずがない」という「偏見」には、重要な要素を付け加えなくてはならない。すなわち、「日本では西洋音楽はわかるが、日本人にすらわからないのであるから、西洋に日本音楽がわかるはずがない」とあるべきなのだ。そして悲しいことに、これは決して偏見とは言い切れない。

自分自身も近年、三味線や箏など日本音楽について学習する機会があり、こんなにも自分が知らないことを知ってわくわくしている。が、児玉氏が語る例に及ばず西洋音楽をかじってきた一人として、日本音楽がこれほどまでに浸透せず、体得できていない原因とは何なのかを知りたいと思ったのが昨年のことであった。

経済的に比較的裕福な家庭の多くの子どもが、西洋音楽をピアノを通して学ぶことをジェンダーの観点から追った一冊、玉川裕子『「ピアノを弾く少女」の誕生 ジェンダーと近代日本の音楽文化史』が思い出される。

青土社 ||歴史/ドキュメント:「ピアノを弾く少女」の誕生

特に面白かったのが前半の近代日本で形成された「ピアノを弾く女性」というイメージがどのようにできたのかを夏目漱石などの知識人たちの作品での描かれ方や、明治末期に興り始めた「都市中間層」が西洋型の家庭生活を営み始めたことに結び付けて迫っていく歴史的背景である。百貨店の売り出し戦略もあったらしいね。ジェンダー的な読み解きとしても初めて知ることが多く、その末端に曲がりなりにも自分がいることを考えるとかなり面白い。

風の音や鳥の声といった自然の音に寂寥感や愛情表現を託した歌詞、序破急の流れ、謡の声の使い方を説明するときの徒労感や伝わり切れなさは、他人に説明してわかることではなく、また、私自身が無知で何も理解しておらず、説明も表面的で下手であることをのぞいても、児玉氏が述べる「日本人にすらわからない」現状をしみじみと感じずにはいられない。

もちろん、特に深く憂えているわけではないのだけども。そもそも自分の国の文化を理解して説明できないといけないわけではないし、エスニック・アイデンティティとは何ぞやという話にもなる。巷でよく聞くような異文化交流で自分の国の伝統文化を伝えようといった試み自体が短絡的すぎるのかもしれない。そんなことをつらつらと考えたりしたのでした。

2023年の映画や舞台、漫画などを色々振り返る。

別枠グランプリ『進撃の巨人

これはもう別枠。2023年はなんといっても進撃を色んな角度で楽しんだ。

振り返ると今年の初めに撃ミュを映像で観ている。全肯定タイプの方には申し訳ないのだけど、正直にいうと楽曲や演出、キャストの歌唱力などに様々な課題を感じながら観た。もちろん成功しているシーンもある。2.5次元のミュージカルを観たのが初めてだったのでよい経験だった。

この距離感と姿勢で観たので、いわゆる原作となる漫画をあとで読んだときにいい意味で打ちのめされた。春先から夏までは仕事が忙しすぎて顔にずっと諫山線が入っていたのだけど、夏休みに一気読みをして以来、進撃関連を満喫しすぎるくらい満喫している。ビッグコンテンツなので色んな角度から楽しめるし、関連作品や映像も多い。

大体、自分が一気読みをして絵を描いて秋には日田旅行をして冬に感想本を出すなんてジェットコースターになるとは思いもしなかった。めちゃくちゃ楽しんでいる人になった。

以下順不同でよかったものを。

〇映画

THE FIRST SLAM DUNK

フォール/FALL

ダンジョンズ&ドラゴンズ アウトローたちの誇り

さらば、我が愛/覇王別姫

Air

パール

ナイアド

ベネデッタ

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映画は配信ふくめて。というか、印象に残ったものはほとんど配信。この中では『ナイアド』が今年のベストかもしれない。Netflixで観られます。アネット・ベニングジョディ・フォスターという強すぎる布陣にリス・エヴァンズの一歩下がって付き添う感じがとてもよかった。実在のレズビアンの水泳選手・60代・すごく困った人というガッツのある中年女性の話なんだけど、ロマンスに走らないところもとても好みだった。

〇ドラマ

キラービー

The Last of Us

夏目漱石の妻

デッドロック 女刑事の事件簿

グッド・オーメンズS2

セックスエデュケーションS4

アッシャー家の崩壊

ブラッシュアップライフ

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ドラマが苦手だったのに、こんなに堪能できる人間になって…!『The Last of Us』ep3は伝説になるんじゃないかな、むちゃくちゃ泣いた。この中だと『デッドロック 女刑事の事件簿』にベストをあげたい。レズビアンの刑事が大活躍で下品で面白くてとても良かった。

〇舞台映像

METライブビューイング『めぐりあう時間たち

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これはぜひ実際の舞台を観にNYに行きたいですね。ただ、ルネ・フレミングが全然編集者に見えないところは気になっている。ジョイス・ディドナートのウルフがたいへんよかった。キャスリン・オハラがあんなに素晴らしいソプラノだと認知していなくて驚きました。

……とここまで書いて気づいた。全部レズビアンの活躍する話ばかり選んでいる! 実際どれも素晴らしかったんだけどね。というか、私がエンタメで求めているのは男の話よりいろんな女(といろんな性の人間)の話だからこうなっているというのもあるな。

〇舞台・コンサート

コリン・カリーグループ「18人の音楽家のための音楽」

ねじまき鳥クロニクル

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コリン・カリーグループはたまたまTLで見かけてなんで見逃していたんだと慌ててチケット取ったのだけど、ほんとうに行けて良かった。ねじまき鳥は舞台として面白かったし原作も愛しているけど、やはりどうしたって女性への暴力と客体化は立ち上り方が残酷だと感じた。

〇展示

アーティゾン美術館 ジャムセッション石橋財団コレクション×山口晃「ここへきて やむにやまれぬ サンサシオン」

MOT豊嶋康子「発生法─天地左右の裏表」

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展示自体の良さはもちろん、観られた環境もよかったのかもしれない。山口晃、あまりにも絵がうますぎて観ている間、脳みそからへんなものがドバドバ出ていた気がする。オリンピックと自分(=美術界)の関わりへの逡巡がとてもよかったです。

〇本

河出書房新社編集「7.8元首相銃撃事件 何が終わり、何が始まったのか」

金川晋吾「いなくなっていない父」

町田康「口訳 古事記

石牟礼道子「苦界浄土」

小田原のどか「モニュメント原論」

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小田原さんの「モニュメント言論」、北は北海道から南は沖縄までモニュメントにまつわる人間の歴史と今も続く課題が読めてめちゃくちゃ面白いです。いろんな展覧会の寄稿記事もまとめて読めるのうれしい。あとやっぱり「苦海浄土」ですね。

記録、それなりに取って良かったのだけどたぶん書かなくても印象に残るものは変わらないかも。2024年も備忘録でやるか検討してもいいかもしれない(惰性で続けるかもしれないが)。

12月

★は再鑑賞、再読

〈配信〉

春のめざめ-名作ブロードウェイ再結集の舞台裏-

インソムニア

PIGGY

ブラッシュアップライフ

アニメ進撃の巨人 シーズン2、3、最終章

ドーベルマン

ルパンVS人造人間★

脱出おひとりさまS3

いりびと-異邦人-

ヴィーガンズハム

落下の王国

モグラはダレだ?

ノーホェア:漂流

悪魔の計略~デビルズ・プラン~

〈映画館〉

ナポレオン

ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生秘話

〈美術館〉

MOT豊嶋康子『発生法─天地左右の裏表』

MOTアニュアル『シナジー、創造と生成のあいだ』

府中市美術館 白井美穂『森の空き地』

〈本〉

高田晃太郎『ロバのスーコと旅をする』

関東大震災絵図 揺れたあの日のそれぞれの情景

アンドリュー・シャルトマン『「スーパーマリオブラザーズ」の音楽革命 近藤浩治の音楽的冒険の技法と背景』

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12月はわりと色々楽しめた。なんといってもアニメ『進撃の巨人』のすばらしさが理解できてよかったと思う。とりあえず2023年の印象に残った作品について別エントリで少し書いて、鑑賞したものを4月から記録してみたのは初めてだったのでその効果も確かめたい。