poppinzmamablog (original) (raw)
24年9月に発売されたこの本。
衝撃的なタイトルに、思わずアマゾンでポチっとした。
私がポチった翌日には完売で、中古本が5000円になっていたという。
(転売ヤーと言われる人がいるのだなあ、ほんと腹立つ!)
楽天で注文した友人が何人もいるのだが、みんな届くまでにはしばらく時間がかかりそうだと言っていた。
内容について書く前に、この本に関して様々なことが言われているので、それを先に書いてみる。
まず、この本が出た時、「内部告発本だ!!」という喜びの声があった。
なぜ喜ぶかと言えば、
レプリコンワクチンは超絶危険だから、絶対に打ってはいけない!と言っている人が多くいるから。
内部告発本ではないとしても、製薬会社の社員たちが書いたもの、よくぞ書いてくれた!と話しているYouTubeを何本も観た。
その後、本の中身を読んだ人からの内容紹介が出てきて、
「かつてからあったワクチンは安全だと書いてある。ワクチンそのものが危険なのだから、そこがおかしい! 読むに値しいない本だ」というものがあった。
「10月から接種が始まるというこのタイミングで発売開始になったのは、怪しい。反ワクへのガス抜きではないか」ということを言う人もいる。
この本を書いた人は実名ではなく、チームKというグループで、首を覚悟で書いたもの。でも、首にはなっていないようだから、会社も分かっていて本を出したのではないかと言っている人もいる。
出版社は方丈社という小さな出版社。
サイトを見ると、本の内容が書かれている。
日本で最もたくさんのワクチンを商品として販売してきた製薬会社。
その会社で若手のホープとして期待を集めていた影山晃大氏が、26歳で突然の死を遂げた。原因は2回目のコロナワクチン接種。
その後、国からも正式に被害者認定を受けた。
「完全に健康で、あれほど元気だったのになぜ亡くなったのか?」
彼の死亡に衝撃を受けた同僚社員たちは、mRNAワクチンの危険性について広くリサーチを始める。
調べるほどにわかったことは、コロナワクチンをめぐる厚労省の施策が、それまでの医療業界の倫理や常識をズタズタにする異常性に満ちていた事実だった。
この「常識外れ」の原因は一体どこにあるのか?亡くなった彼や遺族の無念に思いをいたし、有志数名のチームで、〝今後新たなワクチン薬害を広めないように″と、本書の執筆開始を決意した。
著者名は「チームK」。亡くなった影山晃大氏の無念を無駄にすまいとの思いによる命名であった。本書では、あくまでも、厚労省を始めとする公的機関や会社のプレスリリースなどで発表されているオープンソースのデータをもとに、さまざまな検証が進められている。
次に来る危機の中心として、世界に先駆けて日本だけが承認した「新mRNAワクチン=レプリコンワクチン」の本質的危険性を訴え、さらには、安全とされてきたインフルエンザワクチンが、近い将来危険な変貌を遂げることにも警鐘を鳴らす。仕事としては、安全性に多くの疑義を残すレプリコンワクチンを病院や医院に売らなければならない立場だが、自分たちの良心との葛藤は強まるばかり。
「この商品だけは売りたくない!」
「家族や子ども、友人・知人にも打たせたくない!」
「誇りを持って働いてきた我が社は一体どうなってしまうのか……」若くしてコロナワクチンのためにこの世を去った同僚の死を無駄にしないためにも、一人でも多くの読者に真実の情報を知らせたい。
そして自らの意思で正しい未来を掴んでほしい。
日本人を実験動物として扱うかのような狂気の政策の同伴者であることに絶望を抱きつつも、国民自身が正しい情報を得ることこそ、正しい選択のための唯一の前提であるはずとの信念から書かれた、医療業界内部の熱き良心が形となった1冊。
上の紹介文は、アマゾンにも書かれている。
アマゾンでは欠品でなく、通常に発売されているようだった。
アマゾンでは、レビューが1300ほどついていて、そのうち80%が★5つだった。
そのうちのいくつかを読み、★1や★2はどんな理由なのか気になって、そちらも読んでみた。
・首をかけて書いた!と書いているが、本気でこのワクチンを止めたいのであれば、チームKなどと匿名にせず、堂々と実名を出し、会社と闘ってから辞めればいい。
「私たちは売りたくない!」などと書きながら、会社を辞める気がないのなら、それはアリバイ作りでしかない。
そんな内容のレビューがいくつかあった。
さて、この本を読んでの私の感想を書いてみたい。
(1)コロナワクチン(mRNAの)について詳しく書いてあるので、あまり知識がない人が読むには分かりやすい内容だと思った。
私はこの3年、本やネット記事や動画などで様々調べて来たので分かっている内容だが、再確認にはなった。
(2)従来のワクチン(不活化ワクチン)は安全だが、コロナワクチンは危険だという論調は、製薬会社に勤めていれば、そういう考えから抜け出せないのは仕方がないのではないかと思った。
世間一般でも、ワクチンそのものを疑う人は少ない。私も以前はワクチンの危険性を知らなかったし、そういう話を聞くと、うそ!それは偏った話だと思っていた。だから、自分の子どもたちには母子手帳に書いてある予防接種は全部受けさせた。
いつからかはっきりしないが、ワクチンに、と言うより、現代医療に懐疑的になった。
決定的に分かったのは、やはりコロナが始まってからだ。
人間の持つ免疫力を上げるという話は全く無しに、ひたすらワクチンさえ打てばコロナにならないという論調に疑問しかなかった。
話を本に戻そう。
(3)同僚の死をきっかけにコロナワクチンを調べていって、その危険性に気付き、これ以上薬害を広げたくない、会社にも誇りを持っているゆえに、会社にはこの危険なワクチンを売ることを止めてほしい。葛藤しながらこの本を書いた、というのは、読んでいる間は納得できたが、今思うと、何か違和感をぬぐえない。
この本を執筆しながらも、チームKたちは営業の仕事は継続したのだろう。
薬害に加担したくないという気持ちがあるのなら、仕事辞めろよ!と言いたくなる。
何か変だ。
(4)レプリコンだけが危険だという捉え方をする人もいると聴いたが、本を読む限り、mRNAのワクチン全体が非常に危険だとかいてあり、しかも、今後インフルエンザや帯状疱疹、肺炎球菌などのワクチンも、mRNA型に置き換わっていくことは決まっていることが書いてある。それは人々への警鐘として、よく書いてくれたという思いになった。
(5)ワクチンを作っている製薬会社の社員が書いたということで、今までワクチンの危険性を認識しようとしなかった人にも、関心を持ってもらえ、接種を思いとどまってもらえるだろうと思う。
そういう意味で、この本の存在価値はあると思える。
裏事情がどうであれ。
ワクチンそのものが、非常に危険なものだと分かってきた。
そう思うと、生後数カ月で接種する予防接種が果たして安全なのか? 本当に必要なものなのか? 疑問が湧いてくる。
医者によっては、発達障がいの一因になっていると言う人もいる。
ワクチンの中身について知ると、それもあるのかもと思えてくる。
また、13歳~18歳くらいで接種を勧められる「子宮頸がんワクチン」についても、治ることのない後遺症に苦しんでいる女子たちの動画を観たら、怖いとしか思えない。
薬害でいまも裁判は継続中だ。
子宮頸がんワクチンについて調べていたら、以下のブログが出てきた。
長野県にあるたかはしクリニックの院長が書いたもので、文字が細かいけれど、メリットとデメリットが書いてあり、読むと良いと思った。
コロナワクチン接種が始まってから、死の因果関係を認められただけでも2000人以上いる。
後遺症で苦しんでいる人は何十万人。いやもっといるのかもしれない。
2021年から死者数が増えている。
そうした情報はほぼ表に出てこない。
YouTubeは削除されまくっているのだそう。
日本の言論統制はどんどん酷くなっていっているという。
この本を書いた社員が勤める「明治製菓ファルマ」の小林社長は、ワクチンの危険性をデマだとして、そのデマを広げている人たちを相手に訴訟を起こすというニュースもある。
MeijiSeikaファルマは9月25日、次世代型mRNAワクチン「コスタイベ筋注用」についての記者説明会を開催した。同社代表取締役社長の小林大吉郎氏はSNS上を中心に広まるレプリコンワクチンへの指摘に対して、科学的知見に基づいて回答。事実に反する非科学的な情報を繰り返し発信する専門家には「法的措置を含め厳正に対処していく」と厳しい姿勢をみせた。
小林氏は、日本看護倫理学会が8月8日に発表したレプリコンワクチンに対する懸念を示す緊急声明について「内容を見ると誤解や不認知に基づく記述が見られ、正確な情報が届いていないのではと考えている」と述べ、「正しい知識を持ってもらうため、論文や科学的根拠に基づくデータを示し、修正を依頼する書面を送付する予定」と説明した。
ポピンズ本やニュースの10月号を書いてみた。
高齢者や周りの人たちに手渡していきたいと思って。
レプリコンワクチンは採用する医療機関は多くはないそうだけど、レプリコンに限らず、もうこれ以上のワクチンは接種しないようにする人が増えてほしいと思う。
回数を増やすたびに、免疫力は落ち、発がんのリスクが上がるそうだから。
この7月以降、私はチラシを作成して、出会う人に手渡ししている。
一番の目的は、にこにこ脳活スクールに来ている人に伝えるため。
どんなことを書いているか?
以下に文章を紹介する。
梅雨明けして本格的は暑さになりましたね。
私が子どもの頃から比べると、夏の暑さは1.5倍くらいになったような気がします。30度越えの日はそんなになかったような記憶です。
反対に冬は暖かくなっていますね。
氷柱や霜柱など滅多に見なくなりました。
地球温暖化!? いやここにも利権があるようです。さて、2020年から始まった新型コロナ感染症騒ぎ。
パンデミック!
始まった頃は私も不安と恐怖を感じました。
世界中でバタバタと人が死ぬ?
葬儀場が間に合わない?
人と距離を取ったり常時マスクしていないと簡単に移ってしまう?
もうどこにも行けないし、家族以外誰とも会えない?いや、ちょっと待って!
私の周りには感染した人なんて0人!
友だちや知り合いのその知り合いを見回しても、ほぼ0人!
ん?これおかしくないか?
ちょっと冷静になって調べてみたら、
あれ?あれ?
これはパンデミックではなく、プランデミック!
計画的に起こされたパンデミック(世界的規模で流行するという意味)でした。21年からワクチン接種が始まりました。
私は当初から「これは危険だから打たないでね」
と伝え続けてきましたが、残念なことにほとんどの人が接種してしまいました。そりゃ仕方ないですね。
医者でもない私の言うことより、
テレビに出てくる「専門家」の言うことの方が何倍も信用できると思うでしょう。
でも、テレビやネットでワクチン推奨している人って、
製薬会社から多額の寄付金をもらっているのだそうです。一方で、
「ワクチン危険」を訴えている医者や専門家は、
世の中から批判され、中には仕事を失い、
命まで狙われたりした人もいるわけで、
あなたはどっちを信じますか?という話。私は後者の人たちの情報を信じたいと思って、
この3年間いろいろと調べてきました。私の周りには私と同じ考えの人が多くいて、
私自身は特に人から批判されるとかはありませんでした。
中には離れていった人はいますが、
反対にこの4年間でとても多くの人との出会いがあり、
たくさんのことを学ばせてもらいました。
中身の濃い4年間だったと思っています。ところで、ワクチン接種が始まってから、
めちゃめちゃ多くの人が亡くなっています。
新聞のお悔み欄を見ると、
以前は珍しかった70代以下の死亡がすごく多くなっています。また、帯状疱疹をはじめとして、
癌や原因不明の病気も増えているようです。
子どもたちの体調不良も増えていると実感します。
それはいろんな理由があるのでしょうが、
一つにワクチン接種により免疫力が非常に下がっていることがあるそうです。そんな情報は、テレビでも新聞でも大きく取り上げられることはありません。
だから、年齢に関係なく、知らない人が多い。もしかしたら、うすうす知ってはいるけど、
あえて知らん顔しているのかもしれませんが。
春ごろから、この秋からはレプリコンワクチンというものが接種されるという話が出ていた。
このレプリコンワクチンというのは、本名?が「コスタイベ筋注用」と言い、別名は「自己増殖型ワクチン」と言われるもの。
アメリカで開発され、明治製菓ファルマという日本の会社が作っている。
世界で承認されているのは日本だけという。
開発したアメリカでは承認されていない。
ベトナムでは16000人で治験が行われたけれど、
危険だからと承認されなかったのに、
何故日本だけが承認して接種をするのか?
まるで理解ができない。
日本を「治験国家にする」と岸田首相か厚労省大臣が言ったとかいう話もある。
治験用のサルが1匹600万円とかするので、人間で治験をするという話もある。
8月くらいからネット上では、「ワクチンを接種した人は来店お断り」という張り紙を出すお店が出てきたり、医院でもそういうことを言い始めたという話が出て来た。
それに対して、それは差別ではないか?という批判が出て来た。
まだレプリコンと決まったわけではないのに、
マスク非着用者やワクチン未接種者を来店拒否したのと同じことをしている!というものだった。
私はチラシの中で、
「レプリコンワクチンを接種した人は2か月間脳トレ教室を休んでほしい」と書いたので、その批判は私にも当てはまると思った。
しかし、たとえレプリコンではないとしても、これ以上のワクチン接種をするとあまりに危険であること、またシェディングの危険性も伝えたいと思ったので、表現は変えないことにした。
実際、このチラシを配布して話をしたところ、ようやく危険性を理解してもらえたという実感があった。
私はワクチン接種当初から何度も話をしてきたつもりだが、7回接種した人が何人もいて、その時は「分かった」という顔をしていても伝わっていないことに少なからずショックを受けた。
それは、私の話を信じないというより、接種券が来ればそれに従うことを善とする価値観が勝ったということだ。
まさか、日本政府が、お上(地方行政)が、自分たちに悪いことをするはずはないという、ある意味当たり前の感覚がある。
でも、もう打たないでほしい!
ワクチンを接種して実に多くの人が亡くなり、 何万にもの人が後遺症に苦しんでいる。
SNSでずっとワクチンの危険性を配信している鹿医師の投稿。
2024.7.31鹿先生
2024年の秋接種にレプリコンという新しいmRNAワクチンが登場する。
安全性を高めたのではなく発症予防効果を期待して。ところがタンパクを作り続ける弊害やウイルス様粒子を作るリスクがある。
日本で大規模に打たせて、そのリスクを確かめたいコメ
まさに日本は治験国家になった… pic.twitter.com/XWYeV75zXB— 福田 世一@小倉台福田医院 (@fseiichizb4) 2024年7月31日
以下はインフルエンサーダニエル社長の投稿。
いま大事件が起こっていて、国がすさまじい勢いで「コロナワクチン死亡」を認めはじめています。
厚労省データによると、すでに正式な死亡認定は716名。
300億円以上の「ワクチン死亡一時金」が国民の税金から支払われることが決定しました。
とんでもない大事件ですよ?… pic.twitter.com/6JtfhDFB5p
— ダニエル社長@令和の軍師 (@danielchannel) 2024年8月1日
今多くの人が、承認されないように動いたり、一人でも接種する人を減らそうと、様々な動きをしている。
Trilliana華さんの投稿。
【レプリコン承認会議前夜の感謝】…
— Trilliana 華 (@Trilliana_x) 2024年9月11日
残念なことにレプリコンワクチンは承認されてしまった。
もう一人一人が地道に、「打たないで!」と伝えていくしかない。
<注>
秋からの定期接種は、有料になっている。
行政によって、金額は違っている。
ワクチンはレプリコンだけでなく、何種類かある。
その中のどれを選ぶかは、医療機関が決める。
テレビチャンネルCBCでは大石邦彦さんが、
3年前からワクチンについて取材をして報道している。
これを観て、危険性を知り3回くらいで止めたという人がいる。
何度も紹介をしているけど、観てないか、
観ても自分は大丈夫と思ってか、7回接種している人もいる。
YouTubeで配信されているので、観てほしい。
話をすると、私の周りでは、
「3回くらいで止めた。もう打たないよ」
「まだワクチン打っている人がいるのですか」
と言う人が多い。
人によってはもう過去のものになっているという人もいる。
だから関心すら持っていないという感じである。
でも、ぜひ関心を持ってほしい。
周りの人に伝えてほしい。
危険性が大きいワクチンは打たないで!と。
定期接種というのは、インフルエンザと同じように、毎年打つということである。
(この3年間は臨時接種だった)
新型コロナ感染症はもう「風邪」である。
インフルエンザも「風邪の一種」である。
風邪を予防するとか治す薬はないというのが定説だったではないか?
罹らないように、
罹ったとしても軽くすむように、
自分の免疫力を高めておくことに意識を向けたい。
帯状疱疹ワクチンも、
肺炎球菌ワクチンも、
子宮頸がんワクチンも、
赤ちゃんへの予防接種も、
免疫力を下げてしまうもの。
だから安易に打たないで、よくよく調べてほしい。
最終日は8時50分の搭乗なので、もう帰るだけ。
福岡空港国内線の建物まで徒歩10分もないくらいの場所に位置するゲストハウスを出て、搭乗手続きをした。
お土産物をもう少し買い足そうと何軒か見ているうちに8時半を過ぎたので、慌てて搭乗窓口へ行って乗り込んだ。
フライト時間は55分。うとうとして、ドリンクを飲んで、窓の外を眺めていたら到着した。
名古屋空港には分かりやすい看板があった。
孫は旅行中それなりに緊張していたようで、いつもより抱っこをせがむことが多かった。
ここに戻って少し緊張が解けたのか、荷物受け取りの場所で、急にウサギやカエルになって床を跳ね回っていた。
初めて飛行機に乗ったのは、新婚旅行で北海道へ行った時だった。
北海道から帰った一週間後に123便の御巣鷹山墜落の事故があったので、あの事故のことは鮮明に覚えている。
何年か前に、あれは事故ではなく「事件」だったという話を聞いた。
理由があって打ち落とされたのだという。
いろいろと不自然なことが有り過ぎるそうだ。
つい最近もそんな話題がSNSを賑わしていた。
何が真相なのか分からないけど、とにかく飛行機が落ちてもらっては困る。
でも、飛行機が落ちる確率って、車の事故より低いらしいので、あまり心配しなくてもいいのかな。
セントレア空港から名鉄電車に乗り換えて、金山で乗り換える時に、お昼ご飯を食べることにした。
旅行中、記念撮影をしようとすると顔を背けたり下を向いたりして、なかなか正面を向こうとしなかったのに、金山でランチしたあとこのパネルの前で、急に「写真撮って~」とポーズ取り始めた。
お蕎麦を食べて、13時半くらいのJRに乗って中津川の駅に到着した。
婿さんが駐車場まで車を取りに行ったのだが、電話がかかってきて、料金が1000円札しか使えなくて出るに出られないとのこと。
駐車場ではたまにこういう精算機がある。
それで私は車の中にひそかに1000円札を隠してある。
娘が駐車場へ向かったあと、孫がおしっこと言い出した。
荷物が5つもある。とても運んでなど行けない。
仕方なく、荷物をそのままにして、孫をトイレに連れて行った。
荷物は盗まれることもなかった。
日本は治安が悪くなったとはいえ、まだまだ安心だよね。
家に帰りついたのは4時前だった。
旅行に行って帰宅がこんなに早いのは珍しい。
荷物を片付けて、洗濯までできた。
そして、夕飯は夫が戻ってきたので、お土産の鯖寿司を食べた。
孫は家に帰らず、そのままお泊りして、大好きなじいちゃんと寝んねした。
旅行中気になったことを書こうと思う。
1つは行きの飛行機の中でのこと。
私の席から見える範囲で3人の男性が、離着陸の時もずっとスマホに見入っていた。
3人ともに映画を観ている様子だった。(ゲームではなさそう)
電子機器はオフにするか機内モードにしてとアナウンスがある。
映画であってもスマホに落としてあれば問題はないのかもしれないが。
特に1人は1歳半くらいの子どもを片手で抱っこしながら、スマホを観ていた。
そこまでして観たい映画って何なの?
もう1つは、2泊目のホテルでのバイキング時のこと。
私たちのテーブルの向こう側に10数人の家族連れが座った。
70代のご夫婦と、その息子さん娘さん夫婦や子どもたち。
私の実家もよく大家族で旅行していたので、微笑ましく眺めていた。
ところが、4歳くらいの女児と小6か中1かという女の子が食べてる様子が目に入って、う~んと疑問を感じてしまった。
バイキングだから好きなものを取ってきて食べてもいいわけだが、二人はスイカを山盛り持って来ていて、ご飯類を食べないでスイカを食べているのだ。
女の子の前にはスイカとご飯があって、どうもスイカをおかずにご飯を食べている様子。
お母さんらしき人も目の前に座っているけれど、注意をするでもない。
旅行だから好きにさせているのか?普段からそういう感じなのか?
まあ、よそ様のことだから目くじら立てることもないけど。
娘も気付いていて、二人で首をかしげてしまった。
孫もデザートを食べたいばかりに、持ってきた料理を一口ずつしか食べなくて、それを全部食べ終える前にデザート食べさせちゃったから、偉そうなことは言えないけどもね。
バイキング場では、大人でもそりゃあマナー違反でしょと言いたくなるような場面に出くわしたりもする。
娘が「こういう場ではよそ様は見ない、見ない」と言った。
平和公園の爆心地だったところにある浦上天主堂の一部(移動したもの)
今回止まったホテル、旅館ではあまり外国人は見なかった。
海外の人たちはもっと高額なところに泊まっているのかな?
この数年で宿泊代は爆上がりしている。
前は8000円くらいで泊まれたホテルも、軒並み15000円とかになっていたり、夕飯付きだと25000円以上だったりする。
長崎にっしょう館は朝夕付きで13000円くらいだった。
良心的ではある。
働いている人はシルバーさんか?というような年齢の男性が多かった。
そんなところが安さの秘密なのかな?
いろいろ思ったりもしたが、楽しい4日間を過ごすことができて本当に幸せだった。
3日目の朝のバイキング朝食
お昼に食べたいと思っている長崎皿うどんとちゃんぽん。もしかしたら食べられないかもしれないので、念のために?少しだけど食べておいた。
(お昼は別のものになったので正解)
娘は昨夜のバイキングで、島原そうめんや名前忘れたうどん、沖縄ソーキそばまで麺類を制覇したと言っていた。
せっかくだからここでしか食べられないものを食べた方がいいよね。
2日目の最後にも入れた写真。
朝食会場の窓から撮影した。
長崎駅が見える場所に位置する旅館。
9時にチェックアウトして、最初に向かったのは平和公園。
今日は8月15日。
言わずと知れた終戦記念日。
その日に平和公園と原爆資料館へ訪れることができたことは少し感慨深い。
長崎は大学時代に友人と3人で来たことがある。
もう50年近く前のことなので、ほとんど覚えていない。
なぜか、長崎は「信号が少ない」ということだけよく覚えている。
タクシー運転手が教えてくれた。
確かに車を走らせていて、岐阜や愛知だったらきっとあるような交差点に信号がない感じがした。
交差点では左右を確認して、自分の判断で渡るとか曲がるとかしなくてはならない。
何度かまごまごしてしまった。
さて、話を戻して、平和公園の中の像をゆっくり見ながら、爆心地まで下りて行った。
川沿いには、ピカソのゲルニカを模した、世界の子どもたちの絵画が飾られていた。
原爆資料館まえの母子像。
公園にはあまり人がいなかったが、資料館の中は思った以上の人が見学していた。
子どもの姿がけっこうあった。
夏休み中でしかも終戦記念日ということもあるのか分からないが、お盆休みとなるとこういう場所より海とか遊ぶ場所を選びがちではないか。
娘と、子どもたちがしっかり見学していることはいいねえと話した。
展示物は、私の感覚では広島より良いと思えた。
広島の資料館は話題にもなったことがあるが、展示物が優しくなったというか、酷い惨状のものは減ったと言われる。
20年ほど前に中1の息子と広島の平和学習という旅行に参加したことがある。
あの時、被爆体験者の話を聞く機会もあったし、展示物の裏話も聞かせてもらった。
悲惨な写真などは展示物から外されているのだそうだ。
その代わり、夏になるとあちこちで写真展が開催されるとのことで、私たちもどこかの写真展に行った。
そこには目を背けたくなるような写真が展示されていた。
資料館では、気分が悪くなるような人が出たりしたので、そういうものは排除されるようになったのだそうだ。
それで良いのか?と私も思った。
終戦記念日と言われるが、終戦ではなく「敗戦」という言葉を使うべきではないかという説がある。
日本は「終戦」し、その後「独立した」ことになっているが、実は「独立などしていない」ことが、だんだん分かってきている。
それは表向きには絶対出てこない話だが、この数年、さまざまな本や記事、動画などで学んできて、最初は半信半疑だったが、そう考えると今の日本の政治や経済状況などが腑に落ちるようになった。
今、第三次世界大戦の真っただ中という話もある。
ドンパチなどしなくても、人を傷つけ、国を衰退させることはできるのだ。
原爆でなくても、多くの命を脅かすことはできる。
そんな中でどう生きていくのか。
いろいろ考えながら平和公園、資料館を見学した。
その後、出島へ移動した。
ここが出島か?と立ち寄った場所は、港が見える飲食場だった。笑
一応記念撮影。
その後、本当の出島の近くの駐車場に車を入れて、出島の入り口まで歩く途中で、
「パフェ発祥のお店」という幟と看板を見つけた。
パフェ発祥のお店!!!
思わず足を止めて、看板に見入った。
爽やか味グラタンって??
これも気になる。
すると、お店のドアを開けて、店主と思われる男性が声を掛けてきた。
「他にはない食感のグラタンですよ~」
呼び込みをするカフェ!!
そこに受けた!!笑
出島の中には食べるところもあるようだけど、ここでも良いんじゃない?とすぐに相談がまとまり、お店に入ることにした。
子どもといえども1品は注文してくださいと言われたので、グラタンを2皿とパフェを2種類注文した。
グラタンは確かに爽やかだった(軽いというか)。
4人であっという間に平らげた。
孫は焦げのところまで削って食べた。
パフェは、それはもう最高に美味しかった。
グラタンもパフェも、良い素材を使っていることが分かった。
店主も話してくれたけど、口に入れると変な脂分もなく、そのわりに濃厚。
どちらも名前はすっかり忘れたけども。笑
どちらも一番食べたのは孫だったに違いない。
値段もそこまで高くもなく、こんなお店が近くにあったら頻繁に行きたい。
テーブルは4人掛けが4つと、2人掛けが2つ。
お客さんは途切れることなく入ってきた。
そして、お店の前の看板に立ち止まる人がいると、さっとドアを開けて呼び込みをする店主。商売魂を見た気がした。
大満足して、出島の入口へ向かった。
私は出島はもっと海に面してあると思っていたのだけれど、違っていた。
この橋を渡ると出島になる。
たまには私の自撮り写真でも使ってみよう。笑
下は出島のミニチュア。
建物の中に入ると涼しいけど、外を歩くと暑くて汗がどっと吹き出し、出たり入ったりしているうちに疲れてきて、足も痛くなったので、私は全部見ないで先に車に戻ることにした。
写真を撮る元気もなかった。
娘たちが戻って、そろそろ福岡へ向けて出発しなければならないが、一か所、福砂屋のカステラを買いに本店に行こうということになった。
駐車場も狭く2台しか置けないけれど、何とか停めれたので、お店に入ったが、新製品のカステラは残念ながら売り切れ。
普通のカステラを購入し、一路福岡へ戻った。
有料でイイから一切れその場で食べれたらいいのになあと思った。
長崎から福岡はほとんど高速道路。
途中雨に降られたけれど、渋滞することもなく、1回だけSAでトイレ休憩して、レンタカー返却時刻より30分早めに到着した。
宿泊は福岡空港の近くにとってあるので、博多駅で夕飯を食べることにした。
お昼ご飯がちょっと少な目だったから、しっかり食べたいねと、選んだのは寿司屋。
婿さんはベジタリアンなので、中華とか肉が主のお店は選べない。
回らないお寿司屋さんには滅多に入ることはない。まあ、旅行中だからね。
にぎり寿司、海鮮丼を注文。
孫は、いっちょ前にメニュー表を見て、「これがいい」と指を指したのがイクラ。
生ものを食べられるようになった頃から、イクラがお気に入り。
一粒一粒、つまんで食べていた。
もちろんこれだけでは足りないので、私たちのご飯や茶わん蒸しを分けて食べさせた。
お店の店員さんが、茶わん蒸しを一滴残らず食べようと何度も掬っている姿を見て「かわいいねえ」と喜んでいた。
地下鉄に乗って空港まで行き、徒歩5分ほどで住宅街に建つマンションへ。
そこがゲストハウスというのか、チェックインもリモートでやる宿泊所。
最近はこういう宿泊所が増えているらしい。
6月に東京へ行った時もそういうところを利用した。
部屋はいわゆるワンルームマンション。
予約するとメールで番号が送られてきて、それを機器に入れると部屋が開くようになっている。
単に寝るだけだから、これで十分だ。
このところホテル代は高騰している。こういうところが人気なのも納得できる。
最後の写真は、夜食に食べようとコンビニで買ってきたどら焼き。
1個500円!
中には餡子だけでなく、抹茶クリームも入っている。
普通だったら絶対買わないけども、旅行中はつい財布のひもが緩くなる。
4日目&雑感に続く
朝8時にレンタカーを予約してあった。
博多から菌ちゃんファームのある佐世保までは、GoogleMAPで1時間45分くらいの行程。予約が10時だから大丈夫かと思っていたが、途中渋滞にはまってしまい、間に合いそうもない。それで、遅れそうだと電話しておいた。何とか5分遅れで到着。
15,6人ほどの見学者が集まっていた。
その中には孫と同じ年くらいの子どももいた。
最初は一番近いハウスの中に入って、菌ちゃん農法で作っているアスパラガスを見せてもらった
外の畑には、有機農法の部分と菌ちゃん農法の部分が混在していた。
高い畝が菌ちゃん農法の畝。
中に竹や古木を埋めてあり、その竹や古木が菌糸を出して土を豊かにしていくのだそうだ。
こちらは狭い畝の中に、たくさんの野菜を混植している。
こんな状態でも野菜たちは成長するのだとびっくりする。
本や+αでドキュメンタリー映画を観たときも、ヨーロッパでこんな感じの栽培をしている場面があって驚いたのだが、直に見るのは初めてだった。
孫は暑さもあって歩こうとしない。
ママに抱っこをしてもらいたいとぐずるので、おんぶして歩く娘。
その後、林を抜けて道を下って行くと、広い畑が見えてきた。
そろそろ飽きてきた孫を歩かせながら、少し遅れて着いていった。
ここは動画などで見る畑だ。
説明の声は全然聞こえないので、ただ見るだけだったが、農薬など使わずともこんなに立派な野菜たちが育っていることを目の当たりに見ることができて、とても良かった。
畑作りは私は直に作業はできないけれど、娘たちがやることを応援する気持ちになれる。
このあと、向こうの森の方へ行くことになったので、そこはもう無理だと諦めて、孫を連れてゆっくり戻ることにした。
木々の間の道は涼しくて気持ち良かった。
孫が「もりのくまさん」の歌を歌ってほしいというので、何度も繰り返して歌いながら歩いた。
作業所で休みながら待っていると見学者たちが戻ってきた。
事務所で「菌ちゃん元気っこ(ふりかけ)」が販売されているそうで、娘も買いに行った。
そこで、菌ちゃん農法生みの親の吉田俊道さんに出会ったと、車を出発させてから娘が言った。
「写真撮って来ればよかったのに~」と私は直ぐに思ったのだけど、いないと思っていたのにいたからビックリしてしまって、そんなことは思えなかったそうだ。
菌ちゃんふぁーむのHPはこちら。
見学を終えて、お腹もすいたのでランチをするところを探した。
近くに和食とイタリアンの創作料理のお店があるという情報があり、そこに行くことにした。
お店は昭和のにおいがするたたずまい。
和食とイタリアンの創作料理を期待したのだけれど、ランチは「サーモン丼」「キムチ入り玉子かけご飯」「冷たいラーメン」の3種類の定食だけだった。
あらま、残念。
仕方なくその3種類と、プラス孫用に玉子かけご飯を単品で頼んだ。
大好物の玉子かけご飯がやってきて大喜びの孫。
自分で小分け用の食器に取り分けて、もりもりと食べ始めた。
びっくりすることに、3分の2くらいで満足するかと思っていたら、見事完食した。
食べすぎでしょ!
このお腹のどこにこれだけ入るわけ?
なんて言いながら、次の目的地の海水浴場へ向かった。
さすがに、途中で咳をしたときに、少し戻した。
でも、その後気持ち悪がるでもなく、昼寝をしてしまった。
向かった海水浴場は、湾になった小さなビーチ。
人も少なくて、のんびりと遊ぶことができた。
私も足だけ入って、アーシング。
孫は、ここで砂遊びを始めた。
お家を作るのだそうだ。砂上の楼閣という言葉が思い浮かんだ。笑
最初は水に入ることを拒んでいた孫だったが、ようやく浮き輪で少し向こうへ連れて行ってもらったら楽しくなったようで、今度は出るよというと嫌だとなかなか出ない。
川に行った時も同じ。
お風呂に入るのも頑なに拒むし、前世では何か水難にあったのかもしれない。
6時に長崎の市街地の宿を予約してある。
1時間半くらいかかりそうだったので、4時過ぎに海水浴場を出発した。
宿は長崎駅が見下ろせる場所にある「長崎にしょう館」
1号館から3号館まである広い旅館。
昭和のバブル期に建てられたのだろうなあ。
設備や調度品などに、バブル期の名残が感じられた。
稲佐山が向こうに見える。そこまで行ったら美しい夜景が見られるだろうけど、夜はもうそんな元気もなく、宿でゆっくりすることにした。
孫はエレベーターのボタンを押したがり、部屋の鍵も開けると言い張る。
ママのバッグを持って歩く。
夕食はバイキングだった。
座ったテーブルがデザートの隣だったのがいけなかった。
孫はチョコフォンデュにくぎ付け。
ママが「これ全部食べてからだよ」と言ったら、お皿の料理を全部一口ずつ食べて、これでイイだろうという表情。
もっと食べてからね、と言われて、好きなものだけは何とか全部食べた。
大人が食べてもそんなに美味しくないものは食べなかった。
そして晴れて?チョコフォンデュにありついた。
部屋の鍵は自分で開けると言い張る。
まあ、何でも経験だねと、やらせる。
実際は最後まで回すのは硬いので無理で、大人が手伝ったのだけど。
大浴場に私が連れて行ったが、熱さにビビって、浴室に入ったはいいが、入り口で固まっていた。
水シャワーなら良いというので、水シャワーを少し掛けただけで出て来た。
1歳の頃から、大浴場には一切入ろうとしない。無理に入れると大泣きする。
いつになったら温泉とか楽しめるようになるか?
3日目に続く
この夏どこへ旅行に行こうか?と娘と相談した時に、一番に上がったのは、菌ちゃんファームだった。
娘夫婦は6月から畑活を始めた。
かねてより畑で野菜を作りたいと言っていた娘たち。
自宅の庭(私の父が大切に作っていた日本庭園風な庭)の一部の植木を抜いて、猫の額ほどの畑を作ったり、プランターでトマトやハーブを育てたりしてきたが、いよいよご近所さんから畑を借りようかという話になって、知り合いに声をかけてみた。
すると、トントン拍子で話が進んで、なんと私の自宅のすぐ前の畑を借りられることになった。
その広さはどれくらいだろうか?とてもど素人が手を出せるような面積ではない。
ご近所で専業農家をされていた人が昨年亡くなり(お元気だったのに、急に体調崩されて)、奥さんが草刈りをされていたのだけど、とても手が回らないから自由に使ってくださいと言われた。
農家さんはあじめこしょう(この辺りの特産)とかピーマンとかネギとか大根とかを出荷するために人を雇って栽培されていた。
そんなしっかりした広い畑。
幸いなことに地主の奥さんも娘さんも自由に使ってくれて良いですよといってくださってるし、道を隔てた畑の地主さんも何を言うでも無さそうで、とても有り難い環境。
娘夫婦はYouTubeや本で調べて自然農法で野菜やハーブを作りたいと始めたところだった。
前置きが長くなったが、菌ちゃんファームへ行くことに決め、早速見学の予約をした。調べてみたら、車では12時間もかかる。
お盆の真っ最中。渋滞にハマることは確実。
知り合いのいる岡山で一泊することも考えてみたが、とても無理そうだ。
それで、飛行機を利用することにした。運良く飛行機チケットも手配でき、ホテルとレンタカーも予約できた。
13日の朝8時30分に家を出て、中津川駅でJR電車に乗った。
金山で名鉄電車に乗り換えて、セントレア空港に到着したのが11時過ぎ。
13時40分の出発までゆっくりお昼ご飯を食べる時間もある。
幾つもある食堂の中で、ベジタリアンの婿さんでも選べるお店をチョイスしたら、天ぷらやさんだった。
えびかき揚げ丼。けっこうボリューミー。
食べ終えて手荷物検査を無事に通過。
搭乗は10番。今回はANNとスカイフライヤーの合同便。
黒い機体の飛行機は初めて見た。
全くの余談だけど、
私は空港のことを「飛行場」と言うことが多い。
すると、娘が「飛行場じゃない、空港!」と訂正を入れる。
「飛行機が発着するところなのだから飛行場でイイじゃん」と反論する。
このやりとりを今回も何回か繰り返した。
孫も一人前にチケットが必要になった。
約1時間のフライトで無事に福岡空港に到着した。
預けた荷物を受け取り、福岡駅に向かうために地下鉄に移動。
その途中、福岡という言葉のある看板を探したのだが、なかなか見当たらない。
沖縄だと「めんそーれ沖縄」があった気がする。
それに類するものがあるといいのにな、なんて話しながらキョロキョロして歩いた。
やっと見つけた。笑
地下鉄までけっこな距離を歩き、博多駅で下車。
ところで、福岡市だけど、駅名は博多なのは何故か?
ちょっと疑問に思ったので調べてみた。
元々は福岡という地区と博多という地区があったのが、1889年に合併されて福岡市となった。
そして、市名が福岡になってしまったので、駅名は博多にしたそうだ。
全国的には、福岡市より博多という名前の方が知名度がある。
さて、ホテルはグリーンホテルで、出口から歩いて2分くらいの近さだった。
チェックインして、夕飯を食べるところをグーグルで探してから出かけた。
せっかく博多へ来たのだから、もつ鍋を食べなきゃ!と。
徒歩3,4分のところにある「野が海」という居酒屋。
もつ鍋もあるが、居酒屋なので魚料理もある。
頼んだもつ鍋が一人前なのに、このボリューム!
3人前か?というほどの量。
ただし、モツは少ない。
食べたら、モツの脂部分がプルプルで、めちゃ旨!
すぐに追いモツをした。笑
〆には雑炊セットを頼んだら、これまた3人前くらいか?と思うほどのご飯の量。
これを娘と二人でせっせと食べた。
他にも、鯖炙り焼き明太子載せとか、ゴマ鯖丼とか、野菜の炭火焼きとか、孫用に子ども用唐揚げを頼んだりして、みんな大満足だった。
食べ終わってから、駅前で夏祭りをやっているとのことで、歩いて行った。
大きな櫓の周りにでかいビアガーデンがあるような感じで、たくさんの人がそこで飲み食いしていた。
太鼓パフォーマンスなどを見ていたら、盆踊りタイムになった。
盆踊り大好きな娘は踊る気満々。
私はバンビーナの子守りしながら撮影でもするかなと思っていたら、お腹がグルグルしてきた。
あら、これは早めにトイレに行かなきゃ!と、駅ビルの中へ戻った。
そして、トイレから出られなくなって・・・
暑いトイレの中で汗だくだくになってしまった。
何とか治まったものの、もうお祭りに戻る元気がなくなり、先にホテルに戻ることにした。
2日目に続く
下にスクロールしてもらうと、次の記事が出てきます。
運営している「市民立小中一貫校花咲学園」で、
『夢見る校長先生』という映画を自主上映した。
5月25日・26日の二日間で3回上映。
予告編はこちら
不登校生が30万人にもなっている。(潜在的には50万人ともいわれる)
なんでこんなに不登校が増えているのか?
いろんな理由があると思うのだけど、その一番大きな問題は、
学校が窮屈、楽しくない、ということだと思う。
少しくらい窮屈であったとしても、全体的に楽しいなら、我慢もできる。
でも、「多様性が大事!」と言うのに、ほぼ多様性は認められない。
ブラック校則などという、意味不明な校則が未だにあったりして、全員同じ制服、同じ靴、カバン。髪型や髪色も決まっていたりする。
勉強が得意な子もいれば、苦手な子もいる。
同じ宿題が出されると、30分で済む子もいるけど、1時間以上かかっても終わらない子もいる。
テストで点数が付けられ、通知表で評価される。
「個性が大事!」と言われながら、勉強が苦手な個性は認められない現実。
そんなの当たり前でしょ!って思っている人が大半だろうけど、果たしてそうなのかな?
昨年3月に『夢見る小学校』という映画を自主上映した。
多くの大人や子どもが観に来て、「こんな学校があったらいいね」という声がたくさん聞こえた。
夢見る小学校に出てくる学校は、実は私立学校だから、特殊なんだ、普通の学校ではここまでのことはできないなあと思っていた。
今年の2月に名古屋で『夢見る校長先生』が上映されていることを知って、夫を誘って観に行った。
観ている途中でもう「これは中津川で上映したい!」と思った。
終わってから夫に感想を訊くと「おお、なかなか良かったなあ。先生たちが観たらいいのになあ」と言ったので、「中津川でやることに決めた」と話した。
私たちは花咲学園を運営しながら思っている。
多くの子どもたちが「花咲が良い」と言ってくれても、収容人数があるから、それは無理。
この付近でフリースクールが出来たとしても、授業料が公立学校より高いと行けない子もいる。
だったら、公立の学校こそが、少しでも楽しい場になるべきじゃないのか。
窮屈な思いをして、我慢をして行くのではなく、
「学校は楽しい!早く学校へ行きたい!」
そう思って行ける場所になってほしい。
そのためには、校長先生をはじめとして、先生たちにこの映画を観てもらい、自分の学校で何ができるのかを考えてもらいたい!
この映画に出てくるような、通知表を無くすとか、宿題を0にするとか、校則を無くすというようなことまではできなくてもいい。
でも、子どもたちが楽しいと思えるようなことは、何かできるのではないだろうか。
まずは、子どもファーストが大事だという意識を持つことから。
それだけでも、きっと何かしら風は吹くのではないかと思う。
そして、先生たちだけでなく、子どもたちにも、学校ってこんなに楽しいところになるのだと知ってほしい。
中学生のアンケートに以下のようなものがあった。
今まで考えたことのない考えを知ることができた。
今、当たり前だと思っていることには、自由はあまりないなと気付くことができた。
今の子どもたち(大人も)は、厳しい校則も当たり前、テストも通知表も当たり前と思っていて、学校は楽しい場所ではないことも当たり前になっている。
塾で中学生にこの映画の紹介をしたとき、子どもたちはあまりに無反応だった。
「そんな学校、良いなあ」「うちの学校もそうなったらいい」とかいう反応を予想していた私たちは、子どもたちの無反応に愕然とした。
でも、このアンケートのように、考えたこともないことを言われても想像できないのだろう。
だからこそ、観てほしいのだけど、関心を持たないことが問題かな。
私たちは学校関係者に来てほしいと思って、教育委員会と市の後援を取って、各学校にチラシを配布してもらった。
本当は職員1人1枚配布をしたいと思っていたけど、計算違いをして、枚数が足りなくなってしまって、各校に10枚くらい配らせてもらった。
何人かは来てくれないか?と期待したけど、残念ながら、チラシ効果はほぼなかった。
だから、教育委員会の担当してくれた先生が来てくれたことはとても嬉しかった。
<追記>
恵那市の学校の先生が3人、通う子どもの招待を受けて、観に来てくださった。
なかなか集客できなくて、二週間前に「このままじゃあ、赤字になるかも?」と思った。当日参加の人が来るだろうから、赤字にはならないとは思いながらも、少し不安だった。
5月19日に恵那市のケーブルテレビに「花咲学園」を取り上げてくださって、そこで上映会の宣伝もしてくださった。
それを観て申し込みをしてくださった人がいた。
これはやはり新聞に取り上げてもらおう!
プレスリリースをするつもりではいたけど、もしその前に100人くらいの申し込みになったら、その必要はないかな、なんて甘い?考えも持っていた。でも、これは新聞に頼ろう!と思って、お手紙をつけて中日新聞にFAXを送った。
そして、新聞効果は大きかった!
新聞に載った金曜日の朝から何人もの申し込みが入った。
当日参加の人が25名ほどあった。
知り合いからの申し込みも直前になって幾つもあった。
そんなこんなで、結局参加者は全部で、
大人95名、子ども21名で、116名となり、
何度も観ているスタッフも含めると126名の参加者となった。
託児に来た子どもも含めたら(そこ必要か笑)140人くらいになった。
私たち何度も映画上映会をしているけど、過去最高!!
(これから先もこれを超えることはないかも)
人数も嬉しかったけど、
一番嬉しかったのは、次に上映したい!という人が何人も現れたということ。
私たちは、公教育をこそ変えたいと思っている。
フリースクールだのオルタナティブスクールだのがあちこちにできたとしても、そこに通う子どもより、地元の公立学校へ通う子どもが大半である。
とすると、学校が今より変わらないことには、不登校は減ることはない。
学校が今より少しでも楽しい場所になることが必須ではないか。
この映画を上映することが、学校を変えるための小さな石を投げることになるのではないか?
そんな思いで上映会を企画した。
この1回で終わるのではなく、次の上映に繋がっていくことを願っていた。
投げた石は確実に波紋を広げた!
次の石が投げられ、波紋がもっと広がることを夢見ている。
夢見る大人が増えていくと良いな。
上に書いたことを、娘と二人で話をしてみた。
動画で話そうと思っていたアンケートの回答。
長くなるのでブログで文にしてみた。
そして、上映会をした~い!という人向けに、説明会を開催することにした。
参加希望者は連絡ください。アーカイブも残します。