【仏像】東京国立博物館・総合文化展(2024年3月27日) (original) (raw)
特別展「中尊寺金色堂」を観たあと、いつものように総合文化展(常設展)にも足を運びました。
仏像は3つの部屋にあり展示替えあり
仏像があるのは1階11室(彫刻)、2階1-1室(仏教の興隆-飛鳥・奈良)、2階3-1室(仏教の美術-平安〜室町)です。11室は多数、1-1室は1〜2体とレプリカ(いつも同じ)1体、3-1室にも1〜2体展示されます。
それぞれ数ヶ月おきに展示替えが行われます。また一部を除いて写真撮影が許可されているのもうれしいです。
その時々の展示内容は、東京国立博物館の本館の案内ページから、それぞれの部屋に入り、「展示作品リストへ」から見ることができます。
本館1階11室
島根県赤穴八幡宮の八幡三神坐像
11室では神像の小特集が行われており、島根県の赤穴八幡宮(あかなはちまんぐう)にある三体の神像(重要文化財)が出品されておりました。
写真は八幡神坐像。体内にあった木札に1326年(嘉暦元年)に「大佛師山城國鏡覺」によって造られたと書かれていたそうです*1。
神像というと、なんだかモヤっと形のはっきりしないものが多いような気がしますが、鎌倉時代だからなのか、この像はきっちりと彫られています。
展示場の解説板によると、八幡神像はふつうは僧侶の姿ですが、この像が貴族の正装なのは、八幡神が応神天皇と同一視されたからだそうです。
仏像と違ってなんか男前のお兄さんですね。
息長足姫(おきながたらしひめ)像です。応神天皇の母親の神功皇后のことだそうです。
神々しさと風格が感じられます。
比売神(ひめがみ)像です。解説パネルによると、比売神は赤穴八幡宮の主祭神と関係深い女性だそうで、応神天皇の妃の姿と考えられるそうです。衣にフリルがついてて可愛いですね。
山形市慈光明院の羅刹女立像は寒河江の慈光寺から移されたもの
羅刹女とは『法華経』の陀羅尼品(だらにほん)に説かれる10人の女性で、初めは人の精気を奪う鬼女でしたが、鬼子母神らと一緒に仏の説法を聞いて心を改め、法華経を守る神女となりました*2。平安後期には、『法華経』の行者を守護するとされた普賢菩薩と組み合わせて、白象に乗った普賢菩薩と十羅刹女の絵が多く描かれるようになりました*3。
山形県の寒河江市にある慈恩寺には、とっても珍しい「木造釈迦如来及び諸尊像」があって、釈迦三尊像・渡海文殊・普賢菩薩及び十羅刹女を合体した、総勢17人の仏像ユニットです(現在7体は欠けてます)(画像)。ぽん太も以前に拝観したことがあります(【仏像】木造菩薩形坐像が美仏!「慈恩寺の宗教と仏像展」2019年、慈恩寺(山形県): ぽん太のみちくさ精神科)。慈恩寺の十羅刹女は、10体のうち4体しかありません。5体は無くなってしまい、残りの1体が今回出品されたもので、山形市内の慈光明院が所有しております*4。
慈光明院は山形市内にあるお寺ですが、というお寺は、1911年(明治44年)創業の仏壇店「長門屋」の敷地内にあります。なんでも初代店主が、信仰心が高じて開基したそうで、ご本尊の阿弥陀如来は寒河江市の慈恩寺から譲り受けたものだそうです*5。羅刹女像も一緒に譲り受けたのかもしれませんね。初代店主は慈恩寺と関わりが深かったのでしょうか。
こんかい出品された羅刹女は写真撮影禁止なので、慈恩寺の羅刹女像が写ったX(旧Twitter)にリンクしておきます。右下の小さな4つの像が羅刹女です。
東博では羅刹女立像がいらっしゃいました。山形の慈光明院所蔵のお像です。以前は同じ山形の本山慈恩寺にいらした十羅刹女の一人です。本山慈恩寺で足りないと思っていましたが少しだけ疑問が解けました。画像は本山慈恩寺です。右下に普賢菩薩様を守るようにしています。#東京国立博物館#11室 pic.twitter.com/cUCSmzRQs8
— もぐじ (@chibiosa1) 2024年1月10日
解説がよくわからない不動明王立像
平安時代11世紀の不動明王立像は、寄贈を受けて東京国立博物館が所蔵するもの。珍しくサクラ材が使われているため、「博物館でお花見を」という東博の企画の参加作品となっております。
ずんぐりした古風な像ですね。解説板には、額の冠帯や肩に垂れるねじれた髪束は円珍が中国からもたらしたものだと書いてありますが、円珍が感得したという園城寺の黄不動の像容とは異なるようで、ぽん太にはよくわかりません。今後の研究課題としたいと思います。
まだいたの?重文の阿弥陀如来坐像
この部屋のお馴染み。以前に書いたので省略(唐風の秋篠寺・十一面観音が出品「総合文化展」東京国立博物館(2023年10月) - ぽん太のよりみち精神科)。
堂々としているが色気はない吉祥天立像
京都府亀岡市の大宮神社の仏堂には、かつて10体の本格的な平安仏が安置されてました。元々は近くの万願寺にあったものでした。以下観仏日々帖 古仏探訪~亀岡市・大宮神社伝来の諸仏像によると、10体のうち薬師如来を除く9体は40年以上前に氏子了承のもと個人に売却されてしまいました。この像はそのうちのひとつを東京国立博物館が入手したもののようです。他に今回出品されている文化庁所有の天王立像と、奈良国立博物館所蔵の聖観音像があり、また兜跋毘沙門天は神奈川電気の創業者の松田福一郎氏が購入して現在は息子の光氏が所有し、また藪本古美術が天部像を所蔵しているようです。残りの4体がいまどこにあるかは、ネットの情報でははっきりしません。
上記のブログには、大宮神社の仏像に関する非常に細かい情報が書かれており、吉祥天女像が大宮神社にあった頃の貴重な写真も掲載されております。関心がある方は一読をお勧めします。
さてこの像、一木造でどっしりと直立しており、お顔も様式的ですね。天女らしい色気はまったく感じられません。よく見ると袖のあたりにノミの跡が残っているのですが、仏像が木かられたことを強調するためにノミ跡を残すことが多いので、ひょっとしたら何らかの御神木から彫られたのかもしれません。
大宮神社伝来のもう一体、天王立像
同じく大宮神社伝来の一体。堂々としたところは前の吉祥天に似てますが、時代が少し下るせいか、腰をひねって動きがあり、表情も豊かです。鎌倉時代の躍動感ある天王像と異なり、力強さと重量感がありますね。
マツコ・デラックスもびっくり!広目天立像
撮影禁止なのでお写真はありません。上半身はこちら(福島県湯川村公式WEBサイト 木造四天王立像)、全身は解像度が悪いけどこちら(東京国立博物館 - 本館(日本ギャラリー) 彫刻 作品リスト)。
す・ご・い・で・す・ね〜。マツコ・デラックスもびっくり。11室おなじみの像ですが、何度見ても迫力に圧倒されます。地方物でしょうが、中央で作られた優美な仏さまにはない、素朴な力強さがあります。
福島県の勝常寺にある四天王のうち、なぜかこの像だけは東京国立博物館にいらっしゃいます。
繊細で美しい千手観音菩薩坐像
11室正面のメインステージには、とっても繊細で美しい千手観音様が戻ってまいりました。南北朝時代の作ということで、装飾性が高いです。台座や光背は当初のものだそうですが、すごく細かく彫られていて、壁に映った影も綺麗です。小さな腕も一つひとつ柔らかですね。
爬虫類系の毘沙門天立像
ここのところ11室に居座る異形の仏さま。鳥というか爬虫類というか独特のお顔です。鎧なども唐っぽいです。9世紀の作、重文です。
むっちりのびやか・十一面観音菩薩立像
こちらも写真撮影禁止。画像はこちらのサイト(http://www4.kcn.ne.jp/~yukiharu/)の真ん中あたりにあります。
2メートルを超える大きな像ですが、なんと一木造。重厚感がありますが、一方で柔和な表情や、右腕の肉付きなど、優しくのびやかな印象があります。
薬師寺の3体の十一面観音菩薩立像の一つ
こちはら非常に優美だがどことなく古風な平安後期の十一面観音さま。なんと奈良の薬師寺のものだという。
薬師寺の十一面観音菩薩は全部で3体あり(すべて重文)、残りの奈良時代の1体と平安時代の1体は奈良国立博物館にあるらしい。
この像も撮影禁止で、検索してもなかなか画像が出てこないのですが、皆さまのために見つけました。2018年(平成20年)に東京の新薬師寺で行われた「もうひとつの薬師寺展」に、3体がそろって出品されたようです。こちらのブログ(もうひとつの薬師寺展 @薬師寺東京別院 : Art & Bell by Tora)の2枚目の写真に、3体そろった写真があり、向かって一番右が東国のものです。またこちら(もうひとつの薬師寺展 | ♫♪♪j♫天晴茶龍でお茶しましょ∮♫♪♬♫♬)の上から4枚目にお顔のアップがあります。美形でしょ? 惚れてまうがな〜。
本館1-1室
中村勘九郎そっくりの如来坐像
飛鳥時代の金銅仏で、神奈川県の松蔭寺に伝わったもの。写真撮影禁止ですが、こちらの論文(神奈川・松蔭寺所蔵銅造如来像(伝阿弥陀如来像)とその伝来)に美しい白黒写真とくわし〜〜い解説があります。
中村勘九郎のようなお顔で、飛鳥時代らしくのんびりほのぼのした仏さまです。
おじいさんまた面会にきました・如来立像
何回かお目にかかっているので、今回はサイドからの写真をアップ。飛鳥時代らしく薄っぺらくひょろっとしていて、お腹を突き出したS字体型。ぽっこりお腹になりやすいので、骨盤を立てるように気をつけましょう。この時代は金銅仏が多いなか、木造なのが珍しいです。
本館3-1室
なんと紙でできた文殊菩薩立像
撮影禁止なので、お写真は例えばこちらをどうぞ(九州国立博物館)。
弥勒菩薩で有名な奈良の中宮寺に伝わる、像高50cm程度の鎌倉時代の文殊菩薩像。驚くべきことに「紙」でできてるそうです。紙製の仏像は、ぽん太は初めて見ました。経典の巻物を芯にして紙を貼り重ねて造られておりますが、後年の虫対策なのか表面は漆で覆われてしまっているそうです。珍しいものを見ました。
密教では文殊菩薩は、清純さを表すために髷(まげ)をゆった童子形となりますが、この像は5つの髷を持つ「五髷文殊」です。右手で剣を立て、左手で経典を持つ定型のお姿ですね。
展覧会情報と出品リスト
総合文化展
東京国立博物館
2024年3月27日
本館11室
2024年1月2日~2024年4月7日
★◎初 八幡神坐像(八幡三神坐像のうち) カヤ材 像高72.4cm 慶(鏡)覚作 鎌倉時代・嘉暦元年(1326) 島根・赤穴八幡宮蔵
◎初 息長足姫坐像(八幡三神坐像のうち) 檜材 像高44.2cm 慶(鏡)覚作 鎌倉時代・嘉暦元年(1326) 島根・赤穴八幡宮蔵
◎初 比売神坐像(八幡三神坐像のうち) 檜材 像高44.8cm 慶(鏡)覚作 鎌倉時代・嘉暦元年(1326) 島根・赤穴八幡宮蔵
・初 羅刹女立像 平安時代・12世紀 山形・慈光明院蔵
・ 不動明王立像 サクラ材 像高59.9cm 平安時代・11世紀 岡野哲策氏寄贈 C-1851
◎ 阿弥陀如来坐像 京都府船井郡京丹波町・長楽寺伝来 平安時代・久安3年(1147) 文化庁蔵
★初 吉祥天立像 京都府亀岡市・大宮神社伝来 平安時代・10世紀 C-1833
◎初 天王立像 京都府亀岡市・大宮神社伝来 平安時代・10~11世紀 文化庁蔵
◎ 広目天立像 平安時代・9世紀 福島・勝常寺蔵
★ 千手観音菩薩坐像 南北朝時代・14世紀 C-306
◎ 毘沙門天立像 平安時代・9世紀 和歌山・道成寺蔵
◎初 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 奈良・子嶋寺蔵
◎初 十一面観音菩薩立像 平安時代・10~11世紀 奈良・薬師寺蔵
本館1-1室
2024年1月2日~2024年6月30日
・ 如来坐像 飛鳥時代・7世紀 神奈川・松蔭寺蔵
★ 如来立像 法隆寺献納宝物 飛鳥時代・7世紀 N-193
本館3-1室
2024年2月20日~2024年4月7日