【滋賀/大津市】長等神社と勝負の神様、馬神神社 (original) (raw)
さて、毎週末のJR大津京駅。
こうやって見てみると、長等山の山麓に神社やお寺が密集してることが分かります。
今日の目的は、御朱印を頂いてまだお参りに行けていない蝉丸神社。
道中、前回も通ったウサギ年の守り神、三尾神社の前を通り過ぎ、
前回も気になった、朱色がひと際目を引く楼門。
『長等神社』
そのまま一度通り過ぎたものの立ち寄れずにはおられず、拝殿手前の狛犬さんにご挨拶。
今にも飛びかかってこんばかりの威勢の良い狛犬さん
こちらはおすまし。
拝殿の裏手にはため息が出んばかりのお山とお社。
本殿は回廊に囲まれています。
回廊入ってすぐ左手に『美女祈願』の何とも気になる張り紙を発見!
説明書きには下記の通りありました。
この箱の中の棒を年の数だけ持って左回りに回廊を周り、御神前でお参りした後、箱に一本棒を戻す。これを繰り返す。
(高齢の方は本数が多くなりますので、10年で1本計算でされては・・・。)
歳の数だけ回廊を周るという時点で、『何十週回らないかんのや・・・。』と早々に断念(^^;
ただし、せっかくなので左回りに回廊を一周してみました。
戻ってきました。
回廊の高さは思ったより低く、(158㎝の私でも低く感じたくらいです)身長が高い方は注意が必要になりそうです。
こちらは本殿前の狛犬さん
好青年風!
こちらはちょいワルな感じです。
本殿裏手のお山。
何度見ても惚れ惚れとしてしまいます。
社務所の方のお話しから、裏のお山は三井寺の敷地になるそうです。
本殿左手に朱塗りの榮稲荷神社
その奥にもお稲荷さんの鳥居が。
左手に駒竹稲荷神社
駒竹稲荷神社の扁額は落ちかけておりお社が見当たりません。
お隣の権平稲荷大明神、末春稲荷大明神の足元も荒れ果てております。磐座の感じからすると夫婦岩でしょうか。
社務所の方に伺った話しでは、2019年の台風で裏手の長等山の木が倒れてきて大変な被害を受けたそうです。
駒竹稲荷稲荷神社のお社はありませんがご神体は無事で、別の場所で保管されているとのこと。
ご神体に被害が無かっただけでも良しとしなければならないのでしょうが、こうも無残な姿を目の当たりにすると、声も出ません。
裏手のお山は三井寺所有になる為、色々と問題もあるようです。
側にあった池。
金魚が生息していて、この一帯だけが被害が大きかっただけに生き物の存在は嬉しく感じました。
台風の影響前の在りし日の稲荷神社の写真を見つけました。
☟
とても力のあるお稲荷さんだと思われ、早く普及されることを願います。
こちらは本殿右手にある看板からして存在感大!な馬神神社
鳥居前のご神木が立派です!
鳥居をくぐってのこちらの木も立派。
お社はとても小さいのに、とても力があるような馬神神社。
それもそのはず、ご祭神は少彦名命、須佐之命、豊受大神と出雲チームのそうそうたるメンバー。
豊受大臣は先日籠神社にお参りしたばかりなだけに妙に嬉しい。
御由緒書きを見ると、こちらの馬神神社は全国の三馬神社の一社だそうで、牛馬の使用が盛んな地域(東北、関東卯、山梨、長野など)や競馬関係者の参詣が多いそうです。
三馬神社の残り二社が気になりますが、不明で分かる範囲で調べてみたところ、馬神神社から近いところで、近江八幡市にある賀茂神社。
☟
滋賀県近江八幡市|神社|馬の神|安産|縁結|子授|交通安全|鬼門除|八方除|厄除|賀茂神社
HPの由来より、下記抜粋です。
日本初の馬の国営牧場の地に、日本の災厄を封じ、人々の幸せを祈るため、聖武天皇は陰陽道の祖と仰がれる吉備真備に命じて、陰陽道の技にて、日本の「気」の集まる(日本のパワースポット)地に天平8年(736)に創建されました。
あともう一社は京都にある藤森神社
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HPの縁起より下記抜粋
毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、各家々に飾られる武者人形には藤森の神が宿るとされている。
菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。
日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神として信仰されている。
藤森祭に奉納される駈馬神事が馬の神事であることから馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの祭典が毎年行われて多くの人々の参拝がある。
ただ、こうなると全国ではなく関西の三馬神社になってしまいますね(^^;
そして、この立派な木を挟んで左手には
両御前神社
【御祭神】
八幡大菩薩、加茂大明神、比叡三聖、春日大明神、住吉大明神、新羅大明神、石座大明神
先日、新羅善神堂に行く際に立ち寄った新羅三郎がふと浮かびました。
下記、新羅三郎のお墓の側にあった案内板の記載内容です。
新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、賀茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083~87)には、兄の義家を助けるため奥州へ出向いて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。
見事に一致しますね。
面白い(^^)
馬上神社から境内の外を見やると、三井寺の観音堂へと続く石階段。
先日お参りに行ったのが遠い日のよう。
さて、お参りに行きます詐欺にならないよう蝉丸神社へと向かいます。