「魚服記」太宰治著『晩年』(1936)より 20240623読書会テープ (original) (raw)

【はじめに】

S 柳田國男の「山人の話」に基づいている作品ですね、手がかりにするとよいと思いますが、それにしても「魚服記」は難しい。

H 太宰の中では代表作で、よく文庫本にも採用されていますね。

S おもなエピソードを挙げておくと、一つは、ぼんじゅ山脈という地図にも載っていない馬はげ山の義経伝説がある。去年、シダを取りに来た色白の学生が滝に落ちたという事件があった。馬はげ山の父娘は余所者の出身で、娘スワが13歳のときに茶店を建てて、炭焼きと茶菓子で生計を立てていた。娘は知恵がついてきて女性になりつつあった。父が語るヤマベを食べ尽くして大蛇になった八郎と三郎の昔話に、スワは哀れで哀れで泣いた。スワが髪を結った日父はスワを犯した。スワは小屋を逃れて水に入り、大蛇になったと思うが、実はフナであったと知り、さらに滝壺へ身を投げた。

【境界を超える】

H シダを取りに来た学生が滝に落ちる、滝壺深く沈められて、水面に上がってきて、さらに水底へ引き摺り込まれていった。一回滝に落ちるだけでなく、もう一度滝に落ちる。二段階で落ちるというのが不思議だと思っていた。スワも同じようにフナと分かってからさらに滝壺に向かってもう一度落ちていく。なんで二段階で落ちていく作りになっているのかを考えていた。中原昌也を参照すると、二回越境があるということは、三つの世界がある。色白の学生のいる都の文化的な世界、そして父娘のいる山の世界、それから、山人と呼ばれる魑魅魍魎的な妖怪の世界が山の世界のさらに奥にある。こういう三つの世界の話だと思いました。

S なるほど、それで二回の越境があるということですね。

H 越境するたびに姿を変えるということがあるのかなと。スワは娘から女性へ、父は父から男性へ、変身している。それでスワが水に飛び込むときに「おど」と呼ぶのは、父と娘の幸福な世界へ帰りたいという意味で水に飛び込んだと考えたのです。

S もう一つ特徴的なのは、父娘が語り合うところで、お前は何で生きているんだ、阿呆という実に近代的な哲学的な会話をする。突然ここに近代文学的な会話が出てくる。

H 父親は山の世界にいるが、スワは学生側の山の外の世界の話し方になっている。

S そうすると、学生が滝に落ちたというエピソードは、かの非常に有名な藤村操の哲学的、近代的青年の自殺(1903)と二重写しになる。藤村操は、漱石も関わっている、当時の青年像のモデルとしてあった。

スワが色白の青年に惹かれたと言うのは、文化的な抽象的な思考に惹かれたという事で、そのことがスワを近代小説の一ページに書かなければならない必然性になっている。ただの山の鬼っ娘ではなく近代文学の主人公の資格を得ている。

H こういう喋り方を、スワはこの学生から学んだとは考えられないですか。

K 二人が会話したというような記述が一つもない。

S ただ色白の学生を見ただけ。落差が大きい社会なので、姿形を見ればわかってしまうという時代ではある。色白の学生の姿だけで哲学的存在であると分かってしまう。滝はいつも同じではないとか、滝は雲であるとか、そういう知恵を娘はただ見るだけで分かるというのは重要なことだろう。ギリシヤの哲学者のような知恵を、誰が教えたわけでもないのに得ている、これは特筆すべき知恵だと思う。この知恵を太宰は非常に高く買っているのではないか。

K 父とも学生ともほとんど会話がないのに、スワに知恵がつく。

S 三郎と八郎の昔話を聞いて、父親の炭だらけの指をしゃぶって泣いたという、言葉のない母体のような平和な父と娘の世界があった。

M スワは茶店で売春しているのではないか。「休んでいきなせえ」というのも色町の呼び声のように思える。

K 茶店でもそう呼びかけるのでは。

M 15歳ぐらいになっても父親とまるで遊びのように接触していたのではないか。指をしゃぶっていたというのは、果たしてそのとおりか?

S スワがいつから性的存在となったかは微妙で、まず父との未分離な関係があった。だから売春は将来のスワの姿でもあったのかな。スワには売春するぐらいしか生活の手段がない。何の生活手段もない娘が、15歳ぐらいになって、性的存在になってしまった娘はどうしたらよいのだろうということか。

M この山の中は湿気が多くジャングルのように鬱蒼としている。

S 付記 つまり世界中の始祖伝説のように、近親相姦によって、母と息子、父と娘が交わって人が増えていくという印象が残っているのかもしれない。それとも源氏物語の若紫の下敷があるかも知れない。

S 髪を挙げたというのは、成女式を済ませたという印。それ以前の性は民俗的にはタブーになっているだろう。

K 「たけなが」というのも、調べてみると、江戸時代の和紙で作った髪飾りとあった。伝統的なもの。父親がそれを用意している。

M 雪の白さ、水が白くなって飛んでくる、というように、雪や雲や、水が循環して、変異していますね。

S 水中の世界があって、これは泉鏡花の世界だろう。「山人の話」という本は、泉鏡花が読み、太宰治が読んで、それぞれ非常に大きな影響を受けて書いている。

K 序の中で、山人は外界と関わらず採取生活をしていたとある。

S 山姫は、主催する山の中の水を管理するので、水の世界を主催している。白山の山姫のように。スワが入っていくのは山人の世界の中でも、山姫の水の世界に近いように思える。

M 木の葉のように吸い込まれたとあるのも、非力な存在。蛇になるというのは偉いし強いが、こちらはちっぽけなフナになっている。

S 乙姫様に仕えるフナになったということね。この辺が実に太宰らしいところで、泉鏡花だと山姫のトップのところで書くけれど、太宰は木っ葉のしがないフナ。えらい違いがある。泉鏡花の山姫は、いかに男に思われようが汚されようが超然とした山姫を描く。

柳田國男はその両方の面があった。一方で白足袋の民俗学者で、スイスまで行く貴族院議員で、ヨーロッパ流の教養もある。一方、庶民的な細々した民俗学の対象を開拓した。太宰は、その惨めな娘方に視点を置いていることが面白い。

K 太宰自身だって貴族の方だったろうに。

S 戦後世界を生きる私たちは、どう見ても貴族でもなく平民の末裔で、せいぜい大学を出てるぐらいが関の山で、抽象的な明治の知識人ではなく、みんな小粒な、大先生のいない時代を、戦後世界として太宰は生きている。それがフナになるということだろう。

M 大蛇になれた嬉しいなと思ったら、ハッと気がついたらフナだった。

S それはまさに戦後の私たちの姿そのもの。

S 三郎と八郎の昔話も、大蛇になるというのには、格調高い神話的大きさがある。川の水を飲み干すというような世界大の認識がある。これも実は柳田の「山人の話」に入っている。魚服記の中に登場する天狗や小豆の音も柳田に基づいている。

H 小豆洗。

S あずきには妖怪になるほど特殊な重要性があるのだろう。赤い色のお祝いだから、少女が大人になる時の赤飯に関わるだろう。あるいは「たけなが」もそうで、こんなふうに実に民俗学的な知識が用いられている。

先回も述べたように、人間の時間はダラダラと続いている。それをある年齢で区切って大人になるとか女になるとかを印付けるのが文化的な仕組みであるわけだ。髪を結うと、その日から女性になって性的に成熟した印になる。

いつまでも髪が白くならないと老人にはならない。

K 歯が揃っているのもそうで、おりん婆さんは、老人になるために前歯を臼にぶつけて欠く。

H 髪上げをして、だらだら続く人間の時間を文化的に大人にするのと同じように、おりん婆さんは、前歯を折ることで、ここから老人になるわけだ。

M おりん婆さんとは?

H 深沢七郎の「楢山節考」の主人公です。

M 自分で歯を折るんですか。

S それで、明日は楢山参りで、早く捨てに行けと息子に強要する。早くしないと曽孫が生まれてしまうと。さっさと死に行かないと孫の食べる食料がない。

つまり、深沢をはじめ戦後作家は民俗学的世界を濃厚に持っている。民俗学的世界から飛び立つ時に、知恵がついてきたというような哲学的知恵のつき方に注目している。

どうせ民俗的世界から独立することなんてできないのに、戦後作家は独立しようとしたのではないか。父権的世界、伝統的世界から独立しようとして、その立ち上がり方がフナでしかないという非力感を太宰は書いている。

K そういうことって戦後作家だけでなく、その後何度でも起こるのではないでしょうか。朝日ジャーナルは、虚構の中で汝の母親を殺せという特集を組んだ。

S しかし1900年代になると何度も繰り返してきたリバイバルももうだめだということになる。マルクス主義がそうで、全集がゴミ捨て場に捨てられた。最近も文学部はもう終わりだというのに呼応して個人全集が大量に古本に流れている。この国は何でも捨ててしまうのだね。

H 戦後出てきた乗り越え方のリバイバルがもう無理になって来ているというときに、今村夏子のことを思い出します。「とんこつQ&A」のときに、太宰に基づいた書き換えの話なのに、それが逆手に取られて、うまくいかなくなり、無効になってしまうような。太宰を下敷にしているのに、太宰が見つけ出した書き換えの手段も、リバイバルしても使えなくなっている。

「父と私の桜大通り商店街」の最後で、立ち尽くしているお父さんの背中をもっと元気出さなくちゃとばんと叩くところ、読書会で、S さんが、もう死にかけている物語を無理矢理ゾンビ化してでも叩いて走らせる場面ではないかと言ってらしたのを覚えています。

S 背中をどやしつけて、マルクス主義よ、もう少し頑張れよ、思想というものは他にないのだからと言っているような。

柳田國男批判】

H 『晩年』を最初から読みはじめて、太宰は木の幹ではなく葉っぱにつくという話をしていますが、「魚服記」も最後は葉っぱなんですね。大蛇になると格調高い神話のような、幹のある物語になってしまうけれど、フナどまりなところが、幹ではなく葉っぱにとどまっている感じがする。冒頭の義経伝説も格調高い幹のある伝説ですよね。
S 英雄伝説ですね、世界に関する。(付記 義経=チンギス・ハーン伝説が日本の大陸進出を暗示しているとすれば、意味深長だろう。)

K 義経伝説とこの話はどのように関わるのでしょうか。

I 自分は奈良出身なのでこういう義経伝説のような土地の伝説がたくさんあって、ありがちな、身に積まされる思いがする。

S 奈良の古代伝説はすごく魅力的で、どうしてもそこに平伏してしまいそうになる。

「魚服記」では、山肌に見える走っている馬の姿が、老いぼれた人の横顔にも見えるという対比がありますが、義経伝説の方が、颯爽と走る馬の姿で、「魚服記」は老いぼれた人の横顔を書くという対比ではないですか。お前なんかさっさと死んだ方がいいぞというような老いぼれの話を書く。

H 義経伝説は大きな幹のある歴史伝説で、一方、山の中に入ると、三郎と八郎の昔話も、歴史ではないけれど、世界の構成を語る幹のある物語になっていますよね。歴史と神話の間で、木の葉のように巻き込まれていくのがこの「魚服記」の立ち位置ですよね。

幹を持たなければ、翻弄されますよね。

S そもそも柳田が昔話研究でしたことというのは、幹を見つける、あるいは幹を作ってしまうということだった。

K 日本人としてという。

S そうです、日本人の神話、日本人の昔話、日本人の伝説を発見して、日本人という幹を作った。

H Sさんが言われていた、昔話をたくさん集めてきて、重なる部分を見つけていって、これが元の話であるだろう、元を見つけてこれが本当ですという幹を作ってしまうやり方ですね。

S それを重出立証法という。そうするとそれを根底からくつがえすのが太宰の葉っぱで、太宰の小説は、本当のはじめから、柳田國男批判であったわけだ。

M 「山人の話」の最初に義経伝説が載っていますね。

H 「義経記」に対抗して「魚服記」ということか?

S 付記(「記」というのは、事実の記録。幹を持った義経英雄伝説に対して、太宰は、一枚の葉っぱでしかないフナの記録を作ろうとしている。)

K 魚服というのはどういう意味ですか。

S 魚の衣を纏う。

M それで魚を食べて蛇になる?

S もう一つ魚服記で有名なのは、上田秋成の『雨月物語』に入っている「夢応の鯉魚」で、これを三島由紀夫が非常に高くかっている。けれども、三島は、実は太宰の「魚服記」が気になっていたのではないかと思う。日本という幹の物語に対する両者の違いがよく出ている。

S 歴史、昔話、伝説、神話をどのように位置付けるかということを柳田國男はしている。太宰はそれら全部を使って違うことをやっている、すごい力量。民俗学を知っている者にとってはこよなく面白いのだけれど、こよなく異なっている。どうして太宰はそんなことができたのだろう。(付記 歴史を頂点とした幹の物語が柳田國男だと考えると、太宰治がしたのはそれらを葉っぱとして束ねるフィクション=小説を考えたということだろう。)

「山人の話」は、歴代の学者がみんなイカれた。素晴らしいから。どこが素晴らしいかといえば、制度的、文化的なものからドロップアウトして山の中で暮らす人々を発見しているから。日本の知識人は山人を自画像としてこよなく愛している、亡命伝説として。

サンカと呼ばれている人々は、照葉樹林帯に住む人々で、ネアンデルタール人の末裔かも知れないし、足が早く、目が光る。そういう人々とホモサピエンスの末裔たる私たちとの交渉を色々書いている。産婦や狂人が山にはいったりする。山姥伝説とか。

M 風の谷のナウシカに出てくる。

S うん、それ。こよなく亡命者を愛している。

H 太宰は、幹ある日本という物語からも、山人のようなロマンチックな亡命伝説からも離れようとしている。

S 「魚服記」まで『晩年』を読み進めて、背筋が寒くなるような思いがした。私は、柳田を敬して遠ざけるようになるのに、半生もかかってしまったのに、それだけ魅力的で吸引力がある。それを処女作から批判的であった太宰の力量に背筋が寒くなった。

【近代小説に殴り込みをかける】

I キノコの上に青い苔を振り撒いて小屋に持って帰るのが好きだったというのがまるで訳が分からないのです。

S この苔が唯一の友達のよすがになるというのですが、この友人とは死んだ学生だとやっぱり思いますか。

H 学生が集めていたのはシダであって苔ではない。このたった一人の友達と書いてあってぼかしてあるのが大切なんだろうと思うのです。きっちり学生のことだと至らないように書いてある。

S コケとシダの微妙なズレがある。

H 追想したとあるのは死んだ学生を追想しているようにも思える。

S もう一つ私が考えたのは、「山人の話」の初めに、炭焼きの男が男の子を育てていたが、ある時少女を連れてきた。しかし、食べ物がなくてどうにもならないので、二人の子どもがナタを研いで自分たちを殺してくれと父親に頼む。それで父親はフラフラと二人を殺して、獄に繋がれた。スワは、この一緒に炭焼きの元で暮らしていた男の子を唯一の友達と言っているのではないか。

作品を超えて、「山人の話」に出てくる男の子を友人として回想しているという、近代小説としてはルール違反だよね。ルール違反でもこれは魅力的な越境ではないか。作品を超えた出典の登場人物を回想しているように思える。それくらい深く「山人の話」が「魚服記」に入り込んでいる。

H シダを探していて死んだ学生をシダを見て回想しているとすると、「魚服記」の中だけで完結するけれど、シダとコケのかけ違いの感じが、「魚服記」を「山人の話」にかけ違えて回想するようなズレがある。

S そう、ズレる。つまり作品自体の独立性というのも近代的な幻想である。伝説も昔話も一つ一つ独立などしていない、繋がっているはず。そうすると、近代小説でそういう越境行為をするというのは太宰ならあり得る。柳田國男を知っている人なら、「魚服記」を読んで必ず「山人の話」を思い出す。

H それって、何だか眩暈がする。

S 眩暈がする、近代小説は作品一つで独立しているというのがお約束だから。そのお約束を太宰は破って、近代小説に殴り込みをかけている。

H この小説の中には出てきていない人を回想しているんだものな。「思い出」で、出典が二重になっているのと似ていますね。追想するのは死んだ学生のようにも思えるし、「山人の話」に出ていた男の子を思い出しているとも思える。

S ツルゲーネフの「初恋」は確定した本当の出典ではない。あれを下敷にして読めばこうなるというように、仮面がどんどん増殖していくように書かれていた。「魚服記」も同じように、「山人の話」を思い出せば、貧しさゆえに起きた悲惨な事件を重ねて読まざるを得ない。

柳田國男の重出立証法のような似た昔話がたくさんあるということを背景にして考えれば、近代小説が一人の作家によって独立した完結した作品として提出されるということに対して、そういう近代小説ではないやり方があり得る、昔話のように書けるということ。

【おわりに シダとコケ】

H 柳田國男がしたように、たくさんある昔話の重出した部分を幹として見出すのではなく、いろいろ枝分かれしていること自体に希望を見出して小説を書いている。枝分かれがシダとコケのかけ違いのようなやり方になる。

泉鏡花も増殖する物語に希望を見い出していて、手毬唄の文言が変わって伝わっていく、それで増殖していく。その文句がいつの間にか違ってくるというところが、太宰ではシダとコケのズレになるのか。

S シダには束ねる茎があり、コケには葉と茎と根の区別がないという説明がある。そうすると、コケ、シダ問題は太宰の葉っぱ問題だということにもなる。太宰はコケ派。

H 「山人の話」の最初のところに、炭焼きと二人の子供の話があって、その後に、娘と親子三人が滝に身を投げる話が続いている。二つは別の人のエピソードですよね。ところが、その二つの間にこの「魚服記」が入ると、炭焼きの娘が、滝に身を投げた娘と繋がっているように読めてくる。滝に飛び込むように、二つのエピソードの間を飛び込んで行き来してしまうような。

S ほんとうにそうですね。葉も茎も根も区別ないコケのように混ざってしまう。これを柳田は、山に埋れたる人生あることというように実際にあった出来事として、歴史として書いている。一方、太宰は、歴史としての出来事を物語で繋げて、一緒にして語るというやり方をしている。歴史とフィクションを繋げるという「思い出」と同じやり方。

フィクションを出来事の間に挟んで、出来事を横に繋げてコケのように増殖していくのは、重出立証法の幹を作る方法とは異なる増殖の方法だろう。

H 深沢七郎の「和人(シャモ)のユーカラ」を思い出します。冒頭には北海道新聞の記事のような文体があり、伝説の書き方があり、その時、S さんが歴史と伝説とフィクションの書き方を書き分けているとおっしゃっていて、太宰と同じだなあと思い出します。