日本 (original) (raw)
日本国(にほんこく、にっぽんこく、英: Japan)、または日本(にほん、にっぽん)は、東アジアに位置する民主制国家[1]。首都は東京都[注釈 2][2][3]。
日本国
日本国[1]
(国旗) | (国章(慣例上)) |
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国の標語:特になし
全長3500キロメートル以上にわたる国土は、主に日本列島[注釈 5]および南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などの弧状列島により構成される[3][4]。大部分が温帯に属するが、北部や島嶼部では亜寒帯や熱帯の地域がある[5][6]。地形は起伏に富み、火山地・丘陵を含む山地の面積は国土の約75%を占め[6]、人口は沿岸の平野部に集中している。国内には行政区分として47の都道府県があり、日本人(大和民族・琉球民族・アイヌ民族[注釈 6]・外国系諸民族)と外国人(日本国民でない者[7]、すなわち、外国籍者と数百人程度の無国籍者[8])が居住し、日本語を通用する[2][3]。漢字文化圏に含まれる国の一つでもある[9]。
日本において、国号を直接かつ明確に規定した法令は存在しない[19]。『漢書地理志』などに見られるよう、古く中国においては日本列島の国家をあらわす呼称として「倭」を用いており、ヤマト王権もこれに倣っていた。しかし、『旧唐書』の記述にみられるよう、「倭国」は「自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み」、「日本」の国号を用いるようになった。『続日本紀』には大宝2年(702年)の遣唐使が、唐側の用いた「大倭国」という国号を退け、「日本国」を主張したという記述があるほか[20]、開元22年(734年)の井真成墓誌にも「日本」の国号があらわれる[21]。国号変更の正確な時期については明らかでないものの、天武天皇治世下であるという説[22]、あるいは大宝元年(701年)の大宝律令の成立前後であるという説などが知られている[23]。
「日本」の読み方については、「にほん」と「にっぽん」の2通りがある。室町時代の謡曲においては日本人に「ニホン」、中国人に「ニッポン」と読ませる描写があるほか、安土桃山時代の『日葡辞書』や『日本小文典』には「にほん」「にっぽん」「じっぽん」の読みがあらわれる[22]。1930年代には「にっぽん」に統一する試みもあったが、最終的に決定には至らなかったた[24]。両者はいずれも広く通用しており、2009年には日本政府により「どちらか一方に統一する必要はない」とする閣議決定がおこなわれている[25]。
外名としては、英語・フランス語・ドイツ語において「Japan」、フランス語において「Japon」、スペイン語において「Japón」などが用いられており[22]、これらは「日本」の中国語(閩語ないし呉語)読みが、交易を通じて西洋世界に伝わったものであると考えられている[26]。
通常、日本の歴史は、日本列島における歴史と同一視される。しかし、厳密な「日本」の成立は、国号にあるように7世紀後期であり、それまでは「倭国」と呼び記されていた。この倭国がどのような地理的範囲あるいは系統的範囲をもつ集団であるかについては史料に明確にされておらず、多くの学術上の仮説が提出されている。倭国と日本国との関係は諸説あり、「日本の歴史」と「日本列島の歴史」とを明確に区別して捉えるべきとする考えも示されている[27]。
先史から古代
日本列島に人類が到達したのがいつごろであるかは、定かではない[28]。旧石器時代は前期・中期・後期の3つに分けられているが、日本列島では後期旧石器時代から始まると考える研究者がほとんどである[29]。ホモ・サピエンスのものとして、国内で発見されている最古の遺跡は、いずれも3万8000年前のものである[30]。1万5000年前には隆起線文土器が登場し、日本列島は1万1000年前までに本州北端までが縄文時代に突入する[31]。その後、紀元前10世紀頃より福岡平野で灌漑式水田稲作がはじまり[32]、伝統的理解においては、紀元前3世紀には弥生時代がはじまることとなる[28][33]。農耕社会の首長層は2世紀中葉より大型の墳墓を築くようになり[34]、200年前後にはヤマト王権の宮都と考えられる纏向遺跡があらわれる[35]。3世紀中葉には箸墓古墳のような本格的な前方後円墳が登場し、多くの研究者は遅くともこの時代には古墳時代がはじまると考えている[36]。4世紀末までにはヤマト王権は列島のかなりの部分を支配する国家となった[28]。
ヤマト王権は中国や朝鮮の諸国との交流をもつとともに、世襲の大王(天皇)と氏姓制度を中心とする国家を確立した[28]。6世紀頃には仏教が伝来したほか、隋・唐の東方進出に圧迫されるかたちで国政改革の必要がうまれる。大化改新や壬申の乱を経て、701年(大宝元年)には大宝律令が完成する。このようにして、日本には中央集権の律令国家が形成された(飛鳥時代)[37][38]。710年(和銅3年)の平城京遷都によりはじまった奈良時代において、日本は仏教を中心とする律令国家として運営されたものの、この時代より公地公民制にほころびがあらわれはじめ[39]、794年(延暦13年)の平安京遷都よりはじまる平安時代にはこれが崩壊する。王朝国家となった日本においては地方政治は国司に一任されるようになり、10世紀後期には藤原氏が天皇の摂関家として政権を掌握するようになる[40]。貴族・寺社の私有地である荘園の発達にともない、地方ではのちに武士となる在地勢力が力をつけていった[41]。
中世から近世
11世紀後期には摂関家の勢力が下降し、院政期に突入する[40]。この時代には、武士が国家的に重要な位置を占めるようになり、12世紀後期には平氏が政権を握るようになる。平氏を追討した源頼朝は鎌倉幕府を樹立し(鎌倉時代)、その死後は、御家人のひとりであった北条氏が執権として権力を握った。所領を通じた幕府と御家人の関係は、貨幣経済の発展や、元寇に対する恩賞の不十分さなどにより、困窮する御家人が多くなったことでゆらぎはじめ、1333年(元弘3年・正慶2年)には後醍醐天皇による建武の新政がはじまった[28]。足利尊氏は後醍醐天皇を吉野に逐い、1336年(延元元年・建武3年)に自ら天皇を擁立して室町幕府を築いた(室町時代)。南北朝は1392年(明徳3年・元中9年)に解消されるものの、1467年(応仁元年)にはじまる応仁の乱を契機として地方領主は戦国大名として自立し、1573年(天正元年)にはそのひとりである織田信長により幕府が滅ぼされる(安土桃山時代)[42]。
信長の死後、その後継者となった豊臣秀吉は日本をふたたび統一し、検地と刀狩を通して兵農分離を確立した。秀吉の死後、1603年(慶長8年)には徳川家康が江戸幕府を開いた。幕府は幕藩体制を敷いて大名を統制したほか、鎖国政策により外国との交流を制限した。17世紀後期までに幕藩体制は確固たるものとなったが、1800年代よりロシアやイギリスといった西洋諸国が日本と接触するようになり、1853年(嘉永6年)にはアメリカのマシュー・ペリーによる開国が実現する[28]。幕府が朝廷の意向を無視するかたちで日米修好通商条約を結んだことを引き金として、長州藩をはじめとする雄藩では尊王攘夷運動、さらには討幕運動がまきおこった[43]。
近現代
明治維新を通じて幕藩体制は終了し、1868年(明治元年)の改元をもって、天皇を中心とする新政府が開かれた(明治時代)[43]。新政府は積極的な近代化政策を推し進め、1889年(明治22年)には自由民権運動をうけて大日本帝国憲法が制定され、1890年(明治23年)には帝国議会が発足する。その後、日本は日清戦争(1894年・明治27年開戦)と日露戦争(1904年・明治37年開戦)に戦勝し、1910年(明治43年)には韓国併合をおこなった[28]。
1912年(大正元年)には大正時代がはじまる。この時代にははじめての政党内閣が実現したものの、1926年(昭和元年)よりはじまる昭和時代には国政に対する軍部の影響力が増し、1931年(昭和6年)から1945年(昭和20年)にかけては十五年戦争がはじまる。同戦争の敗戦により大日本帝国は解体され、1946年(昭和21年)には国民主権を原則とする日本国憲法が成立した。1950年代から1970年代初頭にかけての高度経済成長期を経て日本は世界有数の経済大国へと伸長した。1989年(平成元年)には平成時代がはじまったが、この時代に日本経済は停滞をはじめた[28]。2019年(令和元年)には、平成から令和への改元がおこなわれた[44]。
日本の国家安全保障(国家安全保障#日本の安全保障)に関する法律として国家安全保障会議設置法、防衛省設置法、自衛隊法などがある[198][199][200]。
安全保障に関する条約には「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」がある[201]。
- 防衛省
防衛省
自衛隊の管理・運営及び安全保障に係る事務を所管する[202]。
- 自衛権の行使
日本政府が自衛権の行使を発動する際に満たす要件として武力の行使の「新三要件」がある[203]。
防衛
護衛艦・いずも、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)
日本国政府の指示のもと三菱重工業が開発した国産ステルス機のX-2。
日本の防衛組織として自衛隊が存在する。自衛隊は「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」ために設置され、事実上の軍隊として機能し[注釈 16]、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊から構成され、内閣総理大臣と防衛大臣による文民統制(シビリアン・コントロール)の下、防衛省によって管理される[3]。また、事実上の準軍事組織として沿岸警備隊たる海上保安庁が存在するが、海上保安庁での対処が困難な事態が発生した場合は海上警備行動により海上自衛隊が対処する[204]。
大日本帝国憲法の統帥権を根拠に旧日本軍が政治に深く関与したことへの反省から、自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つと規定され、文民統制に注意が払われている。また、同じく戦前への反省から自衛隊海外派遣は長らく行われてこなかったが、自衛隊ペルシャ湾派遣や自衛隊カンボジア派遣を契機に開始された。現在では、海外派遣任務は自衛隊の主要任務となっている。
第二次世界大戦後、日本の部隊は、その所属にかかわらず、一切の直接の戦闘を経験していない。連合国軍の占領下にあった1950年、朝鮮戦争で海上保安庁の機雷掃海部隊(特別掃海隊)が派遣されたことがあり、死傷者も出している。富士総合火力演習やその他の公開演習などを通じて高い練度を評価されることも多いが、他国の軍隊や民兵組織と交戦に至った経験はなく、実際の戦闘においての能力に関しては未知数である。
日米安全保障条約に基づき、在日米軍が駐留する[注釈 17]。日本国内において唯一駐留している外国軍である(領土問題になっている竹島、北方領土は除く)。
2022年の世界平和度指数では世界第10位、世界平和度指数の3項目の一つである世界非軍事化ランキングでは11位[206]、積極的平和度指数では12位となっているが[207]、2022年12月には本格的な反撃能力が日本の国防に備わっていくことが決まった。また、台湾や韓国は安全保障上、極めて重要なパートナーとされている[208]。
海外基地と諸外国と結ばれている地位協定の内容の問題
ジブチ共和国には自衛隊が駐留している。ソマリア沖の海賊を対処するという役割を日本は担っている。
2011年には日本ジブチ地位協定に基づきアフリカのジブチ共和国に自衛隊の海外拠点が設立され駐留している。ジブチは元々フランスの植民地であった。しかし、日本ジブチ地位協定の内容を見ると当時の宗主国のフランスと締結されているような不平等条約となっており、自衛隊の過失犯がすべて無罪[209]、ジブチ国内の法令も適用されない[210]、自衛隊の基地内の情報や介入が日本政府の許可がないと出来ないなど日本政府がアフリカの主権を侵害していること、日本がジブチを植民地、占領地、属国のように扱っているなど一部の有権者から批判されている[211]。日本ジブチ地位協定の問題は日本のメディアも一切報じていないため、日本国内の認知度は極めて低い。
自衛隊の装備及び活動
- 陸上自衛隊
- 海上自衛隊
- 航空自衛隊
要員・装備・予算
以下のような政策・傾向を継続している。
- 防衛費の絶対額では世界上位。しかし、国の経済力に対する防衛費の割合は、著しく低水準に抑えられている。
- 兵員・戦車・作戦機・軍艦の数などに見られる規模の小ささを、質の向上や同盟国(アメリカ)の能力によって補完する。
- 近年は財政状況の悪化により、仮想敵国や周辺諸国との協調的な軍縮でなく、単独で一方的・自主的に軍縮していたが2022年(令和4年)以降、防衛力の顕著な向上傾向がある。
2020年度の防衛に関連する予算の総額は、為替レートベースで491億(アメリカ)ドルであり世界で7番目[212]。
1999年 - 2008年の10年間の軍事費の増減率は、中国が194%増、ロシアが173%増、韓国が51.5%増、日本が1.7%減であり、周辺諸国に対して相対的に低下している[213](これについてはアメリカからも懸念が示されている[214][215])。
このように GDP に対する割合の順位(世界の150位前後)に比べてドル換算した絶対額の順位(世界9位)の方が格段に高い理由として、以下が挙げられる。
- GDP そのものが大きく、国力が高い。
- 円が強い通貨である。
- 広大な領海・EEZと長大なシーレーンを抱える。
- 周囲を軍事大国に囲まれる。
- 規模が相対的に小さい故に、質の高い要員・装備を目指しているため、装備調達や訓練にコストがかかる傾向にある。
- 人件費が高く、予算の大きな部分を占める。
- 装備の国産化を指向するにもかかわらず、武器輸出三原則で輸出を自粛していたため、購入単価が下がらない。
要員
2020年における自衛官の定員(1000人未満を四捨五入)は、陸自が約15万人、海自が約4万5000人、空自が約4万7000人、統合幕僚監部などが4000人、合計24万7000人、実数は、陸自が約13万8000人、海自が約4万3000人、空自が約4万3000人、統合幕僚監部などが4000人、合計22万7000人である[216][217]。特徴として、予備役に相当する予備自衛官などが約4万8000人であり、現役と比べての割合が非常に少ない(通常、予備役の数は現役の数を超える)。
防衛省の文官は、約2万1000人である[218]。
徴兵制度は第二次大戦後の日本軍解散とともに廃止され、自衛隊にも徴兵制はない。
装備
定評ある海外製の兵器や、それと同等ないしさらに高性能と見られる国産装備を多く保有する。高い基礎工業力を生かし、車両や艦船の多く、そして航空機の一部が独自開発である。ただし、それらの輸出は武器輸出三原則によって自粛してきた。また、他国の製品であってもライセンス生産を行うなど、可能な限り、国内で調達する傾向がある。これによって、自衛隊の調達する兵器の多くは海外の同等のものよりも高コストとなっているが、他国の意志に左右されず兵器本体および保守部品の生産ができ、兵器の製造ノウハウを蓄積することによって、保守・運用の効率を高め、ひいては稼働率を高く保つことを狙っている。
予算
かつては防衛費をGNPの1%以下に抑える防衛費1%枠という閣議決定があり、現在は撤廃されているが、現在でもこの割合が基本となっている。
2013年を境に防衛費は増加に転じ2020年度は過去最大となった[219]。
情勢・脅威
冷戦の時代、ソビエト連邦が最大の仮想敵国であり、自衛隊の部隊も北海道など北方に重点が置いて配置されていた。冷戦はソ連崩壊によって終結し、現在は軍拡を続ける中国、水際外交や国家犯罪を繰り返す北朝鮮の脅威の方が増している、これらへの対抗から部隊の西方への移転が進められている。防衛白書も、近年は中国・北朝鮮に対する脅威を主張している。しかし、根拠地の移転には広大な敷地や大規模な工事が必要なこともあり、あまり進んでいない。
アメリカ以外との安全保障協力
2007年3月にオーストラリアとの間で安全保障協力に関する日豪共同宣言が、続けて2008年10月にインドとの間で日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言が、それぞれ調印された。
日本はアメリカ軍の広島・長崎への原爆投下によって多くの犠牲者を出した経験[220]や唯一の被爆国としての立場から、国民レベルでは核抑止論に対する抵抗・反発の感情が強い。しかし日本政府は「非核三原則」を標榜しつつも非核地帯宣言はせず、事実上の核抑止論の立場に立っており、アメリカの「核の傘」に頼っている。周辺諸国ではアメリカ、ロシア、中国が核兵器の大量保有国である上、北朝鮮が核兵器の開発の成功を発表している。それらに対し、独自の核保有もしくはアメリカとのニュークリア・シェアリングを検討すべきという民間レベルの議論もあるものの、政府は核保有及び共有を否定している[221]。
シーレーン防衛
日本は、第二次大戦中に連合軍の通商破壊戦によってシーレーンを遮断され、物資が極度に窮乏する状況に追い込まれた。さらに1980年代より日本の海洋国家論の高まりと同時に、軍事のみならず、経済・食糧・エネルギー・環境などの総合安全保障の概念が認識されるようになった。漁業の安全や世界中との貿易での立国を維持する上でシーレーンの防衛(海戦や通商破壊などの危険回避)が重要であるものの、グローバルに広がるシーレーンの全ての防衛を独力で完遂することは、現実的にも困難であり、憲法第9条の制約もある。よって、同じく海洋国家として「海洋の自由」を標榜し、グローバルに軍事展開するアメリカと協力することで、コストを抑制しての有効な海洋の安全を図っている。一方で、マラッカ海峡などの海賊やテロも、東アジア全域のみならず、グローバルな共通の危機となり、非対称戦争に対応した国際的な警察力の強化、紛争予防も重要な課題となっている。
中華人民共和国
左赤線が第一列島線
2001年から一貫して国防費の成長という急速な軍拡を続け[222]、軍事力の近代化を進めている。その実態や将来像、意思決定の過程が不透明であることが脅威である[223]上に、文民統制が不十分で軍部の暴発すら心配される[224]。日本とは海を挟んで接しているが、中国は外洋艦隊の建設によって海洋権益を拡張する姿勢を強めており、周辺国と係争や紛争を行っている。中でも台湾の併合(台湾回収)は国是[225]となっており、独立の動きがあれば武力侵攻することを示唆している。しかも中国の主張によれば台湾には沖縄県尖閣諸島が含まれており、中国の領有を主張している。さらには、中国の論壇にみられる沖縄県の独立もしくは併合(琉球回収)の主張に対して、一部の軍人が同調する発言すらみられる。今後は南西諸島ないしは太平洋北西部(フィリピン海)に中国人民解放軍海軍が強い影響力を及ぼすことが懸念される。このような情勢の下で日本は、中国との対話を続ける一方で、中国の軍事力に対抗する抑止力を整備し、日米安全保障態勢の維持・強化を図る。
Jアラート(防衛面)
Jアラートは防災面と防衛面があり、防衛面として国民保護のために武力攻撃事態などが発生した時に緊急情報を瞬時に伝達する。
自衛隊特殊部隊
自衛隊の特殊部隊としては陸上自衛隊の特殊作戦群(SOG)や海上自衛隊の特別警備隊(SBU)がある。特別警備隊は自衛隊初の特殊部隊として2001年に創設された。
宇宙作戦群
防衛を目的とした宇宙状況監視の任務を行うため、2022年に航空自衛隊の部隊として創設された。
諜報・情報機関
情報本部(自衛隊)の通信施設
日本の情報機関としては、内閣官房内閣情報調査室、警察庁警備局、外務省国際情報統括官組織、防衛省情報本部、法務省公安調査庁などが設立されている。各機関によって得られた機密情報やデータは内閣情報会議・合同情報会議の開催時に秘密裏に共有される[226]。
佐藤優の分析によると、日本の諜報能力は予想を上回る能力を持っており、実際に他国の中枢に食い込んだ日本の外交官が何人もいるだけでなく、警察庁のカウンターインテリジェンス能力は世界最高水準であり、サイバー・インテリジェンスにおいても自衛隊は高い能力を持っているという[226][227]。また、有事の際には国家安全保障会議設置法に基づき、国家安全保障に関する重要事項および重大緊急事態への対処を審議する目的で国家安全保障会議(NSC)が開催される。
さらに見る 2020年(令和2年)暦年名目GDP ...
2020年(令和2年)暦年名目GDP | |
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10億ドル | |
アメリカ | 20,893 |
中国 | 14,723 |
日本 | 5,040 |
ドイツ | 3,846 |
イギリス | 2,746 |
[228] |
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日本銀行は、日本の中央銀行である(東京都中央区 日本銀行本店)
東京証券取引所は、日本の証券取引所の中枢的存在である(東京都中央区)
制度・規模・位置
日本は、修正資本主義・市場経済を採用する工業国であり、2023年時点で、国内総生産(GDP)がUSドル時価換算の為替レートで世界第4位(購買力平価(PPP) で世界第4位)に位置する経済大国である。一人当たりGDPは2018年時点で、USドル時価換算で世界第26位、購買力平価(PPP)で世界第31位である。
通貨である円(¥, yen, JPY)は、高い信認を有する国際通貨の一つである。日本人は、その信認の高さから現金決済や貯蓄を好む傾向がある。1964年に経済協力開発機構(OECD)に加盟し、サミット(主要国首脳会議・当時のG5・後にG7)にも1975年の第1回から参加している。
経済史
明治以来、西欧型の民法典を導入し、財産権を基礎とした資本主義を経済の基本とする。第二次世界大戦時の戦時体制を経験した後、物価統制令や傾斜生産方式、外貨準備に伴う割当制など、通産省や大蔵省が主導する護送船団方式により、製造業を軸に高度経済成長を果たした。1968年、国民総生産(GNP)ベースでアメリカ合衆国に次いで世界第2位の規模の資本主義国となった。他の資本主義諸国と比較して失業率も低く、「最も成功した社会主義国家」と言われた時代もあった。1974年のオイルショックを機に安定成長期に入り、自動車、電化製品、コンピュータなどの軽薄短小産業(ハイテク産業)が急成長する産業構造の転換が進んだ。円高が進む中、比較劣位の産業のいくつかは、競争力を喪失して衰退し、自動車産業など、比較優位で競争力の高い輸出産業は、円高の波を乗り切り、基幹産業として世界でも最高水準の競争力を持つに至った。しかし、製造業では生産拠点が海外に流出する空洞化が進行している。1990年代前半にバブル景気が崩壊したことによる不況で、「失われた20年」と呼ばれる長期不況に苦しんだ。日本の経済成長率は、高度成長期はもちろん、安定成長期にも欧米を上回っていたが、1990年代以降は欧米や他の東アジア諸国を下回っている(1991年から2018年までの日本の平均経済成長率は1.0%)。日本は継続的にアメリカ国債を購入し、2021年8月時点で1兆3198億ドル分を保有し世界第1位の保有量となっている[229]。世界貿易機関(WTO)によると、2020年から新型コロナウイルスの感染拡大の影響で国際貿易が干上がり、さらに2022年には感染拡大は収束に向かっているものの、ウクライナ侵攻などを発端とする急激な円安が進行し、慢性的な貿易赤字を抱え込んでしまうこととなり、1930年代の世界恐慌のような深刻な崩壊につながる可能性があるという[230]。日本を含む多くの国は、すでに持続不可能なほどの高額の債務を抱えている[230]。
失業率は世界恐慌以来の水準に達し、これに対して日本は企業の中国からの撤退を支援するために出資することになる。パンデミックによってサプライチェーンが混乱し続ける中、日本の景気刺激策では、企業が製造拠点を国内または他国に移すのを支援するために22億ドルを準備した[230]。
高度経済成長を遂げた日本では、「国民総中流」と呼ばれる貧困層が存在しないかのような意識が浸透していたが、近年、貧困層の存在が広く知られ、貧富の差が拡大しているという意識が広まった。経済協力開発機構(OECD)の統計によれば、2015年から2018年の貧困率は、OECD加盟国(37か国のうち、貧困率を統計する35か国)の内の第10位、15.7%である[231]。この原因としては、高齢化社会による年金生活者や賃金の低い非正規雇用の増加が挙げられる。
OECD各国税収のタイプ別GDP比(%)。
赤色は国家間、青色は連邦・中央政府、ピンク色は州、橙色は地方、緑色は社会保障基金への供出[232]。
戦後の日本企業では1980年代までは長期継続雇用が主流だったので、社会構造の変化による衰退産業・衰退企業や、経営破たん企業による、解雇や人員削減以外には、失業が社会問題化することは例外であり、経済成長率が高く、成長産業・成長企業による求人が豊富だったので、失業者も再就職による職業や生活の立て直しは困難ではなかった。1990年代以後のグローバル化の進行、GDPのゼロ成長、デフレ、非正規雇用の増大により、不安定雇用、低所得、貧富の格差の拡大、失業、再就職の困難などが社会問題化した。また、2008年以降の世界金融危機によって完全失業率は戦後最悪水準の5.0%にまで悪化していた。
アベノミクス以降は働き方改革が進められ、失業率は急速に改善しOECD最小となり[233]、労働参加率も過去最高レベルに上昇し、完全雇用が達成された[234]。不本意非正規雇用労働も減少傾向にある[235]。
日本の労働者には労働基本権が憲法上認められている。ただし、公務員は一部留保されているケースがある。労働基本権を行使するために労働組合が様々な職場や地域で組織されている。また、専門職に従事するものは職能団体を結成している。
1990年代以降における財政政策により、国債は1000兆円を超える。国庫短期証券を合わせると約1100兆円である。両方を合わせた海外債権者の割合は12.7%である[236]。
OECD調査によれば、日本は人口に占める公務員の比率はOECD中で最小であり(2019年)、経済に占める公営企業の規模も小さい[237]。なお、GDPあたりの租税負担率においては、日本は28.6%であり、OECD諸国平均以下である(2011年)[232]。
農林水産業
他国と比較して生産量が多い農産物は、生糸、キャベツ、イネ(米)、サツマイモ、タロイモ(主にサトイモ)、茶、ホップなどである。
- 米は、日本人の主食であるが、他に米を主食とする諸国も多いため、780万トン世界5番目の生産量に止まる[238]。
- キャベツ、タロイモ栽培は、世界第5位である。
- 畜産業(畜産)では、養鶏が盛んであり、鶏卵の採取量は、世界第3位である。
1970年以降の木材の輸入自由化により競争力を喪失し、一部のブランド木材の産地を除き、既に壊滅状態に追い込まれている。
水産業・漁業
漁獲高は、2022年時点で485万8600トンである[239]。漁獲量制限などの措置は行っているが漁師の反発から徹底しておらず乱獲[240]の結果漁獲枠オーバー、漁業資源の枯渇が相次いでいる[241][242][243][244]。西太平洋など公海を対象とした日本主導の漁獲量制限には当事者が守っていない、日本の割当の割合が多い[注釈 19][245]と批判されている[246]。
貿易(輸入・輸出)
食料自給率は世界各地からの輸入に頼るため約40%と低い。近年、食の安全への関心の高まりから国産ブランドの需要が回復し、一部の農産物は、高級食材として輸出される。また、中国での魚介類を消費する習慣の広がりにより、水産物の輸出が急増している[247][248]。
従事者
高齢化が進み、将来の人材の育成が課題とされている[249]。
鉱工業
日本には世界有数の自動車メーカーが数多く存在し、技術も世界最高水準である(レクサス・LS)
日本はロボット先進国でもあり、産業用ロボットを初め様々な分野で活用されている(ホンダ・ASIMO)
地下資源は、全体としての産出量が概して少ないものの、埋蔵される鉱物の種類が非常に豊富で、俗に「鉱物の博物館」[250]と呼ばれる。鉱業の中心を占めるのは、世界第5位(2001年〈平成13年〉)の320万トンを産出する硫黄、そして、世界第2位(2005年〈平成17年〉)の6500トンを産出するヨウ素である。その他、産出量では、天然ガスの101千兆ジュールや石炭の302万トンが目立つ。少量ながら、原油をも産出する(約37万キロリットル・2001年時点)。金属資源は、亜鉛の4万3000トンを筆頭に、鉛、銅を産出する。この3金属は、いずれも非鉄金属として非常に重要である。しかし、いずれも国内消費量の4%、6.8%、0.02%しか賄えない。かつて大量に産出していた金や銀も採掘されるが、現在いずれも世界的なシェアが0.5%以下(金8.6トン・銀81トン)である。国内需要を賄うだけの産出量がある地下資源は、石灰岩(セメント原料)、珪石(水晶/ガラス・レンズ・光ファイバー・建築材料の原料)など、ごく僅かである。
現在、あまり資源として活用されていないが、メタンハイドレートが近海に多く眠ることが分かっている。これは、採掘の手法が未だ確立していないが、将来的に石油が枯渇した際における新エネルギーとして注目を浴びている[251][252]。近年では、都市鉱山という考え方も普及し、日本に蓄積される貴金属やレアメタルの埋蔵量が世界有数であるとの研究があり、廃棄される家電や電子機器などから、これらをリサイクルする事業活動も広がりを見せる。
基幹産業であり、特に素材[_要曖昧さ回避_]・金属加工・造船・土木工学・機械工学・電気工学・電子工学などの製造業は、世界最高水準の技術を維持する。原油・ゴム・鉄鉱石などの原材料を輸入して自動車、電気製品、電子機器、電子部品、化学製品などの工業製品を輸出する加工貿易が特徴であるが、近年、大韓民国や中華民国からの電子部品や電子機器などの半製品の輸入も増大し、輸出品、輸入品、共に電子機器が最大である。
トヨタ自動車や日産自動車、本田技研工業などを筆頭に世界有数の自動車産業を擁し、世界第3位の新車販売、世界第3位の保有台数を記録する[253]。
一方、航空宇宙産業(航空宇宙工学)・医薬品化学・バイオテクノロジー・情報技術などの新しい産業の分野においては、最高水準と言えず、また、全体としての製造業は、中国や韓国、台湾などの新興国の成長に押され、1980年代をピークに収益率も下落を続ける。そのため、ナノテクノロジーや民生用のロボット工学、生物工学、金融工学、情報技術などに活路を見出そうとしている。
現在の日本工業の中核は上記のような重工業だが、1870年代以降に明治政府が進めた工業化政策の中心は繊維工業だった。それ自体も重要な輸出品だった生糸を利用した絹織物、次いで外国からの輸入綿花を利用した綿織物は日本の輸出を支えたが、1960年代以降は東南アジア諸国や中国での安価な大量生産に押されて構造不況に陥った。現在では国内市場の多くを輸入品に譲っているが、「アパレル産業」とも呼ばれるようになった同業界は高い付加価値がつく伝統工芸品の生産などにも活路も見いだしている。
通商・金融
東京は世界最大の都市圏人口および経済規模を兼ね備えた世界一のメガシティである。
2019年時点の主要な輸出相手国・地域は、1位:アメリカ(19.8%)、2位:中国(19.1%)、3位:韓国(6.6%)、4位:台湾(6.1%)、5位:香港(4.8%)、6位:タイ(4.3%)、7位:ドイツ(2.9%)、8位:シンガポール(2.9%)、9位:ベトナム(2.3%)、10位:オーストラリア(2.1%)であり、アジアへの輸出だけで約55%を占める。
輸入相手国・地域は、1位:中国(21.3%)、2位:アメリカ(15.4%)、3位:オーストラリア(6.3%)、4位:韓国(4.1%)、5位:サウジアラビア(3.8%)、6位:台湾(3.7%)、7位:アラブ首長国連邦(3.6%)、8位:タイ(3.5%)、9位:ドイツ(3.5%)、10位:ベトナム(3.1%)であり、アジアだけで約49%を占める[254]。
貿易収支は、黒字(2018年に約3兆円)である。主要な輸出品は、金額ベースで自動車(15.6%)、半導体など電子部品(5.2%)、自動車の部品(4.7%)、鉄鋼(4.0%)、原動機(3.5%)、半導体製造装置(3.2%)、プラスチック(3.2%)、科学光学機器(2.8%)、有機化合物(2.5%)、電気回路などの機器(2.4%)の順である。主な輸入品は、原粗油(10.1%)、LNG(5.5%)、衣類及び同付属品(4.1%)、医薬品(3.9%)、通信機[_要曖昧さ回避_](3.6%)、半導体など電子部品(3.3%)、石炭(3.2%)、周辺機器を含む電算機器(2.8%)科学光学機器(2.3%)、非鉄金属(2.2%)である。
日本の産業は、発展の過程で間接金融による資金調達を広く用いたため、銀行が経済に与える影響が大きい。銀行は、融資で土地資産を担保に取ることが多かったため、土地が経済に与える影響も大きい。しかし、バブル景気の崩壊後は、直接金融や市場型間接金融への転換が進められている。金融機関では、バブル時期の焦げ付き、いわゆる不良債権問題が長引き、1990年代初頭に金融危機を引き起こした。しかし、政府主導で大合併[_要曖昧さ回避_]が行われて公的資金を注入しての強引な解決が図られ、その後は、超低金利政策の下、高収益を上げるようになった。日本銀行は、2006年にゼロ金利を解除したが、未だ金利の水準が低く推移し、個人消費の伸びも見られないなど、経済回復が明確でなく、2007年現在、それ以上の金利引き上げに至っていない。
また、継続的な経常黒字により、世界最大の債権国であり、世界経済からの配当や利子の受け取りが次第に増大している。2017年末時点で、日本の対外資産残高は1012兆4310億円、対外負債残高は683兆9840億円で、差し引き対外純資産残高は27年連続世界最大の328兆4470億円である[255]。
日本としては世界で3番目の計上黒字国であるが[256]、日本政府は歳入の35.9%が公債で賄われている状況である(2022年度補正後予算)[257]。しかしながら、日本国債の92.3%が国内保有であり、日本国内の資産となっている[258]。
インフラ
民営化企業
国営から民営となった代表の企業は以下の通り。
電気・水道・ガス
水道は自治体が、電気とガスはそれぞれ電力会社、ガス会社が供給する。
2022年1月31日、オーストラリア・シドニーに本部を置き、アメリカ・ニューヨーク、メキシコ・メキシコシティ、イギリス・オックスフォードに支部を持つ経済平和研究所は、世界各国の人的資本の水準を、研究開発従事者の割合、若年層のニート率の低さ、健康寿命などを考慮して評価し、日本は世界一の人的資本であるとお墨付きを与えられた[259][260]。
東京大学(ENSMPランキング2位)・2020年度世界大学ランキング36位[261]
慶應義塾大学(ENSMP3位)・2020年度世界大学ランキング600位以下
根拠法として教育基本法が制定されており、文部科学省が所管している。1990年時点の識字率は、99.8%(男99.9%、女99.7%)。
2020年時点で教育にかけるGDPの割合は3.4%であり世界で142番目である[262]。
教育段階
日本国籍を有する6歳から15歳までの9年間(学齢)を対象とする義務教育が実施される。一般には、小学校6年間、中学校3年間。特別支援学校については、小学部6年間、中学部3年間。中等教育学校については、前期課程3年間。なお、中学校を卒業した内の約96%が高等学校に進学する。
国民の25-64歳人口について、その53%がISCED-3レベル以上の中等教育を修了している[263]。なお第3期の教育の修了者については、タイプBが20%、タイプAが26%であった[263]。
生涯学習・教育訓練
科学技術
日本はアジアで唯一の国際宇宙ステーション計画参加国である(JAXA・きぼう)
世界的にも多くの分野で高水準のテクノロジーを有する。1990年代から2000年代前半にかけて、学術論文数(分数カウント)でアメリカに次ぐ世界2位、国際特許出願件数では世界一であった[264]。2000-15年におけるノーベル賞受賞数も、アメリカに次ぐものだった[265]。しかし、1990年代より経済成長の減速とともに研究開発費の増加は鈍化し、2000年代前半には論文数こそ増加しても、世界シェアは低下し始めた[266]。リーマンショック後の2009年から研究開発費が減少・横ばいになると[267]、研究力の低下が露わになる[268]。2017-19年の平均論文数は世界4位に後退した。より顕著なのが質を示す「Top10パーセント補正論文数」であり、世界10位まで下がっている[269][270]。特許出願件数でも2012年に中国に1位の座を明け渡すと、翌年にはアメリカにも抜かれ3位になった[271]。ただし、パテントファミリー数(2カ国以上への特許出願数)は10年以上1位を保っている(2014-16年データ)[270]。
長らく横ばいとなっている研究開発費だが、対GDP比率で見ると3.43%と世界3位の高水準にある(2016年、OECE基準は3.15%)[267]。ただし90-08年は1位であったので、減少はしている。研究開発費の流れにおいて、日本は官民で分かれており、多くの比率を占める企業は企業間で流れ、政府の負担は公的機関と大学に向かっている[267]。大学分は私大が多くを占める。主要他国においても企業が最多であるが、政府や外国の負担が一定量流れている。また、大学や国立研究開発法人に対する運営交付金削減と競争資金増加のセットによる「選択と集中」は失策だとする声も多い[272][273]。
人材の縮小は明らかな課題で、大学部門の研究者数が5年前から1.5%減、公的機関部門の研究者数がわずか2.5%増にとどまっている。博士号取得者についても2006年をピークに減少している[269]。この理由については、企業研究者に占める博士号取得者の割合が各国と比較して低いことや、任期なしポストの減少・任期付ポストの増加による就労の難しさ[274]、さらに学術機関の法人化と運営費交付金削減により発生した非正規職員の雇止め問題[275]などが指摘される。
環境・エネルギーに関連する技術
世界的にも高水準の技術を有する。原子力発電システムを独自開発する技術を持つ国のひとつ。世界的に最も高水準の二次電池技術を有し、ハイブリッドカーや高性能な携帯情報機器の基盤となっている。バイオ燃料や燃料電池、太陽光発電など新エネルギーの研究も盛んだが、普及面で言えば諸外国に立ち遅れている。
情報技術
日本企業は半導体デバイスの製造装置で高いシェアを有する。かつてはハードディスクドライブ(HDD)、フラッシュメモリや液晶ディスプレイの生産で栄華を極めたが韓国、台湾、中国が追い上げ凋落した[276][277]。光ファイバーや結晶引上技術など素材に関する研究に厚みがあり、その基礎技術は、依然として優位である。ソフトウェア分野では、業務に関するシステムエンジニアや組み込みシステムの技術者の人数が特に多い。日本製ソフトウェアの世界的シェアは低く、オープンソースソフトウェアへの貢献も少ない。世界的に次の産業革命を引き起こすと期待されている人工知能技術に関して、日本は利用している企業の割合が14%。しかし、フランスは11%、デンマークは6%、スウェーデンは5%、カナダは4%とさらに少ない。なお、日本のデータは従業員100人以上の企業を対象としている[278]。 また、計算機科学の基礎教育や情報技術のサポートを目的として情報処理推進機構が設立されている。
原材料・ナノテクノロジー
特殊鋼、合成繊維、セラミックスなど幅広い分野で世界的にも高水準の技術を有している。特に複合材料を得意とし、自動車産業・造船・航空宇宙・防衛産業などを支える。
先端計測技術
磁力や近接場マイクロ波、中性子の利用技術、複合計測技術などは、高い水準にあるが、イオンやレーザー利用技術などは、低水準である。
ライフサイエンス(生命科学)
アメリカ合衆国、そしてヨーロッパ全体に次ぐ3番手の位置にある。幹細胞に関連する技術についても人工多能性幹細胞(iPS細胞)の技術で世界を先行するが、幹細胞に関連する技術の全体で言えば、特許の出願数の半分以上がアメリカ合衆国で、以下、EU、日本と続く。
宇宙開発
小惑星探査機はやぶさの小惑星イトカワからの帰還は近年最大の成功である。
1970年に糸川英夫率いる東京大学宇宙航空研究所(現在の宇宙科学研究所の前身)が日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げ、日本はソ米仏に続き世界で4番目に衛星を自力で打ち上げた国となった。以来世界有数の衛星打ち上げ国であり、現在ではH-IIA・H-IIBロケットやM-Vロケットなどの純国産化に成功したロケットの打ち上げがされている。2013年夏にはM-Vロケットの後継機となる新型の固体ロケットイプシロンロケットの打ち上げられた。近年では2010年に小惑星探査機はやぶさが世界初となる月以外の天体からのサンプルリターンに成功し国内外から多くの注目を集めた。自国による有人宇宙飛行はまだ実現しておらず諸外国には立ち遅れている一方、毛利衛宇宙飛行士が1992年にスペースシャトルで宇宙に旅立って以来8名の宇宙飛行士が宇宙へ飛んでいる。国際宇宙ステーション計画には日本がアジアで唯一参加しており、独自の研究棟を保有している。宇宙ステーション補給機の開発・運用により宇宙ステーションへの物資運送の一翼を担っており、宇宙開発分野における国際貢献が進んでいる。
特許
日本は、技術や科学において国際的に重要な位置を占めている。日本の研究者は、実証的な科学の創造に貢献してきた。特に、さまざまな産業の経済的パフォーマンスや知識の実用化は、技術者の創造的な仕事によって促進されてきた。2016年、日本はPCTに基づく全世界の全特許出願数で世界第2位となった[279]。
昭和基地
日本の南極観測基地。天体・気象・地球科学・生物学の観測を行う施設である。
民族
民族グループ[296]
中国 (0.6%)
ベトナム (0.4%)
韓国 (0.3%)
大和民族の成立
日本列島の住民のうち、殆どを構成しているのが大和民族である。大和民族の起源は、縄文時代以前から定住していた「縄文人」と、ユーラシア大陸から弥生時代以降に複数回にわたって移住してきた「弥生人」が融合して形成されたものである。移住してきた経路は時代によって異なる。
最初に主流になったのは、沖縄・南九州・北東北地方に多い縄文人である[298]。この時期、日本海経路で小規模ながら交易がおこなわれていたことが出土品から証明されている。その後、稲作文化とともに大陸からやってきた人々が、北九州から中部地方に多い弥生人の基盤となった。日本列島に移住してきた経路や、規模、時期の詳細については、定かでない部分が多く、諸説ある。
縄文人と弥生人では身体的特徴に違いがある。縄文人は古モンゴロイドに属し、目が丸く大きい、彫りが深い、骨太で筋肉質、歯が短い、髪が癖毛、ヒゲと体毛が濃い、耳垢が湿っている、などの特徴を持つ場合が多い。弥生人は新モンゴロイドに属し、目が細く小さい、彫りが浅い、長身ですらっとした体格、歯が長い、髪が直毛、ヒゲと体毛が薄い、耳垢が乾いている、などの特徴を持つ場合が多い。
島国という地理的な特性から、その後も日本には小規模な移住(漂着や密航など)が何度も繰り返された。また、近代までの日本は鎖国時代を除いて移民・難民の受け入れには比較的寛容でもあった[299]。16世紀中盤から17世紀中盤にかけては衰亡する明から逃れてきた難民を多数受け入れ、開国後の19世紀後半以降にも清、李氏朝鮮、ロシア帝国[300]からの移民・難民を大量に受け入れていった[299]。
こうして縄文人、弥生人(大陸人)、オーストロネシア人(ポリネシア人、マレー人など)といった複数の民族が互いに混血し、文化を取り込みながら発展したと推測される。それらの中から最大勢力として発展してきたのが自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「大和民族」あるいは「日本民族」である。
その他の民族
北海道にはニセコアンヌプリといったようなアイヌ民族由来の地名が多く残されている
古代の日本は多民族国家であったと考えられている[301]。国の史書からも、大和民族のほかに、南九州には熊襲(隼人)、中九州には肥人、近畿地方と関東地方には国栖、関東地方と東北地方には蝦夷などがいた事が窺える。しかしこれらの部族・民族が具体的にどの人種・民族集団に属するかは緒論あり確定的定説はない[301]。
古墳時代、本州・四国・北部九州の各地方のうち、瀬戸内海の周辺地域を主とする人々は、大和盆地を本拠地とするヤマト王権のもとに統一され、倭人(和人)としての文化を形成する。飛鳥時代の律令国家、日本の国号と大和朝廷の確立に伴い、和人の文化的一体性がより糾合された。その後、朝廷の支配下に入るのが遅れた北東北(蝦夷)、南九州(熊襲・隼人)の人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。
江戸時代には、薩摩藩による琉球王国への侵攻、松前藩のアイヌ支配の確立により、北海道を含む日本列島と南西諸島の全域が和人の勢力圏に置かれた。これらの辺境地域は、弥生時代以降連綿として、本土との間で物的・人的交流が盛んに維持されてきた一方で、政治的枠組みとしては、「蝦夷地」と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部が日本に編入されたのは実に明治2年(1869年)の事であり、それまでは南部(渡島)の和人とそれ以外にアイヌ民族が広く居住する地であった所、明治以降の開拓で急速に和人との同化が進んだ。また、琉球侵攻により保護国的立場に置かれながらも、独自の国家の体裁を保ち続けていた琉球王国のかつての版図(南西諸島のうち奄美群島、沖縄諸島および先島諸島)は、1879年(明治12年)の琉球処分により名実ともに日本に編入または併合。奄美群島は鹿児島県に編入、沖縄・先島諸島には沖縄県が設置された。これ以降、急速に日本の近代化政策に組み込まれていくことになる。
現在、アイヌ語を第一母語とする人々は極めて少ないが、アイヌ文化振興法が制定されてアイヌ文化の保存・再興が図られている。なお、アイヌと共に南樺太にいたウィルタやニヴフの多くは、ソビエトの侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。
また、小笠原諸島には、19世紀初頭にハワイからの移民団が史上初めて定住し、欧米系島民(ヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人)による小規模なコロニーが形成されたが、明治維新の後に日本による領有が確定すると順次、彼らも日本国籍を取得して日本人社会に溶け込んでいった。
なお、アイヌ民族は、和人との交流の中で、中世から近世にかけて成立したとされるが、成立の詳細な過程については不明な点が多い(詳細はアイヌの項目を参照のこと)。
外国人
日本における在留外国人の推移
2023年末時点で、341万992人の外国人が居住している。国内の外国人としては中国人がもっとも多く、ベトナム人、韓国人、フィリピン人と続く[302]。2020年国勢調査の時点で、総人口に占める外国人の割合は 2.2%であった[303]。
中国籍の半分は永住者及び定住者であり定住者は中国残留邦人の家族である。
韓国籍、朝鮮籍、および台湾籍については、戦前の旧・日本領の出身者、および両親のうちいずれか(あるいは両方)がその出身である者の子孫が多く韓国籍、朝鮮籍に関しては、戦後になってから朝鮮戦争や貧困・圧政から逃れて渡来してきた難民[304]が一部含まれている。
1895年に台湾を、1910年に朝鮮半島を併合後、第二次世界大戦敗戦まで日本の一部として、台湾人、朝鮮人[_要曖昧さ回避_]にも日本国籍を与えていたため、これらの地域にルーツを持つ人々が多く、順次、経済的に豊かであった本土に移住してきた者も少なくない[305]。明治の日本は西欧人の居住や移動、営業に関しては領事裁判権を認める代わりとして居留地制による制限を設けていたが、朝鮮人や中国人については制限がなく、日本国内の各地での雑居が認められていた。1899年に西欧各国との領事裁判権の撤廃が成り、居留地制度は一律に廃止され(内地雑居)たが、中国(清・中華民国:支那)人を含む外国人労働者には居住・就労の制限が設けられた(勅令第352号[306])。これはおもに華人(支那人)を規制する目的のもので朝鮮人には実質的に適用されなかったとされる[307]。台湾人もまた併合後は帝国臣民であり居住に制限はなかったが、台湾・朝鮮とも戸籍(台湾戸籍、朝鮮戸籍)の離脱は認められず、あくまで内地での寄留であった。台湾人の移住は戦前は少なく[注釈 24]、日本在住の台湾人は総じて学歴があり、華人(支那人)や朝鮮人とは異なり、オランダや明遺臣、清朝の植民地支配の歴史的経験があり、民族的な屈託がなく日本語(や外国語)に通暁しよく働くので厚遇された。華人(支那人)は三刀(料理人・理髪師・仕立屋)が、朝鮮人は労働者が中心で、移住規模も多かった[309][310]。
朝鮮人労働者の日本内地への移動は日韓併合の1910年に2600人であった移動者が1923年には13万人あまりと増加傾向であり、1919年4月の「朝鮮人の旅行取締に関する件」(警務総覧部第3号)により朝鮮人の日本渡航への直接規制(旅行証明書制度)に転換し、移動制限を口実に実質的な居住規制に方針が転換された[注釈 25]。朝鮮半島領域では実施されていなかった参政権も普通選挙法(1925年)施行後の内地では認められており、希望を持ち移動し定住した者も多かったが生活は決して恵まれたものではなかった[注釈 26]。大戦中には軍人・軍属、あるいは就業目的として渡海した。また徴用労働者として800名以上が渡海した。
終戦の後、彼らの多くが祖国へ引き上げたが、各人の判断や事情によって日本に留まった者もいる。また、戦後相当の数の朝鮮人が祖国の混乱(朝鮮戦争)(国連による難民認定がされている)や韓国軍による虐殺(済州島四・三事件、保導連盟事件など)を逃れて日本に渡った。その後、サンフランシスコ平和条約締結によって彼らは日本国籍を喪失し朝鮮籍となる。その後協定永住者から現在の特別永住者として変遷し日本に在住し続けている。帰化して日本国籍を取得する者も多く[311]、在日コリアンは減少を続けている。
アイデンティティと国籍の問題は明治の開国以来、日本が否応なく直面することになった人権問題であり、戦前から華僑・印僑の人々や様々な移住者、戦後ながらくは台湾・中国系日本人コミュニティの間で葛藤を生んできた。1990年代以降、ブラジルなどの日系移民2世3世の出稼ぎ労働や、東南アジア・中国からの技能実習生といった外国人労働者の人権問題などが発生している。
言語
日琉語族の方言区分例
日本には公用語を明示する法令が存在しない[312][注釈 27]が、日本語がほぼ全ての国民の母語であり、慣習に基づく事実上の公用語である。全土で均質化された日本語による義務教育が行われている。識字率は極めて高い。日本に定住する外国人も多くは日本語を理解する。国会では、アイヌ語などが使用された例もある[注釈 28]が、憲法や法律は、日本語で記したものが正文である[注釈 29]。世界中の多くの言語が、他の言語からの派生を繰り返して生み出されてきたが、日本語に関しては派生元の言語が明らかになっていない孤立した言語とされるか、琉球語を別言語とみなし日本語とともに日琉語族を成すとされる。
近代以前の日本語は、文語と口語との乖離が大きかった。口語では京都方言(江戸時代中期以前)および江戸方言(江戸時代後期以降)が中央語と意識され広く通用したが、地域や階層による方言差が大きかった。明治維新による近代的な国民国家の創設に伴って言文一致運動が起こり、口語に近い文章語の確立が朝野の双方から推し進められた。東京方言を基盤に整えられた新しい文語や口語(標準語・共通語)は、教育・報道・行政・軍隊などを通じて国民に広く浸透し、国民的一体感の形成に寄与した。共通語の浸透に伴い各地の方言は衰退・変容を余儀なくされた。近年、地域文化・アイデンティティー[_要曖昧さ回避_]として見直す機運が高まり、教育現場においても共存が図られるようになった[313]。
日本は漢字文化圏に属し、日本語の表記には漢字とそれから派生した仮名を主に使用する。第二次世界大戦後、GHQは漢字の廃止を企図し、GHQの要請で米国から教育使節団が派遣された。使節団は、難しい漢字のせいで日本人の識字率が低いことを示そうと全国調査を命じるも、調査の結果高い識字率が確認された[314]。一方、漢字乱用の弊を除く目的で公布された「当用漢字表」については、漢字制限の路線に沿ったものであり、明言されていないが漢字全廃に向かう過渡期での規格という性格をもつものであった、とする見解もある[315][316]。しかしその後、当用漢字よりも緩やかな「目安」として「常用漢字表」が制定され、漢字全廃の方針は撤回された。そうしたなかで、一部の漢字は正字体(旧字体)から新字体に簡略化された。固有名詞は別扱いであることから、人名・地名などでは旧字体や異体字の使用が続いており、異体字の扱いは現在もしばしば問題となる。仮名の正書法に関しても、終戦後、従来の歴史的仮名遣から現代仮名遣いに変更された。近年、コンピュータの普及や文字コードの拡張などに伴い、漢字の使用に関する制限は緩められる傾向にある。
日本語以外には、アイヌが用いるアイヌ語や、樺太から移住した少数住民が用いたニヴフ語・ウィルタ語がある。現在ではニヴフ語・ウィルタ語の母語話者によるコミュニティは消滅し、アイヌ語も母語話者が10人以下に限られる危機に瀕する言語であるが、アイヌ語再興の取り組みも活発である。琉球列島の伝統的な言葉は本土方言と違いが大きく、本土方言とともに日本語の二大方言の一つである琉球方言か、日本語とは系統の同じ姉妹語(「琉球語」)か、その位置づけには議論がある。琉球方言(「琉球語」)内部でも地域差が大きく、複数の言語の集合として「琉球語派」や「琉球諸語」と位置づける場合がある[317][318]。
その他の言語は、日本語に単語として取り入れられた外来語を除き、日本人同士の意思疎通にはほとんど用いられず、高等教育の教授言語としても常用されない。日本人にとって最も身近な外国語は国際語[_要曖昧さ回避_]のひとつである英語であり、実務上での便益や諸外国人への配慮から、国際取引や学術研究の場で使用が奨励されることがある。義務教育の中学校の必修科目である外国語科では英語を扱うことが圧倒的に多く、それ以降の高等教育機関でも多くの日本人が英語を学ぶ。とはいえ、多くの日本人にとって、日本語から遠い系統の言語であるため習得が難しく、また日常生活や職務上での必要性が低いことなどから、帰国子女など特殊な例を除き、英語に堪能な者は少ない。
大学で学ぶ第二外国語としては、主にドイツ語・フランス語が選択されてきたが、近年は中国の経済発展に伴って中国語の選択が増えた。朝鮮語(韓国語)は日本人にとって比較的習得が容易な言語であるが、韓国朝鮮系の住民を除いて学習者は多くなかった。近年、韓国の大衆文化が盛んに輸入されていることに伴い、学習者が増加傾向にある。ロシア語の学習者は多くないが、冷戦崩壊後、極東ロシアとの貿易が活発化しているため、北海道や日本海側の都市で外国語表記に取り入れられるなどしている。安全保障上の理由から学ばれている言語は、米軍との意思疎通を図るための英語と、仮想敵のロシア語・中国語・朝鮮語が主である(予備自衛官補の語学技能枠で一般公募もされている)。
外国籍の住民および帰化外国人、日本に定住する外国人が用いる主な言語には、在日韓国・朝鮮人の一部が用いる韓国語、在日朝鮮語、在日中国人・在日台湾人を中心に約80万人が用いる中国語・中華民国国語・台湾語、在日ブラジル人を中心に約20万人が用いるポルトガル語、フィリピン人・欧米人を中心に約25万人が用いる英語などがある。
人口
日本は1950年以降急速な少子化、高齢化が進行している。そして、1970年に高齢化社会(65歳以上の人口割合が7%から14%)に、1994年に高齢社会(65歳以上の人口割合が14%から21%)になり、2007年には超高齢社会(65歳以上の人口割合が21%以上)となった。2015年の国勢調査では前回と比べ約93万3千人減少しており統計開始以来初めて人口が減少した。
さらに見る 時点, 日本人(日本国籍を持つ者)の数 ...
日本の人口推移[319]
時点 | 日本人(日本国籍を持つ者)の数 | 外国人の数 | 総人口 |
---|---|---|---|
2020年1月1日 | 123,250,274 | 125,708,382 | |
2019年1月1日 | 123,900,068 | 126,166,948 | |
2018年1月1日 | 124,349,004 | 126,443,180 | |
2015年1月1日 | 125,319,299 | 127,094,745 |
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地域別人口分布
人口の地域(青)および都道府県(赤:人口大、緑:小)の分布[320]
三大都市圏のある関東首都圏、東海、近畿の3地域に総人口の約3分の2が集中している。
日本の各地方の人口は次の通りである。2020年10月1日に実施された国勢調査による[321]。
北海道地方:522万4614人
東北地方:861万1195人
北関東地方:673万9265人
南関東地方:3691万4176人
北陸地方:513万5475人
関西地方:2054万1441人
中国地方:725万4726人
四国地方:369万6171人
九州・沖縄地方:1424万6438人
福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県
100万人規模以上の人口を有する大都市が各地方に点在しており、国民の多くはこれらの大都市、または、その周辺部で生活している。国土全体を対象とした人口密度調査においても領域国家として世界有数の高さを示すが、沿岸の平野部に都市部が集中していて、国土の1割に人口の9割が住む。また、日本海側に比べて太平洋側に人口が集中している。中でも特に東京を中心とした南関東の人口は、日本の人口の約4分の1を超え、世界最大の都市圏を構成する。そのため、都心部では土地の値段が高騰化し、ドーナツ化現象などの問題も起きている。しかし近年では、特に首都圏では、東京都心部の土地の値段が下落し都心回帰の現象も見られる。
2020年10月1日に行われた国勢調査の人口等基本集計(確定値)の結果、人口総数が500万人を超過する上位9都道府県は次の通りである[322]。
- 東京都:1404万7594人(6402.6人/km2)
- 神奈川県:923万7337人(3823.2人/km2)
- 大阪府:883万7685人(4638.4人/km2)
- 愛知県:754万2415人(1458.0人/km2)
- 埼玉県:734万4765人(1934.0人/km2)
- 千葉県:628万4480人(1218.5人/km2)
- 兵庫県:546万5002人(650.5人/km2)
- 北海道:522万4614人(66.6人/km2)
- 福岡県:513万5214人(1029.8人/km2)
少子化のため、2040年には全国市区町村のうち約半数(896自治体=消滅可能性都市)の存続が難しくなり、かつ523の自治体は人口1万人以下になるとの推定がなされている(限界集落)[323]。
無縁社会
現代社会の特徴の一つとも言える無縁社会がある。他人に対して無関心[324]、家族や人間関係が希薄というのが特徴的である[325]。
少子高齢化
少子化
明治以降の近代化の過程で乳児の死亡率の低下や国力の上昇によって人口の激増が起こった他、戦後のベビーブーム(団塊の世代)により、1950年代までは若年層ほど多いピラミッド状の構成であった。しかし1970年代後半以降、工業化に伴い一人の女性が生涯に産む子どもの数(合計特殊出生率)は人口置換水準の2.1を下回るようになり、2005年には史上最低の1.26を記録した。その後やや回復に転じたものの1.3〜1.4前後で推移する傾向は続いており、世界の中でも低い水準である。
高齢化
高齢化率は2023年時点で29.1%に達し、世界で最も高い。2065年には65歳以上の高齢者が人口の約39%を占め、高齢者1人を1.3人で支える超高齢社会となると予測されている[326]。
経済的に豊かになったことや医学・医療の向上により、平均寿命・平均健康寿命が世界で最も高い国になったが、同時に、介護が必要な高齢者人口の増加にも至った。(育児と同様、)時間の不足や仕事との両立の困難さ、核家族化による祖父母の世代との別居や高齢者のみ(夫婦2人や1人)世帯の増加、地域社会における相互扶助の希薄化などが複合的な要因となり、伝統的に行われてきた家族による高齢者の介護が困難となったことから、2000年に介護保険が創設され、家族・行政・地域社会の協力による政策に転換した。
ソロ社会
日本の社会では2000年代以後、未婚化が増加しており2040年代には約4割が単身世帯になるのではないかというデータがある。[327]時代と共に従来の「家族」という形態に変化がある(要因は未婚、離婚、死別など多様)ことからソロ世帯に対応した社会構想が必要とされている。[328] [329]
就労問題
いわゆるニートは予備群を含めて増加傾向にあり[330]、過去に政府が定義した年齢幅(15〜34歳)から高齢化している実情がある。80代の親が50代の子を面倒みる8050問題が社会問題として話題に上がったが、そのまま親も子も高齢化し、新たに9060問題に移行する可能性があると見られる。[331]
中流意識と格差社会
日本国民の多くは自己の生活レベルが中流であり、特段下でも上でもなく平均ないしは中の中あたりという意識を持っているというデータがある。 しかし、2000年頃から新自由主義的な政策が行われたことで格差社会となり、平成初期まで中流と言われてきた生活様式を実現することは困難になっている。
自殺
自殺は主要な死因の一つである。自殺率はOECDの中では第7位であり[332]、OECD平均と比べ未だ高い数値であるため明らかに要注意であるとOECDは勧告している[333][334]。世界保健機関(WHO)の2010年統計によると、WHOに自殺統計を報告する104か国の中における自殺率の順位は高い方から第6位である(国の自殺率順リスト)。
自殺の原因については、宗教・死生観など日本人の様々な精神性が仮説として提示されるが、依然として解明されていない。政府は、先進国でも極めて高いこの自殺率を重要な問題と認識し、2006年に自殺対策基本法を制定したが、基本的な枠組みを規定するにとどまった[335]。OECDは精神保健政策の緊急の高度を要する課題を指摘している[334]。
日本の自殺者数は1998年に前年から8千人以上増え、年間3万人を超えた。その後も毎年3万人台の自殺者を記録する状態が続いたが、2012年に27,858人を記録して以降減少傾向に向かい、2019年には1978年の統計開始以来初めて2万人を割った[336]。
2023年の数値は21,837人[337]。
性的少数者
日本社会においても性に対する自認や考え方が多様化しており、同性愛、性別違和、両性の自認、無性の自認などがあることから同性婚[_要出典_]など性的少数者に対応した法整備が検討されている[338]。 なお、現在は性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律がある。
平和
日本は、他者の人権の受容、情報の自由な流れ、良好なビジネス環境、資源の公正な配分、人的資本の充実、汚職の少なさ、よく機能する政府、近隣諸国との良好な関係によって決まる2022年の「積極的平和指数」で世界第12位となっている。特に、「人的資本の充実」では、日本は世界第1位である[259][339]。日本の「積極的平和度指数」は2009年の世界18位から12位に急上昇している[260]。
保健
日本の社会的支出(兆円)。緑は医療、赤は年金、紫はその他。2020年以降は予測値[340]。
社会保険方式によるユニバーサルヘルスケアが達成されているが、GDP増加を上回るペースで医療費が増加している[341]。
2017年度の平均寿命は、男性81.09歳、女性87.26歳である[342][343]。女性は世界で2番目男性は3番目の順位である[344]。健康寿命では、男性72.14歳、女性74.79歳[345]。
終戦直後まで結核などの感染症が多かったが、平成30年現在では、一に悪性新生物(癌)、二に心疾患、三に老衰と、生活習慣病を中心とする慢性疾患が主である[346]。
GDPに占める比率が7.8%、政府が負担する比率が81.3%で、一人当たりのGDPが20,000ドル以上の国々の中における標準的な水準である[347]。公費負担率はOECD平均より1割ほど上回っている[348]。
急速に進む出生率の低下・労働世代人口の減少・高齢化社会への対応として、公的医療保険料の増額、医療費自己負担分の増加、後期高齢者医療制度の導入など、一連の医療制度改革により、負担が増加する傾向にある。
医療従事者の人数は、2016年統計では医師が人口1000人あたり2.5であり、一方で看護師は人口1000人あたり11.8であった[349]。
一方で病床数では供給過剰が指摘されており、人口あたりの病床数は世界1位でOECD平均の2倍以上、また患者の平均入院日数もOECD各国中で1位であった[348]。そのため社会的入院などの問題が指摘されている。
検疫など
近年、大学の医学教育や基礎医学研究の場における感染症や寄生虫症の扱いが後退し、麻疹の輸出国として非難されている。また、海外からの病原体の移入や海外旅行者が帰国した後の感染症・寄生虫症などの発症に対しての態勢にも危惧が抱かれている。
社会保障
日本の社会的支出は高齢者に集中している[350]。少子高齢化による医療費負担の増大に伴い、財政の逼迫した健康保険組合が増え、**組合管掌健保や協会けんぽ**の保険料率や国庫負担率の引き上げが議論される[341]。現在、毎年のように国民年金保険料や厚生年金の社会保険負担率が引き上げられて現役世代への負担が増し、公的年金の世代間格差が問題になっている。公的年金の実受給権者数は4,967万人であり、日本の人口の39.5%を占めている(令和2年度)[351]。
戦前
主に家族や地域社会における相互扶助によるものとされたが、軍人をはじめ公務員に特有の恩給制度があった。1942年に戦費の調達を目的に発足した労働者年金保険が、日本の社会保障制度の始まりである。1944年に厚生年金保険法が制定されたのを契機に民間労働者の厚生年金も普及した。並行して民間企業における熟練労働者の長期雇用、年功賃金、企業年金、退職金といった、戦後の日本型福祉社会を担う企業福祉も普及した。
戦後
日本国憲法第25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、すなわち生存権の実現を目指した。政府は、「最低限度の生活を営む」ための児童保育、学校教育、職業訓練、雇用保険(1974年までの失業保険を継承)、障害者介護・自立支援、生活保護といった福祉サービスを提供しつつ、企業福祉を充実させる社会政策を採用した。その過程で被用者保険から外れた対象を救済するため、1958年に官庁や企業に組織化されない対象のために地域保険となる国民健康保険制度が発足し、1961年以降、ほぼ国民皆保険(ユニバーサルヘルスケア)が実現した。また、1959年に企業年金や職域年金から外れた対象のために国民年金も発足した。
近年から現在に至る課題
自営業、非正規雇用、無職を対象とした国民健康保険は2019年には保険料未納率が13.7%まで達している[352]。
日本は文化大国として知られている[353][354][355]。伝統的な日本文化としては、陶磁器や和服・漆器・刀剣・日本人形といった工芸品、文楽・歌舞伎・能・日本舞踊・落語といった芸能、ほかに茶道・華道・武道・書道・俳句などがある。有形・無形の文化財に関しては、国宝制度などを通して保全および振興がはかられている[356]。日本は東アジアに位置しており、現在の中国や朝鮮半島など近隣の地域から様々な文化的要素を取り入れてきた。一方で海洋によって大陸から隔てられた島国であることや、遣唐使の停止や鎖国なども伴い、独自の文化も発展させてきた。現在では情報通信の発達に伴い、世界規模で様々な文化の影響を受けつつ、日本独自の文化の発信も行われている[357][358][359]。また、日本のポップカルチャーは海外からも親しまれている。[360]
美術
弥生時代以降、日本美術は大陸文化をはじめとする外来文化を積極的に吸収しながら発展した。辻惟雄は、日本美術に通底する特色として、先に挙げた「模倣と創造の密接不離な関係」のほか、対象への情趣的な感情移入によるエモーショナルで温かみのある表現、工芸との境界領域の不明瞭さ、制作動機や表現における遊戯的性格を挙げつつ、こうした特色の他方にあるリアリズムの伝統も存在すると述べている[361]。
日本列島では縄文時代より、独自の造形を有する土器や土偶があらわれた。弥生時代には、のちの日本美術の基本的傾向である「平明で単純化された形態」が志向されるようになり、古墳時代・奈良時代には、渡来人により大陸文化の影響が強くあらわれるようになった。6世紀末からは、仏教の浸透にともない日本美術は急速に展開し、飛鳥時代・奈良時代に導入された技術を背景として、平安時代には国風文化が確立した。鎌倉時代・室町時代には南都諸大寺の復興と禅宗の伝来により仏教芸術が新たな展開を見せた。一方で、平安時代以来の王朝美術も潜在しつづけ、安土桃山時代には華やかな城郭建築と静寂な草庵風茶室といった、豪華さと侘びという、一見相反するような様式が両立した。江戸時代には美術の担い手は権力者から庶民にうつり、浮世絵や南画などが繁栄した[361][362]。江戸時代より洋風画が描かれはじめるようになり[362]、明治時代には本格的な洋画家があらわれる。これにともない日本画の近代化も進み、ふたつの様式がおたがいに影響し合うことで日本の近代美術はかたちづくられた[363]。
工芸
先史時代には縄文土器、弥生土器や銅剣、あるいは銅鐸などがつくられた。古墳時代には大陸からの技術伝来を背景に須恵器や金銅製の武具・馬具が、飛鳥時代には仏教伝来により仏具・荘厳具が盛んにつくられるようになった。奈良時代にはこれがさらに精緻なものとなり、平安時代には貴族社会を背景に、螺鈿などをほどこした漆芸をはじめとする装飾芸術が繁栄した。鎌倉時代には武家の台頭により金工・漆工の技術を動員した華麗な武具があらわれる。また、瀬戸焼をはじめとする施釉の陶磁器もこの時代より盛んにつくられるようになった。室町時代には禅宗文化を背景としてシンプルな機能美が追求されるようになった。安土桃山時代からは庶民による工芸文化が盛んになり、各地で様々な工芸が繁栄するようになった[364]。
衣食住
被服
→詳細は「和服」を参照
伝統的な服装として浴衣や振袖、紋付羽織袴などがある。現在は洋服が日常の衣服としては一般的だが浴衣は私服の一種であり若者にも人気がある[365]。
- 浴衣
食文化
日本料理の一例
日本の国土は大部分が温帯に属し、南北に長く、海洋に囲まれているため、四季がはっきりしており降水量も多い。そのため、魚介類や海藻、野菜や山菜、果物など様々な食品が自然の恵みとして得られる。また、稲作の導入、仏教や鉄砲の伝来、鎖国や文明開化、第二次世界大戦などを経て、様々な異なる食文化の影響を取捨選択した独自の食文化が成り立っている。日本の伝統的な食文化である和食はユネスコの無形文化遺産に登録された。特徴的なのは刺身や生卵など生食が見られ、新鮮さや衛生安全性がかなえられている。現在の日本では貿易や情報通信などの発展に伴い、伝統的な日本の食文化だけでなく、世界中の食品や料理、風習などを伴う食文化に接することができる[366][367][368][369][370]。
四季があり降水量が多いため、食材としては米を含む穀物、野菜や山菜などの種類が豊富である。また暖流と寒流が交わる海洋に囲まれているため、魚介類や海藻などの種類も豊富である。これらの食品は、多く採れかつ味の良くなる旬を大事にする形で利用されてきた。一方で、ウシやニワトリなどの肉食が禁止されたことがあることなどの影響から、食肉や乳製品はあまり普及しなかった。現在では食肉や乳製品も一般的に利用されており、また小麦や大豆など輸入が多い食品もある[366][367][369][371]。また、食品の貯蔵や調理に用いた縄文土器や、食器に用いる漆器や陶磁器、調理に用いる包丁など、様々な道具が用いられてきた[367][372]。
一汁三菜など飯を中心としたメニュー、献立が多い。また様々な食品と豊富な水を利用した「だし」によるうま味も特徴として挙げられる[366][367][369]。味付けの多くは、鰹出汁、昆布出汁、醤油、砂糖、塩、穀物酢、みりん、味噌、菜種油で構成される。日本料理の代表として刺身、天ぷら、豚カツ、蕎麦、寿司、すき焼き、和菓子などがある。伝統的な食事は、比較的に栄養バランスに優れ低カロリーという特徴がある。一方で昔では凶作や戦争、貧困などによる栄養失調や生活習慣病もあった[369][373][374]。
食事の際の挨拶や、食器を手に持つことが許され、音をたてて食事をすることに寛容など、独自の作法がある[368][369]。
建築・住居
日本は山林が多く、木造建築が伝統的に用いられてきた[375]。現在では都市を中心として高層建築物も立ち並ぶ。
- 釘を使わず造られた木造建築の清水寺
宗教
イングルハート・ウェルスツェルの文化地図によると、日本社会は世界で最も無宗教的、世俗的、合理的な価値観を持っており、伝統的価値観とは逆の嗜好を持っていることがわかる。世界の他の国と比べても、宗教、伝統的な家族観、権威は世界で最も重要視されていない。離婚、中絶、安楽死は世界の他の地域と比較して比較的容認されていると考えられる。世俗的な合理性と自己表現が同様に重視されている社会は以下の通りである:スウェーデン、デンマーク、フィンランド、オランダ、ドイツ、ルクセンブルク、ノルウェー、アイスランド、スイス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、ベルギー、チェコ、スロベニア、いくつかの英語圏の国[376]。
日本国民の多くは無宗教を自覚しているが、実際は年中行事や冠婚葬祭などで神道や仏教と深い関わりがあり、アニミズム的な考え方も広く浸透している[377]。
音楽
→詳細は「邦楽」を参照
日本の音楽の代表として演歌やJ-POPなどがある[378]。また、伝統的な楽器として琴、篠笛、和太鼓などがある[379]。
鍵盤楽器の代表であるピアノは1823年にドイツ人医師により初めて日本へ持ち込まれたといわれている[380]。
メディア
日本のアニメは海外でも高い評価を受けている[381]。また、日本企業である任天堂よりファミコンやスーパーファミコンが販売された[382]。
コンテンツジャンル
- 日本の漫画
- 日本のテレビアニメ作品一覧
- 日本映画
- その他
インターネット
日本においてもインターネットは重要な情報メディアであり、ネット社会の文化を作った[383]。
観光
日本国内には旅行先として人気の観光地や娯楽・レジャー施設などがある。具体例として海外でも人気の忍者を体験できる文化的なスポットや[384]、東京ディズニーリゾートなどのテーマパークの他に国宝建築物である迎賓館赤坂離宮の見学などもある[385]。
世界遺産
日本は文化遺産と自然遺産の両方が登録されている。 日本を代表する山である富士山も関連する文化財群と共に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録された [386]。
祝祭日
注釈
- なお、東京23区は特別区の集合体であり、ひとつの地方公共団体ではない。
- 日本の憲法体系では、新旧憲法ともに領土規定が存在せず、比較法学の観点ではこれは異例である。明治憲法には領土規定がなく、ロエスレル案の段階においては、領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定は立ち消えたのであるが、実際にはロエスレルの認識とは異なり、日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。この事情は明治政府にとって好都合であったことは確かで露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸国憲法ノ或ハ領土ヲ列挙スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手続ヲ要セス」(上杉慎吉「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた[48][49]。
- [65] によるもの。温帯と冷帯が最寒月平均気温0 ℃で区分されていることに注意すること。
- b:民法第263条は、「共有の性質を有する入会権については、各地方の慣習に従う」と定めるなど、ほとんど慣習法に委ねる規定が民法上に散見される他、b:商法第1条2項は「この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法 (明治二十九年法律第八十九号)の定めるところによる。」とし、商慣習法を民法より優越させる。
- ロシアが実効支配している6村は数に含まれていない。
- 1945-72年に行われた沖縄県のアメリカ統治を除く。また、東京府から東京都、北海道庁から北海道への改称、都道府県間の境界変更などはしばしば行われている。
- 事実上の軍隊として機能しているが、憲法第9条との兼ね合いから正式な国軍化がされておらず、政策的な制約が多く存在する。憲法が特別裁判所の設置を禁じているため、軍法会議も有しない。しかし、ハーグ陸戦条約が定めるところの交戦資格を持つ団体の条件を有しており、国際的に軍隊として扱われる。装備や編成も軍隊に準じており、各種制約を加味しても事実上の軍隊と見做されている。
- 日本有事の際米軍は自動参戦ではない。米軍はアメリカ大統領命令により軍事行動を開始するが、大統領命令から二ヵ月を経過した場合、米軍の活動継続には米国議会の同意が必要となる。最初の大統領命令、そして二ヵ月経過後議会の同意がなければ、米軍による日本の防衛は行われない。[205]
- 特別警備隊(SBU)の隊員は前から1番目と2番目の隊員
- 2017年の国際会議で自由に漁の出来る公海のサンマの資源管理で日本24万トン台湾19万トン中国4.6万トンの枠を提案した。
- 中国、ベトナム、韓国以外にルーツを持つ外国人を指す。
- なお、琉球人[_要曖昧さ回避_]とアイヌ人は遺伝子的には大和人と最も近縁である(斎藤成也、『日本人の源流』、河出書房新社、2017年)。
- 在日台湾人は1930年代に入るまでは少なく、しかもその大半は留学生であったといわれている。[308]
- 朝鮮領域の外に出るものは居住地所轄警察署ないし駐在所が証明書を下付することを規定した。旅行届出許可制。朝鮮籍臣民は日本への旅行(あるいはその名目での転出)は大幅に制限されたが、満州への旅行はほとんど制限がなく、税関審査程度での渡航や旅行が認められていた。李良姫、「植民地朝鮮における朝鮮総督府の観光政策」『北東アジア研究』2007年3月 第13号 p.149-167, 島根県立大学北東アジア地域研究センターNAID 40015705574, ISSN 1346-3810
- これは戦時中に隣組の一員として認めてもらうことができず、配給が受けられないなどの具体的な困難として現れた。
- 裁判所法74条では、「裁判所では、日本語を用いる。」と定められている。
- 外国語を正文とする条約は、日本における国内法的効力に注目すれば、「外国語で記された日本法」ということになる。
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- ASCII. “戦後GHQによる「航空禁止令」(?)とはどんな内容だったのか読んでみよう”. ASCII.jp. 2024年11月16日閲覧。 “この中に「航空禁止令」と一般に呼ばれているものに相当する内容が含まれている。「SCAPIN-301: COMMERClAL AND CIVIL AVIATION 1945/11/18」と題されたたった1ページのタイプライターで打たれた文書で、(中略)タイトルは「Commercial and Civil Aviation」(商業および民間航空)とだけつけられたものとなっている。政府や民間の航空関連の組織の解散などに続けて、4項目目で1945年12月31日以降の航空機や関連部品、施設などの購入・所有等を、ワーキングモデル(作業用模型)も含めて航空機に関係するものを禁止。そして、5項目目では、航空科学や航空力学、そのほか航空機や気球に関係した教育・研究・実験をも禁じている。”
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- 「朝鮮戦争と日本の対応」庄司潤一郎(防衛研究所紀要第8巻第3号2006.3) アーカイブ 2010年12月6日 - ウェイバックマシン 2章P.44以降に詳しい
- ここからの記述について『書評:安井三吉著:帝国日本と華僑-日本・台湾・朝鮮』陳来幸(現代中国研究第19号2006.10.7) から起筆した。
- 明治32年勅令第352号「条約若ハ慣行ニ依リ居住ノ自由ヲ有セサル外国人ノ居住及営業等ニ関スル件」
- 陳来幸2006.10.7によれば「韓国人には慣行により内地雑居が容認されてい(た)」(P.75、PDF-P.3)
- 山脇啓造、『近代日本と外国人労働者』(1994年、明石書店)P.11
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- 梶茂樹・中島由美・林徹編『事典 世界のことば141』(大修館書店、2009年8月初版発行)の「2 沖縄語」(西岡敏執筆)の「どんな言語?」には、「ウチナーグチは琉球諸方言の1つで沖縄方言とも呼ばれ、北琉球方言群に属します。同じく北琉球方言群に属するのは奄美諸島の奄美方言で、こちらは行政的に鹿児島県に属します。この行政区分は、17世紀はじめ、日本の薩摩藩が琉球を攻めて、奄美群島を直轄地に、沖縄諸島以南を琉球王国の支配に任せたことに由来します。沖縄と奄美が言語的に近いのに比べ、同じ沖縄県に属している宮古・八重山の言語は沖縄島の言語と通じ合わないほど異なり、南琉球方言群を形成しています。」と記載されている。
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