明石吟平の漱石ブログ (original) (raw)

411.『虞美人草』(7)――漱石の見た陰と陽

これまた前項の続きになるが、『虞美人草』の登場人物の陰陽を調べたからには、他の作品についても知りたくなる。
漱石は主人公の年齢をはっきり宣言することが多い。物語の今が特定できるような出来事も、わりと書き込む方である。つまり人物の生れ年を特定しやすい。そうでない場合もあるが、本ブログでこれまで調べてきたものも含め列挙してみる。
太字で示した人物は、小説の記述から確定していると見てよいもの。それ以外は概ね論者の推測によるものであるが、本ブログですでに考察済ということで、ある程度断定的な書き方になっている。

・明治39年怒りの3部作 坊っちゃん
坊っちゃん(陰)明治16年未
オルタネイトの坊っちゃん※(陰)明治6年酉
注※)坊っちゃんの松山行明治38年(日露戦争)を、漱石と同じ明治28年(日清戦争)と仮定した場合。
草枕
画工(陰)明治6年酉

那美さん(陽)明治11年寅

久一(陰)明治12年卯
『野分』
高柳周作(陰)明治14年巳 中野輝一(陰)明治14年巳 白井道也(陰)明治6年酉

陰の漱石と主人公たちに囲まれて、那美さん1人が陽である。明治39年に書かれた3部作の中で、那美さんがいかに突出した存在かが伺えよう。漱石も那美さんだけはペンに力が入って、何か事が起きそうな感じである。あとの人物はごく自然に描かれている。

虞美人草 小野(陰)明治14年巳 甲野(陰)明治14年巳 宗近(陽)明治13年辰 藤尾(陽)明治17年申 糸子(陽)明治19年戌 小夜子(陰)明治20年亥

虞美人草』については前項で述べた通り。自分で言うのも何だが、ランダムに書かれたようで、ピタリと配置された陰陽には驚ろかざるを得ない。小野さんと小夜子は6年違い。陰同士である。静かな家庭になるであろうか。甲野さんと糸子が結ばれれば5歳違いの陰と陽。陰陽相和すというが、世間的にはこのあたりが理想か。陰陽和合と言えば小野さんと藤尾も、3歳違いの幸せな1つがいになる筈であった。

・青春3部作
三四郎
三四郎(陽)明治19年戌(明治41年の小説に23歳と書かれてある)
野々宮(陽)明治13年辰(『それから』代助・『門』宗助と同一人物として)
美禰子(陽)明治19年戌三四郎と同年くらいという与次郎の言葉より)
参考:平塚雷鳥(陽)明治19年戌(美禰子造形のモデル)
『それから』
代助(陽)明治13年辰 平岡(陽)明治13年辰
三千代(陽)明治19年戌
『門』
宗助(陽)明治13年辰 小六(陽)明治23年寅

怒りの3部作から一転、『三四郎』『それから』『門』の青春3部作は陽の主人公で占められる。『三四郎』の物語の今は、明治39年説あるいは明治40年説の方が、記述された小説の中身により合致するが、漱石の頭の中では明治41年(9月~12月連載)に明治41年(9月~12月の出来事)を書いているつもりだろうから、曜日等細部に矛盾を生じたとしても「明治41年に三四郎23歳」を、ここでは活かす。野々宮宗八は長井代助・野中宗助との系譜から同年齢とした。野々宮のイメジを借用した寺田寅彦が明治11年生れというのも(陰陽の)参考にはなる。
野々宮宗八と美禰子は6年違い。同じ陽。三千代と平岡、三千代と代助も同じである。男女の形は三者三様であるが、年の差と陰陽だけは不吉にも一致している。
よし子は本ブログでは推定しなかった。糸子(『虞美人草』の)22歳、三四郎23歳、美禰子も23歳と想定されるから、まだ女学校へ行っているよし子は20歳とすると明治20年亥の陰。21歳とすると明治19年戌の陽。縁談があったくらいだから19歳ではあるまい。
御米も歳は分からない。安井は大学2年になる夏休みに「妹の」御米と同棲を始めた。菅沼と三千代の兄妹は6歳差。宗近と糸子も6歳差である。このとき安井24歳だから6歳差の妹なら18歳。ありえなくはないが、少し若すぎるようである。御米20歳なら4歳差、明治17年申の陽。21歳なら3歳差、明治16年未の陰。3部作の平仄を合わせるなら御米は宗助と6歳違いの明治19年戌の陽としたいところではあるが。
よし子と御米だけが陰なのかも知れない。よし子は三四郎の伴侶に相応しいと、漱石作品では異例のお墨付きを得た。御米と宗助も例外的に仲の好い夫婦である。御米はまた(宗助の同級生たる)安井とも同じ星廻りであった。運命の悲惨さを匂わせる物語設定にもかかわらず、『門』の印象が意外に平和で明るいのは、この「2組の」夫婦の相性の良さによるものではないか。

・中期3部作
彼岸過迄
市蔵(陰)明治18年酉 敬太郎(陰)明治18年酉 千代子(陰)明治24年卯
『行人』
二郎(陰)明治18年酉(三沢と同じ学年として)
お直(陽)明治19年戌(二郎の1歳下と推測)

一郎(陽)明治9年子

(物語の今を明治45年として、二郎28歳一郎37歳と推測)
『心』
先生(陰)明治8年亥
K(陰)明治8年亥
静(陽)明治13年辰
私(陽)明治19年戌

構造が込み入っている中期3部作は、また主人公が陰(漱石)に戻る(と思われる)。市蔵と千代子は因縁の6歳差の陰同士。先生と奥さんは5歳違いの陰と陽。Kのことさえなかったら人も羨む仲睦まじい夫婦になったであろう――Kも同じだが。『行人』はむろん一筋縄では行かないが、陰陽和合の譬えでいえば、お直は一郎よりは二郎とウマが合うのだろう。とはいえ一郎の年齢は我ながら悩ましいところ。あっさり「二郎28歳一郎38歳」としてもよかったかも知れない。

・晩期3部作 『道草』
健三(陰)明治0年卯漱石と見做す)
御住(陰)明治10年丑(鏡子と見做す)
長太郎(陽)(健三の7つ年上の兄)
御夏(陽)(健三36歳御夏51歳、15違う――本人は16違うと主張するが)
比田(陰)(御夏と同い年か1歳違いで未という――未はありえないが)
島田(陰)(塩原昌之助と見做す)
御常(陰)(塩原やすと見做す)
御縫(陽)(健三の1つ上)
『明暗』
津田(陽)明治19年戌(大正4年で30歳)
お延(陰)明治26年巳(大正4年で23歳)

津田とお延は7歳差という異色の夫婦。同じことをする夫婦でもある。陰と陽であるからこその息の合った真似っ子夫婦。この夫婦は結局収まるところに収まるのではないか。お延は吉川夫人の言う奥さんらしい奥さんに近づくのではないか。
『道草』については漱石係累を紹介した方が早い(以下実在の人物)。

夏目家
父直克(陰)(文化14年丑)
母千枝(陽)(文政9年戌)
異母姉佐和(陽)(弘化3年午)(※丙午)
異母姉高田房(陰)(嘉永4年亥)
長兄大助(陽)(安政3年辰)
次兄直則(陽)(安政5年午)
三兄直矩(陰)(安政6年未)
金之助(陰)(慶応3年卯)
嫂登世(陰)(漱石と同い年)

『道草』では異母姉の御夏と兄の長太郎のみ、陰から陽に変えてある。まさかと思うが、漱石は小説の中でのバランスを考えたのだろうか。
実際に陰の漱石の心に残るのは、懐かしい千枝と佐和だけ。長兄と次兄に対しては、律儀にもその最期を看取っている。家族にとって互いの陰陽などは2の次の話であろうが、

漱石を「家族外の人」と見れば、妙に納得できるとともに、漱石の置かれた境遇には哀惜の念を禁じ得ない

※注)硝子戸の中』で印象深く語られる異母姉佐和は丙午であった。読者は幕末の盗賊、浅草芝居見物行きのエピソードを忘れることが出来ないが、その裏に佐和の丙午的「勁さ」が介在していたのである。

塩原家
塩原昌之助(陰)(天保10年亥)
塩原やす(陰)(塩原昌之助と同い年)
日根野れん(陽)(漱石の1年上)

『道草』での養父母の書かれ方は散々であるが、彼らの年齢については漱石は韜晦する必要がないから、塩原夫妻の通りなのだろう。御縫さんの歳も健三の1歳上とはっきり書かれる。

金(かね)の草鞋を履いても探せというのはこの「1つ上の女房」のことである。必ず陰と陽になる

ところがミソ。つまり3歳上でもいいわけであるが、徳川期においては3つ上の女房はさすがにイレギュラーだったのだろう。健三は御縫さんと結婚した方が幸福だったかも知れないと嘯いて御住を口惜しがらせた。

その他
小屋保治(陽)明治元年
大塚楠緒子(陰)明治8年亥

7歳違いの陽と陰の夫婦。まるで津田とお延の始祖である。大塚楠緒子は美禰子や三千代とは違う。楠緒子はお延である。お延を複数の男が取り合うことはないように、楠緒子をめぐって男が争うことはなかった(と思う)。漱石は小屋保治より少し相性が悪かっただけである。
ただ大塚楠緒子にせよ登世、お連さんにせよ、皆早世したのはいかなる神のいたずらか。漱石は恋愛で絶対の域に入ることはなかったかも知れないが、生涯鏡子夫人だけを愛し、その産み出した作品の方はいつまでも輝きを失わず生き続ける。

* * *

〇2人のスチュ
日本で一番読まれているのが漱石だとすれば、世界で一番聴かれているのがビートルズであろう。本ブログは言ってしまえば漱石全集の読後感想文みたいなものであるが、漱石の周辺人物だけでなく作中人物の陰陽まであげつらったことに敷衍して、余計なことついでに、漱石と関係ない話だが、世界一有名な The Beatles の4人組を見てみよう。

Ringo Star 1940.7.7(陽)
John Lennon 1940.10.9(陽)
Paul McCartney 1942.6.18(陽)
George Harrison 1943.2.25(陰)

リンゴとジョンは同学年。ポールとジョージは1学年違うが同じハイスクールで知り合った。ビートルズは基本的に陽のバンドであるが、独りだけ陰のジョージは静かなビートル・不必要なビートルという言われ方をした。解散の原因については色々事情はあるだろうが、陰陽の考え方からは、「ジョージが最初に脱退を決意した」というのが一番ありそうな話である。

調子に乗って、アナザービートルと言われた人たちについても見てみる。

Peter Best 1941.11.24(陰)
Stuart Sutcliffe 1940.6.23(陽)
Klaus Voormann 1938.4.29(陽)
Brian Epstein 1934.9.19(陽)
George Martin 1926.1.3(陽)

最後に加わりレコードデビュー直前にメンバーから外れたピートベストが陰である。技量的な問題でリンゴと交代させられたと言われているが、本当だろうか。リンゴも最初のシングル盤ではドラムを叩かしてもらえなかった(セッションドラマーが起用された)。テクニックではなく始めから相性が合わなかったのではないか。このときジョージ(ハリスン)だけピートの交代に反対したという噂があるが、出来過ぎた話である。ジョージはメンバーの中では、ピートと一番古くからの知合いだった。
スチュはジョンの美術学校時代からの親友で、ポールが嫉妬するくらいジョンと仲が良かったが、恋人と進学のため早く離脱して、ビートルズの栄光を見る直前に因縁の地ハンブルクにとどまったまま亡くなってしまった。ケガが原因とも言われる。そのスチュの「代役」の可能性もあったハンブルクの人クラウスフォアマンは、長くビートルズと友好な関係を続けた。そのハンブルクで、初期のビートルズが始めてレコーディングを共にしたトニーシェリダンは、ジョンと同い年である。
そしてプロデューサのジョージマーチンも広報担当のデレクテイラーもマネジャのエプスタインも、陽であった。ビートルズというビジネスが力強く推進されたわけである。
(別に論者は陽の人間ばかり探そうとしているわけではない。ビートルズを裏で支えたニールアスピノール、マルエヴァンス、オランダ等のコンサートでリンゴの代役を務めたジミーニコルは、陰の人たちである。)

ビートルズだけでは(例証に)物足りないと思われる向きのために、レドツェッペリンは、ジミペイジ(44年)、ジョンポールジョーンズ(46年)、ジョンボーナム(48年)、ロバートプラント(48年)、全員陽である。Zep はある意味でビートルズを超えた存在とも言えるし、ビートルズに届かない理由を暗示しているようにも見える。

ローリングストーンズは陰のバンドである。ミックジャガー(43年)、キースリチャーズ(43年)、チャーリーワッツ(41年)が陰、故ブライアンジョーンズ(42年)と最後に脱退したビルワイマン(36年)が陽。途中参加のミックテイラーとロンウッドは、(簡単に予想出来るように)ミックやキースと同じ陰である。ストーンズと一心同体だったブルースピアノ奏者のイアンスチュアートは陽。(おそらく守衛みたいな外見のせいで)正式メンバーにはならずじまいだったこちらのスチュは、バラバラになりがちのストーンズの真のまとめ役だったと言われる。スチュと同じくキーボードで帯同していたニッキーホプキンスも陽。ビルワイマンだけ正式メンバーでいられたのは、彼独りステージでも「俺は関係ないよ」というポーズを保っていたせいであろう。「不必要な」という称号は彼にこそ相応しいと言えるかも知れない。ブライアンジョーンズ解雇騒動のときビルワイマンだけ反対したというのも、先ほどのピートベストの話と同じである。
ビートルズ(陽)とストーンズ(陰)。常に比較されるのは、レコード会社の販売戦略などを超えた、もっと根源的なものに根差していると、日本人だけが気付くのであろうか。それともそれは(ビートルズストーンズかという愚にもつかない対比は)日本だけの現象なのだろうか。

ちなみに同時期の斯界の巨人たるボブディランとサイモン&ガーファンクルは3人とも1941年生れの陰である。ジョージはビートルズ解散後の1971年、歴史的なバングラディシュチャリティコンサートを催行したが、そのときの目玉となる大物スターは、ボブディラン、エリッククラプトン(1945年生れ)、ミックジャガー(ビザが降りず不参加)、皆陰の人であった。ジョージは後年ポールサイモンとも共演しているが、ジョージが生涯(ビートルズ以外で)一緒に演奏したミュージシャンのトップ3は、誰が見てもボブディラン、エリッククラプトン、ポールサイモンの3人であろう。挙げるとすればもう1人エルトンジョンも陰である。ジョージを慕って来るビッグネームは陰の人ばかりである。
オノヨーコ(陰)がジョンと行動を共にするようになって、グループにすきま風が吹きまくっていた晩年、事態打開のためジョージが連れて来た旧友ビリープレストン(陽)は、真の意味での第5のビートルと言えるが、最終(と誰にも思えた)プロジェクトの中で孤独感を深めていたジョージの救いとはならなかったようだ。一方その1年前に同じく悩めるジョージが呼んだエリッククラプトンは、ビートルズとのレコーディングは、そのときの素晴らしい演奏1曲だけに終わった。(その曲はよく言われるようにジョンとポールの不仲を嘆いた曲である。)
ジョージはビートルズの最晩年、ヨーコに面と向かってあなたは邪魔だと言ったというが、真にヨーコを嫌っていたのはポールの方か。ポールはジョンとも大喧嘩をしたが、ジョンが1歳年上のシンシアと最初結婚したように、ポールもまた(陽のジェーンアッシャーとではなく)1歳年上のリンダと結婚してビートルズと訣別した。(ついでながらジョージ、エリッククラプトンの2人と結婚したパティボイドはすぐ想像がつくように陽である。)

ジョージにこだわるようであるが、陽の人たちに囲まれてビートルズのキャリアを全うしたジョージに、人知れぬストレスがあったことは想像に難くない。それが彼を成長・開花させたとも言えるだろう。それでビートルズでどの曲が1番かというありふれた問いについて、たいていはレノン・マカートニーの曲が選ばれるだろうが、ハリスンの Something を挙げる人も多いのではないか。そして2位 While my guitar gently weeps というのも大いにありそうである。しかし3位が Here comes the sun となると、佳い曲ではあるが、これはビートルズのではなく、ジョージのベスト3を選ぶのと勘違いされそうである。何が言いたいかというと、レノン・マカートニー(陽)の曲とジョージ(陰)の曲とを、一緒くたに混ぜて論じることは出来ない、ということである。作者が違うという1点では語れない。レノン・マカートニーの曲は常にビートルズとして語られる。繰り返すが、これは日本人だけに通用する理論であろうか。日本人にジョージの古くからのファンが多いのは事実であるが。

さらに余計なことを付け加えると、ビートルズが直接影響を受けたミュージシャンとしてすぐに思い浮かぶのが、チェットアトキンス(24年)、チャックベリー(26年)、カールパーキンス(32年)、リトルリチャード(32年)、バディホリー(36年)。なかでもチャックベリー以下の4人は4天王と言ってよい。続いてロイオービソン(36年)、エディコクラン(38年)、スモーキーロビンソン(40年)らが挙げられるか。8人全員陽である。
もちろん陰の8人も見つからないことはない。ビルヘイリー(25年)、トミータッカー(33年)、リッチーバレット(33年)、エルヴィス(35年)、ジーンヴィンセント(35年)、ラリーウィリアムズ(35年)、ジェリーリールイス(35年)、フィルスペクター(39年)。
エルヴィスはビートルズの先達として別格であるとしても、陰のメンバーの顔ぶれは明らかに陽の連中と一線を画すものがある。いっそ「1935年生れの例外」説を唱えたいくらいである。外国人に陰陽(干支)が関係あるかとか、ロックンロールに興味の無い向きにはどうでもいい話であるが。(2024.10.9記)

410.『虞美人草』(6)――世の中はすべて陰陽陰陽

前項の続きだが、漱石が宗近君の年齢を「書き間違えた」という可能性はないだろうか。二十六歳のつもりを二十八歳と書いてしまった。あるいは誤植されてしまった。宗近君が26歳であれば、甲野さんたちより1年後に卒業して何の不思議もない。
2人の年齢については、いきなり小説冒頭で本人たちが優雅な論争をしている。『虞美人草』では読者が後から詮索しないで済むと言わんばかりに、主要人物の年齢はあらかじめ漱石によって明記されている。
まず甲野さんが宗近君に年を聞く。宗近君は素直に答えない。何にこだわっているのか。甲野さんは押して聞く。

「だから、幾歳なんだよ」
「君から先へ云え」と宗近君は中々動じない。
「僕は二十七さ」と甲野君は雑作もなく言って退ける。
「そうか、それじゃ、僕も二十八だ」
「大分年を取ったものだね」
「冗談を言うな。たった一つしか違わんじゃないか」
「だから御互にさ。御互に年を取ったと云うんだ」
「うん御互にか、御互なら勘弁するが、おれ丈じゃ……」
「聞き捨てにならんか。そう気にする丈まだ若い所もある様だ」(『虞美人草』1ノ2回)

これでは宗近君はやはり28歳以外ではあり得ない。甲野さんは27歳。小野さんは甲野さんの同級生(文学科と哲学科)で27歳である。藤尾は24歳である。

女の年は二十四である。小野さんは、自分と三つ違である事を疾うから知っている。(『虞美人草』2ノ2回末尾)

美しき女の二十を越えて夫なく、空しく一二三を数えて、二十四の今日迄嫁がぬは不思議である。(『虞美人草』2ノ3回冒頭)

「御前も今年で二十四じゃないか。二十四になって片付かないものが滅多にあるものかね」(『虞美人草』8ノ1回)

坑の底で生れて一段毎に美しい浮世へ近寄る為には二十七年かかった。二十七年の歴史を過去の節穴から覗いて見ると、遠くなればなる程暗い。只其途中に一点の紅がほのかに揺いて居る。東京へ来立には此紅が恋しくて、寒い記憶を繰り返すのも厭わず、度々過去の節穴を覗いては、長き夜を、永き日を、あるは時雨るるを床しく暮らした。今は――紅も大分遠退いた。其上、色も余程褪めた。小野さんは節穴を覗く事を怠たる様になった。(『虞美人草』4ノ1回末尾)

小野さんの27年にわたる半生である。孤独の東京で覗いていた紅(くれない)とは小夜子のことである。その小夜子は21歳、糸子は22歳である。小夜子と孤堂の会話。

「御前が京都へ来たのは幾歳の時だったかな」
「学校を廃めてから、すぐですから、丁度十六の春でしょう」
「すると、今年で何だね、……」
「五年目です」
「そう五年になるね。早いものだ、つい此間の様に思って居たが」(『虞美人草』7ノ3回)

謎の女と宗近の和尚の会話。謎の女は藤尾のことをしゃべっている。

「いえもう、身体(なり)許大きゅう御座いまして、から、役に立ちません」
「……勘定すると四になる訳だ。うちの糸が二だから」(『虞美人草』10ノ3回)

仲の好い宗近兄妹の会話。

「時に糸公御前今年幾歳(いくつ)になるね」
「当てて御覧なさい」
「当てて見ないだって区役所へ行きゃ、すぐ分る事だが、ちょいと参考の為に聞いて見るんだよ。隠さずに云う方が御前の利益だ」
「隠さずに云う方がだって――何だか悪い事でもした様ね。私厭だわ、そんなに強迫されて云うのは」
「ハハハハさすが哲学者の御弟子丈あって、容易に権威に服従しない所が感心だ。じゃ改めて伺うが、取って御幾歳ですか」
「そんな茶化したって、誰が云うもんですか」
「困ったな。叮嚀に云えば云うで怒るし。……一だったかね。二かい」
「大方そんな所でしょう」(『虞美人草』16ノ5回)

主人物たちの年齢は2度も3度も繰り返し触れられ、少々の誤植にも耐えられるしかけであろうか。唯一1度しか書かれないのが小夜子(21歳)であるが、小夜子が小野さんと入れ替わりに京都入りしたのが5年前、16歳の時という。小野さんは22歳。このときまで小野さんは京都で孤堂先生の世話になり(7歳から22歳まで、推定15年間)、この間小夜子は母と、東京でなぜか父親と離れて暮らしていた(1歳から16歳までの15年間)。そして京都で晴れて父親と同居することになった小夜子と母であるが、母は急逝したようである。
小夜子は小説の暦の上では、ほとんど小野さんと接していない。一緒に住んだことはないのであろう。それでいて小夜子が弱年時の小野さんの面影を忘れられないというのは、おそらく年に何度かは、東京の母子は京都を訪れていたのか。孤堂が頻繁に上京していたような様子はない。
だがもしそうであれば、小野さんが東京へ行った後、京都へ「帰省」した形跡がないのもまた不思議である。小野さんは帝大生としての3年間は孤堂の仕送りを受けていたと思われる。小野さんに金がないのは通常の親子と同じである。実家が裕福でなくても、年に1度くらいは当時といえども普通の学生なら帰省する。金のない浅井君は卒業して2年経つのにまだ春休みに帰省していた。それとも小夜子母子ともども、別居中はほとんど孤堂との行き来はなかったのだろうか。この状態で15年間、孤堂清三 VS. 小夜子母子という「変則家族」を維持させたものは何だったのであろう。
いずれにせよ、この儚い接触は小夜子の想いを増幅し、反対に小野さんのそれを冷却した。余計なお世話であるが。

物語の今が万国博覧会の明治40年であることは動かせないから、改めて主人公たちを年齢順に並べるとこうなる。

宗近 28歳 明治13年生れ辰(陽) 甲野 27歳 明治14年生れ巳(陰) 小野 27歳 明治14年生れ巳(陰)

藤尾 24歳 明治17年生れ申(陽) 糸子 22歳 明治19年生れ戌(陽) 小夜子 21歳 明治20年生れ亥(陰)

漱石は関心ないだろうが、干支を陰陽で分けると、子寅辰午申戌が陽、丑卯巳未酉亥が陰である。言うまでもなく陰と陽が1年おきに繰り返される。明治でいえば奇数年が陽、偶数年が陰である。上記の人物でいえば、陽が宗近・藤尾・糸子、陰が甲野・小野・小夜子である。むべなるかなである。
ただしこの陰陽が旧暦で廻っていると考えるなら、明治の改暦以降の1月生れの人は、前年の干支として扱ってもいいかも知れない。甲野さんと小野さんが早生れ(1月生れ)であれば、宗近君を含めた3人は全員陽ということになる。陽だからどうだという訳でもないが、この3人が寄れば(議論等で)賑やかにはなるだろう。2人が早生れでないとすれば、宗近君1人がうるさく、甲野さん小野さんは聞き役である。どちらともとれるような設計に、『虞美人草』はなっている。
小夜子は明らかに藤尾・糸子と違う造形である。藤尾と糸子は存分に言い合うかも知れない。小夜子はそもそもそんな言い争いに加われない。

* * *

〇4人はアイドル
漱石自身は慶応3年の卯歳生れ(明治0年)。ゼロは偶数、明治の偶数は陰である。陰の人間は陽の人間とは本来ウマが合わないはずであるが、漱石のような脱俗して理智的な変人は、もうそんなことは超越している。あるいは(若い人が異性を求めるように)自分にないものを求める。

話はそれるが、漱石の若い友人(文人)たちの中で陽の人間を探してみると、

寺田寅彦 明治11年寅(陽)
津田青楓 明治13年辰(陽)
鈴木三重吉 明治15年午(陽)
小宮豊隆 明治17年申(陽)

4人とも他の弟子たちが嫉妬するくらい、彼らがいくら漱石に甘えても、仮に反撥したりだらしなく振舞ったとしても、漱石はわざとしたように本気には怒らない。世に漱石弟子の4天王と言われるのは、
森田草平鈴木三重吉安倍能成小宮豊隆
とされるが、真の4天王は上表寺田以下の4人であろうか。森田草平は煤煙事件の縁で、安倍能成は松山中学卒業ということで特に漱石の寵愛を受けたようだが、上表4人には敵わない。むしろ陰の4人組に入った方が、しっくり来る。

森田草平 明治14年巳(陰)
安倍能成 明治16年未(陰)
阿部次郎 明治16年未(陰)
野上豊一郎 明治16年未(陰)

ついでに、と言っては失礼だが、津田青楓の古典的な『漱石と十弟子』に掲げられている残りの3人と、津田が(11人になってしまうので)涙を吞んで加えなかった和辻哲郎カリカチュアにだけちゃっかり描かれている内田百閒を加えた5人を調べてみると、

松根東洋城 明治11年寅(陽)
岩波茂雄 明治14年巳(陰)
赤木桁平 明治24年卯(陰)(以上、漱石十大弟子
和辻哲郎 明治22年丑(陰)
内田百聞 明治22年丑(陰)

晩年の弟子(新思潮の)はどうだろう。

菊池寛 明治21年子(陽)
恒藤恭 明治21年子(陽)
松岡譲 明治24年卯(陰)
久米正雄 明治24年卯(陰)
芥川龍之介 明治25年辰(陽)
成瀬正一 明治25年辰(陽)

漱石が長生きしたとしても、筆子の相手は松岡久米どちらとも決めかねただろう。事態は変わらなかったのではないか。成瀬や芥川なら文句はないが、芥川は夏目家に深入りする気はなかった。別の話だが、成瀬と菊池寛は実家が菊池を経済的に援助したという不思議な縁がある。

ちなみに子規は漱石と同い年である。同じ学舎で肝胆相照らした仲であるが、陰同士、お互い張り合うことにもなる。愚陀仏庵では2階と1階、東京と松山、日本と英国、俳句の通信添削、そして早すぎる永訣。
もう1人、早逝した天然居士米山保三郎については、生れ月まで同じである。互いに惹き合うものがあるとすれば、その結びつきは子規よりも強くなるだろう。

そして鏡子は明治10年丑歳の陰。漱石の子たちも、筆子(明治32年)・恒子(明治34年)・栄子(明治36年)・愛子(明治38年)・純一(明治40年)、ずっと陰が続いた。ところが最後の2人、伸六(明治41年)と雛子(明治43年)が陽である。雛子は夭折したが、伸六は漱石から理不尽な扱いを受けた。漱石は安心して伸六を苛めたのであろうか。先ほどの新思潮の弟子の話でも、陰で占められた漱石の家庭へ、陰の久米正雄と松岡譲だけが入ってもいいと思っていたのである。

以上、漱石は九星ですら『道草』で滅茶苦茶なことを書いているくらいだから、陰陽についてのこんな議論は歯牙にもかけまいが、道草ついでに余計なことを書いてみた。当然ながら確率の問題だから、漱石の周囲でも数は陰陽拮抗するだろう。しかし1人1人の特性を見ると、そこには自ずと陰陽の(神による)グループ別けがなされているように感じられる。
いずれにせよ『虞美人草』で登場人物たちの年齢を開示し、あれこれ(その必要が特にあったわけでもなかろうに)強調していたのは、他ならぬ漱石自身である。論者はその尻馬に乗ったに過ぎない。

※夏目恒子は1月26日生れであるから、旧暦を活かせば陽であろうが、ここでは干支を優先した。

409.『虞美人草』(5)――金時計の秘密

虞美人草』の藤尾を象徴する小道具として、鎖に紅い柘榴石(ガーネット)を配した金時計が挙げられる。小野さんの大事な恩賜の銀時計も霞んでしまうほど、(『虞美人草』だけでなく、)漱石の全作品の中で最も有名な小道具として、今なお輝き続けていると言って過言でない。

一体に漱石ほど自作に時間(時刻 time )を書き入れる小説家はいないだろう。登場人物はしきりに今何時か知りたがり、物語の進行も時・分を喋々することが多い。タイムキーパーの台本のような書かれ方をすることさえある。
必然的に時計の出番も増えるわけだが、そもそも曲がったことの大嫌いな漱石は、正確に時を刻む時計、時刻表通りに動く汽車や、精確に描くことを目的とするコンパスのような製図器械みたいなものを好む傾向にある。
ただの(男の子に多い)機械好きかというと、なかなかそうでもないようである。

――血を盛る袋が、時を盛る袋の用を兼ねなかったなら、如何に自分は気楽だろう。如何に自分は絶対に生を味わい得るだろう。けれども――代助は覚えずぞっとした。(『それから』1ノ1回)

心臓の鼓動が、時を刻む時計のように我々の生自体を刻んでいる。
心臓が「時計」の働きをしなければ、我々は「絶対の生」を感じるかも知れない。
このくだりは代助の不整脈(おそらく)について述べているだけかも知れないが、ふつう人は脈を測っただけでこのような感想に至らないから、漱石は時と生死の問題を切り離して考えられないタイプの人間なのであろう。
漱石が小説に時間や時計のことばかり書き込むのは、このように常に生と死の問題を離れない漱石の人生観によるものであると思えなくもない。長年教師をしていたので、いつも(終業ベルの)時間が気になるというわけではないだろう。

心臓の話ばかりではない。時計はこんなものにも譬えられる。
『明暗』でお延も呼ばれた継子(岡本の長女)の見合いの席。岡本には子供が3人いる。主催の吉川夫妻には子供がない。

「でも岡本さんにゃ自分の年歯(とし)を計る生きた時計が付いてるから、まだ可いんです。あなたと来たら何にも反省器械を持っていらっしゃらないんだから、全く手に余る丈ですよ」
「其代りお前だって何時迄もお若くっていらっしゃるじゃないか」
みんなが声を出して笑った。(『明暗』53回末尾)

時間( period )を実見できる子供の成長。でも言い方を変えると自分(親)が死に近づくかも知れない成長でもある。死に至る時を刻む時計。
漱石は強迫観念的に自作に時計を書き込まざるを得なかった。懐中時計は(当時まだ腕時計は一般的でなかったので)漱石作品の必須アイテムになった。
処女作『猫』では早速、苦沙弥のニッケルの袂時計と鈴木藤十郎君の金時計が披露される。実業家鈴木藤十郎君の金時計は、『坊っちゃん』では赤シャツの金側の時計(坊っちゃんはまがい物と言い切るが)に受け継がれて、『虞美人草』藤尾の金時計で(フェイクのシンボルとして)完成を見た。
以後金時計はこれ見よがしに登場することはなくなった。『門』で坂井の家に入った泥棒に盗まれて後に郵便で戻って来た古い金時計と、歳末の商店街で小六が狙った景物の金時計は、ご愛嬌というより、『猫』『坊っちゃん』『虞美人草』(金時計3部作)への鎮魂歌であろう。
小野さんの銀時計も、朝日入社や博士号辞退を経て、漱石の関心の領域からは完全に消え去ったようである。小説の作中人物の持つ懐中時計は多く真鍮にメッキしたものと思われるが、漱石はもう作品の中では金時計銀時計を言わなくなった。
ところが『道草』では、亡くなった次兄の銀時計が欲しくてたまらない健三のエピソードが挿入され、読者は事実に即した話だろうと勝手に首肯するが、『道草』がいかにイレギュラーな(突出した)作品であるかが伺える。本来漱石がもう(エセイ以外では)書くはずのないことが書かれる小説が、『道草』という(漱石の中では)風変わりな小説である。

それはともかく、藤尾の金時計については、その艶やかな描写はいいとして、何度も出て来る来歴の描写には、少しヘンなところがあるようである。
当該金時計は甲野の父が始めて洋行(海外駐在)した時に記念に購入したもので、日本にいる間は藤尾の玩具にもなっていたのだろうが、基本は父の持ち物として父と共にあり続けたと思われる。『虞美人草』の物語が始まる明治40年春(春休み)、甲野の父は4ヶ月前に客死したが、大使館から遺品と共に届けられたのが、ちょうど甲野さんと宗近君が京都に出かけた頃のこととされる。その留守の間の藤尾と母の会話。宗近なんかやめて小野さんにしようという相談である。

「いっそ、此所で、判然断わろう」
「断わるって、約束でもあるんですか」
「約束? 約束はありません。けれども阿爺(おとっさん)が、あの金時計を一(はじめ)にやると御言いのだよ」
「それが、どうしたんです」
「①御前が、あの時計を玩具にして、赤い珠ばかり、いじって居た事があるもんだから……」
「それで」
「それでね――此時計と藤尾とは縁の深い時計だが之を御前に遣ろう。②然し今は遣らない。卒業したら遣る。然し藤尾が欲しがって繰っ着いて行くかも知れないが、夫でも好いかって、冗談半分に皆の前で一に仰しゃったんだよ」
「それを今だに謎だと思ってるんですか」
「宗近の阿爺(おとっさん)の口占ではどうもそうらしいよ」
「馬鹿らしい」
藤尾は鋭どい一句を長火鉢の角に敲きつけた。反響はすぐ起る。
「馬鹿らしいのさ」
「あの時計は私が貰いますよ」
「③まだ御前の部屋にあるかい」
「文庫のなかに、ちゃんと仕舞ってあります」
「そう。そんなに欲しいのかい。だって御前には持てないじゃないか」
「いいから下さい」
・ ・ ・
「あの時計は小野さんに上げても好いでしょうね」(『虞美人草』8ノ2回)

遺品は到着したばかりだろう。であれば父の古い記念の金時計は一応、京都から帰った(相続人たる)甲野さんの眼と手を経た後に、藤尾が保管するのが筋であろう。それを藤尾が自分の手文庫にしまい込んで、その日やってきた小野さんに見せびらかしたりしている。それは小説の結構であるからいいとしても、③の「まだ御前の部屋にあるかい」「文庫のなかに、ちゃんと仕舞ってあります」という書きぶりだけでは、着いたばかりの(久しぶりに対面した亡父の形見の)金時計という感じは出ないのではないか。まあ、先一昨日受納した物品についてしゃべっているのである、という前提に立って読めば、べつに不自然ではないが。

②の「卒業したら遣る」の記述も少しひっかかる。
宗近君は甲野さん小野さんと同級、とは書かれないが、1級上とも下とも書かれない。年は28で1つ上とのことだが、甲野さん小野さんが(漱石みたいに)早生れとすれば、やはり同級生なのだろう。甲野さん小野さんは卒業してこの春で2年になると何度も書かれる。してみると宗近君もまた2年前に卒業しているのであるから、甲野の父は2年間も約束の実行を放置していたことになる。いくら海外にいるとはいえ、近しい者の卒業祝いを1年も2年も遅らせるのはおかしい。特に親戚の口はうるさいのである。漱石はそういうことに殊更こだわるタチであるから、言い訳はしなくていいとしても、誤解を避けるような記述は前以って書かれてしかるべきではないか。

帰国したときに直接手渡しするのだろうとは推測できる。だが「卒業したら」という言い方から、(すでに帝大に入学しているのだから)甲野の父の卒業祝いの発言はいくら遡ってもせいぜい5、6年、もしかすると2、3年前の話かも知れない。ところがその取ってつけたような理由が、①の藤尾の幼時とも思える昔話である。
これでは藤尾が、問題の金時計をずっと持ち続けているようにも読めてしまうのではないか。そう思って読んだ方が、少なくと③の記述は異和感がない。

実はその前に、すでに甲野さんと宗近君が(旅先で)同じことをしゃべっている。

「ハハハハ。時に御叔父さんの遺物はもう、着いたか知ら」
「もう着いた時分だね。公使館の佐伯と云う人が持って来てくれるはずだ。――何にもないだろう――書物が少しあるかな」
「例の時計はどうしたろう」
「そうそう。倫敦で買った自慢の時計か。あれは多分来るだろう。④小供の時から藤尾の玩具になった時計だ。あれを持つと中々離さなかったもんだ。あの鏈に着いている柘榴石が気に入ってね」
「考えると古い時計だね」
「そうだろう、阿爺(おやじ)が始めて洋行した時に買ったんだから」
「あれを御叔父さんの片身に僕にくれ」
「僕もそう思っていた」
「⑤御叔父さんが今度洋行するときね、帰ったら卒業祝にこれを御前に遣ろうと約束して行ったんだよ」
「僕も覚えている。――ことによると⑥今頃は藤尾が取ってまた玩具にしているかも知れないが……」(『虞美人草』3ノ5回)

④が①の、⑤が②の、⑥が③の、それぞれ発言の肉付け・根拠になっている。③の「文庫のなかに、ちゃんと仕舞ってあります」という記述は、すでに甲野さんによって予見されていた。そればかりか、甲野さんは藤尾がその金時計を小野さんの胸にかざしていることまで見抜いていたような書き方である。
金時計に関しては双方向からの記述で疑義の生じないよう図られている。にも拘わらず、どうしても拭いきれない異和感はどこから来るのだろうか。
その答えの1つとして、家族に対する冷淡さという、甲野家の登場人物に共通するメンタリティを挙げてみたい。

僅か4ヶ月前である。遺骨はとっくに帰って来ているのだろうが、祀っている気配も記述もない。父の形見の金時計が到着したなら、とりあえず欽吾のためでなくても(欽吾は金時計に興味ないだろうから)、父のために遺影の前に据えるのが普通ではないか。祭壇も遺影も描かれない代わりに、後に西洋画の半身肖像の額が登場する。
夏には新盆を控えているのであるが、甲野家ではその対象者が1人増えてしまった。漱石はお盆に関心はないのであるが、『虞美人草』の登場人物が全員神徒もしくはキリシタンというわけでもなかろう。宗近君は「子供の時から坊主と油揚は大嫌い」と言っている。――甲野さんが家を出るということから、出家するのかという糸子の疑念に対する発言。油揚は稲荷神社のことであろう。――宗近の父は(自身の禿頭の連想だけにせよ)和尚と書かれる。藤尾の柩の章では北枕に逆さ屏風がちゃんと描かれているのである。

漱石は慥かに肉親に冷淡なところがある。父の葬儀に期末試験を理由に帰って来なかった。知友の死を悼む気持ちは勿論ある。米山保三郎、子規、雛子、嫂登世、そして母や長姉、長兄次兄――。父に対してだけ冷淡なのだろうか。読者はそれを知りたくて『道草』を読む。読んでも結局それは分からない――。

もう1つの解は、漱石が宗近君の卒業年次を勘違いしているという(ありそうもない)臆見である。甲野さん小野さんが同級生で27歳であることは何度も書かれて疑いのないところ。宗近君が28歳であることもはっきりしている。甲野さんたちが「早生れ」だとして、宗近君は「遅生れ」なのだから、卒業年次も1年「遅い」、と漱石はうっかり間違えたのではないか。天才は脳の回路が一般人とは異なるのである。
宗近君は甲野さん小野さんより「1年遅れて」、明治39年6月に卒業した。通常卒業前に受ける公務員試験や外交官試験だが、宗近君はそれに落ちた。でも卒業はしたのだから金時計の権利はある。帰国を待ちたいところだが、甲野の父はその年欧州で流行ったコレラに罹って、12月に亡くなってしまった。翌春(今春3月)宗近君は2度目の外交官試験に合格しそうである(「また落第しそうですよ」と8ノ4回で本人が余裕をかましているので、却って自信があるのだろう)。金時計も甲野の家に無事戻って来た――。

小説の中で、博士論文執筆中の小野さんに比して、(宗近君も同じなのに)甲野さんだけが何もしないのらくらの変人扱いされていることは、外交官試験に再チャレンジ中の宗近君が、まだ卒業して1年も経過していないのだとしたら、一応理屈は合う。
まさか(漱石みたいに途中で)落第して、卒業が1年遅れているのではなかろう。もしそうであれば、口の悪い甲野の母や妹の糸子が黙っていることはない。外交官試験に一度失敗しただけで、さんざんあげつらっているのだから。

ここでまた別の疑問が湧いてくる。卒業年次の話はさておいたとしても、漱石はなぜ甲野さんたち仲良しトリオを同年齢に設定しなかったのだろうかという「素朴な疑問」である。それは作者の随意であると言うならそれまでだが、それで済む話だろうか。次項でさらに考えてみたい。

408.『虞美人草』(4)――『虞美人草』最大の謎

漱石の中で自作としての評価が低いままに了った通俗小説『虞美人草』であるが、最大の問題点はやはり終末のドタバタ劇であろうか。
宗近君の大活躍と小野さんの決心(変心・改心)、それによる藤尾の悲劇自体は、始めからそのように構想されていたのであろうから、他がとやかく言うことでない。主人公たちの設定も言動も、まあ特段の不都合もなく、作者の謂う喜劇から悲劇への道筋を律儀に辿っていると言ってよい。
慥かに宗近君が第18章で、いきなり小野さんは(他の誰とでもなく)小夜子と結婚すべきであると判断するに至った経緯については、誰もが感じるように少々性急に過ぎよう。藤尾をあっさり見離した潔さも去ることながら、その藤尾が小野さんとただならぬ関係に陥りつつあるということは、小説を読む限りでは宗近君には知らされていなかったのであるから、宗近君の行動のトリガーに関して言えば、漱石は明らかに書き足りていない。
それは『虞美人草』(と作者)の乱暴な所かも知れないが、漱石推理小説を書いているのではないのだから、宗近君の動機の飛躍は、それだけではこの作品の瑕疵にはならないだろう。宗近君は「正しい行ない」をした。『虞美人草』の価値は少なくともそれで担保される、と漱石は考えた筈である。

不思議なのはむしろ、宗近君にそんなことをさせてしまった浅井君の方であろう。
小野さんの代弁人浅井君は井上先生を傷つけ怒らせてしまい、道義として小野さんが小夜子を娶るべきであると思い識る。それはいい。倫理は勝つのである。浅井君は小野さんを説得すると言い残して先生の宅を辞す。
ところが浅井君が電車に乗って向かった先は宗近家であった。浅井君はなぜ真っ直ぐ小野さんの下宿へ行かずに宗近の門を敲いたのか。小野さんのスキャンダルをなぜ真っ先に宗近へリークしたのか。
好い儲け口を求めて近々宗近を訪問する予定であることは、既に読者に通知済ではある。浅井君は小野さんの友人だが、宗近君をよく知らない。甲野さんの親戚で、学校で何度か顔を合わせたことがある程度であるという。その甲野さんにしても、浅井君は小野さんを介しての顔見知り程度の関係に過ぎない。
浅井君にとって、小野さんと井上家の問題は、直ちに宗近家と結びつく話ではない。小野さん・井上家・宗近家の唯一の接点は「藤尾」であろうが、浅井君は(小説を読む限りでは)藤尾のことは小野さんから聞かされていないのである。そして宗近家で浅井君が開陳した小野さん井上家両者の情報は、反対に宗近君にとっても宗近家にとっても、火急の問題になりよう筈がない。
繰り返すが、このとき浅井君は小野さんと藤尾の急を告げに行ったのではなく(それは浅井君の知識の外にあった)、なぜか小野さんと井上父娘のそれを告げに行ったというのである。小野さんの徳義の問題が(藤尾の件を離れて)宗近家に何の関係があるだろう。まして井上父娘の事情は宗近の人にとって与かり知らぬ話である。

作者の意図は明白である。井上家での物語の進行通り、浅井君が小野さんの下宿へ行って小野さんに翻意させるには、副人物浅井君では荷が重い。力不足である。その役割を担う者は甲野さんでなければ宗近君しかいない。
事実主人物宗近君はそれを立派にやり遂げる。宗近君はただのお調子者ではなかった。甲野さんが藤尾の相手にはもったいないと(正当にも)判じたわけである。
そうは言っても、漱石は宗近君の素早い行動の理由を浅井君の報告に頼ったが、そもそも浅井君がなぜそんな告げ口をしなければならなかったか、漱石は結末を急ぐあまり(『趣味の遺伝』のように)、エピソードを1つ落としていたと思わざるを得ない。
漱石が実行した危険回避は1ヶ所だけ。「真面目になれ」と説得に訪れた宗近君が小野さんに対し、浅井の言っていることが真実かどうか確認するのが先決だけれども(時間がないのでそれを省略したが多分事実だろう)、と弁明していることだけである。

この宗近家で浅井君がしゃべったであろう具体的内容は、小説には1字も書かれないが、一言でも書いてしまうと、作者もその全貌を考慮しないわけには行かない。するとそこには浅井君が知り得ないこと、浅井君が思い至るはずのないことが必ず含まれてしまう(だろう)。
浅井君は小野さんの代弁者になり、次に孤堂先生の代弁者になろうとしている。しかし実際には作者の代弁者となって宗近家の人々を動かしたのであるから、明哲な漱石がそんなことを書けるわけがない。漱石は浅井君の密告内容を書く代わりに、あるいは密告内容が書けないので、それをこれまで読んできた読者の想像(記憶)に任せた(頼った)のである。

浅井君の立場からもう一度言うと、浅井君は自分独りでは秀才の小野さんを翻意させる自信がない。あるいは話がややこしくなったのでこの問題にこれ以上深入りしたくない。それでたまたま小野さんの親友宗近を訪れるついでに、小野さんと井上家の揉め事をぶちまけて、余裕があるらしい宗近家に面倒なことをすべておっ被せようとしたのであろう。法学士で実業家をめざす貧書生浅井君は、処世上 sensitive な事案からは逃げるのが得策と信じているのだろう。(漱石は性格上そういうことから逃げられないので、よけい実業家を目の仇きにするのだろう。)

小説の中でも、宗近の門を潜った後の浅井君の姿を見ることは、もうなかった。浅井君が小野さんに結果報告したり約束通り10円借りたりするシーンは書かれず仕舞いであった。浅井君は慥かに逃げたのである。
もちろん作品構成上、副人物浅井君の出番は終わってしまって構わないのだが、浅井君の井上家での不首尾を知らないはずの小野さんが、宗近君の急襲でいきなり借りてきた猫みたいに悄気てしまったという「飛躍した」展開は、さすがに浅井君にその責を負わせるのは酷な気がする。
漱石も当然この「飛躍」については気にしている。思いがけず飛び込んできた宗近君の顔を見た小野さんは、内心これで大森に行かなくて済むかも知れない、と安堵するような、また別のデッドロックを予感して怯えるような、ふらふらする精神状態にあると書かれ、否応なく宗近君の術中に嵌って行くことが担保されている。しかしそれで浅井君が免罪されるわけのものでもないだろう。

漱石の読者は漱石の分身たる甲野さんと小野さんに寄り添って物語を読んで行くので、たとえ浅井君や宗近君の行動原理がどうであれ、甲野さんと小野さんさえ不平を唱えなければ、それでよしとする。
ところでこの浅井君の不可解な行動は、後の作品で似たような動きをする人物が登場したことで、漱石読者にとっては多少不安の軽減に繋がったようである。作者の意図が少しずつ分かってきて、無駄に悩まなくて済むからである。
それは『それから』の平岡と、ずっと後の『明暗』小林の登場である。

* * *

〇江戸の敵を長崎で討つ
『それから』の平岡は、密告者としては『虞美人草』浅井の進化形もしくは完成形であろう。前著(『明暗』に向かって)でも一部触れたことがあるが、浅井の貧書生たる一面は、寺尾という文士予備軍の友人に引き継がせて目立たなくしているが、浅井と平岡は(理由のよく分からない)密告によって主人公の人生を変えてしまうという、共通の役割を帯びて登場する主人公の友人である。平岡が長井家に代助の行為を告発しなければ、少なくとも代助が長井家から放逐されることはなかった。まさか浅井に10円貸すという約束を果さなかったがゆえに、後年その仕返しを(平岡によって)受けたというわけではあるまい。
『それから』の読者は代助の冒した罪らしき行為に対し、倫理の人漱石は何らかの罰を与えるはずだから、それが平岡の書簡によるものであろうがなかろうが、単なる道具立てと見做して気にはしない。しかし『虞美人草』の浅井を知る者にとっては、浅井があの僅かな時間に宗近へ行って暴露しなければ、少なくとも小野さんは大森に出かけたであろうから、(藤尾の望まない方の)事件は何も起こらなかった。小野さんと藤尾の結婚は動かし難いものとなって、『虞美人草』はまた別の結末を迎える。――結局浅井君も平岡も、等しく漱石が主人公の運命を決定付けるために(物語の決着をつけるために)放った刺客であると思い知らされる。
そしてそのとき、浅井君による(恵まれた境遇の)小野さんへの羨望・嫉妬・復讐・抗議、といった要素が読者の脳裏をチラリとでも掠めれば、再読したときの印象がまた少し変わってくるのである。つまり漱石の意図に少しでも触れるということである。

『明暗』の小林は人物としては『それから』の平岡に最も近い。中断時の設定としては、金のために動く浅井と同じく、(画学生の原を援けるためでもあるが)金に余裕のある吉川家を訪問する手筈になっている。小林が吉川夫人に、夫人が知っている以上の津田の情報を餌に何かを得ようとするかも知れない、あるいはお延に対しても似たようなことをしかねない、というのが誰もが知る現行の『明暗』に埋められている「畑の芋」である。
浅井は電車に乗って宗近へ突撃した。平岡は長井家に手紙を書いて自分の恥を晒した。どちらも厳密に言えばその行動に合理的な理由はない。小林はどのような方法をとるか。直接か手紙かその両方か。あるいは第3の方法があるのか(原を利用するとか)。
小林は津田やお延に対して、浅井や平岡と似た立場にある。小林は(露骨に書かれるか否かは別として)浅井や平岡のような密告者・刺客たりうる。その小林の行動の「動機」を理解することなしに、『明暗』続篇は組み立てられない。そして読者が理解できるかも知れないその動機は、津田もお延も決して理解できない筈である。漱石がそのように(『虞美人草』や『それから』や)『明暗』を書いているからには――。

* * *

虞美人草』は通俗小説ではあるが、登場人物がすべてステレオタイプである必要はない。
浅井君が孤堂の怒りと小夜子の涙を見て何を感じどう行動するか、それは作者が決めればよいことである。浅井君が仮に読者の理解を超えた振舞いをしたからといって、漱石が後々の作品でその弁解をするとも思えないし、そんな必要もないだろう。漱石全集の読者は、ただ浅井君のような人物が、(通俗小説たる)『虞美人草』だけの例外でないことに妙な安心感を覚えるのみである。
ただし『虞美人草』の読後感だけで言えば、浅井君の行動の「不自然さ」は拭えない。そして「不自然」は「小刀細工」とともに、漱石が最も忌み嫌うこともまた、読者は知っている。それで漱石が『虞美人草』をスポイルするのだとすれば、それはそれで勿体なくも腑に落ちる話ではある。

407.『虞美人草』(3)――連載目次第16章~第19章

第16章 決断2つ(宗近一と糸子)

16ノ1回 嵐の前の静けさ 宗近老人の太平楽
祥瑞の煙草盆1円80銭~仏見笑の鉢植「外面如菩薩、内心如夜叉。女は危ないものだ」~床の軸に描かれた二人静

16ノ2回 宗近君外交官試験に合格
宗近君は外交官試験に及第したことを父親へ報告~二三日前に判明したが言いそびれていた~糸子にもまだ言わない~五分刈の髪は伸ばし始めた~「御前は呑気過ぎて不可んよ」

16ノ3回 宗近君の英国批評と結婚準備
西洋は表が綺麗で裏が不作法~神様の顔へ豚の睾丸~人間が反対方向へ引き裂かれる~日英同盟と知りもしない大衆の英国崇拝~「日本がえらくなって英国の方で日本の真似でもするようでなくっちゃ駄目だ」~外国へ行く前に嫁を決める話~「甲野の妹を貰うつもりなんですがね。どうでしょう」~「外交官の女房にゃ、ああ云うんでないと不可ないです」~「叔父さんは時計を遣ると云いました」「あの金時計かい。藤尾が玩弄にするんで有名な」

16ノ4回 宗近君は行動に移す覚悟を決める
先だって甲野の母親が来て言うには、欽吾が家を出ると藤尾に婿を取らねばならないので、藤尾を嫁に遣れない~一の決断~藤尾との結婚を甲野さんに申し出ること~同時に甲野さんに糸子を貰う気があるか聞くこと~その前に糸子の意思を確かめる

16ノ5回 宗近君糸子に大事な話
宗近君が来ると糸子は読みかけの本を手で隠す~恋愛小悦ではなく甲野さんから借りた本のようだ~糸子は本を袖の中に隠して甲野の蔵書印のみ見せる~糸子は哲学者の御弟子~宗近君は糸子の歳を訊く「一だったかね、二かい」~「それを聞いて何になさるの」「実は糸公を御嫁にやろうと思ってさ」

16ノ6回 宗近君 糸子に結婚話を切り出す
「知らないわ」~「好くってよ、訳なんか聞かなくっても、私御嫁なんかに行かないんだから」~「訳は聞いても御嫁にゃ行かなくってよ」~「だけれど藤尾さんは御廃しなさいよ。藤尾さんの方で来たがっていないんだから」~「だって厭がってるものを貰わなくっても好いじゃありませんか。ほかに女がいくらでも有るのに」

16ノ7回 出家したい甲野さんと外交官の妻の話
宗近君は外交官試験に及第したことを告げる~藤尾の返答をはっきり聞きたい~「聞くなら欽吾さんに御聞きなさいよ。恥を掻くと不可ないから」~甲野さんが坊主になるという話~「坊主と油揚は小供の時から嫌い」~「だって御金が山のようにあったって欽吾さんには何にもならないでしょう。それよりか藤尾さんに上げる方が好ござんすよ」「御前は女に似合わず気前が好いね。尤も人のものだけれども」

16ノ8回 糸子の涙は甲野さんへの愛
糸子も尼は大嫌い~甲野さんが神経衰弱なのではなく周囲が間違っている~「糸公、御前は甲野の知己だよ。兄さん以上の知己だ」~「御前甲野の所へ嫁に行く気はあるかい」~天候劇変~糸子の涙~「糸公厭なのかい」糸子は無言の儘首を掉った~「じゃ行く気だね」今度は首が動かない

16ノ9回 糸子は覚悟を決める
「私は御嫁には行きません」眼は海のよう~「御嫁に行ったら人間が悪くなるもんでしょうか」~糸子は甲野さんに嫌われるくらいなら今のままがよいと言う~宗近君は甲野さんに結婚を承諾させる自信がある~「平生親切にしてくれた御礼に遣ってやるよ」

第17章 決断2つ(小野清三と甲野欽吾)

17ノ1回 主人公たちが郊外を散歩すると何が起きるか
小野さんと浅井君が田端から王子の谷へ郊外の散歩~いい景色だね~浅井君は金がない~近頃は法科でも文科でも好い就職口はない~浅井君に今月末までの約束で10円貸すことに

17ノ2回 小野さんの企み
浅井君は小野さんが孤堂の娘と結婚すると思っている~「そりゃ困る。僕が井上の御嬢さんを貰うなんて、そんな堅い約束はないんだからね」~小野さんは吸いかけの埃及煙草を橋から投げる~「勿体ないことをするのう」~小野さんは浅井君にお願い事をする

7ノ3回 小野さんの結論
小野さんの弁明~先生から結婚の話を切り出された~生涯の問題であるからには簡単に返事できない~義理もあり無下に断われない~博士論文もあり結婚の余裕がない~浅井君に断わりの代行を頼む~「世話になった以上はどうしたって世話になったのさ。それを返してしまうまではどうしたって恩は消えやしないからな」

17ノ4回 小野さんの結論(つづき)
浅井君は思慮の足りない調子者でただ突き進むだけの善人である~小野さんは明日藤尾と大森へ遊びに行く約束がある~それで藤尾との関係は確定する~井上へは物質的の補助をすれば済むだろう~浅井君は甲野さんと顔見知り~就職運動の一環として、その甲野の親戚筋にあたる宗近家に行くという~「君もし宗近へ行ったらね。井上先生の事は話さずに置いて呉れ玉え」

17ノ5回 甲野さんの書斎に宗近君が来る
甲野さんは家紋を紙いっぱいにいくつも描いている~いつまでも浮世の鍋の中で煮え切れずにいる~宗近君は外交官試験及第を報告~そりゃ御目出たい~御叔母さんに話して来ようか~廃(よ)すがいい

17ノ6回 庭に出た甲野さんと宗近君が見たものは
「母に話すくらいなら、あの肖像に話してくれ」~「父は死んで居る。然し活きた母よりも慥かだよ」~庭へ出て池の方へ廻るとけたたましい笑い声が聞こえた~藤尾が小野さんと軒下に立っている~藤尾は甲野さんたちに見せつけるように金時計を取り出して小野さんの胸にあてがう~何か言いかけようとする宗近君を甲野さんが制する

17ノ7回 甲野さんは宗近君に重要な話を
甲野さんは書斎に戻って扉や窓を立て切る~「藤尾は駄目だよ」「糸公もそう云った」「君より君の妹の方が眼がある。藤尾は駄目だよ。飛び上りものだ」~藤尾が入口の戸を敲く~「打ち遣って置け」~「金時計も廃せ」~「藤尾には君の様な人格は解らない。浅墓な跳ね返りものだ。小野に遣って仕舞え」~宗近君は受け容れる「是からだ」~「是からだ。僕も是からだ」~「本来の無一物から出直すんだから是からさ」

17ノ8回 家も財産も藤尾に遣ってしまった
母の意向に逆らうことが母と藤尾の希望に叶う~甲野さんは家を出ることに決めた~宗近君の大きな丸い眼から涙がぽたぽたと机の上のレオパルジに落ちる~「僕のうちへ来ないか」「甲野さん。頼むから来て呉れ。僕や阿父の為はとにかく、糸公の為に来て遣ってくれ」~「甲野さん、糸公を貰ってやってくれ。家を出ても好い。山の中へ這入っても好い。何所へ行ってどう流浪しても構わない。何でも好いから糸公を連れて行って遣ってくれ」

第18章 めまぐるしい展開の果ての全員集合

18ノ1回 浅井君は朝から井上先生の家を訪ねる
「御嬢さんは東京を御存じでしたな」「是は東京で育ったのだよ」~浅井君はこれからこの女の結婚問題を壊すんだなと思いながら小夜子を見る~浅井君は想像力の重要さを理解しない~法学士浅井君は想像力と理知が人性に及ぼす作用は相反すると思っている~孤堂は風邪を引いている~症状は軽くないようである

18ノ2回 井上孤堂先生怒る
浅井君はまず小野はよした方がいいと脇から攻める~孤堂は余計なお世話と怒る~驚いた浅井君は小野さんから頼まれた通りを告げる~人の娘は玩具じゃないぜ。博士の称号と小夜と引き替にされて堪るものか。考えて見るがいい。如何な貧乏人の娘でも活物だよ。私から云えば大事な娘だ。人一人殺しても博士になる気かと小野に聞いてくれ~小夜子は襖の蔭で啜り泣をしている

18ノ3回 面喰らう浅井君にわっと泣き伏す小夜子
「先生そう怒っちゃ困ります。悪ければ又小野に逢って話して見ますから」~「五年以来夫だと思い込んで居た人から、特別の理由もないのに急に断わられて、平気ですぐ他家へ嫁に行く様な女があるものか」~「君はそう軽卒に破談の取次をして、小夜の生涯を誤まらして、それで好い心持なのか」~浅井君はようやく気の毒になってくる~もう一度小野に話をすると言うが、先生は小野に直かに断わりに来いと言うばかり

18ノ4回 第1の俥は小野の下宿へ向かう宗近君
井上先生の家を出た浅井君は小野さんに不首尾を知らせる前に直接宗近家へ向かった~事情を聞いたらしい宗近君は小野さんの下宿へ向かう~小野さんは今日藤尾と大森へ行く約束がある~倫理と良心の狭間に迷う小野さん~「矢っ張り行く事にするか。後暗い行さえなければ行っても差支ない筈だ。それさえ慎めば取り返しはつく。小夜子の方は浅井の返事しだいで、どうにかしよう」

18ノ5回 小野さん万事休す
宗近君が小野さんの前に現れる~小野さんは大森へ行かない理由が出来たかも知れないと感じる~当の宗近君はその藤尾の縁者にあたる~宗近君が事情を知れば小野さんの立場は困ったことになる~「小野さん、さっき浅井が来てね。其事でわざわざ遣って来た」~「小野さん敵が来たと思っちゃ不可ない」

18ノ6回 宗近君は小野さんを救いに来た
「兎に角浅井の云う通なんだろうね」「浅井がどう云いましたか」~「小野さん、真面目だよ。いいかね。人間は年に一度位真面目にならなくっちゃならない場合がある。上皮許りで生きていちゃ、相手にする張合がない」~不安に怯えながら生きているのは現代人誰も同じだが~「僕の性質は弱いです。生れ付きだから仕方がないです」~小野さんは宗近君を羨ましいと思っていたと言う~「世の中に真面目はどんなものか一生知らずに済んで仕舞う人間がいくらもある」~「今だ。こんな事は生涯に二度とは来ない。此機をはずすと、もう駄目だ。生涯真面目の味を知らずに死んで仕舞う。死ぬ迄むく犬の様にうろうろして不安許りだ」

18ノ7回 宗近君真面目の効用を説く
「天地の前に自分が儼存して居ると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ」~「人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する」~「真面目な処置は、出来る丈早く、小夜子と結婚するのです。小夜子を捨てては済まんです。孤堂先生にも済まんです。僕が悪かったです。断わったのは全く僕が悪かったです。君に対しても済まんです」「じゃ、行きます。是から、すぐ行って謝罪って来ます」

18ノ8回 宗近君の計らいで小夜子を呼び寄せる段取りになっている
宗近の父は井上家に急行して慰問中~宗近君は藤尾の前で小夜子を小野さんの妻として紹介しようと言う~尻込みする小野さん~真面目になるためには何事も明確にすべきと主張する宗近君~小野さんは皆の前で恥をかく覚悟を決める~3時に新橋で待合せて藤尾と大森へ行く約束がある~あと1時間、今すぐ手紙で小夜子をここへ呼ぼう~春の雨が降って来た

18ノ9回 第2の俥が宗近老人を乗せて井上家へ到着
「御好意は実に辱ない。然し先方で断わる以上は、娘も参りたくもなかろうし、参ると申しても私が遣れん様な始末で」~「然しそれが為めに小野が藤尾さんとか云う婦人と結婚でもしたら、御子息には御気の毒ですな」~「いやそりゃ御心配には及ばんです。貰うと云っても私が不承知です。忰を嫌うような婦人は忰が貰いたいと申しても私が許しません」~「小夜や、宗近さんの阿父さんも、ああ仰しゃる。同じ事だろう」~「いやそうなっちゃ困る。私がわざわざ飛んで来た甲斐がない。小野氏(うじ)にも段々事情のある事だろうから、まあ忰の通知次第で、どうか先刻御話を申した様に御聞済を願いたい」~雨の降る中小夜子を迎える手紙を携えた俥夫が到着したようだ

18ノ10回 甲野さんの異常行動
第3の俥は糸子を乗せて甲野家へ向かっている~甲野さんは手紙と日記を暖炉で焼く~レオパルジを抜き書きした日記も焼く~「うん、まだ書く事があった」燃え残った紙片に続きを書き加えようとする~「おやどうしたの」戸口に立った母は訝る~「寒いから部屋を煖めます」~裂き棄てた手紙が床一面を埋め尽くす~母は紙屑籠を探す

18ノ11回 家を出て行くと言う甲野さんと戸惑う母
母は破られた手紙を屑籠に集める~甲野さんは壁から父の肖像画を下ろす~これから出て行くと言う甲野さん~世間体を気にする母「こんな雨の降るのに」~突然糸子が降臨~「御迎に参りました」「兄が欽吾さんを連れて来いと申しましたから参りました」

18ノ12回 第3の俥は糸子が甲野さんを連れに来たのである
甲野さんは額を持って家を出ようとする~「そんな聞訳のない事を云って、頑是ない小供みたように」「小供なら結構です。小供になれれば結構です」「またそんな。折角小供から大人になったんじゃないか~嚙み合わない理屈~世間はどうでも出たい人は出ればよいと言う糸子~「だって御互に世間に顔出しが出来ればこそ、こうやって今日を送っているんじゃありませんか。自分より世間の義理の方が大事でさあね」

18ノ13回 宗近君が小野さんと小夜子を伴なって甲野家に合流
甲野さんは母と糸子の堂々巡りの言い争いを黙って見ている~そのおかげで甲野さんが出る前に甲野家に全員集合が叶う~宗近君たち到着「やあ、まだ行かないのか」~甲野さんと糸子は全員集合の対象外だったのか~宗近君は小夜子に糸子を紹介~母だけが事情を飲み込めない~雨が降る。誰も何とも云わない。此時一輛の車はクレオパトラの怒を乗せて韋駄天の如く新橋から馳けて来る

18ノ14回 最後に到着した藤尾を襲った悲劇
3時25分憤怒の藤尾帰宅~小野さんを問い詰める藤尾~宗近君は藤尾に小野さんの妻として小夜子を紹介する~「藤尾の表情は忽然として憎悪となった。憎悪は次第に嫉妬となった。嫉妬の最も深く刻み込まれた時、ぴたりと化石した」~「化石した表情の裏で急に血管が破裂した。紫色の血は再度の怒を満面に注ぐ」~「破裂した血管の血は真白に吸収されて、侮蔑の色のみが深刻に残った」~砕け散った金時計~「呆然として立った藤尾の顔は急に筋肉が働かなくなった。手が硬くなった。足が硬くなった。中心を失った石像の様に椅子を蹴返して、床の上に倒れた」

第19章 祭りのあと

19ノ1回 柩に横たわる女王
雨が上がって春に誇るものはすべて散ってしまった~我(が)の女は虚栄の毒を仰いで斃れた~2枚敷きの蒲団~銀屏風は抱一の虞美人草~白布の上に蓋のへしゃげた金時計と柘榴珠~飾り盆の上にはシェイクスピア~「埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、斯くありてこそ」にアンダラインが~凡てが美くしい。美くしいもののなかに横わる人の顔も美くしい

19ノ2回 通夜の日
祭壇は藤尾の部屋に~隣室には母親と甲野さんと宗近君が~「小野さんはまだ来ないんですか」泣いて途方に暮れる母~甲野さんが母親の不適切な行為を解説~これから改めると言う母~母の老後の世話をするのは甲野さんと糸子~ようやく蒼白い額の小野さんが到着

19ノ3回 甲野さんの日記
葬式が済んで甲野さんの日記が復活~悲劇は喜劇より偉大である~生の延長線にして終結点としての「死」は生に属するが故に偉大ではない~死は生に属さない~死は忽然として生を死に変ずるが故に偉大なのである~人の生業はすべて喜劇である~「生と死」を人の生業と見ればそれらもまた喜劇である~「生か死か。是が悲劇である」~死を忘れて生を進むと道義は不必要になる~快楽がはびこって道義が滅却されるとき、悲劇は突然やって来る~人はそのとき始めて悲劇の偉大さに気付く~倫敦に赴任した宗近君からの返信「此所では喜劇ばかり流行る」

406.『虞美人草』(2)――連載目次第10章~第15章

第10章 仲の好い兄妹

10ノ1回 藤尾母と宗近父 大人の会話
謎の女は宗近家へ乗り込んで来る~人間の誠は下げる頭の時間と正比例するか反比例するか~謎の女はマクベスの妖婆か~宗近和尚は講釈好き~甲野家の浅葱桜を褒める

10ノ2回 謎の女は攻撃上手 謎の女は自分の思う事を他に云わせる~欽吾は病弱の変人で家督は藤尾に譲ると言うが~家から追い出すわけににも行かず~結婚を勧めたいが宗近和尚からそれとなく話を…

10ノ3回 宗近和尚の本心
糸子は22歳~宗近父の希望は一と藤尾の結婚~謎の女の希望は藤尾に婿を迎えること~甲野の父さえ生きていれば~謎の女の涙に作者の筆は止まらざるを得ない

10ノ4回 宗近君と糸子 兄妹の会話
2階で裁縫をする妹とからかう兄~盆栽の松を2階に上げたのは父~日があたって松に良い~阿爺親切にして子馬鹿になり~宗近君は脂性

10ノ 5回 仲の好い兄妹の会話は続く 甲野さんは足が弱いが宗近君は足が達者~博覧会へ連れて行って~兄さんは藤尾さんの様な方が好きなんでしょう~藤尾の母が来ている

10ノ6 回 藤尾は兄の嫁にはならない
兄さん藤尾さんは駄目よ~宗近は大丈夫と言う~今年の外交官試験も内心自信があるらしい~京都で見た琴の女~甲野さんはその女に興味がある~糸子のライヴァル出現か

第11章 万国博覧会の夜

11ノ1回 上野に繰り出した宗近兄妹と甲野兄妹
文明は博覧会を呼び博覧会はイルミネーションを呼ぶ~文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚く時始めて生きて居るなと気が付く~夜の世界は昼の世界より美しい事~僕は三遍目だから驚ろかない

11ノ2回 驚くうちは楽(たのしみ)がある
1番人気の台湾館はまるで竜宮~上手く当った形容が俗で上手く当らなければ詩になる~不味くて当らない形容は?哲学である~空が焦げるようだ~ローマ法王の冠かクレオパトラの冠か

11ノ3回 イルネーションの下の小野さんと井上父娘
空より水の方が奇麗よ~空の光を映す池の水~大勢の人が橋を渡る~小野さんたちも橋を渡る~小野さんは井上父娘を引率して得意のようでもあり失意のようでもある

11ノ4回 茶店で遭遇
先へ行って待つ小野さん~ようやく追いつく井上父娘~早く家へ帰りたい~怖ろしい所だ~茶店で休む~宗近たちもまた茶店へ~藤尾さん小野が来ているよ。後ろを見て御覧~知っています

11ノ5回 見つけられた小野さん
孤堂は背中を見せ小夜子はこちら向き~小野さんは父娘を横から見るように座っている~うつくしい方ね~宗近君は京都で予言していたのか~甲野と宗近の会話に藤尾の稲妻が光る~藤尾の怒りは小野さんが女といたことより、兄たちがそれを知っていたことにあるようだ~驚くうちは楽がある!女は仕合せなものだ!

第12章 博覧会の余波と小野さん

12ノ1回 文明の詩人の目的は美的生活
現代に詩を創るには財産が要る~小夜子を捨てるためではない、孤堂先生の世話が出来るために早く藤尾と結婚してしまわなければならぬ

12ノ2回 小野さんの下宿に小夜子が来る
四五日藤尾に逢わぬ~小野さんにとって藤尾は論文よりも大切~浅井に続く2人目の下宿来訪者~またもや笑う下女~高等下宿の廊下に小夜子が現れる~小夜子は3階まで上がって来たのか

12ノ3回 小野さんは上の空
昨夜の御礼と労い~混雑するする東京より静かな京都の方が良くないか~小野さんは空気が読めない~勧工場で一緒に買い物をする夢~小野さんが後で買って届けることに~逝く春の舞台は廻る

12ノ4回 藤尾の愛は愛されようとするだけの愛である
男は藤尾の前で迷い苦しみ躍り狂う~男は藤尾の前では犬になる~藤尾は愛される資格があると自負するが人を愛する資格がないことに気付かない~藤尾は丙午のような女である~藤尾の相手は自分の言いなりになる小野さんしかいない

12ノ5回 我を立てる藤尾の愛は小野さんを獲るしか道はない
藤尾は欽吾の言葉が許せない~何日か顔を見せない小野さんも許せない~その前に博覧会での小野さんを許せない~ついでに小野たちを見つけた欽吾と宗近を許せない~文明の淑女は人に馬鹿にされるのを死に優る不面目と思う~小野はどうしても詫らせなければならぬ~しかし一番許せないのは欽吾と宗近が小野の連れの女を見知っていたらしいことである

12ノ6回 藤尾の部屋に甲野さんが来る
藤尾の部屋の縁側に甲野さんが現れる~甲野さんと藤尾の冷戦~楽のないものは自殺する気遣がない~御前の様に楽の多いものは危ないよ~兄さん、あの金時計はあなたには渡しません

12ノ7回 小野さんと甲野さん門前で遭遇
小野さんは散歩に出る甲野さんと家の前で合う~博覧会は昨夕行った~驚く小野さんは詳しく聞きたいが甲野さんは取り付く島もない~藤尾も博覧会に行ったことだけ聞き出して小野さんは甲野家へ入る

12ノ8回 謎の女6畳敷の人生観藤尾の母が座敷に端座して行く末に悩む~欽吾はわが腹を痛めぬ子である~藤尾の婿に小野を入れて自分の面倒を見させたいが小野には財産がない~欽吾は財産は藤尾にくれてやると言うが本当だろうか

12ノ9回 謎の女応接間へ向かう
自室を出た母が応接間にいる藤尾を見つける~「何にも考えていやしません。庭の景色を見ていたんです」~おやもう蓮の葉が出たね~池で緋鯉が跳ねる~「何だってあんなに跳ねるんだろうね」~藤尾は何とも答えなかった

12ノ10回 藤尾と母応接間の会話
「近頃小野さんは来ないようだね。どうかしたのかい」~「病気なもんですか」「小野さんに喧嘩が出来るもんですか」~プライドの高い藤尾は昨夕の出来事を母に打ち明けられない~藤尾は小夜子の名をいつ知ったか~「さっき欽吾が来やしないか」

12ノ11回 応接間に小野さん登場
公案が出来たか出来ないか足音を聞いただけで分かる~小野さんは藤尾に舐められた~池の鯉はもう話題に出来ない~昨夕博覧会で見つかったのか~小野さんは小夜子のことを藤尾に話すつもりはないが

12ノ12回 藤尾の攻勢に小野さんはたじたじ
「小野さん昼間もイルミネーションがありますか」~「実は一週間前に京都から故の先生が出て来たものですから」~茶店の名前を出されて小野さんはまごつく~「まだ御這入にならないなら今度是非その京都の先生を御案内なさい。私もまた一さんに連れて行って貰うつもりですから」

第13章 甲野さんの女性論

13ノ1回 甲野さん散歩途中に宗近へ寄る
宗近家の下女の名は清~一も散歩に出て留守~糸子は甲野さんを招じ入れる~「じゃ少し上がって休んでいらっしゃい。もう帰る時分ですから」

13ノ2回 甲野さんの講義を糸子が聴く
宗近家の書生黒田さんが茶を入れる~甲野さんは糸子から昨夜の感想を聞き出す~糸子は電車で往復したから疲れないと言う~茶店では面白かった~小野さんと一緒にいた若い女は兄たちの知り合いか

13ノ3回 庭に人知れず咲く小さな花
「あんまり小さいから気が付かない。いつ咲いていつ消えるか分らない」~哲学者甲野さんの箴言をそのまま聴く糸子~「それでいい。それで無くっちゃ駄目だ」~「あなたはそれで結構だ。動くと変ります。動いてはいけない」~「恋をすると変ります」「嫁に行くと変ります」「それで結構だ。嫁に行くのは勿体ない」

第14章 小野さんの限りなき戦い

14ノ1回 買い物帰りの小野さんが宗近君に声をかけられる
小野さんは井上家に頼まれた買い物をした帰り~宗近君に呼び止められて少し戸惑う~藤尾と宗近の関係を知っている小野さんの気持ちは内攻する~人の許嫁者を盗るとは思わないが

14ノ2回 小野さんと宗近君の高等遊民的会話
宗近君は小野さんと藤尾の関係を気に留めない~小野さんは宗近君を気の毒に思う~自我が介入しないぶん2人の間にわだかまりはない~勧工場で買った紙屑籠の持ち方についてレクチャする

14ノ3回 宗近君は小野さんの連れが恩師の娘と知る
「時に君は昨夕妙な伴とイルミネーションを見に行ったね」~「あれは君の何だい」~「あの女はそれじゃ恩師の令嬢だね」~「ああやって一緒に茶を飲んでいるところを見ると他人とは見えない」~「夫婦さ。好い夫婦だ」~昨夕姿を見られても甲野さん藤尾宗近の反応はすべて異なる

14ノ4回 宗近君は蔦屋の2階であの娘の琴を聴いた
本を読むばかりで行動出来ない者は詰まらない~宗近君は昨夕の女を知っているという~蔦屋のことかと小野さんは思い当たる~「琴を弾いていた」「中々旨いでしょう」~小野さんはもう隠さない~旧式の人間の尊さに気付くものはどちらか~小野さんと宗近君は互いを軽蔑している~閑なときは閑そうにしていないと、いざという時に困る~小野さんは鵜飼いの鵜か

14ノ5回 宗近君の語る恩師の令嬢との縁
宗近君は京都であの女と何度も遭遇したことを話す~蔦屋の2階から見た~嵐山で見た~渡月橋でも見た~帰りの急行列車も一緒だった~「成程勘定して見ると同じ汽車でしたね」~女が東京者であることを蔦屋の下女から聞いた~小野さんは下女がそれ以上のことを話しはしまいかと不安になったようだ

14ノ6回 独りになった小野さんの述懐
小野さんは何かに急き立てられているようだ~小野さんは味方が誰もいない~宗近君の人物評価~軽蔑すべき宗近君の中に憧憬すべき点を認める~小野さんは藤尾に小夜子のことを正直に打ち明けなかったという自覚がある~小野さんは嘘を吐いたという自覚がある

14ノ7回 言い訳を考えながら先生の家へ
藤尾への嘘は井上先生への嘘につながる~藤尾に対する嘘は藤尾と結婚すれば解消される~藤尾との結婚は恩人への義理をカモフラージュする~細い通りを曲がって左から3軒目が先生の家~案内を乞うと先生が起き出したようだ

14ノ8回 先生は機嫌が好いが風邪気味のようだ
さあ御上り~小夜子と婆さんは買い物方々風呂に行った~「昨夕は大きに御厄介。小夜も大変喜んで。御蔭で好い保養をした」~先生は咳が出る~若いうちは二度とない。若いうち旨くやらないと生涯の損

14ノ9回 小野さんは将来のために先生でなく藤尾を択んだ
生涯の損をして老朽したら淋しい~恩人に不義理をして寝醒めが悪いのも憂鬱~しかし藤尾に嘘を吐いたからにはもう仕方がない~孤堂は東京の様変わりに驚く~昨夕も人が多く出た~「出たねえ。あれでも知った人には滅多に逢わないだろうね」~小野さんは昼間小夜子が来たことを告げる~「もしや暇があったら一緒に連れて行って買物をして貰おうと思ってね」

14ノ10回 嚙み合わない会話
買い物のランプ台と屑籠~値は4円と少し~東京は物価が高いが小夜子のために出てきた~東京は故郷ではあるが知合も交際もない~博士論文のこと~小野さんは早く家に帰りたい

14ノ11回 先生は小夜子との結婚を急がせる
「時に小夜の事だがね」~「兼ての約束はあるし御前も約束を反故にする様な軽薄な男ではないから小夜の事は私が居ない後でも世話はして呉れるだろうが」~「じゃ結婚をしてからにしたら好かろう、結婚をしたから博士論文が書けなくなったと云う理由も出て来そうにない」~卒業して2年になる小野さんの月収は60円~「下宿をして一人で六十円使うのは勿体ない。家を持っても楽に暮せる」

14ノ12回 小夜子のことを念押しされてしまった
小野さんはランプの芯が曲がっているのを延ばして部屋を明るくする~「あの婆さんが切るといつでも曲る」~婆さんは浅井の紹介~関西に帰省中の浅井は先生の新居に手紙を出していた~浅井は二三日中に帰るという~「今の御話ですね、もう二三日待って下さいませんか」~「清三」「こうして東京へ出掛けて来たのは、小夜の事を早く片付けて仕舞いたいからだと思ってくれ。分ったろうな」

14ノ13回 先生への断わりは浅井に任せようか
夕食もまだ食わない小野さんは夜道を独り歩いて行く~小夜子と婆やが通りの向うを帰って行くようだ~自分は人情で動くのであって利害で動くものではない~しかし如何な人情でもこんな優柔不断ではいけない~なぜこう気が弱いだろう~小野さんはふらふら歩く~23日よく考えて良い知恵が出なかったら浅井に頼んで断ってしまおう

第15章 藤尾母娘の決断と甲野家の行く末

15ノ1回 甲野さんの書斎は洋館
甲野さんの書斎は4ヶ月前に客死した父の書斎を譲り受けたもの~小野さんは欽吾の書斎を見るたびに羨しいと思わぬ事はない~博士論文を書いた小野さんはこういう書斎で後代を驚ろかすような大著述を~小野さんと甲野さんは大学では同級~貧しい育ちの小野さんがこの書斎の主になることはあるのか

15ノ2回 甲野さんレオパルジを読む
甲野さんはいつもの日記帳に細字でレオパルジを抜き書きする~ペンは父親の西洋土産~甲野さんが倫理的に正しく生きることが母親や藤尾の生き方を匡すことに繋がるだろうか~父の半身の肖像画を見る~3年前外国で画家に描かせて自ら持ち帰ったもの

15ノ3回 父親の肖像画
肖像画の中の父は活きている~好い年をして三遍も四遍も外国へ遣られて、しかも任地で急病に罹って頓死して仕舞った~不肖の子は親父の事を思い出したくない。思い出せば気の毒になる。どうもこの画はいかん。折があったら蔵の中へでも片付けてしまおう

15ノ4回 藤尾と母親 最後の企み
母親は煙管を吸う~「妙だよあの人は。藤尾に養子をして、面倒を見て御貰いなさいと云うかと思うと、矢っ張り御前を一に遣りたいんだよ。だって一は一人息子じゃないか。養子なんぞに来られるものかね」

15ノ5回 藤尾と母親 最後の企み(つづき)
宗近父に子は藤尾の気持ちが伝わっているのか~外交官試験に及第したら結婚を申し込んで来ないか~「阿爺があの通り気の長い人だもんだから」~明日小野さんと大森に行く約束~「何なら二人で遊んで歩く所でも見せてやると好い」

15ノ6回 書斎での母子対決(1)
母親はまず欽吾と世間話~「たまには、一の様につまらない女を相手にして世間話をするのも気が変って面白いものだよ」~甲野さんは庭のカナメの木の話をする

15ノ7回 書斎での母子対決(2)
池の鯉の跳ねる音が聞こえるか~甲野さんは藤尾の心配もしている~しかし藤尾に見縊られているので世話を焼きたくても喧嘩になるばかり~「そんな事があっては第一私が済まない」~「何か藤尾が不都合な事でもしたかい」~「藤尾も藤尾でどうかしなければならないが御前の方を先へ極めないとおっ母さんが困るからね」

15ノ8回 書斎での母子対決(3)
「おっ母さん、家は藤尾に遣りますよ。財産も藤尾に遣ります。私は何にもいらない」~「家は襲いでいます。法律上私は相続人です」~「甲野の家は襲いでも、おっ母さんの世話はして呉れないんだね」「だから家も財産もみんな藤尾にやると云うんです」

15ノ9回 書斎での母子対決(4)
藤尾の相手は小野さんにしたいと母が切り出す~甲野さんは藤尾が承知ならそれでいいと言う~「宗近は不可ないんですか」~宗近との明確な約束はない~「おっ母さん、小野をよく知っていますか」~「宗近の方が小野より母さんを大事にします」~それはそうかも知れないが藤尾のたっての希望だから

15ノ10回 書斎での母子対決に藤尾が参戦
甲野さんは今日から財産は藤尾にやると宣言~その代わり母親の面倒は見なければならない~甲野さんは藤尾に宗近に行く気はないか確認~「兄さんは小野さんよりも一の方が母さんを大事にして呉れると御言いのだよ」~「兄さん、あなた小野さんの性格を知っていらっしゃるか」

405.『虞美人草』(1)――連載目次第1章~第9章

三四郎』が(鷗外の)『青年』を生んだとすれば、長谷川如是閑の『額の男』を生んだものは『虞美人草』であろう。如是閑は朝日に入社したとき、漱石作品は『虞美人草』しか読んでいなかったという。前項で『額の男』を紹介したからには、最後の寄り道としてここで『虞美人草』(全19章129回)に触れないわけにはいかない。
虞美人草』は朝日の第1作にして爾後絶筆『明暗』が書かれるまで、漱石最大ボリュゥムの新聞小説であり続けた。『虞美人草』は漱石にとっては肩慣らしのつもりだったかも知れないが、発表時は大変評判になった「通俗小説」であった。漱石のことを通俗作家と見做す向きが多いのは、そのせいもある。漱石はその後は通俗小説は書かなくなったが、最後の最後に来て、『明暗』は通俗小説と言えなくもない。漱石は本卦還りしたのであろうか。

虞美人草』から『明暗』に至る「新聞小説」に対し、『猫』から『野分』までの初期作品は漱石オリジナルの「純粋小説」と呼んで差し支えない。とくに『猫』『坊っちゃん』『草枕』の3大小説は、先人の誰をもお手本にすることなく、読者にすらおもねることのない、混じり気のない文字通り純な漱石が丸出しになった小説である。その純粋小説と新聞小説をつなぐ作品が『野分』であるが、『野分』は半分通俗小説でもある。
マンネリと名人芸を嫌った漱石は、『猫』『坊っちゃん』『草枕』の純な香気を排した新しい小説群を産み出すべく、職業作家の道へ足を踏み入れた。『野分』『虞美人草』『坑夫』の3作は、結果的にはその試行のための3部作(トライアル3部作)に終わったが、『虞美人草』には『野分』でチャレンジした漱石流の通俗小説の、その当時における結論(完成形)のようなところがある。それは後に『明暗』によって再度のチャレンジが行なわれるわけであるが、『明暗』で極めようとした境地の萌芽のいくつかは、『虞美人草』によって花咲き収穫されたものの種子から発したものである。
本ブログは坊っちゃん篇・草枕篇・野分篇のあと、初期作品を脱して道草篇に戻ろうとしたわけであるが、本篇の『道草』の目次に取りかかる前に、『虞美人草』に連載目次を附すという試みにも、論者なりに「チャレンジ」してみたい。

第1章 甲野さんと宗近君の叡山登山

1ノ1回 甲野さんと宗近君による漱石開始
比叡を阿蘇に置き換えれば『二百十日』と区別はつかない~京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ~あの山は動けるかい

1ノ 2回 甲野27歳宗近28歳
すれ違った大原女に登山道を訊く~君見た様に無暗に歩行いて居ると若狭の国へ出て仕舞うよ~互いの年を聞き合う~2人が同級生なら甲野さんは早生れ

1ノ3回 雅号も屋号も学士も博士号も忠義の徳目も皆キャッチフレイズに過ぎない
八瀬の女と大原女の違い~春の山道を登る~まるで『草枕』~宗近君の雅号は外交官~甲野さんは草臥れて山道に横たわる

1ノ 4回 万里の道を見ず只万里の天を見る
ホホホけったいな所に寝て居やはる~宗近君は甲野さんを置いてまた先に行く~死は万物の終である~また万物の始めである

1ノ 5回 叡山頂上から琵琶湖を望む
ここだここだ~甲野さんは息も絶え絶えに座り込む~哲学は親不孝な学問~竹生島が煙っている~将門も見た景色~死だけが確かなもの~小刀細工は真っ平御免

第2章 小野さんと藤尾 紫の恋

2ノ1回 紫の女シェイクスピアを読む
アントニークレオパトラ~ローマの神がエジプトに眠る~男に巻き付く女の黒髪と黒い瞳~小野さん、まだそこにいらしったんですか

2ノ 2回 小野さんクレオパトラを講釈する
クレオパトラはローマには行かない~アントニーと結婚するオクテヴィアへの嫉妬~クレオパトラ30歳の恋は紫色の恋~暴風雨の恋で九寸五分の恋

2ノ3回 小野27歳藤尾24歳
年を取ると嫉妬が増して来るものでしょうか~安珍清姫~私(わたし)は安珍の様に逃げやしません~私(わたくし)は清姫の様に追っ懸けますよ~蛇(じゃ)になるには少し年が老け過ぎていますかしら

2ノ4回 小野さんにとって京都は古い馴染
藤尾の名が始めて読者にさらされる~小野さんはなぜ甲野さんたちと一緒に京都に行かなかったのか~京都に何があるのか

2ノ 5回 藤尾の母帰宅
藤尾の立った座布団の下から金時計が見える~庭の1本松のような藤尾の母~小野さんは藤尾の家庭教師~どうも実に赤児(ねんね)で困り切ります駄々ばかり捏ねまして

2ノ6 回 藤尾の掌に踊る金時計
クレオパトラの最後~欽吾と宗近は鉄砲玉~最近戻って来た父の形見の金時計~それを小野さんの頸に掛けてみる~成程善く似合いますね

第3章 京三条旅の宿

3ノ1回 甲野と宗近雨夜の対話
ゴージアンノットをアレキサンダーが刀で叩き切った話~何を聞いても知らないと白状の出来ない人間が哲学者~都合がいいというのは卑怯者のもの言いである

3ノ 2回 日記を書く甲野さん
宇宙は謎~人も自分さえ謎~その上さらに妻という謎を重ねようとするのが結婚である~無絃の琴を聴いて始めて序破急の意義を悟る~うん先っきから拝聴している

3ノ 3回 宿の2階で聴く隣家の琴の音 宿から東山が奇麗に見える~鴨川を渉る人まで見える~琴の音が聞こえる~あれは女だ~宗近君は昨日その女を見たという~ああ別嬪だよ藤尾さんよりわるいが糸公より好い様だ~小野を連れて来て見せてやれば好かった

3ノ 4回 賢者と愚者の交友の秘密 君は感心に愚を主張しないからえらい~甲野さんの薄い寂しげな笑い~これに気付く者が甲野さんの知己である~この瞬間の意義を書くのが20世紀の小説である~なに阿爺が生きて居ると却って面倒かも知れない~家を藤尾に呉れて仕舞えば夫で済むんだからね

3ノ 5回 金時計の由来
最近客死した甲野の父~戻って来る父の荷物の中に金時計がある~宗近家と甲野家は縁続き~糸子が嫁に行くと~甲野の母は継母~藤尾がなかなか嫁に行かない訳

第4章 小野さんの悩み

4ノ1回 小野さんの暗い生い立ち
父は死んだ~ある人は私生児だとさえ云う~井上孤堂の世話を受ける~京都の高等学校から単身東京へ出る~陛下から銀時計まで貰った~水底の藻から白い花が咲いた~根のない事には気が付かぬ~世界は色の世界である~色を味えば世界を味わう~色を見るものは形を見ず~形を見るものは質を見ず

4ノ 2回 小野さんと博士論文
小野さんがだらしなく見る未来の夢~小野さんは未来を製造する必要はない~小野さんの現在はすでに薔薇の蕾を掴んでいる~開いた薔薇は博士論文か藤尾か、それとも藤尾の持つ金時計か

4ノ 3回 恩師からの手紙
20年前に東京から京都へ転地~小夜子は5年前に呼び寄せた~ここで父娘とも京都を引き払う予定~同人行末の義に関しては大略御同意の事と存じ候えば

4ノ 4回 鬱屈する高等下宿の小野さん 手紙から立ち昇る古ぼけた臭気~今迄は只忘れればよかった~京都以来の友人浅井の来訪~笑う下女~会おうか会うまいか迷う小野さん~御留守になさいますか~おい一寸待った。ああ好い好し好し

4ノ5回 浅井君来訪
浅井君は小野さんが井上孤堂の娘を貰うと思っている~博覧会に行こうと誘う~あまり勉強すると病気になるぞ~小野さんは先生の独り極めを心配している~僕の力で出来る事は何でも先生の為めにする気なんだがね。結婚なんてそう思う通りに急に出来るものじゃないさ~小野さんの足はまた甲野家へ向かう

第5章 嵯峨嵐山観光

5ノ1回 夢想国師天龍寺を散策
偉人のことを話しているうちは冗談で済む~死のこと日本のことを考えると対話は急に哲学的になる~風邪が治ったからといって長生き出来るわけではない~露西亜に勝っても亜米利加印度阿弗利加が控えている~人種と人種の戦争だよ

5ノ 2回 都踊りの嵐山
天龍寺の門前を左へ折れれば釈迦堂で右へ曲れば渡月橋である~京都のものは朝夕都踊りをしている~女は人形のように飾ると中性的非人間的になる~あの女が行く~宗近君が甲野さんの袖をぐいと引く~甲野さんの手に取っていた茶碗が割れる

5ノ 3回 保津川下り
嵯峨より汽車で丹波亀岡へ~保津川の急流下り~左側に座れば波はかからない~舟は正面の大岩にぶつかりながら躱して進む~夢想国師より船頭の方がえらい

5ノ 4回 渡月橋でまたあの女を見る
少しは穏かになったね~舟は嵐山へ戻る~下船して嵐山から渡月橋へ~橋のたもとの茶屋にあの女がいた~宗近は宿の下女に隣家の女のことを聞いていた~あれは京人形じゃない東京ものだ

第6章 藤尾糸子小野さん三つ巴

6ノ1回 糸子と藤尾
糸子は家庭的の女~男の用を足すためだけの女は詰まらないと信じる藤尾~少しは出ないと毒ですよ~春は一年に一度しか来ない~一年に一度だけれども死ねば今年ぎり~今に兄が御嫁でも貰ったら出てあるきますわ~どなたか心当りはないんですか。一(はじめ)さんが貰うと極まれば本気に捜がしますよ

6ノ 2回 女の戦争
すべての会話は戦争だが女の会話はその最たるもの~ええどうぞ捜がして頂戴、私の姉さんの積りで~糸子は兄と藤尾の縁を知っている~藤尾は糸子と欽吾の取合せを思う~あなたは私の姉さんになり度はなくって~よろめきながら小野さんが来る~小野さんは博士論文で忙しい

6ノ 3回 女の会話に小野さんが加わる
ねえ小野さん二人で好いのを見付けて上げ様じゃありませんか~京都には美人が多いそうじゃありませんか~宗近君から糸子に葉書が来ていた~京都の女はみんな奇麗だ~隣家の琴は御前より旨い~御前より別嬪だが藤尾さんより悪い~小野さん三条に蔦屋という旅館がござんすか

6ノ 4回 なぜか蔦屋と隣家の琴が話頭に
藤尾は三条の宿とその隣家に想いをめぐらせる~焦る小野さん~詩人藤尾の空想は加茂川から東山の五重塔へ~家庭の人糸子の関心は五重塔でなく隣家の琴~大変御急ぎだ事~機嫌を損ねる藤尾と謝る糸子

6ノ 5回 五重塔で逆鱗に触れる
糸子の涙~小野さんは藤尾の話に合わせる~藤尾の千里眼は微に入り細を穿つ~隣家の庭の造りからいよいよ琴も出てくる~困惑する小野さん~春雨が藤尾の話を遮る~私失礼するわ降って来たから御話し中で失礼だけれども

第7章 夜行列車の怪

7ノ1回 夜行の急行列車
人は生涯一度の食い違いのために一生舞台に立てないことがある~食い違いが人を殺すこともある~4人の世界を乗せた夜汽車が8時に七条の駅を出る

7ノ 2回 宗近君と甲野さん車中の会話
疾駆する夜行急行~京都中の人間がこの汽車に乗って博覧会見物に行くのか~京都の世界一古い電車~元来十年一日の如しと云うのは賞める時の言葉なんだがな~宗近は宿の女中から隣家の父娘が東京へ移住することを聞いていた~あの娘もいずれ嫁に行く事だろうな

7ノ3回 小夜子21歳
井上孤堂は小野さんの世話をした~小夜子は5年前に母と京都へ~小野さんも交えて嵐山へ行った~母の急死~人は変わる~小野さんも変わったろうか

7ノ 4回 列車内で3度目の邂逅
一夜明けて富士を見る~沼津で機関車の増結と給水~顔を洗う甲野さんと宗近君~弁当を買う井上父娘~連れ立って食堂車へ行く~甲野さんが先で宗近君が後~甲野さんと宗近君の車両は父娘の隣の車両であった

7ノ 5回 新橋到着と走る小野さん
「おいいたぜ」「うんいた」~三遍目か~ハムエクスの朝食~猶太人は豚を食わんそうだね~あの女は嫁にでも行くんだろうか~列車は新橋へ着く~さっき馳けて行ったのは小野じゃなかったか

第8章 親と子三態

8ノ1回 藤尾と母は甲野さんに手を焼いている
甲野さんは卒業して2年たつ~いくら哲学だって自分一人位どうにかなるに極っている~煮え切らないったらありゃしない~しかし糸子さんは兄さんの所へ来たがってるんですよ~「御茶でも入れ様かね」「いいえ」

8ノ 2回 父親の金時計の謎
甲野の父親の金時計は欧州から戻ってきたばかりだったはず~「まだ御前の部屋にあるかい」「文庫の中にちゃんと仕舞ってあります」~「あの時計は小野さんに上げても好いでしょうね」

8ノ 3回 宗近父に京旅行の報告
宗近君と甲野さんの帰宅報告~糸子も同席~「相輪橖た何ですか」~叡山には東塔西塔横川とあって~只登って下りる丈ならどこの山へ登ったって同じ事

8ノ 4回 父の蘊蓄は子の結婚話に行き着く
観ずるものは見ず~甲野さんも宗近君も叡山に登りながら何も知らない~修業も修業だが嫁も貰わなくちゃあ困る~君が愚図愚図して居ると藤尾さんも困るだろう~宗近君は去年外交官試験に落第した~今年の結果は?

第9章 父の留守に小野さんが来る

9ノ1回 井上父娘の新世帯 小夜子の抱けるは過去の夢である~夢を捨てれば夢の方で飛びついて来る~小説はこれから始まる~作者は小夜子を気の毒に思う如くに小野さんをも気の毒に思う

9ノ 2回 小野さんには父娘とも過去の人 小野さんは借家の礼を言う小夜子のいじらしさに気が付かない~小夜子は5年前の小野さんを忘れられない~小夜子の溜息

9ノ 3回 嵐山も変わったろう自分も変わった
「京都の花はどうです。もう遅いでしょう」~あなたはあの時分と少しも違って入らっしゃいませんね~私は大分変りましたろう~まだ是からどしどし変る積です~「また来ます御帰りになったらどうぞ宜しく」

9ノ 4回 小野さんが帰ったあと父帰宅
春の雨の京都~琴は京によく似合う~今様はピアノと英語~父が座布団を買って帰宅~東京は烈しくて埃っぽくて時代遅れの人間には向かない

9ノ 5回 小野さんは何の用事で来たのか
本当に京都に帰ってもいい~父と娘の会話~小野さんが落ち着かないのは博士論文のせい~あんなに急いで帰らなくてもいいのに