渡部まさしのブログ (original) (raw)
10月27日、投票日。20:00、私は選挙事務所(日本共産党千葉県中部地区委員会)でテレビの開票速報を確認しました。千葉1区、結果は立憲民主党の候補者が当選。12,662票で5位、得票率は5.58%でした。
日本共産党の選挙方針は、「比例を軸に」ということ。比例候補を当選させるための主戦場が小選挙区であるという位置づけです。とはいえ、私は「小選挙区でも議席獲得」を目指して選挙活動を頑張っていました。初めから諦めていては、比例にも票が入りません。自分も国会で発言するんだ、という勢いで演説を繰り返していました。ですから、厳しい結果に大変悔しい思いがしました。そして全国的に見ても、日本共産党は2議席を失って8議席となりました。重く受け止めなければならない、と思いました。
しかし、多くのみなさんが日本共産党に投票して下さいました。もし頑張らなければ、もっと後退していたかもしれないと思うと、2議席の減少で食い止めたというのは、一つの成果であったとも言えます。
SNSでは、敗因について、様々な意見が出ています。投票行動は複雑ですから、どの意見も一定程度、結果に影響したのでしょう。私自身としては、やはり、日本共産党のアピールがまだまだ不足している、そのため自公過半数割れの激動の中で存在が埋もれてしまった、という点を重く見ています。
「日本共産党」という党名は、日本人なら誰でも知っているほどの知名度があります。しかし、その名称と結びついたイメージの多くが、統一協会や創価学会、自民党などが振りまいてきたネガティブイメージです。このネガティブイメージを打ち消すだけのインパクトあるアピールを広げなくては、支持拡大は見込めない。そう考えています。
そのためにはどんな手段があるでしょうか。日本共産党が、共産党のネガティブイメージ(反共デマ)を打ち破れずに来た大きな原因としては、マスメディアからの排除があります。大企業から広告費を受け取って運営しているマスメディアは、大企業批判を繰り返す日本共産党を厳しく排除します。
マスメディアに頼らない形で、日本共産党の主張と実態に関する正しい知識を広げなくてはならない。これは赤旗の購読とも関係することです。
SNS活用の可能性を、広げに広げていくことも一手だと思います。SNSと草の根の地域的なリアルの結びつきの両面を、結びつけながら展開していく。tiktokなどの動画サイトの活用も大胆に行っていかなくてはなりません。その際に、今回の選挙戦を通じて私が感じたのは、「候補者個人の人生が見える配信」ということです。政策は盛んに打ち出していますが、有権者はその特定の政治家が好きか嫌いか、信頼できるか否かを同じくらい重視します。ブログでもいいし、候補者の個人サイトでもいいし、さらには、全ての党員が、自分の人生、入党の志を文章にして、誰でも参考にできるよう用意しておくことです。
地域的な拡大活動では、深い政治談議、人生論には、なかなかなりません。しかし、文章ならば、時間のある時に読んでもらうことができます。私の選挙用ブログは、主に千葉県HPに張り付けられたリンクからアクセスされて、3000以上のアクセスになりました。難しい話、深い話をこれだけの人数を相手にできるというのは、共産党にとって強みです。日本共産党というのは、難しい話、深い話にこそ本領が現れるからです。
社会が、難しい話、深い話に踏み込めば踏み込むほど、状況は日本共産党にとって有利になります。そういう状況をいかに作っていくか。大規模宣伝とインターネットの活用を有機的に組み合わせて、選挙戦術をさらに向上させていくことが求められています。
本当の日本共産党をいかに知ってもらうか。すべてはそこから始まるという考えです。
日本共産党は内部でどんな学習を行っているか?
そこに興味のある人も多いと思います。
「洗脳教育」なんてものが本気であると信じている人もいます。
私は地区党学校の講師をしていますので、あくまで一例としてですが、レジュメの一部を転載します。
日本共産党を理解して頂く一助になれば幸いです。
(地区党学校は一回3時間半で行われています)
地区党学校(2024) 科学的社会主義 渡部まさし
0. はじめに
科学的社会主義とは?
・現在の問題を解決し、希望ある未来を開くために必要な、真実をつかむための理論
綱領・規約による科学的社会主義の位置づけ
日本共産党綱領(2020)一、(一)
「日本共産党は・・・科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。」
日本共産党規約(2000)第一章第2条
「党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする。」
→科学的社会主義の考え方に基づいて、綱領、規約、大会決定、選挙政策などが検討され、決定されている
→科学的社会主義を学ぶことで、日本共産党の考え方をもっと深め、自分の意見も論理的に言えるようになり、自信を持って市民に説明できるようになる(党の諸決定の根拠が分かる)
科学的社会主義の代表的な3人の思想家
カール・マルクス 1818-1883 ドイツ、トリール生まれ。父親はユダヤ人の弁護士。1824キリスト教の洗礼を受ける。ボン大学で法学、ベルリン大学で哲学を学ぶ。はじめ急進的民主主義者として新聞、雑誌を編集。次第に共産主義の立場に移る。パリ、ロンドンと亡命を重ねながら出版・研究を続け、共産主義者同盟を結成。アメリカまで文名が鳴り響く。インタナショナル設立に参画、綱領と規約を作成する。
フリードリヒ・エンゲルス 1820-1895 ドイツ、ライン州生まれ。父は富裕な紡績業者。急進的民主主義者から共産主義に入る。マルクスに経済的な援助を与えるほか、マルクスとの共著だけでなく多数の重要な著作を発表。資本論第2巻と第3巻を編集・出版。
ウラジミール・イリイチ・レーニン 1870-1924 ロシア、シンビルスク生まれ。父は貧しい仕立屋に生まれながら世襲貴族にまで登りつめた成功者。カルムイク人またはキルギス人との間に生まれた人物。母はユダヤ人とドイツ人・スウェーデン人の血を引いた。民族的偏見と差別を憎む環境。兄は皇帝暗殺未遂事件により処刑される。18歳頃から資本論を読む。弁護士となるが、20代から逮捕・流刑される。国外に亡命しながらボリシェヴィキを指導、ロシア革命を成立させる。
宮本顕治も不破哲三も志位和夫も田村智子も、この伝統を継承し発展させてきた
「世界の問題を理解し、実践的に解決するための総合的な理論」
「万民の自由を実現するための理論」
・世界を変革するためには、世界がどうなっているか、その仕組みを知らなければならない
→仕組みが分かれば、世界のどこが悪くて、どのように改善すれば良いかが分かる
1. 科学的社会主義の世界観
「マルクス主義(=科学的社会主義)の三つの源泉と三つの構成部分」(レーニン)
→6P~11P
科学的社会主義は、主に3つの分野から成立している
a)ドイツの哲学→1.科学的社会主義の世界観
b)イギリスの経済学→2.科学的社会主義の社会経済学
哲学・・・18~19世紀前半、ドイツ古典哲学から直接的な影響を受けている
・マルクスはまず哲学を研究した。はじめは特にヘーゲルの研究に力を入れ、学位論文は自然哲学を論じた。
「二人の哲学者は全く同じ学問を全く同じ仕方で説いている。だが、彼らは、この学問の真理性、確実性、適用に関する、思想と現実との関係一般に関する、全ての点で、正反対な立場を取っている」
→若いマルクスは「思想と現実の関係」に注目した
「エピクロスより前には、原子には落下の運動と反発の運動しか認められていなかった。エピクロスは、空虚のただ中ですら、原子は直線から少し偏る(クリナメン)、と想定し、自由はそこから生ずる、と言った。」
→マルクスにとって最大の目的は、若い頃から「自由」だった
※自然哲学は唯物論の傾向が強い
※エピクロスは貧困の中に育ち、奴隷をも学園に受け入れた
自然哲学・・・自然の原理、自然と対応した人間の生き方などを探求。アルケー(根源)
タレス、ヘラクレイトス、デモクリトス、ピュタゴラス、アリストテレス・・・
→唯物論はマルクスが作ったものではなく、古代ギリシア時代の伝統を受け継いだもの
→古代ギリシアでは観念論より先に唯物論的な自然哲学が発展した
・マルクスとエンゲルスは若い頃、ヘーゲル左派(青年ヘーゲル派)に属した(ほかにフォイエルバッハ、ブルーノ・バウアー、シュトラウス、シュティルナーなど)。
→ヘーゲル左派は宗教批判を展開し、社会改良のための哲学、政治批判に熱心だった
・・・検閲の廃止、出版の自由などの民主的要求
→唯物論をマルクス・エンゲルスに確信させたのはフォイエルバッハだった
→ヘーゲル右派が(完成した)体系を重視したのに対し、ヘーゲル左派はヘーゲルの方法を重視した
※マルクスの宗教的見解・・・宗教批判は既に終わっており、宗教の社会的根源を改革する必要を説いた。
『ヘーゲル法哲学批判序説』(マルクス)
「ドイツにとって宗教の批判は本質的には済んでいるのであり、宗教の批判はあらゆる批判の前提である。」
「この国家、この世間が、世の中というものの一つの倒錯した意識である宗教を生み出す。そのような国家、そのような世間が一つの倒錯した世の中だからである。」
「人民の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは人民の現実的幸福を要求することである。・・・それらの幻想を必要とするような状態の廃棄を要求することである。」
「批判の武器は確かに武器の批判にとってかわることはできず、物質的な力は物質的な力によって倒されねばならぬが、しかし理論といえども、大衆を掴むやいなや、物質的な力となる。・・・ラディカルであるとは、事柄を根本において捉えることである。人間にとっての根本は、しかし人間自身である。」
「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見いだすように、プロレタリアートは哲学のうちにその精神的武器を見いだす」
「ドイツ人の解放は人間の解放である。この解放の頭脳は哲学、心臓はプロレタリアートである。」
・空想的社会主義に対して
→天才的個人の頭の中にある「未来社会」を、ブルジョワの協力のもと、社会に押しつけようとした
・・・マルクス・エンゲルスとは逆の発想
【世界観とは何か】 ・・・世界に対する見方・考え方。世界観は哲学を含む。
世界・・・宇宙・自然・社会・人間・原子・素粒子・クォーク・・・階層をなしている
様々な世界観 (例)
現代日本人の世界観 奈良時代の日本人の世界観 仏教の世界観 キリスト教の世界観 科学的世界観 個人的世界観/集団的世界観 階級的世界観(ブルジョワジーの世界観/労働者の世界観/自営農民の世界観)
→理論についての考え方・・・相対主義と絶対主義 正しさ(正当性・真理性)について
→カントのような観念論者とは違い、科学的社会主義は、科学的方法によって相対的真理(部分的真理)を積み重ね、絶対的真理(完全な真理)に無限に近づくことができると考える
・正当性の証明・・・現実を正確に捉える、理論と対象が一致するならば正当性を持つ
・理論・・・「観察」や「経験的法則」に説明を与える法則の体系。
・科学・・・古代ギリシアが起源。西欧近代科学は、実験や観察、数学の利用に特徴を持つ(具体的事実から出発する)また、技術(科学技術)と結びつき、相互に発展してきた(科学技術の発展を後押ししたのが資本主義である)。
・理論と実践=理論と実験・・・ベーコン、仕事の重視。実践こそ理論の発展のための条件。「人間的思考に対照的な真理が到達するかの問題は、理論の問題でなく、実践的な問題である」(マルクス:フォイエルバッハに関するテーゼ)
→理論の最終目標は現実の変革である。
哲学とは何か・・・「統一的全体的な人生観・世界観の理論的基礎の知的探求」
あらゆる対象が問題になるが、問題を整理すると、哲学には「根本問題」がある
根本問題への解答を巡って、哲学は対立する二つの陣営に分かれる。
→観念論と唯物論
「自然と精神の関係」・・・自然から精神が生まれるのか、精神から自然が生まれるのか
(哲学の最も根本的な問題)
(1)「あなたは、人間が生まれる前に、地球があったことを認めますか」
(2)「あなたは、人間がものを考える時、脳の助けを借りていると思いますか」
(3)「あなたは他人の存在を認めますか」
【観念論とは何か】・・・個人の意識が対象を生む、という発想。
→主観的観念論、客観的観念論、超越論的観念論、現象主義、唯心論
近代的観念論はデカルトの方法的懐疑に始まる(コギト、延長と思考の二元論)
→観念論の代表的な哲学者 プラトン、バークリー、カント、ヘーゲル
→観念論は支配階級の精神的支配の道具になる(体制を守る理論)
★観念論には、体制擁護のイデオロギーの問題がある
・・・観念論は現実の対立や矛盾を認めず、体制擁護に傾きやすい(宗教と隣接する)
「世の中は間違えているが、自分が考え方を変えて我慢すればいいじゃないか」
→現実の(不正義の)世界に合わせて、自分の観念を変えようとする
【イデオロギー】
社会におけるそれぞれの階級や党派の利害を反映する一定の観念、見解、理論の体系。政治的見解、法律的観念、道徳、宗教、哲学などは全てイデオロギー。
精神的労働の目的意識的な所産。社会心理や階級心理とは区別される。
支配階級のイデオロギーは「虚偽意識」。故意の欺瞞。デマゴギー。「精神的支配の方法」。
ex)「八紘一宇」「大東亜共栄圏」「自由・平等・友愛」「反共デマ」
「階級社会における支配的思想は、支配階級の思想である。」
社会的意識諸形態に現れる先入観・思想傾向
※イデオロギーは全て間違えているわけではない。正しい科学的理論に基づいた正しいイデオロギーを普及させる必要がある。
【社会的意識諸形態】
上部構造を形作る政治的・法的制度や道徳・宗教・哲学・芸術などのイデオロギー。社会がどのような上部構造を生み出すかは、究極的には経済的土台に規定される。
経済的利害に基づく階級対立は上部構造にも反映され、上部構造でも闘争が行われる。
【ヘーゲル】
1770-1831。ドイツ古典哲学の完成者。客観的・絶対的観念論。絶対的なイデー(宇宙理性=神)が自己発展・自己外化し、自然に転化し、人間において自己意識に到達し、歴史のうちで発展し、自己認識(絶対精神の顕現=自由の完全な実現)に到達する、という壮大な世界観を体系化した。
マルクスもエンゲルスも学生時代はヘーゲルを研究し、弁証法を批判的に受け継いだ。
唯物論とは何か
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは人間の歴史の発展法則を発見しました。・・・人間は何よりもまず飲み、食い、住み、着なければならないのであって、しかるのち政治や科学や芸術や宗教などに携わることができるのだということ、ですから直接的な物質的生活手段の生産と、一国民または一時代の経済的発展段階が基礎をなし、そこの人たちの国家制度や法思想や芸術、さらに宗教的観念さえもがこの基礎から発展してきたのであって、・・・その逆であってはならないということです。」
エンゲルス『反デューリング論』
「マルクスと私とは、意識的な弁証法をドイツの観念論哲学から救い出して、唯物論的な自然観と歴史観の中に取り入れた、ほとんど唯一の人間だった。」
「ヘーゲルは観念論者であった。つまり彼には、彼の頭の中にある思想は、現実の事物や過程の多かれ少なかれ抽象的な模写とは考えられなかった・・・こうして、全てのものが逆立ちさせられ、世界の現実的な連関があべこべにされてしまった。」
→観念論は世界をあべこべに考えている。(労働者が最も重要なのに資本家が最も重要だと考える、等)
「近代唯物論は本質的に弁証法的であって、もはや他の諸科学の上に立つ哲学を必要としない。・・・これまでの一切の哲学の中でなお独立に存在するのは、思考とその諸法則に関する学問、形式論理学と弁証法である。そのほかのものはみな、自然と歴史に関する実証科学に解消してしまう。」
→支配的な哲学は観念論であって、重要な哲学は弁証法的唯物論と科学である
「これまでの全ての歴史は階級闘争の歴史であったこと、・・・戦う諸階級は・・・経済関係の産物であること、・・・こうして、唯物論的な歴史観が打ち立てられ、これまでのように人間の存在をその意識によって説明するのでなく、人間の意識をその存在によって説明する道が見いだされたのである。」
→歴史を動かす真の動因は、階級闘争である
→歴史の理解にとって重要なのは、人間が何を考えていたかではなく、客観的にどのように生活していたか、である
「唯物史観と、剰余価値を媒介する資本主義的生産の秘密の暴露とは、マルクスに負うものである。この発見によって、社会主義は科学になった。」
「世界の現実の統一性はその物質性にある。」
「運動は物質の存在の仕方である。運動のない物質は、かつてどこにもなかったし、ありえない。」
「生命とは蛋白体の存在の仕方である。」
「ヘーゲルにとっては、自由とは必然性の洞察である。自由は・・・法則を認識すること、それによって、法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある。・・・意志の自由とは、事柄についての知識をもって決定を行う能力を指すものに他ならない。」
「自由とは自然必然性の認識に基づいて、我々自身および外的自然を支配することである。従って、自由は、必然的に歴史的発展の産物である。」
『ドイツ・イデオロギー』(マルクス)
「我々が出発点とする諸前提は、何ら恣意的なものではなく、ドグマでもなく、仮構の中でしか無視できないような現実的諸前提である。それは現実的な諸個人であり、彼らの営為であり、そして、彼らの眼前に既に見いだされ、また彼ら自身の営為によって創出された、物質的な生活諸条件である。それゆえ、これらの諸前提は、純然たる経験的手法で確定することが出来る。」
「人間史全般の第一の前提は、生きた人間諸個人の生存である。」
「これらの諸個人が自らを動物と区別することになる第一の歴史的行為は、かれらが思考するということでなく、彼らが自らの生活手段を生産し始めるということである。」
→人間の人間たるゆえんは、自分たちの生活に必要な物を自分たちで作り出す所にある
「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する。」
→人間の考えや思いは、社会的な生活環境に本質的な影響を受けている
「実践的な唯物論者すなわち共産主義者にとっては、現存する世界を革命的に変革すること、眼前に見いだされる事物を実践的に攻略し変革することこそが問題である。」
「支配階級の思想が、どの時代においても、支配的な思想である。すなわち社会の支配的な物質的威力である階級が、同時に、その社会の支配的な精神的威力である。」
→人間の考え方は、支配階級に精神的に影響を受け、コントロールされている
「フォイエルバッハは宗教の本質を人間の本質へと解消する。しかし、人間の本質とは、個々の個人の内部に宿る抽象物なのではない。それは、その現実の在り方においては、社会的諸関係の総体(アンサンブル)なのである。」
→社会こそ人間の本質である
「古い唯物論の立脚点は市民社会であり、新しい唯物論の立脚点は人間的社会、あるいは社会的人類である。」
→唯物論は資産や身分ではなく、人間であることだけを条件とした社会に立脚する
「哲学者たちはただ世界を様々に解釈してきたに過ぎない。肝心なのは、世界を変革することである。」
「物質の概念を受け入れるか、それとも否認するかの問題は、人間が感覚器官の証言を信頼するかの問題であり、我々の認識の源泉の問題であり、・・・古くなることがない問題である。我々の感覚を外界の像と考えること、客観的真理を認めること、唯物論的認識論の立場に立つこと、これは同じ事である。」
「弁証法的唯物論は、人間の進歩していく科学による自然認識は、みな一時的・相対的・近似的なものだ、と主張する。電子は原子と同じように極め尽くすことができないものであり、自然は無限であるが、しかし無限に存在する。」
・「物質」が第一次的なものであり、思考・精神・意識はあとでくるものである
・客観的実在、我々の意識の外に独立に存在しているものが、我々の知識の源泉であり、感覚の原因である。我々の理論、観念などは、この客観的実在の像である
(唯物論的根本思想)
・唯物論は、自然科学の成果に立脚し、その成果を一般化する
・物質および運動の不滅
・唯物論は、自然・社会の法則の研究と利用によって、人類に世界を認識し変化させる強力な手段を与える
・唯物論は科学的研究の足場になり、科学的研究によって発展する
・唯物論は、世界をあるがままに観察し、その諸事実を現実の連関、固有の連関において見ることにほかならない
・形而上学的・機械的唯物論・・・ラ・メトリ、エルヴェシウス、ドルバック、ディドロ→「発展」がない=弁証法がない。静態的。フランス革命時に流行した
・素朴実在論と哲学的唯物論はどう違うのか・・・「経験」という根拠を共有
「人類の素朴な確信を、唯物論は、意識的にその認識論の基礎とするのである」
(レーニン)
・・・感覚、意識と外界との結びつきを科学的に研究し定式化することで区別される
・なぜ唯物論が正しいのか
→近代科学・現代科学の成果が宇宙から素粒子までの世界を明らかにしており、世界の客観性は常識になっている
→次々と明らかになる最新の科学的成果は、唯物論の正しさを証明する
→唯物論はプロレタリアのイデオロギーであり、真実を認識できる立場はプロレタリアートの立場にある
→観念論は支配階級の思想として利用されてきた
→唯物論はフランス革命期にも、啓蒙思想と繋がりながら大きな力を持った
唯物論にとって中心的・本質的な概念は「物質」である
※過去の物質の定義
・スピノザ「実体とは、それ自身の内にあり、また、それ自身によって把握されるもの、すなわち、その概念を形成するのに他の事物の概念を必要としないもののこと」
→実体は実体自身の原因。客観的実在の変化・発展の中で同一のまま留まり続ける
・客観的実在の概念は、「物質」として与えられている(レーニン)
→物質の定義としては、「客観的実在である」とするのが正しい
・物質の構造の認識は科学の発展と共に変化する
・運動は物質の存在様式である(静止の相対性)
・・・全てのものが運動し、事物相互のたえまない相互作用がある
・・・運動とは変化一般である
・・・運動は、低次のものから高次のものへの発展を含む
(無機的運動→生命→人間社会)
・空間と時間とは、存在の客観的=実在的な形式であり、物質の存在形式である
・物質の無限性
→物質的世界は無限であり、ミクロにもマクロにも限界がない
→無限とは一つの矛盾であり、数々の矛盾に満ちている(エンゲルス)
・弁証法的唯物論は、唯物論的一元論である 世界は物質性において統一されている
※二元論・・・物質と観念の切り離し(デカルト)
弁証法とは何か
→弁証法の歴史・種類
ギリシアの対話術・・・対話を通じて真理を知る方法
アリストテレス(『形而上学』)、カント(『純粋理性批判』など)の影響が大きい
ヘーゲルの弁証法 自己矛盾に積極的な意味を見いだし、一切の事物および事件の本質だと考えた。一切の運動および変化、一切の生命および活動の原理。
弁証法の定義
ヘーゲル 「弁証法的なものの正しい理解と認識は最も重要である。それはそもそも、現実のあらゆる運動、生命、活動の原理である」(『エンツィクロペディー』)
・人間的知性の弁証法的自己矛盾。およそ有限なものが含む自己矛盾こそ一切の事物および事件の本質。この自己矛盾によってそれらは自己の反対物に移行し、それとともに自己を止揚(アウフヘーベン)する
・止揚・・・現存のものが単純に廃棄されるのでなく、同時にまた新たな姿において高次の次元へ転化されること。古い不要な要素は捨て去られ、必要な要素は新しい姿に受け継がれる
・肯定的、積極的なもの→否定的、消極的なもの→否定の否定、新たな肯定的、積極的なもの
・端緒→進展→終局(終局がまた端緒になり、三段階で発展が続いていく)
・第一のもの→第一のものの否定→第二の否定
・直接性→媒介性→直接性の回復
・即自→対自→即かつ対自 ・普遍→特殊→個別
・無階級社会→階級社会→新たな無階級社会
・「精神は絶対的分裂の中にあってこそ、その真理を獲得する」
・事物とその認識が、一度分裂や否定の状況に置かれ、そこから一定の労苦を経て高次元で自己統一を回復する
・運動や変化の結果の記述ではなく、運動それ自身の論理、生き生きとした直観を学的に説明する論理
「和解させ得ないもの、解決できないものと考えられたこれらの両極的対立、無理に固定された境界線や類別こそ、近代の理論的自然科学に狭い形而上学的な性格を与えた。・・・こういう対立や区別は、相対的な妥当性しか持っておらず、そういう対立や区別が持っていると考えられている不動性や絶対的妥当性とは、我々の反省によってはじめて自然の中に持ち込まれたものだという認識-この認識こそ、弁証法的な自然観の核心をなすものである。」(『反デューリング論』)
「弁証法、いわゆる客観的弁証法は、自然全体を支配するものであり、またいわゆる主観的弁証法、弁証法的な思考は、自然のいたるところでその真価を現している所の、もろもろの対立における運動の反映に過ぎない。そしてそれらの対立こそは、そのあいだの不断の闘争により、また結局はそれらがお互いに移行し合うかより高次の形態に移行することによって、まさに自然の生命を条件付けているのである。」
(『自然の弁証法』)
「私の弁証法的方法は、根本的にヘーゲルのものとは違っているだけでなく、それとは正反対のものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名の下に一つの独立な主体にさえ転化させている思考過程が現実的なものの創造者なのであって、現実的なものはただその外的現象をなしているだけなのである。私にあっては、これとは反対に、観念的なものは、物質的なものが人間の頭の中で転換され翻訳されたものにほかならないのである。」(『資本論第二版あとがき』)
レーニン 『哲学ノート』
(1) ものごとを、バラバラでなく、連関のなかでとらえる
(2) ものごとを、不動の、固定したものとしてではなく、変化、運動、発展のなかでとらえる
(3) 不動の対立や固定した境界線を認めず、ものごとのなかにある対立した側面の全体をとらえる ・・・エンゲルス「空想から科学へ」
全連関の科学(エンゲルス)
「自然、人間社会および思考の一般的な運動―発展法則の科学」(エンゲルス)
“全面的連関の根底には発展があり、発展の核心には矛盾がある”
① 客観的実在の発展についての理論(客観の弁証法)→外界の事物そのものの発展
② 思考の発展についての理論(主観の弁証法)→自己の思考内容の発展
・対立物の闘争および統一
・・・現象の運動・発展を内的な推進力により理解。運動は本質的に自己運動である
・・・現象の自己運動の内的な推進力は、弁証法的矛盾である
・質への量の転化およびその逆
・・・量と質とは、同時に統一と矛盾をなしている。互いに弁証法的関係にある
・・・化学物質の組成による量的変化と質的変化
・・・結節点=飛躍点 (連続的変化だけでなく、質の転化の時には、飛躍的変化が生じる)
・・・弁証法的否定は、対立物の統一である。過去の発展段階の本質は除去され、高次の発展段階で活用されるものは保存される(アウフヘーベン=止揚)。
→単なる全否定により無に帰るのではなく、発展の手段として否定がある
・・・発展は、弁証法的否定を媒介にした低次のものから高次のものへの「らせん状の」経過である。
「本来の意味からいえば弁証法とは対象の本質そのものにおける矛盾の研究である」(レーニン)
★矛盾について
矛盾によって事物の発展と運動が起こる
(1) 観念における矛盾・・・意識において2つの対立した答えが矛盾すること
(2) 観念と事物との矛盾・・・外的対象と意識における概念が一致しないこと
(3) 事物そのものにおける矛盾・・・外的対象そのものの本質にある矛盾
・主要矛盾と副次的矛盾
★反映論(反映=模写説)について
「全物質は、その本質上、感覚と同類の性質、反映するという性質を持っている」
(レーニン)
・・・「痕跡」「ヒステリシス」事物の受動性
・・・有機体の刺激反応性→その発展形態が「思考」である
・意識は客観的実在の反映である
・真理は現実の正しい反映であり、そのかぎり、客観的真理である
◎史的唯物論(唯物史観)・・・弁証法的唯物論の立場からの歴史の把握
・先行する歴史観・・・観念論的歴史観、英雄的歴史観、地理的唯物論
“史的唯物論は、階級が出現して以来の人類の歴史を所有関係に基づく階級闘争の歴史と捉えるばかりでなく、さらにこの所有関係を生産力と生産関係に解剖して、その根底に物質的生活の生産があることを明らかにする(土台と上部構造)”
“物質的生活の生産様式こそ社会的、政治的および精神的な生活過程一般の基本条件であり、ここに初めて人間社会の全過程の客観的な基本構造と発展法則との科学的認識が可能になる。”
【生産様式の五つの基本的な型】
(1) 原始共同体(原始共産制)・・・貧しいが貧富の差はなく階級や身分の差別はない。狩猟・採集の段階。日本では縄文時代くらいまで(稲作以前)
(2) 奴隷制・・・奴隷所有者と奴隷の階級対立が社会の主要矛盾。日本では古墳時代から総体的奴隷制(共同体がまるごと奴隷化される)
(3) 封建制・・・土地を支配する貴族・武士と農奴の階級対立。江戸時代に完成。
(4) 資本主義・・・資本家と労働者の階級対立。ヨーロッパでは16世紀イギリスの絶対王政の頃から始まる。日本では明治以来、国家が主導して確立。
(5) 社会主義・共産主義・・・生産手段が社会化され、階級対立が消滅する未来社会。ソ連や中国で試みられたが失敗し、まだ世界史において実現していない
※生産様式は、社会を理解するための「型」であって、世界中のあらゆる共同体がこの通りの経過を通るという意味ではない
・歴史の原理としての矛盾=「階級闘争」。階級は、生産手段を所有しているか否か、どんな生産手段を所有しているかで区別される人間集団。
資本主義的生産様式の主要な階級対立は、資本家(ブルジョワジー)と労働者(プロレタリア)の階級対立
・社会の土台は人間の経済生活にある
【史的唯物論の基本認識】
(1) 経済の段階的な発展が歴史を区分する
生産用具の発明などにより生産関係が変わり、生産力が発達し、ついには生産様式が変わる。
(2) 社会を動かす主役は「階級」である
・階級対立は奴隷反乱や農民一揆、市民革命として現れ、古い社会を打ち破り、新しい社会(生産様式/経済的社会構成体)を作り上げてきた
・資本家と労働者の対立は弁証法的矛盾であって、労働者は資本家を消滅させることで新しい社会の主体となるほかない
◎自然の弁証法・・・自然を弁証法的唯物論の立場から捉える理論
物質の自己運動、
(1) エネルギー保存則
(2) 細胞説
(3) 生物進化論
・エンゲルスは当時最先端の科学的成果を弁証法的唯物論の立場から統一的に理解した
・21世紀の最先端の科学にも自然弁証法は影響し(益川敏英など)、自然弁証法の正しさを証明し続けている
0. 科学的社会主義の社会経済学
【資本論】
資本主義的生産様式の諸法則を究明しようとする「資本論」は、まず、商品の分析から出発して、この商品形態によって隠蔽された、資本主義社会を構成する三大階級(労働者、資本家、土地所有者)の相互関係を徹底的に暴露する
【商品】
・使用価値と交換価値(価値)・・・労働価値説(スミス、リカード)のマルクスによる完成。商品の二重性。
→具体的な商品の有用性が使用価値。商品同士、商品と貨幣の交換(売買)の際の交換比率や価格に現れる価値が交換価値。交換価値は「価値」の現象形態。
・具体的有用労働と抽象的人間労働(労働の二重性)
→使用価値を(つまり商品そのもの、具体的なモノやサービス)作る労働が具体的有用労働。商品によって具体的有用労働の在り方は千差万別だが、社会的には、全て同じ「人間の労働」であるのは変わりがなく、時間を基準にして測られるのが抽象的人間労働。
・価値(交換比率や価格の元になる価値)の実体は人間の労働時間である
・個々の商品は、必ずしもその価値に依ってではなく、前貸資本を費用価格としてこれに平均利潤を加えた生産価格によって売買される(商品価値の生産価格への転化=転形)→社会的需要に対する生産物の供給を調整する機構をなす
・商品経済においては、商品と商品の社会的関係が、価値関係として取り結ばれる。この価値関係は物的な関係ではなく、人間と人間の社会関係だが、商品経済では物と物との関係として現れる。(物象化)
・価値法則が価格の変動を支配するが、実際には、生産価格(費用価格+平均利潤)として、間接的に支配する(価値法則=同じ価値の物しか交換されないという法則。等価交換)
資本とは
資本とは、形を変えながら自己増殖する運動体としての価値である(資本の定義)
・価値が資本に転化する。資本は価値の一種である。価値の実体は労働時間である。
ゆえに、資本の実体は我々自身の労働時間である。
・資本は資本主義社会に現れた価値の新しい形態であり、封建社会や奴隷制社会に資本は一般的に存在しない(商品や貨幣は存在したが、資本として機能しなかった)
・資本主義社会は〈諸階級の敵対関係〉を基礎にしている(マルクス)
・「資本もまた一つの社会的生産関係」であり「ブルジョワ的生産関係である」
→資本主義社会の生産関係が、貨幣や商品を資本にする
・「資本の本質」は、生産過程において労働者の「生きている労働」が、価値を維持し増殖する手段となる点にある
→増殖することは資本の本質であり、増殖しない資本は存在できない
・労働過程=価値形成・増殖過程、となるのが資本主義社会である
・資本の一般的定式=単純な商品流通 G-W-G’(ゲー ヴェー ゲーダッシュ) G’=(G+⊿G) G=貨幣 W=商品 ⊿G=剰余価値
(1) 労働力商品化の条件
・資本主義以前の生産様式では、原則的に、労働は商品ではなかった
・「労働」は具体的な人間の行為、「労働力」は労働するための人間のエネルギー。
・労働力商品は、商品の使用価値の現実的消費そのものが価値の源泉になる唯一の特別な商品(商品に価値=交換価値を与えられる商品は、労働力だけ)
・二重の意味で「自由」な賃金労働者階級の存在が歴史的前提(資本の本源的蓄積過程)
・労働者は自分の労働力の所有権を持ち、一定の時間だけ資本家の消費に任せるため、法律上は平等な人格として相対する(平等に見えるが、現実には支配されている)
・労働者は労働力しか売れる物がなく、労働の結果としての商品を売る権利がない
(商品を売り、売り上げを得るのは資本家だけで、労働者にはその権利がない)
(2) 労働力の売買と価値増殖の根拠
・労働力の価値は、労働力の再生産に必要なだけの生活手段量を生産するために必要な労働時間によって決定される。
(商品がどれだけ売れたかで賃金が決定されるのではなく、生活の維持にどれだけの収入が必要かによって賃金が決定される)
・労働力の使用価値としての労働は、資本家による労働力の消費過程として行われ、賃金は「労働力の価値=必要労働時間」分しか支払われない。剰余労働時間によって創造される新しい価値は資本家によって取得される
→必要労働時間・・・自分の最低限の生活費分の収入と等しい価値を作るために支出される労働時間
→剰余労働時間・・・必要労働時間を超えて実際に労働した時間
・剰余価値率=必要労働時間が生み出す価値と剰余労働時間が生み出す剰余価値の比率(搾取率、搾取度)
・生産手段=不変資本、労働力=可変資本
(生産手段や労働力は、資本主義の下では、不変資本、可変資本という資本の形態を取る。生産手段は労働手段と労働対象、つまり機械や工具、原料などの素材)
・産業資本・・・近代社会の経済過程を規定する基本的な資本形態。上述の価値増殖の根拠を自身のうちに持つ。産業資本による資本主義的生産様式の成立は、資本と賃労働という基本的な階級関係を、労働力の売買という外観的には階級関係のない商品売買の形式で確立する
・商業資本(流通過程を独立に分担)、利子生み資本(資金の貸付と返済だけで利子を自己の価値増殖分とする)は、産業資本によって取得される利潤の一部を分与される新たな近代的資本形態である。つまり、基本的に自身の中では価値増殖が起きない。
資本主義とは
1 資本主義の基本的規定
(1) 商品交換と剰余価値
・資本主義は商品交換、商品生産が社会の隅々にまで浸透している社会である
・社会的分業と私的所有を基礎とする(資本主義の基本矛盾)
→労働は社会的に行われているのに、生産手段と剰余価値は一部の者が私有する
・商品生産、商品交換の関係が、人間の労働力をも商品化するに至った社会関係
(2) 資本蓄積と恐慌
・資本家は資本という自己増殖運動体の担い手として、領有した剰余価値の出来るだけ多くを資本に再転化し、資本の蓄積を行う。資本主義は資本蓄積によってますます資本の支配を浸透させ、再生産の規模を拡大し、社会的生産力を高めて発展する。
・資本の蓄積は資本の増殖衝動と競争によって強制され、費用価格の切り下げ、超過利潤の獲得のために可変資本の不変資本に対する割合を少なくし(資本の有機的構成の高度化)、雇用機会を減退させて相対的過剰人口(産業予備軍)を出現させる(商品のようには生産できない労働力を社会機構として生産する)
・生み出された失業者は雇用労働者の労働強化、賃金低下の圧力となり、労働者階級全体に貧困を蓄積させる。資本の蓄積=労働者階級の貧困の蓄積。
・過剰生産恐慌は、生産と消費の矛盾の顕在化である。資本相互間の利潤追求競争は、剰余価値を生む可変資本を総資本の増大に比べて相対的に減少させていくため、長期的に見ると利潤率が低下する傾向がある。総資本は利潤率の低下を利潤量の増加によって補おうとするため、新しい機械・設備による大量生産方式はさらに進展し、より大きな市場要求が起こる。生産手段生産部門が優先的に拡大し景気を先導し、好況を呈するが、消費手段部門が立ち後れて急速に拡大するようになると、労働者階級の低所得と貧困化の拡大との矛盾が顕著となり、過剰生産・過剰投資が露呈し、資本蓄積が停滞する。信用膨張が混乱の表面化をしばらくは隠蔽するが、やがて信用膨張そのものがパニックの原因ともなり、過剰生産恐慌を引き起こす。(価格の暴落、利潤率の急激な低下、操業短縮、破産、閉業、失業増大)
・恐慌は、生産手段の減価、利子率の低下、企業合併による資本の集中などによって均衡回復への条件を準備し、産業循環が再開される
・周期的恐慌は10年程度の周期性で発生する
(3) 資本主義社会の基本構造
・資本主義は資本家階級による労働者階級の搾取を基本的生産関係、階級関係として成り立つ
・そのほかに地主階級、独立自営農民、中間層(医師・弁護士・教師など)、不生産階級(軍人・官僚など)などの階級があり、資本主義の階級関係に規制されている
・国家は支配階級である資本家階級と地主階級が、労働者階級に対する搾取と支配の条件を維持するために組織されている権力である
2 資本主義的生産の基本矛盾
・「労働の生産力の発展とこれを制約する生産関係との矛盾」が、唯物史観の根本命題である→原始共産制以来、あらゆる生産様式に共通する矛盾=動因
・資本主義的生産様式の基本矛盾は、「生産の社会的性格と所有の私的形態との矛盾」である
3 科学的社会主義の経済学の基本概念
【生産様式】
一定の生産力と一定の生産関係の結合。社会の必要とする生産手段と生活資料が獲得される様式。
【生産力】
労働の生産性とも言う。一定の使用価値を生産するのに必要な労働時間の大小。特に社会的生産力は、機械の使用や分業などに基づく。資本に従属する労働の生産力は資本の生産力として現れる。生産力が大きいほど、一定量の商品の生産に必要な労働時間は短くなり、その商品一単位の価値は小さくなる。労働の生産性の上昇は、生活資料の価値を低下させ、労働力の価値を低下させ、相対的剰余価値量を増大させる。また、労働生産性を高めることによって、商品の「個別的価値」を「社会的価値」よりも低くすることで、「特別剰余価値」を獲得できる。
労働の生産力を高めるためには、生産方法(労働過程の技術的・社会的条件)を変革しなければならない。
道具や機械(労働手段、生産用具)が労働力の発達の程度を表現する。
【生産関係】
生産と消費のために人間と人間が取り結ぶ関係。この生産関係を基礎として様々な人間関係が生まれる(社会の成立)。「生産関係の総体は社会の経済的構造を形成する」(マルクス)
【経済的社会構成体】
社会の経済的構造と同義。社会の実在的土台であり、その上に上部構造がそびえ立つ。生産様式とも同じ意味で使われる。土台と上部構造の矛盾が新たな社会形態の出現を媒介する。(経済は進歩しているのに政治は古いまま、という矛盾など)
【価値法則】
商品経済における商品と商品の関係を支配する法則。資本主義ではあらゆる経済活動を価値法則が支配するが、無政府的な経済であるから、事後的に、偶然的な動揺の中で社会的均衡がはかられる。
商品の交換関係としての価値関係が、その商品を生産するのに必要な抽象的人間労働量によって規制されること。価値通りの交換(等価交換)。しかし資本主義経済では、価値と価格は乖離し、生産価格を基準にして交換される。
【価値】
広い意味で、「良いもの」を意味する。人間が「良いもの」とみなすものである。商品の価値とは、人間がお互いに「良いもの」とみなす性質であり、労働者と労働者の、労働時間の社会的な相互承認が、商品に価値を与えているとみなせる。
【資本主義の四つの特質】
(1) 搾取の本質を隠すこと
→賃金は労働力に対して正当に支払われているように見えるが、これは見かけだけのことで、実際には、労働者が労働によって生み出しながら、資本家によって支払われていない価値が存在する(剰余労働=剰余価値)。それは資本家によって搾取(横取り)されている。(ただし、自分が搾取していることに無自覚な資本家も多い。)
(2) 剰余価値あるいは利潤を追求する資本主義の搾取欲には、際限がない
→資本主義の搾取欲(ひたすら利潤を追い求める衝動)は、止まることがない。資本家は利潤の中毒患者のように、次から次へと生産のための生産を無目的に追求する。激しい競争の中にあり、一歩でも足を止めれば競争に負け、破産に追い込まれるのを恐怖している。
(3) 「生産のための生産」を旗印に、競争で生産力を発展させて、来るべき新しい社会の物質的基礎を準備すること
→労働者が貧困に追い込まれる過程で、生産力は、次々と新しい生産設備が開発されて、急速に向上していく。労働者のための社会にとっては、生産力の発達が重要なので、資本主義は社会主義・共産主義のための物質的環境の準備をしていることになる。
(4) 資本主義的搾取の現場から次の社会の担い手が生まれること
→資本主義以前は、奴隷や農民など抑圧階級が反乱を起こしたが、次の社会の主人公にはなれなかった。資本主義は、戦う労働者階級自身が新しい社会の主人公になる点で、これまでの階級闘争とは異なる。
【資本主義的未来】 ・・・資本主義に未来はあるか
① 極端な格差の拡大
② 気候変動・環境問題への対応
③ 戦争の頻発・難民の発生
・・・「社会的理性」による経済のコントロールが可能になる
「社会的理性」とは、個人が理性を持って認識・判断・実践するように、社会が人々の議論を通じて、あたかも理性を持っているかのように認識・判断・実践することである(集合知)。そのためには本格的で本質的な民主主義が大前提。
・大企業、グローバル企業への民主的規制と、再分配の強化→格差を是正
・環境問題への対応の抜本的強化、研究開発への投資、国際的な基準の厳格化と実行
・紛争の平和的解決、国際問題の対話を通じての解決
・・・人間の「真の自由」の実現・「人間の発達それ自体が目的」の社会
※「人間の発達」とは、それだけ自由が深まり、広がることである
【日本共産党の革命理論】
・民主主義革命・・・民主主義的変革を求める革命。典型はブルジョワ民主主義革命(フランス革命、アメリカ独立革命)。日本の場合は、資本主義的生産様式の枠内で、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打破する民主連合政府を成立させる多数者革命。(日本独特の革命論である。)
・多数者革命・・・圧倒的多数の国民の利益を実現するために、国民多数の意志と行動によって行う革命。エンゲルス「フランスにおける階級闘争」1895年版の序文は、発達した資本主義国における革命の根本的な在り方として強調した。日本共産党は綱領で、党と統一戦線の勢力が国会の議席を占め、大衆闘争と結びついて戦うことの重要性を強調し、さらに民主連合政府を適法的に樹立し、人民の革命闘争の前進と共に、この政府を民主主義革命の政府に発展させる展望を示している。
・人民的議会主義・・・国会の審議を通じて、政治の実態を国民の前に明らかにし、国会活動と国会外の国民の運動とを結びつけ、国会を、国民の要求を反映させる闘争の舞台とし、国会で多数を獲得し、国会外の大衆闘争と結合して、民主的政府の実現を目指す。人民多数の民主的志向に基づいて社会変革を進める。
・革命・・・根本は国家権力の問題であり、社会発展の法則・段階に沿って、ある階級から別の階級へ国家権力が移動することを指す(政治革命)。主体的要因と客観的条件の両方が満たされることにより成功する。なお、古い経済的社会構成体を新しい経済的社会構成体に変えることを、社会革命という。
・社会主義的変革(社会主義革命)・・・資本主義制度の廃止と社会主義制度の確立を目指す変革。人間による人間の搾取そのものを根絶し、階級による社会の分裂そのものを終わらせることを基本的な目標とする。発達した資本主義国における革命は、歴史上まだ行われていない。
【マルクスの革命観の変化】
・当初はフランス革命をモデルとしており、1847年イギリスの恐慌から1848年にフランス、オーストリア、プロイセンで革命的激動が起こる。この頃のマルクスは少数者革命、「恐慌=革命」説を持っていた。
しかし、資本論の執筆の途中で、恐慌の周期性を発見し、恐慌は資本主義の危機ではなく周期的な生活現象だと分かる。また、インタナショナルでの実践的経験、ドイツなどで議会制度が発展するなかで、1860年代には、多数者革命を探求するようになった。
「社会変革の運動は、権力者が強力(暴力)をもって妨害しない限り、平和的発展を続けるものだ」マルクス
未来社会への発展の鍵は、「生産手段の社会化」である。
・・・利潤第一主義の支配から社会を、人間を解放する。
・・・生産活動を人間と社会、自己のための活動という本来の姿に取り戻す
・・・労働の本来の性格の回復。→労働が尊厳ある、やりがいのあるものに戻る
・・・自由な人間として、自分たちの意志で自発的に共同・結合する
・・・「自発的な手、いそいそとした精神、喜びに満ちた心で勤労に従う結合的労働」
→労働そのものがもっと人間的で楽しいものになる
・「生産手段の社会化」の具体的意味・・・人類の歴史のほとんどの時期は原始共産制であり、みんなで働き、獲得した物はみんなで分配する(働けない人にも分配する)社会だった。各人には自由が保障されていた。生産手段を集団的所有に移すことによって、高次の、遙かに豊かな物やサービスの生産のなかで、この世界の在り方を取り戻すことが出来る。(弁証法的発展。貧しい無階級社会→階級社会による生産の発展→豊かな無階級社会)
・生産手段の社会化の鍵は、経済民主主義である・・・労働が民主的に行われ、労働組織も民主的に意志決定されるなら、「生産者が主役」と「計画性」の両方を実現できる。
・・・労働者の対話・討議が反映される労働組織。何事も対話で決定する労働慣行は、企業内での役職による支配・命令の秩序の悪弊を取り除く。
「指揮者はいるが支配者はいらない」・・・分業はあっても支配関係にはならない
・国有化について・・・国有化は生産手段の社会化の一形態であり得るが、全てではない。それぞれの国の状況にふさわしい、多様な形態がありうる。社会化されるのは全ての産業とは限らず、大企業が中心になり、個人や小規模な産業では、私的営業による創意工夫を残すことも考えられる
・協同組合・・・生産手段の社会化の形態として大いにありうる(志位和夫)
労働者や農民・手工業者・小商業者などの勤労的自営業者たちが、経済的立場・利害を共通にする者同士で、経済的利益獲得のために、自由・自主・人格的平等・人間的連帯の精神を基本において協力し、生産・販売・購買・消費・信用などの経済活動を行う大衆的・集団的経済形態。経済活動のための諸手段を所有するが、組合員の共同所有である。オーウェン、フーリエなどに起源を持つが、マルクスが積極的に評価し、レーニンは「社会主義社会とは単一な協同組合である」と明言した。ソ連ではコルホーズ(生産協同組合)として試みられた。
1 高度な生産力・・・発達した資本主義国では、未来社会の物質的土台となる高度な生産力はすでに作られている
生産力の無限の量的発展を目指す必要はなく、未来社会では質の発展が重要
→自由な時間を持つ生産者に担われ、労働者の生活向上と調和し、環境保全と両立する、労働の生産力の新しい質
2 経済を社会的に規制・管理する仕組み・・・信用制度・銀行制度は、生産の計画的管理を可能にする
3 国民の生活と権利を守るルール・・・人間らしく働くことの出来るルール、社会保障、充分な平等な教育制度、中小企業や農林水産業を根幹として発展させる仕組み、ジェンダー平等社会の実現
4 自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験・・・マルクス、エンゲルスは、人民主権、普通選挙権、民主共和制の実現のために戦った。自由と民主主義は資本の制約から自由になり、発展する
5 人間の豊かな個性・・・自由で平等な人間関係、自由に処分できる時間があれば、豊かな個性が今よりずっと大きく花開く
【「自由の国」と「必然性の国」】
★週三日制の実現も遠い先ではない
・・・21世紀の日本共産党の“自由宣言”
1 利潤第一主義からの自由
2 人間の自由で全面的な発展
3 発達した資本主義国の巨大な可能性
・・・利潤第一主義は貧困と格差をもたらし、生産のための生産により、バブル経済と恐慌が繰り返される。物質代謝の攪乱=自然環境の破壊。
・・・「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」
(エンゲルス)
・・・資本論研究を進める中で、マルクスは「自由に処分できる時間」こそ社会主義・共産主義社会のカギだと認識した。「自由に処分できる時間こそ、人間と社会にとっての真の富である」「時間は人間の発達の場である」
・・・自由に処分できる時間=「人間的教養のための、精神的発達のための、社会的役割を遂行するための、社会的交流のための、肉体的・精神的生命力の自由な活動のための時間」(マルクス)
→労働時間を抜本的に短くする。
【自由についての諸思想】
近代的自由・・・人間の普遍的自由。ホッブズ、ロック(近代自然法思想)
自由権=人間が人間であることによって成立する権利。権力に対立する。
社会の権力からの自由→マルクス。
カント・・・道徳律と自由。先験的自由。「純粋理性自身が実践的になる能力としての自由は、道徳律に従う。つまり、自分の意志の格率が普遍的なそれになるべく行為すべし」
「真に自由を国民的に実現する共和制国家のみが他国に対しても平和的である」
エピクロス・・・クリナメン。原子の運動における微少な偏り、乱れ。これにより物質の多様性や生命が生まれる。自由の根拠とも見なしうる。
「歴史の発展は自由の発展である」→ヘーゲルの歴史観(絶対精神とは自由である) 科学技術の発展、法則認識の発展が人間を自由にする
自由意志の本質は理性、意志が感性的欲望に左右されない自由。
【未来社会の具体的イメージ】
・・・江戸時代の日本の全人口のうち1人も、200年もたたずに日本がこのような社会になるとはイメージできなかった。未来の青写真を描くのではなく、身近な、目の前の社会矛盾の改善による発展を具体的に追求すれば、社会法則が明らかにしている以上、想像を超えた未来社会に到達できる。
「我々が共産主義と呼ぶのは、創出されるべき一つの状態、それに則って現実が正されるべき一つの理想ではない。我々が共産主義と呼ぶのは、(実践的な)現在の状態を止揚する現実的な運動だ。この運動の諸条件は、今日現存する前提から生じる」
日本共産党千葉1区候補の渡部まさし(渡部雅士、筆名渡部唯生)です。
ブログを開設したものの、この間の候補者活動、そして公示後の選挙活動と、猛スピードで駆け抜けて来ているため、更新が滞ってしまいました。ごめんなさい。
今日は蘇我駅で朝宣伝後、ようやくオフとなったので、この時間を活用して、ふだんの街頭演説では話せない、私自身について、まとまった形でご紹介させて頂きたいと思います。
以前から雑誌「民主文学」では、「渡部唯生(ただお)」という筆名で小説などを発表していましたが、選挙では本名の「まさし(雅士)」をそのまま使用しています。
投票の際は、渡部まさしとお書きください。よろしくお願いします。
私は北海道二海郡八雲町生まれの45歳です。八雲町は、人口1.7万人くらいの小さな町です。函館市まで自動車で2時間ほど。酪農と漁業の盛んな町です。
八雲町で有名なものには、ほかに「木彫り熊」があります。木彫り熊発祥の地の一つといわれ、人間国宝に認定された、柴崎重行さんが有名です。元々、昭和初期に、冬の農民たちの現金収入を稼ぐ手段として奨励されたとのことです。
噴火湾の濃い藍色の海も美しく、鮭の産卵地である遊楽部川の流れは清らかで、山や森も広く、温泉がいくつも湧いています。「自然美術館・八雲」と町は謳っています。
この町で私は中学校の卒業までを親元で暮らしました。
父親は魚屋を営み、母は看護師でした。一時はスーパーの形で3店舗を構えた魚屋「マルスイストア」は、しかし火災や大型店の出店などにより斜陽化し、私が小学校に上がった頃、ついに倒産しました。それ以降、自信をなくした父は酒浸りの毎日を送り、一人で細々と魚介類の仲介業を行い、糊口をしのぎます。
酒がたたり、糖尿病からくる諸々の疾患のため、父が命を落としたのは、私が23歳の頃。22年ほど前になります。酒に甘えるとは言え、酒乱ではなく、暴力などはありませんでした。私は父に手をあげられたことは一度もありません。非常に優しい父でした。非常に無口で、私は父とまともな会話を交わした記憶がありません。父の優しさは町でも有名で、経営に行き詰まったそば屋さんにお金を工面してあげたりして、人に慕われる父でした。だから葬儀の際は多くの方が集まってくださいました。
魚屋は私が生まれる前に逝去した祖父の代からのもので、父は三男でした。しかし経営が行き詰まり、巨額の負債を抱える中で、父の兄たちは経営を見限り、散り散りになってしまいました。長兄とは同じ町内にいながら、完全に関係が断絶し、憎しみ合う仲となってしまいました。母は、父の長兄の葬儀に参列した時、その娘から髪の毛を掴んで引き倒されたと言います。小さな町だから人間関係が濃く、お金が愛情を憎しみに変えます。私は小さい頃から、そのような環境で育っているので、人間を憎み合わせる「お金」というものに複雑な感情を抱いていました。それが、のちに資本主義批判、カール・マルクスの研究に繋がっていったのだと思います。
父の稼ぎは僅かだったので、家計は、町立病院の精神科の看護師に復職した母の収入に頼っていたと思います。私には兄が二人おり、祖母も同居していました。
家計は非常に苦しかったと思います。家にはお金がない、という意識がつねに自分にこびりつき、内心びくびくとしながら暮らしていました。玄関先で、強引に返済を迫る業者と母が、大声で怒鳴り合っていた記憶があります。
子どもは残酷で、容赦のない面があります。貧乏な家の子だと分かると、馬鹿にしたり、イジメの対象にしたりします。私はそれを畏れて、貧乏はできるだけ隠して、強がって学校に通っていました。幸い、成績はそこそこ良く、また多方面に目立つ子どもだったので、リーダーシップを発揮し、ガキ大将的な立場で過ごしていました。しかし、内心では、家の貧しさを知られたくない、という怯えがありました。
店舗に隣接した倉庫を改築した住居は、ひどくみすぼらしいものでした。
天井の至る所に雨漏りがし、壁にはカビが生えて黒ずみ、窓ガラスは割れたまま放置されている。冬は雪深い土地です。寒さが厳しく、積雪のため屋根が潰れてしまうのではないかと恐れていました。実際、天井裏に入り込んで配線を直していた父が、天井を突き破って落下してきたことがあり、家族は大笑いしました。
貧しさの中でも、できるだけ笑ってすごそう。母はそう考えていたと思います。
私の長兄は、美術が得意で、音楽をよく聴いていました。高校卒業後、進学させる経済的余裕は、家にはありませんでした。札幌の美容専門学校に通い、津田沼の美容室に就職しました。のちにはドイツ・デュッセルドルフに移り、修行を重ね、今は故郷の八雲町に戻り、美容室を経営しています。この兄からは、膨大な音楽を吸収しました。私が音楽に目覚めたのは9歳頃に、ビートルズの古いレコードを聴いてからでしたが、今ではロックからブルース、クラシックまで何でも聴く、無類の音楽好きとなりました。
次兄は小学生の頃から国体に参加するような優れた短距離選手でした。何度も全国大会に出場しましたが、高校卒業後はやはり音楽に目覚め、函館の街頭で弾き語りをするようになりました。和太鼓を中心とする旅の楽団を結成し、今ではヨーロッパから南米までを股にかけるトラベリング・バンドとして、書籍を出版し、自主レーベルから作品集をリリースし、そして「はこだて国際民俗芸術祭」を主催しています。
この芸術祭は2008年から毎年夏に函館市で開催されている大規模なイベントで、これまでに57の国々から2400人以上のアーティストが参加、のべ39万人が参加してきました。今では函館市の夏の風物詩として、観光の目玉として、広い支持を得るまでに成長しました。
幼い頃の私は非常に病弱でした。重い喘息を患い、年に2回は入院するという有様が、中学校に上がるまで続きました。病院の窓から見える噴火湾の美しい夜明けの景色が好きでした。そして入院生活の中で、読書の習慣が培われました。小学校高学年頃から小説や詩をよく読むようになり、近代文学から現代の流行小説まで、読みあさりました。特に萩原朔太郎や西脇潤三郎の詩に感銘を受け、常に枕頭に置いていました。
まだ幼稚園の頃に、広島・長崎への原爆投下を知り、幼稚園に原爆が落ちるというひどい夢を見て、うなされた記憶があります。それ以来、核兵器や戦争の悲惨さに関心を持ち、反戦漫画や反戦映画をよく読みました。
幼い頃に戦争の悲惨さを知り、想像力を働かせて追体験したために、実際の戦争経験者の経験とは次元の異なるものだとは言え、私には骨の髄まで反戦・反核の精神が刻み込まれています。戦争に反対する人、核兵器をなくしたいと願う人は、全て、私に投票してください。必ず平和を前に進めます。
日本共産党は「科学的社会主義(マルクス主義)」を理論的な基礎とする政党です。
私がカール・マルクスについて知り、戦後の運動について知るきっかけになったのは、国立高専の土木工学科に進んだ頃に読んだ、柄谷行人という批評家の読書を通じてでした。私の両親はどちらかというと保守的で、私は共産党2世ではありません。ただ、しんぶん赤旗の日曜版だけは購読していました。
柄谷行人は日本の1970年代以降の代表的な批評家で、今では思想家とか哲学者として紹介される事が多いですが、2022年に哲学のノーベル賞といわれるバーグルエン賞をアジアで初めて受賞しています。
政治、社会、科学から文学までをトータルに理解する、ということが可能だと知ったのは驚きでした。そしてカール・マルクスという思想家が、本気で世界を変えようとしたこと。そういうことが人間に可能だという考え自体が思いがけないものでした。
この頃、既にソ連は崩壊し、冷戦は終結していました。マルクスなどはもう古い、妄想の産物だと揶揄、軽視されていた時代です。
しかし、私は、マルクスを超える巨大な思想家が現れない限り、必ず再び人々がマルクスを読み直す時代が来ると確信していました。
世界に矛盾がある限り、必ず苦しむ人が存在し、苦しむ人は変革を求めるからです。
そして近年では、斉藤幸平さんの世界的ベストセラーをきっかけに、ふたたびマルクスが人気を博しています。私には、こうなることは分かりきっていました。思いのほか早くその時が来た、と感じるくらいです。
社会問題への関心が深まったのは、学習院大学の文学部フランス文学科に進んだ頃からです。特に9.11のアメリカ同時多発テロがきっかけになりました。
崩落していくツインタワーの映像を見ながら、私は、自分自身が問い詰められているように感じました。
この「裕福」な国で、のうのうと学生時代を過ごし、就職して、社会の一部として人生を終える。それでおまえは本当に良いのか。
世界には戦争に苦しむ多くの人がいる。貧困に悩む多くの人の苦しみがある。悲しみが、憤りが、悔しさがある。おまえはそれらに目を閉ざして、自分の幸福な生活に安住するだけで良いのか。
そんなふうに自問しました。
なぜ大学で文学を学び、哲学を学ぶのか。それは単なる趣味なのか。役に立たない慰めに過ぎないものなのか。
私は社会運動に参加するようになりました。デモに行き、集会に参加し、政治というものを肌で感じるようになりました。
その後、北海道で私は日本共産党に入党しました。しんぶん赤旗をインターネットで注文したことを知った町議さんが、誘ってくれたのです。私はほとんど迷うことなく入党を決意しました。
自分だけ幸せな人生なら、それでいいのか。
全ての人が幸せになることが、自分の幸せではないのか。
そんなふうに思うようになったのは、ドイツ観念論の哲学者、ヘーゲルの読書の影響もあったと思います。ヘーゲルはマルクスが若い頃に研究の対象とした大哲学者です。その「キリスト教の精神とその運命」「精神現象学」といった著作に、私は深い影響を受けました。
その後、結婚を機に千葉市に住むようになり、地元の土気支部、鎌取支部で共産党員としての党活動を担うようになりました。市民団体の事務局として、毎月の駅前宣伝の司会を9年間続けました。2024年4月からは、短い期間でしたが、鎌取支部の支部長を務めました。
フェイスブックで知り合った「民主文学」の編集長に誘われて、文学活動も始めました。最初に書いた小説が賞を受け、以来、年に1回ほど小説作品を発表しています。
内容は、戦争や貧困、社会運動や共産党の活動を扱ったものが多い。短編ばかりですが、いずれ書籍にまとめたいと思っています。
小説では、中上健次やウィリアム・ゴールディング、それにゾラなどが好きですが、小林多喜二に代表されるプロレタリア文学もよく読みますし、フローベールのようなフランスのリアリズムも好きです。好きな作家は沢山います。芥川龍之介、坂口安吾、梶井基次郎、梅崎春生、有島武郎。大江健三郎。詩も、萩原朔太郎や高村光太郎、鮎川信夫、田村隆一、谷川俊太郎から最近の現代詩まで、幅広く愛好します。
哲学は、カントやヘーゲル、マルクス=エンゲルス、ベルグソン、スピノザ、アリストテレスから、最近のデリダやドゥルーズ、アルチュセールまで読みます。
ですが、最大の課題は、「資本論」ということになると思います。
私の総選挙のスローガンは、豊かで平和な社会の実現を、というものです。
本当の豊かさとは、一握りの人が豊かで、大多数は貧しい社会にはありません。貧困に苦しむ人がいない社会こそ、豊かな社会です。
日本は平和国家ですが、社会の内実に平和が溢れているといえるでしょうか。国内的にも、国外との関係においても、本当の平和が目指されねば成りません。
日本共産党の政策は、全て実現されなくてはならないし、そのために全力で選挙戦をたたかっていく所存です。
あなたの一票を、比例は日本共産党、千葉1区は渡部まさしに、どうぞよろしくお願いします。
私は北海道の八雲町という、人口2万人くらいの小さな町で生まれました。酪農と漁業の町です。私はいま45歳ですが、最近は温暖化により雪は少なくなっているものの、私が子供の頃は、まだ雪がよく積もり、冬は除雪作業に追われました。
父は魚屋を営み、母は看護士でした。
先代からの開業で、一時は三つ店舗を持っていたとのことですが、大型店の出店などで次第に経営は傾き、私が小学生の頃には、ついに倒産しました。
父は一人で莫大な借金を背負い、私も子供の頃は、非常にひもじい思いをしました。
税務署に家財道具を差押えられたこともありました。
玄関先で、返済を迫る業者と母が怒鳴りあっていたのを覚えています。
子供たちを食べさせるのに、必死だったと思います。
天井は至る所、雨漏りで、壁には黒いカビが生え、窓ガラスは割れたままになっている。
自信を喪失した父は、子供たちに背を向け、何も語らず、ただ酒浸りの毎日でした。
家にはお金がない、ということが常に意識に覆い被さり、ビクビクしていました。
そして、子供の頃の私はひどい小児喘息で、身体が弱く、一年に一度は必ず入院する、という状態が、中学校にあがるまで続きました。
両親には、大変心配をさせたと思います。
しかし、このようななかで、苦しい思い、悔しい思いを何度も経験したからこそ、社会的に弱い立場に置かれたり、苦しんでいる人に心を寄せ、力になりたいと思えるようになったのだと思います。
自分の過去の経験と、文学を通じて、人間の様々な人生、喜怒哀楽、人間性の素晴らしさを知ったことが、共産党への入党に繋がっていきます。
どんなに弱い立場の人にも、貧困に苦しむ人にも、幸せになる権利がある。
みんなが幸せにならなければ、私が幸せになることはない。
自分一人が幸せになったつもりでも、隣で泣いている人がいるならば、それが幸せと言えるでしょうか。
それは悲惨な光景だと思うのです。
本当の豊かな社会とは、みんなが豊かな社会であり、それは平和であることが前提です。
豊かさと、平和は、ひとつ。
そういう社会をつくりたい。
日本共産党が目指すのは、そんな、自由で、あらゆる権利が守られ、平和な社会です。
それを、私たちは、共産主義社会と呼びます。
だから、実在している中国や北朝鮮、かつてのソ連などは、共産主義だとは認めていないのです。
本当の共産主義社会は、万民が幸福でなければなりません。それを目指して、一歩一歩、暮らしを良くしていく。
それが、日本共産党です。
私の今回の選挙では、特に経済問題を押し出していこうと思っています。
日本共産党の経済再生プラン。「失われた30年」と言われる日本経済の停滞、下降への処方箋。
もう読まれた方も多いと思います。
日本の人々は、勤勉で、忍耐強く、働きすぎとよく指摘されます。
それは美徳でもありますが、時に裏目に出ます。
権威や権力に無批判で、間違っていても逆らうことができない。自分の暮らしや身体を壊すまで働き、時に過労死に至る。
アベノミクス以来の経済政策は、大企業・財界を中心としたもので、上を富ませることによって、下まで利益が降りてくるという、トリクルダウンの発想を前提にしていました。
日本共産党は、当初から批判していましたが、現実は批判した通り、富は上をさらに富ますだけで、一般庶民がその恩恵に預かることは、ついにありませんでした。寧ろ、一般庶民からの搾取をさらに強めて、大企業・財界は肥え太りました。
これらの政策が失敗だったことは、もはや火を見るよりも明らかです。
国民は、いつかは明るい未来が来るものと耐え忍びましたが、ついにその日は来なかった。
もう、声を挙げなくてはなりません。
一般の国民の暮らしを中心にした経済に転換せよと。
今の日本経済に一番必要なのが、国民による消費です。そのためには、思い切った賃上げと消費税減税が特効薬になります。
日本共産党の経済再生プランは、落ち込んだ日本経済を立て直すために、国民を直接豊かにすることを訴えています。
もはや、しがらみに囚われた小手先の政策では、どうにもならない所にまで、我々は追い詰められています。
今こそ、日本共産党の出番です。
ご支援よろしくお願い申し上げます。
小さい頃から、戦争を憎んでいました。
私が生まれたのは、北海道の小さな町で、東京のように激しい空襲に見舞われることはなかったのですが、祖父の兄弟は戦病死していました。
軍服を来た遺影を思い出します。
実家は近くに図書館があり、そこで、反戦漫画シリーズを読んだり、テレビ番組で原爆投下のことを知りました。
まだ小学校に上がる前に、自分の町に原爆が落とされるという恐ろしい夢を見て、うなされて目覚めたのを覚えています。
9歳頃には、夏休みの自由研究の課題に原子爆弾を選び、図書館で調べて、人間が蒸発する、という威力にショックを受けました。
戦争だけはしてはいけないと、子供心に刻みつけられたと思います。
人間が殺し合う、戦争をする、という事実は、私の世界観、人間観に、深い影響を与えました。
過去の、歴史上の一事件というよりは、いつでも、また戦争が起こりうる、自分たちが戦争をするんだという受け取り方をしていました。
悲観的な子供だったかもしれないし、思春期には、人間に絶望するような思いにも囚われました。
やがて私は近代文学をよく読むようになり、マルクスを知ったのは、高専生の頃に読んだ批評家の柄谷行人の著作から、でした。
世界を変える。
そんな大それた夢を、人間は本当に抱いて、実践できるものだと知り、自分の人生観は変わっていきました。
当時は、『賃労働と資本』や、『賃金・価格および利潤』くらいしか読んでいませんでしたが、学習院に入り、社会と自分の関係を考えるようになりました。
こんな世界で、おれは生きられるのか。
おれは、生きていて良いのか。
そんなふうに悩んでいました。
そこに、2001年9月11日の同時多発テロの映像。
リアルタイムで見ていました。
私は、直観的に、このビルは崩落する、と思いました。
私は、悩みながら豊かな都市でのうのうと暮らしている自分自身に、航空機が直撃したように感じました。
おまえは、何をやっているんだ?
そんな問いかけ、叱責のように感じました。
私は、市民団体のデモなどに参加するようになりました。世界の最貧国であるアフガニスタンに、何百発というミサイルを打ち込む、世界一裕福なアメリカ。
その構図は、私の怒りの琴線に触れました。
世界は、こうであってはならない。
社会人になる一歩手前で、私なりの社会参加の仕方は、社会を変えて行く事だと、そんなふうに決意しました。
それから、マルクスの著作をもっと読むようになり、自分の甘えた世界観を正される思いがしました。
子供の頃から抱えていた、社会に対する違和感や絶望感の理由を、論理的に説明してくれるように感じました。
その後、経緯があり、私はヘーゲルという哲学者(マルクスはヘーゲル研究から始めました)の著作にふれ、プロテスタントの教会に通うようになりましたが、洗礼を受けてまもなく、日本共産党の町議さんに誘われて、日本共産党に入党しました。
32歳頃だったと思います。
貧困も、戦争も、差別も、政治の腐敗も、全ては繋がっている。
人々の苦難の原因に、資本主義というシステムがある。
それが分かっている以上、少しずつでも、世の中を変えて行けるはずだ。
そんな思いだったと思います。
今日は朝から夕方まで、代々木の日本共産党中央委員会にいました。代々木駅から振り返ると、真っ赤な「日本共産党」という看板を掲げた大きなビルが見えます。実は自民党本部よりも大規模なビルだとか。
北参道方面に10分も歩けば、12年前に働いていた広告会社のオフィスがあります。少し、懐かしい空気。
その会社で私はコピーライターをやっていて、TVCMのコピーを作ったり、クリエイティブディレクターのアシスタントをしたりしていました。
しかし、不当な雇い止めにあい、未払いの残業代の支払いを求めて、労働組合と共に戦い、完全勝利を得ました。実はこの会社は、小規模ながら、亡くなった安倍晋三元首相の子供の頃からの友人が深く関与しており、当時自民党は下野していましたが、政治的な圧力をかけられたら勝ち目はないと判断して、映画演劇労働組合(映演労連)を頼ったのでした。
映画配給の松竹などの労働組合が母体になっている。
親身になって相談に乗ってくれ、弁護士会館での団体交渉では、多数の仲間が駆けつけてくれました。
その以前から、私は日本共産党に入党していましたが、労働組合の力を我が身に経験したのは初めてでした。
みなさんも、職場で困った立場に追い込まれることがあるかも知れません。
そんな時は、ぜひ、全労連を頼って下さい。
(ちなみに、100万円以上を勝ち得たのですが、報酬は要求されませんでした。寄付をしてくれると助かるというので、5万円ほど差し出したら、こんなには受け取れないよ!と拒否され、2万円程度出したんだったかな?いずれにせよ、お金には変えられないものを助けて頂きました。)
日本共産党は、労働者の味方です。
私自身、自分の経験も踏まえ、労働問題に取り組んで行きたいと思います。