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投稿 308

出席回数が多い人の方がうまくなるというのは本当です。

でも二月はまたアメリカに、今度は三〜四週間行く予定なのでここも来れなくてとても残念です。

レーニングは、自分と向きあうもので、特にテープにとったりすると、自分のいやなところや過去のつらいことがでできて、耐えがたくなるときもあるが、私はこの人生を勝ちたい。

なぜ、歌うのか なぜ、歌うのか。こう問われてあなたはどう答えますか。僕の答えは次の通り。「歌っているときの自分が一番正直だから」

多かれ少なかれ、人は自分を装って生きている。周囲から期待される人間像、自分が理想とする人間像に向けて、自分で自分を操作しながら生きている。身の周りの誰かなり、自分自身なり、操作の要請の出所が特定できる場合はまだいい。むしろ、特定できない場合がほとんどではないだろうか。「和」という名の得体の知れないガスの向こうに、その出所はかすんでしまい、僕らの自由意思は、そのガスに麻痺させられてしまう。それがまた、何とも気持ちいい。

幸か不幸か、僕の意思は幼い頃よりこのガスに強いアレルギー反応をおこした。そのために、おこさなくてもいいイザコザをまき散らし、しなくてもいい争いを闘ってきた。言葉、仲間、機会…多くのものを失ってきたような気がする。その一方でたったひとつ、いつも失わなかったものがある。それは僕自身僕はこのどうしようもない自分を音楽の枠の中にずっと閉じ込めてきた。

歌は装うことができない。操作の加わった歌はもはや歌ではないことは、入塾以来、何なく注意され、たたきこまれてきたはずだ。声の器と人間としての器の積として、歌の値打ちは残酷なまでにはじき出されてしまう。声がそれを発する人の身体的特徴のみならず、生い立ちや思想を背負わざるを得ないことを考えると、結局、歌は歌い手の生きざまそのものと言ってしまっていいだろう。

ポジションがどうのこうの、フレージングがどうのこうの、そんなことを気にしているうちは要するに歌ではない。僕の呼吸が、鼓動が、意思が、存在そのものが歌になってしまう瞬間を求めて、僕は練習を重ね、ステージを踏みます。一番、正直な僕に会いに来てください。僕の歌を聞くことで、あなたがあなたの声を聞き、あなた自身を見つけられるように、まず、僕が裸になります。魂のずっとずっと深いところで人は皆、響きあえるはずなんです。僕はそこに向って、そこから歌いまず。一番、正直な僕であるために。マーキーでのマンスリーライブでお会いしましょう。僕に出逢うことであなたはあなた自身に出逢い、あなたに出逢うことで僕は僕自身に出逢うことができるのです。(ライブスケジュールは『ぴあ』に掲載)

私は日本の懐かしい歌を擁護する うーん、まるでゴルバチョフ氏の新聞寄稿論説のような題だな。

日本の古い歌、なんて素晴らしい。ここ数年来、童謡や、懐かしい日本の歌が、静かなブームとなっています。デビューした頃からずっとファンだった(いったい幾つのときだ?)

由紀さおりさんが、お姉さんの安田祥子さんと一緒に、童謡のコンサート「あの時、この歌」を、最近あちこちで行っています。童謡にゆかりのあるあちこちの都市で、童謡コンクールも行われるようになりました。

私は、日本の古い歌が好きです。

「鎌倉」「出船」「荒城の月」「宵待草」…。

どれだけの歌が、私の胸を苦しくさせながら、通りすぎていったことでしょう。

「赤い靴 はいてた 女の子…」

「月の砂漠を はるばると…」

それから民謡の数々。私の故郷の「宇目の歌げんか」。灯篭踊りで有名な「よへほ節」。軍歌ですけど、「戦友」(これは実は反戦歌ともいえるのですが、当時最も愛された歌でした)。今のメロディースタイルになったのは、じつは最近だという、「竹田の子守歌」等の、古い子守歌の数々。

みんなのうた」。私は幼稚園のバスの中で、「ケルンをつもう」という悲壮な雪山の歌を、いつも歌っていました。小学生になってからも、私のロマンをかきたてたのは、「みんなのうた」の、特に大人びた悲しい歌でした。(今の「みんなのうた」は、ただの子供向けになってしまって、聞くに耐えない、つまらないものが多いような気がします。寂しいです)

それら愛しい歌の中で、最も愛しく思うのは、「小さい秋見つけた」です。ここには、「詩」と「メロディー」の複合における、究極のここのイデアが見いだせるような気がします。

「むかしの むかしの風見の鳥の ぼやけた とさかに はぜの葉ひとつ…』おもわず、サトウハチロウさん(作嗣)うまいっ!と手を叩きたくなります。

魂の求める永遠の鄉愁。いくつになっても、いやそれどころか歳をとるにつれ、さらに強まる、この泣きたくなるような、本源的なものに寄せる想い。私にも、いっかこんな歌を作ることができないだろうかと、常々思っています。

しかし…こんないいものが(この「いいもの」という概念に関しては、また別に論じてみたいと思いますが)、あまり今の若い人達には知られていないような気がするのはどうしてでしょうか?それとも、それは私の思い上がりで、皆ちゃんと知っているのでしょうか?でも、多分、自分の人生にとって、かけがえのない歌だとは思ってくれていないような気がします。それは、きっと、これらの歌がおおむね「うまい人」によって歌われてしまうからだと思うのです。

歌の上手い下手と、良し悪しは違う。私は朝(といっても昼近くですが)目が覚めると、まずラジオのスイッチを入れ、NHKの第一放送を布団の中で聞きます。そのうちにだんだん意識がしっかりしてきます。たまにはそのまままた、夢の中へ戻ってゆくこともありますが。ある時、その夢うつつにラジオを聞いていたとき、森繁久彌さんの「船頭小唄」が流れてきました。

「おーれーぇは かーわーらぁの 枯れぇすーすきぃ」

森繁さんは歌があまり上手ではありません。でも私は、何か雷に打たれたような感じで、なぜだか涙が後から後から流れてくるのを止めることができませんでした。

そのとき私は悟ったような気がしました。歌にとって一番大事なものは、上手い下手ではないのだ、ということを。人を感動させるものとは何か。

「男子、二十五歳になるまでは、小説を書くべからず」と言った菊池寛の言葉が、そのときなぜだが思い出されました。

最近、同じような思いをしたのは、テレビ東京の「我が心の歌」という番組です。毎回逮うゲストの思い出の歌を、アントニオ古賀さんがギターで弾き語りをするのです。確かに歌はそんなに上手くはないのですが、実に「いい」のです。その時は「砂山」を歌っていたのですが、こんなに感動した「砂山」を聞いたのは初めてでした。

水曜日の深夜、フジテレビで「音楽の正体」という番組があります。美しい近藤さとアナウンサーによる、ユーモアあふれる音楽理論講座です。

そのとき、若い声楽家(らしき人)が模範を歌ってくれるのですが、言っては何ですけれど、本当につまらないのです。たしかに「上手い」、でもつまらない。原曲のアイドル歌手、ニューミュージック歌手の方がずっといい。

そういえばこの前、NHKのラジオの生ステージ番組で、伍代夏子という演歌歌手が、「木綿のハンカチーフ」を、演歌訶で、ビブラー卜たっぷりに歌っていました。本人は大まじめなのですが、はっきり言って、困ってしまいました。やっぱりこの曲は、うぶに愛らしく歌ってほしいものです。

とはいっても、森繁さんが全編出演して歌っている「森繁巡礼」という番組(ビデオも出ているようです)を見ましたら、やっぱり下手なので、その歌を知らない人には、歌の魅力を分かってもらえないかも知れないな、とも思いました。

日本の懐かしい歌には、インストのレコードもあリます。ランパル、ゴールウェイらの日本を愛するフルー卜奏者のレコードは有名ですし、オーケストラのものもたくさん出ています。つまらないものもままありますが、「上手い」歌よりは、ずっと害になりません。邪道のようですが、正確な?メロディーはこちらでなじんでおいて、それとともに味のある歌を聞いてみる、というのも一つの方法かもしれません。

上手く歌われる必要のない歌もあると思います。私は映画やドラマの中で、子どもが歌う歌が好きです。おじいさんやおばあさんが歌ってくれる歌が好きです。

お母さんが子供に、朗々と歌って聞かせたりするでしょうか。どこの国にも、そういう飾ってはいけない歌があると思います。そして、それこそ本当に大切な歌なのかもしれません。もしかしたら、本当はすべての歌が、「上手く」歌われる必要のない歌なのかもしれません。

女性ヴォーカリスト、「伸びやかな歌声」「パンチのきいたヴォーカル」「女の子の心を歌った透明感のある声」…。こういうCD評に、何度、騙されたことだろう。これらは、ここに入って、以前は聴かなかった女性ヴォーカリストを、少し勉強しようと思って、新譜案内を必ず見るようになって気づいた、いわゆる「女性ヴォーカリスト」の新譜のうたい文句である。もちろんCD評などは、それぞれの好みもあるだろうから、評をそのまま真に受ける方も悪いのだが、それにしてもこれらの評を值じて、いったい何枚つまらないCDを買ってしまっただろう。ここにきて私もようやく、日本のポピュラーシーンというものの輪郭が見えてきた気がする。特に女性ヴォーカリストに関しては言えば、世界的に見てもこれだけ人材の少ない国も、あまりないかもしれないと思いはじめた。それも、これだけ日々、新譜がブレスされ、新人がデビューし、何億というお金が動いていながらだ。それは、ヴォーカルよりも、詞やルックスやメロディラインの方を重視しがちな、送り手の責任もあるだろうし、それをそれで、よしとしている受け手の未熟さ(というより価値観の違いか?)もあるだろう。

それでも、私がここに入ってから、だんだんと自分の中で生まれてきた、「ヴォーカリスト」の基準をクリアしている人は、決して多いとは言えないような気がしてきた。

女性ヴォーカルに共通しているのは、「単に張りがある」ということ、または「単調に聞こえやすい」ということだ。もちろん、この人たちは他の女性ヴォーカリストに比べて、はるかに「ヴォーカリスト」なのだが、今まで洋楽やオペラを聴いてきた耳には、どうもいまひとつ決め手がなく、日本には私の好きになれそうな人は、あまりいないのかと、思いはじめていた。

私は夢みています。いつの日か、世界のどこかの誰かが、私の歌を聞いて、「日本語を勉強したいな」と思ってくれる日が来ることを…。

私の少年時代、BCLという趣味が流行りまじた。これは、短波を受信できるラジオを手に入れ、海外からのラジオ放送を聞く、というものでした。

多感な少年(?)だった私は、その知的な作業(当時はそう思えた)に取りつかれたのです。そして、その時々、偶然に周波数を合わせた電波に乗って流れてくる、世界の音楽に魅了されました。知らない国の言葉によって歌われる調べ世界は、世界の片隅にある日本、そのまた文化果つる地に生まれた子供の頭に、あまたの空想を描いてみせたのでありました。レコードを買うお金のなかった私には、ラジオから流れてくる音楽がすべてだったのです。

それから幾年か経ちました。今では、少しは外国語も分かるような年頃になりましたが、それでも世界の言葉の中のほんの少しです。美しいメロディと深い憂愁を持つロシアの歌の意味は、人に聞かないとわかりません。それをとても寂しく、もどかしく思います。ときどき、北朝鮮のラジオ放送から流れてくるあの「モルダウ」のような曲は何というのでしょう。NHKドラマで、ベトナ厶の少女が歌っていた歌は、どこかで手に入らないのでしょうか。(別に私は社会主義者ではありません。しかし、実際、手に入りにくいこれらの国々の音楽のなかには、胸を打つものが多くあります)

どうして世界中の人々が同じ言葉を話さないのでしょうか?そうであれば、音楽のことだけに限らず、もう少しだけ分かりあえるかもしれないのに。人間がバベルの塔を作りさえしなかったら。

シャルル・アズナブールの「帰り来ぬ青春」「ラ・ボエー厶」を聞かなかったならば、第二外国語にフランス語を選択しようとは思わなかった。。シモーネ、ミルトン・ナシメントエリス・レジーナがいたからこそ、試験もないのにポルトガル語の辞書や参考書を買いあさったのです。

だから、私は自分の作る歌詞が「美しい日本語」でなければならない、と思っています。

世界のどこにだしても恥ずかしくないポエジーと品格を持つコトバ、世界中の子供たちに、もちろん大人の人たちにも、教科書として使ってもらえるようなコトバで、私の苦しみ、私の喜び、そして我が民族の魂を伝えなければならないと思っています。

エディットピアフの「バラ色の人生」、パリが解放され、イヴモンタンとの恋の中で幸せの中で作られた。でもそのとき、日本はまだ空襲にあえいでいた。

うちのお寺も檀家の多くの子弟の五十年忌が今年は大量にある。私は「バラ色の人生」が嫌いだ。

愛の讃歌」課題曲だったので、もう皆さん覚えてしまったでしょう。私もその日に備えて練習したのですが、当日、寝込んでしまって出られませんでした。

で、この歌はいわゆる「シャソン」の代表曲のようにいわれています。さて、皆さん、歌ってみてどうでしたか?「こういうのをシャンソンというのか」「結婚式には使えるかなあ」「あぁ、TVの「知ってるつもり?」でやってたなあ」等々、でしょうか。そして、「まあ、練習にはなるかもしれないけど…。」もっといえば、「まあ、シャンソンって、お歳をめした方々の音楽だよな」

ここで紹介する歌詞は、志摩竜介さんというカンツォーネ歌手(故人)が、あるステージでアンコールで歌ったときのものです。詞は、永田文夫さんという、ラテンヨーロッパ音楽関係ではつとに有名な方が作ったものです。原詞にかなり忠実に作っています。

空が崩れ落ちて 大地が壊れても

恐れはしない どんなことでも

愛が続くかぎり 固く抱きしめて

何もいらない お前のほかには

私は行こう 世界の果てまで

お望ならば

輝く宝を盗んでこよう

お望ならば

祖国や友を 裏切りましょう

お望ならば

お前のためなら 何でもしよう

お望ならば

もしもいつの日か

あなたが死んだとて

嘆きはしない 私も共に

永遠のあの世へ行き 空の星の上で

ただ二人だけで 愛を語りましょう

この人も若くして亡くなったのですが、まだちよつと違和感があります。でも世間に流通している「あなたの燃える手で…」よりは違和感が少ないでしよう。それは世代間の「共同幻想」の違いだと思うのです。

ヴォーカルと集中力 自分の歌をスタジオでテープに録音して、家に持ち帰り聴いてみた。その後、二年前に録音した、同じ歌のテープを聴いてみた。二年前に錄音した歌の中で、ここは絶対変だと思える箇所が若干ましになった程度で、後はたいして変わっていなかった。大きく変わっていると思いたかったが、その程度の違いでしかなかった。

しかし、考えてみれば、テープで確認したその違いの大きさ(小ささ)というものは、二年前と比べこれだけ上達したと、常日頃実感できている程度と大して差はなかった。要するに、テープで聴いたヴォーカルは、その実感を、正確に繁栄しているにすぎないということだ。

二年前に録ったヴォーカルは、MTRを使って、一フレーズずつ、何度も録り直しをしてつくったようなテープだから、それと同じ質のヴォーカルを一発で録れたと思えば、少しはましになったかと思い、そうがっくりはしなかった。

その後、浜田省吾の一番新しいCDを聴いてみた。浜省も今聴くと、それほど上手くはないなと感じた。が、しかし、なんだこの違いは。俺のヴォーカルと全然達うじゃねえか。何が最も違うかということは、考えなくてもわかる。一目瞭然ならぬ、一聴瞭然である。

そのヴォーカルには隙がないのだ。というより、俺のヴォーカルが隙だらけなのだ。もう一度自分のヴォーカルを聴き直してみた。やはりそうだ。もう、スカスカの隙だらけだ。何でこんなにかったるい歌い方をしているのだろう。もっと気合が入って、ビシッとひきしまったヴォーカルが録れないものだろうか?

ヴォーカリス卜には、何よりも集中力が大切なんではないかと。一つのフレーズをどれだけ集中して表現したか、そこに全てがかかっているのではないかと。考えてみれば、今まで表現に対する集中力という観念はないに等しかった。だからたいして上達しなかったのではないか。

浦和レッズ福田正博がこういうことを言っていた。練習のとき、ただ何も考えずに練習していても、うまくはならない。常に本番の試合の中での緊迫した埸面をイメージしながら、練習していかなければうまくはならない、本番に通用しない、と。同じことを少年マガジンの『アルシンド物語』の中で、シュー卜の練習をしているアルシンドに向かってジーコが教えていた。それと同じことなのだ。自分の潜在的に持っている力を最大限に引き出す集中力こそ、トレーニングしていかなければならないものなのだ。

Jリーググランドチャンピオンシップ第二選で、ヴェルディ川崎の固いディフェンスをぬって、ゴールを奪ったアルシンドの、あのスーパーボレーシュートを、君は見たか?彼は、日頃から、ああいう緊迫した場面を想定して練習しているからこそ、神業的なプレーを試合の中で実行できるのだ。「スグニアルシンドニナッチャウヨ」と言ってるばかりではないのだ。

福島先生は、ヴォーカルを野球に例えて説明することが多いが、私はサッカーを観戦することが多いので、サッ力ープレー、またはサッカー選手からヒントを得ることが多い。Jリーガーは、厳しい世界に中で、世界に通用するサッカーを目指して、しのぎをけずっているのだ。同じ世代である私に、果たしてどれだけのことがやれているのだろうかと思わされることが多い。

何事かを成し遂げる人間と、そうでない人間との、最も重要な違いは、集中力なのではないかと推測する。何事かを成し遂げるために、集中力を鍛えたい。

もっと自然に。最近、たびたび実感するのだが、人間パワーがないとだめだ。恐いもんで、声は心を映す。強く優しい声を出したければ、強く優しい人間にならなっていかないといけない。敵は己以外に何ものでもない。

道はいくらでもある。どんな逆境であろうどくじけずにいきたい。価値のあるものに代償はつきものだ。そんなに簡単に手に入るのなら、つまらないことこの上ないはず。

カットのインタビューで、キース・リチャーズがこう言っていた。

「とりとめのない夢を描いたっていいじゃないか。夢はかなうんだ。問題は、夢がかなったときには、夢じゃなくなっているってことさ。

きりがないよな、欲ばりな連中は…。そんななかで焦っても、たそがれてもしょうがない。愚かな俺は、結果を考えちまう。あきらめそうになる。最後には結局やるくせにだ。気がついたら、小さくまとまっちまってる。

何事もポジティブに考えれば、いい方向へ事は運ぶし、やる気さえあれば、何だってできるはずだ。その上で、自然でいたい。そして、たまにあっちゃの世界にいる俺を勇気づけ、強引にもこっちの世界に連れ戻してくれる、明るく元気な様々なものにもっと、感謝しつつ、謙虚に学んで心かないといかんなと思う。ここに対しても、そう感じる。

児童虐待』を読んで思ったこと。数年前にヒットしたスザンヌ・ヴェガの『ルカ』という曲は、子供への虐待がテーマである。私にとって、虐待というより、子どもの死そのものが日常的な関心事なので、曲の背景を知りたくて本を探した。

児童虐待』(池田由子書中公新書)という、子どもへの虐待についての歴史、現状、実態とその統計をまとめた本があった。途中、「こんなものとても最後まで読めない」と何度も思ったが、目を背けちゃいけない気がして、読んだ。本を読んで体が震え、冷や汗をかくなんてことは今までなかった。

子どもと接する機会のない人にはピンとこないことかもしれない。日本ではアメリカほどにも表面化されていないし、みんな、そんなことをするのは育児ノイローゼか、まま母の仕業だと思ってる。

虐待があっても、死に至らなけりゃニュースにもならないし、法律上、親権というのは誠に強く、周りが虐待に気付いても、その親が、「しつけです」と言えば、救い出すことは難しい。だから、みんな知らない。

虐待する親もまた、同じような目にあって育っているケースも多いという。地域とのつながりも希薄な核家族化から、孤独感が若い母親を苛み、そのストレスが無力な子どもへ向けられている。決して特殊なことではない。普通の家庭に広がりつつあるのだ。なるほど、書店で育児所をめくってみれば、どの本にも必ず「どうしても自分の子が可愛くない」「逆上して暴力をふるってしまう私は、おかしいのでしょうか」という悩みごとが載っているもの。

でも、こうやって親が自覚しているうちは、まだましだ。目の前で、他の兄弟を可愛がりながら、「お前なんかいらない」と言われたら…。そう考えるだけでもたまらないのに、自分を殺そうとしている親の顔は、子どもの目にどんな目にどんなふうに映るんだろう。時刻だ。たとえ殺されなくても、この子たちはどんな大人になるんだろう。

親たちは、社会は、そんなにも追いつめられているのだろうか。この人でなしめ、と親を捌いて済むことじゃないのだ。私は出産しても、育児雑誌をろくに見もしなかったから、本当にこんなことは知らなかった。

虐待の末、3日間家に放置された、ある3才の男の子は、母親が戻ったときには衰弱死していた。それでも母を求めたのか、タンスから母親の衣服を引っ張り出し、それを抱いて死んでいたそうだ。

日本の出来事だよ、これ。私の2才の息子が、よく洗濯ものの山から私のシャツをとってきて、「おかあさん」と言って顔に当てている。この子もきっと、こうして恋しがっていたのだろう。まだやっと自分の名言えるくらいの年なのに。

こんな例は世界中にたくさんあり、わかっている事件は氷山の一角だと書いてある。ソッとした。今はもうこの世にいない、小さな坊やの姿が見える。なんて愛しい子なんだろう。どの子もみんな、抱きしめてあげたかった。なのに私にはここで、「やめてくれ!」とわめくことしかできないのだろうか。これじゃ、戦争や人種差別と同じ事だ。

本当は、もうこの本のことは思い出したくない。だけど思い出さずにいられない。この先ずっと、消えることはないと思う。そして、思い出したい、忘れたいと思うのは間違っている。

私の知らないところで、なんていろんな事が起きていることか。テレビで、今年もエチオピアは大凶作だと伝えていた。ニュースじゃ、ほんの一瞬しか取り上げてくれない。笑うことも、泣くこともしない大きな目の赤ちゃんが、こっちを見ていた。
いつかAP通信のスクープ写真を見たことがあって、それはギクッと胸をつかれる強烈なメッセージを伝えており、目が釘づけになった。60才くらいの老女が、ドクロにほおずりして泣いている。セルビアの人だ。キャプションを読まなくても、頭骸骨はこの人の息子さんだとすぐにわかった。戦火の中、命がけの撮影だったに違いない。表現するって、こういうことだと、今ならわかる。

ただちよっと、『ルカ』という曲のことをもう少し深く知りかっただけの私は、本を読み終えて、このことを自分に問い直さなくちゃならなかった。セルビアのおばあさんを撮ったあのカメラマンくらいに、私はやっているか。たとえそれが、戦争とか悲惨なことじゃなくても、恋の歌だったとしても、たった1フレーズ、この人みたいにやっているか、ということを。それができていなかったら、音楽は力にはならないのだ。

パラレルワールド

一本の枝が二本Uわかれ、二本の枝が四本にわかれ…

そして永遠に続くとき、パラレル=ワールドが存在する。

君が生まれてから、何度選択を繰り返してきただろう。

とある道、まっすぐに歩いてきた道が左右にわかれ、

わかれた二人の君が、また左右にわかれる。左右にわかれた君がまた…

道の数だけの君が存在する。

無限の過去に、無限の未来を乗じた数の君がいる。

ひとの数だけ、

パラレル=ワールドは存在する。

事象の数だけ、

パラレル=ワールドは存在する。

飽くほど無限に、

パラレル=ワールドは存在する。

僕は今、ほっとする。

パラレル=ワールドが

瞳に映らないこと。

君も今、ほっとする。

パラレル=ワールドの存在を

感じないこと。

でも僕は、こわくなる。

無限の織りなすその模様が、僕を見えなくしてしまうこと。

でも君も、こわくなる。

自分が「今、どこに」いるのか、

わからなくなること。

地球が、いくつあるか知ってるかい。うたが、どれだけあるか

知ってるかい。

四方、八方に拡がる道が、

僕たちを惑わせる。

無限のパラレル=ワールドにも、自分を織る自分の道は、一本しかない。

ただ、見えないだけなのに、

僕らはいつも惑う。

それでも…

僕たちが、僕たちであるために、

この世で一人の君と、この世で一人の僕であるために、僕らは選び続ける。

ひとつ、ひとつ、ゆっくりであっても、無限の時間を択り続ける。

そして…ひとりになる。

君は一人しかいない。

ただ、独りぼっちになるだろう。

それでも…

ひとり、風に吹かれ、

走り抜けるのか。

無限という抱かれて懐に眠るのか。

WELCOME TO“PARALLEL WORLD”

ここは無限の絲が織りなす永遠の国、パラレル=ワールド

ソング・フォー・ミー 私は、少年の頃、自分を変えてしまうほどの大きな衝撃に出逢いました。

ヘビメタと罵しられ、その当時は、世間に認められてもいなかったロックのコンサー卜にいったことです。兄に連れていかれ、坂を上り、大きなお寺のようなところへ行ました。長い髪の人や、薄汚れたジーンズや革ジャンを着ている人がいっぱいいました。そして場内は暗くなり、大きなズーンという低い音とともにステージが暗闇に浮かびあがり、歓声とともにスター卜しました。私はなぜかポーっと立ったまま、泣いていました。そしてすべてが終わってから、足が震え、座りこんでしまいました。帰る人たちは、みんな、何かすごく満足そうな顔をして、興奮していました。

それから五年がすぎ六年がたち、バンドをやる機会を経て、自分で演奏し、人に聞かせるようになりました。あのときの興奮は、今の自分の中で今だに燃え続ける私の全てです。そしていつしか、自分もその興奮を、人たちに聞かせてとどけたいと思いました。

しかし外国人の声は、太さは、つやは…。ずーっと練習してもだめでした。友だちは、肉を一キロ食べなければだめだと言います。私は、日本人ですし、日本が好きなのに、それはすごくショックでした。でも先生の本を読んで、そんなことはないと考えなおし、希望が出てきました。でも一ニ〇%の努力が必要ですが。

みせかけで、スポットライトや、つくられた演出よりも、自分の声、自分の歌で全てをひきつけられるヴォーカリストになりたいと思います。そのための努力は、絶やさないでいきたいと思います。いつかスポットを浴びられるようになっても…。

最近、雑誌でよくSUPER JUNKEY MONKYを見かける。CMJ MUSIC MARATHON(だったと思った)に出場したりして頑張ってるみたいだ。彼女たちは友人、ってワケじゃないのだが、少し前までスタジオが一緒で、何度か話したことがある。週に二回ほど顔を合わすってのが、一年位続いてた気がする。最近見かけないけど、お互い頑張りたいモンだ。みなさん今年はやりましょう。俺はやるよ。

詩人、谷川俊太郎氏の詩作についての話。これは、六、七年前の雑誌に載っていたものなので、なかなか読まれる機会がないと思うので、ここに紹介します。

谷川さんが詩を創り始めたのも、やはり高校生の頃でした。

「友人に誘われて創り始めたんですよ。大学受験の勉強がいやで、詩を創っては投稿していたんだけれど、あくまでも趣味だった。僕はどちらかというと、文学青年ではなくて、オーディオや短波のラジオを組み立て機械少年で、模型飛行機を作っては遊んでいたんですから」

「ことばを綴ると世界の模型ができる」。それが谷川さんの創り方でした。谷川さんが書いた初めての詩は、夜の教室の風景を描いたものです。

それから二年。大学ノー卜に二冊ほど作品ができた頃、父である哲学者の谷川徹三さんの友人であった詩人の三好達治さんに認めされて、「文学会」に「ネロの他五篇」が掲戴されて、詩人としてのデビューを飾ったのです。「文学としての詩を考えたとき、詩を作ることを教えることはできないし、習うこともできない。詩は才能です。」

と厳しい谷川さんですが、ご自身の経験から、詩に接すう上でのアドバイスをしてくれました。

「僕の場合、宮沢賢治が好きで読み、また他にいくつか好きな詩集もあったけれど、詩集を読みふけるということはなかった。詩というものは、たくさん読む必要はない。それよりも自分が惚れこむ詩や詩人を見つけた方がいいと思いますね。そして、書くのだったら、人まねでいいのだから(ほとんどの文章は人まねで成り立っている)、書く。書いて書いて、これじゃあ自分の思ったことが書けないと思ったときが、自分のことばが生まれるときですよ」

やはり、詩はそう簡単に書けるものではないようです。それでも本気で創る気ならば、次の二つが基本姿勢だとつけ加えてくれました。

「一つは、いかにも詩的な決まり文句に惑わされないこと。そして、もう一つは一所驟命、生きること」

この企画は実にいい。今日は人数が少なかったせいもあって、なおよかった。普段の練習のあらい直し再確認、あるいは同じ課題をより深いレベルで意味づけし実践していくことが集中的にできる。これはいいぞ!昨日、公演日だったがとてもうれしいことがあった。自分の次に出た人が、MCの中で、私を本気でほめてくれた。彼いわく「声に表情がある」「歌をピアノが一体となっている」そうだ。涙がでそうになるほど嬉しかった。そしてなお一層、努力せねばと思った。

ついこの前までヴォーカルというパー卜がそんなにバンドの中で大変なパー卜だと思ってなかったので、キャリアはある程度あったものの、そんなものはキャリアと呼べるもるではないということがわかった。まだまだ個人レッスンで腹式呼吸の練習がほとんどで、まだ声を学ところまでのレベルに逢してないし、出された課題を一応、自分なりにやって行っても、次のレッスンでは「それはちょっとちがう筋肉を使っているよ」って感じで一ヵ月の努力が水の泡というのがあったし、

VHの課題も中途半端な練習しかしてないため情けない思いも何回かした。

まだまだ始めたばかりであるが今年は「自分はヴォーカリストだ」という自覚を強く持てた年であったし、毎日毎日トレーニングを続けることの大切さがよくわかった。

正直なところ、たとえギターの練習(私はギタリストでもある)、曲作り、海賊放送のFMラジオのDJ(MCの練習がてら)、洗濯etcに時間を取られ、思うように練習できないときもあるけど、考えてみれば腹式呼吸の練習ならいつでもできるし考えてみりゃ、そんな一日暇な人もこの世にはいないはず。いいわけばかりしていないで来年はともかく与えられる課題をきちっとこなすこと、毎日トレーニングすること、自分なりのペースで自分にしかできないものを作り出せるようにしたい。すごくあたりまえのことですなあ。

役者修行を始めて三年弱、スター卜が遅い分、「何事も人の三倍」がモッ卜ーです。

舞台が好きで、八年で、150本ほど観て感動を味わい、その勢いで、会社勤めの傍ら、俳優養成所に通い、演技の素晴らしさを知り、会社を辞めた次第です。当面貧乏でしょうが、役者を職業としてとらえ、何年かかろうと、実績を積み上げられる様、地道な努力を統けます。

とは言っても、問題の多さには、頭が痛くなります。特に声の問題については、途方にくれていました。その問題とは、アレルギー性鼻炎があること、そして声に艶がなく、ブレスも浅いことでした。

第一の問題に関しては、鼻炎を治すか、でなければ、このハンディに応じた発声法を見出すかだと思っていましたが、いずれにしても難問です。次の問題に関しても、色々考えてきましたが、具体的な方法論が見つからずにいました。

そんなときに、こちらを知ったのです。

福島先生の力ウンセリングで、「プロは鼻が詰まっていても、プロの声を出している」と伺い、心強く思いましたし、また、声を出すポジションを深いところに変え、それが体に染み込むまで、トレーニングを繰り返すという方法には、深く共感を覚えました。そして、これが何より、決め手になりました。

当然、自分の努力次第ですが、こうして希望の持てるシステムに出会ったからは、それを信じ、不断の努力を統けるだけです。肉体的時間的にはかなりきついのですが、文頭に述べたとおり、本当に人の三倍やらなければ、役者としての実力がつく前に、経済的に破綻してしまいます。

そうならないための訓練の一環として、こちらを利用させていただきます。長いお付き合いになると思いますが、宜しくご指導のほどお願い致します。

音楽のことは、何も知らないし、何もできない私ですが、精一杯努力していきたいと思います。たぶん恥のかき通しになると思いますが、それも勉強だと思って、諦めずに統けていきたいと思います。おかしな事を言うかもしれませんが、わりに素直な性格なので、遗慮なくおっしゃっていただきたいと思います。

音楽は、ハウスとか、コンピュータでがんがんに打ち込んであるものは苦手で、アコースティックなものが好きです。カラオケは好みません。音楽以外は、推理小説やミステリーを読むのが好きです。

私と一緒にレッスンに出た方はご存じかと思いますが、音楽的にかなりかけているところが多々ありますが、私なりに前進していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

今の段階で自分で決めた課題は、まず体を使って声が出せるようになること、音程とリズムをとれるようになることです。大変な音痴で、頭で思っている音と自分で出している音が食い違ってしまって、わけがわからなくなるときがあるので、自分がとっている音と、実際に出している音とのずれをなくしたいと思っています。

柄にもなく大変なあがり症で、人前で一人で歌うと考えただけで、すっかり己を失ってしまいます。自身があるときでもあがるので、音程に自信がない今は、頭が真っ白状態です。

人前でも落ち着いて歌えるように、自分に一つでも自信が持てるところができるように、訓練していきたいので、ご指導のほどよろしくお願い致します。

ここを知ったのは、プレゼントされた二冊の本だった。初めはあまり理解できなかったけど、何回か読んいでいるうちに、「ふーん」と思えることがふえてきた。書いてあることも納得できたので、また読んでみた。それから、頭の中でいつも、イメージだけは本にあったようにもっていた。

実際、初めてレッスンを受けてみたのだけれど、僕の想像をかなりこしていたので、ショックとやる気があふれていた。まあこれが続くがは自分次第ですが。今までと違うことは、考えるだけではなく行動に移しているということ。人生、一度っきりだからね。そう思いながら、せっかくの一歩をこれからずっと続けていこうと思います。

テレビがなくても、電話がなくても、布団がなくても、「音の出る箱」は、部屋に鎮座しているだろう。ディズニーランドに行けなくなっても、フランス料理が食べられなくなっても、愛する人の瞳を見つめられなくなっても、鼓膜を伝わって全身に染みとおる感覚を、残しておきたい。

音楽は、私に多くの感動を与えてきた。今度は、私が音楽で次世代のために、行動を起こさせたい。しかしその前に、音楽の前面に出て表現することで重要視される、「スポークスマン」が、「音程・音質音量」の、基礎工事を完成させなければならないのは、自明の理である。

人々に行動を起こさせるための準備段階として、ここを「利用」していくつもりである。