特別展「法然と極楽浄土」で浄土思想を学ぶ(東京国立博物館) (original) (raw)
「大吉原展」をあとにして、トーハクの特別展「法然と極楽浄土」に向かう。いわば「俗」から「聖」へ美術館を巡ることになる。
muranaga.hatenablog.com tsumugu.yomiuri.co.jp www.tnm.jp
Web サイトから展覧会の概要を引用する:
平安時代末期、繰り返される内乱や災害・疫病の頻発によって世は乱れ、人々は疲弊していました。比叡山で学び、中国唐代の阿弥陀仏信仰者である善導(ぜんどう、613~681)の教えに接した法然(法然房源空、ほうねんぼうげんくう、1133~1212)は、承安5年(1175)、阿弥陀仏の名号を称えることによって誰もが等しく阿弥陀仏に救われ、極楽浄土に往生することを説き、浄土宗を開きました。その教えは貴族から庶民に至るまで多くの人々に支持され、現代に至るまで連綿と受け継がれています。
本展は、令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えることを機に、法然による浄土宗の立教開宗から、弟子たちによる諸派の創設と教義の確立、徳川将軍家の帰依(きえ)によって大きく発展を遂げるまでの、浄土宗850年におよぶ歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によってたどるものです。困難な時代に分け隔てなく万人の救済を目指した法然と門弟たちの生き方や、大切に守り伝えられてきた文化財にふれていただく貴重な機会です。
展覧会は 4つの章から構成される。Web サイトにある各章の概要は次の通り:
チラシの表の写真は国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》(鎌倉時代・14世紀、京都・知恩院)である。「来迎」とは、浄土信仰において、臨終のときに阿弥陀仏や菩薩が浄土から迎えに来ること。極楽往生には九つの等級があり、その最上とされる「上品上生」の来迎図を描いている。四角形の画の左上から右下に向かって、スピード感あふれる来迎の様子が「早来迎」と呼ばれている。
「法然」という名は房号(僧侶の呼び名)、諱(いみな、実名)は「源空」。したがって法然の正式な僧名は「法然房源空」である。
難行を積まなくても、何人も「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで極楽浄土に行けるという思想は、ある種の「宗教改革」であり、比叡山をはじめ既存の仏教界からは圧力をかけられ、弟子が死罪になり、法然自身も讃岐の国への流罪となる。この法難で、信頼する弟子である親鸞は越後への流罪となり、今生の別れとなった。
今回の展覧会では、法然の死後 100年ほどして作られた《法然上人絵伝》(知恩院)により、法然の生涯を紹介している。
では阿弥陀仏のいる極楽浄土とはどういうところなのか?それを紹介するのが 8世紀に唐で描かれたとされる国宝《綴折當麻(たいま)曼荼羅図》(奈良・當麻寺)である。極楽浄土とはどういう世界なのか。そこに行くには何をすればいいのか。往生の九つの等級が描かれている。NHK の「日曜美術館」では照明を当てて、何が描かれているのかわかるように紹介されていたが、実際の展示では照明が落としてあり、そのありがたみは伝わりにくい。
江戸時代に徳川家康が浄土宗に帰依、増上寺は江戸の菩提所となった。僕のオフィスは、増上寺のすぐ近くにあり、馴染みが深い。たとえば今年の桜の写真は次の通り:
法然寺(香川県)の仏涅槃群像が、展覧会の最後を飾る。82軀(く)ある群像のうち、26軀が展示されている。法然は讃岐に流罪となり、香川にゆかりがある。初代高松藩主・松平頼重は法然への熱い信仰を持っており、法然寺を菩提所とした。
今回、予習のために読んでいたのは次のムック本である。豊富な図版とともに、法然の生涯、浄土思想の歴史、法然ゆかりの寺が紹介されている。
このムック本の監修者である岩田文昭氏による『浄土思想』も読んでみたい。