ドリームコネクトブログ (original) (raw)
用事があって図書館に行きまして。
図書館や本が好きです。
電子書籍もいいですよ。
紙をさわさわしてめくると、まあまあ幸せ。
運送屋、便利屋でなければ図書館司書や本屋もよかったかもしれません。大学の時に資格取ればよかったなあ。
本屋に関しては、古物商の書籍商があるので、一応夢叶ったとも。
行った図書館は源氏物語を推していました。大河ですからねー。
時間があれば、文学や歴史、哲学の本を読み漁りたいものです。
令和書籍 国史
◎教科書の自虐史観に対する思いがあった。
世界と比較
天皇軸にーわかりやすい
天皇とどういう関係かで物事がおこる
例 紫衣事件
→「後水尾天皇が与えた」
禁中並公家諸法度で江戸幕府>朝廷とパワーバランスが変わったのが確定した。
◎誇りある日本
難関高校用にして、将来的の官僚候補の学生に対する教育。
https://youtu.be/2joHsPABwX0?si=XzRcRW3hfsvB0eHK
https://youtu.be/t5Fy-bIey38?si=ilamPDNkYPNjgCQL
ガイナックスは仲間と一緒に日本最高峰のアニメをつくる英雄譚…と思ってましたが、最初からオタクで人格がぶっ壊れている天才クリエイターの集まりで、
コミュニケーション
金銭管理
経営
などの能力は持たない、あまり成長しないで、元々大問題を抱えつつ、エヴァなどが当たってしまって金があるから延命した気がしてきました。
庵野の表明で、学生時代には戻れないという切ない一文がありましたが、これくらいなら元々学生時代から大げんかしていたでしょう。
ただ、学生時代からの友人はさておき、昔の仲間と復活した例もあります。
村西とおると、AV会社の幹部で「全裸監督」の原作の本の方の作者の、本橋信宏
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/本橋信宏
です。
村西とおるはAVを衛星放送で流そうとして失敗、借金50億になりました。
おそらく本橋信宏と大げんかになってるはずです。
近年、村西とおるの半生を取材して全裸監督を書き、ネットフリックスでアジアで爆当たりしました。
岡田、庵野はまだ65歳前後。
70代に近づいて死が見えてくるとまた違う感覚があるのかもしれません。
今後の関係回復は、まだ期待できるかなあと。
トップ3を作ってるとの話
ガイナックスの版権問題が片付いたらならやっと制作に脳みそが振れる気もします。
ということは死に体になってたガイナックスをとっとと潰して版権をカラーに移し、次の制作にエネルギーを振りたかったということになりますね。
さらにこれだと、旧経営陣の変な見栄とかこだわり、プライド、金で痛い思いしないので単なるクリエイターに戻れるとか。
小樽と周辺地域の歴史年表です。
歴史「コラム」のため、歴史研究ではなく大まかなもとと捉えていただけると嬉しいです。
正確な歴史は小樽市史に載っていますが、個人的にまだ確認していません。
また、古代は諸説あります。
古代は資料が少ないため、本州の日本史や外国と小樽の関係あるかを書きました。
まずはアップして、つどつど更新していく予定です、
◎年表〜古代(平安時代、武士政権以前まで。)
・26000年前?
日本列島ができる
アムール人
シベリアのアムール川から流れて北海道に土着か。
・16000年前?
縄文時代が始まる
・2000年〜1500年前
フゴッペ洞窟、手宮洞窟に壁画が描かれる。
アムール川周辺壁画と類似
フゴッペ洞窟、手宮洞窟に壁画が描かれるのが小樽の歴史の最古と思われ、シベリアのアムール川周辺壁画と類似と言うことは、日本列島ができ、 アムール川周辺から人類が移動してきたと思われる。
・紀元前3世紀〜7世紀続縄文時代
江別土器が作られる。
・この頃
鉄器文化や律令時代文化が道内に伝わる
北海道に住んでいた古代人が、東北〜仙台へ移動か交易し、文化を持ち帰る。
・続縄文時代中期
元江別1遺跡
碧玉などが出土し、ヤマト王権との関連性が確認された。
・7世紀〜13世紀
擦文時代が始まる
・645年
天皇中心の国家へ。
・658〜660年
阿倍比羅夫、 粛慎(みしはせ?)と交戦。
「後方羊蹄」の地に郡代をおき、
地域を後志国と、山を後方羊蹄(しりべし)山と名付ける。
現在の地と地域が同じか不明。
(余市、札幌、江別など複数説あり。)
粛慎(みしはせ?)は読み方も正確に定まっていない民族で、蝦夷(えみし)説、アムール川周辺からやってきたツングース系民族など諸説あり不明。
・701年
国号を日本とし、律令国家へ。
・710年
・794年
・801年
征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)岩手県に胆沢城を築く。
蝦夷(えみし)は関東以北〜北海道に住んでいたと考えられている民族。
アイヌとの関係は不明。
・8世紀〜9世紀
茂漁(もいざり)古墳群(柏木東遺跡)
鉄環、和同開珎を副葬品にする文化があり、本州との繋がりがあった。
和歌山に多いが、関西以外ではあまり流通していない。
・8世紀〜9世紀
江別古墳群
律令政権の強い影響下にあった。
基本的に石狩川を使って移動していると思われるため、恵庭や江別が律令政権の影響下にあるならば、小樽もそうと考えるのが自然。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/石田三成の重臣-島左近のものと伝わる墓から-ほぼ全身の骨発掘-今後年代など調査/ar-BB1nIuip?ocid=msedgntp&pc=NMTS&cvid=d0c21806416846cf982ab116aa4b88e7&ei=16&fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR1QCQBt4ddSTQnCPOt1Klh0azpCL4wXi89QAmh1cEvDlYk-IxcKaUB8cYc_aem_AQhqabOXJL8YZvv-1myxF8Sze56mCkHDUZzMUjJIwAt08wOFCMlX5oKVkwf-k9ZGWnMbFFcx1pPtP52VtAjqwTqZ
島左近は石田三成の家老として人気ですが、やたら活躍時期が長いので親子2代説があります。
奈良の筒井順慶の家老時代があり、成年から計算すると8歳で家老になっていることになりますw
たぶん代々左近だったんでしょう。
斎藤道三2代説みたいなもんでしょうか。
さらに関ヶ原で死なず、京都で1632年に死んだ説があります。
それがこの寺ですね。
この寺は以前行きまして。
島左近のものと伝わる兜があり1632年死亡説があるとここで聞きました。
兜は灰色でサビサビ。
逆にリアル
普段、目にする具足は、博物館などなわけだが、きれいに作って実戦で使って無いものでしょうね。
親子か孫で3代かもしれません。
道東の歴史
江戸時代
場所請負制
(松前藩の報酬制度。米が取れないので港周辺を与え、商人に任せてアイヌとの交易で収入を得る。)
蝦夷地警備
である程度和人が入っていた。
(オホーツク海側を除く)
明治になり分国支配となる。
伊達氏、片倉氏、鍋島氏、稲田氏(蜂須賀家家老)など。
その後開拓使の管轄に戻る。
明治6年の福山、江差騒動(檜山騒動)がきっかけで石狩川流域に屯田兵設置。
帯広は伊豆の人
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/依田勉三
が開拓した。
坂本龍馬の甥で坂本直寛が北光社を作り開拓。
本家当主で丸ごと道内に引っ越す。
薩摩〜大坂で7日くらいなので
天候が良ければ
当然冬は寒いので
津軽藩士遭難事件 斜里
大黒屋光太夫は
伊勢→アリューシャン列島(当時はロシア)
まで漂流
ちなみにジョン万次郎は土佐から鳥島(八丈島のかなり南)まで漂流
アメリカ船に助けられてハワイまで
ということがありえた。