俳振歴歩ひろのブログ (original) (raw)

俳振歴歩のひろです。

前回のブログで御在所岳に登った話を書きましたが、今回はその翌日に訪れた「能褒野」の話です。御在所岳から車で約1時間の所に「能褒野(のぼの)」という場所があります。三重県亀山市で「ヤマトタケル」に関連した史跡が点在しています。ヤマトタケルは『日本書紀』では主に「日本武尊」、『古事記』では主に「倭建命」と表記されており、第12代景行天皇の子で、熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄です。

東国征討の最後に、伊吹の神と対決し足腰に傷を負って大和を目指して能褒野(亀山市)まで逃げてきますが、傷が癒えずに能褒野の地で最後を迎えます。足は3カ所で重なるように折れ曲がったのでこの地を三重という、とういう説話もあります。弱った身体で倭建命が読んだ歌が「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」です。美しい大和の地を愛して思いを馳せる心情が描かれています。無くなった倭健命は白鳥となって故郷の大和へ帰って行ったと『日本書紀』には記載されています。倭健命の墓は白鳥塚とも呼ばれ、亀山市の能褒野のほかに奈良県御所市、大阪府羽曳野市にも存在しています。能褒野には白鳥塚古墳の他に能褒野王塚古墳もあり、現在は能褒野王塚古墳が倭健命の墓とされおり、墳丘長さ90mの前方後円墳で4世紀末の築造と推定されています。

ヤマトタケルは実在の人物では無く、各地に伝承を1人の人格にまとめたものといとされていますが、『古事記』や『日本書紀』の話は、勇敢でロマン溢れる人物を想像させますね。

鵙叫ぶヤマトタケルの終焉地

落葉踏む白鳥となる王の塚

古代史の講座満席神無月

能褒野大塚古墳

白鳥塚古墳

能褒野王塚古墳周辺配置図(亀山市立歴史博物館にて筆者撮影)

俳振歴歩のひろです。

三重県御在所岳に妻と二人で登ってきました。

御在所岳は標高1212m、ロープウェイとリフトで山頂まで行くことが出来、観光客にも人気の鈴鹿山脈を代表する山です。当日、ロープウェイ乗り場に到着すると、強風で運転開始が遅れると知らされたので、とりあえず登りは歩いて、下りはロープウェイにしようと思い、登ることにしました。山頂へは「裏道」「中道」「表道」の3本があり、初心者向けの裏道コース(山頂まで約3時間)を上ることにしました。

登山道はロープウェイ乗り場の横から始まり、最初の1時間は、まあ何とか行けそうと思ったのですが、途中の藤内小屋を過ぎた当たりから急峻な道が続き、花崗岩の岩や崖伝いの細い道、途中、「菟の耳」を過ぎた当たりから谷を挟んで向こう側にロッククライミングの直壁が見えます。裏道コースにも鎖を持たないと通れないような箇所が何ケ所かあり、鎖が弛んで思わず転落しそうになり冷や汗をかきました。

「国見峠」まであと少しという場所まで来たとき(国見峠で8~9合目、1100mくらい)、下山してくる人に何人か出会い、山頂は強風で非常に寒くなっていてロープウェイ運転中止のアナウンスがあったと教えてくれました。ムムム・・・残念!ここで歩いて下山することにしました(実はもう山頂まで登る自信が無かった)。下山したら途中で出会った人から良い判断でしたねと声を掛けられました。この日の歩数は18000歩。近くの湯の山温泉に宿泊し、温泉に入って熱燗も頂きました。

寒風や鎖場握る掌に赤み

奇岩にも兎の耳や神の留守

悴むや迷わず下山の決断す

御在所岳ロープウェイ乗り場

藤内小屋

日向小屋当たりの岩石止め

奇岩「兎の耳」

宿付近から見た御在所岳

俳振歴歩のひろです。

今日は「俳振歴歩」の中の「歴」の話です。

奈良大学通信学部の文化財歴史学科を正式に卒業しました。入学したのはまだ仕事をしていた2021年10月です。3年編入学なので本来なら2年後の2023年9月に卒業なのですが、1年目は中々勉強に時間を取れず、会社生活を完全に終えた2年目から本格的に勉強し出しました。教養科目の単位は免除されているので、卒業に必要な60単位を取得し、卒業論文も合格しました。「テキスト科目」が11科目と「スクーリング」12科目、それに加えて卒業論文となります。文化財歴史学科なので、科目も歴史中心で、考古学、史料学、東洋史学、美術史学、民俗学、奈良文化論、仏教美術学、シルクロード学、書誌学、神話伝承論等々多岐にわたっています。各科目共にレポート提出と筆記試験があり、なかなかハードルは高かったです。スクーリングでは大学で学友と机を並べて名物教授の授業を聞いたり、学食で若い人達と定食を食べたりしました。また教授と課外授業で奈良の遺跡を巡って実地で講義を受けるのも楽しかったです。

先月9月30日に晴れて卒業式に出席し、学長から立派な卒業証書を頂きました。卒業生は37人で関東や九州の遠方から参加された人もおられました。せっかく文化財歴史学を勉強したので、何か役に立てることができたらいいなと考えています。

古代史の講座満席神無月

学食のメニューに並ぶ今年米

胸襟を開きおでん屋同期会

キトラ古墳の現地でのスクーリング

今日は「俳振歴歩」の中の「俳と歴と歩」の話です。

9月18日に会社のOB会の「視て歩き」で水間観音を訪れました。南海難波駅に集合し、貝塚駅水間鉄道に乗り換えて水間観音駅まで約1時間です。

水間鉄道は、水間寺の参拝を目的として1934年に貝塚駅から水間観音駅まで全長5.5Kmが完成しました。終着の水間観音駅舎は水間寺をイメージしたデザインで屋根には九輪が付いています。駅から水間寺までは歩いて15分程度で、昔は水間の滝の景色を楽しむためにこの水間街道沿いは繁盛していたらしいです。

水間寺には行基伝承があります。聖武天皇の勅命で行基聖観音を探しに出かけ、水間の滝で聖観音像を授かり、その像を祀る寺院として水間寺が創建されました。水間寺は近木川(ちこぎがわ)と秬谷川(きびたにがわ)の合流地点に位置し、その合流地点は岩がゴロゴロしていて、このあたりで聖観音像を授かったと言われています。この仏様は、約6cmの聖観世音菩薩で、謹んでこれを天皇に捧げたところ、病は全快されました。この秘仏は小さな厨子に納められていて拝見することは出来ませんでした。この水間寺には三重の塔があり、井原西鶴の「日本永代蔵」にもある利生の銭の話に出てくる塔とのことです。

帰りは難波まで戻り、参加者10人全員で心斎橋の安いお店でいつものように乾杯しました。一日の歩数は15,000歩でした。

秋彼岸涼を求めて水間寺

水中に救いし秘仏堂さやか

境内に自販機一基秋茜

水間観音駅

水間街道

行基伝説

秘仏発見の場所とされる滝

水間寺三重塔(日本永代蔵に出てくる塔)

俳振歴歩のひろです。

今日は「俳振歴歩」の中の「俳と歩」の話です。

9月12日と13日に一泊で富士五湖近辺に旅行しました。ツアーに参加したので盛りだくさんのポイントを巡りました。一日目は小雨が降る中、鳴沢氷穴富岳風穴青木ヶ原樹海、河口湖と巡り、二日目は富士山一望のテラス、富士五合目まで行きました。富士山は若い頃に登頂した経験があり、それ以来なので約50年ぶり。富士登山の期間は9月10日までなので、今回は富士吉田コースの5合目まで。

鳴沢氷穴富岳風穴は内部気温が4度、外気温との差は約25度、我先に涼を求めて入った。内部は腰を屈めて進む場所もあり、首筋に滴が垂れてくる。樹海は溶岩を抱くように根が広がり、その上に苔むしていた。岩が多く根を張りにくいので倒木も多い。

河口湖からは富士山の裾野の広がり全体が視ることが出来、改めて美しさを感じた。富士山の登山期間は既に終了していたが、五合目には多くの観光客。登山道のゲートには外来種植物持込み防止のために靴掃除マット。五合目には郵便局があり、赤いポストの上に、スイスの黄色いポストも並置。富士山メロンパン、富士山サイダー美味しかった。

我先に入る氷穴や秋暑し

溶岩を抱く樹海の根霧うごく

日矢の射す樹海の奥へ秋小蝶

富士山を映し寒露の湖静か

朝霧の富士五合目へ九十九

いざ鳴沢氷穴

青木ヶ原樹海 奥深そう

雨上がりの河口湖からの富士山全景

富士山五合目の郵便局

富士山メロンパン

富士山サイダー スッキリした味

俳振歴歩のひろです。

今日は「俳振歴歩」の中の「歴史」の話です。

8月22日に奈良県葛城市にある「けはや相撲館」を訪れました。名前の通り、相撲に関する資料館です。

相撲の歴史をたどっていくと出てくるのが、當麻蹶速野見宿祢の二人の名前です。『日本書紀』垂仁七年条に関係する記述があります。垂仁天皇の七年七月七日に、当時無双を誇った當麻蹶速と相撲をとるために、出雲国から野見宿祢を召し、當麻蹶速と天覧試合を行った。互いに蹴り合った結果、野見宿祢當麻蹶速の腰を踏み折って勝ち、その領地を賜わった。それ以降、野見宿祢は大和にとどまって垂仁天皇に仕えたとされています。この當麻蹶速野見宿祢の力比べが日本最古の天覧相撲であり、国技相撲の起源であると言われています。

相撲館の中には土俵があり、「どすこい、ほい」と相撲甚句が流れていました。土俵に上がることも出来、大相撲の雰囲気を味わうことが出来ます。2階には歴代横綱に関する資料や相撲の歴史資料が多数展示されています。

相撲館の前には「當麻蹶速塚」があり、野見宿祢と戦って破れた當麻蹶速を偲んで鎌倉時代に立てられた蹶速の墓と伝えられています。

當麻蹶速に勝った野見宿祢垂仁天皇に仕え、天皇の皇后日葉酢媛命が亡くなったときに殉死の風習を止めて埴輪を作って埋めることを提唱した人物です。その職功から土師臣の姓を賜わっています。実はこの土師氏は8世紀後半の桓武天皇時代に名前を菅原に変えており、菅原道真野見宿祢の子孫と言う事になります。この話は少し複雑なので又の機会にしたいと思います。

けはや相撲館 正面

天覧相撲

當麻蹶速

俳振歴歩のひろです。

今日は「俳振歴歩」の中の「振」の話です。

7月17日と18日に一泊で大学時代の同窓会を兼ねたゴルフに行きました。大学を卒業して46年になりますが、この同窓会はほぼ毎年開催されています。同じ学科の49名の内今年は13名が参加し、静岡県掛川に集合しました。

ホテルは掛川駅近くのビジネスホテルでホテル窓からは掛川城が見えていました。夜は居酒屋で大宴会、宴会の後はカラオケ組とホテル帰宅組とになりました。私は翌日のゴルフに備えて、今回はお酒を控えめにしホテル帰宅組としました。

翌日は静岡県菊川市のホロンゴルフ倶楽部で振ってきました。ゴルフ参加者は13名の内11名で3組のコンペです。私のスコアーは・・・ですが、新ペリアで3位に入りました。ホロンゴルフ倶楽部は比較的平坦でフェアウィーも広く手入れが行き届いていました。

アウト3113ヤード、イン3105ヤード、合計6218ヤードで、距離もそこそこあり、打ちごたえがあります。難しかったのは、アウト9番518ヤードのロングで、3打目落下地点が狭く、OB杭もありました。ぎりぎりセーフで7番アイアンのパンチショットでクリアーです。イン18番も482ヤードのロングで、こちらは右ドックレッグでグリーン廻りに池があるのですが、3打目の位置からは池が見えないため油断しそうになります。

楽しいゴルフでしたが暑さも大変でした。またやりたくなるゴルフ場です。

ホテルから見た掛川城

ホテルロビーに飾ってあった絵

ホロンゴルフ倶楽部

アウト9番ホール

イン18番ホール