雷と稲作:神話を見る (original) (raw)

はじめに

神は一人や二人ではなく、「一柱」と数えます。これは、古来より柱に偉大な力があると信じられてきたからでしょう。柱が神聖視された理由としては、建物の中心であり、天と地を繋ぐ象徴であったことが考えられます。また、木そのものが生命力や精霊の宿るものとして崇拝されていたという側面もあります。だからこそ、縄文時代から人々は柱を崇めていたのかもしれません。

雷は、古来より人々に恐れられてきた自然現象の一つです。「地震・雷・火事・親父」という言葉が示すように、雷は地震と並んで予知できず、急変をもたらす 恐ろしいものとされてきました。地震は広範囲に大きな被害をもたらしますが、一地点で頻繁に起こるものではありません。一方、雷は夏場の夕立や嵐に伴い、年間を通して比較的頻繁に発生します。

雷鳴と稲光は、人々に強い印象を与え、古くから神として、また絵画のモチーフとして描かれてきました。激しい風と轟く雷鳴、一瞬にして空を照らす稲光は、自然の力に対する畏敬の念を掻き立てたことでしょう。

風神雷神図 - Wikipedia

日本では俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が有名ですが、同じモチーフが敦煌莫高窟でも描かれています。また、中国などの寺院には、このモチーフが仏像としても表現されています。

浅草寺の雷門は有名な観光地となっています。

斑鳩「いかるが」と雷「いかづち」は似ています。偶然ではないかもしれません。

古木への信仰

いくつかの古木を見てきましたが、杉などでは瘤ができており、まっすぐ伸びている他の杉とは明らかに異なり、思わず頭が下がりました。苔むし、寄生する植物や動物が共存し、一つの宇宙を作り上げています。

古木

大きな木は落雷を受けることが多いと思います。その瞬間に一部が炭化したり、火が付いたりします。これが信仰の対象になったのかもしれません。古代において火を手に入れることは大変だったでしょう。オリンピックの聖火もそれを物語っています。

しめ縄

しめ縄を見ていると、横に張られた藁の縄は雲を、縦に垂れ下がった藁は雨を、紙垂は雷を連想させます。

雷は、雨の少ない夏に雷雨とともに訪れ、豊富な雨をもたらします。そのため、雷は恐れられる存在でありながら、同時に雨をもたらすことで植物の芽生えと成長を促す、なくてはならない存在としても考えられました。稲作が盛んになった弥生時代には、雨の重要性はさらに大きくなったことでしょう。

多くのネット資料では、天照大神が岩戸に二度と入れなくするために使ったとされていますが、これは神話であり、天津国の物語です。空想の世界が起源であるとするのは、納得がいかないものです。

注連縄 - Wikipedia

紙垂 - Wikipedia

三内丸山と出雲

三内丸山遺跡縄文時代の重要な遺跡として世界遺産に登録されており、かつて巨大な建物が存在していたと考えられています。一方、出雲大社でも柱跡が発見され、伝説に語られる高い出雲大社の実在性が強まっています。これらの遺跡に共通するのは、いずれも3本の柱で構造を補強している点です。この類似点は偶然とは思えません。

出雲と青森の三内丸山遺跡の間には、技術や文化が交流していた可能性が高いと考えられます。交易を通じて、建築技術が伝わり、お互いに影響を与え合っていたのではないでしょうか。

上記は三内丸山遺跡に復元された建物群であり、正倉院や茅葺屋根を彷彿とさせるものです。現代の建築とは異なる独特の特徴を持ちながらも、建築の原点ともいえる魅力があります。

これらの巨大な建物やクリの木の耕作は、多くの人々が力を合わせて暮らす社会が存在したことを示しています。社会を築くためにはリーダーが必要であり、上下関係があったと考えられます。復元された建物は、当時の生活や文化を想像するための貴重な手がかりとなる一方で、縄文時代について現代の私たちがまだ知らないことが多いことを教えてくれます。

出雲大社と大陸との交易は、古代日本の歴史を考える上で非常に重要なテーマです。地理的条件、出土品、神話・伝説など、様々な角度からこの問題を考察することで、古代日本の国際的な交流の実態をより深く理解することができるでしょう。

植林と言う概念も無いため、古代出雲大社や三内丸山に見られるように巨大な木は各地に生えていたと考えられます。そういった木で船を造りますので、船も大きくできます。それは現代人の想像を超えて大きかったかもしれません。

また、木と木をつなぐ技術を使えばさらに巨大な船も作ることが出来ます。

人の知性はここ1万年ぐらいは変わってないだろうと思います。違いは、現代人には、文字があり、過去の記録により、より多くの知識がある点だと思います。

式年遷宮 お木曳

古事記高天原朝鮮半島とすれば、現代日本人は朝鮮からやってきて、そこに住んでいた人々と混血した人々が祖先とみなされます。一般に想定されている事の裏付けとなるように思います。下図は伊勢神宮式年遷宮諏訪大社御柱祭です。私には、共通するものがあるように見えます。

創造神であるイザナギ・イサナミ神話は「死」の発見の物語です。それ以前は死と生の区別がハッキリしてなかったことを表しているのだと思います。「生」は非常に難しいテーマであり、ほとんどの全ての疑問の出発点です。

ただ、「死」と「生」の概念には非常に高度な推論が必要です。フランケンシュタインの話もそれが難しいから成り立つのだと思います。

2000年も前にこの話があったことは驚きですが、怪談話に幽霊が欠かせないように、しっかりとした概念ではありません。世界中に多くの同じような話があります。

【神話学】世界中の神話に多くの共通点 があるのはなぜなのか? | MP (mythpedia.jp)

日本神話のあらすじを分かりやすく解説 - 歴史の史実研究所 (rekishi-shizitsu.jp)

イザナギとイザナミの物語、国生み・神生み、黄泉比良坂の決別まで - waqwaq (waqwaq-j.com)

縄文人 - Wikipedia

弥生人 - Wikipedia